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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

頑固親父の今日

2008-04-27 23:18:16 | Weblog
 「ザッけんじゃねえよ」と題した一文に読者のひとりが「武道の達人は、争うことなく、ことを修めると聞きました」とコメントを入れてきてくれた。

 その話は武道の世界では有名と言うか、お手本として昔から語り継がれている「武道の奥義」だ。

 それは、頭では分かっているのだが、私は、お恥ずかしいことに、齢を幾つ重ねても実践できないでいる。

 今日も南浦和の線路下を通る地下歩道で、私は未熟さを露呈してしまった。

 そこは、かつて歩道部分はなく、上下各一車線しかない狭い地下車道で、歩行者や自転車に乗る人は、速度を落とさずに通り抜ける車に肝を冷やすことが多かった。しかし、線路で分断された街を往来するには、駅舎かその地下道を使うしかなかった。当然のことながら交通事故も頻繁に起き、私たちは歩行者専用通路を設置するよう国鉄(現JR)や浦和(現さいたま)市に長年にわたって働きかけた。

 ようやく歩行者専用地下道が車道と壁一つ隔てて並行して作られたものの、いざ出来ると、そこは自転車天国。障害物を設けてあちこちに「自転車はおりて」と注意書きしても、面倒臭いのか自転車族は我が物顔で、歩行者の脇をすれすれの至近距離ですり抜けていく。

 今日も東口から西口に向かう私はその地下道を徒歩で渡ろうとしていた。後ろから自転車の近付く気配があったが、私の目の前には、自転車の走りぬけ防止の障害物があり、そこには「自転車はおりて」と大書された看板が設置されていた。だから、自転車に道を譲ることなく普通の速度で歩いていた。

 すると、私の身体に触れそうなほどに接近して「チッ」と言い捨てて横をすり抜けて行った。その後ろ姿からすると、乗っているのは男子高校生だ。

 次の瞬間、私は走り始めていた。幸い、私はスニーカーをはいていた。60になったとはいえ、短距離ならまだ走る自信はある。だが、所詮相手は自転車だ。普通に走っていたのでは追いつけるはずがない。

 幸運がもたらされた。他の自転車と数人の歩行者で通路がいっぱいになり、前方で暴走自転車は速度を緩めた。

 その時、男子高校生風の若者は、道を譲れという警笛のつもりだろう。“キー、キー”とブレイキを鳴らした。すると、歩行者が道を譲った。

 速度を上げる自転車に、もうつかまえるチャンスはないかと諦めかけた時、携帯が鳴ったのか若者はポケットから携帯電話を出した。

 私は、チャンスとばかりに速度を上げ、背後から若者に接近、後ろ襟首を掴んだ。

 「何すんだよ!」
 と言いながら、若者は私に食って掛かってきた。

 私は襟首を掴んだ手に力を入れてねじ上げた。彼は観念して大人しくなった。そこでしばらく説教をした。

 だが、そうする内にも自転車は次々に暴走していく。

 「自転車を暴走するのは止めましょう!」
 私は大声で呼びかけた。

 2人がばつが悪そうに自転車から降りた。

 その時、外国人青年が自転車で向かって来た。

 「You're supposed to get off the bike!」
 と大声で言ったが、彼は顔色一つ変えずに走り去った。無視されたのかと残念がる私に、後でその話を聞いた妻は、「ただ英語が理解できなかったんじゃないの?」と言った。

 なるほど。白人だからといって、全員が英語が分かるわけではない。その可能性もある。

 だが、それにしても、なんでこんなに「優しくない社会」になってしまったのだろうか。道までもが「イジメ構造」になっている。

 車道からはじき出された自転車が歩道を走るのは致し方ない。かく言う私とて歩道を自転車で走ることが多い。だが、自転車は車両だ。歩道の主役は、あくまでも歩行者であることを忘れてはならない。自転車乗りは、歩道を通らせてもらっているという意識を常に持つ必要がある。間違っても、ブレイキをキーキー鳴らしたり、ベルをチリンチリンと響かせて、歩行者に道を譲ることを求めてはならない。

 武道の達人であれば、今日のような状況に接したらどう対応するかと思いを馳せてみたが、凡人の私では答えが出せなかった。何か、妙案はありませんかね?



 

 

北朝鮮の核協力を読む

2008-04-26 08:42:27 | Weblog
 米政府は24日、主要報道機関に対して、北朝鮮・シリア両国の核協力に関して、「証拠」ヴィデオを手渡した。

 ヴィデオと言っても動画ではなく、連続静止画像で構成されるスライドショー形式のものだが、その内容は、「北朝鮮の協力によって建設中であったシリアの核関連施設」を写したものだ。

 確かに、建設中の建物は、その特徴からして原子炉であることは間違いないだろう。状況的にも、北朝鮮が関与していたことも十分に可能性があることだ。だが、それが即、原子爆弾製作を目的とした核施設と断定するには無理がある。

 実はこの施設は昨年9月にイスラエルに空爆されて破壊されており、今となっては、事実関係は証明しづらくなっている。

 シリアと言えば、かつてブッシュ政権から“ならず者国家”の候補者と名指しされていたが、「911同時多発テロ」に端を発した“対テロ戦争”に関しては、米政府に協力姿勢を見せていただけに、意外な感を持つ方もおられるかもしれない。

