浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 核施設爆破に見る中国の深謀

2008-06-29 11:53:08 | Weblog
 北朝鮮・寧辺の核施設にある実験用黒鉛減速炉に付属する冷却塔が27日夕、米国務省関係者も見守る中、爆破された。

 爆破の模様は6カ国会議参加国のTV局7社(米国だけ2社)だけに取材が許され、日本ではTBSが報じた。

 それを受けて「8カ国主要国外相会議」の出席のために来日したライス米国務長官は同日、日米外相会談後の共同記者会見で、「稼働していた原子炉だということを忘れてはならない」と述べ、北朝鮮の核放棄プロセスにとって爆破は大きな意義があるとした。

 同長官は冷却塔について、「2006年の(核)実験に使われたものを含む爆弾数個を作るのに十分なプルトニウムを生産した原子炉だ」と指摘した。

 また、「プルトニウム生産をやめさせるだけでなく、核拡散や高濃縮ウランなどの核開発をやめさせる必要がある」とも述べて今後も核廃棄に向け、北朝鮮に働きかけていく方針を強調した。

 この報道に不快の念を隠さないのは、永田町の自民党のセンセーたちだ。

 「アメリカはまた頭越しに事を進めた。拉致問題どころか、日本の事なんか念頭にないんだろう」

 「あんなの政治ショーだよ。残りの任期が7か月となったブッシュと追い詰められたキム・ジョン・イルの共同パーフォーマンスだ」

 「(日米)同盟がぎくしゃくするようになればですね、それはある意味では北朝鮮側の思うつぼになってる。そのことも、十分に踏まえなければいけないと思います」

 確かに、センセー方の言うように、残りの任期がおよそ7か月となったブッシュ政権にとっては、高さ300メートルの冷却塔を爆破するという見た目に派手なやり方は、北朝鮮の非核化に成果をおさめたことを国民に示すには絶好のパフォーマンスだ。

 また一方、金正日体制にとっても、核放棄に向けた積極的な姿勢を世界にアピールする絶好の機会となる。

 だから、今回の「公開爆破」は米朝の思惑が一致した共同パフォーマンスと見て間違いはないだろう。

 私は以前から米朝関係は実質的には米中関係だと力説してきた。北朝鮮問題は金体制を後ろで糸を引く中国が鍵を握っており、拉致問題を含めた日朝間の問題を解決に導くには、中南海(中国政府)の諒解を取り付ける必要がある。

 中国はそんなにひどい国なのかと、ここでそういった中国のやり方を批難するのは簡単だ。だが、大国の覇権争いというものは、中国に限らず、こういうものなのだ。自国を守るためには衛星国家の利益は蹂躙される。だから、ここはコトの善悪を論じるよりも情勢の分析に限定したい。

 中国にとって北朝鮮は対米、対日戦略の重要なカードである。だから北朝鮮が次々に起こす問題も中国の諒解を得てのことだ。

 核開発ひとつを取ってみても分かることだ。北朝鮮が独力で核開発を行なってきたなどと考えることは現実的ではない。メディアでは、これまでの報道を信じてパキスタンの協力があったからこそできたことなどと力説する評論家もいるが、そのような情報をまともに取らない方がいい。

 まず、パキスタンの核開発を誰が助けたかだが、それは中国だ。ソ連の援助で核開発したインドに対抗して、中国はパキスタンに核を持たせたのだ。だから、カーン博士が「パキスタンの核開発の父」とされているが、所詮は中国の作ったシナリオ通りに演出したまでのこと。カーン博士が仮に北朝鮮に技術提供をしたとしてもまず間違いなくそれは中国の指示である。

 では、中国が北朝鮮に核開発をさせて何のメリットがあったのか。

 先ず考えられるのは、日本への核の脅威だ。軍事的にみれば水鉄砲のような小型ミサイルの発射訓練でさえ日本は大騒ぎをする。ましてやそれがミサイルに搭載する核弾頭となれば、その脅威は“水鉄砲”の比ではない。

 それと同時に日本の危機対応能力の分析・評価もできた。核実験を含む核開発のニュースが駆け巡るごとに日本政府は大慌てで対応策を検討するが、それを中国政府は冷静に観察していたとみていい。

 今回の核施設爆破ひとつとっても分かるように、日本は北朝鮮の揺さぶりに一喜一憂、あたふたする。これは、中国にとったら思う壺である。日本はそう、中国に試されているのだ。

