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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

ヴェトナム解放30年

2005-04-30 22:47:56 | Weblog
 30年前の今日、ヴェトナムは歴史的な一日を迎えていた。60年代初頭から始まった「ヴェトナム戦争」が終幕を迎えたのだ。それは、国を南北に分断され、同じ民族同士で戦わされる悲劇に終止符が打たれたということだけではなく、“泣く子も黙る”超大国「アメリカ」を敵に回して貧乏なアジアの一国が戦い抜いた歴史的な日であった。
 高校時代からヴェトナム戦争の従軍取材をしたいと家出して上京をしたり、ヴェトナム戦争取材の「旗手」である岡村昭彦に弟子入り志願したり、AP通信入社後はヴェトナム行きをひたすら目指していた私にとって、APのサイゴン(旧南ヴェトナム共和国の首都。現在、ホーチミン市)支局やバンコク支局などから続々と入ってくるニュースや映像は、私の心を強く揺さぶった。現場に立っていない自分が悔しかった。
 サイゴンの米大使館などの上空には逃げ遅れた米国人を救出しようと、米軍のヘリが舞っていた。建物の屋上に集まり、助けを求めるのは米人だけではなく、ヴェトナム人も少なくなかった。「ゲリラがサイゴンに“入城”すれば、米軍関係者ばかりだけでなく、米国関連施設で働く現地人も殺される」と当時、広く言い伝えられていたからだ。
 カメラは臨場感溢れる現場を切り刻み、中には人間の醜い姿をも非情に捉えて、固唾を呑んで見守る世界の人たちに衝撃的な映像を伝え続けた。
 中でも衝撃的だったのは、屋上に集まった米人達がホヴァリングするヘリに乗り込む時の映像だ。その映像は、追い詰められた人間が取る行動のおぞましさを如実に表現していた。先にヘリに乗り込んだ米人の男達が助けを求める現地人を蹴落としていたのだ。
 信じられない行動であった。「サイゴン入城」が噂されるようになり、APでは現地スタッフをどの支局が引き取るかを話し合っていたからだ。だから私は、他の社や米軍関係・米大使館関係の現地スタッフが「人間的な扱い」を受けるのは当然と思っていた。ところが、後になって多くのマスコミが現地スタッフを見棄てたと聞かされた。特に日本のマスコミはひどい逃げ方をした社が多かったようで、現地ではとても悪い評判が立った。その点、APは「当然のこと」を淡々と実行した。東京のアジア総局にもカメラマンのニックが加わった。
 もちろんそのようにして祖国を“棄てて”きた人たちが、ヴェトナムに残った人たちよりも幸せだ等と断言するつもりはない。私の言いたいのは、米人と同様の選択の道を現地の仲間達に与えたかどうかだ。銃弾をかいくぐって仕事をしてきた「同志」を面倒だからと切り捨てる考え方が理解できないのだ。
 そしてあれから30年。時折り垣間見る料理番組や旅番組に出てくるヴェトナム人やカンボジア人の笑顔を見ていると、ヴェトナムへの思い入れが人より何倍も強いだけに「戦争が終わって本当に良かった」と感動に近いものを覚えてしまう。もちろん、熱帯雨林が焼かれたり、劇薬で枯らされて今も社会全体に後遺症は残っている。「枯葉作戦」への賠償なんぞでかつてあった自然が戻るわけではないということも分かっている。だが、市場や農地でくったくない表情で働く人たちを見ていると、平和のありがたさに思わず合掌したくなる。

マクロ・ビオティックも悪くないぞ

2005-04-30 08:37:03 | Weblog
 昨日は、パートナーと「たまプラーザ(この駅の呼び名は、たまプラザでもなく、多摩プラザでもないそうな)」に出かけた。駅前にある「東急プラザ(こちらはなぜか、プラーザではない)」にレストラン「EcRuエクリュ」をオープンさせた彼女の友人、野田治美さんを訪れた。
 レストランの考え方は、今一部で流行の「マクロ・ビオティック」。マクロ・ビオティックと言われても怪訝な顔をされるかもしれないが、端的に言えば、「宇宙の秩序に従った自然な食べ方、生き方に基づく」のがマクロビオティックである(←でも、これ、受け売りです)。まあ、要するに、「動物を殺傷しないヴェジタリアン」とも少し違っていて、「“毒”を使って大量生産したもの」とか「遠くで安い労働力を利用して安価に作ったもの」などに頼らず、身体が自然に欲しがるものを楽しんで食べ、心と体の調子を整えようということだろうと私は理解している。
 店に入って行った時は、客の入りも悪く、店員の数の多さだけが目に付いたが、そこはそれ、私は「招き猫(私が店に入ると、何故か客が後から入ってくる)」だから、後になってテーブルはかなり埋まってきた。
 野田さんは夫婦でこの店を営んでいるが、代官山にも同様の店を持っている。彼女の話しだと、この辺りの住民と都心とでは、食べ物に対する接し方に大きな差が見られ、まだまだ「やっぱり肉がなきゃ」という客が少なくないという。私自身、先祖が狩猟民族であったのだろう、「肉がないと精が出ない」という“人種”だが、マクロ・ビオティックの考え方は、基本的に賛同できる。ただ、この種の料理は、正直に言うが、概して、マズイ。ところが、この店の料理は、私達が食べたものについては、という限定付だが、美味しくてお奨めだ。最近我が家も玄米食に切り替え中だが、ここの玄米はとても美味しい。そして、特に美味しくいただいたのは、高野豆腐の揚げ物だ。これは、アラブのファラーフェルという街角で売られているコロッケを思い出させてくれた。
 お近くの方は特に、またそうでない方も一度足を運ばれたら如何かな?なかなかいい空間ですよ。

みどりの日が無くなる?

