作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

山ふかくさこそ心はかよふとも

2021年05月28日 | 西行考

                     西行法師像: 東京国立博物館

 

西行法師

山ふかくさこそ心はかよふともすまてあはれをしらんものかは 

 

 

 ※画像出典

 西行法師像 - 東京国立博物館  https://is.gd/W3uQT5

 

 

 

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そのかみまゐり仕うまつりける慣ひに

2020年10月31日 | 西行考

そのかみまゐり仕うまつりける慣ひに、世を遁れて後も、賀茂にまゐりけり。とし高くなりて、四国の方へ修行しけるに、また帰りまゐらぬこともやとて、仁安二年十月十日の夜まゐり、幣をまゐらせけり。内へも入らぬことなれば、棚尾の社にとりつきて、まゐらせ給へとて、心ざしけるに、木の間の月のほのぼのに、常よりも神さび、あはれにおぼえて、詠みける

1095かしこまる  四手に涙の  かかるかな     またいつかはと  思ふあはれに

その昔、若かりし頃より参詣し申し上げた習慣から、出家したのちも賀茂の社にお参りしました。歳とってから四国の方面に巡礼する折に、ふたたび帰り来てお参りすることもないかもしれないと思い、仁安二年十月十日の夜にお参りし、幣を献上しました。僧侶の身の上で本殿の内にも入れませんから、棚尾の社に、幣をおそなえしてくださるようお取次をお願いして、お手向けしたときに、木立の間に月がほんのりと、いつもよりも神々しく浮かんでいました。しみじみと心動かされて詠みました。

1095かしこまる  四手に涙の  かかるかな     またいつかはと  思ふあはれに

畏れ多くもたてまつる  幣に涙が  落ちかかります  またいつの日にかお参りすることもあるだろうかと  思うつらさに

 

播磨の書写へまゐるとて

播磨の書写へまゐるとて、野中の清水を見けること、一昔になりにけり。年経て後、修行すとて通りけるに、同じ様にて変わらざりければ

1096昔見し  野中の清水  かはらねば       わが影をもや  思ひ出づらん

播磨国の書写山円教寺に参拝するときに、印南野に野中の清水を見たのは、もう一昔のことになってしまいました。歳月を経てふたたび巡礼するために今そこを通りかかったところ、野中の清水はその姿も昔と変わりなかったので

1096昔見し  野中の清水  かはらねば       わが影をもや  思ひ出づらん

昔に見た野中の清水ですが  その様子に少しも変わりがなかったので私の面影をそこに写しても  きっと私のことを思い出してくれることでしょう

 

上賀茂神社境内の棚尾神社(諸国神社めぐり) https://is.gd/9AxnVE

 

20180331

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涼風秋ノ如シ

2019年11月05日 | 西行考

涼風如秋(涼風秋ノ如シ)

240
まだきより  身にしむ風の けしきかな  秋先立つる  み山辺の里

まだその時期も来ないのに、吹く風が身にしみて来る様です。
都に先立って秋も訪れてきます、山のほとりにあるこの里には。

松風如秋(松風秋ノ如シ)といふことを、北白川なる所にて人々よみて、また水声有秋といふことをかさねけるに
241
松風の  音のみならず  石走る  水にも秋は  ありけるものを

松の梢を吹きわたる風はもうすでに秋、ということを題に北白川というところで人々と歌を詠みました。その題に重ねて、また川を流れる水音にも秋がある、ということも詠みました。

松の梢を吹きわたる風だけではなく、岩の間を流れ降る水にも秋の訪れを感じられることよ。松のこずえを揺する風と川流れのせせらぎの音。西行の身体の全感覚に、秋の到来が刻まれる。

山家待秋(山家秋ヲ待ツ)
252
山里は  そとものまくさ  葉をしげみ  裏吹きかへす  秋を待つかな

山家で暮らしながら秋を待つ

私の暮らす山のほとりにある里には、家の外一面に葛がはびこって葉を繁らせている。葛の葉裏をそよがせる秋風の吹くのももう間も無くだ。

六月祓(みなづきばらへ)※
253
禊して  幣きりながす  河の瀬に  やがて秋めく  風ぞ涼しき

川辺で禊しながら、幣(ぬさ)を切って河の瀬に流していると、すぐに秋めいた風が吹いてきて涼しい。

※六月祓(みなづきばらへ)、夏越し祓へ(なごしのはらへ)、名越しの祓へ

陰暦六月水無月の晦日、宮中や神社において半年間の厄を払う厄除の行事。邪神を和めるために川原で禊(みそぎ)しながら厄落としのために幣を切って川に流したらしい(全訳古語辞典)。西行自身は真言僧だったから神官のように実際に川の流れに入って幣を切って流すことはなかったのかもしれない。おそらく彼自身の体験ではなく、観察や見聞を和歌にしたのだろうか。西行にも縁の深かった上賀茂神社には今も「ならの小川」が流れている。

