作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

日本人拉致被害者の回復(日本人拉致問題の哲学的な検討)

2006年04月27日 | ニュース・現実評論

横田早紀江さん、米大統領と面会へ…拉致問題協力訴え (読売新聞) - goo ニュース

横田めぐみさんのお母さんの早紀江さんが、アメリカ下院議会の公聴会で証言するために渡米している。しかし、お父さんの滋さんは、体調の不安から国内にとどまることになったようだ。アメリカ大統領にも面会する予定とも言われている。

この日本人拉致問題こそ、日本国の国家としての不完全性を象徴するものだ。現代の日本国が国家として、不完全であることは、最近の社会的な事件や文化現象を見てもいえることである。

スパイ防止法さえ持たずに、国内で遠慮なく諸外国の諜報活動を許していることや麻薬の密輸入や女性の人身売買に等しい風俗産業における不法入国外国人労働者も放置している。さらに根本的で典型的な事例は、日本国内に外国軍が駐留していることがある。もちろんアメリカ軍のことであるが、この事実が端的に現在のわが国が完全な独立国家でないことを証明している。

日本は、先の太平洋戦争において未曾有の敗戦を喫した。その結果として、戦後のいまだ百年を経ない現代に生きる私たちは、長い日本史の全体から見ても、特殊な国家形態の時代に生きることになった。戦争の結果として、文化的にも倫理的にも戦争の深い爪あとの残された社会に生きざるをえない。


現代日本を考察するとき、少なくとも太平洋戦争後一世紀以内を生きる私たちは、つねにこの歴史的な視点を忘れないことが肝腎だ。敗戦によって、従来の価値観や倫理観が崩壊し、それに伴う道徳的、文化的な混乱や精神的な無秩序を経験した国民は、そのトラウマから回復するためには少なくとも一世紀は要すると見るべきだろう。現代もなお、植民地的な退廃文化の中に日本国民が置かれているのもある意味ではやむを得ない面もある。

しかし、この現状は放置されるべきことではなく、日本国民が十分な時間と哲学的素養の全能力を傾けて、主体的に憲法を形成し、近代国家としての日本がその自由と独立を回復して、国家としての法体系や文化や倫理の自立性と完全性を回復する必要がある。


北朝鮮による日本人拉致という国家テロを許したのも、結局は、戦後の日本が、完全な主権国家として回復されておらず、日本が国家として主権が完全に確立もされず、その行使もできていないことに原因がある。国民の生命と財産を守るべき軍隊や警察などによる独立国家として当然の権力行使ができない。それを担保すべき政治と行政の制度も確立されていない。日本人の拉致被害を国家として独立に回復することができず、アメリカに助力を求めること自体が本来は恥ずべきことであり、日本の従属性を示すものであるが、ここではこの問題についてはこれ以上は触れない。

いずれにせよ、国民の多くは、現在の日本の国家としての事態を、特殊な状況として相対化できない。また、それに不自由を感じることもない。戦後日本の国家としての欠陥を十分に認識することもない。


国家の概念からすれば、国家としての体をなしているのは、もちろん戦前の大日本帝国憲法下の日本であって戦後の日本国ではない。国家としての完全性からいうならば、大日本帝国のほうがより完全であって、戦後の日本国は不完全な、国家である。第二次世界大戦後の日本国は、国家の理念も国民の十分な自覚の上に立脚せず、国家としての自立性、独立性も獲得していないからである。

もちろん、こういったからといって、かつての大日本帝国を美化するつもりはなく、ただ現在の日本国を相対化し、客観的に考察することによって、現在の日本国の国家としての不完全性を認識し、より完全な国家へと形成して行く作業の一つの前提として必要であると考えるだけである。

もちろん現在の国際政治の状況から言って、アメリカ軍の撤退を主張するのは非現実的であることは言うまでもない。現実がすべて理想的であるなら、私たちは何の努力も必要としないことになろう。ある意味では、現実は理性的で、何らかの根拠と必然性をもって存在しているといえる。とはいえ、理想を忘れてただ現実に追随するだけに終わるのは、腐敗し堕落した国民である。理想や理念を着実に現実的に追求し実現してゆくのが健全な国民である。

歴史的な事件、政治的な事件を考えるとき、少なくとも、一度は、戦前の大日本帝国憲法下にあった日本国の立場から、それらの事件を発想してみることがあってよいと思う。それは、国家として「普通の国」であれば、どのような発想をし、どのような行動をとるだろうかということを想像するためである。