2005-04-29 12:46:32 | Weblog
 今日は「みどりの日」。皆さん、行楽地で楽しい思いをされていることであろう。
 さて、ご存知か、そのみどりの日が消滅と言うか5月4日の「国民の休日」に移され、4月29日の名称が「昭和の日」に変えられようとしていることを。ご存知ですよね。何せ今月5日には衆院本会議で「昭和の日」法案が可決されたんですから。ところが、私の周りには知らない人が何故か集中していた。「え、ナニそれ?」皆さん口を揃えてそう言うのだ。
 そこで、この場を借りて、“万が一”知らなかった読者のために経緯と問題点をお伝えすることにした。
 実は、4月29日を「みどりの日」ではなく、「昭和の日」にしようという動きは、昭和天皇の死亡直後からあった。しかし、1989年当時、この問題を担当した内閣内政審議室長は、「明治天皇のお誕生日であったのは十一月でございますけれども現在は文化の日になっている等々の祝日法の建前から考えて、『みどりの日』にしました」と述べている。
 それが微妙に変わり始めたのは、「昭和復古主義」とも言える、保守主義が肩で風を切るようになった90年代半ばである。太平洋戦争の「汚点」を歴史から消し去り、君が代日の丸を国定にするなど政治の舞台だけでなく、庶民生活にまで右傾化の波が押し寄せてきた頃だ。そして、98年には超党派国会議員の「『昭和の日』推進議員連盟」が誕生して勢いがさらに増した。2000年、「昭和の日」法案は2度にわたって廃案に追い込まれたが、それも保守化の波に押し流された民主党の「心変わり」で、今回は大した議論が行なわれることもなく国会を通過しそうな勢いだ、いや、だった。
 この法案を推し進めてきた小泉さんと自民党、思わぬところで躓いてしまったのだ。それは、今回の中国や韓国における対日感情の悪化がきっかけとなった。「想定外」の反日感情の激しさに腰を抜かしたか、小泉自民党は参院での審議を「連休明けまで遅らせてくれ」と野党に申し入れていたのだ。恐らく、インドネシアで行なわれた日中首脳会談で、この問題も話し合われたはずだ。ただ、それについての報道は、今のところ見当たらない。
 こんなことで弱腰になるのなら、こそこそと法案を通そうとなど考えるなといいたい。本当に必要な法案なら、もっと広く民衆の意見を聞き、「国民投票」をやればいい。私個人は法案には反対だが、本当にそれを国民が望むのなら、民主主義社会のルールだ、その決定に従うつもりだ。
 いずれにしても毎回のことだが、マスコミの「ノー天気」にはあきれる。この法案の賛成反対は問わない。このような重要法案が国民に広く周知されるような役割だけはしっかり果たしてもらいたいものだ。
 ただ、個人的な希望だが、「三度目の正直」による法案制定等といった事態だけは避けたいものだ。昭和天皇も生前、自分が政治的に利用されることには嫌悪感に近いものを持っていたと言われている。歴史を紐解けば、時の天皇は常に「政争の具」として利用されてきた。それを一番肌で感じ、心を痛めていたのは昭和天皇その人なのだから死去した後まで「奉る」等といった美名の下に付きまとうのは止めるべきだと私は考える。

優しさ、いろいろ

2005-04-29 08:47:54 | Weblog
 昨夜は遅くまでASE(私の経営する英会話スクール)で、教師の一人、Garyの送別会を行なった。彼の人柄もあり、生徒達が手作りの料理などを持ち寄ったりして、和気あいあい、とても楽しいパーティになった。
 Garyは、アメリカの外交官を父に持ち、世界各国で生活してきた「国際派」だ。それだけに見識もあり、人間性も深みがある。彼が応募してきた時は、固っくるしい雰囲気がこちらに強く伝わってきて、「外国人でも東大に通うとこんなに固くなるのか」と偏見を持ってみたりした。東大と言っても大学院だから大学以上にいろいろな個性が集まっているはずだが、彼の表情はそんな印象をこちらに与えた。
 もう5年も前になるから、見栄えのいいキャピキャピ金髪娘でなく、なぜそんな「愛想の悪い」男を雇ったかは覚えていないが、付き合っていく内に彼の良さがじわじわとこちらに伝わってきた事ははっきり記憶にある。彼の奥に秘めた優しさに感心させられる事がしばしばあったのだ。
 ASEの場合、生徒の半分以上が子供だ。子供の「仕事」の一つは、溢れるエネルギーを爆発させることだが、特に小学生は「追いかけっこ」が好きだ。ASEの内外をたくみに遊び場にして走り回る子ども達も少なくない。特に、レッスンの後の追いかけっこが楽しいらしい。
 ASEはビルの1階の店舗部分にあるため、すぐ外は道路である。そこに子ども達が飛び出していくから注意が必要だ。日本人スタッフ(私を含めて)や母親達が気を付ける様に注意するのだが、パワー全開の子ども達は、遊びに熱中してしまう。
 ある時期から、それらの元気のいい子ども達が追いかけっこをすると、Garyが建物の外で何気なく立っているようになった。彼を注目していると、ボーっとあたりを見ているように見せているが、子ども達の動きを目の端で追っている。
 私はそれを見て若い頃住んでいたロンドンの人たちを思い出した。彼らは街の中で、常に周囲に気を配っている。特に、子供や身体の自由があまり利かない人たちがいたりすると、気に掛けているのだ。彼らは、だからといってすぐに手を出すわけではない。気に掛けている人たちの安全が確保されている間は絶対に干渉しないのだ。ところが、いったん何か事が起きれば、5,6人の手がさっと伸びていく。そんな「ロンドンの街角の視線」をGaryに見た思いがした。
 そんな彼は明日のレッスンを最後にわれわれのもとを離れていく。私がASEにいる時間は限られているが、時間の許す限りGaryの“役目”を継いでいくつもりである。もし、ASEの外でボーっとしている私を見たら、「Garyの後継者さん」と声を掛けていただきたい。

