浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 長井さんの死に鈍感な人たち

2007-09-29 09:03:33 | Weblog
 長井さんの事件における日本政府の動きが私には分からない。

 日本政府は28日、藪中三十二外務審議官を現地に派遣して真相解明に努め、死に至った発砲が「故意」であれば、ミャンマー政府に対して責任者の処罰や謝罪、補償を求めることを検討する方針であると発表した。

 また、高村外務大臣は、「故意に銃撃したとも伝えられており、大変憤慨を覚える」と記者団に語り、町村官房長官は記者会見で、「国連安保理の議論もこれからで、国連人権理事会の対応もある。そうした動きを見ながら我が国として独自に検討していく必要がある」と述べている。

 何をのんきなことを言っているのかと私は強い怒りを覚える。

 まず、高村氏の発言だが、外地における邦人の生命を守る使命を持つ政府機関の長である外務大臣ともあろう者が、このような発言をしているのが本当だとしたら私は信じられない。彼は、この発言を聞く限りでは、殺害現場の映像を見ていない事になる。冗談ではない。動画を見れば、誰が見ても間違いなく長井さんは故意に撃ち殺されている。あのような貴重な証拠映像は、外務省の役人がすぐにでも高村氏に見せていなければならないものだ

 また、官房長官が言うように、日本政府は何ゆえに、安保理や人権理事会の動きを見て行動する必要があるのか。自国の国民が射殺されたのだ。それも、国家権力によってである。このような時に国連や他の国の動きを気にする必要はない。すぐに強硬な抗議をすべきだ。こういう時に真っ当な行動が出来ないから日本は国際社会においてバカにされているのだ。

 全身全霊を使って、国全体で怒りをぶつけなくして何が、「国民の利益を代表する政府」だ。

 現地の日本大使館の動きも何ら見えてこない。ただ、大使館付きの医務官が「流れ弾と言うより、近い距離から撃たれた傷跡に見える」言ったというものだけだ。

 大使館の機能不全はミャンマーに限ったことではないが、外務省としても、これまでの汚名を返上するためにもこの場は全力を尽くして「闘う」べきだ。

 これが、欧米の国であったら大変な状況になるであろう。昨日もこのことをヨーロッパの人間と話したが、日本政府の対応を説明したら考えられないと目を丸くしていた。

 マスコミの論調で、このような日本政府の動きを批判するものは見当たらないが、記者諸君よ、「死に至った発砲が『故意』であれば、ミャンマー政府に対して責任者の処罰や謝罪、補償を求めることを検討する」などとのんきなことを言っているのになぜ食いつかないのですか?

 生前、大手の報道機関のあり方に腹を立てることの少なくなかった長井さんが、恐らく「あの世」からあなたたちを見て言っていますよ。

 「マスコミの皆さん、しっかりしてくださいよ」と。

長井さん 心の準備

2007-09-29 08:13:58 | Weblog
 長井さんに関する情報が徐々にではあるが入ってきている。

 私が書いた長井さんの死への想いは、事件直後、TV局に送られて来ていた一枚の写真を見て感じたことが元になっている。だから、その後入ってきた情報、特に、彼が撃たれた映像を見ると、状況は少し違うようだ。

 まず、私が見た写真では長井さんが仰向けに倒れていたたため、それも、彼のヴィデオ・カメラを持つ右腕が空(くう)に突き上げられているように見えたため、正面から銃口を突きつける兵士にカメラで立ち向かい、その状態で撃たれたのかと勘違いしたが、映像では、背後から至近距離で撃たれている。

 だとすると、「死への覚悟」もないまま、不意を衝かれた可能性が高い。彼の格好も、半ズボンにサンダル履きだ。私が知るジャーナリスト、長井健司は、取材現場に入る時は、カメラを持つだけでなく、携帯しやすい三脚などの機材で装備を固めている。

 その辺りから推察すると、長井さんは、取材をしていたというよりも、買い物をしていたか、ふらっと街に出て状況把握をしていた時にデモに遭遇してそのまま取材に入った可能性もある。

 それは、彼が契約先であるニュース通信社に入れた連絡からも可能性がうかがえる。彼は、ミャンマーに入国した後、状況が思ったほどの緊迫したものではない感じで報告している。そして、状況把握に入るとの旨の発言をしていたらしい。

 状況が私が推察したものと違うからといって長井さんの死に違いが出るものではないが、私の発言や感想に違和感を憶える方もおられる可能性があるのであえてその点に言及させていただいた。