北朝鮮による拉致問題についても同様である。もちろん、大日本帝国の時代に北朝鮮は存在しないから、これはあくまで頭の中の想像に過ぎず、少なくとも、頭の中で行うシュミレーションに過ぎないが、とにかく、この作業を行うことによって、国家の概念を明確にし、それによって、実際の日本国憲法下にある戦後日本の国家としての歪みや欠陥を想定することができる。

大日本帝国もまた多くの欠陥を持った国家であったとしても、少なくとも、日本人が主体的に形成した国家であるという一点においては、大日本国帝国のほうが戦後の日本国よりは正常な国家である。国家形成の主体性という一点においてだけでも、戦後の日本国を問題視する必要があると思う。

大日本帝国憲法下で、果たして、横田めぐみさんのような日本人拉致のような問題は生じたか。国家として完全に独立し、主権の確保されている国家にあっては、こういった事件は起こりようが無い。この事件は北朝鮮によって引き起こされた、日本の国家主権に対する侵害行為である。もし日本国が「普通の国家」でより「完全な国家」であれば、北朝鮮のような国家テロを許すようなことはなかったはずである。こうした国家犯罪は戦争を覚悟しなくては起こしえないことを明確にしておくことが、平和の確保にも必要である。

拉致被害者の原状回復についてこれまでの経緯を見ても、結局、北朝鮮の根本的な体制変革か体制崩壊以外に結論はないのではないか。もちろん、直接的に軍事攻撃を仕掛けることは、現在の日本の法制からいっても、また、安保条約の同盟国であるアメリカが、イラン、イラク問題で余裕のないことから言っても非現実的である。

現在選択できる方策としては、経済的な締め付けを行うことによって、北朝鮮の内部崩壊を促進させるしかないと思う。アメリカが北朝鮮に対して行っている金融封鎖などは有効である。わが国も、万景峰号の新潟港入港禁止や、北朝鮮への送金の禁止措置など、せっかく北朝鮮制裁法案を成立させたのであるから、拉致被害者家族会の皆さんが主張するように、この法案の有効活用を研究し早急に実行することである。六カ国協議を北朝鮮や中国やロシアの時間稼ぎに利用させることなく、アメリカと連携して対策を講じてゆく必要がある。

そして、でき得る限り現在の拉致問題の早急な解決を図るとともに、二度とこのような事件がおきないように、根本的な対策を実行することが重要である。

追記

横田早紀江さんがアメリカの下院の公聴会で証言し、またアメリカ大統領にも面会して、本日(四月三十日)帰国した。こうした拉致事件に対するアメリカ国民と日本国民の対応を、テレビなどのニュースで見ていて感じるのも、やはり、聖書国民とそうでない非キリスト教国民との差である。悪においても善においても日本はアメリカほどには徹底しないのだ。儒教や仏教の「空」では結局、芭蕉が『奥の細道』で示した態度のようになるしかないのだろう。

 

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エリヤの生涯

2006年04月19日 | 宗教・文化

エリヤの生涯

旧約聖書のなかの預言者エリヤの生涯の軌跡については、聖書のなかのいくつかの個所にたどることができる。エリヤというのは、「ヤーウェは神なり」という意味で、ヤーウェは固有名詞、神は本質を示す普通名詞である。旧約聖書なのなかでエリヤが初めて登場するのは、列王記上第十七章である。この列王記は、エルサレムを治めたダビデ王の晩年の描写から始まる。

ダビデ王の事業は息子のソロモン王に受け継がれ、成就される。賢君ソロモン王の治世は、ユダヤ民族の歴史の中でもっとも輝かしい時代として記憶されている。およそ三千年前に、ソロモン王によって築かれた神殿は、その後バビロニアによって破壊されるが、その残された遺跡は、「嘆きの壁」として、今日もユダヤ人たちの祈りの場になっている。

ダビデの犯した罪の結果として、王国はやがて北のイスラエルと南のユダに分裂する。列王記は、ユダヤの民が、北方の民族バビロニアの王ネブカドネザルによって滅ぼされるまでを記録した歴史物語である。この分裂した二つの王国を治めた王たちの事跡が、預言者の眼から記録され評価される。日本で言えば、さしずめ天皇を中心に紀伝体で編んだ「大鏡」や「太平記」のようなものである。ただ、そこに一貫する根本の思想は、モーゼの戒律に忠実な国や民族は栄え、それに背く王と民衆は滅亡するというものである。イスラエル民族の現実の歴史は、それを実証するものとして語られている。

