浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

オリンピック誘致 石原知事の妄言

2006-08-31 09:30:57 | Weblog
 2016年に予定されている夏季オリンピックの候補地選びが30日に行われ、東京が日本の立候補都市となった。

 私には、東京でオリンピックを行う意味がさっぱり分からない。確かに42年前は、国民の多くが国立競技場に熱い視線を送り、繰り広げられる熱戦に心を熱くした。「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレー・ティームが、痛み止め注射を打ちながら鉄棒演技を続けた小野選手が、最後まで歯を食いしばった円谷選手が私達日本人のナショナリズムをくすぐり、それが「明日の日本」を創ることにつながった。

 だが、その代償も大きく、コンクリートで固められた東京の街から後になって悲鳴が上がることになる。あの日本橋などがいい例で、今になって上を通る首都高速道路を何とか移動させられないかと真剣に討議されている。また、あの時に始まった「ニッポン、チャチャチャ・ナショナリズム」は、その後成長し続け、今では中国どころか、米国でも「要警戒信号」が出始めるほどのものになった。だから、私は石原氏がオリンピック誘致に真剣になればなるほど嫌な気分になる。

 個人的には、オリンピック自体は大好きなイヴェントだから無くなって欲しくはない。だが、それはあくまでも政治的な意図とは無縁のところで行われてその価値が保たれるものだ。間違っても「国威発揚」に利用されてはならない。また、同じ都市が何度も行うことにも異論がある。まだ、アフリカ大陸や南米に五輪の旗が渡っていないのだからそちらにチャンスを与えるべきではないか。

 「アフリカや南米にオリンピックをやるだけの施設も金もない」

 という人は多いが、それなら世界中で支援して開催すればいいことだ。五輪の輪が三輪のままでいいはずはない。ブラジルのリオデジャネイロが手を挙げているのだから日本がそちらの応援に回る動きをすれば、開発途上国からの日本を見る目も変わってくるはずだ。だが、日本も欧米も自国で開催しようと躍起になっている。

 石原知事が、オリンピック開催に熱心なのは、オリンピックがもたらす経済効果とかスポーツ振興なのではなく、ナショナリズムの益々の発展にあると見ていた。

 すると案の定、石原知事は、馬脚を露わした。福岡を応援してきた在日韓国人2世の姜尚中・東京大教授が30日に行われた日本オリンピック委員会の国内候補地決定投票のプリゼンで、「東京は大阪の二の舞になる。金持ちによる金持ちのための大会で、世界に勝てますか」と批判したことに腹を立て「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念が無いとおっしゃっていた。何の所以だか分かりませんが外国人がわけのわからないことを言っている」と反撃したという。さらに、その後の祝賀パーティでも、「怪しげな外国人が出てきたね。生意気だ。あいつは」などと述べたという。

 石原氏が2016年まで都知事を務めていることはないであろうが、それにしても不愉快極まりない発言だ。私は別に姜教授の応援団ではないが、このことに関しては大声を上げて異を唱えたい。

福岡の飲酒事故を悼む

2006-08-27 00:17:32 | Weblog
 福岡市東区奈多の海の中道大橋で25日夜、大上さん一家5人の乗った車が酔払い運転の乗用車に追突されて海に転落、子供3人が水死した事故は、詳細が分かるほどに悲しさと怒りが増してくる。

 沈んでいく車から子供たちを救い出そうとする両親の必死な姿が本当に痛々しい。地元西日本新聞の伝えるところだと、父親が立ち泳ぎで二人の子供を抱え続け、母親はもう一人を救い出そうと、何度も潜っていたという。だが、両親も力尽きたのだろう。一度は抱えた二人の子供も最後まで支え続けられなかった。腕から離れて水中に消えていく我が子の姿を見る親の気持ちを思うと本当にいたたまれなくなる。

 それにしても憎いのは、酔払い運転の末に大上一家を奈落の底に突き落とした加害者、今林大(ふとし)だ。彼は市内のスナックで飲酒した後、酔払い運転。さらに、制限速度50キロのところを80キロ以上出して運転していたという。彼の泥酔ぶりは、事故現場にブレイキ痕がなかったということを見ても容易に想像が付く。そして、事故を起こした後、被害者の救助に当たるのではなく、その場から逃走をはかったのだから最低の男だ。

 こんな輩は、一生その罪を塀の中で償っているべきだが、現行法では、5年前に厳しくなったとはいえ、たとえ危険運転致死傷罪が適用されても、1年以上15年以下の懲役にしかすぎない。

 私は酒はたしなまないが、飲酒を悪とは思っていない。楽しく飲むのであれば、酒は人間関係の潤滑油。大いに皆で楽しめば良い。だが、飲酒運転となると話は別だ。日本では未だに、まあまあちょっとぐらい、と飲む方も勧める方も飲酒運転に対する罪悪感が薄い。そんな風潮に私は日常生活でも真っ向から反対する。先日も親戚が車で店に来ているのに飲もうとしていたので思い止まらせた。

 一時の快楽や開放感のために他人の命を犠牲にしてよいという考え方に、私はどんなことがあっても組することはできない。そういう意味では、北欧諸国の考え方に近いだろう。飲酒運転をした者を、たとえ事故を起こしていなくとも半年位ブタ箱に入れるのは常識というお国柄だからだ。

