実は、昨日まで3日間、体調は最悪。身体は「無理は勘弁してくれ」と頭をぐるぐる回して、激しい発汗をする。喉も「もう音は出せない。使わないでくれえええ~」と、悲鳴を上げていた。自転車に乗っていると、夜はまるで視力が鳥目になったかのよう落ちてしまい、ハッとすることが何度もあった。
しかし、それもどうやら更年期障害であったようで、今日になると奇跡的な回復をして、元気に早朝の駅立ちをしてきた。声も大分出るようになった。
まあ、睡眠時間が4,5時間で、早朝の駅立ちから夜のポスティングまでスケジュールは分刻みという生活を長期間続けていればこうなるのは最初から分かっていたことかもしれないが、いずれにしても泣いても笑っても投票日まで残すところ後2週間弱。頑張るしかない。今朝の朝日新聞が、私を泡沫候補扱いしていたからこれがまた私の反骨精神に火を付けてくれた。まあ、「学歴問題」で朝日にたてをついた悪影響が出るのは最初から計算に織り込んでのこと。これからどうなるか、楽しみにしていていただきたい。
そんな楽しくないことより相変わらず、毎日のように楽しいことが起きる。昨夜もASEを訪問してくれた視覚障害者の知人が、「私、還暦のこの歳になるまで一回
も投票したことがないの。それは、心の底から『この人だ』と思えるような人が立候補していなかったから。でも、今回は違う。ずっと大事にしてきた私の清き一票を浅井さんに入れるからね」と言ってくれたのだ。
彼女に言われて思い出したが、彼女がまだ視力を失う前(10数年前)、「浅井さん、選挙に出て!」と言われたことがある。それが、今朝になってかすかな記憶として思い出されてきた。当時、後数年で視力を失う運命にあった彼女がすがるような気持ちで言ったことかもしれないが、私の中には政界への関心は全然なかったから聞き流してしまったのかもしれない。
視覚障害者の視点を聞いて、ハッと思うことばかりだった。いかに彼女たちにとって暮らしにくい社会であるかもよく分かった。特に、彼女がしばしば訪れる英国との違いを聞いて、若かりし頃、彼の地で多くのことを教えられた私は、うなずいてばかり。
ただ、私は防災の仕事を4年間は集中してやりたいので、視覚障害者が「普通に生活を送れる」体制作りに深く関わることは現段階では約束できない。
「私、一軒一軒近所を回って浅井さんのことを話していくけどいい?」とまで彼女は言ってくれた。嬉しいことだ。
その彼女、実は今日の午後1時からやる「駅立ち」に初めて参加してくれた。そして、6時からの「駅立ち」にも参加してくれた。「視覚障害者を駅立ちに利用するのか」と穿った見方をする向きから指摘されるかとも思ったが、別に私からお願いしたことではない。堂々とやったらいいではないかと自分で納得した上で彼女の申し出を受け入れた。そして、彼女は胸を張って通行人の前に立った。
パンフレットの受取率が上がった。これを見る限りにおいては、やり方を考えれば、健常者の障害者への見方を変える場作りが可能のような気がしてきた。