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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

招かれざる客続編

2005-06-30 11:02:11 | Weblog
 大家に「値上げが嫌なら出て行け」と言われたようなもの。さて、どうしたものかと、悩む前に先ず情報収集をする必要がある。そこで昨日一日、専門家の意見を仰いでみた。
 弁護士、宅建協会、不動産業者、都市整備開発指導課と話を聞く内に、われわれが弱気になる必要がないことは良く理解できた。巷間言われているが、聞いてみた範囲ではまさに「『借家法』は借主に有利」だ。
 先ず、値上げを含む条件の変更。これは、一般的にとてもルーズになっているようだが、借家法によれば、「契約更新の半年前までに条件を変更しなければ更新をしない旨の通知をしなかった時は、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす」だそうだ。つまり、家賃を含む条件の変更は、当然のことだが、両者の間で話し合われて合意されたものでなければならないのだ。事前に充分話し合う必要があるから、最悪退去を迫るような場合は特に半年前には条件提示をしておく必要があると定めている。また合意更新がなされない場合、法定更新となり借家人の居住する権利は担保されるとのこと。そしてさらに、まっとうな理由がなければ、賃貸借契約の更新拒絶は大家からはできないとも言われた。
 値上げにしても、その根拠になるものは、諸物価の変動だが、家賃値上げの根拠となる指標の一つと考えられる消費者物価指数を見れば分かるように、物価は逆に下がっている。
 その他に考えられる退去を迫られる事由も、家賃の支払いの遅れはないし、騒音などでの迷惑をかけてもいない。挨拶が苦手な大家一家(息子は愛想がいい)にもにこやかに挨拶をし続けてきた。大家から借家人であるわれわれを追い出す正当な理由はないはずだ。また、現実に退去を請求する理由も言い渡されていない。唯一考えられるのは、大家の目があるところでも、われわれが路上や玄関でジミーを可愛がり続けたことだ。「宅建(宅地建物取引主任者免許)を持っている」と大家が自慢げに言う娘がいるにしては、随分無謀なやり方をしてきたものだ。
 “闘う”には、情報がどれだけあっても無駄になるものではない。アパート情報も収集してみた。すると、われわれの予算で結構「いいんでないの」と思える物件は多い事が確認できた。いつ何時今のところが嫌になっても移る場所はたくさんある。“戦闘態勢”は整った。
 昨夜、連日仕事で帰りの遅いパートナーと駅で待ち合わせて帰宅した。帰り途、昨日一日の話を彼女に報告しながら今後の対策を話し合った。腹を空かしてわれわれが通りかかるのを心待ちにしている犬にパンを食べさせてやり、「やっぱりここを離れがたいねえ、XX(犬の名)もいるし」と言いながら歩を進めた。二人の期待通り、相変わらず、家の前にジミーの姿があった。「一通りの儀式」を済ませて家に入り電話を見ると、メッセージランプが点滅している。大家からであった。
 「今晩は。XXでございます」
 と、初めて彼女から聞く挨拶から始まったメッセージは、家賃の値上げはせずに旧家賃のままでいいと続けられ、振込みはXXXと指定してきた後、「よろしくお願いします」との言葉で締めくくられていた。え、これあのXXさん?と言いそうになったほど普段と違う声のトーンであった。
 あまりにあっけない“白旗”にわれわれは顔を見合わせた。パートナーが思わず、この部屋盗聴されてんじゃないの?と言うほど意外な展開となった。これが結末となるか、あくまでも闘いの一幕となるのか、現段階では不明だが、私は、「相手が折れたり、謝ってくる」と許してしまう“癖”があるので案外あっけない幕切れになるかもしれない。
 

招かれざる客

2005-06-28 10:38:00 | Weblog
 ここ数日、さいたま市でも30度をゆうに超える日が続いている。「エアコン控え目派」の私は、家のドアというドア、窓と名付けられる窓全てを開け放している。
 ただ、玄関のドアを開放していると悩ましい事が幾つか生じる。一つは先ず、セールスと宗教の勧誘の餌食になってしまうことだ。これはまあ、根気よく断ればいいのだが、仕事に熱中しているときははっきり言って迷惑だ。次に困るのが、「愛しきジミー」が入ってきてしまうこと。私のサイトの古くからの読者であればお分かりだが、斜め向かいの家猫のジミーが私たちになついて家の中に入りたがる。動物好きのわれわれには大歓迎でも階下に住む大家には余程嫌なことのようで、ある日血相を変えて「猫の臭いがつく」と猛烈な抗議をしてきた。それ以来こちらも遠慮してジミーを家に入れないようにしている。
 昨日、さすがの暑さにジミーもへばったのか昼間は来なかった。だが、代わりに(?)来たのが「鬼大家」。このアパート(と言っても2軒だけ)に移り住んでやがて2年となろうとしているので更新手続きの契約書を持って来た。1週間ほど前に更新の意志を聞かれたので「よろしくお願いします」と返事をしておいたのだが、契約書を見ると、ナント家賃が値上げされている。「聞いていなかったので考えさせてください」と言う私に、すぐにサインしなかった私の態度が気に入らなかったらしく、「退去されるのならそれでいいんですよ」とのたまう。
 何せ性格の悪さがそのまま顔の表情に出ているから見ているだけでもあまり気分が良くない。これまでこの大家には、こちらは我慢の一字。ジミーのことの他にもヴェランダに日除けのよしずを置くな、布団を叩くときは必ず知らせろととにかく口うるさい。そんな事があっても口ごたえせずにアパートに居続けるのは、ひとえにジミーがいるからだ。
 この場はとにかく“逃げるが勝ち”と、家人にも相談したいからと言って、大家にはお引取り願った。厳密に言えば、大家は条件の変更がある場合は、契約切れのひと月前に言わねばならないはず。その点からしてもこちらには有利なのだが、この際は有利不利と言うよりも「ジミーへの愛」か「鬼大家からの逃避」か、どちらを取るかになってきた。