 私の友人の一人は、これは半ば笑い話に近いが、スウエーデンに行った折り、地元の人たちの過剰な歓迎から逃げ出そうと吹雪の中、明け方で車の往来もないから大丈夫だろうと、パーティ会場から宿泊ホテルまでの数百メートルをスノーモービルで走っただけなのにパトカーに捕まってしまった。彼は泥酔状態ではなかったが、そのまま留置されて数日後には裁判にかけられた。本当なら半年位服役するところであったが、多くの地元の友人たちが証言に駆けつけてくれたので、それで情状酌量されて1週間の留置で済んだという。

 日本でもこのくらいの厳しさで飲酒運転を裁いて欲しいと切望する。しかし、法律はすぐにこれ以上厳しくなることはない。ならば、私たち一人ひとりにできることはないのか。

 答えは、われわれが周りの人たちに「乗るなら呑むな」キャンペインをすることだ。すぐに全国レヴェルの動きが生まれることはないだろうが、それだけでも随分違うはずと私は考える。皆さんも御一緒にいかがですか。


 

私の視点 世代を超えて

2006-08-23 12:05:50 | Weblog
 19日には東京で『8月ぐらい戦争カタレ場』を設け、20日は埼玉県で『メディア・リテラシーって何~だ?子供も大人も一緒にワークショップ』の講師を務めた。

 「カタレ場」については、“設けた”といっても実際に企画から広報まですべて直子におまかせで、私がしたことと言えば、荷物運びと会場で机と椅子を動かしたことくらいのこと。後は、主催者ヅラをしていただけだ。

 準備期間もあまりなくて多くの参加者は見込めないだろうと、16人しか入れない会場を借りた。これが、参加者ひとり一人に「参加している」実感を持たせる空気を作り、参加者同士も親近感を抱ける雰囲気になった。

 集まった顔ぶれを見てびっくりした。ナント、下は17歳の高校生から上は86歳の元陸軍特務機関員まで。それも、直子の同世代である20代、30代は当然のこと、40代、50代、60代、そして70代の中高年まで、いわば社会的参加が可能なほぼ全ての年代が顔を見せたことになる。

 異なった世代を超えて「戦争」という重い話題を語るには、やはり雰囲気作りが大切と、普段から言う直子の言葉どおりだと実感した。私が企画すれば、このような集まりはとても作ることはできない。

 参加者の住まいも東京周辺だけに止まらず、広島や大阪から駆けつけてくれた人もいてまたまたビックリ。他の用事があったかもしれないが、嬉しい限りだ。広島の人は、直子の展示会に来場して以来のお付き合いだとのこと。大阪からの女性は、私のメイル・マガズィンの読者であった。

 全員の自己紹介から17歳の女子高生が、夏休みの課題研究をしている段階で直子のブログに行き着いて今回の参加になったことが分かった。隣にいる母親は、彼女の付き添いで来たという。私は親の子に対する過干渉には手厳しいが、この母親の判断は正しいと思う。戦争を語ろうという、まるで得体の知れない集まりに社会経験の少ない娘が参加するというのだ。まだ、危機管理を含めて“発展途上”の17歳の娘が大人の中に入って落ち着いた判断ができなくなる可能性は高い。「そんなところに行くな」と言うことは簡単だが、そうするのではなく、娘の意見を尊重しながらも彼女の安全には配慮している。

 集まりでは、中谷久子さん(http://hisakobaab.exblog.jp/)に戦争体験を話していただき、その後、私が「昔の戦争/今の戦争ー戦争は作られる」を話した。そして、参加者全員の自己紹介とクロス・トーク(自由討論)に移った。途中、戦時中に食べたというかぼちゃとサツマイモのつるの試食もあり、場は盛り上がった。2時間半はあっという間に過ぎてしまった。ただ、皆さん、それぞれが思いをたくさん持っておられる。とても話したりないので自然発生的に「二次会」をしようという声が上がり、主催の私たちを含め参加者の多くがそれから2時間近く、近くのレストランで楽しい交流会を持った。

 後になって女子高生から中谷久子さんの元に、彼女が中谷さんの話を課題研究に使わせてもらうとの連絡が入った。今回の集まりの大きな成果であった。

 20日のワーク・ショップは、呼びかけ方に問題があったようで、子供が集まらず、会場に顔を見せた二人の子供も運営委員である母親に“強制連行”されてきた雰囲気がありあり。そこで私は、2人を“釈放”して、急遽大人向けの内容に変更した。

 集まった人たちの大半が4、50代の女性だったから講師としてはやりやすかったが、やはり世代を超えて様々な考えが行き交う集まりに比べると、馴れ合い的な雰囲気になる。ただ、ワークショップを終えた後の質疑応答で出てきた世代間の軋轢の話題では、異様な盛り上がりを見せた。特に、団塊の世代への他世代からの厳しい目に私が言及した時、団塊の世代が「そんなばかな。私たちは他の世代から評価されて尊敬されているはず」という表情を見せる一方で、下の世代が、「そうだそうだ。団塊の世代は重すぎるのよ」と、声を揃えて私の指摘に乗ってきた。