靖国参拝で紳士協定

2005-04-28 11:23:24 | Weblog
 中国の王毅駐日大使は27日、自民党の外交調査会において行なわれた講演会で、中曽根内閣当時の1986年、日中両政府間に「靖国神社参拝」に関して紳士協定が交わされていたことを明らかにした。紳士協定の内容は、首相、外相、官房長官の3人は参拝しないとするものだったとのことである。
 それに対して、町村外相や小泉首相などは、「紳士協定や密約はなかった」と発言している。
 どちらの発言が正しいのか、われわれとしては知りたくなるところだ。それは、靖国参拝の是非を論じるためではなく、外交のあり方を考えるのに必要と考えるからだ。
 昨夜の「報道ステーション」でコメンテイターの加藤千洋氏(朝日新聞編集委員)は、当時周辺取材をする記者の間では紳士協定の存在はごく普通に知られていたような発言をしていた。彼は中国に特派員として駐在していた「中国通」である。それに、1000万人以上の人が観るTV番組での発言だ。まさか口から出まかせを言うはずはあるまい。
 ただ、私も裏付けを取ろうと、事情を知る政界やマスコミ関係者に聞いてみたが、何人かは「そんなこともあったかな」と言う程度で、具体的に記憶に留めている者はいなかった。ただ、全員が「紳士協定があっても不思議ではないよね」と口を揃えて言った。
 これから推測するに「紳士協定」に対する日中の認識にズレがあった恐れがある。だとすれば、日本の外交ベタが禍をもたらしたかもしれない。外交において、紳士協定や密約はよくあることだ。それを、時間の経過や政権交代を理由に反故にしたらどうなるのか。信用問題に発展することだってありうる。たとえそこまで深刻にならなくても、2度とそういう「落し所」が使えなくなる可能性が出てくる。いずれにしてもそのような過ちを繰り返さないためにも、紳士協定を結んだとされる当時の官房長官、後藤田正晴氏にことの全容を質し、もし実在したのであるのなら小泉さんも素直にそれを受け入れるべきだ。

報道の自由は生きる権利を上回るのか

2005-04-28 08:58:57 | Weblog
 尼崎の脱線事故の拙文をメールマガジンで呼んだ読者の谷本健吉さんから次のようなメールを頂いた。

「今回、尼崎市でのJR福知山線の事故当日は、朝から夕方にかけて一日中、約8機ほどのヘリコプターが上空を旋回し、まさに、テレビ、新聞、共同通信各社による凄まじい限りの「劇場型報道」の取材合戦を目前にしました。
『我に正義アリ』ですか・・。ちなみに我が家は、事故現場から5キロほどの距離です」

 読者の中にはご記憶にある方もおられようが、「阪神・淡路大震災」や「新潟中越大震災」の救出活動が行なわれている時に同様の取材合戦があり、私はマスコミ各社に即刻中止するよう求めていた。電話口に出た編集部の人間は、“当然のことながら”報道の自由を口にしてヘリ取材の正当性を主張したが、私は「生きる権利」の前には、「報道の自由」などクソ食らえ(失礼!)という考え方だ。マスコミで生きてきた人間が何を言いだすかと思われようが、この考え方を変えることはない。
 私の言いたいことは、つまりこういうことだ。
 人命救助で大切なのは「音」である。「助けを求める声」「誰かいるかと呼びかける声」、それに物陰からかすかに聞こえる人の気配…こういった音を頼りに救助が行なわれる。その「命の手がかり」を低空で旋回してかき消す取材ヘリは、人命救助を妨害する邪魔者だ。そして、ヘリが巻き起こす旋風が地上で救助活動を行なう人たちの苛立ちを誘うことも知っておくべきだ。神戸であれほど多くの被災者や消防関係者が取材ヘリに対して怒りの声を上げたことをもう忘れたのか、と今再び問いたい。阪神大震災直後、一部の新聞はそれを受けて検証記事の中で反省していたが、あれは読者に対しての怒りを和らげさせる一種のポーズだったのか、と。
 もちろん私もマスコミの現場を知る人間だから「空撮」の必要性が分かっていないわけではない。だから何度も言っているように、代表取材で済ますべきなのだ。何でこんな命に関わる取材で「良い絵」を欲しがるのか、自社の映像にこだわるのか、それは私にはマスコミの「ゴーマニズム」としか見えない。

軽薄短小時代の劇場型報道

2005-04-27 01:06:18 | Weblog
 また日本人お得意の「いじめ大合唱」が始まった。尼崎で起きた電車事故の話だ。

 恐れていた通り、25日に起きた事故の被害は時間を追って広がってきており、死傷者も500人を超えた。TV画面に映し出される現場映像は正視できないほど悲惨で残酷だ。被害者やその家族のことを考えると心が張り裂けんばかりだ。だがその一方で事故後のマスコミ報道を見ていると、いつものことだが、そのやり方に大きな疑問を感じる。

 事故の原因を、現段階で断定できないとしながらもマスコミはこぞって運転士の個人的な落ち度を論(あげつら)っている。「これまで車掌時代から何度もミスを犯した」「ウソの報告をした」「遅れを取り戻そうと暴走した」等と書き連ね、中には「“ゲーム脳”の特徴的異常行動」といった見出しで断罪する新聞もある。

 マスコミの皆さんよ、君たちは何回同じ間違いを犯すんだ。サリン松本事件を例に出すまでもなくこれまで何度もマスコミは関係者を断罪してきた。俗に言う「マスコミ裁判」だ。前にも書いたが、われわれジャーナリストは裁判官でもなければ警察・検察官でもない。冷静に全体を見極めて正確な情報を読者や視聴者に提供するのが役割のはずだ。また、そういった冷静さがあるからこそ、第四の権力と呼ばれ、「三権」を監視する役割を任されているのだ。

 マスコミ現場の記者や編集者達は恐らくそういった自分達の役割を忘れてしまうのだろう。悲惨な事故が起きると、必ずといっていいほど「原因究明」に名を借りた「犯人探し」を始める。現場にいる記者達にそのつもりはないのだろうが、取材を進める内に事故そのものを一種のドラマに仕立て上げている現実もある。そう、それは言葉を変えれば、「劇場型報道」というものだ。

 劇場型報道の“ウリ”は何と言っても舞台(現場)と観客席との一体感にある。視聴者は、“連ドラ”にはまるかのように画面に釘付けになる。仕事や学校に出かけてもその結末が気になって仕方がないから帰宅した途端、「その後どうなった?」が「ただいま」の挨拶代わりとなる。帰宅してまずは家族に事の成り行きを聞くのだ。

