肺がんの闘病生活を続ける叔父のホスピスへの入所が決まった。
3年前に発病。それに衝撃を受けた叔母までもが認知症に罹った。夫婦に一挙に災いが降って来た感じだ。
幸いなことに叔父は子供たちに恵まれ、傍から見ても羨むほどの家族愛に包まれている。だが、いくら家族の愛情が深くても病魔の進行は止められない。日に日に体を蝕んでいくのだ。
まだ60半ばと老け込む歳ではない。一家の大黒柱の気概であろう、気丈に闘病してきたが、病気は残酷だ。今春には突然下肢の自由が利かなくなり、ほぼ寝たきりの状態になった。
年齢が近いこともあり、兄のように慕ってきただけに、私にとって叔父の病気の進行はひどく辛い。気晴らしになればとブログを勧めたが、律儀な性格の彼は自分の病状と心の内を丁寧にほぼ毎日つづっている。
それが私には「俺の背中を見ていてくれよ」と言われている様で頼もしくもあるが、時に涙するほど辛い。
神風が吹かぬか、奇跡が起こらぬかと思うこともあったが、ここまで来るとその考え方は本人に却って失礼になるだろう。それよりも、ホスピスでいかに終末医療を心安らかに受けられるかをお手伝いすることの方が重要だろう。そう。そこまでは頭では分かっている。
ホスピスの考え方は、アイルランドで始まり、イギリスとアイルランドから世界に広まっていった。1970年代前半にジャーナリストの大先輩である岡村昭彦は、私がロンドンに住んでいた頃、アイルランドを訪れた後に立ち寄り、私に「これからホスピスを日本で普及させる」と熱く語った。もちろん彼はそのために日本国中を東奔西走した。その後の日本におけるホスピスの広がりはあえてこの場で言及する必要はないだろう。
そのホスピスがこのような形で自分の叔父に役立つことには亡き岡村に感謝したい。だが、兄を白血病で亡くしたときと同様、心穏やかに叔父を見守ることは、私には出来ない。新聞受けから朝刊を取る時、「画期的な新薬」の文字を期待したのは、一度や二度ではない。一日も早く、そのような薬が作られ、叔父の元気な姿が見られる日を夢見ている。
3年前に発病。それに衝撃を受けた叔母までもが認知症に罹った。夫婦に一挙に災いが降って来た感じだ。
幸いなことに叔父は子供たちに恵まれ、傍から見ても羨むほどの家族愛に包まれている。だが、いくら家族の愛情が深くても病魔の進行は止められない。日に日に体を蝕んでいくのだ。
まだ60半ばと老け込む歳ではない。一家の大黒柱の気概であろう、気丈に闘病してきたが、病気は残酷だ。今春には突然下肢の自由が利かなくなり、ほぼ寝たきりの状態になった。
年齢が近いこともあり、兄のように慕ってきただけに、私にとって叔父の病気の進行はひどく辛い。気晴らしになればとブログを勧めたが、律儀な性格の彼は自分の病状と心の内を丁寧にほぼ毎日つづっている。
それが私には「俺の背中を見ていてくれよ」と言われている様で頼もしくもあるが、時に涙するほど辛い。
神風が吹かぬか、奇跡が起こらぬかと思うこともあったが、ここまで来るとその考え方は本人に却って失礼になるだろう。それよりも、ホスピスでいかに終末医療を心安らかに受けられるかをお手伝いすることの方が重要だろう。そう。そこまでは頭では分かっている。
ホスピスの考え方は、アイルランドで始まり、イギリスとアイルランドから世界に広まっていった。1970年代前半にジャーナリストの大先輩である岡村昭彦は、私がロンドンに住んでいた頃、アイルランドを訪れた後に立ち寄り、私に「これからホスピスを日本で普及させる」と熱く語った。もちろん彼はそのために日本国中を東奔西走した。その後の日本におけるホスピスの広がりはあえてこの場で言及する必要はないだろう。
そのホスピスがこのような形で自分の叔父に役立つことには亡き岡村に感謝したい。だが、兄を白血病で亡くしたときと同様、心穏やかに叔父を見守ることは、私には出来ない。新聞受けから朝刊を取る時、「画期的な新薬」の文字を期待したのは、一度や二度ではない。一日も早く、そのような薬が作られ、叔父の元気な姿が見られる日を夢見ている。