「ザッけんじゃねえよ」と題した一文に読者のひとりが「武道の達人は、争うことなく、ことを修めると聞きました」とコメントを入れてきてくれた。
その話は武道の世界では有名と言うか、お手本として昔から語り継がれている「武道の奥義」だ。
それは、頭では分かっているのだが、私は、お恥ずかしいことに、齢を幾つ重ねても実践できないでいる。
今日も南浦和の線路下を通る地下歩道で、私は未熟さを露呈してしまった。
そこは、かつて歩道部分はなく、上下各一車線しかない狭い地下車道で、歩行者や自転車に乗る人は、速度を落とさずに通り抜ける車に肝を冷やすことが多かった。しかし、線路で分断された街を往来するには、駅舎かその地下道を使うしかなかった。当然のことながら交通事故も頻繁に起き、私たちは歩行者専用通路を設置するよう国鉄(現JR)や浦和(現さいたま)市に長年にわたって働きかけた。
ようやく歩行者専用地下道が車道と壁一つ隔てて並行して作られたものの、いざ出来ると、そこは自転車天国。障害物を設けてあちこちに「自転車はおりて」と注意書きしても、面倒臭いのか自転車族は我が物顔で、歩行者の脇をすれすれの至近距離ですり抜けていく。
今日も東口から西口に向かう私はその地下道を徒歩で渡ろうとしていた。後ろから自転車の近付く気配があったが、私の目の前には、自転車の走りぬけ防止の障害物があり、そこには「自転車はおりて」と大書された看板が設置されていた。だから、自転車に道を譲ることなく普通の速度で歩いていた。
すると、私の身体に触れそうなほどに接近して「チッ」と言い捨てて横をすり抜けて行った。その後ろ姿からすると、乗っているのは男子高校生だ。
次の瞬間、私は走り始めていた。幸い、私はスニーカーをはいていた。60になったとはいえ、短距離ならまだ走る自信はある。だが、所詮相手は自転車だ。普通に走っていたのでは追いつけるはずがない。
幸運がもたらされた。他の自転車と数人の歩行者で通路がいっぱいになり、前方で暴走自転車は速度を緩めた。
その時、男子高校生風の若者は、道を譲れという警笛のつもりだろう。“キー、キー”とブレイキを鳴らした。すると、歩行者が道を譲った。
速度を上げる自転車に、もうつかまえるチャンスはないかと諦めかけた時、携帯が鳴ったのか若者はポケットから携帯電話を出した。
私は、チャンスとばかりに速度を上げ、背後から若者に接近、後ろ襟首を掴んだ。
「何すんだよ!」
と言いながら、若者は私に食って掛かってきた。
私は襟首を掴んだ手に力を入れてねじ上げた。彼は観念して大人しくなった。そこでしばらく説教をした。
だが、そうする内にも自転車は次々に暴走していく。
「自転車を暴走するのは止めましょう!」
私は大声で呼びかけた。
2人がばつが悪そうに自転車から降りた。
その時、外国人青年が自転車で向かって来た。
「You're supposed to get off the bike!」
と大声で言ったが、彼は顔色一つ変えずに走り去った。無視されたのかと残念がる私に、後でその話を聞いた妻は、「ただ英語が理解できなかったんじゃないの?」と言った。
なるほど。白人だからといって、全員が英語が分かるわけではない。その可能性もある。
だが、それにしても、なんでこんなに「優しくない社会」になってしまったのだろうか。道までもが「イジメ構造」になっている。
車道からはじき出された自転車が歩道を走るのは致し方ない。かく言う私とて歩道を自転車で走ることが多い。だが、自転車は車両だ。歩道の主役は、あくまでも歩行者であることを忘れてはならない。自転車乗りは、歩道を通らせてもらっているという意識を常に持つ必要がある。間違っても、ブレイキをキーキー鳴らしたり、ベルをチリンチリンと響かせて、歩行者に道を譲ることを求めてはならない。
武道の達人であれば、今日のような状況に接したらどう対応するかと思いを馳せてみたが、凡人の私では答えが出せなかった。何か、妙案はありませんかね?