 この発表の意図するものは何かと、報道機関はブッシュ政権の腹を探るが、私はCNNが報じる「北朝鮮に圧力をかける意図がある」という分析に組しない。

 私はそれよりも今週初め、ジミー・カーター元米大統領が行なったシリア訪問とハマースの事実上の指導者ハーレッド・マシャール氏との会談に着目する。

 カーター氏の今回の中東歴訪は、11月の大統領選に向けた民主党のキャンペーンの一環と私は見ている。オバマ氏とクリントン氏とが熾烈な候補指名争いを繰り広げている民主党だが、党内には中々決まらぬ候補者に焦りが見られる。ライヴァルである共和党が、早々とマケイン氏を大統領候補に選び、大統領選挙に向けて着実に歩を進めているからだ。

 そんな動きに手を拱いていてばかりはいられない民主党は、両候補者のどちらが指名争いに勝っても良いように布石を打ち始めたのだ。

 共和党ブッシュ政権の対イラク戦争の汚点を強調して、和平路線を国民に訴えたい民主党が、アラブで受けの良いカーター氏を使って仕掛けたのではないか。私はそう見る。

 それに対して、共和党はシリアの危険性を浮き彫りにさせて、カーター氏の動きを封じ込めようとしたのではないか。

 ヴィデオにある写真は、米諜報機関が撮影したというよりも、イスラエルのスパイが撮ったものであろう。カーター氏の動きを警戒するオルメルト政権は、共和党に写真の公表を許可した可能性がある。

 推測の積み重ねになるが、中東における米国の思惑や動きは、表面に出される情報を丸呑みしていたのでは読み解けない。

 私は自分の分析や推測にある程度の自信を持つからこそこうして論評するのだが、仮に間違っていたとしても、こういった耳目を集める問題に大統領選の思惑が絡んでいることはこれまでにも多く見られたことだ。今後ますます両党のカケヒキが過熱する事は間違いない。

 だから、我々は流されてくる情報を平面的に捉えるのではなく、関連情報と読み合わせる複眼視を持たねばならない。


ザッけんじゃねえよ!

2008-04-26 07:23:44 | Weblog
 都内各所に設けられた禁煙地域だが、我が街さいたまでもあちこちに一時期ハシカが流行するかのように「路上喫煙シール」が舗道にペイントされた。

 だが、さすが「ダサイタマ」。管理不行き届きで、あれからどのくらいの年月が経ったか分からないが、今では哀れにも路上にはかすかにその面影を残すだけになった。

 「街の頑固親父」と自認する私は、何度か目に余る喫煙者に注意してきたが、標識がないと逆切れされることがある。

 先日、雨が降った日。夜遅く帰宅途中、妻の体調が芳しくなかったこともあったので、タクシー乗り場に並んだ。

 すると、狭い雨よけがついた乗り場の中でタバコを吸うばか者がいた。乗り場にあった禁煙を呼びかける布たて看板を指して注意をした。それでも相手は三人組であったから強気であったのか、「そんなの書いてないじゃないか」と反発して来た。

 確かに良く見ると、私の早とちりであったようで、その看板に書かれた呼びかけは、タクシー内の全面禁煙であった。

 それに対して、私は、駅前周辺は禁煙になったんだよ、と言いながら路上を見やるがシールが見当たらない。気まずい雰囲気のまま三人組はタクシーに乗って行った(実は、背後に路上喫煙呼びかけ看板はあったのだが…)。

 昼間見ると、その近くに消えかかったシールがあった。その後、気になった私は、駅周辺を歩く時、シールを点検してみた。

 すると、ほとんどのシールは踏み潰されて見辛い状態になっていた。監視員も見かけることはない。

 昨日、市役所に電話をかけて「シールが消えかかっているが、把握しているのか。監視員は周っているのを見たことがないが、どんな管理をしてるのか?」その辺りを聞いてみた。そして、前述の経験を話した。

 電話に出た職員(廃棄物政策課)の態度に驚いた。電話口であざ笑っているのではないかという口調なのだ。

 「ほぼ毎日(監視員は)周らせていますよ。シールが見えにくくなっているのは分かっているから今年度予算を取ってあります」

 活字にすれば、どうと言うことはないのだが、そのふざけた話し方に、

 「今年度と言うことは、来年三月末までにやれば良いと思っているのか。ほとんど見えないから、また衆知の仕方が悪いから喫煙者が絶えないのだよ。制度を決めておいてやりっぱなしではダメだ!」

 と私は思わずきつい言い方をして、電話を切った。

 市職員の多くは自分の仕事にプライドを持ってその職務を全うしようとしているはずだ。だが、こんなふざけた輩がいるから「役人がやることは…」と、市民の不信を買うのだ。

 ザッけんじゃねえよ。

“民放の雄”の落陽

2008-04-24 18:56:23 | Weblog
 先週のTV放送の視聴率ベスト20からついにTBSの名が消えた。 

 TBS(東京放送)はかつて在京TV各社の中でもその影響力の大きさから「民放の雄」「報道のTBS」と言われた。特に、報道やドラマ部門においては、リーダー的存在であった。バラエティ部門でも「8時だよ!全員集合」や「ザ・ベストテン」など数多くの高視聴率を誇る番組を世に出していた。

 ところが、80年代に入ると、フジTVや日テレの攻勢の前にその牙城が崩され、視聴率争いではTV朝日の後塵を拝することも珍しくなく、「振り向けばTV東京」という言葉が局内でも自嘲的に使われるようになった。

