30年前の今日、ヴェトナムは歴史的な一日を迎えていた。60年代初頭から始まった「ヴェトナム戦争」が終幕を迎えたのだ。それは、国を南北に分断され、同じ民族同士で戦わされる悲劇に終止符が打たれたということだけではなく、“泣く子も黙る”超大国「アメリカ」を敵に回して貧乏なアジアの一国が戦い抜いた歴史的な日であった。
高校時代からヴェトナム戦争の従軍取材をしたいと家出して上京をしたり、ヴェトナム戦争取材の「旗手」である岡村昭彦に弟子入り志願したり、AP通信入社後はヴェトナム行きをひたすら目指していた私にとって、APのサイゴン(旧南ヴェトナム共和国の首都。現在、ホーチミン市)支局やバンコク支局などから続々と入ってくるニュースや映像は、私の心を強く揺さぶった。現場に立っていない自分が悔しかった。
サイゴンの米大使館などの上空には逃げ遅れた米国人を救出しようと、米軍のヘリが舞っていた。建物の屋上に集まり、助けを求めるのは米人だけではなく、ヴェトナム人も少なくなかった。「ゲリラがサイゴンに“入城”すれば、米軍関係者ばかりだけでなく、米国関連施設で働く現地人も殺される」と当時、広く言い伝えられていたからだ。
カメラは臨場感溢れる現場を切り刻み、中には人間の醜い姿をも非情に捉えて、固唾を呑んで見守る世界の人たちに衝撃的な映像を伝え続けた。
中でも衝撃的だったのは、屋上に集まった米人達がホヴァリングするヘリに乗り込む時の映像だ。その映像は、追い詰められた人間が取る行動のおぞましさを如実に表現していた。先にヘリに乗り込んだ米人の男達が助けを求める現地人を蹴落としていたのだ。
信じられない行動であった。「サイゴン入城」が噂されるようになり、APでは現地スタッフをどの支局が引き取るかを話し合っていたからだ。だから私は、他の社や米軍関係・米大使館関係の現地スタッフが「人間的な扱い」を受けるのは当然と思っていた。ところが、後になって多くのマスコミが現地スタッフを見棄てたと聞かされた。特に日本のマスコミはひどい逃げ方をした社が多かったようで、現地ではとても悪い評判が立った。その点、APは「当然のこと」を淡々と実行した。東京のアジア総局にもカメラマンのニックが加わった。
もちろんそのようにして祖国を“棄てて”きた人たちが、ヴェトナムに残った人たちよりも幸せだ等と断言するつもりはない。私の言いたいのは、米人と同様の選択の道を現地の仲間達に与えたかどうかだ。銃弾をかいくぐって仕事をしてきた「同志」を面倒だからと切り捨てる考え方が理解できないのだ。
そしてあれから30年。時折り垣間見る料理番組や旅番組に出てくるヴェトナム人やカンボジア人の笑顔を見ていると、ヴェトナムへの思い入れが人より何倍も強いだけに「戦争が終わって本当に良かった」と感動に近いものを覚えてしまう。もちろん、熱帯雨林が焼かれたり、劇薬で枯らされて今も社会全体に後遺症は残っている。「枯葉作戦」への賠償なんぞでかつてあった自然が戻るわけではないということも分かっている。だが、市場や農地でくったくない表情で働く人たちを見ていると、平和のありがたさに思わず合掌したくなる。
高校時代からヴェトナム戦争の従軍取材をしたいと家出して上京をしたり、ヴェトナム戦争取材の「旗手」である岡村昭彦に弟子入り志願したり、AP通信入社後はヴェトナム行きをひたすら目指していた私にとって、APのサイゴン(旧南ヴェトナム共和国の首都。現在、ホーチミン市)支局やバンコク支局などから続々と入ってくるニュースや映像は、私の心を強く揺さぶった。現場に立っていない自分が悔しかった。
サイゴンの米大使館などの上空には逃げ遅れた米国人を救出しようと、米軍のヘリが舞っていた。建物の屋上に集まり、助けを求めるのは米人だけではなく、ヴェトナム人も少なくなかった。「ゲリラがサイゴンに“入城”すれば、米軍関係者ばかりだけでなく、米国関連施設で働く現地人も殺される」と当時、広く言い伝えられていたからだ。
カメラは臨場感溢れる現場を切り刻み、中には人間の醜い姿をも非情に捉えて、固唾を呑んで見守る世界の人たちに衝撃的な映像を伝え続けた。
中でも衝撃的だったのは、屋上に集まった米人達がホヴァリングするヘリに乗り込む時の映像だ。その映像は、追い詰められた人間が取る行動のおぞましさを如実に表現していた。先にヘリに乗り込んだ米人の男達が助けを求める現地人を蹴落としていたのだ。
信じられない行動であった。「サイゴン入城」が噂されるようになり、APでは現地スタッフをどの支局が引き取るかを話し合っていたからだ。だから私は、他の社や米軍関係・米大使館関係の現地スタッフが「人間的な扱い」を受けるのは当然と思っていた。ところが、後になって多くのマスコミが現地スタッフを見棄てたと聞かされた。特に日本のマスコミはひどい逃げ方をした社が多かったようで、現地ではとても悪い評判が立った。その点、APは「当然のこと」を淡々と実行した。東京のアジア総局にもカメラマンのニックが加わった。
もちろんそのようにして祖国を“棄てて”きた人たちが、ヴェトナムに残った人たちよりも幸せだ等と断言するつもりはない。私の言いたいのは、米人と同様の選択の道を現地の仲間達に与えたかどうかだ。銃弾をかいくぐって仕事をしてきた「同志」を面倒だからと切り捨てる考え方が理解できないのだ。
そしてあれから30年。時折り垣間見る料理番組や旅番組に出てくるヴェトナム人やカンボジア人の笑顔を見ていると、ヴェトナムへの思い入れが人より何倍も強いだけに「戦争が終わって本当に良かった」と感動に近いものを覚えてしまう。もちろん、熱帯雨林が焼かれたり、劇薬で枯らされて今も社会全体に後遺症は残っている。「枯葉作戦」への賠償なんぞでかつてあった自然が戻るわけではないということも分かっている。だが、市場や農地でくったくない表情で働く人たちを見ていると、平和のありがたさに思わず合掌したくなる。