長井さんへの最期のメッセージ

2007-09-28 03:07:06 | Weblog
 先ほど、TV朝日から電話が入り、日本人カメラマンの長井健司さんがミャンマーで死亡したと言われた。

 彼とは、パレスチナで何度も潜入取材を一緒にして、寝食を共にした、言わば戦友だ。私は、彼と共にした潜入取材テイプを持ってTV朝日に向かった。

 TV朝日のスタジオで長井さんの最期を写した一枚の写真を見た。その写真に、彼はジャーナリスト魂を、どうだとばかりに見せ付けている。

 銃弾に斃れたばかりの長井さんは、高々と上げた右手にカメラを持ち続けていた。哀しいまでの執念だ。ジャーナリスト魂だ。

 彼とはイスラエル軍占領下のパレスチナで死線を飛び回った仲だ。それだけに、彼の最後の写真はあまりに壮絶で、胸に迫ってくる。

 私が撮影した未発表の映像に彼の姿を映したものがあった。救急車に乗って戒厳令下状態のパレスチナに潜入した時のものだ。取材対象ではなかっただけに、彼の正面からの姿はないが、取材中の彼の姿を写したものとしては貴重だろう。それを久し振りに見て、私は、彼と共に過ごした時間を昨日のことのように思い出した。以下は、私の長井さんへのはなむけの言葉である。

 長井さん、あなたは本当にすごいよ。寡黙なあなたらしく最期まで映像で自分 の執念を物語ろうとしている。あなたのカメラを持ち続けた右腕は、恐らく軍政に苦しむミャンマーの民衆の姿を捉えようと最後の最後まで頑張り続けたんだよね。それは、ジャーナリズムで永遠に語り続けられる「右腕」だよ。

 カメラのテイプはもしかしたら軍隊か警察に持ち去られたかもしれないが、あなたの姿を映した写真が、またその写真に写された右腕が全てを物語っているような気がしてならない。

 警察の発表では、流れ弾に当たったということだが、写真を見る限りでは、また、心臓を弾が打ち抜いているという発表が事実であるのなら、あなたは兵士に殺されたに違いない。でも、あなたは、戦場ジャーナリストが最高の場面と思い描く「自分を撃とうとする兵士」をカメラで捉えようとしたのではないだろうか。僕はあなたの最期を写した写真を見てそう思った。

 長井さん、これまであなたは多くの戦争や紛争を報道し続けてきた。民衆の姿を、市民の目線で伝えようと地道に歩き続けてきた。疲れたことでしょう。疲れ切った体をようやく休めることができるんだね。ゆっくり休んでください。

 最後に、5年前、僕がイスラエル兵の攻撃で傷つけられた時、日本のTVで報道させてというあなたの頼みを断ったことを謝るね。こんなことならあなたの要望を聞いてあげればよかったと今になって思うよ。

 心からあなたの冥福を祈ります。さようなら。

“戦友”の死

2007-09-27 23:13:50 | Weblog
 先ほど、TV朝日から電話が入り、日本人カメラマンの長井健司さんがミャンマーで死亡したと言われた。

 彼とは、パレスチナで何度も潜入取材を一緒にして、寝食を共にした、言わば戦友だ。彼との潜入取材テイプを持って今からTV朝日に向かう。

 明朝8時の番組で彼の死を悼む話をさせてもらう。本当に気が重いが、私にせめてものはなむけとしてできるのそれが最善との判断だ。

この非県民が!

2007-09-25 22:51:42 | Weblog
 行きつけの中華料理屋での会話である。

 店主の息子は学生時代はサッカー部に所属するほどでサッカー自体は好きなのだが、地元ティームである浦和レッズをどうにも好きになれない。店の客の中には、レッズの選手やその親族がいることもあるから相手の話には乗るが、それ以上の熱さには決してならない。