 ここ数年は、年を追って小さくなるフジや日テレの背中に開き直ったか、プライドをかなぐり捨てて細木数子などの予言師を起用するキワモノ路線が「数字(高視聴率)を取れる」となると、他局の後を追った。

 それも、細木数子の化けの皮がはがれたことで頓挫。キワモノ路線からの撤退を余儀なくされた。

 「最後の砦」である報道部門も、長期低落傾向にあったが、筑紫哲也氏が病気で降板すると、その存在感までをも失った。

 私はかつてTBS報道局に深く関わっただけにTBSの落陽を見るに忍びないが、もうこうなれば落ちる所まで落ちて徹底的な構造改革をするのが最良の選択肢であろう。

私の視点 光市母子殺害事件に想う

2008-04-23 11:46:19 | Weblog
 光市母子殺害事件の加害者に死刑判決が出たことで、日本列島全体に安堵感が漂う。

 確かに、いわゆる「情」の部分では、その安堵感が分からぬでもない。事件の残虐性や遺族の本村さんの冷静に国民に話しかける姿を見ていると、私の中にも「これで良かったのでは」という感情が顔をのぞかせる。

 だがしかし、その一方で、今回の動きが教えてくれたことに目をつぶるわけにはいかない。その辺りを整理してみた。

 最高裁から差し戻し判断をされたことで、弁護側は被告の新供述を引き出したとされる。その供述は、常識的には信じ難く、広島高裁の判決文でも「荒唐無稽」と一蹴された。

 メディア報道では、新供述が2年前に新たに結成された弁護団によって引き出されたとされているが、弁護団側の話では、さらにその2年前くらいから被告は教戒師に話していた内容だという。その事実関係については、私には情報がないのであくまでも参考に留めておく。

 その新供述を考察する時、多くの子どもたちに接してきた私はどうしても被告の育った環境に目が行ってしまう。

 暴力的な父親に幼少の頃から苦しめられ、12歳の時、頼りにしていた母親に先立たれた。しかも、自殺という子供にとっては最悪の手法である。これが、彼の精神形成に影響を与えないはずはない。現実に、彼の犯罪心理鑑定をした加藤幸雄・日本福祉大学教授は、「親密な関係にあった母に自殺されて、孤立して12歳から自立できず、通常の18歳の人格ではなかった」としている。だから、広島高裁の裁判官に荒唐無稽と判断された言い訳も全くありえないこととは言えない様な気がする。

 ただ、私の中にある常識という魔物は、夫を愛し、愛の結晶である我が子を必死に守ろうとする母親を強姦したこと、いたいけな幼子を死に至らしめたこと、2人を殺害後、金品を奪ったこと、収監された後、友人に書いたとされる手紙の内容の極悪非道さ、などに怒りを感じてしまう。

 私が本村さんの立場に置かれれば、この新供述に絶望的な気持ちを抱き、もし、極刑が下されなければ、実行するかは別として自分の手で犯人を殺したいという気持ちを抱くに違いないと思う。差し戻し控訴審で新供述を出してきた弁護団に対して悪感情を持つこともあり得る。

 周辺の人たちと話していても、微妙な違いはあるものも根底に流れる感情に大きな差異はない。しかし、感情に流されてばかりいては大事な視点を見失う必要がある。

 まずは、報道姿勢に着目してみた。相も変らぬスクラム報道である。特に、TVやスポーツ紙及び週刊誌の報道は、目に余るものがあった。感情移入が多過ぎて、「先に極刑ありき」という一種の世論操作と言われても仕方がない状況であった。そのあり方に、NHKと民放が共同で設置した放送界の第三者機関、「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が15日、判決に先立ち、TV情報番組に「<奇異な被告・弁護団>対<遺族>の図式を作り、その映像を見て感情的な言葉を口にする」と苦言を呈している。

 最近の傾向を見ていると、法務省や裁判官が「世論」を強く意識していることが分かる。その世論を、マスコミが無意識にせよ結果的に誘導しているとすれば、とても危険なことではないか。

 弁護団に批判が集中しているが、ここであえて強調したいのは、弁護士というのは、世論や社会通念で弁護活動をするのが仕事ではないことだ。彼らの職責は、委任された人たちの利益を守るために全知全能を使って弁護活動をすることだ。だから、弁護団のやり方に集中砲火を浴びせることは全くの筋違いである。

 しかし、BPOも無責任だ。そんな指摘をしておきながら、具体的に情報番組を改善しようと提言しているわけではない。情報番組制作の実態には目を向けずに理想論を言っているに過ぎない。

 だから、番組制作現場の人間の多くは、そんな指摘をされても「奇麗事を言うんじゃねいよ」と、冷ややかに見ている。

 情報番組を作っているのは、実質的には下請けの人たちだ。孫受け、ひ孫受けと言われる弱小プロダクションの人たちも多い。その人たちの中には、番組制作のあり方について真剣に取り組んでいる者もいるが、多くが、ジャーナリズムの何たるかも分からぬままに(と言うか、学ぶ機会も与えられていない)取材現場に立ち、マイクやカメラを向けている。日々の番組作りに追われる彼らはスクラム報道に問題があると言われても、その本質を深く考える余裕などないのが現実なのだ。

