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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

塾の先生は18歳

2005-03-31 00:17:14 | Weblog
 先日のこと、大学受験を終えたばかりの「18歳」がスーツ姿で顔を見せた。初のスーツ姿に驚きの表情を見せたのだろう。私が質問する前に彼女は「種明かし」をした。
 「これから塾の先生よ」
 彼女はちょっと得意気に気取って見せた。
 「え、君が教師?コスプレごっこかい?」と驚く私に、
 「失礼ですね。正式の先生ですよ。きちんと試験にも受かったんですから…。でも、生徒や親には学生であるということは内緒。25歳以上という事になってんですよ」
 と、茶目っ気に応えた。
 いい加減なものだ。塾の実態はいろんな人間から聞いて知ってはいるが、これほどひどいとは思わなかった。彼女は確かに小学生の時から英会話を勉強しているから会話能力はあるものの、「文法なんて大嫌い。教科書も嫌」と公言するほど大の文法嫌いで苦手としてきた。しかも、ひと月前まで大学受験していた立場だ。英語の実力どころか、教育のイロハも分かっていない。それが、塾で文法を教えるというのだから笑い話の世界だ。塾の宣伝に踊らされて子ども達に大金をかける母親達よ、これが塾の実態ですぜ。

JR烏合の衆物語

2005-03-25 11:01:37 | Weblog
 23日、首都圏を走るJR東日本の京浜東北線の電車が車両故障を起こし、車内の1,000人を越える乗客が2時間半にわたって車内に閉じ込められる事故があった。
 いつも書いているように、機械が故障したり、人間が失敗をすることは、我々の日常生活について回ることである。問題は、事故を起こさないための対策と事故を想定してのシステム作り、それに事故が起きた時の対処の仕方だ。しかし、JRさん、これまで私が指摘してきた通り、その何れもが弱点で今回もその弱点を露呈した。
 まず、事故を起こした問題の209系の電車の構造だが、90年代前半に「軽量」「完全空調」を売り物に華々しく登場したのは良かったのだが、それまでの電車よりも寿命が極端に短かったことから使い捨てカメラ「写ルンです」を文字って「走ルンです」と揶揄されたり、窓が密閉状態であることから圧迫感を訴える声もあった。そんな曰くつきの電車なのだ。私は、その電車に初めて乗った時、窓一面が一枚のガラスで埋められているのを見て、事故の際に外に出られるのか、と不安を覚えた。すると、デビューから数年した頃のことだったと思うが、横浜辺りで「車内異臭騒ぎ」があって、窓が開かないことが問題になった。
 私はその後、JRが何らかの改善を行なってきたと思っていたのだが、ナント、「209系」はその点が改善されないまま使われ続けてきたらしい。その理由は、恐らく改善には多額の費用がかかるためであろうが、命に関わることを「金がかかるから」といった理由で放置するのは、公共交通機関としては無責任である。案の定、今回、窓が開かなかったために車内は蒸し風呂状態になり、乗客が次々に身体の不調を訴えた。一部の乗客は、駆けつけた救急車で病院に搬送されたが、我慢を強いられた乗客数十名は電車の中でじっと耐え、蒲田駅に着いた時には人の目も気にせずにホームにへたり込んだり横になってしまった。
 24日、事故の発生地点(大田区中央3丁目)に行って見たが、風通しもよく、もし窓が開けられたら乗客はあれ程の苦しみを味わう事がなかったように思われた。この日の東京の最高気温は15度。当時は、10度を多少上回った程度の気温だった。
 さて、そこで生まれた幾つかの疑問をJR東日本広報にぶつけてみた。すると、電話口に出てきたマスヤと名乗る社員の無礼かつ無知蒙昧としか言いようのない返答。これには久し振りに私も怒り心頭に発した。
 まず、件の社員、状況をきちんと把握しておらず、まともに答えられないのだ。そして、こちらが質問をしているのに、「ご意見は承っておきます」とのたもう始末。こんな社員をきちんと教育せずに外部対応をさせる課長を叱ってやろうと、電話口に出させようとするが、昨日一日「会議中」を理由につかまらなかった。
 現場と事務方は違うと見るべきかも知れぬが、安全管理を担当する者も外部に会社の広報をする者も「同じ穴のムジナ」の喩えそのまま。危機意識のかけらもない烏合の衆だ。
 同じ時間、埼玉県川口駅で私のパートナーが事故の影響を受けて大変な思いをしていた。それも、JRの対応の悪さが大きな原因となったという。例えば、駅員は状況を伝える情報を的確に出す事すら出来なかったらしい。彼女はJRに頼っていられないと機転を利かしてタクシーに乗り、次の赤羽駅に行き埼京線に乗って職場到着が多少の遅れで済んだようだが、多くの客はJR職員を信じたがために後れを取り、会社や学校に大幅に遅れて着いたようだ。
 毎度のことだが、こんな“小さな”事故でさえ機能不全に陥り乗客の安全が担保できないようでは、大地震などの大規模災害で安全対策が上手く機能するはずがない。不安だらけだ。でも、影響力のあるマスコミが一大キャンペーンをはって徹底的に叩く位のことをしなければ、重い腰を上げることはないだろう。