あらためて上賀茂神社のホームページを見ると、今日でも「大祓式」は年二回(六月・十二月)に行われているそうで、罪穢を託された人形を「ならの小川」に投す大祓式が今も行われているとのこと。おそらく西行は上賀茂神社の六月祓(みなづきばらへ)を体験して、この歌を詠んだに違いない。私はまだこの六月祓へは見たことがない。来年にでも忘れていなければ見る機会があって、この西行の和歌を思い出すこともあるかもしれない。これらの歌はいずれも山家集の夏の巻尾を飾っている歌である。晩秋に入ろうとする今、時期外れの記事になってしまった。

上賀茂神社のホームページより

ひととせ | 賀茂別雷神社 https://is.gd/bmlSqN

「大祓式」では二回(六月・十二月)に行われ、古来より半年間の罪穢を祓い清めて来る半期を無病息災に過ごせる事を願い全国神社でも行われています。当神社では「橋殿」にて宮司が中臣祓詞を唱え氏子崇敬者から式中に伶人(神心流)により、当神社の大祓式の情景を詠まれた下記の和歌が朗詠されます。

 

 風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

       藤原 家隆

 家隆は西行のこの夏の禊の歌をきっと知っていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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年頃申しなれたりける人に

2019年09月30日 | 西行考

 

 

年頃申しなれたりける人に

年頃申しなれたりける人に、遠く修行する由申してまかりたりけり。名残り多くてたちけるに、紅葉のしたりけるを見せまほしくて、待ちつる甲斐なく、いかに、と申しければ、木の下に立ち寄りて詠みける

1086
心をば  深き紅葉の 色に染めて 別れて行くや 散るになるらん

駿河の国九能の山寺にて、月を見て詠みける

1087
涙のみ  かきくらさるる  旅なれや  さやかに見よと  月は澄めども


長年にわたって語り合いなれた人のところへ、遠くへ修行に出かけることを、告げるために行ってきました。とても名残おしくて佇んでいたところ、その人は、木々の紅葉するのをお見せしたくて、お待ちしていましたのにその甲斐もありませんでした、どうされていましたか、といわれましたので、私は木の下に立ち寄って、歌を詠んでから別れました。

1086
心をば  深き紅葉の 色に染めて 別れて行くや 散るになるらん

深く思ってくださるあなたの思いを、紅葉の色のように私の心に染めて別れゆくのは、紅葉の散ってゆくことになるのでしょうか


駿河の国にある九能の山寺にて、月を見て詠みました

1087
涙のみ  かきくらさるる  旅なれや  さやかに見よと  月は澄めども

ただ涙のみにかきぬれ、悲しみにくれる旅になってしまったことよ、涙に目をくもらさず、はっきりと見るようにと、空に月は澄んでいるのに


この二つの和歌の並びから、西行が「遠く仏道修行」に出るために、長年にわたって慣れ親しんだ人に別れを告げたのは、駿河の国、今の静岡県九能山あたりに旅に出るためだったのかもしれない。

そのとき西行が登った山寺とは、推古天皇の頃の六七世紀に久能忠仁によって久能山麓に建てられた久能寺だったのだろう。久能山からは駿河湾が見下ろせるから、西行が眺めた月は駿河湾の沖合に浮かんだ月だったかもしれない。

西行の和歌からは当時の九能山の面影は伺い知ることはできない。平安時代末の久能山にはもちろんまだ徳川家康を祀った久能山東照宮はない。私が静岡に暮らしていたときに久能山に登って東照宮に参ったことはあるけれど日の明るい昼間だった。その時の九能山の記憶ももう薄らいでいる。

「名残り多くてたちける」と和歌に言うように、もう二度とは会えないことを西行は覚悟していたのかもしれない。都から遠く離れた九能山の山寺で、西行が涙にくれながら月を眺めることになったのも、なれ親しんだ人に別れを告げたことを思い出していたからにちがいない。