 昨日も中年男性二人が浦和レッズの好調ぶりを大声で話していた。ところが、息子は浮かぬ顔。そう。客の話に乗らないのだ。

 レッズの熱狂的ファンである客のひとりが、帰り際に息子に言った。

 「もういい。この非県民が!」

 会話自体が深刻さを帯びていなかったこともあるが、その言い方に、店に居た客もスタッフも大受け。爆笑の渦となった。

 これが、県民が国民になり、話題がサッカーではなく戦争にならないように願いたいものだ。いや、我々の手でそうなるのを防がなければならない。

若死にする企業戦士たち

2007-09-24 00:00:27 | Weblog
 ある方のブログにかつて勤めていた会社のホーム・ペイジの話が書かれていた。

 そのHPには、定年退職者向けのサイトがあり、さらにその奥に「訃報」と称するページがあるという。訃報欄には、定年退職者の中で亡くなった方の名前などの記載があるらしい。死亡者全員が掲載されているわけでもないが、ブログの主は、掲載された人たちがみな「若い」ことに驚いている。

 そこに書かれた方たちの平均年齢は65歳位だというのだから確かに享年には若すぎる。65歳と言えば(早期定年退職者は別にして)、退職してまだ数年。その方たちの多くは「老後」を楽しむ間もなく亡くなったことになる。

 その会社は、情報関連企業としては草分け的な存在で、常に学生たちの「就職したい企業ランキング」の上位に位置してきた。だが、これを見ても分かるように、従業員たちは過酷な労働条件に晒されている。

 それに耐えてようやく定年。さあこれから第二の人生を、と思った途端のこの世との別れ。まさに、高給の代わりに身を削ってきたことになる。だが、これではあまりにせつなく、辛すぎる。

 皆さん、働くのも程々にしましょう-by namakemono
 

成長に顔が緩む

2007-09-23 22:55:07 | Weblog
 かつて英会話を学びに来ていた青年と昼飯を食べた。

 彼は生徒の一人というよりは、在学中からいろいろな相談を受けてきたからいつも気にかかる存在で、やめてからもちょくちょく連絡を取り合う仲である。

 そんな彼は、2年ほど前まで酷い会社で働いていた。その会社は全ての従業員に給料を半額しか支払っていないのだ。それも、彼の場合、20万円が月給だったから毎月の手取りは10万円。両親の家から通うから生活できたものの、交通費も支給されておらず、その数年間は悲惨なものだった。他の従業員はと言えば、ほぼ全てが年金受給者で、「仕事があるだけでも良い」という考え方になってしまっているから経営者に対して声を上げることもなかった。

 労働基準監督署に相談するように助言したのだが、労基署というところ、彼のような若者をまともに扱わない。そこで、一度私がその労基署に怒鳴り込んで経営者に強く出るように要求したことがあった。

 しかし、その経営者は労基署をなめきっており、言うことを聞くことはなかった。

 会社を辞めてコンビニに職を求めた彼は、しばらくしてそのマジメな働き振りが認められて社員に昇格、店長になった。

 アルバイトを約30名抱えている人気店である。帰宅が午前様になることも少なくない。休みを取ることもままならない。そのせいでつい最近、彼女とも別れてしまったという。しかし、労基署通いをしていた当時と比べると、今は表情と態度に自信がうかがえる。ご飯を食べながら仕事のことを話す彼の成長振りに思わず顔が緩んでしまった。

JUDOは柔道ではない。

2007-09-23 22:20:17 | Weblog
 先日ブラジルで開かれていた世界柔道大会の判定がおかしいと日本のマスコミは大騒ぎをしていた。

 たまたま見た朝のTV情報番組では、「問題の場面」を何度も画面に映し出してコメンテイターやキャスターが声を揃えて「この判定、おかしい。日本人選手が勝ってる」と、大騒ぎをしていた。

 そのいずれもが柔道に詳しいとは思えない人たちである。中には、「私は柔道には詳しくはないですが、誰が見たって井上選手や鈴木選手が勝っていますよね」と言う女性コメンテイターまでいた。

 危険なことである。私もこれまで何度もコメンテイターなるものを務めたが、そのポジションがどれだけ世論への影響力があるのかを常に頭において発言してきた。だから、自信のないことには偉そうに口出ししたことはない。

 私はかつて柔道を習っており、今でも興味があって「世界の柔道」の流れに注目し続けている。その立場から言わせてもらうと、これらTVなどで発言する彼らの意見は無責任極まりない。

 まず、それらのコメンテイターたちは、柔道の判定基準を知らないことが問題だ。まあ、日本の柔道選手やコーチの中にも不勉強なものが多いから仕方がないのだが、「日本の柔道」は今や世界基準ではないことを頭にしっかりとどめておく必要がある。

 「え、柔道は日本の国技でしょ?」と言われるかも知れないが、もう柔道は国境線を越えて、「JUDO」であることを知っておいて欲しい。もちろん、ルールも私が若い頃に習ったものとは大きく異なっている。

