美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

罪と償いと救い

2014-12-15 15:23:54 | Weblog

 

今年も気づけば残すところあとひと月余りとなりました。私自身はどちらかと言えば悲観的な性格というより楽天家であると考えていますが、この一年を振り返ると暗いニュースの方が多かった気がします。日本では、大雨や火山の噴火など天災による多くの人命が失われた事故、そして韓国では何より若い命が犠牲になった旅客船の大人災。特に後者は大人が、社会がしっかりしていれば防ぐことができただけに、人々の心の中に残した傷跡ははかり知れません。そして事故発生から遺族は勿論のこと、韓国人全体が何とも表現仕様のない怒り、悲しみ、悩みを味わい、政治も混乱しました。半年以上が過ぎて、ようやく落ち着きを取り戻そうとしている中で先日船長をはじめ、乗務員に対する裁判所の判断が下されました。

航海中の全責任を負う立場にある船長に対して検察は、 「期待される特定の義務を果たさないことで乗客304名を死に至らせた」不作為殺人と見做し死刑を求刑しました。しかし今回の判決は不作為殺人と結論付けるために鍵となる’故意性’の明らかな証拠がないとし、殺人罪は無罪、そのかわり遺棄致死傷や船舶埋没、海洋環境管理法違反罪等を適用して懲役36年というものでした。遺族の多くは判決に不服を唱え、検察は直ちに控訴の手続きを行っています。船長をはじめ乗務員たちの行為は、呆れるばかりで擁護しようもなく、また死をもって償うべきだという遺族の気持ちも十分理解できます。しかし、船長の年齢を考えると終身刑ともいえる今回の判決は、決して軽いものではありません。思い出すのはイタリア中部ジリオ島沖で2012年1月にクルーズ船「コスタ・コンコルディア号」が座礁し32人が死亡した事故で乗客を置き去りにして逃げたとされる船長に対し懲役2697年が求刑されました。しかし実際はまだ裁判は続いており、罪を認める代わりに禁固3年程度の司法取引が行われるという噂もありようです。(実際に船長以外の他の被告は司法取引により禁錮1~2年の有罪判決が確定しています。)こうなると最初の天文学的な量刑も世間向けの茶番に思えてしまいます。

厳罰は被害者や遺族にとっては当人たちに代わる復讐や、社会への見せしめにはなるかも知れません。しかし愚かな特殊な人間を罰し、社会から排除することで、再びこのような悲劇が起きないと断言できるでしょうか。周りではなく自分の心の中に船長がいないか考えるべきです。

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心の距離、家族の距離

2014-12-15 15:17:41 | Weblog

以前コラムで人と人の心理的距離感「パーソナルスペース」について触れたことがあります。比較的すいている電車に乗れば、皆ある程度離れて座ろうとする感覚です。日本人より韓国人の方がパーソナルスペースは狭いのではとも書きました。中国人もこの距離感の違いは感じるようです。例えば親しい友人同士が腕を組む、切符などを買うときに並ぶ順番待ちでの前後の距離感など、どちらかと言えば韓国人に近いかも知れません。また純粋な意味での心理的距離感で言えば親しい人間を「自己人」と呼び、まさに自分と相手を同一と見做すものです。ある中国の留学生が、ふざけ合う高校生同士、親しい友人間でも頻繁に「有難う」「ごめんなさい」という言葉を使うことに違和感を覚えたといいます。「自己人」つまり自分に感謝やお詫びを言う必要はないということでしょう。

他人との距離感は別として、最も近い関係である家族はどうでしょうか。一つのマーケティング・リサーチがあります。あなたの近くの人との心理的な距離を「m(メートル)」で表現したとき、「理想の距離」と「現実の距離」はどのくらいか?を調査したものです。(「日本人の平均調査」2014レポート、株アサツーデイ・ケイ)調査結果は興味深く、衝撃的?なものでした。まず家族全体では、全て理想の距離が現実の距離より短いというもので、お互いにより近づきたいと感じているようです。また母親の場合、20代では子供との距離は最も短くかつ理想と現実もほぼ同じ距離であるのに対し、父親は30代で子供との距離が最も短いものの理想に比べるとかなり遠く、歳をとるごとにそのギャップは広がっていきます。母親がうまく子離れするのに対し、父親はこの独立が受け入れられずにいるようです。そして家族の中で最も遠く感じられているのは父親で、最も近いのがペット。某携帯会社のCMに登場するお父さん犬は、この結果を逆手に取ったものだとしたら脱帽です!(ちなみに韓国だった父親の役を犬にするなどはトンデモナイでしょうネ!!)

父親は遠くにあって思うもの・・・親の背中を見て育ってもらうよう、精々私を含めて世の父親たちは背筋を伸ばして生きる覚悟が必要です。

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尊厳死と安楽死 その2

2014-12-15 15:15:18 | Weblog

2009年 韓国の最高裁判所で、植物状態にある70代の女性に対して初めて延命処置の中断を認める判決が下りたことを受けて「尊厳死と安楽死」という題でコラムを書いたことがあります。それから5年経った今、悪性の脳腫瘍で余命半年と告知されたアメリカの女性が、自ら死を選択することをネット動画上で発表し、その後医師から処方された薬を服用して死亡したことが世界中で話題になっています。この世に全く同一の人間が存在しないように、その死も一人一人すべて異なるものです。尊厳死、安楽死問題は、人間の死生観すべてに関わる問題だけに、最初にコラムを書いた当時から全く進歩せず、結論を出せずにいる自分がいます。

尊厳死と安楽死は混同されがちですが、定義としては全く異なるものです。尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。尊厳死に関しては、フランス、ドイツ、デンマークをはじめ欧州を中心にリビングウィル(Living Will、生前の意思)つまり治る見込みがなく、死期が近いときの医療についての希望をあらかじめ書面などで残し、尊重することで延命処置中止を認める法律が制定されています。韓国でも2009年の最高裁判決によりある程度認める方向にあるといえるでしょう。日本ではまだ明確な法的判断はなされていませんが、延命装置開始の有無などは個々の臨床現場で家族と医師の話し合いがなされているものと考えます。一方、安楽死に関しては合法化された国としては、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そしてアメリカの一部の州のみで多くはありません。今回 アメリカ人の女性がわざわざ他の州から移り住んだオレゴン州もその一つです。やはり積極的な死の幇助は、どのようなケースであっても抵抗があるのは当然です。

「尊厳死」という言葉が存在するならば、その対極にあるのは「尊厳をもてない死」「みじめな死」でしょうか?誰も苦しみたくはないのは当然ですが、最後まで病気と闘うことも選択です。「人間の生は選択できないが死に方は選べる」というのが尊厳死を支持する人の主張ですが、医療や科学が高度に発達すれば、むしろ選ぶことが難しくなっているのかも知れません。

 

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