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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

死者の数

2006-07-31 11:20:58 | Weblog
 30日にイスラエルがレバノンで行なった愚挙が原因で全世界からブーイングを喰らっている。既報の、54人の命を奪ったカナへの空爆に対する怒りだ。それを受けてイスラエルは31日、48時間の空爆中止を発表した。

 今回、世界中が怒りの声を上げたわけは、犠牲者の内37人もが子供であったからだろう。さもなくば、世界中のマスコミが大々的に報道しなかっただろうし、読者や視聴者の心に届かなかったはずだ。

 だが、私はそこに疑問を感じる。確かに、子供は「社会の宝」だし、我々大人が守ってやらねばならない存在だ。しかし、命の重さに年齢の高低は関係ないはずだ。かく言う私も、この種の記事を書く時、子供の数をしばしば書き入れる。それは、加害者側が、攻撃理由に“テロリスト”の存在を挙げるからだ。つまり、子供の犠牲を書くことによって、攻撃の正当性を「根拠に乏しい理屈付け」としたい意図を働かせているのだ。それを、一部の人たちは、偏向報道と呼ぶかも知れぬが、私は客観性を欠く伝え方だとは思わない。

 死者の数だけで言えば、イラクではほぼ毎日、50人を超える市民が、戦闘の巻き添えになっている(3年前の開戦以来、イラク側の死者は約4万人)。パレスチナでも同様の惨劇が日常化している。「世界の目」、つまりは監視する目が鋭さを失くせば、侵略者はやりたい放題暴れまわるということだ。

かわいそうなぞう

2006-07-31 01:08:11 | Weblog
 浦和で開かれている「平和のための埼玉の戦争展」に行って来た。この催しは、毎年夏に行なわれており、今年で23回目になるという。今年はイラク戦争や憲法問題に力を入れるというので足を運んでみた。

 会場は、JR浦和駅西口の伊勢丹デパートと接するショッピング・センター「コルソ」の7階にあった。

 コルソの正面入口に、今ではパチンコ屋の「新台オープン」の時くらいしか見かけないチンドン屋の姿が見られた。「今時、チンドン屋を使って宣伝するなんてどんな店?」と思いながら、それを確かめたくてわざわざ正面入り口に行ってみた。

 チンドン屋から渡されたチラシを見てびっくり。なんと、彼らは戦争展の客引きだったのだ。それを見た途端、行く気が失せた。ただ、直子が行きたがっていたし、まあ、入場料が無料だからそのまま会場に向かった。

 会場では高校生を含めて老若男女が展示品を熱心に見ていた。だが、残念ながら入場者の多くは、かなりの高齢者だ。若い人は少ない。

 展示品の説明要員があちこちで入場者に対して当時の状況を語っている。だが、全ての説明要員がそうではないが、一部の人は、何か昔を懐かしんでいるように楽しそうに大声で話すので私には耳障りであった。

 私が目を引かれたのは、展示品の中にあった、米写真誌『LIFE』の1940年6月号である。それは、「天皇ヒロヒト」の特集号で、表紙も昭和天皇が白馬に乗る写真が使われている。

 太平洋戦争が始まる一年半前に発行されたものだから、相当反日的な内容かと思っていたが、ミステリアスというか、「世界で一番不可思議な国」である日本や日本人を、天皇との関係に触れながら読者に紹介しようとするもので、中々読み応えのある内容であった。

 中でも、日本人社会における「腹」の存在の記述が面白かった。「腹黒い」「腹を読む」「腹を割って話す」という日本人独特の表現が彼らには奇異に映るらしく(そりゃそうですよね?)、いくつも例を挙げて面白がっている。

 また、腹切りの意味から切腹の作法を書いている記述もあった。それによると、日本では当時でも切腹は日常的に行なわれているものであったらしく、年間で約1,500人が割腹自殺をしていたらしい。これは驚きの数字だ。当時の記録や資料を読むと、日本軍の中でも何かと割腹で責任が取られたいう記述が目立つが、当時は切腹はそれほど「特別」なものではなかったということだろう。そう言えば、私の父は職業軍人でしかも筋金入りの青年将校だったそうだ。その父が、腸結核に罹り、医者から手術を勧められると、「他人に腹は切らせん」と言って死を選んだと聞き、ナント無責任な男だと思ったが、当時ではそんなに“特別なこと”ではなかったかもしれないと、それを読みながら考えた。

 その雑誌の他のペイジをめくっていると、米国の当時の豊かさが手に取るように分かった。広告には、自家用車や掃除機が取り上げられているのだ。隣にある日本の雑誌を見比べてみると、日米両国の国力の差は、歴然としている。よくぞ、こんな国に向かって戦争を仕掛けたものだ、とため息が出てきた。

 書籍売り場で直子が買いたいと選んだ本の一冊が「かわいそうなぞう」。彼女は子供の頃に読んだ記憶があるが、戦争の話とはとらえていなかったようで読んでみたくなったという。

 この本については、読者の方のほとんどが御存知であろう。戦時中、上野動物園で起きた実話である。動物に与える食料が入手できなくなり、多くの動物を“安楽死”させたのだが、象には注射針が刺さらず、飢え死にさせてしまう話で、動物好きには涙腺を緩ませずにはいられない本だ。

 評論家の秋山ちえ子さんは、今でも敗戦記念日にラジオでこの話を読み聞かせる活動を続けている。これは、ただ日本だけではなく、今戦火に包まれているレバノンの首都ベイルートの動物園でも同様のことが行なわれたと聞いたし、旧ユーゴ内戦のサラエボ動物園の動物達も同じ運命を辿った。戦争が起これば、常に弱者が排除される考え方が世の中を支配するという好例だ。