 マスコミ報道姿勢の次に考えねばならないのは、来年5月に始まる裁判員制度だ。今回の一連の動きからも、この制度が抱えるであろう問題点が見えてくる。

 特に、同様の事件を担当する裁判員が世論にそぐわない判断をしたらどうなるのかという点だ。今回も、ネット上には、犯人の弁護団に対してだけでなく、審理に当たった判事が世論を無視した判断を出したら許さないという脅迫めいた書き込みがされていたが、一般の人であれば、そのような脅しを受ければ、精神的に大きなストレスを受けるであろう。それに、自分が人の命を左右するような判断に直接関わる事をどれだけの人が受け入れられるであろうか。下手をすれば、死刑などの重い判断を下したものの、後に新事実が出てきて冤罪に関与したと分かる場合もあり得るだろう。

 裁判員制度の実施を前に、死刑と無期懲役との量刑基準を明確にするべきだとの議論もあるが、たとえそのようなものがあったとしても、私はこのような裁判には関わりたくない。

 これまでは他人事であった死刑もかくして自分たちの問題になった。この機会に、私たち一人ひとりが感情的な意見や報道に流されず、死刑の問題や裁判員制度を考えるべきであろう。そして、それをマスコミは丁寧に拾い上げて議論をする場を提供して欲しい。間違っても、ある一定方向に誘導するような番組作りはするべきではない。

 

大井競馬場へ

2008-04-21 01:12:58 | Weblog
日付が変った今となっては昨日になるが、7月の初舞台の共演者ユーヤと芝居作りの研究にと大井競馬場に足を運んだ。

 2人芝居の私の役柄は、やさぐれジャーナリスト。「飲み打つ買う」の三拍子揃った役はお手の物だ。酒は軽く一升を飲み干すし、ギャンブルは競輪・競馬・競艇に始まり、花札や麻雀と何でもござれ。買うにいたっては、全国いたるところのいかがわしいゾーンに出入りしている。

 と言いたいところだが、競馬こそ一時期はよくやっていたが、「飲み」も「買い」もからっきしダメで、そんなんでやさぐれた役が出来るのかと心配されるやも知れぬが、そこはそれ生来の図々しさでこなしてしまう自信は密かに持っている。

 ただ、舞台となる大井競馬場はユーヤに見せておきたいし、音響や動画素材が必要だと思い、二人で出かけたわけだ。

 競馬場に初めて足を踏み入れたユーヤは、「面白いですね」の連発。特に、日本一カゲキな予想屋として知られる「ゲートイン」の吉富氏の話芸にすっかりはまってしまった。その吉冨氏。ネットで検索してみると、大阪市立大学中退で、元学習塾教師とある。こんなに話が面白ければ、塾の生徒に人気があったことは容易に推察できる。

 いつぞやも、「ワタクシは南関の残留武士です! 武士はただ戦うのみっ!皆さん、私に付いて来て下さい!」等と声を張り上げていたが、昨日は成績が今ひとつのせいか、話に迫力がなかった。

 吉冨氏に取材意図を話し、撮影許可をお願いすると、快諾してくれた。ユーヤは大喜びでヴィデオ・カメラを回していた。

 3レースほど見たが、第6レースだけ馬券を買ってみた。買ったと言っても、競馬を止めた身と全くのド素人だ。ホンの小額を吉冨氏の予想通りに賭けてみた。

 結果は、見事にハズレ!ユーヤは「ビギナーズ・ラック」で人生を狂わせずに済んだ。2人は取材成果に満足して大笑いしながら競馬場を後にした。

マサ夢?

2008-04-20 01:12:23 | Weblog
 メディア塾の塾生であり、私のかわいい弟子の一人のマサから木曜夜に懇願された。

 「シショー、土曜日の午前中、雨を降らせないでくれませんかね?天気がやばいんですよ」

 私に会ったことのない方には、このやりとりは理解不能であろうが、言ってみれば、私は究極の晴れオトコ。かくてヴォランティア仲間の間では、サンシャインとあだ名されている。丁度今、60歳だから、1年間限定だが、洒落で「サンシャイン60」(池袋のランドマーク・タワー)と名乗っている。

 「もう少し早く言えよ。何でだ?」
 と聞く私に、

 「明後日の午前中に野球の試合が予定されているんですよ、大学の」
 と答えるマサ。

 スポーツ大好き人間の彼は、自らが通う大学の野球部監督に、今年からプロ野球で名監督と誉れ高かった古葉竹識がなったことから全ての試合を取材に行っているのだ(Masaブログはこちら:http://blog.goo.ne.jp/sukky-masa2 )。

 天気予報を見ると、どう見ても土曜の午前中は降雨確率100%。だが、天気図をにらむと、何となく低気圧の動きが早くなりそうで、雨は上がりそうな気がした。そして、金曜の夜。西の空を見上げてから就寝した。

 その夜、私の夢にマサが出てきた。彼の自室なのか、どこなのかあまり記憶が定かではないが、マサが外を見て、「シショー、スゴイっすよ。雨が上がりました」と驚くのだ。

 土曜日の午前7時前、目が覚めた私はすぐさま窓の外を見た。すると、雨は上がり、一部青空も出ている。

 午前8時になるのを待ち、私はマサにメイルを送った。

 数分して返事が来た。

 「ありがとうございます(笑顔の絵文字)。天気に関しては、感動してます(笑)。現地は風が強いです。試合は荒れるかも?」

 だが、それから約30分後、電話で「強風で試合が中止になりました」と言ってきた。

 そう言えば、私はよく「天気にしてくださいね」と言われるのだが、どうもその加減が分からずに、「晴らしすぎですよ」と言われたりもする。今回は、風で雨雲を吹き飛ばすことをイメージしたのだが、野球の試合そのものまでをも吹き飛ばしてしまった。