 劇場型報道の怖さは何かと考えてみた。

 芝居(ドラマ)に結末は付き物である。それもその結末には勧善懲悪がハッキリしている必要がある。悪者が特定され、皆の前で懲らしめられなければならないのだ。ドラマにはまった観客はまたそこに何らかの形で参加したいと思っている。「悪を懲らしめる」立場に立ちたいのだ。もちろん、参加と言っても物理的に関わるつもりはない。あくまでも精神的な部分での参加だ。だから、多少証拠不十分でも構わない。人権蹂躙の疑いがあっても仕方がない。最後にはハッキリした悪者を目の前に引きずり出してもらわないと困るのだ。いや、溜飲が下がらないのだ。

 冷静に考えていただきたい。確かに運転士は、これまで短期間に3回ミスを犯している。さらにその際、ウソの供述もしてしまったようだ。そして、大事な多くの命を預かっているのに、保身のために電車を暴走させた。その罪は決して軽いものではなく、生存していれば厳罰に処されてしかるべきと考える。だが、事故後の報道で「市中引き回し」にされるほどの重罪かと言えば、誤解を恐れずに言うが、私はその考え方には異論を唱えたい。彼は別に意図的に乗客を死に至らせたのではないのだ。インターネット上では、事故直後から「運転士は死ね」「死刑台に送れ」との書き込みがされていると聞く。また、巷で交わされる会話もとても厳しいものがある。もし、運転士が生存していれば、この状況下では恐らく「自死」を選べ、とでも言わんばかりの勢いだ。運転士のご家族の心中もいかばかりかととても心配になる。

 マスコミのみならず社会の風潮が、運転士がウソをつかなければならなかった背景や暴走した原因の深層になぜ目を向けぬかと私は理解に苦しむ。それは、軽薄短小の表現に代表される合理化やスピード化に原因があるのは明らかで、事故を起こした運転士もある意味、被害者なのだ。

 会社は違うが、運転士の一人に聞いた。彼によると、同じJRでも「西日本」だから起きた事故なのではないかとのことだ。

 『「東日本」であれば、たとえオーバーランしてもこんな事故を引き起こすような空気は生まれないでしょうね』と、その運転士は言う。つまり、国鉄が解体され、JRとして民営化された後も労働組合活動がまだ会社側に影響力を持っているJR東日本に比べ、西日本は様相が大きく異なり、窮屈な空気が支配していると言う。そんな話を聞くと、運転歴11ヶ月の運転士が緊張のあまり能力が出せずミスを繰り返し、それを何とかカバーしようと焦って事故を引き起こしてしまった可能性も少なくないような気がしてならない。

 日本の公共交通機関の時間の正確さは、外国から見たら奇跡に近いものがある。比較的時間に正確なヨーロッパでさえ数分の遅れはごく日常的だ。また利用者の側にそれを取り立てて問題にする空気はない。中東やアジアにおいては、1,2時間の遅れは「ノー・プロブレム」である。秒単位の正確さを求めるために、車両を軽量化(そのためだけではないが)したのはいいが、今回の事故を見れば一目瞭然、いかにもろいかがお分かりになるであろう。中越地震で脱線事故を起こした新幹線の車両が旧型で重量感があった事が大事故にならずにすんだとする専門家が少なくない。今回の脱線事故を契機に車両のあり方についても今一度考えるべきではないかと思う。

 今回の事故の報に触れ、今年3月、埼玉県で起きた「踏切事故」を思い出した。「開かずの踏み切り」として有名な東武伊勢崎線の竹ノ塚踏切で、電車が踏切に差しかかる直前に踏切保安係が手動式の遮断機を誤って上げ、踏切内に入った女性4人を電車にはねさせ、2人を死亡させてしまった事件である。この保安係も当時、世間から袋叩きにあっている。インターネット上に彼の顔写真が掲載され、「死刑台に送れ」との記述も目立った。結果、彼一人が逮捕され、起訴された。

 この踏切事故でも「約1年前にも同様のミスをしていた」などと、その保安係の履歴を様々な形で紹介し、まるでその保安係ひとりに責任があるかのような報道が目立った。だが聞いてみると、構造的な問題がいろいろあり、個人の責任で片付けるにはあまりに可哀相だし、そのような見方が短絡的である事が分かった。まず、安全装置に関しては、電車が踏切から2キロ以内に近づくと警告のブザーが自動的に鳴り、遮断機を下げるとハンドルにロックがかかる仕組みになっていて、電車が通り過ぎるまではロックの解除ボタンを押さないと、遮断機は上がらないシステムになっている。だが、現実には安全基準通り遮断機の開閉をしていては、ラッシュ時にはほとんど遮断機が開かなくなってしまい、保安係はロックを解除して遮断機を上げていた。それは、近所の人たちから日常的に「開けろ」「渡るぞ」の罵声を浴び続けていた保安係にとっては、苦渋の選択であったはずだ。内部情報では、駅長がこのことを知らぬはずはなく、逮捕された保安係はロック解除については駅長にきちんと報告していたと警察の取調べに対して答えている。

 事故後、この踏み切りにエレベーター付きの歩道橋が作られることになったそうだが、土地のことなど「いろいろ難しい問題があって」高架化の話は具体化していない。

 今回の尼崎の脱線事故も恐らく社長らの辞任による罪の償いは行なわれるだろう。だが、踏切事故同様、抜本的な見直しは望めないような気がする。食べ物の世界でこのところ「スローフード」が着目されているが、交通機関においてももう高速化に歯止めをかけ、「足元」を見直すときが来ているような気がする。それがこのような事故を未然に防ぐことにつながるのだ。

対日不信の奥にあるもの

2005-04-21 01:10:14 | Weblog
 16年前の1989年6月4日、民主化を求め天安門広場を埋め尽くした学生や労働者に向かって、人民解放軍が武力鎮圧を断行、広場のみならず広場周辺でも激しい衝突が繰り広げられ、北京だけでも1万人、全土では2万人とも3万人とも言われる多くの犠牲者が出た。

