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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

名前の表記

2007-01-31 13:42:35 | Weblog
 考える。ただひたすら考える。そして悩む。モンモンと悩む。そう、自分の名前の表記についていまだ決めかねているのだ。

 だからといって、別に一日中考えて悩んでいるわけではない。忙しい中、このことが頭から離れないのだ。

 サポーターの集まりで書き込まれた意見を見ながら考える、そして悩む。先ほども、陽だまりの中で見つめてみた。それに、面と向かって言われた意見やメイルなどで寄せられた考えを重ね合わせる。

 う~む。分からん。結局結論が出せないのだ。

カネのかからない選挙

2007-01-31 07:28:28 | Weblog
 「カネをかけない選挙」

 これを大きな旗印に掲げて実行しているが、それでもカネはかかるものだ。

 これまでに使ったのは、ヘッドフォン型のスピーカー、名刺、文房具の購入に1万円程度だが、これからポスターやパンフレットなどのデザイン料、写真撮影費、アド・バイク(後日その実態が明かされます)広告、印刷代など費用が嵩みそうだ。ただ、選挙期間中にかかる費用(選挙カー、ポスターや葉書の印刷代など)は、税金から補填される。

 選挙カーについては、公約しているように、街の中をマイクから名前を連呼して走り回ることはしないが、ワタクシ、2年前に「自動車→自転車生活」に変えたので運搬・移動手段が「アシ」か「ママチャリ」しかない。そこで、運搬・移動手段として使わせてもらうことにした。市民の皆さん、ごめんなさい。

 全てが「お友達価格」に依存しているが、それでも総額にしたら…う~む、まだ全貌が見えてこない。「目に見えない」費用としては、交通費がある。私たちは常に2人で行動しているので東京に行く(今の段階では結構多い)だけでもカネがかかる。昨日を例に取れば、「南浦和ー渋谷ー池尻大橋」間の往復に2人で2000円かかった。

 他の候補がやっているように、選挙事務所を借り、1年前から事前活動をすれば…う~む、これも皆さんがいくら実際に使っているかは調べてないので分からないが、私のかけるカネとは、金額にして一桁、いや下手をしたら二桁違うだろう。

 まあ、事前に活動するのは、建前としては選挙活動ではなく政治活動だそうだから選挙費用の実態はなかなか明らかにならないだろう。

 おいおいその実態が分かれば、それを明らかにしていく。

 自分で言うのもナンですが、私のカネのかけ方、かわいいものでしょ?

廃校が今

2007-01-31 00:52:41 | Weblog
選挙用のポスターやパンフレットのデザインの打ち合わせをするために都内に出かけた。
 
 デザイナーの事務所はなんと廃校になった世田谷の中学校。3年前に他の学校と統廃合された池尻中学校が「世田谷ものづくり学校」に生まれ変わり、「ものづくり系」の仕事を創業しようという区民の支援も行なっている。彼女はそこに事務所を構えているのだ。

 廃校を事務所?と眉に唾して足を運んだが、なかなか趣があるスペイスであった。なにせ廃校だ。何も無ければ、幽霊屋敷になりかねない。ところが、そこへ様々な作品が飾られると空気は一変、「文化」のニオイが漂う。

 建物の中にはカフェも入っており、昼食を摂りたかったが、写真撮影が予定されており、泣く泣くあきらめた。

 地元さいたまでも廃校にまでは至らないものの空き教室が増えていると聞いている。街の活性化という観点からも、この世田谷の試みは埼玉でも活かされるのではないか。議員になれば、こんな面にも目を向けていきたい。

あ~、時間が欲しい

2007-01-30 09:25:01 | Weblog
 日曜日に第二回目の「サポーターズ」の集まりを持った。

 大矢根さんの水先案内で、私からのお題がKJ法を使って話し合われた。ディベイトの要素も加味して行なわれたワークショップは熱を帯び、2時間の予定が4時間半。大矢根さんを始めとする支援者一同の熱意に感謝することしきり。

