今年も気づけば残すところあとひと月余りとなりました。私自身はどちらかと言えば悲観的な性格というより楽天家であると考えていますが、この一年を振り返ると暗いニュースの方が多かった気がします。日本では、大雨や火山の噴火など天災による多くの人命が失われた事故、そして韓国では何より若い命が犠牲になった旅客船の大人災。特に後者は大人が、社会がしっかりしていれば防ぐことができただけに、人々の心の中に残した傷跡ははかり知れません。そして事故発生から遺族は勿論のこと、韓国人全体が何とも表現仕様のない怒り、悲しみ、悩みを味わい、政治も混乱しました。半年以上が過ぎて、ようやく落ち着きを取り戻そうとしている中で先日船長をはじめ、乗務員に対する裁判所の判断が下されました。
航海中の全責任を負う立場にある船長に対して検察は、 「期待される特定の義務を果たさないことで乗客304名を死に至らせた」不作為殺人と見做し死刑を求刑しました。しかし今回の判決は不作為殺人と結論付けるために鍵となる’故意性’の明らかな証拠がないとし、殺人罪は無罪、そのかわり遺棄致死傷や船舶埋没、海洋環境管理法違反罪等を適用して懲役36年というものでした。遺族の多くは判決に不服を唱え、検察は直ちに控訴の手続きを行っています。船長をはじめ乗務員たちの行為は、呆れるばかりで擁護しようもなく、また死をもって償うべきだという遺族の気持ちも十分理解できます。しかし、船長の年齢を考えると終身刑ともいえる今回の判決は、決して軽いものではありません。思い出すのはイタリア中部ジリオ島沖で2012年1月にクルーズ船「コスタ・コンコルディア号」が座礁し32人が死亡した事故で乗客を置き去りにして逃げたとされる船長に対し懲役2697年が求刑されました。しかし実際はまだ裁判は続いており、罪を認める代わりに禁固3年程度の司法取引が行われるという噂もありようです。(実際に船長以外の他の被告は司法取引により禁錮1~2年の有罪判決が確定しています。)こうなると最初の天文学的な量刑も世間向けの茶番に思えてしまいます。
厳罰は被害者や遺族にとっては当人たちに代わる復讐や、社会への見せしめにはなるかも知れません。しかし愚かな特殊な人間を罰し、社会から排除することで、再びこのような悲劇が起きないと断言できるでしょうか。周りではなく自分の心の中に船長がいないか考えるべきです。