 北京から送り出される衝撃的な映像に、西側社会は怒りの声を上げ、口を揃えて中国政府を批判した。日本においては、その衝撃はより深刻なもので、われわれは固唾を呑んでその成り行きを見守った。解放軍内部で時の最高権力者であった小平を支持する幹部と、民主化の先鋒であった趙紫陽総書記を推す将官クラスとが民主化運動を巡って対立、内戦の危機に陥る可能性があるとの見方も出ていた。

 内戦が起きれば、日本への影響は想像を絶するほど大きくて深刻だ。私は「内戦になれば浅井に取材を頼むしかない」ということでTBSの報道局長からの要請で北京に飛ぶことになった。

 急遽、観光VISAを“裏口”から入手して6月10日、私は北京に入った。しかしながら幸いにして中国で内戦が起きる事はなかった。私は2週間、TBSから多額のカネをもらっていながら何一つニュースを送ることはなかった。それは、私に与えられた任務が「戦争取材」であったからだ。しかし、その代わり、民主化運動の総本山と言われた北京大学に潜り込み、「その後の中国」を探る機会を得た。

 毎日北京大学に行き、学生寮に出入りしていた私が目をつけられるのは当然で、4日目には公安に捕まってしまった。私は取材VISAを持っているわけではなかったし、当時自由な取材はできない状況になっていた(街頭取材は許可制になり、事実上の報道規制が敷かれた)ので、取調べに対して「世界の学生事情」を研究する研究者と言い張った。チャーターしていたタクシーを使わずに北京市民を真似して自転車を購入し、「銀輪ジャーナリスト」を気取っていたのも幸いした。中国の人たちにとって、「金満ニッポンのジャーナリスト」が自転車で取材をするはずがないのだ。ジャーナリストではないことが“証明”され、私は小1時間で釈放された。その後も北京や、小平の地元の成都を歩き回り、大学や労働者達の溜まり場で取材を続けた。英語教師と仲良くなり、北京の中学校を訪問させてもらい、生徒達から彼らの対日観を直接聞くことも出来た。

 こうして取材した中国は、私の目には空恐ろしい「眠る巨人」と映った。それまで民主化政策で急速な成長を遂げていた中国経済は、「天安門事件」で一時的にその速度が鈍るものの、態勢を整えたアカツキには、日本が及びも付かない「アジアの超大国」になるように思えた。

 後に中国政府の「態勢を整える」内容を知って、私は戦慄に近いものを感じた。その一つは、愛国教育に力を入れるというものであったが、中国で「愛国」と言えば、「反日」につながりかねない。実際、歴史教科書をみれば分かるが、日清戦争から侵略の終焉までが6,70ページにわたって記述されている。そうした「反日教育」をされれば、子ども達がどのような対日観を持つようになるか、容易に想像がつく。

 時を同じくして始まった「一人っ子政策」は、教育重視の政策でもあった。子供を少なくする代わりに、より高等な教育を多くの子ども達に与えようとするものである。79年当時の大学生の数はと言えば、200万人くらいなもので、大学に行くこと自体がエリートコースであるかのような空気があったが、今ではその数は1000万人を超えると言われる。そんな一人っ子政策から生まれた世代は、バブル経済で金余り現象に恵まれたこともあり、「小皇帝」とわがままの代名詞であるかのようなあだ名をつけられた。今回の反日デモの「主役」はその小皇帝と言われている。だが、小皇帝と言われても、彼らが傍若無人で無秩序を好む人たちの集団である訳ではない。親の世代の価値観にはまらない部分が多いだけで、極々まっとうな物事を真剣に考える人たちだ。

 事実上の反日教育を受けた小皇帝達から見た日本はそれではどんな存在か。これがまた不思議なことだが、この世代は日本についての関心が他の世代に比べて異常なくらいに高い。当然のことだが、知日派が多い。芸能から政治までとても詳しい。中国に出かけた日本人は、その辺りの“矛盾”の理解に苦しむらしい。この現象は例えて言えば、私達団塊の世代が約40年前、高度成長期に反戦や教育改革を叫んで暴れたわけだが、その頃抱いた、愛憎併せ持つ複雑なアメリカに対する感情に共通するものがあるような気がする。だから靖国問題などで怒り狂う若者達だが、それは裏を返せば、我々団塊の世代が実は親米であったように、親日的になる要素もかなり含んでいるのではないかと思う。

 上の世代から「何を考えているか分からない新人類」と言われた団塊の世代から言わせてもらうと、今両国にとって大切なのは、市民レヴェルでの相互理解だ。歴史認識を互いに共有できるようになり、文化交流が今以上に深まれば、日中関係の正常化はそんなに困難なことではない。ヨーロッパの先例に倣って、地道な努力を続ければ、EUのような共同体をここ東アジアに作ることとて夢ではないのだ。いずれにしてもやってならないのは、中国が大切にしている歴史認識を踏みにじる行為である。中国がここまで発展してきたのは、日本からの侵略に耐え、それに打ち勝ったということからくる自信も大きな要素である。侵略の根拠を否定されるというのは、中国の人にとって国の威信だけでなく、国の礎(いしずえ)を否定されるようなものなのだ。

 そうした見方をすると、「輝ける日出づる国」の歴史を傷付けたくないからと、今になって、強制連行や従軍慰安婦問題といった汚点を歴史の1ページから消そう等という姑息なことを考えるのではなく、正々堂々と過去の過ちは認め、そこから正常な友好関係を結ぶことを考えた方が、国の計を立てるには懸命であるのが分かるはずだ。

 そして、マスコミ報道に関わる諸君には、今回のような報道の仕方がどのような結果を招くのか、きちんと検証されることを切望する。日本における中国関連施設や在日中国人に対する嫌がらせは明らかにマスコミ報道を見てのもの。今回のマスコミ報道が誘発したと言えなくもない。

 中国側の対応を見ていると、明らかに事態の早期終息を望んでいる。町村外相は先日、李外相との会談に入る前に異例の抗議を記者団の前で行なったが、こんな政治家ショーは二度とやってはならない。マスコミは、中国の報道機関が、町村外相が侵略の歴史を謝罪したとウソの報道をしている、と騒ぎ立てているが、これは、中国政府特有の国内対策と取るべきである。事態の鎮静化を図るための「日本は反省してるんだから少し冷静に」という“ウソ”なのだ。