列王記の前半は、ダビデ王の晩年と、その王位継承をめぐる争いとソロモン王の王権の確立の描写から始まり、そして、類まれなソロモン王の知恵と、その統治下の民族の富と繁栄が、壮大な神殿の建築やその他の事業の様子が語られる。しかし、エリヤが登場するのは、ユダヤの王と民衆の神からの離反によって、やがて王国が堕落し分裂を招いた後の、第十七章からである。イスラエルの王アハブの治世下に生きたエリヤは、ギレアドの住民で、ティシュベ人と記録されている。

エリヤは、イスラエルの王であるアハブに旱魃を予言する。だが、アハブ王の妻イゼベルは、異教の神バアルを崇拝していたから、エリヤは主の命じられたとおり、ヨルダンの東にあったケルト川の辺に身を隠して暮らさざるをえなかった。そこで、エリヤは烏たちの運んでくるパンと肉で身を養った。しかし、その川もやがて涸れてしまった後、さらに北方の異邦との国境シドン地方のザレプタに行き、その地の一人のやもめに養われたと記録されている。

その地に滞在する間、二つの奇跡のあったことが記されている。そのやもめが持っていた──彼女は名前すら記録されていない──壷の中の、小麦粉が尽きることのなかったこと、そして、瓶の中の油も無くなることのなかった。だから、彼らは飢えることもなかった。そして、もう一つの奇跡は、やもめの女主人の息子が病気で一度は死んでしまうが、エリヤがその息子を生き返らせたことである。息子を失ったことをエリヤのせいのように苦情を言い立てる、この女やもめがいじらしい。

エリヤの生涯は、異教の神バアルとその預言者たちとの戦いであったことが伺われる。アハブ王の妻イゼベルが、主の預言者の多くを迫害し殺したことも記されている。彼女を通じて、イスラエルの王と民衆は異邦人の神に惹かれつつあった。ユダヤの民衆は、彼らの祖先の神であるヤーウェと、イゼベルがもたらした異教の神バアルとの間で迷っていた。そのとき、エリヤはただ一人残ったイスラエルの主なる神の預言者として、バアルの預言者四百五十人に立ち向かい、民衆に決断を迫る。

いずれの神が真実の神であるか。燔祭のために犠牲にされた牛に、燃え尽くす火で応じた神こそが本当の神である。バアルの預言者たちも神の名を大声で叫んだ。その際に彼らは槍や剣で自分たちの体を傷つけながら祈祷する。彼ら独特の宗教の様子が描写されている。しかし、彼らの祈りには何の応答も無かった。だが、エリヤの祈りに対しては主は、空から火を降し、いけにえを焼き尽くすことによって応えられた。こうしてエリヤは勝利し、民衆もヤーウェこそが真の神であることを認め、バアルの預言者をすべて、キション川の辺で殺してしまう。(同第十八章)

しかし、ユダヤ民族の宗教を守り純化したエリヤも、アハブ王の妻イゼベルの報復を恐れて、シナイの山に遁れざるをえなかった。言うまでもなく、この山はモーゼが燃える柴の中から神の啓示として十戒を授かった場所である。エリヤは主のみ使いに助けられ、四十日四十夜歩きつづけてモーゼのかって立った神の山に登る。そして、モーゼと同じように神の啓示を受けて、エリシャ──神は救いという意味──を後継者として見出す。

エリヤの生誕や彼の家族、幼少期や青年期にのことについてなど、その他のエリヤの生涯については記されていない。ただ、彼が「毛皮の衣を着て、革の帯を締めていたこと」(列王記下第一章)と、彼の最期が「火の馬に引かれた火の戦車が現れ、そのときの竜巻によって天に引き上げられた」(同第二章)などと描写されているのみである。エリヤの生涯について知り得るのは、わずかにこれくらいである。

エリヤは後世にどのように認められているか。それについては、旧約と新約とをつなぐ、旧約の最後の預言書マラキ書の中では、主の来臨の前には預言者エリヤが遣わされると預言されている。(マラキ書第四章)