 問題のシーンだが、井上、鈴木両選手はいずれも自分から技を掛けにいった。そして、その攻撃は強烈で、相手の体が大きく崩れてそのまま倒れ込んだように見える。倒れる寸前に相手が技を返しているが、苦しまぎれに放ったもので体勢は圧倒的に日本人選手に有利に見える。とても技を掛けたようには見えない。そんなものは技ではないはずだ、というのが日本の選手やマスコミで発言する人たちの見方だ。

 ところが、今の国際ルールでは、この場面は、どの審判が畳に立とうとも判断は同じで、井上、鈴木両選手が負けになる。返し技が、たとえ「死に体」から放ったものでも有効なのだ。これは、日本人選手だからどうのこうのと言うものではない。

 要は、日本の柔道界がそういった国際ルールの変更を理解し、運用についても研究を怠っているからこのようなことが起こるのだ。だから、マスコミがとやかく言うのは、結果的に、我々国民を「外国は寄ってたかって日本選手をいじめる」という考えに至らせようと扇動していることになる。

 もちろん、私は今の国際ルールが良いと言っているのではない。腕を突っ張り、腰を引いてくるくる回る「現代柔道」なんぞは柔道ではない、との思いもある。だが、国際柔道連盟という最高決定機関が決めた以上、それに従うしか方法はあるまい。それが嫌なら国際柔道連盟の流れを変えるべく動くか独自の国際組織を作ればいいのだ。

 日本は今、国際柔道連盟にほとんど影響力を持っていない。だから、柔道着の色を勝手に変えられたり、ルールを次から次に日本選手に不利なようにされてしまうのだ。

 それはなぜか。ひと言で言えば、先達の怠慢によるものである。東京オリンピックで柔道が初めて競技種目になっただけで「柔道が世界に認められた」と胡坐をかいて、その後連盟の仕事をきちんとしてこなかったツケが今になって回って来たのだ。

 今では国際柔道連盟の要職にも人材を送り込めなくなってしまった日本柔道の堕落の責任を追及せずして、被害者妄想意識を刺激して世論を煽るマスコミには、その辺りのことを少しは勉強せい!と言いたい。

顔見世に喜び

2007-09-20 21:44:50 | Weblog
 仕事場に突然の来訪者。

 背広にネクタイのサラリーマン風の男だ。うっすらと赤ら顔だから一杯やってからきたのだろう。

 「Mです。ごぶさたしております」

 名前を聞いて苗字がすぐに頭に浮かんだ。そんなに親しい間柄であったわけでもないし、ASEをやめてから20年近く経つから人の名前を憶えるのが苦手な私にすれば奇跡に近い。

 ASEをやめてからも一度、Mが大学院生の時にシューカツでTBSを訪問していた時、私に偶然会ったと言われたが、それは悪いが記憶にない。マスコミに就職したのかと聞くと、大手の学習塾の取締役の名刺を出してきた。

 彼が、「顔を見せよう、見せようと思っていたのに長い間来なくてもうしわけありませんでした」と言ったが、恐らく私が学習塾の在り方について批判的な意見を持っているから顔を出しづらかったのだろう。

 だが、なんにせよ、会いに来てくれたことが嬉しかった。私の書いた本に影響を受けたことも重ねて言われれば尚更嬉しくなる。

 英会話学校を経営していて良かったと思うことは、様々な場面であるが、こういう時もジワーッと感じるものだ。彼の成長した姿を見送りながら、ホンワカと沸いてくる温かい気持ちに心地よさを感じた。
 

小沢民主の深謀遠慮

2007-09-20 00:25:47 | Weblog
 「小沢民主党」が政権取りを視野に入れて活発な動きを見せている。来年に予想される「解散-総選挙」をクライマックスとするシナリオ作りを着々と進めている。

 その構成は、小沢一郎氏が「おやじ」と慕った故田中角栄氏の政権を握るまでの壮大な計画を髣髴させる。

 7月の参院選の戦い方を見れば分かることだが、戦法は田中派が自民党の中で権勢を誇った頃のやり方そのものだ。中央よりも地方を尊重し、末端からのムード作りに時間とカネを割いた民主党は、歴史的な勝利を収めた。