インターナショナルスクールの光と影

2005-03-23 12:36:46 | Weblog
 最近受けた教育相談から:

「先生ね、XXXってどう思われます?」と、母親は席に座るなり、あるインターナショナルスクールの名を上げて聞いてきた。
 知っているどころか、ここのところ、何人かの子ども達のことでかかわりの出来た学校である。だが、取り敢えずはその母親の話を聞くことにした。すると、その学校がまるで「夢の学校」であるかのように目を輝かせて言う。
 「XXX」「インターナショナル」「アメリカ人の子ども達」「グローバルな教育」…こんなキーワードが彼女の口から輝きを放ちながら発せられてきた。恐らく、私が子を持つ母であったら興味を持ってしまったかもしれない、そう思わせるほどのほれ込みようであった。
 「XXXという名前からあなたはXXX大学を連想していませんか」
 私は、話し終えた彼女に聞いた。そして、それらの言葉から連想されるイメージに彼女が惑わされていることを指摘した。
 その学校は、XXX大学とは縁もゆかりもない、埼玉にある小さな学校である。確か創設者が、カナダのブリティッシュ・コロンビア出身か何かというだけの話であったような気がする。インターナショナルと名付けるくらいであるから確かに授業は英語を中心に行なうが、小学校は生徒が少ないため、4・5・6の3学年の生徒11人で1クラスを構成し、担任は日本人である。その教師とて、生徒に「本当は日本語の方が楽なんだよね」と言うくらいだから、NATIVEとは言い難い。生徒にアメリカ人の子どもはおらず、ほとんどは日本人と韓国人だ。米国の小学校では、英語が不得意な外国人の子どものために「ESL」という特別英語授業を提供するが、そのスクールではそれすらない。つまり、英語が分からない小学生でも入学させ、他の生徒(中には、帰国子女や親が外国人のケースもある)と一緒に教えている。途中から入った子は当然、チンプンカンプン、どうしていいかも分からないまま学校に通う。
 そんな話をすると、母親の“インターナショナル熱”は一挙に冷めて行き、冷静さを取り戻してくれた。聞くと、彼女には今春公立中学に入る小学校6年生の1人息子がいるが、周りにいる同学年の子ども達が次々に有名私立中学への入学を決めていくのを横目に見て焦りを感じていたらしい。そこへ、誰かがインターナショナル・スクールの話を持ってきたから「これだ!」と思ったのだ。
 有名人の中にも「日本の学校はダメだから」と決め付けて、インターナショナル・スクールに通わせる人たちが増えてきていると聞く。恐らく、親達に未だ「横文字」や「ガイジン」に対するコンプレックスや幻想があるのだろうが、親達には自分達のコンプレックス解消や果たせなかった夢を実現するために子ども達を使うんじゃないと強く言いたい。

