美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

表現の自由と不自由

2015-02-03 11:38:18 | Weblog

無慈悲で凄惨な手口で12人もの命を奪った、フランスの時事週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件は世界中を震撼させました。そして言論に対するテロリズムは絶対に許すべきでないとして「私はシャルリー」の言葉をスローガンに、暴力に屈せず、表現の自由を守ることを訴えフランスのみならず世界各地で行われたデモ行進の様子が報道されています。犯人の行為は決して容赦されるものではなく、今回の行為に対し如何なる主張も言い分も受け入れられません。一方、さらなる犠牲者が現れないためにも、この事件をきっかけに「表現の自由」についてもう一度考えてみる必要はあるでしょう。

フランスにおいて風刺画が登場したのは、フランス革命最中といわれ、フランス国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネット、そして当時の聖職者も暫し標的にされました。その後もあらゆる宗教や支配層に対して漫画という形で批評し、さらに言論の弾圧を強いたナポレオン三世を打ち倒しフランス共和政を勝ち取った現在のフランスにとって風刺画を含む言論の自由は大衆にとって特別な意味を持つものかも知れません。「シャルリー・エブド」もそんなフランスの風刺画文化を受け継いできた出版社の一つでしょうか。しかし、ジャーナリズムにおいての批評や風刺の自由は、基本的には声をあげられない弱い立場の代弁者として権力者や支配層、国の矛盾に向けられてこそ社会にとって剣に代わる武器としてその役割を果たすのではないかと考えます。民主主義社会にとって、言論の自由が守られることは基本的な権利であり、原則の一つであるのは言うまでもありません。しかし、「表現の自由」を盾に「ヘイトスピーチ」や「児童ポルノ」、子供に悪影響を与えうる過激な映像等現の規制に意義を唱える論調は本質を取り違えていると思います。

表現の自由は、時に弱者や声をあげる術を持たない少数の人々の発言や存在自体を脅かし、彼らの自由を奪うことになるものです。表現の自由も他人の不自由を考慮せずに発信されたならば、自由という名のもとの言葉の暴力です。理解し改善するための発言や討論は大いにすべきですが、己の自由のみ優先し相手の自由を犠牲にしてはいけません。

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つばきの島

2015-02-03 11:35:18 | Weblog

お正月休みを利用して伊豆大島に行ってきました。Tokyo Islandの呼び名の通り、本州から最も近い島で東京 竹芝桟橋から高速船で1時間45分ほどしかかかりません。しかし、陸続きでないということで心理的な距離感もあってか、なかなか訪れる機会はありませんでした。実はどのような経緯かは不明ですが、亡くなった父が僅かばかりの土地を残しており、一度は訪れたいと思ってはいたのが漸く実現した次第です。

大島は15×9㎞の葉の形をした島で、東京 山手線内ほどの大きさです。島の出現はおよそ2万年前と考えられ、その後現在まで100回以上の噴火活動を経て堆積したスコリア、火山灰からなる地層により大島は形成されています。レンタカーを借りて島の南西側、元町港から波浮港に向かう島一周道路沿いに行くと「地層大切断面」、地元で呼ばれる様に「バームクーヘン」のような地層を観ることができました。大島と言えば「椿、あんこ、三原山」の言葉どおり、温暖な場所を好み火山ガスにも強いヤブツバキは、縄文時代から島に自生し島の人々は椿を、防風林として植林され、さらに炭、油などに利用し育てた結果、今では300万本以上生息し、まさに島の命でありシンボルです。韓国語で椿はトンベク(冬柏)、椿の語源を冬柏の古音“Tsu-Pak”(ツーパク)からきたという説もありますが(深津正『植物和名の語源探究』八坂書房)、同じ火山島である済州島も古来から全島に椿が茂っているつばき島です。帰りの日、大島町郷土資料館に立ち寄って年配の案内の方に興味深い話を聞きました。第二次世界大戦終戦の翌年の129日、マッカーサー元帥率いる連合国軍総司令部の二二宣言により、伊豆大島は日本国から行政分離(他にも沖縄、小笠原、伊豆諸島全域、奄美群島も)させられました。この突然の分離に当惑しながらも、伊豆大島では日本からの独立を模索して『大島大誓言』(大島暫定憲法)を起草したそうです。その第1条には「大島の統治権は大島島民にこれを帰す」とあり、『もう日本は取るに足らない、アメリカにも屈しない』という強い意思表明だったと言われています。結局、その322日には行政分離が解除され本土復帰しているので、50日余りの幻の独立国で終わります。

父が残した土地は山林の一部で、当面手を付けるのは難しいものでしたが、この土地に来る機会を与えてくれたことが遺産だったと考えています。

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