お正月休みを利用して伊豆大島に行ってきました。Tokyo Islandの呼び名の通り、本州から最も近い島で東京 竹芝桟橋から高速船で1時間45分ほどしかかかりません。しかし、陸続きでないということで心理的な距離感もあってか、なかなか訪れる機会はありませんでした。実はどのような経緯かは不明ですが、亡くなった父が僅かばかりの土地を残しており、一度は訪れたいと思ってはいたのが漸く実現した次第です。
大島は15×9㎞の葉の形をした島で、東京 山手線内ほどの大きさです。島の出現はおよそ2万年前と考えられ、その後現在まで100回以上の噴火活動を経て堆積したスコリア、火山灰からなる地層により大島は形成されています。レンタカーを借りて島の南西側、元町港から波浮港に向かう島一周道路沿いに行くと「地層大切断面」、地元で呼ばれる様に「バームクーヘン」のような地層を観ることができました。大島と言えば「椿、あんこ、三原山」の言葉どおり、温暖な場所を好み火山ガスにも強いヤブツバキは、縄文時代から島に自生し島の人々は椿を、防風林として植林され、さらに炭、油などに利用し育てた結果、今では300万本以上生息し、まさに島の命でありシンボルです。韓国語で椿はトンベク(冬柏)、椿の語源を冬柏の古音“Tsu-Pak”(ツーパク)からきたという説もありますが(深津正『植物和名の語源探究』八坂書房)、同じ火山島である済州島も古来から全島に椿が茂っているつばき島です。帰りの日、大島町郷土資料館に立ち寄って年配の案内の方に興味深い話を聞きました。第二次世界大戦終戦の翌年の1月29日、マッカーサー元帥率いる連合国軍総司令部の二二宣言により、伊豆大島は日本国から行政分離(他にも沖縄、小笠原、伊豆諸島全域、奄美群島も)させられました。この突然の分離に当惑しながらも、伊豆大島では日本からの独立を模索して『大島大誓言』(大島暫定憲法)を起草したそうです。その第1条には「大島の統治権は大島島民にこれを帰す」とあり、『もう日本は取るに足らない、アメリカにも屈しない』という強い意思表明だったと言われています。結局、その3月22日には行政分離が解除され本土復帰しているので、50日余りの幻の独立国で終わります。
父が残した土地は山林の一部で、当面手を付けるのは難しいものでしたが、この土地に来る機会を与えてくれたことが遺産だったと考えています。
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