優先席の子ども達

2005-03-18 00:32:57 | Weblog
 電車に乗ると優先席に小学校高学年と思われる少年が2人。塾通いらしく、有名進学塾のかばんの上に問題集を置いて問題を出し合っている。立っている乗客も多く、高齢とまではいかないが、60代と見受けられる人たちも周りにいた。
 優先席に座ることに何ら罪悪感が無いようで、目を合わせた私に一瞥をくれただけでまた問題集に目を落とす。そして、「ロシア革命のリーダーは?」等と問題を出し合っている。
 私はたまりかねて2人に話しかけた。
 「君たち、この『優先席』という意味は分かるよね?身体の調子が悪いの?」
 しかし、2人は無反応であった。
 私は、優先席の意味を簡単に説明し、「はっきり言おう、君たちにはここに座る権利はないと思うよ。周りに立っている人たちは、君たちよりずっと年上で、座りたい人も多いはずだ。なのに、元気な君たちが大きな顔をして座っているのはおかしいんじゃないかい」と言った。
 彼らの口から謝罪の言葉どころか、ひと言も言葉が発せられなかった。しかも、席を立つ素振りも見せない。
 私は彼らの通う塾がある駅で降りて話し合うことにした。電車の中でその旨を告げると、私の隣に立っていた私より年配の男性が「君たちは優先席の意味が分かってないんじゃないのか」と声を掛けてくれた。
 下車をしたら逃げ去るかと思ったが、彼らは素直にホームの隅にまでついてきた。
 「君たちは何のために塾に行くの?」
 私の質問の真意を測りかねたのだろう。2人は黙って私を見ていた。
 「イイ大学に入って、イイ会社や官庁に就職するためなんだろうね?でも、他の人のことなどどうでもいい君たちが偉くなったら世の中良くなるかな…」
 とその時、階段の下からベイビー・キャリアーをワッセワッセと運び上げようとする母子が私の目に入った。
 「ちょっと待っててな」
 私は2人にそう言うと、母子の元に駆け寄り、キャリアーをホームまで運び上げた。
 「今のは偶然起きたことだけど、世の中にはこういう他人の助けがあると嬉しい人たちがたくさんいるんだよ。君たちが座っていた席の前に目の不自由な人が座っていたけど、気付いていた?」
 2人は首を横に振った。
 「ほらね。あの男の人は席に座れたから良かったけど、そうでなかったとしても君たちは恐らく気付かずに優先席に座り続けていたんだろうね」
 「君たちは、これまでこういうことをきちんと考える機会がなかったんだろう。でも、これからは違うよ。社会の一員として物事を考えてみよう。君たちのような優れた才能を持った子が社会貢献してくれたらきっと日本は良くなる」
 そこまで言って肩に手を掛けると、一人の子が両目に大粒の涙をためた。そして、素直な表情で謝った。もう一人も涙こそ流さなかったものの歯を食いしばって頭を下げた。
 この2人は、単に「考える生活環境」を与えられてこなかっただけの話だろう。ちゃんと彼らの目線で話すと、理解してくれた。彼らと分かれた後、塾に急ぐ小学生の集団を見て、受験で縛られて「こころ」を失っていく子が多いとただ嘆いているのではなく、この辺りにヒントを得て何かネットワーク作りをしていかねばならないと痛感した。
 
 
 
 
 

私、のど自慢のファンです

2005-03-16 01:42:44 | Weblog
 私は、意外に思われる方がいるが、NHKの「のど自慢大会」のファンである。「小市民的」と言われようが、「偽善に満ち満ちている」とけなされようが、日曜日の午後のひと時、時間があれば、チャンネルを合わす。
 先週末、年に一度の「チャンピオン大会」の模様が放送された。各地でチャンピオンになったのど自慢が一堂に会したのだ。参加者の中には、ロンドン大会の優勝者であるイギリス人の顔もあった。
 この番組の長寿の秘訣の一つに、参加者の“秘話”の披露があげられる。時に、ホントかいな、と思う話もあるが、いつの間にか聞いていて頬が緩んでしまうのだ。そんな自分が嫌になりかけたこともあったが、今では、好きなものは仕方がないだろうにと開き直っている。
 この日、私の心を揺さぶったのが77歳になる男性。身体が不自由になって入院している妻を毎日、弁当を作って見舞っていると言う。右半身の自由が利かなくて短気になってしまった妻の心を和らげようと、自分も左手で食事をする訓練をして上手に使えるようになり、妻の顔に微笑を浮かべさせたと誇らしげに語っていた。
 私は、いくつになっても連れ合いと仲良くしているカップルを見るのが何よりも好きだ。自分自身が離婚経験者だけに、それが何よりも羨ましいし、見ていて微笑ましい。「今度こそは自分も」との想いは人一倍強く持っている。
 その77歳の男性が何を歌ったかは覚えていないが、病床の妻のために熱唱する姿は、雄雄しく、そして美しかった。
 ちなみに私はこんなことを書いているが、本当は発表する立場にはない。これまで一度もNHKの受信料を払ったことのない、今話題の「受信料不払い」の“超ヴェテラン”なのだから…。
 
