今朝は家の中をギブスは付けたままだが、松葉杖に頼らず歩いてみた。二本足で歩けることのありがたみと楽しさをかみしめる。なかなかのカンドーだ。レッサーパンダの風太君の気持ちが分かった気がした(ん?)。
所属するヴォランティア・グループ「ACTNOW」の活動に参加するため朝9時前、家を出た。さすがに外歩きは松葉杖なしには無理だ。1ヶ月前は50メートル歩くと痛かった手の平もタコができたせいか、最近は2、300メートル位連続して歩けるようになった。
しかし相変わらず街行く人は「社会的弱者」に無頓着だ。今朝も私の前に飛び出す人がいて、私がよろけながら「ウップス」と言うと、変な顔をして私を睨むだけで謝りもせずに先を急いで行ってしまった。ウップスというのは別に酔っ払って吐きそうになっているわけじゃなく、自分も相手も緊張させない私の驚きの表現方法だからそんな顔をして見ないで欲しいものだ。いや、それよりも謝って欲しい。
「ボランティア見本市」会場がある川口駅前に着くと、オー、結構な人出だ。松葉杖生活者は人ごみが苦手である。ぶつかられないよう歩行速度を落として前に進むことにする。
イヴェントは、川口市がヴォランティア活動への市民の理解を深めようと毎年行なっているもので、ACTNOWも「店」を出し、活動紹介をしている。
副代表で防災専門家の石塚が、どこからせしめてきたのか、ぬいぐるみを大量に用意してきた。昨年「来店者」が少なかったからと、客寄せに考えたのが、「ぬいぐるみプレゼント」。黄色い大きな箱を作りそこに100個位のぬいぐるみが入っている。子供に、箱に作った穴に首を突っ込んで好きなぬいぐるみを取らせようという趣向だ。
「好きなのが奥のほうにあって取れないよう」と訴える子ども達には、私の松葉杖を渡し、「へへ、UFOキャッチャーならぬ松葉杖キャッチャー」とダジャレを言うが、子ども達の関心は箱の奥にある。私の「オヤジギャグ」は完全に滑ってしまった。
ぬいぐるみ取りに夢中になっている子ども達の親には、「さあ、これを機会に家族で地震のことを話し合ってみましょうね」とパンフレットを渡す。
時間が経つにつれ、子ども達の言動の傾向が気になった。また、同様に同伴の親達に対しても疑問を抱いた。さっきからぬいぐるみをもらっていく子達の半分以上が、お礼を言わないのだ。親もまたそれをとがめる場合が非常に少ない。子供しかいない時は「あれ、ありがとうは?」と声をかけられるが、さすがに親がいる前では言いにくい。
しかし、2歳か3歳位の男の子が、お気に入りのぬいぐるみがなかなか取れなくて悪戦苦闘している姿を見ていたら、たまらなく可愛くていとおしくて、不躾な親達に抱いていた不満はどこぞに消えてしまった。その子の親は私たちに気を遣って、近くにあるぬいぐるみをさして「もうそれで我慢しなさい」と言うのだが、その子は妥協をしないで頑張った。そして遂にお気に入りの子犬のぬいぐるみを手にした。それだけでも充分に可愛いのに余程嬉しかったのだろう。その子はぬいぐるみにほおずりをして微笑んだのだ。他のメンバーと共に、その子の表情のあまりの可愛さに歓声を上げてしまった。私は今日一日、その子の表情を思い出すだけで穏やかな気持ちになる事ができた。昔、ある著名な教育評論家が「我が子の2,3才の頃に見せる笑顔は宝物。大事に心にしまっておくように」と言っていたように覚えているが、ホント、あの表情こそ、天使の微笑みと呼んで間違いはない。
所属するヴォランティア・グループ「ACTNOW」の活動に参加するため朝9時前、家を出た。さすがに外歩きは松葉杖なしには無理だ。1ヶ月前は50メートル歩くと痛かった手の平もタコができたせいか、最近は2、300メートル位連続して歩けるようになった。
しかし相変わらず街行く人は「社会的弱者」に無頓着だ。今朝も私の前に飛び出す人がいて、私がよろけながら「ウップス」と言うと、変な顔をして私を睨むだけで謝りもせずに先を急いで行ってしまった。ウップスというのは別に酔っ払って吐きそうになっているわけじゃなく、自分も相手も緊張させない私の驚きの表現方法だからそんな顔をして見ないで欲しいものだ。いや、それよりも謝って欲しい。
「ボランティア見本市」会場がある川口駅前に着くと、オー、結構な人出だ。松葉杖生活者は人ごみが苦手である。ぶつかられないよう歩行速度を落として前に進むことにする。
イヴェントは、川口市がヴォランティア活動への市民の理解を深めようと毎年行なっているもので、ACTNOWも「店」を出し、活動紹介をしている。
副代表で防災専門家の石塚が、どこからせしめてきたのか、ぬいぐるみを大量に用意してきた。昨年「来店者」が少なかったからと、客寄せに考えたのが、「ぬいぐるみプレゼント」。黄色い大きな箱を作りそこに100個位のぬいぐるみが入っている。子供に、箱に作った穴に首を突っ込んで好きなぬいぐるみを取らせようという趣向だ。
「好きなのが奥のほうにあって取れないよう」と訴える子ども達には、私の松葉杖を渡し、「へへ、UFOキャッチャーならぬ松葉杖キャッチャー」とダジャレを言うが、子ども達の関心は箱の奥にある。私の「オヤジギャグ」は完全に滑ってしまった。
ぬいぐるみ取りに夢中になっている子ども達の親には、「さあ、これを機会に家族で地震のことを話し合ってみましょうね」とパンフレットを渡す。
時間が経つにつれ、子ども達の言動の傾向が気になった。また、同様に同伴の親達に対しても疑問を抱いた。さっきからぬいぐるみをもらっていく子達の半分以上が、お礼を言わないのだ。親もまたそれをとがめる場合が非常に少ない。子供しかいない時は「あれ、ありがとうは?」と声をかけられるが、さすがに親がいる前では言いにくい。
しかし、2歳か3歳位の男の子が、お気に入りのぬいぐるみがなかなか取れなくて悪戦苦闘している姿を見ていたら、たまらなく可愛くていとおしくて、不躾な親達に抱いていた不満はどこぞに消えてしまった。その子の親は私たちに気を遣って、近くにあるぬいぐるみをさして「もうそれで我慢しなさい」と言うのだが、その子は妥協をしないで頑張った。そして遂にお気に入りの子犬のぬいぐるみを手にした。それだけでも充分に可愛いのに余程嬉しかったのだろう。その子はぬいぐるみにほおずりをして微笑んだのだ。他のメンバーと共に、その子の表情のあまりの可愛さに歓声を上げてしまった。私は今日一日、その子の表情を思い出すだけで穏やかな気持ちになる事ができた。昔、ある著名な教育評論家が「我が子の2,3才の頃に見せる笑顔は宝物。大事に心にしまっておくように」と言っていたように覚えているが、ホント、あの表情こそ、天使の微笑みと呼んで間違いはない。