 家に戻った直子は早速その本を読み出した。1分としない内に鼻水をすする音がしてきた。
 

粗末にされる韓国の英雄

2006-07-30 19:26:03 | Weblog
 韓国の李承ヨプ選手が日本球界で大活躍だ。かつて、韓国で本塁打を56本打ち、王貞治の55本を抜いて「アジア記録」を作った、韓国の英雄だ。

 3年前、その大看板を背負って来日した。ところが、最初に所属したロッテ球団では全く振るわず、二軍落ちまで経験している。不振で落ち込み、何度か帰国したいと弱音を吐いたこともあるという。だが、周囲の励ましを受けて頑張り続け、昨年はロッテを日本一に導いた主力選手の一人に名を連ねた。

 そして今年は巨人に移籍。今春開かれた世界野球大会(WBC)では韓国の主砲として大活躍、米球界のスカウトの目を釘付けにしたとの事だ。李は、WBCでの勢いをペナントレイスに持ち込み、今季当初からホームランを打ちまくり、今やセリーグを代表するホームラン・バッターとの感がある。

 ところが、所属する巨人が大不振、今や優勝を狙うどころか、最下位を“指定席”であるかのように言われる横浜にまで追い上げられ、尻に火が付いた状態だ。その中にあって彼の活躍は目立つ。私は、巨人戦のTV中継はよほどのことがない限り観ないから球場の雰囲気を把握しているわけではないが、たまに観る試合中継やスポーツニュースなどで感じるのは、巨人軍が今や李ひとりでもっているということだ。

 どっしりとした打撃フォームに加え、全力でプレイする姿は観る者を嫌が上でも惹き付ける。また、彼の全身からほとばしる「朝鮮民族の情熱」も観ていて楽しい。

 ところが、そんな「巨人にはなくてはならない選手」の写真が、東京ドームに行くと、隅に追いやられている。ドームの正門から10メートル間隔位で立つ太い柱にスター選手の写真が貼られているが、李の写真は奥の方に貼られ、正面ゲイトから出入りするファンの目に入らない位置だ。

 恐らく、巨人に入団した時は、大して期待されていなかったので、球団広報は彼の写真をレギュラーの中でも最後の方に持ってきたのだろう。だが、李がそれを見ればいい気がするはずがない。また、今、韓国で巨人ファンが急増していると聞くから、李のプレイを見ようと来日するファンもいるだろう。その人たちも、そのひどい扱いに不快感を持つのではないか。この辺りから察するに、李選手は一年限りで巨人を離れ、太平洋を渡るつもりなのだろう。だから、巨人側も彼への配慮が疎かになっているのではないか。だが、巨人は李が球団に所属している間は、主砲に相応しい扱いをすべきである。

 こういうこと一つとっても、巨人のやることは「血が通って」いない。だから、僕は絶対に巨人が好きになれないんだよ、ナベツネさん。

写真の罠

2006-07-29 12:10:17 | Weblog
 激動の中東情勢の解決に向けて現地に特派されたライス国務長官だが、彼女の打つ手がいっこうに効き目を見せず、逆に事態が深刻化するのを見て、米国のマスコミは彼女の疲れ切った表情の写真を掲載、米政府の悩みの深さと展望の欠如を指摘しだした。

 その指摘自体は間違っているとは思えないが、そこで使われている彼女の写真が問題だ。スティール写真では確かに、苦悩を浮かべているかに見えるが、動画を見ると、額にかかった髪の毛を手で上げるところであったり、足元を確認して歩いているところであったりする。それが一枚の写真になると、「頭を抱えている」「うつむきかげん」となる。

 これこそが、「写真の罠」と言えよう。このようなイメージ作りをマスコミはいつになったら止めるのだろう。

骨抜きにされた国連安保理

2006-07-29 00:56:09 | Weblog
 国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の停戦監視所が“誤爆”を受け、国連兵4人(中国、オーストリア、カナダ、フィンランド国籍)が死亡した事件で、国連安全保障理事会は27日、協議を行なったが、イスラエルに対する非難や責任を問う文言は、米国の猛反発に遭い、全て削除され、骨抜きされたものが議長声明として採択された。事件の捜査についても、国連とイスラエルによる「合同調査」ではなく、イスラエル単独によるものだ。

 これは、犠牲になった国連兵を送り込んでいた国の一つであり、常任理事国である中国が事件翌日に提出して採択を目指していた議長声明とは大きく違っており、中国の国連大使は「骨抜きにされた」と怒りを露にした。その一方、当事国のイスラエルの国連大使は、「大変公平でバランスの取れたものとなった」と嬉しそうにTVカメラに向かっていた。事件直後、あれほどいきまいていたアナン事務総長は、一気にトーンダウン。きちんとした意見を述べずに報道陣の前から姿を消した。

 このやり取りを見ていて思うのは、国連安保理や総会の非難・制裁決議の公平性だ。湾岸危機を起こしたイラクや湾岸戦争後のフセイン政権に対するものや、3年半前の対イラク制裁決議に対しては、その遵守を国際世論が求めるようにマスコミが誘導したが、イスラエルに対する非難・制裁決議になると、米国政府どころか、マスコミまでもが腰が引ける。

 1948年のイスラエルの独立宣言以来、国連がイスラエルにたたきつけた非難決議は数知れない。だが、イスラエルは一つとして、それに従うどころか、その内容に敬意を払うこともしていない。参考になればと、今インターネットで見つけたサイトから55年から92年までのイスラエルに対する安保理決議をまとめたものを見つけたので御紹介しておこう。

