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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

外国人差別 その2

2005-09-29 02:32:01 | Weblog
 外国人差別の話を書いてからインターネットで情報のチェックをしていると、福島署が福島市内で、永住許可を得ていた中国人男性(67)を28日、入管難民法違反(不法残留)の疑いで誤認逮捕していたことが分かった。同警察署は同日、男性が正規の滞在許可を持っていることが確認されたとして男性を釈放したという。
 東京入管が福島県警の照会に対し誤った回答をしたために起きた事件だが、法務省入国管理局は「誠に遺憾」とし、経緯などを調べている。この事件が証明するように警察官の頭の中には「外国人(特にアジア人)は疑え」という考え方が叩き込まれているようだ。
 

外国人差別

2005-09-29 02:17:48 | Weblog
 今日聞いた話の一つから。
 20代の女性が5,6年前に経験したことだ。ある日彼女は運転していて交差点で信号待ちしていた時、追突事故に遭った。
 まもなくして現場に来た警察官が、「信号が青になっているのに発進が遅れたあんたにも責任がある」と言ったという。
 全く身に覚えのない指摘に怪訝な表情をしていると、どうやら彼女をフィリピン女性と勘違いした警察官が、加害者の話を聞いて加害者に加勢してきたということが分かった。確かにその頃サーフィンに熱中していた彼女は、褐色の肌でしかも今よりも10キロ近くやせていたというから東南アジア系の人に見えたのかもしれない。
 警察官の「人種差別」はそれにとどまらなかった。加害者は明らかに酔っ払っていたので彼女がそう主張したが聞き入れられなかったというのだ。彼女の日本語を聞けば日本人であることが分かるし、免許証の名前からも容易に推察がつくことだが、先入観にとらわれた警察官は最後まで彼女に冷たかったという。
 この話を聞けば、日本全国で多くの外国人が差別されていることは容易に想像がつく。皆さん、周囲で揉め事を見かけたらできるだけ「聞き耳」を立てていただきたい。そして、特に外国人が関わっていて困っているようだったら勇気を出して声がけをするようにして欲しい。外国人の犯罪が過度に報道され、私たち日本人の目が外国人に対して冷たくなっているし、事件の関係者に外国人がいるとすぐに疑いの目を向ける風潮がある。そんな犯罪に手を染める外国人は、ごく一部である。2,3年前の統計だが、外国人が関わった犯罪は全体の5%に過ぎないとの数字もある。
 在日外国人の多くは日本人が嫌がる仕事を真面目に、そして一生懸命にやっている。忘れてならないことは、彼らが帰国すれば、周りの人たちから必ず日本の、そしてまた日本人の印象を聞かれるはずである。中には、将来国を背負って立つ人物もいるかもしれない。好印象で帰るのと、嫌な思い出ばかりを引きずって帰るのとでは大違いだ。彼らはある種の親善使節であることを忘れてはならない。ひと言で「どうせ不法滞在だろう。追い出しちゃえばいいのさ」と片付けることだけはして欲しくないものだ。

元の木阿弥

2005-09-28 00:28:20 | Weblog
 鉄道各社の駅前に堂々と店を出して営業する輩がいて安全面からも問題なのに警察は一向に動こうとしないという話は以前ここでも取り上げたが、私が文句をつけている駅周辺では1,2件の露天商を処分したもののまた元の木阿弥で、露天商は店を出し続ける。イスラエルの若者たちがアクセサリーを売る店も同様だ。
 JR東川口駅前の歩道の上で、電話会社と果物屋が軒を競っていた。電話会社については調べてみると、道路使用許可を取っているので手の出しようがない。だが、彼らにしても通信機器を入れた箱を広いスペースを取って大きな顔をして営業をしている。「天下の公道」だ。一部の業者にだけ営業が許されるというのはどう考えてもおかしいと思うのだが、世の仕組みではおかしくないらしい。
 通信会社のことについてはもう少し作戦を考える必要があるが、果物屋のようなケースは直ちに撤去すべきだ。警察がやらぬならと、今日は私が苦情を呈してみた。ところが、逆にすごまれる始末。別に相手はチンピラだ。怖くはないが、相手にしている時間はない。近くの交番にその足で苦情を云いに行った。
 ところが、「何もしない」との悪名そのままで、対応した2人の若い警察官は私の“期待(?)”を裏切らなかった。
 私の話を聞くなり、「あそこの場所ねえ。微妙に難しいんですよ。JRさんの敷地ですからね。私たちでは(露天を)動かせないんですよ」と2人はほぼ同じ内容のことを言った。その表情から、彼らがまるで対応する気がないことが伺える。しかも、へらへら笑いながら、腰に手を置いて偉そうな態度だ。
 「何だ、大人しく聞いてりゃいい気になって屁理屈を並べるだけじゃないか。君たちはまるで働く気がないんだろ。市民が往来の邪魔になるからと勇気を振り絞って注意をしているのに町の安全を守るのが仕事のはずの君たちが動かない。私は埼玉県の防災関係の条例作り委員だが、現場でこんないい加減な仕事をしていたのでは、話にならんだろう。いいか、もし大地震が起きて逃げ惑う乗客たちが駅から逃げてきたら露店が邪魔になって将棋倒しになることもありうるんだ」
 私の“カミナリ”が落ちた。すると、奥から中年の警察官が割って入ってきた。だが、なだめる彼の態度もまたよろしくない。腰に手を置いて私の話を聞いているのだ。ただ、彼の立場もあるだろう。ここでその警察官まで罵倒しない方が得策と考えた。若い警察官を見ると、だらけた態度で立っているので、「キサマ、しっかりしろ。目上の人間から意見をされる時は気を付けの姿勢だろうが!」と言うと、言われた若い警察官が姿勢を直したのは言うまでもないが、視界に中年の警官も姿勢を正しているのが見えた。 
 数時間後、現場を通ると果物屋の姿はなかった。それが、警察が動いたためか、それとも商品を売りつくしてしまったためなのか、私には確認する時間はなかった。