 そう。団塊の世代は10代から40年余、突っ走ってきたから周りが見えずにいるのだが、他の世代、特に40代後半から50代前半の人たちから「独善的」と批判的な目を向けられている。だが、長年、おさえつけられてきたのがトラウマに近いものになっているためか、下の世代は団塊世代にハッキリと言えずにいる。それは、もっと下の世代にも波及しており、団塊世代に対する不満は世の中に充満しているのだ。

 社会が柔軟性を失わず、多くの人にとって楽しいものになるには、世代を超えた理解と協力が不可欠だ。私は普段からそう思っているが、今回、「カタレ場」を経験してますますその意を強くした。それだけに、我々団塊の世代が今後、どう他の世代と関わっていくか、大きな課題である。あと1、2年でどっと「時間をもてあました」団塊の世代が、間違っても大きな顔をして我が物顔で振舞うことだけは避けねばならない。

朝日さん はしゃぎ過ぎなのでは?

2006-08-22 11:07:33 | Weblog
 早実初V

 今朝の朝日新聞の朝刊を見ると、そんな見出しが優勝投手の写真と共に躍っている。「夏の甲子園」の主催団体である朝日が、早稲田実業高校の優勝に大見出しを打って扱うのはまあ許されることだろう。だが、7面も使って伝えることかと首を傾げざるをえない。しかも、朝日の顔である『天声人語』や社説までもが「早実優勝」だ。

 これまでの朝日の報道振りを見ていれば、早実人気というか、斉藤投手人気にあやかろうという意図はミエミエだったが、それにしてもこれが「日本を代表する新聞」かと、購読者である自分が恥ずかしくなるような報道振りだ。

 確かに、昨日のTV中継(NHK)の瞬間最高視聴率が、早実の地元である関東で37.1%、そうではない関西で22.1%(ただし、関西では朝日放送が中継しており、そちらは21.6%)と、午後1時スタートの試合としては異例の盛り上がりであった。朝日が、いわば、国民的行事だと言いたくなるのも分からないでもない。だが、報道機関は我々市井とは違う。たとえお祭り騒ぎの渦中にあっても、俯瞰する姿勢が必要だ。それらの記事に全て目を通したが、お祭りを盛り上げる記事はあっても、私が書いたような「冷めた目」は何ひとつ書かれていなかった。

 昨日、私は「甲子園」の日程と投手起用について疑問を投げかけた。読者からの反応は賛否両論であったが、私への反対意見は大方、「(我々の夢に)水をさすな」というものに集約された。まあ、予期されたものだから驚きはないが、私の言わんとした事が理解されないことへの失望はある。そこでもう少し、補足説明をさせていただく。

 まず、昨日の試合に関連することだが、朝日の今朝の記事を読むと、早実の監督が「肩がぶっ壊れちゃんじゃないか」と思い、斉藤投手を先発させるつもりはなかったという。だが、はり師の「いや、投げられる」という“お墨付き”と、本人の「大丈夫です」という発言に、監督は「腹を決めた」そうだ。また、讀賣でも、監督は4連投させることをためらったが、「自分でも驚くぐらい疲れがない」と感じた本人が先発を志願したとある。

 つまり、斉藤投手は驚異的な体力と精神力の持ち主であり、彼の身体を心配する周囲の制止を振り切って自らマウンドに向かったと新聞各紙は、斉藤君を褒め称えている。

 世の中には祭りが必要だし、英雄や強い指導者が世の中に強い影響を与えることはままあることだ。また、それを見て、我々が夢を見させてもらうこともある。勘違いして欲しくないが、私はスポーツの世界の英雄を否定しているわけではない。私自身、以前に書いたが、少年の頃からスポーツが大好きで、オリンピック期間中は心が躍り続け、たとえば、長野オリンピックでは、原田選手の活躍にもらい泣きした人間だ。

 だが、だからといって、それに酔いしれて「全て善し」とするわけにはいかない。特に、周囲の期待を一身に背負わされ、限度が分からずに頑張ってしまいがちな10代の若者であれば、なおさらのことだ。将来悔いが残るような可能性があれば、それは「大人」が知恵を使って思い止まらせるべきなのだ。特に、野球ティームの主戦投手になるようなスポーツ選手のほとんどは、強い精神力と責任感で行動する。限界を超えてでも頑張ろうとしてしまうものだ。そして、実際に多くの「甲子園を湧かせた」投手が、肩や肘を壊して、その後の野球人生を、周囲の期待に応えることなく終えている。

 もちろん私は主戦投手の心意気を否とする立場に立たない。むしろ、感銘を受ける方だ。なぜなら、それが青春であり、若さの特権でもあるからだ。また、そのひたむきな姿勢に心を打たれる。だが、いや、それだけに、私たち大人が若者を「温かく」見守り、時に違う道に導いてやる必要があると考える。

 斉藤投手と松坂大輔投手(横浜高校投手。現西武ライオンズ在籍)とを比べ、松坂投手のプロ野球での現在の活躍を取り上げ、斉藤投手の連投も大丈夫とする人もいたが、松坂投手の場合は、確かに同じように甲子園で4連投をしたし、17回まで投げたりもした。だが、17回を投げた翌日は、結果的に1回だけ登板したが、休養日扱いであった。