さらに新約聖書では、エリヤは洗礼者ヨハネとなって現れたという。(マタイ書第一章)そして、イエス自身も在世時には人々から「エリヤ自身の現れ」とも言われている。(マタイ書第十六章、ルカ書第九章)
また、イエスのご変容に際しては、モーゼとエリヤが現れてイエスと語り合ったと記されている。このように、イエスにとってもエリヤはモーゼと並ぶ重要な預言者とされている。(マルコ書第九章、マタイ書第十七章)

イエスご自身が故郷の人々に受け入れられなかった時にも、エリヤを引き合いに出して、イスラエルにも多くのやもめがいたにもかかわらず、その中の誰一人にもエリヤは遣わされずに、シドン地方のサレプタに住む異邦人である寡婦に遣わされたと皮肉に語っている。(ルカ書第四章)

そして、十字架上でイエスが最期に大声で叫ばれたときにも、人々の耳には、「エリヤを呼んでいるように」も聞こえたという。(マタイ書第二十七章)
パウロの神学の中では、エリヤは異教の神バアルに跪かなかったイスラエルの神に忠実な七千人を象徴する一人として取り上げられ、(ロマ書第十一章)、十二使徒の一人ヤコブには、エリヤが私たちと同じ人間でありながら、熱心に祈ったために三年半も雨が降らなかったとして、祈りの持つ大きな力を証明した預言者として取り上げている。新約聖書の中でも重要な預言者として評価されているといえる。

列王記や歴代誌に垣間見ることのできるエリヤやエリシャの生涯は、国内外のさまざまな敵や異民族との軋轢や殺戮にまみれた困難なものだった。この中東の困難な歴史は現代にまで続く。

昨日もテルアビブで自爆テロがあったばかりである。聖書の列王記や歴代誌に記録されているように、ユダヤ人の先祖たちと、シリア人やパレスチナ人の祖先であるアラム人、フェニキア人、モアブ人、ペリシテ人たちとの軋轢や戦争は、イスラエル・パレスチナ問題として、二十一世紀の今日にいたるまで連綿として続いている。かってバビロニアとしてエルサレムを陥落させた今日のイラクも、新生民主国家の建設に苦闘している。

 

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宗教と民主主義

2006年04月16日 | 宗教・文化
"「名前だけで殺される」、イラク宗派対立で改名申請殺到 (朝日新聞) - goo ニュース"

"アフガンでキリスト教改宗者を逮捕・起訴=欧米が非難の大合唱 (時事通信) - goo ニュース"

"イラク国民議会あす再開 首相問題なお難航 (産経新聞) - goo ニュース"

イラク戦争に先立って、アメリカの手によって自由と民主主義へと向かってタリバン政権から解放されたはずの新生アフガニスタンで、キリスト教に改宗した男性が逮捕され起訴されたというニュースがあった。

このニュースが明らかにしている真実とは何か。それは、非キリスト教国民の間に民主主義国家を建設することの困難さである。

宗教は、国民や民族の精神的な基盤である。アメリカには、特にネオコンと称される人々は、中東の国々に対して民主主義の使徒として働こうとしている人物が多いが、その困難を彼らがどれほど深刻に理解しているだろうか。イラクでは、国民議会の開催を巡って今も紛糾している。

民主主義の導入は、もちろん、その民族や国民にとっては政治的に解放されることを意味する。しかし、アフガンのこの男性がキリスト教に改宗しても、「国家」はそれを認めようとはせず、欧米諸国の助命と嘆願によってかろうじてイタリアへの亡命が認められたに過ぎない。

この例に見るように、国家のみならず、国民や民族が宗教的に解放されないまま、政治的に解放されることがどれほどに茶番に等しいことかが分かる。宗教改革も体験せず、自由についての意識も自覚も不充分なアフガニスタンやイラクの国民や民族が、民主主義国家を創立し運営してゆくことの困難がここにある。

アメリカのブッシュ大統領は、いとも気楽に「中東の民主化」を口にするように思える。そして、彼が好んで口にするのは、旧敵国天皇制日本のアメリカによる民主的な改造であり、そのモデルの象徴的な人物としての小泉首相である。イラクの民主化は戦後日本に範をとるという。

しかし、小泉首相の靖国神社問題への対応に象徴されるように、国民の自由について自覚はまだ未熟である。イラクやアフガニスタン同様に、宗教改革を経験していない日本人の政治的解放が、どれほどの悲喜劇をもたらしているかは、戦後六十年の今日に至るまで、国民自身の手による民主主義の実現が道半ばにある現代日本の現状を見ても分かることである。宗教改革を主体的に実現しなかった民族は、自由や民主主義をさほど切実に要求しない点においても、藤原正彦氏に見られるように、日本人においても、アフガン人もイラク人も大した差異はないという現実がある。 