 過ぎたるは及ばざるが如し。私もまだまだ修行が足りないようだ(ん?)。

正念場後日談

2008-04-17 14:32:02 | Weblog
 二週間前、「人生の正念場」と題する一文を書いたが、幸いなことに杞憂に帰す可能性が高くなった。

 先日、彼は本格的な検査を受け、心配された病気ではないと診断されたとの事。まだ、最終的な検査結果が出ていないが、ひとまずは安心。

 それにしても、彼を診察した医者たちの患者や家族への情報の伝え方は、専門家としていかがなものかと思う。だから、欧米人たちに「日本の医療は遅れている」と言われてしまうのではないか。

 こういったことは、実は初めてではない。3回目だ。

 最初に起きたのは、もう20年近く前のこと。大男の男性教師が、私の前で泣き崩れた。身体の各所に悪性の肉腫ができて生命の危機であると医者に言われたとの事。医師の診断を鵜呑みにしない私は、担当医師の素性を聞いたが、浦和の病院の院長に紹介された都内にある国立病院の副院長を務める専門家だという。

 私は、肩書き主義ではない。直ぐにその担当医師との面会を求めた。

 担当医師は、私にも同様の説明をした。しかし、私が質問を重ねていく内にその態度に変化が見られた。どこか、自信に欠ける様な態度になり、最後には「色々検査をしてからになりますがね」となった。

 彼の言動に不信感を抱いた私は、知り合いの医師からその担当医師の評判を調べてもらった。

 「彼は医者仲間から“殺人者”と呼ばれています。何でもかんでも手術したがるからです」
 
 そう聞いて、私が直ぐに彼を他の病院に移したのは言うまでもない。その頃は、セカンド・オピニオン(他の医療機関の意見)を求めるのは、歓迎されず、担当医師からは散々嫌なことを言われた。

 他の病院で受けた精密検査の結果で、良性の腫瘍でできものみたいなものと考えて良いとの診断が下された。

 今回の場合は、様々な面で違いはあるが、いずれにせよ、説明が拙すぎる点では共通するものがある。一時的にせよ、患者本人のみならず、日本人妻を失望のどん底に突き落とした責任は否めない。確かに医師や病院にしてみれば、このところの「訴えてやる!」という患者からの動きに警戒するあまり、自己保身のために言うこともあるやもしれぬ。だが、今回のような扱いがそれに当たるとすれば、医療従事者と患者の間にある壁はますます厚く高くなるであろう。

恋はチョメチョメ

2008-04-14 00:00:41 | Weblog
 私の仲間の一人(学生)が、ある女性に焦がれるような片想いに陥り、勉強もアルバイトも、何もかも手がつかない状態であるという。

 私は、学生だからといって、いくら恋したからといって本分である勉学を疎かにするなとか、大人として責任ある行動をしろなどというつもりは毛頭ない。恋をすれば、相手のこと以外、たとえ目の前にあるものでも目に入らなくなるもの。冷静に勉強だ、仕事だなどと分けて考えられるうちは、真正の恋愛とは言い難い。とことん溺れてこそ、本物の恋だと私は考える。

 だから、私は「恋に心を奪われている者」の失敗には寛容だ。心を焦がす恋には失敗はつき物だ。他人からは信じられないような、平常であれば考えられないようなミスをするものだからだ。ただ、失敗をして迷惑をかけてしまったら、誠心誠意謝るべきであることは言うまでもない。若者には下手な言い訳などをせず、相手に殴られることを覚悟で謝って欲しいと思う。

 彼には、全力でその人を好きになれ。傷つくことを恐れるな、と励ました。もちろん、彼には女性を幸せにするだけの「心」と色々な意味での「力」が備わっていると思うからこそそう言ったのだが…。

 その話の後、彼の兄の近況を聞いた。兄は韓国人の女性を好きになり、ここ数年間、弟の目から見ても驚くほど遮二無二韓国語を勉強しているそうだ。

 こうして見てみると、つくづく、「恋はチョメチョメ」と実感する。そのチョメチョメの部分は、今では差別用語だから使えぬが、実に的を射た表現だ。他に、これ以上の表現は思いつかぬほどだ。

 彼の話を聞いて、私の学生時代までは、青春の書の定番であった「若きウエルテルの悩み」に今一度目を通したくなった。 

熱砂の国から

2008-04-12 13:57:36 | Weblog
 私の視点「平成版姥捨て山考」をメイルマガジンで読んだ読者のひとりが、メイルを寄せて下さった。

 その方は、文中にあるヴァンつゆさんという女性のことを読んで懐かしくなり、「今回はなつかしいバンさんの話がでていたので、メールすることにしました」と書いてこられた。73年から75年にかけてレバノンに住んでいたこともあるという。その時代は、レバノンが「中東のスイス」、首都ベイルートが「中東のパリ」と言われた頃だ。

 その読者の連絡先(電話局番)を見ると、なんと熱砂の国だ。聞けば、20年近くも日本企業の現地駐在員として活躍をされている。

 何度かメイルのやり取りをする内に、私が三一書房から30年前に出した「レバノン内戦従軍記」の読者のひとりであることも判明した。いやあ、世界は広いようで狭いものである。