* Resolution 106: " . . . 'condemns' Israel for Gaza raid".
* Resolution 111: " . . . 'condemns' Israel for raid on Syria that killed fifty-six people".
* Resolution 127: " . . . 'recommends' Israel suspends it's 'no-man's zone' in Jerusalem".
* Resolution 162: " . . . 'urges' Israel to comply with UN decisions".
* Resolution 171: " . . . determines flagrant violations' by Israel in its attack on Syria".
* Resolution 228: " . . . 'censures' Israel for its attack on Samu in the West Bank, then under Jordanian control".
* Resolution 237: " . . . 'urges' Israel to allow return of new 1967 Palestinian refugees".
* Resolution 248: " . . . 'condemns' Israel for its massive attack on Karameh in Jordan".
* Resolution 250: " . . . 'calls' on Israel to refrain from holding military parade in Jerusalem".
* Resolution 251: " . . . 'deeply deplores' Israeli military parade in Jerusalem in defiance of Resolution 250".
* Resolution 252: " . . . 'declares invalid' Israel's acts to unify Jerusalem as Jewish capital".
* Resolution 256: " . . . 'condemns' Israeli raids on Jordan as 'flagrant violation".
* Resolution 259: " . . . 'deplores' Israel's refusal to accept UN mission to probe occupation".
* Resolution 262: " . . . 'condemns' Israel for attack on Beirut airport".
* Resolution 265: " . . . 'condemns' Israel for air attacks for Salt in Jordan".
* Resolution 267: " . . . 'censures' Israel for administrative acts to change the status of Jerusalem".
*Resolution 270: " . . . 'condemns' Israel for air attacks on villages in southern Lebanon".
* Resolution 271: " . . . 'condemns' Israel's failure to obey UN resolutions on Jerusalem".
* Resolution 279: " . . . 'demands' withdrawal of Israeli forces from Lebanon".
* Resolution 280: " . . . 'condemns' Israeli's attacks against Lebanon".
* Resolution 285: " . . . 'demands' immediate Israeli withdrawal form Lebanon".
* Resolution 298: " . . . 'deplores' Israel's changing of the status of Jerusalem".
* Resolution 313: " . . . 'demands' that Israel stop attacks against Lebanon".
* Resolution 316: " . . . 'condemns' Israel for repeated attacks on Lebanon".
* Resolution 317: " . . . 'deplores' Israel's refusal to release Arabs abducted in Lebanon".
* Resolution 332: " . . . 'condemns' Israel's repeated attacks against Lebanon".
* Resolution 337: " . . . 'condemns' Israel for violating Lebanon's sovereignty".
* Resolution 347: " . . . 'condemns' Israeli attacks on Lebanon".
* Resolution 425: " . . . 'calls' on Israel to withdraw its forces from Lebanon".
* Resolution 427: " . . . 'calls' on Israel to complete its withdrawal from Lebanon.
* Resolution 444: " . . . 'deplores' Israel's lack of cooperation with UN peacekeeping forces".
* Resolution 446: " . . . 'determines' that Israeli settlements are a 'serious
obstruction' to peace and calls on Israel to abide by the Fourth Geneva Convention".
* Resolution 450: " . . . 'calls' on Israel to stop attacking Lebanon".
* Resolution 452: " . . . 'calls' on Israel to cease building settlements in occupied territories".
* Resolution 465: " . . . 'deplores' Israel's settlements and asks all member
states not to assist Israel's settlements program".
* Resolution 467: " . . . 'strongly deplores' Israel's military intervention in Lebanon".
* Resolution 468: " . . . 'calls' on Israel to rescind illegal expulsions of
two Palestinian mayors and a judge and to facilitate their return".
* Resolution 469: " . . . 'strongly deplores' Israel's failure to observe the
council's order not to deport Palestinians".
* Resolution 471: " . . . 'expresses deep concern' at Israel's failure to abide
by the Fourth Geneva Convention".
* Resolution 476: " . . . 'reiterates' that Israel's claim to Jerusalem are 'null and void'".
* Resolution 478: " . . . 'censures (Israel) in the strongest terms' for its
claim to Jerusalem in its 'Basic Law'".
* Resolution 484: " . . . 'declares it imperative' that Israel re-admit two deported
Palestinian mayors".
* Resolution 487: " . . . 'strongly condemns' Israel for its attack on Iraq's
nuclear facility".
* Resolution 497: " . . . 'decides' that Israel's annexation of Syria's Golan
Heights is 'null and void' and demands that Israel rescinds its decision forthwith".
* Resolution 498: " . . . 'calls' on Israel to withdraw from Lebanon".
* Resolution 501: " . . . 'calls' on Israel to stop attacks against Lebanon and withdraw its troops".
* Resolution 509: " . . . 'demands' that Israel withdraw its forces forthwith and unconditionally from Lebanon".
* Resolution 515: " . . . 'demands' that Israel lift its siege of Beirut and
allow food supplies to be brought in".
* Resolution 517: " . . . 'censures' Israel for failing to obey UN resolutions
and demands that Israel withdraw its forces from Lebanon".
* Resolution 518: " . . . 'demands' that Israel cooperate fully with UN forces in Lebanon".
* Resolution 520: " . . . 'condemns' Israel's attack into West Beirut".
* Resolution 573: " . . . 'condemns' Israel 'vigorously' for bombing Tunisia
in attack on PLO headquarters.
* Resolution 587: " . . . 'takes note' of previous calls on Israel to withdraw
its forces from Lebanon and urges all parties to withdraw".
* Resolution 592: " . . . 'strongly deplores' the killing of Palestinian students
at Bir Zeit University by Israeli troops".
* Resolution 605: " . . . 'strongly deplores' Israel's policies and practices
denying the human rights of Palestinians.
* Resolution 607: " . . . 'calls' on Israel not to deport Palestinians and strongly
requests it to abide by the Fourth Geneva Convention.
* Resolution 608: " . . . 'deeply regrets' that Israel has defied the United Nations and deported Palestinian civilians".
* Resolution 636: " . . . 'deeply regrets' Israeli deportation of Palestinian civilians.
* Resolution 641: " . . . 'deplores' Israel's continuing deportation of Palestinians.
* Resolution 672: " . . . 'condemns' Israel for violence against Palestinians
at the Haram al-Sharif/Temple Mount.
* Resolution 673: " . . . 'deplores' Israel's refusal to cooperate with the United
Nations.
* Resolution 681: " . . . 'deplores' Israel's resumption of the deportation of
Palestinians.
* Resolution 694: " . . . 'deplores' Israel's deportation of Palestinians and
calls on it to ensure their safe and immediate return.
* Resolution 726: " . . . 'strongly condemns' Israel's deportation of Palestinians.
* Resolution 799: ". . . 'strongly condemns' Israel's deportation of 413 Palestinians
and calls for their immediate return