「心をば」の和歌のように、「別離」は万葉集の昔からの多くの和歌の主題でもある。西行の生きた時代を描いた「平家物語」にも「生者必滅、会者定離は浮世の習い」とある。

早いもので、令和元年、二〇一九年の九月とも今日で別れを告げる。来月には国民の祝日として「即位礼正殿の儀の行われる日」がある。

 

 

 

 
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「山家集」こころざすことありて 864私的註解

2019年06月24日 | 西行考


「山家集」 こころざすことありて 864私的註解

こころざすことありて、扇を仏にまゐらせけるに、院より賜はりけるに、女房受けたまはりて、包紙に書きつけられける

864
ありがたき  法にあふぎの  風ならば  
    心の塵を  払へとぞ思ふ

仏道修行を思い立って、扇を仏様に献上しようとした折に、崇徳院から扇を賜りましたが、女房がそれをお受け取りになって、包紙に歌をお書きつけになられました

864
ありがたい仏法に出会うためにいただいた扇であおいだ風であるならば
   積もり積もった心の埃をお払いになったらよろしいかと思います


西行の和歌は単に花や雪、月などの自然の叙景や、死や別離、恋や孤独などを歌ったものばかりとは限らない。西行はまた真言僧でもあって、仏教の教えに関連する和歌も多く詠んでいる。と言うよりも正確には、西行にとって和歌を詠唱することそれ自体が、仏教の教えを実行する宗教的行為であったということができる。

西行がここで扇を賜ることになった崇徳院は、保元の乱で後白河天皇に敗れて讃岐に配流となった。この和歌にも西行と歴史の接点が黙して語られている。


 

 

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西行、梅の歌

2019年03月03日 | 西行考

 城南宮の梅20190302

西行、梅の歌

山家ノ梅
35
香をとめん  人をこそ待て  山里の
    垣根の梅の  散らぬかぎりは
36
心せん  賤が垣根の  梅はあやな
    よしなく過ぐる  人とどめけり
37
この春は  賤が垣根に  ふればひて
    梅が香とめん  人親しまん

嵯峨に住みけるに、道を隔てて坊の侍りけるより、梅の風に散りけるを
38
主いかに  風わたるとて  いとふらん
    よそにうれしき  梅の匂ひを

庵の前なりける梅を見てよみける
39                                  
梅が香を  谷ふところに  吹きためて
    入り来ん人に  染めよ春風

伊勢に、もりやまと申す所に侍りけるに、庵に梅のかうばしく匂ひけるを
40
柴の庵に  とくとく梅の  匂ひきて
    やさしきかたも  あるすみかかな

梅に鶯なきけるを
41
梅が香に  たぐへて聞けば  うぐいすの
    声なつかしき  春の山里
42
つくりおきし  苔のふすまに  うぐいすは
    身にしむ梅の  香や匂ふらん

旅の泊の梅
43
ひとり寝る  草の枕の  移り香は
    垣根の梅の  匂ひなりけり

古キ砌ノ梅
44
なにとなく  のきなつかしき  梅ゆゑに
    住みけん人の  心をぞ知る

※私的註釈

山家に咲く梅

35
山里に住む私の家の垣根に咲く梅の花が散らない限りは、梅の花はその香りを留めているだろう。その香りを求めて山里を訪れる人を待つことにしよう。
36
心に刻んでおこう。粗末な私の山家の垣根に咲く梅の花は、まことに驚くべきことに、なんのゆかりもない通りすがりの人たちをも立ちとどませることよ。
37
今年の春は、粗末な私の山家の垣根の梅の花に触れ親しんで、梅の香りを求めて訪れる人とも仲良くなろう。

(この「山家ノ梅」という題辞は、35、36、37の三つの歌を支配しているように思われる。この三つの歌に共通して歌われているのは「賤の山家の垣根に咲く梅とその花の香り」であるけれども、この歌の間には、時間の経過とともに、この歌を詠んだ西行の心の深まりが叙述されている。)

嵯峨に住んでいたころに、道を隔てて僧坊がありました。そこから梅の花が風に乗って散ってきましたので。
38
となりの僧坊の主は、風が吹くことをどんなに嫌がっていることでしょう。それをよそ事に私は歓んでいます。梅の花の良い香りが漂ってきますから。