私の視点 映画「靖国」と朝日新聞

2008-04-12 13:39:35 | Weblog
 映画「靖国」問題を考証する論文やエッセイが各メディアで見られるが、ここでは、朝日新聞の2つの記事を取り上げたい。ひとつは、2日付の社説「『靖国』上映中止ー表現の自由が危ない」、もうひとつは、10日付の「『中立』追求は本末転倒」と題する文化面の投稿記事だ。

 社説では、「客や周辺への迷惑を理由に、映画の上映や集会の開催を断るようになれば、言論や表現の自由は狭まり、縮む。結果として、理不尽な妨害や嫌がらせに屈してしまうことになる」と正義の御旗を掲げている。

 さらに、「政府や各政党も国会の議論などを通じて、今回の事態にきちんと向き合ってほしい。私たちの社会の根幹にかかわる問題である。いま上映を準備している映画館はぜひ踏ん張ってもらいたい。新たに名乗りを上げる映画館にも期待したい。それを社会全体で支えていきたい」と、まあ、威勢がいい。こんなに高らかにサポーターズ宣言をして大丈夫?とこちらが心配するほどだ。

 だが、そんな心配も無用であったようだ。朝日新聞社の“その後”に注目してきたが、ここ10日間、まるで高見の見物。新たな動きは見られない。

 「社会全体で支えていきたい」と宣言した以上、紙面で客観報道をするだけで良いはずはない。具体的な動きに出るべきである。具体的に言えば、銀座のど真ん中にある有楽町マリオンの「有楽町朝日ホール(700人以上収容)」を筆頭とした、全国に数多ある朝日新聞又は関連会社の保有施設の幾つかを提供するだけでも大きな力が生まれるはずだ。

 そこで先ほど、朝日新聞に直接問い合わせてみた。

 かつては、論説委員室に直接電話はつながれたが、今は全て「ご意見」は広報部に通される。

 電話に出た部員に私は概ね上記のことを話した。すると、なんと「おっしゃる通りですね」と素直に認める。施設については、「関連ですから」と、関連会社には本社の影響が及びにくいことを言いかけたが、「社説(新聞の顔)で書いたことです。本社が社を挙げてやると言えば、難しいはずがないでしょう」と言うと、これに対しても「そうですね」。「映画館ではありませんから」と言うので、「上映設備はありますよね?」と言うと、これも直ぐに肯定した。だが、朝日で映画「靖国」を上映する予定はないとのことだ。

 そして、広報部員は「ご意見を論説の方に通しておきます」と約束した。私は「具体的にその答えが紙面で出されることを願っています」と言い、電話を切った。

 推察するに、論説子は恐らく、“筆が走って”書いてしまったのだろう。だが、このような言論の自由の根幹を揺るがしかねない問題にそんな度胸も用意もないのに大言壮語してはいけませんよ、論説委員さん。

 10日付の朝刊の文化面にある元文化庁文化部長の寺脇研氏の『「中立」追及は本末転倒』と題する視点にも注目した。

 寺脇氏は先ず、芸術文化に公費で助成をする難しさを掲げた。芸術文化は多様であり独創性が不可欠だから、表現の自由が保障されない限り、公費助成を受けた中から豊かな内容の作品は生まれないと言うのだ。

 そして、映画に限らず芸術文化作品に政治的な中立性を求めること自体ナンセンスなのだから、直接助成制度を廃止して他の方法で支援するべきだと筆者は主張している。

 その代替案として、寺脇氏は先ず、映画界全体への一般的な支援に回す方式を提案している。また、個別の作品を審査して制作費を援助するのではなく、人材育成事業をはじめ、海外映画祭に出品を認められたときの費用支援、地方ロケを支えるフィルムコミッションの活動支援、ロケ地のデータベース化など、間接的支援についても触れている。

 さらに、今回のような理由や興行面での採算不安から上映してくれる映画館が見つけられない作品のために、公費で上映施設を用意するのも一案としている。

 この提言を、なに、かつては公費を出す側にいた人間だから、面倒なことになるのならこのような公費助成は止めろと、後輩をかばって書いていると裏読みするか、表現の自由が侵される恐れがあるのであるのなら、映画界全体が制作費に困っていた時代には、直接助成も意味があったが、年間数百本の作品が制作されている現状を考えたら、間接助成へとシフトしていってもいいのではないか、という寺脇氏の提言に素直に耳を傾けるか、考えは色々あってよい。

 いずれにしてもこれを機に談論風発、盛んな意見交換が自由な雰囲気の中でという条件付だが、行なわれることを望みたい。そして、朝日新聞が率先して自らの施設を上映のために提供することを切望する。

私の視点 平成版姥捨て山考

2008-04-09 10:48:24 | Weblog
 かつて、我が国には「間引き」が横行していた。

 出産前の胎児や新生児が親の手によって“処分”されたり、小学生の年頃の子が口減らし、つまりは大人の食糧確保のために他所の家に売り渡されたり、丁稚奉公に出されていた。少女が花街に売られることも珍しくなかったようだ。また、70歳以上の高齢者は、「姥捨て山」と呼ばれる場所に捨てられたという。

 これら全てを称して間引きと言われていた。嫌な言葉だ。

 ここ10年のニッポンを見ていると、間引きや姥捨て山という言葉が、頭に浮かんでくる。

 4月から始まった75歳以上が対象の「後期高齢者医療制度」などはその典型で、「経済大国」などという言葉が白々しく感じられる。

 マスコミなどは、一部国民の「後期高齢者と呼ぶのはけしからん」という声に同調し、そんなネイミングはいかがなものかと疑問を呈する報道に熱心だが、これが問題をすり替えることにつながりかねないことに気付いていない。