 昨日挙げた太田幸治氏だけではない。高校卒業後、甲子園の無理がたたって期待したほどの野球人生を送ることなく、肩や肘に問題を抱えてマウンドを降りたのは、荒木大輔、金村義明両氏など数え切れない。この際、是が非でも、昨日提案したような改革が行なわれるよう切望して止まない。

私の視点 甲子園狂想曲 『“進軍ラッパ”に踊らされ』

2006-08-21 12:31:28 | Weblog
 いやあ、いい試合でした、昨日の高校野球の決勝。早稲田実業と駒大苫小牧ががっぷり四つのまま、互いに譲らず15回を戦い抜き、引き分け。

 この両ティーム、大会前から何かと注目を集めてきた。早稲田実業は、WBC(世界野球大会)で優勝を勝ち取った全日本ティームの監督である王貞治氏の母校である。王氏は早実時代、投打の主力でエイスで4番打者。夏の大会こそ優勝できなかったが、春の選抜では全国一になったし、ノーヒット・ノーランの偉業も成し遂げている。その王氏と早実野球部との“秘話”が大会前、何度もマスコミで取り上げられ、嫌が上でも同校への関心は高まった。また、苫小牧の方は、夏の大会三連覇なるかという話題と共に、春の選抜は、三年生野球部員が飲酒や喫煙で警察に補導された事態を受けて出場を辞退したといういきさつもあり、これまた注目度は最も高いティームだ。

 その両校が決勝まで勝ち進み、決勝本番では、猛暑の中を延長15回まで熱戦を繰り広げた。その熱戦の勝ち負けがつかず、今日また再戦というのだから、高校野球ファンにとってはたまらない展開だ。いや、高校野球ファンならずとも、これに関心を持たなけりゃ非国民、とまで言われかねない空気が日本列島を包んでいる。

 「さあ、皆さん、午後一時にはTVの前に集まりましょう!」

 と、私も皆さんと一緒になって言わねばならない雰囲気だが、そんなことをしたら「浅井久仁臣」の名(認知度は別にして)が廃る。私はこの機を逃さず、この大会の持つ問題点を皆さんにぶつけたいと考える。

 「いい加減にしろよ、朝日新聞」

 私の怒りはこのひと言に集約される。それは、御存知のように朝日が夏の大会の主催者だからだ。朝日は、一部の高校野球ティームが長髪を禁じ、丸刈りを強制する雰囲気を看過してきた。紙面では通常、教育の現場ではそのような強制的な指導は止めるべきだという論調なのに、ことこの問題になると口をつぐんでしまうのだ。また、部員の不祥事による連帯責任を取っての参加辞退にも問題あり、とする意見も無視してきた。その点をつかれた時、朝日は「高野連のやることで(朝日が)口出しできるものではない」という言い方で逃げてきた。 

 だが、私の朝日に対する怒りはそれだけで収まらない。それは、主催者の大会運営の都合で、有能な選手生命を縮めているからだ。これまで何度も言われたことだが、大会運営は主催者の都合優先で、選手に過酷なスケジュールを強いている。中でも、勝ち進んでいくティームの主戦投手の体力への配慮の欠如は、人権問題といっても過言ではない。

「優れた才能をひと夏で潰すのか!」

 私は声を大にして、朝日新聞に問いたい。

 朝日新聞によると、早実の斉藤と駒大苫小牧の田中両投手が昨日の試合で投げた球数が、それぞれ178と165だ。昭和40年代まで、一試合で200球を超える投球は稀に見られた。だが、そういった玉数を投げることによって、多くの投手が肩を壊して、プロ野球に入っても期待通りの活躍を挙げられずに球界を去っていった。そこで、「肩寿命説」が球界に浸透して(米野球界で「100球が限度」とされたことにも影響された)、今では、「先発」「中継ぎ」「抑え」の分業制が常識になっている。だが、精神論が未だ跋扈する高校野球界では、旧態依然とした「マウンドに上がったら最後まで投げ抜く」が基本だ。

 今のところ、今日の試合に斉藤投手がまたマウンドに登るのではないかと言われている。そうなると、斉藤投手は、これで3日連続の登板だ。これは、人間の能力の限界をはるかに超えている。

 調べてみると、斉藤投手は、予選大会に関しての資料はないが、甲子園における6試合全ての試合に投げている。それも、一度だけ救援を仰いだが、その投手はワンアウトも取れずにマウンドを降りたので、全てのアウトは斉藤投手の手によって勝ち取られたことになる。

 この問題を朝日新聞にぶつければ、まず間違いなく、「関知しない事」という答えが返ってくるだろう。

 二人の「青春そのもの」を思わす力投と、両ティームの少年たちの頑張りようを見れば、思わず手に汗を握って応援してしまうだろう。だが、私は絶対にこの試合を観ることはない。それは、将来性に満ち溢れた選手がそうして「玉砕」していく姿を見るに耐えないからだ。

 私は、以前から書いているが、スポーツを愛することにおいては、他人に負けることはない。だが、いやそれだけに、そんな「壊れていくヒーロー」の姿を涼しい部屋で冷たいものを飲みながら観る気持ちになれないのだ。

 69年の夏、私は「世紀の一戦」にまさしく手に汗してTV観戦していた。あの時は確か、三沢高校の太田投手は18回を一人で投げぬき、翌日再戦のマウンドに登ったが力尽きてしまった。その太田投手は、後にプロ野球に入ったが、期待された活躍をすることなく球界を去った。