馬鹿は死ななきゃ…その2

2005-09-27 07:32:10 | Weblog
 日進月歩の進化を続けるITに、さすがに森前首相のように「イット」とは呼ばないもののついていけず、コンピューターが壊れるとただボー然と家人が懸命に取り組む姿を見ながら、「コーヒーをいれようか」と声をかけることくらいしかできない。そんな家人も決して先端技術に強いわけではなく、私がまるでだめだと端から“戦線離脱”しているから仕方なしにマニュアル片手にねじり鉢巻となる。
 そんな時心強いのが人脈だ。これまでにもそういった「若い友人」に助けられてきたが、今回も支援してもらっている。私の世代の人間と話していると、あとXX才若かったらなあ、と悔しそうに話すのを耳にするが、私は自分をよく知っている。恐らく10代であっても誰かに頼ることを考えていたに違いない。
 そう、ずるいのだ。基本的にこの種のことを覚える気がないのだ。周りがやってくれるのを常に期待している。
 そんな自分を「理数系が苦手」とDNAつまりは遺伝のせいにするのが一番楽だが、中学を卒業するまでは数学は得意科目のひとつであったし、母親は70の声を聞いてから兄が遺した学習塾を継いだ兄嫁から頼まれると、まったく専門外の数学を勉強し直して教えていた。おじに高校の数学教師をしていた者もいるし、いとこの一人は原子力研究所の所長をしている。
 ならば、技術系がだめだと逃げたいところだが、職業軍人であった父親は陸軍で通信関係の仕事をしていたし、敗戦後はラジオ屋(当時はまだTV放送がなかった)を持とうとしていたくらいだ。
 普通の神経を持ち合わせていれば、自己嫌悪に陥るところかも知れぬが、「人間には向き不向きがある。食べ物に好き嫌いがあるように、人間の行動にも生理的にどうしても合わないこともあるのだ」などと放言している。こうなれば開き直りだ。これからも家人を含めた周りの人たちに「おんぶに抱っこ」頼っていこうと決めている。これをお読みの“関係者の皆さん”これからも末永くよろしくね。
 

社会参画

2005-09-26 23:19:30 | Weblog
 今日の午前中は、埼玉県南部の社会福祉協議会が主催する「ボランティア・セミナリー」で1時間半の講演会。毎年呼ばれているボランティア養成講座だが、今年は例年と違い、比較的若い年齢層の受講者が多く、力が入る。また、平日の午前中にもかかわらず、若い男性の顔もあり、1時間半たっぷり“自慢話”を、いや自分としては“ためになる話を”させていただいたつもりだ。
 講演の主旨は、「社会参画」である。ヴォランティアというととかく奉仕活動の枠内で考えがちだが、私は各地の講演会で皆さんにより積極的な社会参画をしてもらいたいとシゲキ的な話をしている。先ほどコメントを見ると、早速参加者の一人から書き込みがあったが、私の話を聞いたことを機により積極的な活動に加わっていただけるとうれしい。

 

馬鹿は死ななきゃ…

2005-09-26 16:46:31 | Weblog
 「おじいちゃんパソコン」は、今のところ息を吹き返す見込みはない。CPR(心肺蘇生法)を施すことができればいいのだが、PC相手ではどうにもならず、それに私はまったくの「IT音痴」なのでパソコンに詳しい友人知人に頼りきりの状態である。そんな訳で、週末はパソコン修復作業と新しいパソコンの購入でほぼつぶれてしまった。
 新しいパソコンからメールを見たり、ブログの書き込みはできるが、メルアド帳(って気取ってみました)や書き溜めたものが“救出”できずにいる。メールもOUTLOOKは送れない。ホームページを更新することもままならない。いやあ、試練ですねえ。
 ただこういう状況は結構楽しめるほうなので、「まあ、その内何とかなる」と高をくくっている。おそらくそののんきな性格が災いを何度も招くのだろうが、幾つになってもこんな状態を繰り返しているのではいけませんよね。まあ、それは分かっているのですが、ハハ、治りません。昔の人はよく言ったものです。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」