中越地震 孤独死

2005-06-27 00:02:44 | Weblog
 新潟中越地震から8ヶ月が経過した。被災地には今も多くの家を失った住民が仮設住宅で不自由な生活を強いられている。しかし、現地からはあまり情報が入ってこないのが現実だ。
 私が所属するACTNOWではこの度、復旧から復興へと移行していると言われる現地に代表と副代表を派遣、状況視察をしてきてもらった。また、25日には今も被災地に月に数回足を運んでいるI君から話を聞くことができた。
 3人の話を総合すると、外部からのヴォランティアの支援は今では地元からあまり歓迎されていないとのことだ。I君が関わっている「中越元気村」も例外ではなく、被災直後から引越しの手伝いや雪下ろしをしてきたが、いざこれから「村興し」を手伝おうと思っていた矢先、「これまではどうもありがとう」とその先の支援をやんわりと断られたとのことだ。そして、わがACTNOW調査班もあまり歓迎されない空気を感じて現地から帰ってきた。
 実は、それは震災直後から感じていたことだ。やはり地域性というものかもしれない。現地の住民の一部に、遠くから来た若者たちに手を借りることをあまりよしとしない雰囲気があったのだ。それは、ヴォランティアの手を実際に必要としている人たちよりも、周りの人たちから多く出てきた言葉であり、かもし出す空気であった。「ヴォランティアさんに甘えるなんてねえ」という言葉を私自身短い滞在期間中に実際に何度も耳にしたものだ。
 「大変なときはあまり無理をせず、『困ったときはお互い様』の気持ちで受け入れて」と被災者に説いて回ったが、あまり効果はなかった。雪国特有の我慢強さから大変な思いをしている被災者ほど黙りこくり、引きこもってしまった。
 阪神大震災の経験を生かさねばと、私は行政や社会福祉協議会に何度も仮設住宅の住民や半壊住宅に今も住む人たちのケアがいかに重要かを説いてきた。阪神の時、特徴的だったのは、「孤独死」だ。家に引きこもり、近所付き合いも絶った被災者が、相次いで一人さびしく死んでいった。私が立ち会った中で特にショックだったのは、約1ヶ月前(推定)に亡くなり白骨化した遺体となって発見されたケースであった。すでに現場は遺体が片付けられた後であったが、老人が一人住んでいた仮設住宅には、まだ蛆虫と脱皮したカラが散乱していた。
 その教訓は今回生かされなかったように思う。中越地震の被災地でも孤独死は起きたのだ。新聞ではあまり大きく報道されなかったがこの春、50代の独居男性が仮設住宅で一人さびしく息を引き取った。それを発見していたのは、I君たちのグループである。I君によると、亡くなった被災者は、細かいことは書けないが、寂しさのあまり酒びたりの生活になっていたという。
 この「50代の依存症の被災者の存在」は、阪神でも大きく問題になっていた。震災前から、または震災を契機に職を失い、さらに家族から見放された50代の男性が無気力になり、アルコールや薬物の依存症になっていったのだ。私も同じ年代であり、身につまされる話だが、この50代、厄介なことに福祉を受けられる老人ではなく、かといって再就職で引っ張りだこになる働き盛りでもない。「福祉の狭間(ハザマ)」に置かれ、“中途半端”なのだ。だから、阪神でも多くの50代が行政の「網の目」から漏れていた。
 中越の仮設住宅は今も満杯状態のところが多い。阪神の時と違って、被災者たちは震災前の近所の人たちと隣近所になっているから、その部分では教訓が生かされたと見るべきだろう。だが、逆に「近所の目」がじゃまになってヴォランティアを受け入れにくくなっている側面もある。
 「孤独死をどう防ぐか」…これはわれわれヴォランティアたちにとって大きな課題だ。