  
 

パチンコ屋で会った被災者

2005-03-14 00:18:07 | Weblog
 本日、パートナーは一日原稿書き。私はと言えば、小遣い稼ぎにパチンコ屋。駅前にあるそのパチンコ屋は今日は満員。遊ぶ、もとい、稼ぐ台を探すのに苦労して、ようやく一台の台にありついた。
 その台は、どうやら「ハズレ」であったようで、1万円をつぎ込んでも当りが出る気配がない。隣に座ったおばあちゃんも調子が出ないようで「もう、3万使ってしまった」と嘆くことしきり。それはそうだろう、一日の小遣いとしては3万は大金だ。
 そのおばあちゃん、しきりに台を叩く。どうして叩くかと聞くと、画面の絵柄が動くからだというのだ。その内、本当に彼女の“叱咤”にショックを受けたか、画面の魚が急に飛んで「大当り」となった。
 「ほらね」
 嬉しそうに、そして誇らしげに彼女は私を見た。そんな彼女に「コンピューターだから叩いても関係ないよ」と言うのは意地悪だろう。私はウンウンとうなづいた。
 「おめでとう!」と言うと、得意満面の笑顔となった。そして、その後、彼女の台は大爆発。パチンコ玉を入れる箱が10箱近くになった。
 しかし、その直後、それまでウンでもスンでもなかった私の台も「大フィーヴァー」。彼女に気遣って軽く台を叩くふりをしたのが良かったのだろう(?!)。私の後ろには彼女を上回る数の箱が積まれた。
 途中、自販機でお茶を買っておばあちゃんに差し入れると、急に「新潟の十日町はご存知ですか」と聞いてきた。話を聞いて驚いた。彼女は十日町の住民で、新潟中越地震の被災者だと言うのだ。自宅の崩壊は免れたが、余震の影響を心配した息子が、彼女を浦和の自宅に呼び寄せたのだ。
 一時的に十日町に戻ったものの、今度は年末から降り始めた豪雪で閉じ込められてはと、再び浦和に来た。だが、故郷で気ままに一人暮らしをしていた彼女にとっては、都会生活、しかも嫁との同居は決して気楽なものではないらしい。そこで、ついついパチンコ屋に足を運んでしまうようになったという。
 しばらくして、「当り」が出なくなり、持ち箱が減り始めると、彼女は帰り支度を始めた。「早く十日町に帰れるといいですね」と声を掛けると、「もうちょっとの辛抱だから」と、曲がった腰を精一杯伸ばして席を離れていった。
 