私が見た「ヒズボッラー」…その誕生から現況まで

2006-07-27 11:16:37 | Weblog
 1970年代の終わりから81年にかけて、レバノンを取材する私の前に、小さなグループが何度も姿を見せた。聞くと、レバノン南部のシーア派居住区とベイルート南部のイスラーム教徒居住区に住む若者達で、全てがシーア派教徒であると言っていた。

 そのグループのリーダーは自らをナスラーラと名乗った。彼自体は軍事訓練に関わることはないらしく、そのグループが受ける軍事訓練で泥にまみれていた姿を見たことはない。

 軍事訓練は、当時レバノンに「国の中の国」を創り、反イスラエル闘争を繰り広げていたパレスチナゲリラ達が提供していた。と言うか、パレスチナゲリラの軍事訓練にナスラーラ氏のグループが参加させてもらっていたと言った方が実態に近い。

 彼らの掲げた目標は、「アラブの大義」の実現であった。アラブの大義とは、イスラエルによって占領されているエルサレム(イスラーム教の聖地)を奪い返すための闘争を意味する言葉だ。そして、79年に誕生したイランの革命政権の賛辞と精神的指導者、ホメイニ師の偉大さを声高らかに叫んでいた。

 81年に取材に出かけた時、パレスチナ勢力の幹部から「ナスラーラたちが新組織を立ち上げる。その名は、ヒズボッラー(神の党)だ」と教えられた。そこで、私はナスラーラ氏に話を聞くことにした。だが、レバノン滞在中、その機会は巡ってこなかった。

 その年、アラファトPLO議長(故人)が初来日した。私は滞日中、密着取材を許されてアラファト氏と親しくなるだけでなく、アラファト氏の側近であったアブ・アッラー(実名はアハマッド・クレイ。後の首相)氏とも親しくなり、私は彼にナスラーラ氏への仲介を頼んだ。

 翌年の82年、事態は急転した。イスラエルが陸海空三軍を挙げてレバノンを侵略した。「レバノンからPLOを一掃することこそが地域に平和をもたらす」としてイスラエルは「PLO掃討作戦」を断行したのだ。西ベイルートに立てこもり徹底抗戦を図ったPLOとそれを支援するレバノン武装勢力に対して、イスラエルは容赦なく爆弾を落とし続けた。その時、ヒズボッラーはPLO勢力の指導を受けながら初の本格的戦闘を体験した。

 82年8月末、篭城もこれまでとアラファト議長は白旗を掲げた。9月1日にPLO勢力約14,000人が撤退する際、隠し持っていた武器の多くはヒズボッラーに手渡され。レバノンからの反イスラエル闘争を託すことと、徒手空拳となったパレスチナの民衆の保護を頼む意味が含まれていた。

 ところが、その頃は、戦闘能力をほとんど有しておらず、パレスチナ難民の保護の約束は、充分には果たさなかった。9月16日から18日にかけて、ベイルート南郊のパレスチナ難民キャンプでキリスト教徒武装勢力によって1,000人近くのパレスチナ住民が虐殺された事件は、ヒズボッラーのメンバーの多くに大きな衝撃を与え
た。当時、キャンプを包囲していたのがイスラエル軍で、イスラエル兵が殺人者達を招じ入れたと信じるヒズボッラーの面々は「復讐」を誓った。

 ヒズボッラーの戦闘員達はその後目覚しい成長を遂げ、翌年にはイスラエル占領軍に対して執拗なゲリラ活動をするようになった。また、レバノン平定のために送り込まれた米仏軍に対しても牙をむき、兵舎に自動車爆弾攻撃を行ない、400人近くの命を奪った。両国ともそれを機にレバノンからそそくさと軍を撤退させた。

 85年のTWA(米)機の乗っ取りもヒズボッラーの仕業とされた。この乗っ取り劇は、乗員乗客合わせて153人が乗るTWA847便がギリシャのアテネからイタリアのローマに向かう途中で起きた。

 ベイルート空港に強制着陸させた後、乗っ取りグループは人質のほとんどを今イスラエルの爆撃に晒されているベイルート南郊のシーア派居住区に連れ去るという、前代未聞のやり方で世界中の人たちをやきもきさせた。

 その時現場取材をしていた私は、空港の管制室に潜り込むことに成功、ハイジャッカーたちとの接触を試みた。今でも信じられないことだが、空港内を動き回る内に私は管制室に行き着いてしまったのだ。しかも信じられないことに、そこには管制官が一人しかいなかった。いくら事件が発生してから時間が経っていたとはいえ、レバノン政府の人間や警察関係者がひとりもいないとは思ってもいなかった。管制官は私を見ると最初は驚いたが、すぐに仲良くなり、私に、「彼らはヒズボッラーではないよ。アマルだ」と教えてくれた。アマルとは、同じイスラーム教シーア派武装勢力で、当時西ベイルートを支配していたグループの名前だ。

 私が乗っ取り犯に対して呼びかけたいと管制官に頼むと、これまた信じられないことに、マイクをつなぎ、「ヤッラ(どうぞ)」とチャンスを与えてくれた。だが、残念ながら、乗っ取り犯は私が身分を名乗った途端、連絡を絶った。そして間もなく、背後のドアが荒々しく開けられた。そこには武装した乗っ取り犯の仲間がいた。そして、私はその場から引きずり出され連行された。