 一方、対米関係の観点から見ると、アメリカは中国にとって東アジアの覇権争いにしのぎを削る相手だ。保有する交渉カードは多ければ多いほど有利になる。北朝鮮に核を持たすことの意味は当然計算していたはずだ。そして、アメリカはそれにまんまと乗せられた。核開発の断念の見返りに北朝鮮をテロ支援国家のリストから外させただけでなく、多額の北朝鮮側への援助を約束した。

 アメリカが“同盟国”のニッポンを裏切ってまで北朝鮮に歩み寄ったのは、単に核の脅威を取り除くためというよりも北朝鮮の豊富な天然資源(ウランやレア・メタル)の開発に関わりたいからだとの見方がある。

 本当に北朝鮮が言われているようにそのような天然資源に恵まれているかどうか、その真偽のほどは分からぬが、もしそれが噂されている通りだとすれば、それも中国にとっては強力なカードになる。

 中国の深謀は、アメリカの力を利用しながら日本の影響力を東アジアからそいでいき、単独でEUに対抗する超大国になることであろう。それができなければ、アメリカ又は日本とパートナーシップを組み、東アジアに一大共栄圏を築こうとするものだ。いずれにしても中国が遠くない将来、アメリカに追い付き超大国の仲間入りするのは間違いない。

 核施設爆破や拉致問題など一つひとつのことに目を奪われていると、いつの間にか時流を見失い、気が付いた時には中国やアメリカから取り残されていることになりかねない。そうならないためにも大局を見て舵取りをする政治家が出てこないとこの国の将来はいよいよ危険水域に入る。



涙の真相

2008-06-26 09:34:42 | Weblog
私の経営する英会話学校のアイルランド人の講師Kが、体調の不良から重篤の病気を心配されている話を「人生の正念場」と題して紹介したのが4月3日のこと。

 それからはしばらく症状も落ち着いていたが、6月16日に書いたように本国の専門家にデイタを送って意見を求めたところ、その専門家からは直接診察をする必要があると言われた。

 2ヶ月くらいの時間が必要になるので、他の講師を探して欲しいとKが言ってきた。

 「そのまま日本に戻らないんだね?」と聞くと、
 「治療を終えたら戻ってきたい。妻も日本に残る」と答えた。

 「ならば、代用教師を探して君の帰りを待つよ」と言うと、最初は「迷惑を掛けたくない」と言っていたが、彼の表情から真意を見抜いていた私は笑いながら、「ここまで一緒にやってきたんだ。何言ってんだい」と肩を叩いた。

 彼の表情が硬くなりそうになり、そういう状況が苦手な私(結構涙腺が弱いのです)は、「待っているからね」とその場を外した。 

 そうして彼の帰国が急遽決まった。幸いにして代わりの教師も難なく見つかった。

 帰国の手はずを整えた一昨日の事。まだ30代と若く、周囲に弱みを見せない彼だが、明らかに様子がおかしかった。午後2時半からの授業をひとコマ終えたところで彼を見た私は、異変に気付きその日のレッスンを全てキャンセルして帰宅するようにと言った。

 だが、学校や生徒に迷惑をかけまいとして彼は作り笑顔で「僕は元気ですよ」と返してきた。そして次のレッスンに入った。私は夜のクラスのキャンセルを決めて生徒に連絡を始めた。

 何とか4時台のクラスを終えて、5時台のクラスに入っていた。

 しばらくすると教室から聞こえるK講師の声の様子に異変が感じられた。コンピューターに向かっていた私は、ドアを開けて教室に入った。

 こちらを向いたK講師の目に涙があふれていた。痛みに耐え切れない様子だ。

 私はふたりの小学生を隣のテイブルに移して彼を問診した。救急車を呼ぶことも考えたが、そこまでする必要性はないように思えた。だが、それ以上授業を続けられるはずはない。帰宅を命じた。

 昨日は終日休ませて帰国の途に着く今日に備えさせた。ところが、若さと体力の証だ。一夜明けた昨日は元気になったと、身辺整理と最後の挨拶に顔を出した。

 確かに、前日の不調がウソのように様子は一変していた。だが、ここで油断して体力を使えば、長時間の飛行機の旅が辛くなる。なるべく体を休めているように言った。

 自分のテイブル周辺を片付けている彼と少し話をした。彼は「涙の真相」を話してくれた。

 確かに痛みはひどかったが涙を見せるほどではなかったと言う。何を今さら強がりを言ってと一瞬思ったが、そのまま話を聞いた。

 Kが目頭を熱くしたのは、痛みに苦しむ自分の様子を見て生徒の一人Yが取った行動だったという。

 Yは6年生にしては身体が大きく、決して品行方正とは言えない。いわゆる悪がきだ。だから学校の教師からも友達の親からもあまり高い評価を受けないタイプである。ASEでもK講師になるまでは、とかく低い評価を受けがちな小学生であった。