もみじの葉っぱ

2005-03-12 18:49:30 | Weblog
 ある幼稚園の卒園式なるものに呼ばれて行ってきた。100名を超える園児が約2時間、集中してセレモニーの主役を立派に果たしたことに驚きと共に感動を覚えた。また、腹の底から声を出して歌う姿に若駒の力強さを見る思いがした。
 父兄の席を見ると、母親だけでなく父親の姿も少なくなかった。良いことだ。子育てに父親がきちんと参加せずしてバランスの取れた教育環境は生まれない(母子家庭を否定しているわけではないので念の為)。その父親の幾人かが、子の晴れ姿を見て、目を潤ませている。我々の世代は、「男は泣くな」と育てられた。だから、このような席に臨んでも感情を忍(お)し殺す。だが、ハンカチやティシューを目や鼻にやる父親達を見て誰が醜い光景と笑うだろう。いや、年上の私が見ても素敵な光景だし、第一、そんな父の姿を見たら子供も嬉しくなるのではないだろうか。
 来賓としての挨拶で、私は、人間いくつになっても失敗の連続、命を閉じる時まで成長するものだと五十路半ばにして実感していると話し、今日の感動とこれまでに見せてもらった子供の笑顔と泣き顔に感謝して、子と共に成長し続けて欲しいと語りかけた。そして、間違えても“お受験”で子供たちを“壊さない”でと呼びかけた。
 うなづく親達も多く、式が終わってから式辞のお礼を言いに来る親もいた。先生の中に、「言いたいことを代わりに言っていただきました。ありがとうございます」と言ってきた人もいた。そして、さらに嬉しいことに、帰り際に園児達が満面の笑みで私を送り出してくれた。“もみじの葉っぱ”がいつまでも私に向かって振られていた。

お郷ことばで語る憲法9条

2005-03-11 01:50:15 | Weblog
 私のパートナーが家に持ち帰ってきた本に面白いものがあったのでこの場で取り上げさせていただく。
 その本のタイトルは「全国お郷(くに)ことば・憲法9条」(坂井泉企画編集。合同出版)。憲法9条は、私がここで言うまでもないが、「戦争の放棄」を謳った、日本国憲法の理念を凝縮した条文である。これを「お郷ことば」で言うとどうなるか。本書は、北は北海道から南は沖縄まで、全国から寄せられた94の「お郷ことば」で語られている。
 憲法9条は、こうしてみても世界に誇れる「宝」だと実感させられる。まだ、本を手に取ったばかりで、全ての言葉に目を通していないが、20編ほど読んだだけでも何か心に暖かいものを感じる。
 私は1947年生まれ。1947年は、前年に公布された新憲法が5月3日に施行された年として記念すべき年だ。私の年代には、「憲治」「憲弘」など、「憲」の付く名を持つ人がとても多くいる。それからしても、あの年、いかに廃墟と化した日本で、人々が新憲法に希望を見出していたかが窺い知れるのだ。
 私の生まれ育った愛知県三河ではどう言うか。ペンネーム:森ママさんからの作品を見ると、
①うちら日本の国民は、みんな正しい考えを持っとるじゃん。そんで国の中が乱れん、安心して暮らせる平和な世界を心から願っとるじゃん。だもんで、国と国がごたごたおこして、いがみあったとしても、そとへ出かけて行って武器を使って、力ずくで解決するようなことは、これから絶対にせんじゃんねえ。
②だで、戦争やるための兵器はいっさい持たんことに決めたじゃんねえ。そんで政府がいっくら戦争をやりたいと言っても、日本の国民は絶対に認めんじゃん。戦争は絶対いかんらあ。そうらあ。
 と書かれている。いいねえ。ホント、お国訛りはたまらなくいい。
 お国訛りと共に、憲法9条はどのような事があっても絶対にこの世からなくしてはいけない、いや死守しなければならない。今年は憲法改正(?)論議が本格化すると見られているが、後世に禍根を残さぬためにも、憲法改悪に反対していくつもりだ。
 

サッカー少年に“栄養代”?

2005-03-10 11:07:47 | Weblog
 昨夜電車に乗っていた時の事、両側の優先席を5人の少年達が独占していた。小学校高学年か中学校1年生という感じだが、態度はでかく、大(小?)股を広げて通路に足を投げ出している。私がにらむと目を逸らしたが、足を引っ込めることはしなかった。サッカーの練習からの帰りのようで、「チョー、疲れた」を連発していた。今にも座席に横になりそうな雰囲気の子もいた。電車が空いていたので立つように注意することはしなかったが、私は身体の不自由な方が乗ってきた時に備え、彼らのすぐ横に立っていた。
 彼らの会話を聞いていて驚いた。彼らは相当高いレヴェルの選手達のようで、友人や知人がプロチームの青少年チームに勧誘された話をしている。それも、どうやらカネでつられるらしく、「だれそれはどこどこ(この部分、有名なJリーグチーム名)から10万もらった」「XXは○○から50万だよ」といった話だ。
 彼らの話からすると、どうやらプロチームが有能な少年達に目星を付け、“小遣い”を渡しているらしい。昨年、プロ野球チームがアマチュアの選手に「栄養代」等の名目で小遣いを出していた事が発覚して、ヨミウリのナベツネこと、渡邊恒雄氏までもが辞任(本当の辞任理由ではないと思いますが)したことがあったが、サッカーにおいても同じような事がまかり通っている可能性がありそうだ。
 彼らの会話で思わず笑ってしまったのは、「そんだけ大金をもらっても親に言うのよさないとな。XXなんか全部持ってかれちゃったそうだかんな」と一人が言った時だ。私が思わず笑ったことで、少年達はまずいことを聞かれたと思ったのか話を止めてしまった。私は残念ながら二駅で降りてしまったこともあって話の続きは聞けなかったが、まだまだこの話には多くの“裏話”が隠されているようであった。
  