 外交面でも同様だ。親米路線に変りはないものの、米国の言いなりにはならない。だめなものにははっきりと反対の意思表示をするのも角栄さんと似ている。そして、中国との関係にいたっては、角栄流そのもの。それが、角栄好きの中国政府要人に受ける。最近、小沢氏率いる1000人規模の民主党大中国訪問団が結成されると発表されたが、これを見ても如何に中国政府が小沢自民党に期待しているかがわかろうと言うもの。

 福田さん。あなたにとって小沢さんは手ごわいですよ。

還暦記念腕相撲大会

2007-09-19 23:59:14 | Weblog
などと書くと大げさだが、ASEの生徒である、大学生二人を捕まえて「腕相撲をやろう」とこちらから仕掛けた。

 身長186センチと183センチの男2人を相手にしての腕試しと書くと、むくつけき大男を想像されるかもしれないが、ひとりは「のっぽ」という言葉がピッタリの優男(やさおとこ)。もうひとりは、スポーツマンではあるが、格闘技系ではない。

 ただ、のっぽ君には以前から「毎日腕立てをして鍛えておけよ」と言い渡してあった。そう。彼との腕試しをその頃から楽しみにしていたのだ。

 勝負は一方的であった。二人を軽く一蹴すると、二人とも「還暦のおやじ」に負けたのが悔しかったようで、表情に悔しさがにじみ出ていた。

 「まだまだだな。悔しかったら出直して来い」と言う私の表情は、恐らくガキ大将そのものであっただろう。

 年甲斐もない、大人気ないって?そう。確かに、年相応ではない言動だ。だが、私は幾つになっても「年だから」と自分の言動を制限することはないし、他人の言動をとやかく言うことはない。これからも、“年不相応”に生き続けていくつもりだ。もちろん、これを読んでいる若者の腕相撲の挑戦も引き続きうけていくつもりだ。腕に自信のあるマイミクの若き友よ。挑戦してくるが良い。

あなたは正直ではない!

2007-09-18 00:57:44 | Weblog
 昨夜会った仲間の一人の社会学者0から面白い話を聞いた。

 彼とその家族は、昨年、勤め先の大学から派遣をされて約1年間、ニューズィーランドに滞在した。

 任期を終えたものの、妻と子供2人は現地の生活に心を惹かれ、居残りを希望。仕方なく彼だけ帰国して変則的な単身赴任生活を送っている。母子3人はと言えば、その後も順調に地元に受け入れられて異国の生活を楽しんでいるらしい。

 夏休みには彼の地に飛び、様子を見てきたようだが、日本と違ってのびのびと子供を育てようとするニューズィーランドのやり方に目からうろこが落ちる日々であったようで、出来ることならもう少しニューズィーランドに居させてやりたいと思うようになっている。

 教育方針で彼がいたく気に入ったのが、教師の子供たちとの接し方である。教師たちが余裕を持って子供たち一人ひとりの個性を考えながら指導をしているそうだ。成績も、子供が設定した目標をどれだけ努力をして取り組み成果を出しているかが評価になるという。だから必然、難しいことをやっている子が優秀とレッテルを貼られるわけではない。

 また、子供たちの自主性を育てるやり方として注目されるのが、子供たちに課題を出したり、問題提起をした時だ。日本ではごく普通になっているが、子供が親の力を借りて解決策を模索したと知ると教師は「You are dishonest(あなたは正直ではない)」と、子供だけでなく、親にまで面と向かって言うという。

 これを読んでおられる方には状況が分かりにくいかも知れぬが、これが本当の意味での「想像力豊かな子供に育てる」やり方なのではないか。自主性を、想像力を付けさせたいと言いながら、旧態依然とした連日の塾通い。夏休みもろくにないとのことだ。これからも折を見て彼の地の教育方法を御紹介していくつもりだ。

 

おいら、カンレキ!

2007-09-18 00:12:01 | Weblog
いやあ、早いもので生まれて60年。そう。俗に言う還暦なるものを昨日迎えた。ただし、実感はまるでなし。こんなことを言うと、周りからあきれられてしまうが、学校に通っていた日々でさえほんの数年前のようだ。

 子供の頃の感覚で言えば、60歳などと言うと、年寄りというイメージであったが、いざ自分がそうなってみると、まだまだこれからいろいろなことが出来る、「可能性を感じさせる」お年頃だ。

 これからもナントカの冷や水と言われようが、これまで同様、いや場合によってはこれまで以上に暴れたいと思っている。これまで「枠にはまらない」と言われ続けたのだから、今後も枠からはみ出したり、出っ張る杭になり続けよう。

 今年も直子がサプライズを用意してくれた。何も知らされないまま新宿のレストランに入ると、若き仲間たちがHappy Birthday!