 もうそんな呼び方などどうでもいいではないか。問題は、一生懸命生きてきた市民一人一人を政府がきちんと最後の最後まで面倒を見るかどうかだ。そんなバカらしいことを議論しているうちに、「永田町(政治家たち)」や「霞ヶ関(官僚たち)」は、着々とお年寄りを姥捨て山に捨てる方策を進めてしまう。

 この医療制度はあくまでも「姥捨て山政策」の先鋒に過ぎないと私は見る。今後、私たち団塊の世代が完全な年金受給生活に入るまでに、年金の価値を減らす「強制インフレ」を推し進め、福祉に名を借りて消費税の税率を15~20%にまで持っていこうとするだろう。

 公園や空き地でブルー・シートにくるまる人たちや、病院から追い出されて家に閉じ込められ寂しい思いをしながら「お迎え(死)」を待つお年寄りたちを見ていると、現代版の姥捨て山に見えてくるが、あと10年経てばこんなものではない。日本列島全体が姥捨て山に化すはずだ。

 40年50年と、厳しい環境の中を働き続けてきた高齢者たちは、政治家や役人に不平不満を持ちながらも、年金や福祉だけは間違いなかろう。引退した暁には、贅沢とは言わぬまでも年金生活でゆとりある生活が送れるはずだ、好きなことをして暮らそうと考えていた。

 だが、積み立ててきたはずの年金や強制的に取り立てられてきた税金は、様々な形でアメリカに奪い取られてきた。また、ハコモノなどにも巨額が無駄遣いされてきた。国富消尽そのものだ。そればかりか、年金の記録さえもずさんに放置されてきた。そして、それらのツケが全て今、我々市民に回されてきている。

 ここまでナガタチョーとカスミガセキにひどいことをされても大人しい我々を見て、私の周りの外国人たちは嘲笑混じりに言う。

 「ニホンジンハ、ホントニモンクヲイワナイイイヒトタチデスネ」と。

 そう。これが欧米であったら、市民たちは連日連夜国会や自治体に押しかけて不正を追求するだろうし、自分たちの権利を主張するはずだ。

 この問題を考えていると、ふと私が取材先で長年お世話になった日本人女性が言っていた言葉が思い出された。

 もう大分前になるが、中東の小国レバノンに長年の内戦下、ヴァン・つゆさんという北海道出身の女性が住んでいた。彼女の身の回りでは毎日のように悲劇が起きた。彼女が経営していた店で起きた日本大使館員による事実上の殺人事件、武装勢力による幾度にも渡る略奪があり、最終的には、英国籍の御主人も暗殺されてしまった。その時、私は、もう日本に帰りましょうよと彼女に進言したことがある。

 そう言う私にヴァンさんは、「この前日本に帰ったけど、お年寄りに優しくないのよ、日本って。アラブの人たちは、いろんな嫌な面もあるけど、女やお年寄りに優しいの。だから、日本で老後を過ごさずにこちらにいようと思うのよ」

 ヴァンサンはその後、ロンドンで大学教員になった息子に招じ入れられて英国に渡り、幸せに穏やかな暮らしをしている。

 私のお節介で日本に帰って来なくて本当に良かったよ、ヴァンサン。私は過日、電話で話した時、そう話した。

 ヴァンさんが私の進言のままに日本に戻ってきていたら、恐らくひどい目に遭っていたに違いない。そして、責任を取ろうと私は悪戦苦闘していただろう。

 それにしても、こんな酷い結末が待っていたとは、2,30年前、誰が想像しただろうか。

 「高齢者切捨て」という高くて厚い壁は刻々と迫ってきている。このまま座して姥捨て山列島になるのを待つのか、それとも新しい風を吹かす道を模索するのか。

 後者の道を進むのであれば、残された時間は少ない。即急に、しかも国を挙げて取り組まねばならない最重要課題だ。マスコミは今こそ目覚め、強い危機意識でもって新風作りの旗振り役を買って出るべきだ。そのためなら、マスコミお得意の「スクラム報道(過熱集中取材)」をしても許される。執拗に永田町や霞ヶ関の住人を追いかけるても誉められることはあっても批判されることはない。そして、市民レヴェルでも、永田町や霞ヶ関に厳しい監視の目を光らせながら、その一方で熱く力強い風を吹かせなければならないだろう。そこまでしなければ、その厚く高い壁を砕くことにはならない。

 姥捨て山をテーマにした「楢山節考」という映画の中で、高齢にもかかわらず元気があふれる女性が、自分が腹いっぱい食事をすることは罪であると思い悩んだ末、石で自分の前歯を折る場面がある。10年、20年後の高齢者は、これからはこういう思いに駆られることになるだろう。口から血を流しながら「前歯が無いから食事が食べられない。その分はおまえが食え」と家族に言う台詞は、年金生活者や年金予備軍にとって今や他人事ではない。

民主党案支持を撤回

2008-04-09 10:18:49 | Weblog
 日本銀行の総裁人事が空転したままだ。政府自民党はこの異常事態に危機感を持ち、ようやく財務省の主計局出身者を諦めて妥協案を出してきた。