 そこで、私からの提案だが、長年この面で何ら改善されない現実を考えれば、やはりルールで規制するしかないだろう。60球以上投げた先発投手の連日の登板は認めない、球数は100球までといったようなルールを作れば、ティームの指導者は従わざるをえない。球場を複数にしたり、開催期間を延ばすなどの方法もないではな
いが、そちらの方が非現実的であろう。朝日新聞も人権問題を擁護する立場に立つのであれば、そのくらいのことはすべきではないだろうか。

 後、10分くらいで試合は始まる。観戦したい気持ちはあるが、これを書き終えたらそんな欲求を振り切って私は暑い街に身を投げる。

「8月15日参拝」は政権公約か

2006-08-16 23:56:36 | Weblog
 讀賣新聞によると、小泉首相は15日に靖国を参拝する前、調査会社を使って2度にわたって自らの「8月15日の参拝」に関して密かに世論調査を行なっていたという。

 首相周辺がどのような意図からこのような世論調査を行なったかは知る由もないが、記事では、7月下旬に調査結果を報告されると、「もう一度調査をやってほしい」と再調査するよう指示したとある。それは、この直前に昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされる当時の富田朝彦宮内庁長官のメモが明らかになったからだ。このメモの発表が靖国参拝に対してどのような影響をもたらすかを見たかったからそう指示したのだろう。そして、彼が予測したように8月初旬にまとまった再調査結果では、反対が賛成を大きく上回ったという。

 ただ、私が数日前に書いたが、このメモの発表時期は早過ぎた。発表直後に、嵐のごとくマスコミ報道がこの点に集中したが、1週間もすると途端に「露出度」が激減、世論に変化が見られた。特に、若者の間ではナショナリズムに対する評価が上がっていると言われているが、20代、30代は他の世代に比べて突出して賛成に回っている。

 そんな動きが小泉氏の最終決断に影響したかどうかはわからないが、小泉首相は敗戦記念日の参拝を断行した。いや、失礼“公約”を実現した。

 それにしても、マスコミの「小泉首相、公約実現」という報道の仕方は止めて欲しいものだ。私には「偏向報道」に思えてならない。それとも、政権公約が何を意味するのか、報道の現場に身を置くものが分かっていないかもしれない。

 首相または首相候補者が政権を取ったらどのような政策に取り組むかということを公約する政権公約は、一政治家や小政党が特定の人たちに実現を約束するのと違い、広く国民の利益になることが大前提だ。その点を認識すれば、今回の参拝のように、小泉氏が遺族会のメンバーや遺族に参拝を約束したことが公約と呼ぶに相応しいものであったかどうかは、容易に分かるはず。

 庶民の少なくない人数の人たちは、マスコミ報道に触れて、「公約を守る小泉さんは間違っていない」と思ったに違いない。それは、アンケート結果を見ても明らかだ。小泉さんを筆頭として、多くの政治家が論理のすり替えをしているが、マスコミもそれに近いことをしているということを自覚してもらわないと、いやそれを止めてもらわないと、日本がドンドンおかしな方向に歩を進めていくことになる。

8月15日の靖国神社

2006-08-16 00:31:36 | Weblog
 15日は朝早く起きて小泉首相の靖国参拝の模様を観ようとTVをつけたまま新聞を読んでいた。首相のこの日の日程を見ると、午前10時から閣議が予定されている。その後、千鳥が淵の慰霊祭に出席する予定とあるから、参拝は午前8時前後とみていた。

 7時半になると、官邸を出た小泉氏はほどなくして靖国に到着。参拝者の声援の中を「到着館」に吸い込まれていった。参拝を終えて帰途につく小泉氏の表情を見て、表現が汚いが「むねくそが悪く」なった。自己陶酔した人間は得てして醜悪な表情を見せるものだが、この日の小泉氏も例外ではなく、下衆特有の貧相な顔をしていた。

 参拝を終えて官邸で記者団の会見に応じる小泉首相を観ていて彼に対する不快感は、ますます高まった。彼の常套手段といえるが、相手の論点を微妙にずらして受け答えするやり方は、不快感を持つことはあっても耳を傾けようとは思わない。

 チャンネルを民放に回すと、東条英機の孫と言われる女性が出ていた。以前、何度か見かけたことのある女性だが、この人をなぜTVに出演させるのか、私は解せない。それも、祖父の重罪を認めて話すのならまだしも、堂々と擁護している。

 彼女もまた情報を都合よく捻じ曲げて話をする人だ。首相の靖国参拝と、他国の首脳の戦死者慰霊とを同列に扱い、「ブッシュさんがアーリントン墓地を訪れても文句を言わないのに、小泉さんが靖国を参拝すると反対する。おかしいではないか」といったような趣旨の発言をしていた。おかしいのはあなたですよ、と私はTV画面に向かって独り言を言ってしまった。

 日本の首相がA級戦犯の合祀されている靖国を参拝するということは、ドイツの首相が、ナチス首脳が合同で祀られている施設(そんなものはもちろん存在しない)を訪れるようなものだ。ドイツ人にどう思うかと聞けば、そのほとんどは、頭がおかしいのか、と聞いた私たちを相手にしないだろう。