 

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春の長雨

2006年04月11日 | 日記・紀行

春の長雨が続く。昨日来の、終日の雨。
昔、この春雨を悲しんで、美しい女性が詠んだ有名な歌。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に   
         小野小町

この僅かな詠唱のなかに、小町は、時間と人間と社会の間に必然的ともいえるほどに生まれるさまざまな情感を、一つに結晶させ、永遠性を獲得しようとしている。ことばと永遠性の問題を考えさせる。もちろん哲学はこの事実をより大規模に遂行しようとするのだけれども。
西行も過ぎ行く時間と美の移ろいを惜しみ、たとえようもなき切ない心を歌う。
   
   雨中落花

梢うつ 雨にしをれて 散る花の 惜しき心を 何にたとへえん 

      西行       

理念の、イデーの実現に捧げられた生涯。多くの偉人が過去にも、その事跡を記録している。西行もそうした一人だった。彼は生涯を歌の美しさのために捧げた。

先の日曜日は、幸いにも良く晴れて絶好のお花見日和だった。高瀬川沿いの桜も満開で、夜にはライトアップされて誇らしげだった。四条通や木屋町に人出も多く、携帯で写真に収める人も多かった。その華やかな満開の花の盛りは、人々の心にも深く刻まれたことだろう。

 

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信頼すべきもの

2006年04月10日 | 宗教・文化

人に信頼する者、主に信頼する者(エレミヤ書第17章第5節~第8節)

主はこのように言われる。
呪われよ、人に信頼する者。
肉に過ぎない人間を右腕と頼みにする者、
その心が主から離れ去った者は。
彼は、荒野の枯れ木のようだ。
恵みの雨を見ることもない。
彼らは荒野の熱く乾いた土地に、
不毛の塩の土地に、
住むことになるだろう。

祝福されよ、主に信頼する者。
主を待ち望む者は。
彼は水辺に植えられた木々、
川辺に根を張り、
暑さに見舞われることもなく、
その葉はみずみずしい。
旱魃の年にも悩みはなく、
いつまでも実を結ぶ。

────────────────────

聖書のエレミヤ書のこの一節は何を私たちに告げ、教えようとしているのだろうか。
ここでは、私たちの前に、二者が対置されている。一人は、私たちと同じ肉の人、もう一人は主なる神。どちらを信頼すべきか。
この肉なる人の中には、当然に指導者や金持ち貴族も含まれる。要するに、人間一般である。
この一節は、人間を信頼するな、ただ主なる神のみを信頼せよ、と教えている。

ユダヤ教では、この主は、天と地の創造主であるが、キリスト教では、この主は、三位一体の神である。それは創造主であるとともに、イエス・キリスト、そして聖霊である。

新約聖書の立場からは、三位一体の神にのみ信頼せよ、人間に信を置くなという。現代日本でいえば、神に信をおかずに、小泉首相や小沢一郎氏に信頼するものは呪われよ、ということになる。聖書の人間観は、基本的に性悪説だから、こういう結論になるのかもしれない。究極的にはこのような選択を覚悟しておくべきだというのだろう。極限状況にあっては、自己と神にのみ頼ることになる。バビロニアの捕囚で人間の惨劇を体験したエレミヤの言葉らしい。

ここでは主なる神に信頼する者は、川の辺に植えられた木々に喩えられている。主から離れず、いつまでも主に希望をおく者は祝福され、いつまでもみずみずしく実を結ぶと言う。砂漠の土地に生きた詩人になる歌である。この節ではエレミヤは明らかに詩篇第一篇のモチーフを念頭においている。

 

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ヘーゲル哲学史3

2006年04月04日 | 哲学一般

フィヒテの主観的観念論

しかし、カントもフィヒテも、我々にないものは我々に何のかかわりもないということによって、いずれも主観的観念論にとどまった。(岩波全集版哲学史下三(p134))

カントは認識を樹立し、フィヒテはカントの認識によって知を樹立する。意識の本性は知にあり、哲学の目的はこの知についての知を得ることである。意識とは活動する自我でもあり、だから哲学は意識についての意識でもあった。しかし、この自我がもろもろの対象や利害と係わりながら生み出すさまざまの規定とその必然性は、彼らにあっては意識の彼方にあるものである。ibid(p135)