 その妥協案とは、白川方明副総裁を総裁に昇格させて、副総裁のポストに財務省財務官OBで一橋大学院教授の渡辺博史を充てるというものだ。

 それを受けて、民主党の中に、やれやれこれでひと段落だという空気が生まれていた。鳩山幹事長の周辺では殊更その色が濃く現れていた。鳩山氏は再三、「財務省出身者が全てだめとは言っていない。主計局OBに問題がある」と明言していた。

 ところが、それに対して小沢一郎代表が「財務省出身者はダメ!天下りは認められない」というツルのひと声を発した。このひと声で党内はシラケムードが一挙に支配した。

 確かに、共産や社民は渡辺副総裁案に反対している。野党共闘という観点からはそのような選択肢がないとは言えない。だが、両党は一貫して天下り人事はダメだと言ってきた。だが、民主党幹部はこれまで、主計局に問題があるのであって、財務省出身者全てが悪いわけではないと公言してきた。今になって小沢代表に尻尾を振って政府案に反対するのなら、最初から「天下り人事はNO!」と言うべきである。このようなやり方は、市民を惑わすだけだ。政治不信はこういうところに根があるのだ。

 私はこれまで日銀総裁人事については民主党を応援してきたが、このような市民を惑わせ、愚弄するような言動を繰り返す小沢一郎氏が代表を務めているようでは、政権を任せるわけにはいかない。私はこれまでこの場で限定的に民主党案の支持を表明してきたが、今回のドタバタ劇を見てそれを撤回することにした。

 


ホコリ高きPC

2008-04-07 07:57:02 | Weblog
 我が家のPCが不調になったのは、2ヶ月くらい前のこと。

 原稿やメイルを書いている途中に、プツンとパソコンが切れてしまうことが何度も起きた。

 二人ともITに弱い。何が起きたかと、頭を抱えた。

 修理に出すのもこのところ怖い話(デイタを盗まれたりする)を多く聞いているから出したくない。

 そこで、何度か、やれ「ウィルス駆除」だの「デフラグ」だのやってみた。メモリーを増やそうと、サクサクと「残飯整理」をした。すると、若干の効果が現れた。だが、それも気のせいだった。やがて、同じ状態が訪れたのだ。

 足元に置いた小型ヒーターが原因かもと言い出して、それを遠ざけたこともあった。

 そして昨日。「束の間の平和な時間」にネットで調べて行く内に、PC本体にたまったホコリに疑惑が向いた。すると、基盤の所に取り付けられたファンのフィルターが、いやはや、なんともまあ、すごい状態ではないか。埃で厚く覆われている。

 ファンを外してフィルターに掃除機のノズルを押し付けた。あっという間に、積年の埃は、掃除機に吸い込まれた。

 そして、PCに電源を入れてみた。

 PC本体からのノイズは聞かれず、安定した状態で画面に笑顔が表示された、と言うのはウソだが、と思えるほどいい感じで立ち上がった。それからは、2ヶ月間の不調が信じられないほど、好調だ。

 
 

障害を持って生まれることは不条理?

2008-04-06 19:09:47 | Weblog
【私の友人のアマデウスさんから、彼が「障害児支援パーティ」に出席した時の模様を書いたエッセイが送られてきました。彼自身、障害者(その言葉が適当かどうかは疑問ですが)でもあり、よく「彼の視点」からみた世の中のおかしなことを教えてもらっています】


 先日友人のお付き合いで障害児者支援団体の記念パーティに参加して来ました。この手のパーティではお決まりのパターンですが、国会議員などが次々と祝辞を述べていました。

 その中のある議員さんの言葉に私はギョッとしてしまいました。
いわく「障害を持って生まれる事、そういうお子さんを持つ親になる事は、たいへん不条理な事です。でもその不条理にめげずに前向きに頑張っている皆さんのお姿を見て嬉しく思います、云々」。氏は満面の笑顔でおっしゃっていたので悪気(わるぎ)は無かったのでしょうけれど、この議員さんは「不条理」という言葉の意味を分かっているのか知らん。私は少し気分が沈んでしまいました。

 ところで、このパーティは準備から司会進行まで全て障害児のお母さんたちがやっていたようでした。もちろん司会も初めての経験のようで、ものすごく上がっていたようでした。何でもその団体の功労者が昨年亡くなったそうで、会の冒頭に全員で黙祷(もくとう)をしました。その際に司会のお母さんは「お集まりの皆さんの御冥福をお祈りしましょう」と言ってしまったんです。

 あ~らら、そこに居たみ~んな死んでしまいましたね。「お集まりの皆さんで」と言いたかったんでしょうね、きっと。でも、いくつかのそんな失敗が反ってパーティの手作り感を醸(かも)し出していて、とても温かい感じのする素敵なパーティでした。

 パーティの最後に準備委員のお母さんがお礼の挨拶をしました。その中で彼女は次のように言っていました。「私の息子は障害児で大変な事もあります。でも、私は次に生まれてくるときにも障害児の親で良いかなと思っています。もしかしたら私自身が障害児でも良いかな、と。障害児を持った事でたくさんの事を学ばせていただきましたから。」

 この言葉を聞いて私は、さっきの沈んだ気持ちが晴れると共に目頭が熱くなりました。この言葉には人生と真正面から向き合う人の真実と迫力があり、人の心に響くものがありました。

 さっきの議員さんにも聞かせてあげたいな、などと思いつつ議員さんの席に目をやると、氏は自分の挨拶が終わるとそそくさと会場を後にしていたようでした。・・・そんなもんですかねぇ・・・