 靖国問題一色の日本のTV番組をやめて、欧米のチャンネルに変えてみた。案の定、欧米のTV局の最大関心事は、レバノン情勢で、小泉首相の靖国参拝を報じている局は見当らなかった。

 昼過ぎ、昨年に続き、靖国神社に足を運んだ。あいにくの空模様であったが、参拝客の数は“小泉効果”であろう。昨年の倍くらいに見えた。同行した直子は、最初の内こそ緊張していたが、「もっと参拝客の間で真剣な話し合いなどが行なわれているのかと思った」と少々出鼻をくじかれた様子だ。

 境内で見た光景は、昨年と大きな違いはなかった。どれ一つをとっても皆さんに御報告するまでのものはなかった。ただ、一つだけ言える事は、マスコミ報道のせいであろう。今年は若者の姿が目立った。

映画になった昭和天皇

2006-08-14 23:30:43 | Weblog
 今日、ロシア映画『太陽』を観てきた。

 タイトルからすると、何か恋愛映画でも連想しがちだが、これが大違い。昭和天皇の戦時中から敗戦直後までの“姿”を描いたものだ。

 二重引用符で姿をくくったのは、制作側や天皇を演じたイッセー尾形が、関係者の助言は得ていたとしても、天皇の苦悩や思いといった真相を知る由もないからである。

 イッセー尾形は、有名になる前から大好きな役者で、と言うよりも、彼が日本テレビのお笑い勝ち抜き番組で最初に出てきた時から注目していた。彼ほど、年々凄みを増す役者は珍しく、毎回見るごとに新しい発見や驚きで楽しませてもらっている。今回も、さすがイッセー尾形だ。昭和天皇の喋り方から動作まで見事に演じ切っている。そして、その人間的魅力を観るものに伝える。

 銀座の小さな映画館で単館上映されているが、これが大人気。毎回立ち見が出るほどで、今日行った我々も一度入場券を買って整理券を手にした後、近くで2時間ほど買い物で時間をつぶした。

 聞くところによると、この映画の前評判は高かったものの、右翼などからの脅しがあるやも知れぬと恐れたのであろう。日本で配給する会社が中々現れなかったらしい。最終的にはスローラーナーという、特徴ある映画を専門に配給する会社が、名乗り出たが、正直な話、その会社の担当者もこんなに当たるとは思っていなかったのではないか。

 映画は、観る前は、イッセー尾形という、どちらかと言えば笑いを演技の核とする役者が演じることで、昭和天皇を笑いものにしようという魂胆かと思ったが、決して天皇を茶化しているわけではなく、現人神と言われて苦しんだ一人間としての様々な思いを見事に見せてくれている。その人間味溢れる演技に、思わず昭和天皇を可愛い男として好きになってしまいそうになるほどだ。

 こういう映画が自由に上映されない国は、やはり異常だ。今後この映画が時間をかけて全国興行されるだろうが、嫌な事件が起きないことを強く願う。

速報 小泉首相の靖国参拝

2006-08-14 21:45:57 | Weblog
 小泉首相が明日の「敗戦記念日」に靖国神社を参拝することに決めたようだ。

 私が得た情報では、15日の午前中が有力で、マスコミへの参拝時間の通知は90分前にされるとのことで、各社は早朝から取材班を現場待機させる。

 それにしても、唯我独尊、自分のことしか考えない御仁だ。これが、後の世にどんな影響をもたらすか考えてみたことがあるのだろうかと本人に会う機会があればぜひ聞いてみたいものだ。

 これまで毎年欠かすことなく参拝してきた靖国神社を、今年は、よりにもよって「8月15日」に訪れるという。確かに、小泉さんは政権に就く時、「8月15日参拝」を公約したが、それは支持者、特に戦死した元日本兵の遺族へのリップサーヴィス的なもの。遺族会のような一部の団体を除いては、そんなに真剣にとらえていなかったはずだ。それをマスコミを上手く利用して意図的に「政治化」してきた。その真意がどこにあるか、私だけでなく、多くの国民が知りたいところだ。

 これを聞いて、アジア諸国からどんな反応が出てくるか。それが、将来の東アジアにどのような影響をもたらすか、考えたことがあるだろうか。恐らく、そんなことは考えもしないだろう。私だけでなく、多くの国民が心配しているというのに、彼は今頃恐らく薄ら笑いを浮かべて、どんなスタイルで参拝するか想いを巡らせていることだろう。

 韓国の聯合ニュースによると、韓明淑(ハン・ミョンスク)首相は14日、「小泉首相の靖国神社への参拝強行が未来志向的な韓日関係を妨げている。(首相退任前に)参拝した場合、政府として強く抗議する」と述べ、参拝を牽制したという。

 韓首相はこの日、韓国人元慰安婦の女性らが暮らすソウル近郊の「ナヌムの家」を訪問した際、あえて靖国参拝に触れて発言した。

 現地からの情報では、韓首相は、戦前の日本による慰安婦らの強制連行についても触れて、「軍の慰安婦、強制徴用のようなものは、本人の意思に反し、反人道的だ」と批判。さらに、北朝鮮による日本人拉致被害者の問題について、「日本がめぐみさん問題を堂々と提起するためには、韓国に住む数多くのめぐみさんのような(日本に強制連行された)人々の問題をまず解決しなければならない」と述べている。