もう1人の母親

2005-03-09 00:51:53 | Weblog
 かつて子供をASE(私の経営する英会話学校)に通わせていた母親が、久方振りに顔を見せてくれた。母子はこのところ、「中学受験」を理由に私達の前から姿を消していた。“お受験”も終わり、時間ができたのだろう、知人をASEに紹介したいと来校したのだ。
 用件が済み雑談に入ると、managerの井上が母親に受験の結果を聞いた。
 母親は結果を言いたがらなかった。私はパーティション越しに聞いていたのだが、声の感じから受験に“失敗”したのは明らかであった。
 母親はその後、しぶしぶ受かった中学校の名を告げた。第3志望の学校であったと付け加えた。だから恥ずかしくて、これから通うその学校の名前を周りに言えないとまで言った。
 井上の、優しいが核心を衝いた指摘と説得が始まった。彼の子供の「目線」に立った見方は、鋭く、かつ的確だ。
 今回のケースは、中学受験がもたらす最悪の結果を暗示している。希望の学校に受からなくて親子共落ち込み、世間の目から逃れようとしてもがき苦しみ、やがて不登校や家庭内暴力に行き着く典型的な例だ。
 井上の発言で私の言いたいことはほぼ全て言い尽くされていた。途中から私も話に加わったが、私は自分が見てきた親子の例を紹介するに留まった。ただ、親の言う通り頑張ってきたのに、結果が悪かったからといって、自分が通う学校をけなされる子供の気持ちを分かってやって欲しいとその点を強調した。
 母親の目から大粒の涙が零れ落ちてきた。自分が余裕を失い、知らず知らずのうちに子供をそんなに傷付けていたのかと素直に反省してくれた。
 私達は彼女に、このことを「過去のこと」とうやむやに済まさないで、子供に面と向かって話し、きちんと謝って欲しいとお願いした。それが、もうすでに子供から出始めている「危険信号」を次の段階に進めないことにもつながる可能性があると付け加えた。
 翌日、母親が再び姿を見せた。私は不在であったが、対応した井上の話では、母親は帰宅してから息子ともダンナともきちんと話し合ったとのことで、その表情は晴れ晴れとしていたとの事であった。
 このところ、青少年の犯罪が明るみに出るごとに「学校教育」や「社会の歪み」が問題にされるが、それよりも一番大事なのは親子関係である。「壊れた子供」の加害者の多くが親だということがなぜか論点から外されている場合が多い。確かに学校や社会が子供に与える影響は大きいが、親子関係が構築されていれば、大方乗り切れる。逆に親子関係が壊れていては、どんなに社会が良くても子供は救われないのだ。 