 いずれにしても今求められることは、両国の冷静な対応と話し合いである。そして、2,30年後の東アジアを見据えた両国の協力関係作りである。まずは、小泉さんには22日からジャカルタで開かれる「アジア・アフリカ首脳会議」の際には必ず日中首脳会談を開き、焦らず、騒がず、友好的な話し合いをしてきて欲しい。そして、政府に頼ることなく市民が様々な分野で交流をすることだ。読者の皆さんも是非、周囲にいる中国人、そしてもちろん韓国人・朝鮮人、いやアジアの人たち全てと積極的に交流をされることをお勧めする。

ベイルートの肝っ玉母さん、ロンドンへ

2005-04-20 15:01:45 | Weblog
 4月4日に「ベイルートの肝っ玉母さん」と題する拙文でご紹介したヴァン・ツユさんこと土田つゆさんと一昨日、電話でお話しする事が出来た。
 つゆさんは30年余のベイルート生活を終え、息子の住む英国に移住していた。電話を通して聞こえる声は、最後にお会いしたのが91年であったから「ひと昔」以上の年月を経ていたことになるが、そのころと少しも変わらず張りのある声であった。大正15年か昭和元年生まれのはずだが、声だけ聞いていれば、私と同世代に思えてしまうほどだ。積年の苦労は全く感じさせない。
 つゆさんによると、長年営んできたレストランは、皮肉なことにレバノンの戦後復興に押しつぶされた格好となった。暗殺されたハリーリ前首相が推し進めた大胆な経済政策から生まれた、商業地域の活性化が命取りになったと言う。
 つゆさんの店は、「おふくろの味」を大切にして、量も多く美味しいが、値段は極力安価にしていた。ところが、新たに作られたショッピングセンターの日本料理店は、欧米の大都市によく見られる「安価」で「早く」食べられる、を前面に押し出して客をもぎ取っていった。これは、日本の商店街でも最近よく見られる現象だ。
 客の入らなくなったレストランの売却を決意したが、売ろうにも買い手はなかなか付かなかった。それでも建物のオーナーが権利を買い取ってくれたとのことで、「カナダに行きたいというラフィ(10代からつゆさんが息子のように可愛がって育て上げてきたmanager)にも退職金が払えたのよ」というハッピーエンドでベイルートを離れる事ができたと言う。
 戦火を生き抜いたつゆさんがようやく安住の地を見つけたと聞いてほっとした。彼女の波乱万丈の人生を目の当たりにしてきただけに、これからもずっと心穏やかに余生を送っていただきたいと切に願う。
 つゆさんを引き取った息子のクリちゃん(クリストファー・ヴァン)は、中学生の頃は取材に訪れる私の姿を見て一時期ジャーナリストを志望していた。それが、老いた父親(英国籍)がベイルートの路上で武装グループに暗殺された時、受けた欧米報道陣の傍若無人な取材攻勢とでたらめな報道に怒り、その夢を捨ててしまった。私にとってはとても悲しい出来事であったが、しかしその後精進して英国文部省に入り、つゆさんの話では、「なんかよく分からないけど、重要なポストに近く就けそうよ」ということだから、却ってそれが良かったのかなと電話で話していて思った。
 「日本大使館の人から『自伝をまとめたら?』と言われているのよ」「彼女と一緒に泊まりに来て」と、もしかしたらそのまとめ役に私を考えているかのような言い方をされたが、残念ながら今私にその余裕がない。しかし、いずれにしても何らかの形で「ヴァン・ツユ物語」は皆さんにお届けしたいと思っている。

なんだよ、ホリエモン

2005-04-19 10:21:08 | Weblog
 ホリエモンよ、お前もか!と言いたい心境だ。別に私は自分がシーザーになったつもりはないが、それにしても堀江氏にはがっかりさせられた。
 私はこのコラムで以前、逆風が吹き始めた彼に対してあえて擁護する一文を物した。古色蒼然とした古狸支配に対して立ち向かう、勢いのある若者というだけでなく、第4権力と言われ、その上に胡坐をかいていたマスコミへの挑戦は、「マスコミが変わる可能性」をも示唆しており、期待したのだ。
 だが、なんのことはない。彼の目的は金儲けにしかなかったのだ。株を買占め、困った相手に株を高値で買い取らせ、さや稼ぎをするかつて兜町や北浜を跋扈していた連中のやり方とさして変わりはない。違うのは、やたら英語の専門用語を並べ立てる説明の仕方だけだ。私の人を見る目がなかったのひと言に尽きる。大変失礼しました。

7円のさんま

2005-04-18 13:44:18 | Weblog
 朝食を摂りながらTVの「チャンネル・サーフィン」をしていると、NTVの「主婦が行列の激安スーパー“さんま7円の舞台裏”」が目に止まった。さんまの他にも卵1パックが同じく7円、サーロインステーキ一枚77円、肉とソーセージ一袋詰め放題(1キロ近く入った)が200円、と次々に「タイム・サーヴィス」が発表され、主婦達が売り場に殺到する。現場報告するリポーターは、ウニやイチゴを美味そうに口に運び「こんな値段、信じられない」を繰り返す。
 スタジオの司会者もコメンテイターもただ、スゴイすごいと感嘆するばかり。そのような超安値の裏にある特殊事情に目を向けようとする声や、価格破壊がやがては社会破壊にもつながりかねない危険性をはらんでいるのでは、といった指摘は何もない。私もかつてはTV番組のコメンテイターをしていたことがあるが、コメンテイターといえば、冷静に情報分析をする役割のはず。こんなバカ騒ぎに同調している姿に「そういうのを付和雷同って言うんだよ」と思わずTV画面に向かって話しかけてしまった。
 長引く不況の中、「安ければいい」といった価格優先の考え方が庶民の間に広まり、「手間ヒマかけて作る良さ」が憂き目を見る羽目に陥ってしまっている。一方で、“達人”だの“匠”が作る超高級品がもてはやされる二極化現象も見られる。私はそんな安いにしろ高いにしろ破格な値段でなくていいから、“普通”の食べ物を口にしたい。代々伝承されてきた、伝統的な手法に創意工夫を加える形で作られた食材で食卓を飾りたい。
 

