日々雑感

子供たちはいなくなり、夫とワン1匹暮らし。

遅ればせながらのクリスマスターキー

2019年12月30日 | 料理
息子の帰省に合わせて、少し遅れてのクリスマスターキー。

今年は3キロを焼く。


130℃で3時間。


例年通り、ドンペリと一緒に。


シュワシュワ~~


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ハイムカレンダー

2019年12月26日 | 住まい
去年に続き、今年も担当営業さんがハイムカレンダーを持ってきてくれました。



最初に会った時は、新卒で入社したてのお嬢さん。
それが今は、お子さん2人のお母さん。

まあ、そのぶん私も歳を取ったわけで・・来年は年女!

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電気代、すっごく値上がりするじゃん!

2019年12月18日 | おひさまハイム
検針と一緒にお知らせが入っていた。
2020年4月1日から電気料金の見直しをします。というお知らせ。


どれどれ、と見たら、夜間電気がちょっと値上げで、昼間電気がちょっと値下げ。
太陽光発電があるから、昼間値下げはそんなにありがたくないし、電気温水器、蓄暖を使う身にとっては、夜間値上げは痛い。

で、信じられないのが、8時間・5時間通電機器割引が廃止されるとこ!!え~~!!!だよ。
廃止によって、我が家は毎月1700円くらい高くなる。大きいわ!

見直しの理由は九電曰く、深夜運転機器の普及で、昼間と夜間の電気使用量の差が小さくなったから。

売電価格が安くなったし、割引も無くなったら電気代がかなり高くなりそう。。。
割引があるから九電が圧倒的に安かったんだけど、廃止になるなら他の電力会社を検討してみなくちゃ。

来春からの電気料金単価表はこちらの少し下の方でどうぞ。
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12月分電気料金と2019年電気料金

2019年12月17日 | おひさまハイム
12月分の電気料金が出ました。

12月分電気料金 11月18日~12月16日(29日間)

●基本料金 9kVA [1,650円]

・デ イ      21kWh  
・リビング    135kWh  
・ナイト     636kWh
--------------------------------
●電気使用量   792kWh

●燃料費調整額    [ -554.40円](-0.70円/kWh)
●8時間割引(11kVA) [-1,694.00円](-154.00円/kVA)
●再エネ賦課金    [ 2,336.00円](2.95円/kWh)
●口座振替割引    [  -55.00円]
============================================
○合計支払金額     【12,140円】

■太陽光発電   5.13kW
・自家使用量     95kWh
・売電気量     180kWh 【 1,260円】(7.00円/kWh)
--------------------------------
○発電量     275kWh

○実質支払金額      【10,880円】

*詳しくは「発電記録」でどうぞ。

FIT終了して最初の月。九電に売電7円/kWh。やっすいなぁ・・・
蓄暖を入れるようになったから、夜間電気使用量が増えたけど仕方ない。


2019年の年間合計も出ました。

■2019年電気使用量、発電量、電気料金
     (2018年12月17日~2019年12月16日、365日間)

●電気使用量(1日当り)
・デイ       177kWh ( 0.5kWh)
・リビング     1,469kWh ( 4.0kWh)
・ナイト     6,267kWh (17.2kWh)
--------------------------------
 合計       7,913kWh (21.7kWh)

●太陽光発電(1日当り)
・自家使用量   1,599kWh ( 4.4kWh)
・売電気量     3,810kWh (10.4kWh)
--------------------------------
 発電量      5,409kWh (14.8kWh)


○電気料金    【124,913円】
○売電金額     【175,500円】
================================
○支払金額     【-50,587円】

*詳しくは「発電記録」でどうぞ。

FIT終了の影響は1か月なので、例年とそう大して変わらない。
電気代はなんやかんやと値上がり傾向。来春も値上がりするみたいで、その話は次で。
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父の生家が無くなった。