 だが、Kの人柄が彼を少しずつ変えていった。遅刻常習であったYはいつの間にか授業開始時間前に来るようになった。すると当然のことながら英会話の力もついてくる。以前は、ゲーム機を持って来て友達と夢中になって遊んでいたが、今は授業の前後に私と戯れたり、カード・ゲイムをするのを楽しみにしてくれている。

 そのY君。異変に気付くと、Kが使っていた教材を渡すように目配せをして、それを手にするともう一人の年下の級友に質問をしたのだという。そしてナント、級友が間違えて答えるとその間違いを指摘して、Kの方を見て自分のやっていることを確認したらしい。

 Kはその姿に心を打たれ、胸が詰まってしまったのだ。

 私は、ジャーナリスト活動から離れ、ASEに専念するようになって子供の持つ様々な意味での潜在能力に魅了されているが、Yの見せた行動には感動した。Kと私は思わず同時に「彼は可能性を秘めている」と言って顔を見合わせた。

 Kは後数時間で本国に向けて出発する。

ジャパングリッシュを斬る!

2008-06-23 19:31:56 | Weblog
 昨日書き込んだ「泡を食わせた話」を読んだmixiの読者から「シュークリームってそんな意味だったんですか!」とビックリマーク付きのメイルを頂いた。

 そこで、いくつか日本では英語と思われているが、和製である言葉を紹介することにした。

 まず、食料品で言うと、カルピス。calpisと英語表記されている。

 だから一般的に皆さんは外国人に振舞う時、「カルピスです。どうぞお飲み下さい」と言う筈である。実際に、私はそういう場面を何度も目撃している。

 すると、英米人であれば一様に驚きの表情となる。それはそうだ、英語でカルは子牛を意味し、ピスは小水を意味する。つまり、子牛のオシッコをお飲み下さいと言われたと思ってしまうのだ。

 その色も手伝って訝った表情を見せるも目の前にいる日本人はにこやかでなぜか自信に満ちた表情だ。その場の空気を壊してはいけないと、中には目をつぶって呑む人もいる。

 カルピスという会社は、どの時点でそこに気付いたかは知らないが、先ほど広報担当に問い合わせてみた所、確かに英語圏向けの製品にはCALPISではなく「CALPICO」という名を付けているとのことだ。

 同じ乳製品では森永のクリープがおかしい。英語表記はCREAP。恐らくクリームとパウダーの二つを合成したのだろう。ところが、発音すると、CREEPと同じに聞こえる。creepは、俗語で「つまらんやつ」という意味である。だから、コーヒーや紅茶を欧米人に出す時に、ビンを見せずに「クリープを欲しいか」と聞けば、恐らく相手はあなたの真意を理解できずにまじまじと見つめるはずだ。

 ある程度英語ができる人でも間違える表現は少なくない。代表的なのは、ムーディ。コメディアンにもそういう名前の人がいるが、この言葉、多くの人が信じ込んでいるような「ムードがある」という意味ではないのだ。それは、気分屋つまりは歓迎されざる性格を指している。

 だから外国人と仲良くなって、素敵な食事を済ませた後に夜景の素晴らしい処に連れ出されて、“いざっ!”という時に、あなたは相手に感謝(期待?)を込めて「あなたはムーディな人ね」などと言ってその場をぶち壊さないように。後で後悔してもしきれませんよ。

 注意を促す標識で「?」と首を傾げる英語表現もある。「Have many accidents here」は恐らく、「この辺り、事故多し」のつもりだろう。しかしながら、これは「この辺りで多くの事故を起こしなさい」という意味だ。トイレで見かけた「Do not throw foreign bodies in the toilet」については、外国人は思わず便意を忘れてしまうだろう。注意書きを書いた人は、「異物を捨てるな」と言いたかったのだろうが、これでは「外国人の死体を捨てるな」という意味になってしまう。