山里での侘び住いの中で、西行は人恋しさから梅の花の香りを介して人々との交わりの深まることへの期待を歌う。

山住みの中で眺めた梅、それから嵯峨野に暮らしていたころの梅の記憶、さらに伊勢に旅して「もりやま」という所に居を構えていた時に、庵の梅が香ばしく匂っていたことを思い出して詠む。西行の旅の記憶が和歌に留められている。

庵の前に植わっている梅を見て詠みました
39
春風よ、私の住んでいる谷ふところに吹き貯めて、ここに入り来る人たちの袖を梅の花の香りに染めてほしい。

伊勢に旅して「もりやま」という所に居を構えていた時に、庵の梅が香ばしく匂っていたことを思い出して
40
柴で葺いた粗末な庵にも、したたるように梅が匂ってくる優美なところもある住み家でした。

梅にウグイスが鳴いていましたので
41
梅の花の香りに、ウグイスの鳴き声は似つかわしいものとして聞いていると、春の山里には鳴き声も懐かしい。

42
苔で作った巣に帰るので、その寝床にはウグイスの体に染み込んだ梅の香りが匂っていることでしょう。

旅の宿の梅
43
独りで寝る旅寝の宿では移り香もないはずなのに、なお香ってくるのは垣根の梅の花の匂いのせいでした。

古い家の軒下に咲く梅
44
何とはなく、軒先も懐かしいものに感じられます。そこに植えられた梅に、
かってこの家に住んでいた人の雅な心を知ることができて。

今日は桃の節句のひな祭り。世代も移り変わって、今はもう娘たちが自分たちの子供に雛飾りをして楽しませる時代になった。

草の戸も住替る代ぞひなの家    芭蕉 




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雪中ノ鷹狩

2018年01月31日 | 西行考

                            20180127 

今年は寒い日が多く、東北の雪国ほどではないけれども、雪の日がありました。久しぶりに、西行のことを思い出して『山家集』を繙きました。もちろん西行も雪を詠んでいます。

山家集の524番から543番まで。

524

雪中ノ鷹狩

かきくらす  雪に雉子(キギス)は 見えねども

   羽音に鈴を  くはへてぞやる

あたり一面の視界を閉ざすように激しく降る雪。獲物のキジの姿は見えない。じっと耳を澄ませていると、キジの飛び立つ羽音が聞こえた。鷹匠はその方角に向けて、一気に、タカをその足に結いつけられた鈴の音とともに、飛び立たせる。

山深く激しく降る雪、静寂の中にひたすらキジの飛び立つ羽音に耳を澄ませる。その一瞬を捉えたタカは、足に結いつけられた鈴の音を激しく鳴らしながら、ひたすら獲物を狙って羽ばたいて行く。

激しく降る雪に閉ざされた奥山の中で、キジの飛び立つ羽音と、タカの足に結いつけられた鈴の音が、一瞬、雪の谷間に響きあう。静と動、白と黒、キジの羽音とタカの羽ばたきと鈴の音。

奥深い雪山の自然の中に溶け込むように点在する人間と鳥の、激しくも美しい動きの一瞬をとらえた和歌。

525

ふる雪に  鳥立※も見えず      うづもれて

  とりどころなき  み狩野の原

降る雪のために、鳥たちの集まる草むらや沢地も、すっかり埋もれて
どこにあるのかさえ、見えない。獲物の鳥も見当たらないみ狩野の原は、取り(鳥)つく島もないような。

※鳥立(とだち)⎯⎯鷹狩りの折に鳥が集まるように作られた草むらや沢地。鳥の飛び立つことをもいう。(新潮社版解説より)

 

 

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西行と藤原俊成・定家父子との関係(1)

2017年11月21日 | 西行考

西行と藤原俊成・定家父子との関係(1)

藤原俊成

生誕     永久2年(1114年)
死没     元久元年11月30日(1204年12月22日)


藤原定家

生誕     応保2年(1162年)
死没     仁治2年8月20日(1241年9月26日)

西行(佐藤義清)

生誕  元永元年(1118年)
死没   文治6年2月16日(1190年3月31日)