 お題は、私の氏名の表記を漢字のままにするか、それともかなにするか。そして、公開記者会見の開催の是非。

 名前の表記については、これまでに意見をいただいたのは50人をくだらないであろう。一度は漢字に決めると断言したものの、反対の意見が次々に出てきて、その熱意のエネルギーに押されて今一度、違った角度で意見をいただきたかったのだ。

 もちろん、集まっていただいたのは私のサポーター、つまりは理解者だ。だから意見が偏るという恐れもある。それを見抜いて大矢根教授、さすがである。ディベイトを手法に持ち込んだ。

 ディベイトというのは、御存知の方も多いであろうが、自分の意見を主張するだけでなく、反対意見でもあたかも自分の意見であるかのようにして主張・説得をしなければならない。その手法の長所は、「人と議論を分ける」ということで客観的な議論を行えるようになるということ。また、自分の意見を俯瞰してみつめ直し、より幅広い見方を持つことができる機会を持てるようになるということだ。

 「漢字派」と「ひらがな派」それぞれのグループが反対派に身を置いての議論も最初は少なくない人が、そのやり方に戸惑いを感じていたものの段々その手法に馴れてくるにつれいろいろな観点が口をついて出てきた。ところが、それを聞く内、そして家に帰ってから模造紙に置かれたポストイットを見る内、また「どちらにしようか」と悩みは深くなった。こうなれば、子どもたちがやる「どちらにしようかな、神様の…」手法に頼るかしかないか。

 さて、公開記者会見なり、公開討論会についてのワークショップだが、今はそれを書いている時間はない。今から都内に出かけて、ポスターや写真についての打ち合わせをせねばならないのだ。あ~、時間が欲しい。

朝立ち(ん?)

2007-01-29 12:15:12 | Weblog
27日は午前9時過ぎから南浦和駅東口で初の「駅立ち」。朝、駅頭に立ったからだろう、思わず(当たり前)、周囲に「朝立ち」と言ってしまい、「地金が丸見え(エッチな本性が見えてるよ)」とからかい半分に注意された。反省!

サポーターも10人来てくれ、ビラまきをしてくれた。僕の名前は連呼しないように、また出馬宣言も避けるようにと注意した後やってもらったが、「結構受取ってくれた」「全然だよ。みんな冷たい」と反応は様々。

僕はと言えば、このスタイル。と写真を見せる予定だったが、手元に無いので説明すると、マイクは一見すると歌手がコンサートなんかで使うようなもの。選挙参謀であるパートナーのアイデアだ。服装も週末だからキャジュアルにした。

配ったビラの出来栄えは、まだまだ素人の域を出ず、これから反応を見たり、周囲の意見を入れてヴァージョン・アップしていくつもりだ。

いずれにしても、まだまだ試験段階で、試行錯誤状態。こんなことで大丈夫かと思われるかもしれないが、これがシロートの皆で作り上げる選挙なのだ。

大型新人登場

2007-01-27 07:16:26 | Weblog
ある新聞記者に「大型新人登場」と言われた。

まあ、大型と言われても、身長も体重も平均的だし、バックにつく組織もなく、血液型もO型ではない。何をして大型?と言うことだが、まあ、考えるスケイルの大きさだったら全世界レヴェルだから、思い当たるとすればその辺りになる。

でも、それは見方によっては、大法螺、大風呂敷とも言われるもので人によっては胡散臭いものだ。でも、それがなくなれば、Don Quijoteの存在理由がなくなってしまう。だから、「大型新人」という言葉を甘受することにした。

また、この歳になって今さら「新人」というのも無いだろうと思ったが、これも選挙報道では普通に使われる言葉だから受け入れるしかないだろう。

それにしても、ケツがむずむずしてくるような形容の仕方だ。いや、別にギョウチュウに悩まされているわけではないので念の為。

ハチ公前で写真撮影

2007-01-27 01:13:47 | Weblog
25日にポスター用の写真撮影を渋谷駅前の交差点で行なった。

 ハチ公前の交差点でやったから目の前の交番から警官が何か言ってくるだろうと、セリフを用意していたが、ちょっかいは出されなかった。

 これまでの選挙のポスターとはイメージを大きく変えたいと思っている。乞う御期待。先ほど、カメラマンの橋本和典さんから連絡が入ったが、なかなかの出来栄えとの事。

 これまでの選挙のポスターとはイメージを大きく変えたいと思っている。乞う御期待。

深い悩み

2007-01-25 08:24:12 | Weblog
 悩んでいる。かなり深い悩みだ。

 カネの悩みか?