 日常的に乱発されている誤った外来語の中にフリーがある。これは、フリー・カメラマンなどのようにどこにも所属しない人たちを一般的にそう呼ぶが、英語の言い回しではない。通常は、フリーランスという言葉を付けるのだ。語源は、主人と袂を分かった騎士が、ランス(槍)を片手に次なる働き口を求めていたことにあるそうな。

 英語の発音もまた日本人の苦手とする分野だ。「LとR」「SとSH」の区別が中でも難しい。日本人が「ライスを食べたいです」と言うと、英米人には「しらみを食べたい」と聞こえる。「ここに座ってください」も、時に「ウンコをしてください」と言っているとしか聞こえない。

 こうしてみてくると、英語の難しさ、面倒臭さばかりに目が行ってしまうが、英語を操ることによって得られる楽しさは格別のものがある。それを考えたら上記の失敗など大したことではない。大いに失敗を重ね、語学の醍醐味を味わっていただきたい。 
 

泡を食わせて泡を食った話

2008-06-22 22:08:46 | Weblog
 泡を食うとはよく言うが、なぜか泡を食わせるとはあまり使わない。同じような意味で言えば、泡を吹かすという表現の方がしっくりくる。

 実は今朝、私は他人に泡を食わせて、それを見て泡を食ってしまった。

 以前書いたが、我が家にはアメリカから二人の客人が滞在していた。一人は昨日、そしてもう一人は今日、旅立って行った。

 その後者ニコラに対して私は今朝、文字通り泡を食わせてしまったのだ。

 事の発端は、朝食の食材の置き方にあった。家人が今朝出発するニコラを慌てさせてはならないと、あらかじめ食材を台所の目立つところに置いておいた。

 朝、家人よりも早く目覚めた私は、朝食の支度を始めた。籐の盆には、フランスパンとチーズが用意してあった。

 パンとチーズを食べやすい大きさに切り、パンをトーストして皿に盛った。ヨーグルトやジャムをテイブルに置き、コーヒーを淹れていた。

 ニコラに先に食べ始めるように言うと、「これはチーズか」と聞いてきた。彼女は私が冗談好きで色々な“仕掛け”をするので、何か食べ物に仕掛けがあるのではないかと疑ったのだろう。

 そうだよと答え、私はコーヒーに神経を集中していた。

 「これは石鹸よ!」
 ニコラの叫びにも近い声がした。私は気に留めることなく、今日は忙しいからジョークはないよ、と答えた。

 彼女はチーズを載せた皿を持ってきた。見ると、先ほど出したチーズの角がかじってある。

 「何言ってんだい。これはチーズなの」
 と私が言ってもニコラは笑いながらだが、チーズではない石鹸だと、引き下がらなかった。

 そこへ丁度、家人が二階から降りてきた。そして、皿の上のチーズを見るなり、それは石鹸よ!と声を上げた。

 聞くと、それはニコラがヴォランティア活動をした神奈川で友人たちと作った「手づくり石鹸」であった。贈り物としてその石鹸をもらった家人は、昨夜は疲れていたのでパンの横に置いて就寝してしまったらしい。

 見れば分かりそうなものと思われるであろう。だが、その石鹸、本当に色といい形といいチーズそっくりなのだ。しかも私の大好きな硬質タイプのチーズに雰囲気が酷似している。

 幸いなことに、ニコラは大笑いしてくれた。それだけでなく、成田空港を旅立つ直前まで幾度となくこの話を持ち出し、腹を抱えて笑った。調子に乗って僕もそれを話題にして英語でダジャレを言うと、それがまた面白いと大笑い。

 恐らくこれが神経質な人だったら露骨に不愉快な態度を取った可能性もある。良い意味でのアメリカ人のおおらかさを味わえた。ちなみに、ニコラのそれまでのお気に入りは、私が言った「シュー・クリーム食べないか?」であった。

 日本では有名なシュー・クリームだが、英語圏の人たちには靴クリームの他の何物でもない。その特徴を知った上で作ったジョークであった。ニコラはそれが面白いと何十回もその話を繰り返した。

 さて、ニコラが石鹸を食べた後の様子だが、異常は見られなかった。もっとも、その石鹸の原材料は植物油だとの事だから異常がないのは当然かもしれないが、石鹸を食べさせてしまったと気付いた時は、ホント泡を食いましたよ。

 
 

 