その話は武道の世界では有名と言うか、お手本として昔から語り継がれている「武道の奥義」だ。
それは、頭では分かっているのだが、私は、お恥ずかしいことに、齢を幾つ重ねても実践できないでいる。
今日も南浦和の線路下を通る地下歩道で、私は未熟さを露呈してしまった。
そこは、かつて歩道部分はなく、上下各一車線しかない狭い地下車道で、歩行者や自転車に乗る人は、速度を落とさずに通り抜ける車に肝を冷やすことが多かった。しかし、線路で分断された街を往来するには、駅舎かその地下道を使うしかなかった。当然のことながら交通事故も頻繁に起き、私たちは歩行者専用通路を設置するよう国鉄(現JR)や浦和(現さいたま)市に長年にわたって働きかけた。
ようやく歩行者専用地下道が車道と壁一つ隔てて並行して作られたものの、いざ出来ると、そこは自転車天国。障害物を設けてあちこちに「自転車はおりて」と注意書きしても、面倒臭いのか自転車族は我が物顔で、歩行者の脇をすれすれの至近距離ですり抜けていく。
今日も東口から西口に向かう私はその地下道を徒歩で渡ろうとしていた。後ろから自転車の近付く気配があったが、私の目の前には、自転車の走りぬけ防止の障害物があり、そこには「自転車はおりて」と大書された看板が設置されていた。だから、自転車に道を譲ることなく普通の速度で歩いていた。
すると、私の身体に触れそうなほどに接近して「チッ」と言い捨てて横をすり抜けて行った。その後ろ姿からすると、乗っているのは男子高校生だ。
次の瞬間、私は走り始めていた。幸い、私はスニーカーをはいていた。60になったとはいえ、短距離ならまだ走る自信はある。だが、所詮相手は自転車だ。普通に走っていたのでは追いつけるはずがない。
幸運がもたらされた。他の自転車と数人の歩行者で通路がいっぱいになり、前方で暴走自転車は速度を緩めた。
その時、男子高校生風の若者は、道を譲れという警笛のつもりだろう。“キー、キー”とブレイキを鳴らした。すると、歩行者が道を譲った。
速度を上げる自転車に、もうつかまえるチャンスはないかと諦めかけた時、携帯が鳴ったのか若者はポケットから携帯電話を出した。
私は、チャンスとばかりに速度を上げ、背後から若者に接近、後ろ襟首を掴んだ。
「何すんだよ!」
と言いながら、若者は私に食って掛かってきた。
私は襟首を掴んだ手に力を入れてねじ上げた。彼は観念して大人しくなった。そこでしばらく説教をした。
だが、そうする内にも自転車は次々に暴走していく。
「自転車を暴走するのは止めましょう!」
私は大声で呼びかけた。
2人がばつが悪そうに自転車から降りた。
その時、外国人青年が自転車で向かって来た。
「You're supposed to get off the bike!」
と大声で言ったが、彼は顔色一つ変えずに走り去った。無視されたのかと残念がる私に、後でその話を聞いた妻は、「ただ英語が理解できなかったんじゃないの?」と言った。
なるほど。白人だからといって、全員が英語が分かるわけではない。その可能性もある。
だが、それにしても、なんでこんなに「優しくない社会」になってしまったのだろうか。道までもが「イジメ構造」になっている。
車道からはじき出された自転車が歩道を走るのは致し方ない。かく言う私とて歩道を自転車で走ることが多い。だが、自転車は車両だ。歩道の主役は、あくまでも歩行者であることを忘れてはならない。自転車乗りは、歩道を通らせてもらっているという意識を常に持つ必要がある。間違っても、ブレイキをキーキー鳴らしたり、ベルをチリンチリンと響かせて、歩行者に道を譲ることを求めてはならない。
武道の達人であれば、今日のような状況に接したらどう対応するかと思いを馳せてみたが、凡人の私では答えが出せなかった。何か、妙案はありませんかね?