日中、日韓問題を考える

2005-04-17 11:22:40 | Weblog
 教科書、領土問題に端を発した日中、日韓の騒動は、互いに“落としどころ”を見つけられぬまま、硬直化が始まった。小泉政権は相変わらず、エヘラエヘラと何もせずに傍観するのみ。この問題がどれほど深刻で、日本の将来に暗雲が垂れ込めているかは、政権を担っている政治家にとってどうでもいいことらしく(いや分かっていない?)、国内政局のお遊びに熱中している。

 こんなリーダーについていくわれわれもたまったものではない。特に、私のように人生の折り返し地点を通過したもの達よりも次の時代を担っていく世代にとって事はとても重大であり深刻である。

 今回の「暴走」は、これまでの経緯を考えれば十分に予測しえたことである。戦後60年の中で、韓国とも中国とも国交を結び、表面的な「戦後処理」はしてきた。そして、昭和天皇からの戦争責任に触れる発言もあった。さらに、時の宰相が、その時代の情勢を見ながら謝罪を繰り返してきた。しかし、しかしである。そういうことをしながらその一方で、大臣クラスや元大臣クラスの政治家が、意図的としか思えない状況の中で、太平洋戦争をまるで美化するかのような発言をするのである。また、A級戦犯を祀る靖国神社の参拝をしてくれるなと何度抗議されようと、これまでの首相の何人もが、参拝してきた。この話を、かつて第二次世界大戦を日本と共に戦ったドイツの人たちがどう考えるか、約100人ぐらいの人たちに聞いた事がある。すると、皆口を揃えて、「その政治家達はなぜ逮捕されないのか」と逆に私に聞き返してきた。ドイツでは、ナチス幹部がおおやけな場所に祭られること自体考えられないと言うのだ。だから、そのような場所に首相が参拝することなどもってのほかだと言う。ちなみに、ドイツではナチスヒトラーのカギ十字のマークも禁じられていると聞いた。

 ドイツ人から日本がアジア諸国にどのような謝罪をして、戦後補償をしたのかと聞かれたので正直に答えると、その内容を聞いて、彼らは驚きの声を上げた。ドイツは日本とは比べ物にならない形と金額で戦後補償を行なってきている。その総額だが、分かっているだけでも、私が取材した約5年前の時点で、約1000億マルク(5.5兆円)であった。1000億マルクといっても、その価値は時の流れを考えれば、実質的にはその何倍にもなる。日本で最近訴訟が行なわれている強制労働に対する補償も丁度私が現地取材した時に彼の地で話題になっていたが、ドイツ政府は米国、ポーランド、チョコの被害者団体などに総額100億マルクを支払うことに合意していた。その決定を受けてドイツ商工会議所は、傘下の全企業約20万社に対して、第二次大戦中の強制労働に関与したかどうかにかかわらず「ドイツ全体の責任」として、年間売上高の千分の一を拠出するよう要請していた。 国家主権を盾に「(戦後補償は)サンフランシスコ条約などで解決済み」とする日本政府の論拠が国際的に正当と見られるものでないことは、これ一つをとってみても分かるはずだ。

 教科書問題に関しては、「慰安婦問題」「南京虐殺」「強制連行」といった大罪をいつまでも正面から認めようとせず、出来得れば“輝かしいニッポン”の歴史の一ページから消そうとすること自体がおよそ往生際が悪く、私には理解できない。そのようなことを主張するのは、サクラを愛し「散り際」を大切にする彼らの情感にそぐわぬはず。武道をたしなむ者であれば、負けを負けと認めようとせぬ自分がいかに恥の上塗りをしているか分かるはずだ。8月15日の呼び方にしても、マスコミは右翼の圧力に屈していつの間にか「敗戦日」と呼ばぬようになったが、敗戦を終戦と呼ばせる右翼に対して私は何度もそのような話をしてきた。すると、幹部の何人かは理解を示してくれた(浅井は右翼と付き合うのかと言われるかも知れぬが、右翼であろうとヤクザであろうと私は付き合いを拒まない)。肝要なのは、自らが犯した罪を心の底から反省し謝罪すること。正常な関係はそこから始まるのだ。それは同じ敗戦国ドイツのやり方を見れば分かるはずだ。

 領土問題に関しては敗戦後、日本がそれとどのような取り組み方をしてきたかが問題にされていない。かつて日本海に「李承晩ライン」という韓国の当時の大統領、李承晩が1952年に一方的に宣言した“境界線”があった。私の子供の頃、耳をつけて聞くラジオから李承晩ラインで韓国の軍艦に連行される日本人漁船員のニュースがよく聞こえてきたが、竹島はその中に含まれていた。竹島の韓国による実効支配はその時から行なわれていたのだ。

 その後、65年になって時の大統領、朴正煕と話がつき、日韓正常化が実現した。ところがその時、竹島問題はなんと「棚上げ」されている。そしてそれから40年。日本の政治家の口から「竹島」の名が聞かれることはほとんどなかった。これは、明らかに日本の政治家の怠慢だ。もし本当に竹島を日本固有の領土と主張したいのならなぜ国際舞台で声を上げ続けなかったのか。それは当時、4年前にクーデターで政府を転覆させ、2年前から大統領になっていた独裁者朴正煕が日韓正常化を急いでいることを聞きつけた日本の椎名外相が、「臭いものにふた」をして「日韓基本条約」をまとめ上げてしまったからだ。戦時中から高級官僚として「いぶし銀の椎名」と異名を取るほど裏の世界で暗躍した椎名悦三郎がまとめた日韓条約である。朴正煕政権への“経済的支援(又の名をワイロ)”が相当存在したようでその後何度もそれが話題になった。椎名は当時、首相を「椎名裁定」と呼ばれた形で選ぶほどの実力者であった。その椎名がまとめた日韓条約に異を唱える勇気を持つ政治家はいなかったのだ。