芝居へのいざない

2008-06-22 09:45:48 | Weblog
▼芝居デビュー!!!▼

縄文座による二人芝居『縄文のビーナス』に出演することになりました。酒とギャンブルに浸るやさぐれ戦争ジャーナリストが私の役です。1時間半、出ずっぱりです。開幕に間に合わなくともどこからでも楽しめる「金太郎飴」状態での出演です。

現在猛稽古中につき皆さんと遊ぶ時間は、え~っとそれはあります。
目指すは、ブロードウエイですが、さて、いかが相成りますか。結果は観てのお楽しみ。さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。

開演日時:7月12日(土)及び13日(日) 午後1時と5時の一日2回公演
場所:MAKOTOシアター銀座(銀座線京橋駅より徒歩3分/東京駅より徒歩9分)
入場料:大人2,500円(ペア券4,000円) 高校生以下1,000円

興味のある方は浅井まで。

【芝居のあらすじ】

浅井は職業軍人であった父親の影響を受けて幼少の頃から「戦争をなくしたい」
と戦場ジャーナリストを志した。そして、その夢が叶い、レバノン内戦、湾岸戦争、パレスチナ紛争、ボスニア内戦など多くの現場に立った。
軍事封鎖された現場に潜入する手法で度々の負傷も苦にすることなく世界的なスクープ(「サラエボのロミオとジュリエット」の撮影等)を飛ばしたことから、現地で「カミカーゼ・ジャーナリスト」と異名を付けられたこともある。
だが、度重なる負傷で傷ついたのは、本人だけではなく家族であった。半年前、イラクで脚を撃ち抜かれて帰宅すると家に妻子の姿はなく、やもめ暮らしに…。堕落した大手TV局とのやり取りに疲れ切っていた浅井は独り酒とギャンブルにはまっていく。現代社会の理不尽さと愛情の希薄さに辟易し、いざこざの毎日。パレスチナで共に潜入取材した長井さんがミャンマーで射殺されると、その寂しさと虚しさは極限に達する。
そんな浅井の前に現れたのが不思議な雰囲気を醸し出す若者ユーヤ。浅井はユーヤに誘(いざな)われて別世界へと旅立つ。そして…その後のお話は来て観てのお楽しみ。
ただし、劇場は大衆演劇のメッカのMAKOTOシアター銀座。御ひねりなり、一万円札の首飾りをご用意してご来場されますよう、よろしくお願い申しあげます。


公園で公演の稽古

2008-06-20 09:46:06 | Weblog
 昨日は朝からユーヤと芝居の稽古。稽古の場所が取れないので日比谷公園をその場に選んだ。

 天気予報は雨であったが、そこはそれ、サンシャイン60の実力を発揮して曇り時々晴れに変えた(?)。稽古の場所としては中々良い所であった。適当に“観客”もいるし、空気も良い。ところが、天気を良くするのも善し悪しで、小学校の大集団が辺りにあふれ出し、弁当を広げた。

 それでは我々も昼飯を、とレストラン松本楼で弁当を買って腹を満たした。

 さあ稽古に戻ろうと場所探しをするが、昼食時間のためか、どこに行ってもスペイスがなく、仕方なく公園を離れて銀座のカラオケ屋へ。

 昼間っから男二人で長時間部屋にこもり、唄も歌わずに大声を張り上げている。恐らくカラオケ屋のスタッフの目には我々二人は奇異に映ったに違いない。

 今晩、縄文座のささやかな「縄文を語り、詠う」催しが都心で開かれる。“縄文の女神”による踊りと唄が披露されるとの事だ。そこで我々のお披露目が行なわれることになるのだが、さてどんな催しになることやら。楽しみだ。

珠玉の言葉

2008-06-18 09:19:59 | Weblog
 最近、父親が、母親が、伯(叔)父が伯(叔)母が…との話をよく耳にする。

 それは呆けてしまった話だ。痴呆症患者のための施設が整っていない日本では、どうしても呆けた親の面倒を見るのは子供の責任となる。その結果、夫婦関係に亀裂が生じたり、子供や孫に影響が出ることも少なくない。

 私の元に多くの人が相談に来るが、最近目立って増えてきたのが、このケイスだ。

 中でも多いのが、自分の親の面倒を嫁入り(死語に近いですね)してきた妻に看てもらう場合だ。とかく、「自分は企業戦士で多くの敵と戦ってきているのだから、親の面倒を見るのは妻の当然の務めだ」位に思ってしまうが、これが妻の側にしたらたまらなく大きな心身の負担となる。特に、親が元気な頃に「嫁舅(姑)」関係が崩れた場合は深刻だ。