 う~む、否定はしないが、そういうことではない。

 自分の名前をどうしようか考えあぐねているのだ。

 ナニ?名前を変えたいのか?

 いやいや。そうではなくて、選挙に立候補する時の名前の表記について悩んでいるのだ。

 「浅井久仁臣」「浅井くにおみ」「浅井クニオミ」「浅井9203」「あさいくにおみ」……思いついただけでもこんな表記の仕方が考えられる。

 私の周りでは、漢字派が圧倒的に多い。

 ・それ以外の「浅井さん」は考えられないのです。
 ・浅井さんを支持する層を想像すると、「浅井久仁臣」なのでしょう。この漢字で浅井さんのイメージを確立している、40代50代は多いような気がします。
 ・ひらがなは選挙民に摺り寄っている感じがする。
 ・ひらがなは、プライドの高い旧浦和市民に抵抗感があるのではないか。
 
 しかし、その一方で、ひらがな派はこう言う。

 ・「浅井 くにおみ」派です。「くにおみ」の部分、特に「み」の部分にやんちゃな「笑顔」が含まれているように感じます。
 ・世の中の流れに素直に従い、ひらがなで。
 ・ネット社会ではひらがなでメイルの宛先とする人が多い。
 ・浅井さんの読者や、ジャーナリスト・浅井久仁臣を知っている人は、ひらがな表記に抵抗感あるだろうが、市議選レヴェルでは浅井さんを知らない人も多い。

 また、ネット社会を反映させた意見もあった。

 参考までにインターネットのヒット数
 浅井くにおみ=ヤフーでは566件 グーグルでは0件!!
 浅井久仁臣=ヤフーでは17500件グーグルでは19800件
 あさいくにおみではヤフーは267件グーグルでは42件
 内容的には浅井久仁臣が検索結果の量と質では群を抜いています。

 皆さんからの御意見をお待ちしています。

議席は男女半々

2007-01-25 07:57:56 | Weblog
 今朝の新聞報道によると、昨日の説明会に現れた立候補予定者は市全体で98名。私の住む南区からは17名だそうだ。定数が9(2月の議会で8になる可能性がある)だから今のところ約2分の1の確立の激戦区となりそうだ。

 私にとっては、激戦になればなるほどヨロシイ。それはつよがりではなく、「地域を変えよう」としているのだから、このような市民の関心を引く要因は歓迎だ。

 しかし、気になるのは、昨日の説明会の会場を見渡しても、女性の姿が少ないことだ。それが残念でならない。私は、地方自治体の議会から国レヴェルまで全てを先ず男女半々にしようと考えているから、これを読んでいる人たちには、「おなごよ、立ち上がれ。そして、おのこよ、まわりにいるおなごを後押ししろ」と言いたい。

税金の無駄遣いだよ、説明会

2007-01-25 00:36:21 | Weblog
 市議選立候補者のための説明会があった。

 会場は、さいたま新都心駅のすぐ近くにあるホテルの宴会場。受付の長椅子には区名が記され、南区と書かれたところに歩を進めた。

 氏名・住所を書くようにと言われたが、そこには不審者がへばりついている。何ヤツ?とガンを飛ばしてもひるむ気配はない。選管は彼をとがめることもない。と言うことは、結構顔見知りなのであろう。まあ、今回の選挙はとにかく喧嘩せずと心に決めているから何も言わないが、気持ちの悪いヤツだ。