 こんな声を小泉さんはどう聞くのだろうか。恐らく聞こえていても、「人の、国の意見はいろいろ」とはぐらかすだろうが、「お先真っ暗」とはまさにこのことだ。韓国に増して中国からの反発は、超ド級のエネルギーを伴なって、日本列島を揺らすことだろう。それは、政治の世界だけではなく、軍事、経済面においても大きな影響が考えられる。

 私事だが明日は昨年に続いて、時間が許せば靖国に顔を見せようかと思っていたが、これでは行かずばならないだろう。皆さんも時間が許せば、子供を伴なって靖国に足を運ばれたし。ぜひあの「雰囲気」を味わい、そして、靖国問題だけでなく戦争のことを御家族で話題にしていただきたい。

 

小泉首相の靖国訪問

2006-08-13 01:22:16 | Weblog
 小泉首相が8月15日に靖国神社を訪問するか。今や、日本のみならず、近隣諸国も固唾を呑んで小泉首相の動向を見守っている感がある。

 そんな中、報道機関は様々に流される「X-DAY」の情報にいささかうんざり気味だ。当の小泉首相はと言えば、いつもの「都合の悪いことは聞こえぬ耳」と「心の内は明かさぬ顔」を記者団に見せて、「さあ、いつでしょう?」と煙に巻いている。

 9日午前も、敗戦記念日の8月15日に靖国神社を参拝すると明言した5年前の自民党総裁選での公約について、「公約は生きているから、守るべきものだと思っている」と述べ、15日の参拝を強く示唆している。その辺りからすると、15日の可能性が高いように感じられるだろうが、私の得た情報では翌日の16日という説が有力だ。党内からも反発の声が高い15日を1日ずらして各方面に対しての約束やメンツを考慮に入れた妥協案だが、あまりにも姑息だ。

 今回、昭和天皇の発言が初めて大きく取り上げられたが、これをスクープした日経さん、発表時期を間違えましたね。メモの存在が今頃発表されていたら小泉首相といえども「カエルの面に…」では済ませなかったはず。日経新聞がどんな意図でメモの内容を発表したか分からぬが、残念に思う人も少なくないはずである。

同時多発テロ未遂?

2006-08-11 10:23:38 | Weblog
 ロンドン警視庁は10日、英国発米国行きの航空機に対して破壊活動を企んでいたとして、ロンドン、イングランド南東部、バーミンガムで家宅捜索をし、24人の容疑者を拘束した。

 英国政府によれば、計画はかなりの規模のもので、少なくとも3機は確実に、もしかしたら9機が狙われていたという。英国内の「テロ警戒レヴェル」は最高の「critical(危機的)」に引き上げられ、全ての出発便の乗客の機内持ち込み荷物は最小限にされた。計画に使われる予定であった爆発物が液体であったということから、乳児用のミルクなどの飲み物も、持ち主に目の前で飲ませる措置が取られている。

 この情報の真贋については、今のところなんともいいようがない。イスラーム世界の状況を見れば、「いつ何が起きてもおかしくはない」から真実の可能性も高い。また、米英の置かれた状況を考えると、英政府がでっち上げている可能性も捨てきれない。言える事は唯一つ、アフガニスタン、イラク、レバノン、そしてパレスチナでは昨日も流血が繰り返されており、それに対する思いをこめて“どこかで”“誰かが”企んでいることは確かであるということだ。

「安いドラマ」と「安い議論」

2006-08-08 08:48:45 | Weblog
 読者から送られてきた情報で、亀田一家の父親と漫画家のやくみつる氏がTV番組でやりあう場面を観た。

 それは、「バトル・トーク好き」のTV朝日が仕掛けたもので、やく氏が先日の世界タイトルマッチを「安いドラマを見せられた」と発言したことに抗議する父親がゲスト出演していた。

 その格好からやく氏は明らかに父親を刺激して、話はまさにバトル・トーク。やくざそのものの言動でやく氏を恫喝しようとする父親と、それをからかうやく氏の「安い議論」となった。

 やく氏の勇気ある言動には賛同するが、このバトル・トークも、まさにTV局の意図するものである。TV局の嫌な面をまた見せられ後味の悪さが残った。

メディア塾講座 戦争の作られ方

2006-08-07 11:49:59 | Weblog
 昨日は主宰する『ピースメディア塾』の開講日。今回のテーマは、「戦争の作られ方」。現在も戦闘が続く、パレスチナ、イラク、レバノン、イラン、アフガニスタンの歴史を通して、欧米がいかに「戦争を作って」きたかを考える授業だ。

 大分前から時間をかけて作った大型の年表(写真参照)と、特製中東地図を前に紀元前から今日までの世界と中東の歴史の大筋を説明。そしてその後は、1900年初めから1948年のイスラエル建国までの年表を手渡しして、英仏米がどんな目論見で中東地域を占領し、分割統治をし、石油利権を獲得してきたかを話す。

 イラン、イラク、ヨルダン、シリアの国王が英国の手によって“作られた”存在であることを知り、驚く塾生たち。そして、クウェートが実はイラクの領土であったことも初めて聞いたようで、次々に知らされる「事実」に戸惑いさえ感じているように見えた。