 だからこの種の話で、今回取り上げるような「いい話」を聞くことは少ない。

 これはある企業の社長一家であったことだ。

 社長の母は、若かりし頃に未亡人になり、苦労して子供三人を育ててきた。それだけに社長は母親への感謝の気持ちを強く持っていた。結婚しても当然のように社長夫婦は母と同居した。

 妻の苦労は計り知れないものがあったようだ。子育ての時期は特に気苦労が絶えなかったらしい。

 子供たちを社会に送り出してほっとした頃、姑の言動に首を傾げることが多くなった。後から思えばそれが呆けの前兆であった。その後に熾烈なボケとの戦いが始まるとは思いもしなかったそうだ。

 痴呆症に罹った姑との長年の「闘い」は筆舌に尽くせないような壮絶なものとなった。「気がおかしくなりそうなことが何度もありました」妻はそう笑って当時を思い出す。

 その時彼女の救いになったのは何かと聞くと、夫の言動だったとの答えが返ってきた。

 夫は毎朝、出掛けに必ず母のオムツを換えていったとのことだ。これは、妻に温かいメッセージを送ることになったという。後日談で、妻はその点を強調する。

 そして、母の最期を迎えた直後、夫は妻の前で畳に両手をつき、「ありがとう」と言った。これで妻のそれまでの苦労は、不満は、吹っ飛んだという。

 もちろん、その言葉の奥にはもっと深い心の交流が夫婦の間であったと思うが、人間にとっての言葉の重みを思い知らされる話だ。まさしく珠玉の言葉だ。その話を聞いて、私の心も温かくなった。
 

素晴らしきかな、芝居の世界

2008-06-17 00:31:13 | Weblog
 自分のホームペイジの表紙を変えてみた。「縄文ヴァージョン」である。

 このブログの読者の皆さんのほとんどは、直接こちらにアクセスされているようだ。それは、2つのサイトのアクセス数を見れば歴然とした違いがあるから容易に分かることだ。

 表紙を縄文ヴァージョンに変えたのは、芝居の稽古や台本に手を加えているうちにドンドン縄文の世界に引き込まれているからだ。

 国際縄文学協会の出す出版物を拝借したが、そこに「芸術はバクハツだ!」で知られた故岡本太郎氏の名がある。大阪万博のシンボルである「太陽の塔」が縄文の影響を受けていたとは聞いていたが、故岡本太郎氏が縄文世界にはまっていたとは知らなかった。

 縄文の世界は、知れば知るほど深みを感じる得体の知れないものだ。それと共に芝居の世界も得も言われぬほど魅力的だ。

 還暦は干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支にふたたび戻ることと聞いた事があるが、私の場合はまさしくそうで、還暦にして新世界に誘われた気がしている。

 嗚呼、それにしても素晴らしきかな、芝居の世界。

 

朗報を待つ

2008-06-16 23:55:26 | Weblog
 先般ここでASEの教師の話を書いた。そう。重篤な病気ではないかと心配されていたアイルランド人のことである。

 心配された病名の疑いは晴れたものの、その後も異常の原因の特定は出来ず、悶々とした日々を送っていた。

 アイルランドにいる親族の一人が医療関係者であることからこちらの大学病院で行なった検査結果を本国に送り、専門家の診断を仰いだが結局、帰国して徹底的な検査を行なうことになった。

 彼にとっては大きな決断である。私たちはそんな彼を何とか支援したいと微力だが頑張るつもりだ。

 どれだけ時間がかかるか分からないが、無事を祈って朗報を待つしかない。

ヴェトナム人がやってきた!

2008-06-16 00:28:07 | Weblog
 ヴェトナムで生まれ、「サイゴン陥落(1975年)」の直前に家族と共に脱出してアメリカに渡り、今もアメリカに暮らす女性が我が家に来た。約一週間の滞在予定だ。

 祖国を出た時はまだ4歳。記憶にほとんどないとのことだが、若かりし頃、ヴェトナム戦争の取材に行きたくて身を焦がしていた私には聞きたいことが山ほどある。だが、少し話してみてそのことになると口が重いことに気付いた。残念だが、これ以上当時を思い出させるのは酷のようなのでこの話には彼女が言い出さない限り触れないことに決めた。