 私が記入すると、さっとどこかに消えていったから何か収穫があったのだろう。“大物”になった気分で、選管に文句を言う気にもならなかった。

 会場には200人くらいの人が入っており、熱気が感じられた。だが、その顔ぶれを見ると、なんともまあ言い表しようのない御仁も大きな態度で鎮座ましましている。

 私は仕事の都合上、途中で退席したので全貌を語れるわけではないが、こんな説明会に何が意味があるのか、というのが率直な感想だ。宴会場を借りる費用、人件費を考えれば、はっきり言って税金の無駄遣いである。

 区選管単位でその区から立つ立候補者を対象に説明会をした方が、経費面でも実質面から考えても筋が通り、効率的だと思う。

朝立ち

2007-01-24 10:48:58 | Weblog
 写真家に選挙用のポスターを駅前で撮ってもらおうとその下準備のためにJR南浦和駅に先ほど、偵察を兼ねて足を運んでみた。

 いやいや午前7時半だというのに候補者の皆さん、張り切っている。駅の西口には、自民、民主、共産の候補者が、そして東口では、保守系無所属、民主党、無所属と群雄割拠状態で「朝立ち」していた。その活動方法もいろいろで、ある人はマイク片手に、またある人は地声で“政治活動”をやっている。通行人に手渡すビラも様々で、本格的なカネをかけたものからリソグラフで印刷したものまである。

 だが、概ね通行人は無関心だ。ビラを受取るのも50人にひとりという感じである。

 顔見知りの現職議員、土井裕之氏の顔もあった。彼は前回トップ当選を果たした31歳の好青年だ。土井さんはほとんど声を張り上げることもなく、自然体でリソグラフで刷ったと思われる「さいたま市民レポート」を配っていた。これなら当選するだろう。「XX党の候補者が幟に名前を書いていますよね。あれは違反だと思いますよ。政治活動で許される駅立ちは午前8時からですけど、皆その前からやっていますね」と助言もしてくれた。そして、「浅井さんのようなパンチのある方に市政に入ってもらえれば心強いですよ」と言ってくれた。

 年こそ違うが互いにスポーツをこよなく愛する二人だ。「1位2位を占めましょう」と私は彼に言い、健闘を誓い合った。

土手の花見

2007-01-24 10:22:19 | Weblog
 昨日は専修大学に直子と出かけた。「呼びかけ人」の一人で災害社会学者の大矢根教授に会うためだ。大矢根さんには、後援会の旗揚げ(キックオフ)で主賓(と言っても、その実態はKJ法を使った机上訓練の指導者)になっていただいた。

 次回(1月28日午後3時)の集まりの打ち合わせが主な目的であったが、話の流れの中で出てきた小噺や事例、そして独自の視点が興味深く、われわれは「米搗きバッタ」のようにうなづきっ放し。

 中でも2人ともうなってしまい、目からうろこが落ちてしまったのは、土手の花見の話だ。

 その時の話題は、「結果防災」だった。結果防災とは、災害社会学でよく使われる言葉で、早い話がいろいろな事をしている内にそれが結果的に防災につながっていた、ということだ。

 土手の花見は、結果防災の事例の中では秀逸なものだ。

 その昔、今では一級河川と言われる主要河川は、利水面や水害の面からは当然なことだが、軍事的にも重要な戦略拠点であった。それだけに堤防の決壊は致命傷になりかねない。

 そこで知将と言われる武将は、毎年堤防強化のためにあることを思いついた。それが、土手の花見である。

 冬の間、川の土手は霜が降ったり、中の水分が氷結して緩んでしまうらしい。そこへ、春を挟んで長い梅雨が来る。その時弱った土手が降雨と増水であちらこちらで決壊してしまう。ならば何か良い方法はないものかと考えられたのが土手の花見だ。

 土手に桜の木を植え、毎年春になると川の土手に何千何万もの人たちを誘(おび)き寄せ、その重さで土手を強くする。住民を幸せな気分に導き、さらに治水事業ができてしまう。これを結果防災の真髄だと言わずして他に何があろう。