 こうして長い歴史の中で世界の出来事を見ると、事実が浮かび上がって見えてくることがある。英米が常に戦争をしてきたかもみて取れる。ミルナー英植民地相(当時)は「帝国主義とはキリスト教的なものである」と発言したが、その頃まではキリスト教的帝国主義が、そして戦後は自由主義的帝国主義が世界を支配してきた。そして、それがままならぬと戦争という道が取られてきたのだ。いや、アメリカの場合はもっと悪辣かもしれない。それは、アメリカ経済そのものが、戦争がなければ成り立たない「戦争経済」になってしまっているからだ。

 その辺りのことを、3時間半かけて話をした。まだまだ私の話した事が塾生の中で理解され、醸成され、そしてかれらの身になっていくには時間がかかるだろうが、これが彼らの戦争を考えるきっかけ作りになればと力のこもる授業になった。

 



私の視点 「報道のTBS」はどこに行った?

2006-08-05 00:35:39 | Weblog
 「『薬物』仕掛け人金平会長の正体」
 ーカンムリワシ具志堅は「汚れた英雄」だった

 今から24年前の82年3月4日、主要全国紙の新聞広告と電車の中吊り広告に驚愕の見出しが躍っていた。全9ペイジにもわたる、協栄ジム会長の薬物疑惑のスクープ記事は、世間の度肝を抜いた。それはそうだ。カンムリワシ具志堅と言えば、世界タイトルを13回連続で防衛するという偉業を達成した、具志堅用高のことだ。その防衛の裏に薬物が暗躍していたというのだ。

 証言者の話では、薬物使用の依頼は、具志堅選手の他にも、上原康恒や渡嘉敷勝男といった世界王者のタイトル戦でも会長からされてきたと言う。

 記事では、協栄ジムのスタッフと、外国選手の世話役をしてきたトゥレイナーの二人が、金平会長の依頼を受け、睡眠薬や下剤、筋肉弛緩剤を使って相手外国人選手の運動能力を奪おうとしたとあった。ただ、実際に、それらの薬が使われたのか、またそうであったらタイトルマッチにどれだけの影響が出たのかといった点は結局分からずじまいになってしまった。

 週刊誌が発売された翌日、金平会長は「業界に迷惑をかけた」と会長職を辞任した。数日後、「事実無根」だと開き直ったが、時既に遅し。関係者が相次いで「会長から薬物工作を依頼された」と証言したこともあり、日本ボクシング・コミッションは事件発覚から2週間という異例の速さで、金平会長のジムオーナーとプロモーターの免許の無期限停止を打ち出した。

 当時の資料を見ると、このような事件を引き起こすボクシング業界の古い体質が取り上げられている。

 中でも多くが問題としたのは、日本のボクシング選手が全てジムに属さねば活動を許されず、またその所属も自分の意思で勝手に替われないシステムだ。新聞記事の幾つかは、それをまるで相撲部屋のような制度だと指摘している。そういうシステムだと、ファイト・マニー、テレビ放映権料、入場料収入は全て一度はジムの会長の懐に入り、そこから「分け前」として選手に渡される。相撲の場合であれば、相撲協会から位に応じて決められた給料が支払われるからまだましだが、ボクシングの世界では、選手に渡される金額は全て、会長の裁量にゆだねられている。
 
 それと、今も全く変わっていないが、試合を主催する興行主が選手の主催するボクシング・ジムというのもおかしな話だ。興行主は、当然のこととはいえ、会場の場所から細かい事業内容を決める権利を与えられている。相手選手のホテルもそんなわけで興行主が選ぶことになる。また、今回問題になった審判だが、興行主の“意向”を“理解”しない人は、端から相手にされないそうだ。審判は一般的に全てボクシングからの定期収入はない。他の仕事をしながら、お呼びがかかるのを待つ。審判のギャラは興行主から直接支払われるためその金額は明らかにされない。

 こうして見ると、「ホウムタウン・ディスィジョン(地元びいきの判定)」が行なわれるのは、システム的にも当然と言えば当然だ。

 ただ、薬物疑惑は現会長の父親が起こしたことであり、現会長は関係ないといする考え方もある。だが、「八百長疑惑」については、現会長も若かりし頃、片岡鶴太郎と共に鬼塚勝也を世界王者にするのにお先棒を担いだと言われている。業界で有名な、協栄マジックを使って「疑惑の判定勝ち」を収めた92年の一戦だ。また、協栄ジムとヤクザとの関係も、各方面の人に話を聞いてみると、ギョーカイでは周知の事実であった。興行面ではヤクザの世話になるのは半ば公然だそうだ。

 ちょっと調べてみただけで、これだけのことが分かった。TBSさんよ、これでもまだ、亀田一家から甘い汁を吸い続けるつもりですかい?かつて、看板にしていた「報道のTBS」の名が泣きますぜ。

 ただ、皆さんに注意しておきたいことがある。もうインターネットでは、金平会長を在日だという書き方をして持論を展開させようとする者が出てきているが、そういう見方は、本質を見えなくする。絶対に止めるべきだ。

お詫びと訂正

2006-08-04 22:53:30 | Weblog
 『TBSよ、毒入りオレンジ事件を忘れたの?』で、事件の首謀者が、「金平ジムの会長」としてしまいましたが、協栄ジムの間違いでした。訂正してお詫びいたします。