 管制官から犯人グループがアマルと聞いていた私は、アマルが発行する記者章と、指導者、ナビ・ベリ氏との「ツー・ショット」写真を取り出し、彼らの敵ではないことを強調した。すると、予想外に簡単に釈放された。国際報道では、今回もあのTWA機乗っ取りグループをヒズボッラーとしている。私に確証があるわけではないが、自分の取材体験からそうではないと皆さんにお伝えしている。

 ヒズボッラーが熱心にやったことは、ゲリラ活動にとどまらない。レバノンの
「イスラーム化」も力を入れた。イスラーム化とは、一種の復古主義で、「西欧文化に毒されたレバノンをイスラーム教の教えに忠実な社会にする」というものだ。

 かつて、イスラーム革命直後、イランで行なわれたような粛清がレバノンでも行なわれ、街から女性が肌を露出するファッションが排除される一方、レストランや酒場からアルコールが奪われた。さらに、外国人を次々に拉致して、その多くが命を奪われていった。かくて、イスラーム地区は、今のイラク以上の無法地帯と化した。

 その時期、パレスチナ勢力も再びレバノンに戻り、活動を開始していた。アラファト議長と共に撤退してチュニジアにいるはずの顔見知りが何人もベイルートに戻っていた。そして、隣国シリアの影響を強く受けるアマルと小競り合いを繰り返していた。その内、戦闘が本格化して86年末から87年初旬にかけて、アマルが3ヶ月近くにわたって、ボルジュ・アル・バラージネ・パレスチナ難民キャンプを包囲攻撃、パレスチナ側に餓死者が出る悲惨な状況が続いていた。

 私は、これまででもっとも恐怖を感じたが、意を決して難民キャンプへの潜入を試みた。途中、ヒズボッラーに連行されたり戦闘に巻き込まれて生きた心地がしなかった。それでも何とかキャンプの入り口まで辿り着き、キャンプの惨状を映像に収めることができた。それは、米CBSTVでも世界的スクープとして紹介された。

 その取材で見たヒズボッラーの戦闘員達は、いずれもがいっぱしの戦闘員の雰囲気を漂わせていた。かつて、パレスチナ・ゲリラの後をヨチヨチついて歩いていた面影はなかった。

 ベイルート取材を終えて、レバノン南部に入ってみると、ヒズボッラーの存在が予想以上に大きいことに驚かされた。そして、占領軍であるイスラエル兵士達が余裕をなくし、必要以上に神経質であったことも印象に強く残った。ヒズボッラーのゲリラ攻撃について聞くと、ほとんどのイスラエル兵がその話題を避けた。しかし重い口を開いてくれたイスラエル兵の口から、「我々はヴェトナム戦争で米兵が味わった恐怖と屈辱を今味わっている」と聞いた時、イスラエル軍の撤退が近いことを予感した。

 私の目論見は外れ、イスラエル軍はすぐに撤退せず、実際にレバノンから撤退したのは、その13年後であった。だが、イスラエル兵の中に刻まれた心の傷は深く、「レバノン症候群」なる言葉が生まれるほどであった。イスラエル国内に、もうレバノンに関わるのはたくさんだ、という空気が生まれた。

 2000年にイスラエルが一方的に撤退しても、ヒズボッラー側からの対イスラエル攻撃が途絶えることは無かった。それは、ヒズボッラーの方針が、「聖地の解放」にあるから当然といえば、当然と言えた。イスラエルが停戦したくともヒズボッラー側にはそのつもりは皆無なのだ。今回、ヒズボッラーがイスラエル軍を攻撃したのもそういった観点から見ると理解しやすくなる。一部マスコミに見られるように、ヒズボッラーが突然イスラエルにゲリラ活動を仕掛けたというのは、全体像を見誤らせてしまう報道だ。

 ヒズボッラーは軍事活動だけではなく、イランから受取る潤沢な資金を基にし
て、広く地道な地域活動を行なってきた。それだけに幅広い支持を得ている。議会においても、128議席中23議席(無所属を含む)を占め、閣僚ポストも2つ手に入れている。またアラブ社会における市民からの支持も厚い。イスラエルとアメリカはあくまでもヒズボッラーの骨抜きを目論むが、それはまず実現不可能だろう。また、たとえ今回戦闘能力の多くを奪うことができたとしても、その再生に時間を要することはないはずだ。ヒズボッラーは、「人民の海を泳ぎ続け」、これからもハマースやアル・カーイダ同様、西側社会にとって脅威であり続けるのは間違いない。

今、学校で

2006-07-25 00:24:07 | Weblog
 私が住むさいたま市の公立中学校で悲惨な状況が生まれている。私はこの話の近況を数日前に当事者の一人から聞いて、暗澹たる気持ちにさせられた。

 事は、昨年に遡る。一年前、新一年生の何人かが集団で「弱い者イジメ」を始めた。

 イジメは小学生であった時からの関係を中学に持ち越したクソがき集団が、新たな仲間を加えて“パワー・アップ”して本格的に始めたとのことだ。

 いったんは、いじめられた一人の両親が必死に動いたことで事態は収まったかのように見られていた。だが、クソがき集団はすぐに「戦法」を変えて巧妙なイジメのやり方で被害者を攻め立てた。

 一度は被害者の一人の母親から窮状を訴えられて、私は関与をすべきかと身を乗り出しかけたが、父親の判断もあり思い止まっていた。

 先週の土曜日、一時期加害者側に加わっていた子供の母親から、今も同じグループによってイジメが深く潜行した形で続いていることを聞かされた。つい最近も、背中を10数針も縫うような(その原因や、傷の詳細についてははっきりしていない)傷を被害者の一人が負ったという。

 その母親によれば、学校側の取る態度がまことにもって不可解で、教師達は子供たちに「(イジメを見ても)見て見ぬふりをしなさい」と“指導”しているという。それを聞いて思わず、私は「なんじゃ、それ?」と聞き直してしまった。

 こんな教育現場で育てられる子供たちにわれわれ大人は申し開きできるはずはない。私に何ができるか分からないが、自分にできることがあれば、「ひと肌脱ぐ
」つもりでいる。
 

テロリスト?