経験的バクチ論 元人気NHKアナ、ケイリンのボスに

2005-06-25 02:00:37 | Weblog
 1960年代、NHKニュースの視聴率が異常な高まりを見せたとこがある。まだTV業界で存在自体がまれであった女子アナの一人に人気が集まったことで起きた現象だ。
 その人気女子アナの名は下重暁子。世のおじ様たちは、高度成長期の日本の企業戦士としての役目を終えて帰宅すると、その日のニュースを伝えながら微笑みかける下重アナにデレデレのだらしない表情になったものだ(但し、まだ高校生だった私には彼女の良さが分かるはずはなかった)。その後、彼女は民放に引き抜かれたが、思いの外人気の再燃はなく、そのまま「あの人は今」状態が続いていた。
 その下重さんの名が久し振りに話題になっている。ナント、彼女が日本自転車振興会の会長に就任したためだ。自転車振興会と言っても、サイクリング熱を高めようという団体ではない。競輪事業の大元締めだ。つまり、NHKの人気女子アナであった彼女が競輪バクチの胴元の親玉になったということだ。
 下重さんの起用は、ここのところギャンブル熱の低下と共に売上を激減させている競輪業界が行なっている一連のイメージ・アップ作戦の一つとのことだが、下重さんを祭り上げる振興会も振興会だが、受ける下重さんも下重さんだ。ケイリンは、経済産業省の所管だが、所詮はバクチだ。どんなに“厚化粧”しようともドロドロした人間の欲望の渦巻く世界であることに変わりはない。このように書くと、まるで私が清廉潔白、賭け事には興味が無くて賭け事すべてをこの世から追放しようと主張する人間と取られるかもしれないが、そうではない。前回、日本財団の話を書いた時に、私自身もギャンブラーの端くれであることを明かしたが、私はかつて都知事を務めた美濃部さんのようにきっぱりと公営ギャンブルを全廃せよという論者ではない。いやむしろ、ある程度は「大人のロマンの場」として存続して欲しいと思っている人間だ。
 私の言いたいのは、「必要悪」である公営ギャンブルを下手に美化するなということだ。売り上げ減少に歯止めをかけようと、TV広告を連日流したり、有名人をこのように起用したりして悪あがきするのは、結局、判断力にも欠け、自己抑止力が育っていない若者や主婦層を巻き込むことにつながりかねない。最近コンピューターで馬券の売買できてしまうので競馬場にはとんとご無沙汰状態だから現状は分からないが、少し前までは明らかに未成年と思われるガキどもの姿が散見された。それもまだ一人で来るだけの度胸に欠けるのであろう、グループでたむろしていた。私は「お節介オヤジ」だから、目に余る若者には注意をして帰らせた。
 ある時、どう見ても中学生の10数人のグループのリーダー格が、1レースに万単位の金を賭けていた。それもほとんど負けているのだから、かなりの金を注ぎ込んでいる様子であった。彼から犯罪のニオイがしたわけではないが、やがてカネに困ってそんなことをする可能性もあるように感じられた。周りの大人はと見ると、全員自分の懐具合を良くしようと、ガキどもの存在は「見て見ぬフリ」である。
 私がグループに声を掛け、帰るように言うと、そのリーダー格の少年は強がったが、私の剣幕に押されてシブシブ重い腰をあげた。すると、周りにいた大人達(席がなく立っていた)は、私に協力するどころか、ハイエナのごとく少年達が占めていた席に殺到したのだ。
 しばらくして場内の別の場所に彼らがたむろしているのを発見した。「もはやこれまで」と、やりたくはなかったが、私は警備員に連絡、彼らを補導させた。そして、そのついでに積極的に子ども達を補導したり指導をしないJRAに強硬に抗議した。JRAは善処を約束したが、その後しばらく何度か足を運んだ競馬場では、何ら変化はなかった。
 いずれにしても、公営ギャンブルを面白く見せて若者を惑わせるべきではない。私自身が高校時代、パチンコにはまった経験を持つだけにその辺りを声を大にして言いたい。ガキの頃には、欲望に対しての抵抗力が薄く、一度はまるとそこからなかなか抜け出せないのだ。
 だから、本人に届くことはないだろうが、最後にこの場を借りて下重さんにひと言。
「お願いだからケイリンを面白くして青少年を惑わさないでね」