赤いちゃんちゃんこなんぞは似合うはずもなく、そういう儀式は省略して楽しく飲み食いをした。

 そんな心遣いに、おいら、カンレキ!

手数料半額のナゾが判明

2007-09-16 00:01:13 | Weblog
 家を移ることになった。ここ10日ほどはネット上でいろいろ調べたり、実際に歩いて家探しをしている。

 そこで気付いたのだが、この不動産業界、日進月歩を遂げているようで、4年前とは事情が様変わりしている。

 ここさいたまでも礼金を取るところが少なくなったのが、先ず目に付く点だ。そして、手数料が半額という不動産屋が結構存在する。

 その点を不動産屋に聞くと、「礼金を取っていたら入居者が限定されますからね。半月分の手数料ですか?これは、私共の企業努力です」「手数料の一部は大家さんに負担をしていただいています」とのことだ。

 だが、そのからくりが分かった。

 それは、ある物件をいくつもの業者が扱っていることで判明した。

 同じ物件の家賃が、業者によって数千円異なっている。手数料が一か月分の不動産屋の扱う場合は安く、半月分にしている不動産屋が扱っている場合は総じて高い。

 つまり、借主は、半額の手数料に引かれて家を借りても、結局は後になってその分を払わされているのだ。

 それと、「おとり広告」の多さに驚かされた。

 ネット上で気に入った物件についてもう少し知りたいと電話をかけたり、直接不動産屋に行くと、「その物件は、残念ながら契約済みになってしまいました。同じような物件がありますからそちらを御案内します」と答えが返ってくることが何度もあった。また、ネットで気に入った物件を、信頼できる業者に見せて空き室状況を確かめてもらったら半分以上が入居済みだった。

 こんな生き馬の目を抜くような世界の連中と付き合うのは疲れる。長年の付き合いがある地元の業者に頼むことにした。

賃借契約に詳しい人いませんか?

2007-09-15 23:32:55 | Weblog
 8月の始めに英会話講師Sを解雇した話を書いたが、先日、彼女が間借りをしている大家から電話が入った。

 何ら面識がない方であったのでどんな内容の話かと思ったが、大家である老夫婦の奥様が、彼女の目に余る言動に困り果てて相談してきたものであった。

 聞くと、もう何ヶ月も前から家賃を払っておらず、御夫妻との関係も大分前から険悪な状態であるという。

 電話でしかお話していないが、声の感じからその方の温かい性格がうかがえる。彼女によれば、4年ほど前、NOVAの講師であったSが安月給を嘆き、まともにアパートも借りられないと泣きついてきたので、ならばと部屋を貸してしまったらしい。

 ところが、しばらくすると「本性が現れたのでしょうか。部屋は散らかし放題。トイレもお風呂も汚くしても自分で掃除をするなんてことはしません。注意すると、挨拶もしなくなりました」とその女性は声を詰まらせた。

 出て行ってくれと言うと、物を投げつけたりして暴れるので怖くなり、それ以上言えずにいると今度は我が物顔で家を使っているとのこと。

 彼女に払っていた給料の額を言うと、「そんなにもらっていたのですか。その額の半分くらいのことを言っていたものですからつい同情して家賃の滞納もやむなしと半ばあきらめていました」。

 大家は本当に人の良い方のようで、彼女が通っていた大学の奨学金が返せないからと借金をせがまれた時にも金を貸している。

 「もうこれまでの家賃や貸したお金はどうでもいいです。早く家から出て行って欲しいのです。このままでは気がおかしくなりそうです」

 彼女はそう言うと、電話口で涙声になってしまった。

 僕は、埼玉弁護士会を紹介し、早く相談することを勧めた。だが、両者の間には賃貸契約もなく、Sはこれからも居座り続けるに違いない。大家の話では、今年初め、9月末までに退去する合意書を交わしたそうだが、その合意書もいつの間にか台所の棚から消えてしまったそうだ。

 アパートと違って間貸しをして台所やリビングなどは共有させているだけに性質(たち)が悪い。親しくさせてもらっている弁護士は、「浅井さん、こんなことに首を突っ込んではいけません」と言うが、放っておくわけにはいかない。どなたか妙案をお持ちの方はいませんか?