2006-07-24 15:16:14 | Weblog
 イスラエルのレバノン攻撃による犠牲者の痛ましい映像に関しては、その後、いろいろ入手できたが、今回はあえてそれらのほとんどは掲載せず、HPには比較的穏やかなものを数枚をアップするだけに留めた。

 それにしても多くの市民が殺された。イスラエルはヒズボッラーの拠点を狙い、“テロリスト”を殺していると言う。だが、殺された人の映像のほとんどが非戦闘員だ。それも、子供たちのなんと多いことか。確かに、ヒズボッラーの幹部を狙った場合も少なくないだろう。だが、その家族、特に子供の命を奪っていいという考え方は、どう言い訳を重ねても同意できるものではない。

 入手できた映像のほとんどは、ベイルート南部の爆撃現場からのものだが、その残虐さから量るに、レバノン南部の山間部にある村や町ではそれと同様、もしくはより残酷な状況になっているのではないか。国際人権救済機関やジャーナリストの眼が届かぬところだけに心配でならない。

残虐写真

2006-07-24 00:22:16 | Weblog
 私が主宰するメディア塾の塾生から今回のイスラエルによるレバノン攻撃の犠牲者の写真と思われるものが送られてきた。

 写真の多くは、明らかに民間人と思われる人たちの遺体で、子供たちのものも多い。下半身が引きちぎられたもの、背中一面に銃痕が蜂の巣状に残されたものと、とにかく目を覆いたくなるものばかりだ。

 ただ、写真の出自が特定できず今回の事件のものかどうかの判断ができないため、皆さんにお見せすることは今のところできない。現在、「八方手を尽くして」その確認作業をしている。そこで、皆さんにお願いしたいのだが、心当たりのある方は、私宛(asai@news.email.ne.jp)にご連絡いただきたい。

 

魔法のランプのジニー

2006-07-23 01:11:47 | Weblog
 東京・代々木で行なわれた「東京平和映画祭」に足を運んだ。

 この映画祭も今回で3年目。マスコミが協力的に紹介したことも手伝い、会場はほぼ満員であった。

 映画祭では、午前10時から午後9時まで5本の長編映画と1本の短編映画が上映されていた。体力のある若者であれば、全てを観る事ができるだろうが、私は2本の長編と短編映画を観るに止めた。

 私のお目当ては、短編映画「魔法のランプのジニー」。これは、朝日新聞でも大きく取り上げられていたので御存知の方も少なくないであろうが、アメリカの中学生二人が「ヒロシマ・ナガサキ」を題材に作った作品だ。

 12歳の時に授業で原爆投下のことを習ったが、教科書には「巨額を投じて原爆が開発され、ヒロシマとナガサキに落とされた」としか書かれていなかった。原爆投下を「なぜ?」と思った二人は、一年かけて核開発に関わった学者など(広島市長にもカメラを向けている)を精力的に取材、その模様を16分間の映画にまとめた。

 タイトルにある「ジニー」は、魔法のランプに閉じ込められる魔神の名前。広島・長崎に落とされた原子爆弾を象徴しているとの設定だ。二人は、映画の中で、ジニーに「あんなことはしたくなかった」と言わせ、原爆投下をしたのはジニーではなく、原爆を開発した人間が人間を殺す、とのメッセージを観る者に伝える。

 評判どおりの見応えのある作品であった。14歳の少年らしさと彼らの豊かな才能が実にうまくマッチして観る者を惹きつける。短編映画に必要な力強さと衝撃も兼ね備えている。

 その内の一人、スティーヴン・ソター君が来日しているとのことだったので、劇場挨拶があるかと密かに楽しみにしていたのだが、21日に「ピース・ボート」に乗って世界の旅に出てしまったとのことで、ヴィデオでの挨拶に留められた。残念!


お産難民

2006-07-22 09:29:47 | Weblog
 TBSが月曜日に夕方ニュースで、木曜日にNEWS23で放映した「お産難民」を観た方は、少なくないだろう。先日紹介した小嶋記者による「渾身リポート」だ。

 昨年、このブログでも読者間でかなり活発な意見が交わされた、日本の危機的な「お産」の現状を良く描けているリポートであった。

 日本政府は声高に、少子高齢化に向けて対策を!などと大言壮語しているが、実態はその逆で産科がどんどん病院から削除されているのが現状だ。

 小嶋記者のリポートは今も続いて行なわれているので、機会があればこれからもこのブログでも紹介していきたい。

靖国と昭和天皇 

2006-07-21 12:30:50 | Weblog
 昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持ち、靖国神社に足を向けにいかなくなったと、マスコミは騒いでいる。当時の宮内庁長官が昭和天皇との話を手帳と日記にメモしており、それが今回明らかにされたことで大騒ぎになっている。

 もちろん、小泉首相の靖国参拝問題が深刻化している時期でもあるので、マスコミは取り立てて大きく扱うのだが、私のブログをお読みになっている方だったら既にお分かりのように、そんなことは情報を精査すれば容易に推察できたことである。そこで、参考になればと、昨年6月7日に書いた、「靖国問題ー昭和天皇と東条の確執」を再度ここに掲載させていただいた。

 ただ、我々が気をつけねばならないのは、「昭和天皇が不快感を示した」ことをまるで“神の啓示”のように奉り、議論をするべきでないということだ。それは、賛成反対どちらに重心を置こうと関係ないことだ。