日本財団の光と影

2005-06-21 13:33:31 | Weblog
 昨日の朝日新聞朝刊と福祉新聞に「日本財団」の全面広告が掲載された。今後読売、毎日の全国紙や3つブロック(地方)紙に掲載予定であるという。その広告の内容は、ここ10年の活動と昨年度の収支決算報告などである。
 これを見た人の多くは、「日本財団ってしっかりしているし、頼りになる」と思われてしまうかもしれない。また現実にこの財団の評価は低くはない。いや、NPO(ヴォランティア)の世界ではかなり高い。しかし、この財団の内情はそんなにきれい事ではかれるほど簡単なものではないのだ。これこそ、私が今、日本に広めようとしている「メディア・リテラシー」を使えば、きちんと情報を読める好例なので取り上げてみた。
 まず、皆さん驚かれるだろうが、日本財団として知られるこの組織、実はお役所の登記簿上にはその名がない。登記簿上は長らく使われてきた「日本船舶振興会」が正式名称のままだが、どうもそれではギャンブルや創始者笹川良一(右翼の大物で今話題の戦犯にもなった)のイメージが強いからと、“ヴォランティア・ブーム”に便乗して日本財団にすりかえられている(会長も作家の曽野綾子)のだが、なぜか登記簿に変更はない。
 日本財団は、全国に24ヶ所ある(国土交通省資料より)競艇場の総元締めである。同資料によると、2002年度の総売上金は約1兆2千億円。バブル景気の頃に比べれば、売上は半減したし、JRA(日本中央競馬会)の3兆円に比べても、その規模は少ないが、それでもいわゆる「1兆円産業」だ。
 「ギャンブルって刑法上違法でしょ?」と言われることもある。それは誤解だ、と言いたいところだが、確かに違法である。だが、そこはそれ「あいまい文化」のニッポンだ。ここでその伝統を使わぬ手はないとばかりに作られた抜け道が、公益事業の振興や地方財政への貢献だ。その2つを前面に押し出して公営ギャンブルは大手を振ってまかり通ってきた。バブル景気に湧いた80年代終わりから90年代初めは、「公営ギャンブル花盛り」。特に競艇の売上は急増して、年間売り上げも2兆円を超えた。地方自治体に納められた「分け前」は年間約1800億円(売上の8%)に上ったという。ところが、そんな現象はバブルそのもの。長く続くはずはなく、売上が半減した。すると、上納金は最盛期の1割以下になり、今や100数十億円に激減。その売上に占める割合も1.5%に満たないとのことだ。
 「それでもまだ社会に貢献しているからいいじゃないか」と言う声が聞こえてくる。果たしてそうなのか。さあ、ここからが今日の本題だ。
 確かに、100数十億円が地方行政に使われ、日本財団を通して社会貢献しているからいいではないか、と表面に現れている情報や数字だけを見ればそういった考えも説得力を持つように見える。
 公営ギャンブルは、ご存知の方もあろうが、売上金の25%を政府や地方自治体(競艇は除く)の運営する胴元がフトコロに入れ、残りの75%をギャンブラー達が分け合う構図だ。だから理知的な御仁からすれば、「先ず2割5分引かれているんだ。勝てるわけがない。ばっかじゃないの」と理解不能の世界に入るのだが、「自分こそは」と勘違いしているギャンブラー(実は恥ずかしながらワタクシも額は少ないがニンジン購入に貢献する1人)は夢を追いかけるのだ。
 もちろん胴元がフトコロに入れると言ってもすべてが収入になるわけではない。関係者への賞金や従業員の賃金を含めた運営費が必要だ。それを払っても胴元にはまだ多額の利益が残る。そこからJRAは約10%を国庫に入れているが、他のギャンブルの「社会還元」はと調べてみると、「競艇が日本船舶振興会へ3.3%、モーターボート競走会へ1.2%、公営企業金融公庫へ1.1%で計5.6%。競輪が日本自転車振興会へ3.7%、自転車競技会へ1.6%、公営企業金融公庫に1.1%で計6.4% 」と思いの外低率なのだ。ただ、ここではその率の高低を論ずるつもりはない。
 「競艇を除いて」と書いたが、これが問題で、他の公営ギャンブルが行政が作った「特殊法人」によって運営されているのに比べ、競艇だけが、笹川ファミリーの私物化が問題にされる「特殊法人日本船舶振興会(日本財団)」によってすべてを抱えられてしまっている。財政面も「全てガラス張り」としているが、売上の20%を占める開催経費への疑惑は絶えず囁かれているし、また、日本財団に振り込まれる年間300数十億円(総売上の3.3%)の使われ方に関してもよからぬ噂が絶えないのが現状だ。
 競艇に絡む疑惑の根本的な問題は、日本船舶振興会に競艇バクチの運営を許したことに行き着く。戦後のどさくさの中、右翼の影響力をバックに競艇事業をやる笹川良一グループに政府が手を出せなかったというのが真相だが、その後、幾度か運輸省(現国土交通省)がその権利を取り上げようとしたり、カネの動きにメスを入れようとしたが、笹川氏に首根っこをつかまれている有力政治家が間に割って入るなどして圧力をかけ、実現しなかったと言われる。
 そこへ小泉政権が始めた「行政改革」が目を付けた。1兆円産業を特殊法人「日本船舶振興会(日本財団)に握らしておくのはおかしいと今のところは元気のいい言葉が聞こえてくる。これについては内閣官房行政改革推進事務局のホームページを参照されることをお勧めするが、今のところは、行政改革推進本部と国土交通省とで手を組み、「組織見直し」と題して「日本船舶振興会の予算、事業計画等について公益目的確保の観点から毎年国が必要な関与を行うことが重要」とする意見書を出している。
 予定ではこの行革、来春には実施されそうな感じなのだが、私の見たところ、そういったお役所の動きを牽制して日本財団が、マスコミを使ったりしてイメージアップ・キャンペーンに乗り出したようだ。連日の各紙で掲載される全面広告もその一環であろう。これからもこの手のキャンペーンは続けられるはずだ。また、被災地など目立つ場所での活動も積極的に行なっていくと思われる。
 今やヴォランティアの世界では、日本財団はその金払いのよさでは定評あり、多くの組織が熱い視線を送ってギャンブルの“おこぼれ”を頂戴しようと期待をする大きな存在だが、それとて“たった”10億円(国内の活動に対して)のカネを使っているに過ぎない。
 日本財団の生い立ちや基本的な姿勢を知らぬままにこれまで同財団から助成金を受け取ってきた「平和や環境を標榜」する団体の皆さん、今一度この辺りで立ち止まって考えてみていただきたい。日本財団は決してあなた達が考えているような“心うるわしき”組織ではない。助成金を受け取る前にそれが何を意味するか仲間ときちんと話し合って欲しい。あなたたちが日本財団から支援を受ける事が、日本財団の社会的地位を向上させていること、そして、競艇の私物化を手助けしていることにつながるということを知るべきである。

マルチ商法の現場を見た!

2005-06-21 11:25:20 | Weblog
 昨夜、喫茶店で人待ちをしていた時のこと。後ろで何か怪しい動き。4人がけの席に男3人女1人の集団(あ、でもこれは普通か)。テーブルの上にはノート型パソコンが置かれ、1人の男が正面に座る男に先程から一生懸命に何事か話を持ちかけている。話を持ちかけらている気弱な感じの中年男性は、壁側の席に座らされ、“脱走”できない状態に置かれている。
 待ち人が来る前に「私の視点」の次回作「日本財団にご用心」の考えをまとめようと意気込んでいたが、聞こえてくる「画期的な製品」「紹介するだけで2万5千円」「紹介者が10人になればあなたの収入は飛躍的に」といった言葉についつい耳を傾けてしまった。
 店内の騒音で声が全て拾えず、思わず「もう少し大きい声で」と言ってしまいそうになる。とにかく全神経を耳に集中して聞いてみた。
 「いいですか、今聴いてもらったこの内容。これを聞くだけで心が癒されるでしょ?これで多くの病人が奇跡的な回復をしてるんですよ。ほら、こうして携帯電話でも聞けます」
 話を中心になって進めるのが、まだ20代と思われる男。まさに立て板に水とはこのことだ。話が途切れることはない。
 「XXさん、あなたは人を紹介するだけでいいんです。そうすれば、私達が責任を持ってその方にお話させていただきます。XXさんは、何もする必要はありません。紹介するだけです。私たちの会社には130人の専属スタッフが365日、24時間体制で働いています。全員プロです。普通、XXX(聞こえなかった)だと、10人に1人ですが、わが社では2人に1人の方が契約されます」
 どうやら、説得役の男はXXさんにテープかCDかは分からぬが、何かものを売りつける契約を迫るのと同時に、友人・知人を紹介させようとしているのだ。ところが、見るからに気の弱そうなXXさんは、優柔不断の典型で、話を断ることも契約に応じることもできず、こう着状態となっていた。
 すると、横から女性が説得役に助け舟を出した。その女性はXXさんを知る人物の感じである。
 「いい、XXさん。正直言って今の仕事に満足してないでしょ?給料に不満でしょ?」
 そういう女性にXXさんは力なくうなずく。
 「だったらこんないい話ないでしょ。XXさん、あなた給料のほか毎月いくらあったら良いの?」
 「5万ぐらい」と答えるXXさんに、
 「5万なんて簡単よ。だってあなたが紹介した人のうちたった2人契約すれば手に出来る金額じゃない」
 と女性は畳み掛ける。
 いや、だけど、XXさんが契約した分を差し引いて考えないと、と横槍を入れたかったが、そのまま話を聞き続けるしかない。
 「うちのシステムとしては、会員さんにテレビ局のように、アシスタント・マネージャー、マネージャーXXXというように役職についてもらって紹介者が増えるごとに昇進してもらいます」
 説得役の男が再び登場した。
 「10人紹介してくれた人が契約すればあなたはディレクターです。そして一挙に、お支払いする額も1人につき2万5千円だったのが5万円になります」
 その時、待ち人が現れた。私達はその場から移動せざるを得ず、話の続きはどうなったかは分からない。それにしても、場所を含めてこんな形でマルチ商法が行なわれるのかと驚きをもって拝聴させていただいた。「聞く耳を持った」人間には、その姿や話し方からして怪しいとひと目で分かるが、「人生に疲れたり」「生活に追われている」人の目には救世主と映るのかもしれない。何か後味の悪いものを見た気持ちがひと晩経った今でも消え去らない。