日本のおっかあ

2005-03-08 01:02:18 | Weblog
 私が経営する英会話学校に来ている女子中学生Mは、今では一番好きな教科が英語!というほどの英語好きだが、10年近く前は今の彼女を想像する人はまずいなかったであろう。
 Mは入学当時まだ3,4歳であった。自分から「英会話をやりたい!」と言って入ってきた割には、授業中はひと言も発せず、時にはテーブルの下にもぐってしまう“問題児”であった。
 教師から相談を受けた私は、しばらく彼女の授業を見守ってみた。すると、ナント彼女はテーブルの下にもぐっていても、窓の外を見ていても耳は教師に向いている。私の目には問題児とは映らなかった。
 保護者にその旨を伝え、「授業料を無駄と考えるようであれば、やめさせた方がいい」と助言した。すると、母親は、こちらを信頼しているから任せると言ってくれた。
 それから約1年半。Mは言葉を口にすることはなかった。
 ところがある日突然、Mが口を開いたのだ。それが、驚いたことにかなりレヴェルの高い内容の話をし始めた。教師が驚きの表情を露わにしたのは言うまでもない。
 それからというもの、Mはいかんなく実力を発揮してそれまでの「問題児」から一転、「優等生」になった。
 そんなMを育てたのは母親の広い心と深い愛情だ。その母親は、ほぼ毎年、ACTNOW(私がメンバーのヴォランティア・グループ)の活動費や被災地への支援に使ってくれと、義援金を下さる。今年は、スマトラ沖地震の被災地にと、「福沢諭吉」5枚を私に託してくれた。「へそくりなんですよ」とイタズラっぽい表情を浮かべて封筒を私に差し出した母親の表情を見ていると、Mが現在のように成長したのも分かる気がした。別に大声で正義を語るわけでもなく、愛情を押し売りするわけでもない。彼女の表情の奥に、「日本のおっかあ」の原点を見た気がした。

私はヤクザ?

2005-03-05 21:58:30 | Weblog
 南浦和駅から武蔵野線に乗ると、いつもと違って超満員。何事かと一瞬思ったが、周りを見渡すとすぐに納得した。乗客の多くが赤いタオルを首に巻いている。浦和レッヅのファンだ。Jリーグが開幕したらしい。
「さいたまサッカースタジアム」への路線の乗換駅である東川口駅でそれらの乗客がどっと下車した。私の下車駅でもある。ホームに下りると後ろから押す圧力が背中に加わった。これは危ない。この駅は幅が狭いのだ。下手をしたら将棋倒しになってしまう。そこへ反対側から電車が到着した。前に割り込まれないようにと考えるのだろう。群集は少しでも自分達が前に出ようとする。
 前に進み階段に近付いた。しかし、圧力は弱まるどころか逆に強くなってくる。警備員が「危ないから押さないで!」と声を張り上げるが、聞き耳持たずとはこのことだ。
 後ろを振り向き、押さないように注意をした。しかし、“バカ者”たちはニヤニヤするだけで、前に圧力を掛け続ける。
 私の堪忍袋の緒が切れた。かつて、「若気の至り」で暴れていた頃使ったヤンチャな言葉遣いが口をついて出た。すると、すうっと力が抜けた。後ろから小さな声で「ヤクザがいるから気を付けよう」とささやく声が聞こえた。
 ヤクザと思われるのもしゃくだったが、まあ、事故になるよりはましだ。私はそれ以上何も言わずに歩を進めた。それまでの圧力がウソであったように誰も私の体を押すものはいなかった。いや、私の身体に触れるものさえもいなくなった。

元の木阿弥

2005-03-05 09:25:13 | Weblog
 以前この欄でお伝えしたが、元気に走り回れるものだけでなく、お年寄りや身体が不自由な方が他人の手を借りずに安全に街を往来できるように警察や市(区)役所に働きかけをしている。一人でやっていることなどで、今のところは自分が住む南浦和駅周辺に限られているが、違法駐輪を指導する「指導員」や一部屋台の撤去という形で多少の成果はあった。駅前に店舗を構え、客が違法駐輪をしているりそな銀行の支店長も「企業責任」を問う私の勢いに、眉間にしわを寄せる“努力”をするようになった(!?)。
 だが、ここに来てまたぞろ屋台や露店が「復帰」してきた。まさにイタチゴッコの様相を呈して来ている。元の木阿弥にならぬようこれからも頑張るが、これ以上は個人の力では何ともならないかもしれない。やはり、「市民の結集」が必要なのかと思う今日この頃だ。読者の皆さんで誰か妙案をお持ちであればお教え下さい。採用の際は、賞金はないが、心を込めたお礼の言葉を送らせていただきます。