私の視点 靖国問題ー昭和天皇と東条の確執

 5日(日曜日)のことになるが、フジTVの朝の報道番組で、今話題の「A級戦犯・東条英機」の孫と言われる女性が招かれ、故人の思い出と現在の心情を披瀝、「名誉回復」を求めていた。また同じ番組で、靖国神社の前宮司も出演、靖国神社側の考え方を説明していた。
 コメンテイターとして呼ばれていた5,6名は、民主党の菅直人氏を除いては、体制側の理解者でかなり一方的な番組構成のようであった(但し、途中までしか観ていないので断定はできない)。
 この番組に限らず、「靖国」論議を聞いていると、政府見解のぶれ、大物政治家たちの放言と“靖国パフォーマンス”、A級戦犯合祀の隠された事実、昭和天皇と東条英機の関係といったこの問題の本質というべきことがほとんど語られていないことに気付く。
 政府見解については、三木政権下で「公式参拝は違憲の恐れあり」と決定的な謝罪を表明したかと思うと、頃合いを見計ったかのように8月15日に公式参拝を始めたり、「神の国」発言で被害国の神経を逆撫でする首相が現れた。このように「謝罪」と「不穏当発言」を繰り返す事が問題なはずなのだが、いつの間にか「中国や韓国は何回謝れば気が済むのか」との国内世論ができつつあるのが現状だ。
 A級戦犯合祀についても、1978(昭和53)年に神社内に緘口令を敷く形までとって靖国神社が強行したこと自体大きな問題であるはずなのに、マスコミや専門家からは大きな疑問として上がってこない。昭和天皇と東条英機との関係にいたっては、歳月の経つのは恐ろしいものだ。あれほど敗戦直後には天皇が東条を忌み嫌っていたのに、後に東条を評価するような発言をした(天皇の立場からすれば、“下衆”をなじれば、同じ土俵に立ったことになる)ことから両者が互いの立場をかばい合っていたとする発言も多い。
 私は文献や資料を読み漁るうち、「靖国神社正式参拝関係年表」から重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」というそうな)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。
 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。
 まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、
1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。
2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。
3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。
 という順序で行なわれる。
 ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。
 つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。
 恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だもって不思議だ。
 そして、東条本人についても評価が分かれたというだけでなく、その立場についての一般的な理解も怪しくなっている。冒頭で紹介したTV番組の中でも、東条英機が開戦時の首相であったというだけでヒトラーとは違うような印象を受ける発言があったが、東条は「陸軍生まれの陸軍育ち」の生粋の軍人で政治家ではない。東京裁判での判決理由に挙げられた軍部を開戦に突き進ませた中心人物との見方を、「開戦直前まで非主流派で不遇をかこっていた」などとまるで東条が昭和10年代は軍部の中心人物ではなく、首相にも仕方なくなったかのように言って擁護する論調が目立つが、東条こそが1936(昭和11)年の「2.26事件」に代表される皇道派(天皇親政派)を抑えて陸軍内部の主導権を握った統制派の中心人物であったことは疑いようもない事実だ。開戦直前の1941年10月に近衛内閣を崩壊させ事実上のクーデターを起こしたのも誰あろう東条英機だ。これを「ただの開戦時の首相」などと言う人には、今一度歴史を紐解けと言いたい。
 他の問題でもそうだが、このようにして論議がいつの間にか核心からそらされていき、人の記憶から消し去られていく。靖国問題はまさにその典型である。このようなまやかしを許さないためにも、歴史の証言者が生存している内に、また人の記憶が消えない前にアジア諸国と日本による共同歴史認識作業が必要とされるのだ。

レバノン内戦取材ノートから 「ウォークマン」

2006-07-20 01:11:44 | Weblog
 「ママ、それを僕から取り上げないで。それを聞いていると心が落ち着くの」

 当時10代半ばであったクリストファー君は、ウォークマンで聞いていたテイプを取り上げようとする母親に懇願した。

 自室でウォークマンを聞く息子を見て、母親は好きな音楽でも聴いていると思っていた。ところが、近付いてみるとイアフォンから漏れて来る音は音楽ではなく、銃砲声ではないか。母親は驚いてテイプを取り上げようとした。

 「小さい頃から毎日こんな音を聞かされていやな思いをしているのに…」

 と言う母親にクリストファー君は、

 「だからもう僕の身体にその音が染み付いてしまったんだよ」と答えた。

 クリストファー君は1971年、ベイルートに生まれた。レバノンでは彼が4歳の時に内戦が始まり、彼はそれから日常的に戦闘を体験してきた。戦闘は家の周りで、通学路で、そして母親の経営するレストランで15年の間、起き続けた。

 彼がまだ10歳に満たない頃、レストランで客の1人が仲間の妻をピストルで撃ち殺す事件が起きて、母親が警察に何度も連れて行かれた。その度にクリストファー君は枕を涙で濡らした。

 レストランに居ついた野良犬リッタが、押し入ってきた武装グループに吠え掛かり射殺された時も彼は悲しさと悔しさで戦争を憎んだ。レストランにヒズボッラーを思わせる集団が押し入り、店にある酒瓶を全て破壊した後、「命綱」とも言えた自家発電機を持ち去ってしまったと聞いた時も戦争を心の底から憎んだ。

 そして、極めつけは、父親の暗殺であった。ベルギー国籍でかつて英軍に所属していた父親は、外国人排斥を謳うヒズボッラーの格好の標的となった。だが、殺された時、父は70代になっていた。持病もあり、一部のマスコミが言うようにスパイ活動ができる状態ではなかった。それは私も良く知っている。

 そんな思いをしてレバノンで育ったクリストファー君は、紆余曲折、いろいろあったが、数年前に英国に移住。大学教員の職を得て母親をベイルートから呼び寄せた。

 クリストファー君のように国を捨て海外に居を構えた人たちは内戦が始まって以来、数十万人にのぼると言われている。レバノンから海外に逃れる人の群れを見ていると、30年前、必死に船やヘリコプターにしがみついて命乞いをしていた人たちのことが思い出される。