松葉杖物語 子供の逃げ場を奪う親

2005-06-18 09:08:08 | Weblog
 一昨日、松葉杖と別れを告げ、一日中歩き回り、おまけに運動が足らないからと近くの公園で小雨降る中体を動かしたら、ちょいと“はしゃぎすぎ”だったようで、昨日朝は起きると骨折箇所が脹れて痛みがあった。仕方なく昨日一日はまた「松葉杖生活」に元通り。
 てなわけで、仕事場まではギターケースに松葉杖を入れ、自転車で行った。そこからはTBSのある赤坂まで松葉杖でお出掛け。TBSの中をコツコツと歩く姿に、顔見知りから「年も考えずやんちゃしたんじゃないの?」など“心優しい”言葉をかけられる。
 この日は、ワシントン支局から帰任した金平茂紀氏(先日お伝えしたが、昨年、イラクで人質になった高遠さん達の件に関して、パウエル国務長官《当時》から3人の活動を評価する発言を引き出して話題になった)との意見交換に出かけたのだが、思いもかけぬ人事で報道局長になってしまったので忙しかろうと、旧交を温めるのを小一時間に留めた。何せ帰任して1ヶ月だが、毎日会議が4つ5つと、気が休まる暇がないとのこと。
 金平氏には、報道の最高責任者としての立場から「災害時の取材ヘリ」について再考を促した。また、イラク情勢に関しては、金平氏も日本に蔓延する「一部のカゲキな連中が暴れている」というノー天気な見方に、「もう内戦に近いよね」と意見が一致した。日本に帰って来てワシントンで感じるものとの差の大きさに驚いているようであった。
 その後、メディア塾で講師をやってもらっている小嶋修一と話をし、今度は情報番組を総括する友人小池に会いに行く。彼とはレバノンで戦場を共に走り回った仲だ。「『ブロードキャスター』あたりでイラクに派遣しろよ」と冗談ともつかぬ誘いをかけると、「俺にそんな権限ないよ。報道が全部仕切っているしさ」と苦笑いされた。
 久し振りに訪れたTBSだが、何か印象としては、元気がない、覇気に欠けるとの印象は否めなかった。ちなみに、私はこれまで「ニュースキャスターまでもがクールビズ騒ぎに便乗するような形で健康センターで出すアロハシャツを着ている」などと筑紫哲也さんを間接的に批判する指摘をしてきたが、実はあれは沖縄の伝統的な服で以前から夏季には着ていたとのこと。ここに訂正してお詫びいたします。
 帰りの電車では、気持ちよくなり白川夜船。ぎっちらこぎっちらこと船を漕いでいる内に終点まで行ってしまった。折り返して東川口駅で降りると、大きなランドセルを背にした小学生が私の脇をすり抜けるように走っていった。都内の小学校に通う、まだ1年生か2年生の感じの小柄な子だ。大きなランドセルが重そうで痛々しい。痛々しいと言えば、その子の身体の露出しているほぼすべてがアトピーのような症状だ。そう、肌が真っ赤な上にかきむしった痕があちこちにあるのだ。かゆみに耐えかねていたのだろう、迎えに来ていた祖父と見られる初老の男性にかゆみを訴えている。男性はそっとシャツの上から掻いてやった。
 私は余程その男性に、このようないたいけなおさな児を東京の学校に通わせる愚かなことを止めるように説得したかったが、何か言い出す勇気が出てこず、そのまま仕事場に向かった。
 その夜、最近関わっている女子高校生の親に会いに出かけた。その子が最近私のところに顔を見せなくなっているからだ。1週間ぐらい前になるが、ひと晩だけとはいえ家出をしたと聞かされている。その子は昨年不登校になったが、半年位前から学校に行くようになり、改善の兆しが見えたところであった。
 母親に話を聞いて私は愕然とした。私のところに来たがる彼女を、迷惑になるからあまり行くなと言ってしまったというのだ。母親に、それこそ人の話の聞けぬ子供に諭すように、「逃げ場」が子供にとって必要だと説いてきたが、どれだけ理解されたか。彼女の顔を見ていると、不安でならない。
 帰り途は、また松葉杖をギターケースに入れてそぼ降る雨の中、自転車を漕いで家まで来たが、濡れ鼠のようになっていた。
 