カントの認識にしたがって知を樹立したフィヒテによると、学とは知の内容と形式を表現する最高の原則に基づく認識の体系であるとされる。こうしてフィヒテ哲学はカントを乗り越えて、ヘーゲル哲学の準備となった。
だが、この体系の端緒は何か。それは絶対的に根本的な最初のものであるから、証明もされなければ規定もされるものでもない。それは、近代哲学の祖、デカルトの出発点、「我思う。ゆえに我あり」である。しかし、カントと同様にフィヒテにおいても、この自我は主観的なものにとどまった。

フィヒテもまた、我は我なり、というこの第一の原則の同一律から出発する。そして、第二の原則として、自我に非我を対置しはするが、フィヒテにあってはこの非我は、自我すなわち絶対的な自意識とは別のものされている。そのことによって、第二の原則はフィヒテにあっては第一の同一律から演繹されないという誤りを犯すことになる。

フィヒテは自我に対して、非我を自我とは別個のものとして対置する。だからフィヒテの自我は、内在的に進展することによって非我を総合するという第三の立場へとは進まず、自我と非我とは悪無限的に対立し、真の無限に達しない。それに対し、ヘーゲルにあってはこの非我は、対象一般であって自我から独立してはいるが、自我に属してもいる。この非我は自我を否定し制限するものであると同時に、自我もまた、非我を規定し制限する。このようにして、ヘーゲルもまた、自我の自己内分裂という特質を捉えるが、この非我を自我に内在的なものとして捉えることによって、総合する立場に進む。このようなものとして、自我そのものを無限とする。ここにフィヒテ哲学との違いがある。

この自我の内部で、自我と非我との関係が進展してゆく。まず第一の進展は理論的な進展である。ある物の実在は非我として、自我のなかに規定される。一方、自我は、対象のすべての表象の観念的な根拠であり、この対象を規定するのは自我である。さらに、自我そのものが、自己を自我意識を分析する能力をもっている。Ibid(p145)

しかし、フィヒテの自我は、客観を非我を自らの表象として捉えるから、カントの物自体のように、空虚な抽象が自我の外部に取り残されて、主観的な観念論にとどまる。このようにヘーゲルはフィヒテの理論における立場を批判する。ibid(p148)

 

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高瀬川沿い

2006年04月01日 | 日記・紀行

京都駅界隈は用事でよく来るが、その際気が向けば、鴨川べりや高瀬川沿いまで足を延ばして散策して帰ることも多い。

それには烏丸通や東洞院か新町通りなどの南北道を北に上り、松原通か正面通りで東に折れて、高瀬川や鴨川に行き当たるか、または、七条通や塩小路通りをまっすぐ東に歩いて、そのまま高瀬川や鴨川岸に出るか、どちらかのコースをたどる。今日は、塩小路を東に歩いて、高瀬川のせせらぎに出た。

     
昔はここを高瀬舟が行き交ったのだろうが、今はその面影はない。川岸の桜の木はどれもちらほら白い花が咲いているだけで、多くはまだ小さな莟と赤い新芽を枝にとどめている。高瀬川沿いには豪華なホテルや旅館もなく、所々に若者向けか外国人向けの簡易で気楽そうな宿屋を見るだけである。人通りもほとんどなかった。

川を左に眺めながら正面通りまで出て、そこを東に折れて正面橋を渡る。そして鴨川の東べりに降りて、堤の上に咲いている桜を見上げながら歩いた。このあたりの桜は高瀬川のそれと違ってほぼ満開に近い。花は紅が濃く艶っぽい。

人間と同じように、紅の薄い白い花を咲かせる高瀬川沿いの桜は北方系で開花が遅く、五条橋から南にわたって咲いている紅の濃い妖艶な桜は南方系で開花も早いということなのかもしれない。

五条大橋で堤を上がり、橋を渡って高瀬川に戻り、今度は高瀬川の西岸沿いの歩道を下って帰った。途中で、お茶屋のお姉さんに声を掛けられる。微笑で応える。

西木屋町通りに出ると、雪洞が灯されていた。このあたりの桜並木は五分咲きぐらいだった。観光客らしい若い女性のグループが三々五々ゆっくり話しながら歩いていた。鮒鶴や鶴清などの料理旅館も久しぶりに眺めることになった。ここで何度かコンパを持ったのも、今はもう昔のこととなった。

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