 私達2人は帰りの電車の中で何度もこの話を思い出し、牛のように反芻しては膝を叩いた。

市役所へ

2007-01-24 00:14:59 | Weblog
昨日はさいたま市の危機管理室にお出かけだ。

数日前に電話で、さいたま市の防災対策について質問していると、若い職員が「その件についてはコミュニティ課に聞いてください」「それは、消防ですね」と、まるでやる気なし。しかも、小ばかにした対応をしたので「いや、一つの課を窓口にして伺いたい。それでは逆に伺いますが、どの課にそれをお願いすればいいのですか」と聞くと、「うちに来てもいいです」とのたもうた。

私は一市民だが、失礼な態度をする輩であれば、その相手がヤクザであろうと首相であろうと態度は変わらない。

「私は『災害に強い街づくり』を公約に掲げて市議選に立候補する立場の人間」と身分を明らかにした上で、口の聞き方、対応の仕方がなってないと諭した。

すると、「それじゃあ、○×さんがお会いしますんで」と、自分の同僚をさん付けだ。う~む、これは行儀作法から取り組むことになるかも…。

そして昨日。直子と共に危機管理室へ出向いた。対応に出てきた2人の主査は私達の姿を見て緊張の面持ち。

このおふたり、まだあまり災害対策をきちんと把握していないのか、次々に繰り出す私の質問に、あわわあわわ。年下の方が、私の資料請求に資料の山と取り組むが、普段のぬるま湯体質が露呈。出してくるものがなってない。

ただ、「私はあなた達と対立するために議員になるわけではないので一緒に取り組んでいきましょう。今回はこれを宿題と考えてください」と言って、危機管理室を後にした。

この危機管理室は、昨年誕生したもので課員は24人体制で地方自治体にしては相当本格化したものと注目されているが、う~む、これも実態は相当てこ入れが必要のようだ。

その足で消防の警防課に足を向けた。消火・救命救助の大元だ。その課長がACTNOW(私が代表をしていたヴォランティア団体)時代に付き合いの深かった人物である。姿を見せると大歓迎をしてくれた。

そして、立候補の話をすると、驚きながらも喜んでくれた。ACTNOW時代には最初、こちらにかなりきつくあたってきたが、それを乗り越えて親しくなっただけにいい雰囲気で旧交を深められた。

街頭演説用マイク

2007-01-23 01:40:05 | Weblog
 選挙スタイルは、その内容もさることながら、見てくれも重要とサポーター達からワークショップで声が上がった。そこで、街頭演説用の拡声器をどうしようかと考えてみた。

 発案者は、“選挙参謀”の直子であるのは言うまでもない。これまで広く使われてきた街頭演説用の拡声器はNG。いろいろ調べて取り寄せてみた。マイクはご覧になって分かるようにヘッドフォンと一体型。スピーカーは腰に付けるタイプだ。

 皆さん、どう思われます?

1月17日の神戸 読者のメイルから

2007-01-23 00:24:43 | Weblog
このブログの読者で、神戸在住の岩下竜さんに「1月17日の神戸」報告をお願いしたところ、快く書いていただきました。

以下、岩下さんの「阪神・淡路大震災 12年目の素顔」報告です。


 先日、メイルをさせて頂いた岩下です。前回のメイルで発言したとおり、昨日は神戸を散策しました。残念ながら生憎の天気のため行動範囲が狭まり、長田区にはいけませんでした。

 散策する前に、良くも悪くも評判のYouTubeで震災当時の映像を検索してみました。すると、震災発生から10周年(2年前)の際に読売テレビで放送された震災番組がありましたので、それを見ました。今まで見たことのない映像に正直圧倒されました。その当時の光景を目に焼き付けて、すっかり復興した近所を散策し、震災の教訓とは何かを考えてきました。少し長いですが、お時間のあるときに読んでいただければ幸いです。