米政府が日本の常任理事国入りを後押し

2005-06-17 11:29:00 | Weblog
 米国国務省幹部が16日、相次ぎ会見を行ない、ブッシュ政権の国連改革構想を発表した。
 日本にとっての最大の関心事である安保理拡大論議に関しては、常任理事国は「日本プラス1カ国」とし、非常任理事国を2~3カ国増やして安保理全体を20カ国程度の構成に拡大する内容で、日独印伯4カ国グループが唱えてきた25カ国案とは大きな隔たりがある。
 アメリカもホント大人気ない(というと子供に失礼か)やり方をする。要するに、対イラク戦争に協力的であった日本に“ご褒美”を、そして反対したドイツには“げんこつ”をという、まあ非常に分かり易いと言えば分かり易い手法を見せた。
 しかし、このアメリカの発表に、逆に困ったのが日本政府であろう。これまでドイツと共に推進してきたキャンペーンを「はい、そうですか」と止めるわけにはいかないからである。そして、たとえブッシュ大統領の誘いに乗ったとしても、こじれた日中関係を考えれば、そうやすやすと常任理事国の椅子を手に入れられるとは思えない。さあ、小泉さんと「霞ヶ関(外務省)」、どうする?

NPO法人は印籠?

2005-06-16 17:59:14 | Weblog
 NPO法人という「お墨付き」を悪用するケースが増えている。
 16日も「やまびこ会」なる怪しげな組織が、NPO法人を隠れ蓑に金集めをしていた事が判明した。このグループは、ダイオキシンが出ない焼却機を開発したとして、広く投資を呼びかけ、これまでに分かっているだけでも20億円の金を集めたという。まあ、この種の“投資”は何度も問題になってきたから、「だまされる方も悪い」という声もあるが、だます方はその道のプロである。手を変え品を変え欺こうとする。今回の場合も、「お上からのお墨付き(認証)」をもらったNPO法人が、環境問題や福祉活動のために資金が必要と言われて、多くの高齢者は「人のためになってお金が儲かるのなら」と言葉巧みに出資させられてしまったと考えられる。
 実を言うとこの種の悪徳NPO法人がこのところ続々と誕生している。2001年には1,956件であった認証法人の数が、2005年5月末では10倍以上の21,996に急増した。認証数が増えること自体は、表面的に何ら問題はないが、実態を知ると、とても危険な要素を含んでいる事が分かる。認証を受けたNPO法人の少なくない数の団体が、NPOとは名ばかりで、犯罪や犯罪すれすれの活動を行なっていると見られているのだ。やまびこ会のケースはあくまでも「氷山の一角」で、例えば、国際交流を目的としたNPOを立ち上げて、“ヴォランティア”を募り、応じてきた若者達を言葉巧みに入会させる英会話学校などもある。ヤクザや右翼の世界でも最近はNPO法人を悪用しているとの噂がある。首都圏のある県でも、これまでに認証取り消しが2件(認証件数:663)あり、その内1件は、暴力団の支配下にある組織であることが判明したためだと言う。
 実を言うと、このNPO法、阪神大震災におけるヴォランティア活動の盛り上がりに押されるようにして実現したものだが、当時からヴォランティアやNPOの世界にいる専門家の一部からは、新法の内容を不安視する声が強かった。私自身も自治体のその種の委員会のメンバーであったりした事もあり、委員会や勉強会で持論を述べたが、「NPO法先にありき」の壁を破ることはできなかった。つまり、「法律は不備があるかもしれないけど、とにかく作って、それで都合が悪いところが見つかれば修正しよう」と叫ぶ一部の声の大きい国会議員に押し切られた形になったのだ。
 そして、不安は現実のものとなった。この世界においてNPO法人の認証が、まるで「水戸黄門の印籠」のような威力を見せ、市民の間には「NPO法人にあらずんば、ヴォランティアにあらず」のような意識さえ生まれてしまい、ヴォランティア・グループが次々に申請した。NPO法人にこだわらない私たちのようなグループは、どこか“村八分”にされた気分にさせられることも少なくない。
 「ゆるい認証に比して、大きいメリット」に目を付けたのが、「生き馬の目を抜く」世界の連中である。数年前に会ったある県の担当者が、「最近変な人たちが申請に来るんですよ」と言っていたが、今になって問題が顕在化してきたのだ。
 「お上のお墨付きを求める」ヴォランティアやNPO、そして「お墨付きで縛る」行政、さらにそこへ「お墨付きがあれば疑わずに信用してしまう」市民…それら三者全てにこのようなザル法を作った責任がある。ここで一度立ち止まり、法律の根本的な見直しをすべきではなかろうか。さもなくば、今後ますます重要性を増すNPOの立場が根底から覆される深刻な事態を招くことになるだろう。

冷暖房との“我が闘争”