左京大夫俊成、歌集を集めらるると聞きて、歌遣はすとて

1239

花ならぬ  言の葉なれど  おのづから  
    色もやあると   君拾はなん


   かへし            俊成
1240

世を捨てて  入りにし道の  言の葉ぞ
    あはれも深き  色も見えける


西行法師高野に籠りゐて侍りしが、撰集の様なるものすなりと聞きて、歌書き集めたりしもの送りて包紙に書きたりし(長秋詠藻)

 

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嵯峨に住みける頃

2017年11月08日 | 西行考

 通い慣れた道から比叡山を望む(20171102)

 

嵯峨に住みける頃、隣の坊に申すべきことありて、まかりけるに、道もなく葎の茂りければ

 

471 
 
たちよりて  隣とふべき 垣に添ひて  

     ひまなく這へる   八重葎かな

嵯峨に住んでいた頃、お隣の僧坊にお伝えすることがあって、行きましたが、道も消え失せるほどに、葎が生い繁っていましたので

たちよりて  隣とふべき  垣に添ひて  ひまなく這へる    八重葎かな

立ち寄って、お隣をお尋ねしなければならないのに、進むべき道も分からないほどに、垣根に沿って葎が生い繁っていました。

隣にどんな人が住んでいて、どんな用事があって西行が訪れようとしたのかもわかりません。西行が嵯峨に住んでいたのは、出家してまだ二、三年も経っていない二五、六歳の青年の頃だといいます。ただわかるのは、庭の手入れもされず、雑草も生え放題になったままだから、僧坊に住んでいるらしいその出家者のところへは、訪れるものも誰もいないほどに侘び住いしていたのかもしれません。
いずれにしも、この和歌の主題は八重葎で、八重葎は万葉の昔から、雑草の生い茂ったままになっているあれた屋敷や庭を形容するものだったようです。
西行も、万葉集で次のような歌を知っていて、八重葎を見て和歌を思い出して読んだのかもしれません。


思ふ人 来むと知りせば 八重むぐら 

        覆へる庭に 玉敷かましを

                 (巻11・2824番歌)

 玉敷ける 家も何せむ 八重むぐら 
 
        覆へる小屋も 妹と居りてば

                 (巻11・2825番歌)

新潮社版の山家集の注によると、西行は出家してさほど年月も経っていない二五、六歳の頃に嵯峨に移り住んだそうです。小倉山の二尊院の手前に今も庵の跡があるそうです。

今日も朝から時雨れていました。紅葉もいっそう濃く染められたはずです。時間があれば二尊院の紅葉を眺めにゆきたいものです。

題知らず

472

いつよりか  紅葉の色は  染むべきと

      時雨にくもる  空にとはばや

 

 

 

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秋風楽

2017年10月14日 | 西行考

 雅楽 〈秋風楽〉琵琶と箏(全体一返)~平安時代末期の楽譜『仁智要録』『三五要録』にもとづく再現~

 

山家集  下  雑

八月、月の頃、夜更けて北白川へまかりけり。由あるやうなる家のはべりけるに、ものの音しければ、立ちどまりて聞きけり。折あはれに秋風楽と申す楽なりけり。庭を見入れければ、浅茅の露に月の宿れる気色あはれなり。添ひたる荻の風身にしむらんとおぼえて、申し入れて通りける

葉月の、中秋の名月の頃、夜も更けてから北白川に行きました。由緒のありそうな家に出会いました。琴の音がしましたので、立ち止まって聴き入りました。折しも心に染み入るような秋風楽という曲でした。その邸の庭の中を見入ると、浅茅にかかる露に月光を宿すような風情がしみじみと感じられ、それに荻の上に吹く風も身に染み入るように思いましたので、歌を詠んでその家に申し入れて通りすぎました。

1042

秋風の ことに身にしむ 今宵かな  月さへすめる  庭のけしきに

奏される秋風楽の琴の音とともに、荻に吹く秋風がまことに身に染み入るような今宵でした。清らかな月さえも宿っているような、浅茅の生えたお庭のけしきを、通りかかりに眺めて。

 

 チガヤ

荻の上風

 西行(佐藤義清)という人間が、900年ほど昔の京都に実在し、北白川という場所をおとづれ、その時に美しい月夜を過ごして、秋風楽という琴の楽曲の奏されるの聴き、それに心動かされて和歌という言語表現で、その感動を記録しています。このような歴史的な事実は、確固とした芸術的な表象として、現在に生きる私たちにもその感動を共感できるように残されています。

 

 

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