 それと共に、そんな状況にあっても避難できないで、爆撃が終わるのをただじっと待つしかない貧しい人たちにも思いを馳せる。それは、30年前も今も変わらない。

 

彼の地に想いを馳せる

2006-07-18 11:35:10 | Weblog
 毎日気が重い。無力感でどうしようもない。時に無性に悲しくなる。涙が視界をさえぎることもある。

 私生活で不幸というわけではない。逆に、パートナーとは人生だから当然いろいろな試練はあるが、58年でもっとも充実な日々を送っている。だが、悲しいのだ。

 心の重さは、今戦火に包まれているパレスチナとレバノンの悲惨な状況から来ている。圧倒的な軍事力を持つイスラエルの爆撃に多くの無辜の市民の血が流れ、命が奪われ、街が壊されている。レバノンは、1975年から15年間、今のイラクよりもひどい状況で内戦が行なわれた。76年から2005年まで屈辱的な外国軍(シリアとイスラエル)の軍事占領も受けてきた。90年の終戦と共に、民衆は「もう戦争はたくさんだ」と立ち上がった。その想いは、奇跡的な戦後復興につながり、昨年シリア軍を撤退にまで追い込んだ。

 「ヒズボッラーに投票して政治の世界でも力を与えたレバノン人にも責任の一端がある」というバカな評論をしていたTV解説者がいたが、恐らく私は彼が目の前にいたら「何も知らずに無責任な発言をするな!」と、力ずくでも黙らせていただろう。こういう無知な発言やそれに踊らされた国際世論でこれまでどれだけの人たちが苦しめられてきたか、それを知っているだけに私はそういう連中が許せないのだ。

 ヒズボッラーが誕生する前から私はその指導者のナスラッラーたちが活動していたのを見ていたし、なぜ彼らがこれほどまでに勢力を伸ばしてきたのか、知っている。だから無責任な解説者の暴論に黙っていられない。

 ヒズボッラーは、その誕生を見てきた私に言わせれば、誕生するべくして誕生し、勢いを伸ばしてきた。その原因の多くを作ったのは、誰あろう、欧米やイスラエルである。パレスチナやレバノンの問題は、アラブ世界の成長に手を貸す振りをして調和を乱して国益を吸い上げてきた国々に責任の多くがあることを世界はいい加減に気付くべきだ。欧米諸国の関与が原因で生まれてきたのは、ヒズボッラーだけではない。その元となる、イランの革命政権もしかり、ハマース、アル・カーイダそれら全ての西側諸国が「テロリスト」とレッテルを貼る国や組織の誕生に間接的に手を貸しているのだ。

 それなのに、今になって欧米諸国はキレイ事ばかりを言い、「高見の見物」を決め込む。ロシアで開かれていたG8首脳会議などその典型だ。仏のシラク首相がレバノン政府を支持して注目されたが、この程度のことはかつての宗主国であったフランスとすれば発言してごく当然のことだ。それよりも、これまでレバノンが苦しむ原因の幾つかを作った責任を感じていたらもっと踏み込んだ発言や行動ができるはずだ。

 私のパレスチナやレバノンとの付き合いは30年以上になる。1970年9月、パレスチナ・ゲリラたちが4機の民間機を同時に乗っ取り、TVカメラの奥にいる世界中の人たちに窮状を訴えてからというもの、私の心には常に「パレスチナ」が重い存在になっている。

 パレスチナやレバノンにはこれまで何十回足を運んだか数えたことはないが、恐らく外国人ジャーナリストでは最も多い部類に入るだろう。現地では銃砲撃の中を共に逃げ惑い、恐怖に震えてきた。重病にも罹った。しかし、その状況の中で、いつも私を温かい気持ちにしてくれたのは、住民たちだ。砲撃で吹き飛ばされた時、自らの命を顧みず私に手を貸してくれた人たち。防空壕が満員なのに、私を奥に招じ入れようとしてくれた人たち。私にとっての命の恩人は数え切れない。

 その一方で、醜い姿を見せてきたのは、欧米諸国のリーダー達だ。イスラエルにばかり悪役を演じさせて、奥座敷からその“出来具合”を見ている。その姿は、かつてローマ帝国の上層階級の連中が、占領地から連れてきた奴隷(ユダヤ人を含む)たちを闘わせて喜んでいたものと私の目にかぶる。もちろん奇麗事を言う指導者達のテイブルの下には、国益をはじき出す資料と計算機が置かれている。

 イラク戦争同様、事情があって現場取材に行けない私の心は、落胆と怒り、そして悲しみでいっぱいだ。

 

最後のひと口

2006-07-17 11:26:03 | Weblog
 以前このブログで紹介したことのある、豚カツ屋のT氏から昨夜電話が入った。

 店を閉じてからT氏は元の職場に請われて再就職、忙しい毎日を過ごしていると報告を受けていただけに、なにかあったかと一瞬思ったが、故郷のマス寿司が手に入ったので届けてくれるという。

 今朝になってそれを届けていただいた。それを喜んだのは直子だ。

 「駅弁でしか食べたことがないからこんなちゃんとしたのは初めて」

 と、包みを開ける前から興奮気味。

 ひと口食べて、本当に嬉しそうな顔を浮かべた。よほど好きなのだろう。あっという間に全てをほおばってしまう私とは大違い。彼女はその後も小さく切ってゆっくりとひと口ひと口箸で運ぶ。これは、彼女の大好物を食べる時の特徴だ。

 そして、最後のひと口になると、包みにあった解説書を読み始めた。もちろん、私の「最後のひと口横取り計画」を警戒しながらだ。

 「う~ん、書いてあることは大したことなかった」
 そう言って最後の一片は彼女の口に運ばれた。

 良い休日の朝食だった。そして、友情に感謝!