①復興過程で生じる明暗について

 新聞には今なお震災の傷を背負っている人たちについて報道されています。仮設を出られない人、過大な債務を背負った人、孤独死をする人、などです。一方で、復興した街並みは新興住宅地のような清潔さがあり若い家族が住み、幸福を謳歌している面もあります。とりわけ、私が住んでいる東灘区より東側はその傾向が強く、震災時に苦労していた面影は見えません。事実、東灘区は震災前よりも人口が増えるほどに回復し、これは震災後に来た移住者が多くを占めているでしょうから、生まれ変わった街のように見えるのだと思います。

 震災で得たものとして「命の尊さ」「絆」「地域の助け合い」という言葉がアナウンスされていました。確かに、行政そのものが麻痺した当時はお互いが助け合い、支えあうことで苦難をしのいできたのだと思います。都市生活の中で失われつつあった地域社会の大切さが、震災を機に再考されたことは、まさに震災で得たものだったのでしょう。つまり、震災の教訓は「地域社会の大切さ」だということになります。この地域社会というものが12年経った今も大切に捉えられているのでしょうか。

 神戸という街は、よそ者の私の印象としては貧富の差が激しい街のように思います。一方では関西屈指の高級住宅街であるのに対し、また一方ではの集落がある。、という言葉は関東の私には馴染みのないものでしたが、神戸に来て、数度、耳にしました。個々の家庭の財力の差というのは、復興速度にも出てくるのでしょう。立派な新築で暮らす人たちがいれば、未だに仮設を出られない人たちがいる。震災という不運に巻き込まれながらも再起しようと決意をし、しかし、復興の波に乗り切れない弱さを認識させられる。こんなとき、私などには及ばないほどに、悔しい感情がわきあがるのかもしれません。

 震災の教訓としての「地域社会の大切さ」は、まだまだ教訓になりきれていないように思います。


②子供の防災教育について

 近くの小学校では児童による炊き出しが行われました。また、知人の話によれば、同じ市内の別の小学校では普通の防災訓練が行われているようです。今の小学生は震災を知らない世代になるわけですが、特に、神戸ならではの防災訓練というものは、後者の小学校においては行われていないようです。さいたま市の小学校ではどうでしょうか。私は、新聞に報道されていた「児童による炊き出し」は良いアイデアだと思います。

 震災当時の映像を見たとき、消防や警察、行政で対応しきれない状態が大災害なのだ、と感じました。したがって、自分や家族、地域を守るのは自分たちなのだ、という自助、共助の必要性は震災の教訓だと思います。震災は便利な都市生活を提供してくれるインフラを破壊します。当然、住民はしばらくインフラに頼らずに生活しなければなりません。子供たちも例外ではないはずです。いわば、サバイバル生活を強いられるのです。また、避難所は域外ボランティアスタッフを待って運営されるものではありません。避難所に駆け込んだ避難者が積極的に運営できてこそ、地域防災だと私は思います。一度でも被災した人であれば、避難所というものがどういったものかが分かるでしょうが、震災を経験していない子供たちはそれを知りません。震災を経験した大人たちが子供たちに伝えられること、それは、避難所経験ではないでしょうか。

 インフラが停止した状態での避難所運営として、火のつけ方や基本的な炊事。また緊急時のトイレマナーなど、インフラが停止した状態の体験や避難所疑似体験のようなものを課外授業としてあれば面白いかと思います。また、自分でできる応急手当なども必要だと思います。学年に応じて適切なプログラムが組めないものでしょうか。これは、将来の有力な災害ボランティアを育てる教育でもあると思うのです。災害救援ボランティアを育成する団体では似たようなことが行われているようですが、どうもリーダーを育てることがメインのようです。そうではなく、市民一人一人が、逞しく都会サバイバル術を身につけることも、地域防災として大切だと思いました。いっそのこと、行政や公教育に任せるのではなく、災害ボランティア団体が積極的に企画、実施して、主要な事業にするのも検討していいのではないかと思います。

他にも、都市部における災害対応についてなど、いくつか思い浮かぶことがありましたが、今回は、この辺で失礼させていただきます。また何か発想が浮かびましたら、迷惑かもしれませんが、メイルさせて頂きます。