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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

松葉杖日記 ギター侍

2005-06-13 01:19:45 | Weblog
 ギブスも取れ、レッサーパンダの風太君以上に歩けるようになった私は、ギターケースに松葉杖を入れ、メディア塾会場に向かった。その格好は嫌が上でも人の目を引き、先ずは電車に乗る時、同じ松葉杖の若い女性から笑顔を向けられた。聞くと、彼女は筋肉離れで松葉杖生活になったという。
 同じ電車のドアが2つ離れた所に乗ったが、私に席を譲るものはおらず、彼女も立ちっぱなしであった。まあ、私の場合は、奇抜な格好が同情を誘わないのは分かったが、彼女に対しても乗客は見て見ぬふりで席を譲らない。それでも私には一人の女性が席を立ってくれたが、表情に疲れが見えたので固辞した。すると、案の定、彼女はすぐに眠りに入った。
 途中席が空いたので座ろうとしたが、若者やおじさんに席を奪われてしまった。一度は、「オッ!」と声を上げると若い女性が我に帰って席を勧めたが、その前に彼女は私と目が合っていながら自分が座ろうとしたので、私は彼女に「結構です」と言った。すると、中年男がさっと横から滑り込み席に座った。こういうときの中年男、普段はのろまだが体の切れは20代に変身する。
 乗り換えのときなどは相変わらず、私の前や横をすり抜けていく通行人が絶えない。同行したパートナーの怒るまいことか。私はひどい場合、杖をわざとぶつけたりする「瞬間芸」を持ち合わせているので落ち着くように彼女に言う。
 でも、終日晴れていたので、結構快適な一日を送る事ができた。雨が降ると、駅構内の敷石の一部がとても滑りやすくなり肝を冷やすだけに、それだけでもありがたい。途中、松葉杖を使う場面もあったが、着実な回復を実感できた。歩けることの幸せを味わえた一日であった。
 

メディア塾 熱血講師

2005-06-13 00:53:52 | Weblog
 今日(今になっては昨日)は第3回目のメディア塾。講師は、TBSの小嶋記者だ。小嶋さんは1期生にもっとも人気があった講師で、そこで再度登場を願った次第。それも、今回は「ヴィデオジャーナリスト入門」を担当してもらった。ヴィデオ作品の取材から編集までを面倒見てもらおうという大胆な企画だ。なぜ大胆かといえば、小嶋さんは現在、TBS編集部の筆頭デスクという立場にあり、そんな立場の人間に“義理人情”で講師役を押し付けるのは無謀としか言いようがないからだ。
 最近、世の中に「ヴィデオジャーナリズム養成講座」なるものが氾濫しているようだが、若者達にモノホンに触れさせたかったのだ。案の定、塾生達は小嶋節に熱中。2時間の講義の予定が、食べ物を持ち寄って腹ごしらえをしたとはいえ、「マラソン講義」に発展、終わってみれば時計の針は6時半を指していた。

仏女性記者解放から考えること

2005-06-13 00:12:14 | Weblog
 仏外務省は12日、イラクで拉致され人質になっていた仏女性記者フロランス・オブナさんと通訳のイラク人男性フセイン・サアディさんが5ヶ月ぶりに釈放されたと発表した。
 オブナさんは仏リベラシオン紙の記者で、今年1月、バグダッドで何者かに拉致されていた。拉致事件後、インターネット上にオブナさんの映像が確認されていたが、拉致実行者らの身元が判明せず、拉致が政治的なものではなく金目当ての犯行ではないかとの情報が有力視されていた。そういった事情から今回の釈放劇の舞台裏には多額の金銭が動いたのではないかと噂されている。
 リベラシオンという媒体は、現在は多額の広告収入を得る「ブルジョア新聞」との厳しい見方もあるが、73年に発刊された時の反骨精神は今も脈々と生き続け、独特の批判精神と辛口のコラムが特徴のメディアである。そんな反体制的なメディアでもフランス政府は他のマスコミ各社に対するのと同じ姿勢で対応し、今回の人質事件の解決に向けて最大の努力を続けてきた。
 これが日本だったらどうだろうかと考えてみた。例えば私のような政府に対して厳しい発言を繰り返すようなジャーナリストが同様の目に遭ったら日本政府がどのような対処をするかと考えてみたのだ。昨年人質になった3人の若者に対する政府の対応を見れば、大方の想像はついてしまう。政府は恐らくかなりおざなりな救援活動を行なうだけで、「自己責任」という言葉と共に救出を諦めてしまうに違いない。今だから言うが、ジャーナリストの橋田さんが襲撃された時、官邸(小泉首相側)から“オフレコ”で流された情報が、「橋田さんと日本共産党との関係」だったのだ。「だからなんなんだ」と聞き返す記者もいなくて、官邸詰めの記者からその報告を受けた一部の報道機関は“その線”を考えて、報道の内容をトーンダウンさせようとしたと聞く。
 この両政府の対応の違いは、両国の政治だけでなく社会全体の成熟度の違いにあるような気がする。イタリアの女性記者が人質になった時、国民の多くが政府に早期釈放に動くようデモを行ない、釈放されると大喜びしたが、その女性記者はバリバリの共産主義であったのだ。さらに、その記者が釈放直後、米軍の“誤射”を受けると、仏政府から派遣されたガードマンが自らの命を顧みず彼女を守ったのだ。これらのことを考えると、思想の違いを乗り越えて同じ人間として命の重さを考えられる視点が日本社会には決定的に欠けているような気がする。