2019年12月15日 | 雑感
父の生家が解体されて無くなった。
10月に行ったときはあったのに、11月には無くなっていた。

明治?に建てられた古い家。
長年誰も住んでいなかったし、熊本地震であちこちが崩れかかっていたので、そのうちに解体するとは聞いていた。
今の持ち主は、父の兄(故人)の息子(私のいとこ)。
父が生きていたら解体の連絡があっただろうけど、もういないからね。
けど、私と妹は小さいころに住んでいたから、無くなったのは悲しい。

もう50年くらい入ったことがない。
以前から妹と「中に入ってみたいね。」と話していた。
妹は「うっすらとしか記憶がない。間取りがわからない。」と。
私はかなり記憶があるけど、写真を撮っておきたかった。

小6の終わりに完成した今の実家は、父が転勤族だったので、私はあまり住んでいない。
数えてみたら、実家に住んだのは3年半。(中1夏までの半年+高校2年~大学1年)
それに比べると、父の生家に住んだのは7年。(0歳~2歳+幼稚園~小3)
父の生家の方が思い出がある。

で、ちょっと写真と思い出を。
解体前の写真は、父に見せるために5月に撮った。 持ち主不在だったので、敷地外から。

南側の板で塞がれているところが玄関。玄関の横に外便所があった。


入ってすぐは広い土間で、台所まで、土足のまま行けた。
雨の日はここにゴザを敷いて遊んだものだ。
横に大きな押入れがあって、そこには米を保管する円柱の大きな金属缶があった。

隣のここが最初は正式な(客用?)玄関だったそうで、後に床を張って部屋にして、私たちの子供部屋だった。


その前に座っている1歳の私。


そして無くなった。同じ木が残っている。


子供部屋を西側から。シュロチク(棕櫚竹)の木がある。


母に抱かれた2か月の私。後ろにシュロチク。


解体されたけど、シュロチクは残っていた。


写りが悪いけど、南側の広縁。


広縁で母に抱かれておしっこをしているのは、1歳の私。
このころは雨戸だけで、ガラス戸はなかった。


丸太の手すりみたいなのがあって、よくぶら下がっていた。
部屋との間の雪見障子のガラスには山水画があって、よくお腹を壊して昼間ふせているときに、うつらうつらしながらその画を眺めていたことを思い出す。

西側。地震で壁が崩れていた。
右側が床の間の裏で、広縁から入る細長い物置部屋だった。左側は仏壇の裏で便所。


きれいさっぱり無くなった。


北西方向から。
L字の縁側は夏に涼しくて、母がよくここで手仕事をしていた。


この角が便所で、夜に行くのが怖かった。
便所の入り口横(縁側外)には手洗い容器(掌で下から押すと水が出る)がぶら下がっていて、南天が植えられていた。
とうぜん便所はポットン式で、時々家周りの仕事に来ていたおじいさん(その頃の私から見たら)が、溜まった尿便を天秤桶に入れて畑に撒きに行ってた。

便所と言えば思い出すのは、こっそり母のネックレスを付けてそのまま便所に入り、しゃがんだとたんにストン。子供がやることだから留め金をきちんと留めていなかったようで、下を見るとネックレスがあったことは覚えているが、その後のことは記憶が定かではない。

北側。


左の方が台所で、勝手口にはかまどと風呂の焚口があった。
かまどで煮炊きしていた記憶はないけど、風呂は薪で沸かしていて、私も担当していた。
薪割りをしていたのも天秤桶を担いていたおじいさん。
勝手口を出ると井戸があって、手押しポンプの口には布が付いていた。
ハンドルを上下すると、布がプワーッと膨らんで水が出る光景が浮かぶ。

東側から家の全貌。


解体後。


解体後の写真を撮りに行ったら、ちょうど持ち主のいとこが来ていた。
いとこ一家は、父が結婚する前にこの家に住んでいた。

大黒柱だけ残した。と聞いて、見せてもらった。
いとこ3兄弟の背比べ記録があるから残したそうで、


でもここに貼られたシールは知らない。とのこと。


じゃあ、シールを貼ったのは、私か妹かな。
そのことを知っているかもしれない父と母はもういない。




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