2005-06-16 01:31:36 | Weblog
 先日の「お笑いだよ、クールビズ騒動」に対して海外在住の「匿名希望」さんから、冬の暖房の暑さの指摘が寄せられた。
 そこで、私のここ10数年の「冷暖房との『我が闘争』」をお届けすることにした。
 冷暖房でエネルギーを無駄遣いする場所は、例を挙げれば切りがない。一般企業、デパート、電車、銀行、病院、レストラン等など、実に多い。いまだに「冷暖房完備」が文化のレヴェルと勘違いしているのではないかというところが多いのだ。これは、うがった見方かもしれないが、20年位前まで喫茶店やレストラン等の入口に「冷房完備」「完全冷房」という札を下げて客引きに使っていた名残りなのかもしれない。
 だが今時、そんな考え方は捨てた方がいい。残り少ない石油資源をどう共有し、次の世代に残していこうかという時に時代錯誤もはなはだしいではないか。世界全体の石油の8割を2割の人口にしか過ぎないわれわれ先進国が使っているのが分かっていながら、「便利さや快適さ」を優先するのは、もはや罪の域に入っているのだ。
 私ごとで言えば、公共交通機関に乗っていて異常に冷暖房をきかせている時は、乗客の様子を見て車掌のところまで行って苦言を呈することにしている。その時間がなければ、当日の気温を調べて、鉄道会社に苦情を言っている。時には、22,3度で冷房を、10数度で暖房を入れる場合がある。
 講演会場でも冷暖房が強すぎたりすれば、主催者や参加者に弱くしたり、止めたりするように呼びかけている。大抵の場合、講演者の私の呼びかけに答えてくれるが、昨年呼ばれていった生協の会場では、数名の人たちに断られた。その日の気温は、後で調べたら26度。閉め切っていれば、人いきれで息苦しくなる気温だが、建物の外は風も適度の強さで流れていた。だから、窓を開ければ我慢できない気温ではないのだ。恐らくその直前にエレヴェイターを安易に使っていること(上下階を行き来するだけで使っていた)を指摘されたのが気に障った人たちだったと思うが、環境や平和の大切さを他人に訴えるのなら自分から範を示さずにどうするのかと言いたい。
 ここまで厳しく冷暖房を“敵”にまわす私を変人のような目で見る人がいるが、果たして私が間違っているのだろうか。皆さん一人ひとりと話すと、地球環境が危機的状況にあること、エネルギー事情が深刻なことは承知しておられる。だが、「そうは言っても」「われわれがちょっとやった位では」と、日本人独特の「曖昧文化」に逃げ道を求める人が多い。だが、本当に自分の子ども達が可愛いのなら、彼らの将来のためにも多少の我慢はするべきであろう。
 ただ誤解なきようにお願いしたいが、私は口ほどにもないいい加減な人間で全く冷暖房に頼らないわけではない。35度を超える気温であれば、冷房を入れるし、そうでなくても暑さを感じる時は、「ちょっとだけ」と冷風に当たることもある。だが、多くの場合は、汗をかいた後の自然に流れてくる涼風に得も言われぬ快感を覚えている。皆さんも今年の夏は、じっと待っていると、そおっと身体をなでてくれる風を感じて見てはいかが?「生きている」ことを実感させられますよ。

松葉杖日記 “家なきおじさん”に諭されて

2005-06-15 00:29:49 | Weblog
 松葉杖が無くとも歩行可能ではあるが、階段の上り下りに一抹の不安があるため、外出時には携行している。松葉杖を1本持参して自転車にくくりつけるのだ。ただ、急カーブを切ると、松葉杖が“不穏”な動きをするために曲がる時は大幅に速度を落として走る。街中を走っている時、何か四方八方から視線を感じて思わずズボンのズィッパーを確認するが「社会の窓」はしっかり閉まっている。ということは、どうやら自転車に松葉杖を積む姿が珍しいということのようだ。
 駅前で待ち合わせをしている間、軽いストレッチをしていると、背後から「そんなことして大丈夫ですか」と男の声がした。振り返ると、ベンチに座った「家なきおじさん(世間では、ホームレスと呼ぶ)」が心配顔で私を見ていた。
 「私は車にはねられて足を折ってひどい目に遭ったんだ。治るまで長いことかかってね」
 おじさんは自分の体験談を語りながら真顔で私のことを心配してくれた。聞いたところでは、彼はひき逃げされ、治療費も払ってもらえず並々ならぬ苦労をしたという。
 「あんまり無理してリハビリやらん方がいいよ。エッ、もう自転車に乗ってる?」
 彼は治りかけた時に再度骨折したとのことで私の動きを見ていられないという。彼は2度目の骨折にとことん落ち込み、「電車に飛び込もうと思ったよ」と当時の心境を話してくれた。
 「だめだよ、おじさん。そんな安易な死に方しちゃあ。誰が死体を片付けるの。死ぬんだったら人知れず北極とかヒマラヤで死ななきゃ。おじさん結構わがまましてきたんでしょ?死ぬ時までわがままじゃだめだよ」と言う私に拍子抜けしたらしく、
 「アンタ、面白いこと言うね」と、半分以上抜けた歯をむき出しにして笑った。
 その時、待ち合わせている相手から電話が入った。待ち合わせ場所を間違えていた事が判明。そのことを彼に明かすと、「兄さん、しっかりしなよ」と励ましの声を背中に受けた。「ウッ、僕が兄さん?」とかけられた言葉に首をひねったが、よく考えたら彼は70歳と自称していたから彼にとったら私はまだ若造なのかもしれない。 
 
 

松葉杖日記 ギター侍

2005-06-13 01:19:45 | Weblog
 ギブスも取れ、レッサーパンダの風太君以上に歩けるようになった私は、ギターケースに松葉杖を入れ、メディア塾会場に向かった。その格好は嫌が上でも人の目を引き、先ずは電車に乗る時、同じ松葉杖の若い女性から笑顔を向けられた。聞くと、彼女は筋肉離れで松葉杖生活になったという。
 同じ電車のドアが2つ離れた所に乗ったが、私に席を譲るものはおらず、彼女も立ちっぱなしであった。まあ、私の場合は、奇抜な格好が同情を誘わないのは分かったが、彼女に対しても乗客は見て見ぬふりで席を譲らない。それでも私には一人の女性が席を立ってくれたが、表情に疲れが見えたので固辞した。すると、案の定、彼女はすぐに眠りに入った。
 途中席が空いたので座ろうとしたが、若者やおじさんに席を奪われてしまった。一度は、「オッ!」と声を上げると若い女性が我に帰って席を勧めたが、その前に彼女は私と目が合っていながら自分が座ろうとしたので、私は彼女に「結構です」と言った。すると、中年男がさっと横から滑り込み席に座った。こういうときの中年男、普段はのろまだが体の切れは20代に変身する。
 乗り換えのときなどは相変わらず、私の前や横をすり抜けていく通行人が絶えない。同行したパートナーの怒るまいことか。私はひどい場合、杖をわざとぶつけたりする「瞬間芸」を持ち合わせているので落ち着くように彼女に言う。
 でも、終日晴れていたので、結構快適な一日を送る事ができた。雨が降ると、駅構内の敷石の一部がとても滑りやすくなり肝を冷やすだけに、それだけでもありがたい。途中、松葉杖を使う場面もあったが、着実な回復を実感できた。歩けることの幸せを味わえた一日であった。
 