 たった半日だが一緒に時間を過ごしてみて、かつて日本の田舎に多くいた働き者で、世話好きなタイプの女性だと分かった。細かな気配りが心憎いほどに雰囲気作りされている人だ。

 着いたばかりで疲れているだろうに、夕ご飯を作るから買い物に行きたいとスーパーへの案内を頼んできた。すると、我々とは別のかごを持ち、あれこれと食料品を入れていく。そして、レジに行くと自分で支払いを済ませようとするのではないか。

 とんでもないからとレジでひと悶着になったが、いやいやこれが頑固(もちろん良い意味です)。我々の支払いを許さなかった。

 家では台所に入り、テキパキと夕食の用意をする。勝手の分からぬ場所のはずだが、家人を上手く使い、ヴェトナム風手巻き寿司ならぬ手巻き春巻きが準備された。

 これが、絶品。旨いのだ。3人の笑いの絶えない晩餐が我が家の居間で繰り広げられた。

大地震なにするものぞby楽天競馬

2008-06-15 00:20:44 | Weblog
 岩手・宮城内陸地震の被災地支援に行くかどうかを判断する情報を集めている内に凄い商魂に出くわした。

 奥州市にある水沢競馬場で今春まで働いていた友人に連絡を取ると、彼は今奥州市には住んでいなかったが、競馬場関係者に連絡して情報をくれた。

 それによると、揺れは相当のものであったらしいが、競馬場や関係者の家には目立った被害はなく、ライフラインも概ね異常はないとの事であった。

 ただ耳を疑ったのは、実は14日も岩手競馬が開催されていたことだ。開催競馬場は水沢ではなく盛岡だから震源地からは大分離れており、揺れは水沢ほどではなかったであろう。しかしながら、今回の地震の震源は、盛岡に伸びている北上低地西縁断層帯のすぐ近くにある。当然の事ながら警戒しなければならない位置関係だ。

 それに県内で死者が出ている大災害が起きた当日だ。開催を見合わせるのが当然と思われる。だが、地震発生から2時間後、第一レースは始まった。

 調べてみてなるほどとうなづけた。今や地方競馬は楽天競馬(全国の競馬ファンがインターネットで馬券が買える)への依存度がかなり高く、楽天の意向が働いての強行開催だった可能性が非常に高い。岩手の競馬場も赤字続きで苦しいのは分かるが、今日位は哀悼の意を表して休場にするべきだったのではないのか。関係者の考えを聞いてみたいものだ。

サイクロンと大地震被災地への送金報告

2008-06-14 17:21:20 | Weblog
 ミャンマーのサイクロンや中国四川省の大地震の被災地への支援を呼びかけたところ、多くの方から義援金が寄せられ、6月13日、送金させていただきました。ここに報告させていただきます。

ミャンマー(難民を助ける会) 58,120円
中国(日本赤十字→国際赤十字)56,466円

募金に協力いただいた方たちは、街頭募金の献金者やヴォランティア、松下歯科内科クリニックの患者さんやASE英会話スクールの生徒さん、それに私のブログやメイル・マガジンの読者の方々です。ご協力、ありがとうございました。

2008年6月14日
浅井久仁臣


岩手・宮城地震

2008-06-14 15:47:14 | Weblog
 14日午前8時43分頃、東北地方で強い地震があり、岩手県奥州市と宮城県栗原市で震度6強を記録した。気象庁によると、震源地は岩手県内陸南部で、震源の深さは約8キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7.2と推定される。

 これまでのところ福島県と岩手県で計3人の死亡が確認されているが、震源地が内陸山間部だけに、がけ崩れも多数発生しており、今後も犠牲者が増える可能性はある。

 今朝から旧ACTNOW(私が関わっていた災害支援ヴォランティアグループ)のメンバーと連絡を取り合って対処を検討しているが、得られた情報から判断した限りでは自治体も機能しているようなので、現地への人員の派遣は見合わせている。

死者を疎かにするな!