 今回政治家達は自らの怠慢は棚に上げておき、韓国政府のやり方に苦言を呈している。また、このような政治家の責任を追及することなく、日中問題にも共通するが、「デモがどう作られたか」などとワイドショー的に興味本位で報道するマスコミの姿勢には深い不信感を抱かざるを得ない。マスコミが特ダネであるかのようにこれ見よがしに流す「官制デモ」の映像は、両国にとって何の利益にもならないものだ。官制デモなど彼の国が行なうのはこれに始まったことではない。また、市民が自発的に起こす反日行動を政府が利用するのは、歴史を見れば分かるように何度も繰り返されてきたことだ。それを「誠実さにかける」と批判している政府もマスコミも自らの未熟さを露呈しているようなものだ。外交というのはキレイ事は別にして、現実にはそれらの現象・事象をも巧みに利用して手練手管の限りを尽くし“化かし合い”をして自国に利益を誘導しようとするものだ。

 今回のような出来事が5年後10年後の極東にどのような影響をもたらすのか、そのような視点・視座で考えなければ、しこりとして残りかねず、将来悔やまれることになりかねない。この際、日本政府は、迷惑をかけた国それぞれと共同委員会を設けて、たっぷり時間を掛けてとことん話し合うべきである。こんな提言をすると、「土下座外交」と批判されるだろうが、そうではない。今この機にそのような総括をしておかないと、いつまでたっても日韓・日中間でこの問題が幾度も再燃することになる。そうなれば、日本とアジア諸国の関係はこれまで以上に悪化していくことは間違いないのだ。特に、ここ10年で驚異的な経済的成長を遂げ、今後も成長し続けると言われる中国との関係をこじらせたまま放置すれば、取り返しの付かないことになるだろう。アジアにおける「経済大国」の座をやがて日本から奪い取るであろう中国が、強大な軍事力をさらに充実させ、周辺国と組んで反日包囲網を構築したら、日本などひとたまりもないのだ。

「通りすがりの旅人」さんへの回答

2005-04-10 23:01:35 | Weblog
「通りすがりの旅人」さん
 コメント欄に回答を書き込んだつもりでしたが、何せ「IT音痴」の私がやる事。送稿できていなかったようです。ですので、特別にここに書き込みました。

 何度か書き込みをされて私の回答を希望されているようですが、基本的に意見交換や記事解説のために私は回答をしていませんのでご了承の上、今後も本ブログをご愛読下さい。
 コメントを受け付けているのは、個人的に軽いやり取りをするためと、読者同士で意見交換が出来れば、と場の提供をするためです。
 基本的に私のことを誤解されているようですが、私は、私情や私憤でメディア批判はしていません。これまで30年以上、様々なメディアに関わってきた経験を持つ「内部事情に詳しい」立場からマス・メディア批判をしているのです。
 私のブログやメルマガには、いわゆる「ギョーカイ人間」が多く、私が私情や私憤で批判を繰り返したら読むのを止めてしまいます。それなりの整合性や着眼点が評価されているから読み続けてくれているのではないでしょうか。
 私のメディア批判の“真髄”は、これまでに書いたものを初期のものから丹念に読んでいただければご理解いただけるはずです。私の立場をひと言で言えば、「メディアクラスィーの監視」です。その辺りから今一度記事を読んでください。
 もし、もっと私のメディア論を聞きたければ、HP上にあるアドレスから個人メールを送ってください。酒を酌み交わしながら夜を徹してお話しますよ。

受験戦争を煽る新聞系週刊誌

2005-04-09 12:02:49 | Weblog
 私は普段、週刊誌を結構目にするが、この時期の新聞社系週刊誌は手に取る気がしない。大学合格者特集で紙面が埋められるからだ。
 私が考える「マスコミが抱える矛盾」の中でも大きなものの一つがこの受験特集だ。新聞本紙では「受験戦争」が社会や子供に与える影響を書きたてながら、その一方週刊誌では「どの学校が好成績を収めているか」と固有名詞を挙げて特集を何週にもわたって組んでいる。
 随分前のことになるが、この分野では“老舗”の「サンデー毎日」の編集者とこの点について話した事がある。その編集者の話では、この種の特集を掲載する号は飛び抜けて売り上げが伸びており、ズバリこの企画が「生き残りのためには欠かせない」ということであった。
 その頃は編集者の中にも内に抱える自己矛盾に悩む者もいたというが、今では「定例行事」のようにごく事務的にこの特集の仕事をこなす者が大多数と聞く。ホント、このところのマスコミ関係者の「長いものに巻かれろ」的なだらしなさも目に余るものがある。時間がある時に、関係者の取材を重ね、徹底的な「マスコミ解剖」をしなければと思う今日この頃だ。

「街を歩けば」を読んで

2005-04-08 09:11:56 | Weblog
「街を歩けば」を読んで、イギリスに住む読者、渡辺直人さん(日本企業の駐在員)からメールを頂きました。その一部をここで紹介させていただきます。

 イギリス人の"人"に対するやさしさは、日本人とは比べ物にならない位、本当にすばらしいですよね。 約1年半前に二人目の子供がイギリスで生まれたのですが、その時に心からその事を実感しています。
 当時、私の妻は妊婦だったのですが、妻が一人で買い物に行ったときに、妻が持っていた重い買い物袋を、赤の他人が好意で車まで運んでくれたり、チューブ(筆者注:地下鉄のこと)に乗った
時に率先して席を譲ってくれたりと、何をするにもいいことづくしだったそうです。
 でも不満もあります。私も妊婦ばりの腹なのに、誰も手助けしてくれなかったことです。
(あたりまえか・・・)
 一人目の子供の時は日本での出産だったのですが、電車に乗っていても席を譲ってくれないし、
重い荷物を抱えていても、みんな見て見ぬ振りでしたのでその事でイギリスでは倍増して気持ちよく感じたのかもしれません。
 前を歩く人が後ろの人の為にドアを押さえてくれていることも、最近では慣れてしまって当たり前の事のように感じていますが、日本だと誰も押さえててくれませんよね、、、
ほんと、すばらしい文化です。