美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

映画「王の願い-ハングルの始まり」評

2021-06-12 13:34:28 | Weblog

 

「はじめに言葉ありき」。新約聖書の有名なフレーズである。勿論ここでいう言葉(ロゴス、logos)とはイエス・キリスト自身を指すとされ、一般的なことば=言語ではない。しかし、弟子たちの言葉がヘブライ語や古代ギリシア語で聖書として残されなければ、キリスト教は世界的な宗教とならなかったことは間違いない。それはイスラム教における「コーラン」、仏教における仏典も同様である。宗教に限らず、人々が話した言葉が文字として表記されてこそ、多くに伝えられ後生にも残される。また、それが彼ら独自の文字であるほど、文化的な独立性は強いと評価して良いのではないか。

1392年、高麗の武将であった李成桂により建国された李氏朝鮮。衰退する元の支配から脱し、中国の明に対しては朝貢を行う関係であった。政治、文化その他多くを明の影響を強く受けるなか、当然ながら文字も漢字を基本とし、支配階級の知識、教養として使用されていた。そのような背景のもと、1418年朝鮮王朝4代国王に即位したのが世宗(セジョン)である。幼少時より非常な読書家で、様々な学問に対する博識と分析力に秀でた人物であった。即位後、宮中に集賢殿という学問研究所を設置し、身分を問わず優れた学者を募る。日時計や水時計、測雨器、天体観測器など、民衆の生活に役立つ発明を次々と主導し、韓国の歴史上もっとも優れた君主として世宗大王の敬称で呼ばれ、1万ウォン札にも肖像と天体観測器が描かれている。そして数多くの世宗の業績の中でも最も偉大なものと評価されるのがハングル文字の発明であろう。

映画「王の願いーハングルの始まり」は、朝鮮独自の文字「訓民正音」の創製(新しく作り出すこと)に情熱をかけた世宗と、王の要請を受け共に懸命に取り組んだ人々の苦悩の物語である。監督・脚本は同じく朝鮮王朝の有名な出来事を題材にした「王の運命―歴史を変えた8日間」で数々の脚本賞を手にしたチャ・チョルヒョン。この作品で朝鮮第21代王、英祖(ヨンジョ)を演じた名優ソン・ガンホが、今回は世宗を熱演する。「世宗を英雄というより病や煩悩に苦しむ一人の人間として描く」という監督の思い通り、ソン・ガンホという稀有な俳優独特の滲みでる愛嬌と哀しさで魅せてくれる。そして賢く且つ献身的に王を支える昭憲王后役に「千の顔を持つ女優」と呼ばれたチャン・ミソンをキャスト。王后の橋渡しから、ハングル創製に行き詰まった世宗を助ける孤高の僧侶シンミを演じるのは「神弓」「ラストプリンセス 大韓帝国最後の皇女」「天命の城」など作品ごとに多様な演技をみせる実力派俳優パク・ヘイルである。奇しくもこの三人の共演は日本でも高い評価を得たポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」以来16年ぶりであったが、残念ながら昨年急逝したチャン・ミソンの遺作となる。また、大ヒットした韓流ドラマ「愛の不時着」で、主人公の忠実で健気な北朝鮮少年兵部下役を演じたタン・ジュンサンが、シンミ僧侶の若き弟子として素晴らしい美声を披露するのも見逃せない。

作品では世宗の指示によりハングル文字発明の中心的人物として描かれた僧侶シンミ(信眉)は世宗在位時に実在した人物ではある。一方「朝鮮王朝実録」や、ハングル文字の解例本である「訓民正音」にもその名は見当たらない。それ故、本映画に対して韓国内で史実を無視し、世宗大王の偉大な能力を貶めた内容との批判もあった。しかし、歴史に忠実であるかどうかの視点より、言語学の世界でも非常に合理的な表音文字であるハングルが生み出されていく過程を描いた物語として、極限的に厳選し簡略化された字母(母音、子音)の組み合わせから話す言葉、音声が文字に置き換えていく面白さ、不思議さは子供の時に科学発明本を読んだときのような興奮を覚える。庶民が容易に読み書き出来る言葉「賢いものは朝の間に、愚かなものでも十日で学び習う(訓民正音 序文)」ハングルが現代までウリマル(我言葉)となった意味を再確認する機会になるだろう。


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