2008-06-13 10:07:48 | Weblog
 一昨日は叔父の葬儀に列席した。

 郷里の愛知から駆けつけた親戚の中には二十年ぶりに会った叔父、叔母もいる。
当然のことながら故人をしのんでの話しが始まった。だが、品行方正な叔父である。彼にまつわる武勇伝や逸話がたくさんあるわけではない。

 ひと段落すると、話の中心は私の悪がき時代に移った。親戚の冠婚葬祭ではこれは一種の儀式のようになっているので私は慣れているが、喜んだのは同席した妻直子だ。先日「事実は小説よりも奇なり」と題して書いた一文にあった、先生に対しての「安藤とらおか」事件も出てきた。

 ただ、そんな懐かしい話とは別に嫌なことが幾つか目に付いた。

 先ずは、寺の住職の横柄な態度だ。義母の葬儀の時(他の寺)も感じたのだが、僧侶の一つひとつの所作に「重さ」どころか、温かみが感じられないのだ。以前、私の親友が、父親の葬儀の時に住職が居眠りしていたと怒っていた事がある。他にもその種の話は、友人知人と話していると枚挙に暇がない。

 私は無神論者だが、他人の信仰心を否定するつもりはない。と言うか、その人の宗教心には敬意を表しているつもりである。だから、どんな宗教の冠婚葬祭でもその場に参列した以上は、“大人しく”している。それは、その人と私の関係が一番大切だからだ。

 だが、そんな時に嫌悪感を感じるのは、信仰心(中には付き合いだけの人もいるが)につけこんだり、利用しようとする宗教指導者を見た時だ。特に、暗に高額のお布施を請求したり、高いものを買わせたり、はたまた戒名なんぞでぼろ儲けをしている連中が許せない。

 その住職も、参列者に対して言葉面は丁寧だが、せっかちに「はい、こっちこっち」とか、そうでなければ仕草で私たちを動かそうとする。我々は小学生ではない。参列者の多くが高齢者で、行動に時間がかかったり、判断が鈍っていることを考えるべきなのにそれができないのだ。また、初七日の法要(最近は、参列者のことも考えて葬儀の日に行なう場合が多い)の前には、肌着姿で我々の前に現れて、なんだかんだと説明をしていた。私は、そのひらひらとした派手な薄着を見て、「この宗派の僧侶はそんな格好でお経を上げるのか」と驚いたが、その内歩きながら上に着物を重ねて正装姿になった。

 また、寺院内での初七日の食事の席では、参席者の間を挨拶して回るのは良いのだが、まるで気持ちが入っていない会話をしていった。

 その宗派の有力者を知っているからこれ以上無礼な態度が出れば、苦言を呈そうと思ったが、そのままどこかへ姿を消してしまった。

 火葬場のやり方にも大きな疑問が残った。棺桶が持ち込まれたのは新宿区にある落合斎場だ。

 これが、まるで大量生産をする工場の様である。次々に持ち込まれる棺桶を火葬にふして行く。まあ、東京のど真ん中の火葬場だ。そうでもしなければ数をこなせないだろうが、それにしてもナントモ「命の重さ」の感じられない光景である。

 骨になった後の処し方も形だけは整えてあるが、職員の態度には厳かな場所で働く気概は見られない。

 焼き上がったばかりのお骨を他の容器に入れる際も、恐らく親族や親戚は見ていないと思っているのだろう。細かい骨や灰は容器に入れずに、焼却施設の中のゴミ捨て部分に掃いて捨てていた。

 浦和に向かいながらの電車の中で、人間の死について深く考えさせられてしまった。長年、真面目に働き続け、社会に貢献してきた者がこの世から旅立つのだ。死者の魂が存在するかどうかは私には分からぬが、もし仏教で言う「成仏」という事を信じるのであれば、この辺りのことを疎(おろそ)かにしておいて良いのであろうか。この日位はゆったりとした時間の中で「お別れ」をさせて欲しいものだ。こんな、死者を敬(うやま)わない世の中は正常であるはずがない。

 

世界的スクープの裏にあった真相

2008-06-11 00:23:01 | Weblog
 芝居の台本にボスニア内戦の取材体験を入れた方が良いと考え、ネットで「ボスニアのロミオとジュリエット」のことを調べてみた。

 すると、とんでもないことが発覚した。恋の逃避行を試み、志半ばにして殺害され、世界の人々の涙を誘った二人の男女の取材をした米人カメラマン、マーク・ミルシュタインがとんでもない作り話をしていたのだ。

 実は、マークを現場に連れて行ったのは私だ。その彼がでたらめの証言をしていることが分かった。

 英語版のWIKIPEDIAの「Romeo and Juliet in Sarajevo」の欄に、日本のフリーランスTVカメラマンとの記述があるが、それは私のことを指している。実は、マークはある証言では私の名前をSatoと書いている。

 いろいろ調べて、この世界的スクープ(日本の教科書でも取り上げられた)の真相を近くお伝えしたいと思う。