メディア塾 熱血講師

2005-06-13 00:53:52 | Weblog
 今日(今になっては昨日)は第3回目のメディア塾。講師は、TBSの小嶋記者だ。小嶋さんは1期生にもっとも人気があった講師で、そこで再度登場を願った次第。それも、今回は「ヴィデオジャーナリスト入門」を担当してもらった。ヴィデオ作品の取材から編集までを面倒見てもらおうという大胆な企画だ。なぜ大胆かといえば、小嶋さんは現在、TBS編集部の筆頭デスクという立場にあり、そんな立場の人間に“義理人情”で講師役を押し付けるのは無謀としか言いようがないからだ。
 最近、世の中に「ヴィデオジャーナリズム養成講座」なるものが氾濫しているようだが、若者達にモノホンに触れさせたかったのだ。案の定、塾生達は小嶋節に熱中。2時間の講義の予定が、食べ物を持ち寄って腹ごしらえをしたとはいえ、「マラソン講義」に発展、終わってみれば時計の針は6時半を指していた。

仏女性記者解放から考えること

2005-06-13 00:12:14 | Weblog
 仏外務省は12日、イラクで拉致され人質になっていた仏女性記者フロランス・オブナさんと通訳のイラク人男性フセイン・サアディさんが5ヶ月ぶりに釈放されたと発表した。
 オブナさんは仏リベラシオン紙の記者で、今年1月、バグダッドで何者かに拉致されていた。拉致事件後、インターネット上にオブナさんの映像が確認されていたが、拉致実行者らの身元が判明せず、拉致が政治的なものではなく金目当ての犯行ではないかとの情報が有力視されていた。そういった事情から今回の釈放劇の舞台裏には多額の金銭が動いたのではないかと噂されている。
 リベラシオンという媒体は、現在は多額の広告収入を得る「ブルジョア新聞」との厳しい見方もあるが、73年に発刊された時の反骨精神は今も脈々と生き続け、独特の批判精神と辛口のコラムが特徴のメディアである。そんな反体制的なメディアでもフランス政府は他のマスコミ各社に対するのと同じ姿勢で対応し、今回の人質事件の解決に向けて最大の努力を続けてきた。
 これが日本だったらどうだろうかと考えてみた。例えば私のような政府に対して厳しい発言を繰り返すようなジャーナリストが同様の目に遭ったら日本政府がどのような対処をするかと考えてみたのだ。昨年人質になった3人の若者に対する政府の対応を見れば、大方の想像はついてしまう。政府は恐らくかなりおざなりな救援活動を行なうだけで、「自己責任」という言葉と共に救出を諦めてしまうに違いない。今だから言うが、ジャーナリストの橋田さんが襲撃された時、官邸(小泉首相側)から“オフレコ”で流された情報が、「橋田さんと日本共産党との関係」だったのだ。「だからなんなんだ」と聞き返す記者もいなくて、官邸詰めの記者からその報告を受けた一部の報道機関は“その線”を考えて、報道の内容をトーンダウンさせようとしたと聞く。
 この両政府の対応の違いは、両国の政治だけでなく社会全体の成熟度の違いにあるような気がする。イタリアの女性記者が人質になった時、国民の多くが政府に早期釈放に動くようデモを行ない、釈放されると大喜びしたが、その女性記者はバリバリの共産主義であったのだ。さらに、その記者が釈放直後、米軍の“誤射”を受けると、仏政府から派遣されたガードマンが自らの命を顧みず彼女を守ったのだ。これらのことを考えると、思想の違いを乗り越えて同じ人間として命の重さを考えられる視点が日本社会には決定的に欠けているような気がする。

松葉杖物語 リハビリ

2005-06-11 22:03:13 | Weblog
 遂に自転車に乗った。ギブスが取れたからには自転車に乗るべしと自分で勝手に決めて、骨折してから初めて自転車にまたがった。
 サドルを低くしてペダルを踏むと、いやいや何ら問題なく自転車は進んでいく。右足に力は入れられないから左足一本でこぐ感じだが、いやあ、自転車は素晴しい。これまで松葉杖でヨチヨチ歩いていたのとは、スピードが全然違う。あまりの速さに目が回りそうだ(それはちょいと大げさ?)。
 だが上り坂はさすがにきつかった。明日からは上り坂をうまく上る戦略(?)を練ることにしよう。日一日と回復が感じられ、それと同時に、身体の一つひとつの部位を動かせることのありがたみを確認できる。嗚呼、骨折して良かった。てなわけないか。
 そして夜は近くの公園で「1人リハビリ」。まだギブスが取れたばかりで病院の指導によるリハビリは大分後になりそうなので、自分で右脚の機能回復を図ることにした。
 公園までは松葉杖に頼ったが、着いてからはストレッチを皮切りに様々な有酸素運動をやり、そしてグルグルと公園の明るいところを歩行訓練。我ながら大分自然の歩き方になった。風太君に差をつけたとご満悦。
 明日はメディア塾の開講日。どこまで歩けるか今から楽しみだ。