パソコンの壮絶な最期

2005-09-25 10:09:03 | Weblog
 長期間酷使してきたパソコンが壮絶な最期を遂げてしまいました。パソコンがよく分かってないのに合わないソフトを入れてしまったためです。謂わば、私のような貧乏人が食べつけない松坂牛を食べたようなものです。
 しばらくは、復旧するまでこれまでのような形での書き込みができません。復旧した暁には、これまで以上のパワーで書きまくります。どうぞよろしく。

リタ続報 仮堤防決壊

2005-09-24 00:22:29 | Weblog
 予想されていたように、ハリケーン「リタ」は米本土に接近するとともに多少勢力を落としてカテゴリー「5」から「4」にランク付けされたが、依然として最大級のハリケーンであることに変わりはなく、テキサス、ルイジアナ両州に与える影響が心配されている。
 日本時間の23日午後11時半ごろ、前回のハリケーンでもっともひどい被害を受けた地域の一つである、ニューオーリンズ市の第9区の川と運河の仮堤防が決壊したとCNNは伝えている。この地域は、住民は全て避難をしていることになっており、人的被害は今のところ出ていないが、情報ではまだ雨が降り始めたばかりとのことなので、どのような影響が出るのか予測がつきにくい状況となっている。
 テキサス州南部の都市から難を逃れようとする自動車の列は23日になっても後を絶たず、その中の老人を乗せたバスが炎上する事態も発生して、幹線道路の上では極限状況が生まれつつある。
 米TVを見ていると、盛んに海水面の温度がこのところ上昇を続けており、それがハリケーンの続発の原因と考えられると解説している。ところが、海水温の上昇が奈辺にありやといった意見は私が聞いた限りではない。これを契機に近い将来、ハリケーン被害を総括する中で、桁外れのエネルギーの使い方をしている米国がエネルギー問題を真剣に考えるようになることを強く願う。京都議定書に署名させる絶好の機会かもしれない。

「動物レスキュー」映像を見て

2005-09-22 20:22:09 | Weblog
 読者の黒木さんからハリケーンの被災地における動物レスキューの情報提供が寄せられた。動画もあるので是非ご覧になっていただきたい。
  これを見ていると、阪神大震災や有珠山噴火の時を思い出す。被災地に入って行って、取り残されているペットを救済する活動もやったが、日本はまだまだペットに対する考え方が遅れていて、避難所にペット用の収容施設を作ろうとすると、地元の人たちから異論を唱えられることがよくある。
 私は子どもの頃、日本の南極観測隊が非常事態に陥った際、連れて行った犬を置き去りにしたのを知り、激怒した。犬好きの小学生だった少年Aには「大人のエゴ」が許せなかったのだ。
 後に映画「南極物語」で生存していたタロー・ジローの話が紹介されたようだが、その陰で多くの犬が死んでいったことはあまり話題にならなかった。
 カトリーナが差し迫っている時、ペットを置いてくるようにとの当局側からのメッセージがCNNTVなどで流されていたが、恐らくアメリカでも「大人のエゴ」に怒りを抱いた少年少女がいるに違いないとそのメッセージを聞いて思った。
 映像を見ると、多くのペットが救出されているが、それと同じくらいの数のペットが濁流に飲まれたのではないかと心が痛む。

ニューオーリンズに最大級のハリケーン迫る

2005-09-22 12:21:46 | Weblog
 一昨日お伝えしたように、ハリケーン・カトリーナの被災地に「リタ」が接近している。温帯性低気圧であったリタはその後急速に発達し、ハリケーンの領域でも最高の5に位置付けられる巨大なものになった。これまで「カテゴリー5」で米国本土に上陸したのは3回しか記録されていないとのことで、ニューオーリンズなどでは、住民を強制的に避難させる動きになっている。
 リタの進路は今のところ、ニューオーリンズを直撃する可能性は少ないと見られているが、暴風域の東側に入ると思われる。カトリーナの被害で堤防などの防災施設も破壊された後補修程度の修復しか行なわれていないところが多く、影響が心配される。
 また、直撃が予想されるテキサス州は、これまでニュー・オーリンズなどルイジアナ州からの被災者の多くを受け入れてきたところで、カトリーナの避難民は再度の避難を強いられている。
 CNNなどの米TVは、カトリーナの時と同様、特別報道番組を組んで実況中継を続けている。小泉さんは相変わらず、“勝利の美酒”にほろ酔い加減のようで動きは見せていない。彼の危機管理能力では、何度も繰り返すことになるが、やがて起きるであろう大地震への適切で迅速な対応は望むべくもない。

少年時代 隣の康ちゃん

2005-09-22 01:36:25 | Weblog
 私は小学2年生までは愛知県三河のド田舎で育った。そこから引越しをして岡崎市内の市営住宅で19才までを過ごした。当時の市営住宅は、粗末な建物で、風呂もついていなかった。台所の洗い場も外にあった。
 その市営住宅は2軒でひとつの建物になっており、狭い庭はつながっていたから往来は自由だった。それだけに、隣との相性が大事だったのだろうが、子供心にそんなことを考えたことがないほど、家族同然の仲の良いお隣さんだった。新興宗教に凝って騒音を振りまいていた裏隣とはよくいい争いをしたが、隣家とは嫌な記憶がない(相手がどう思っていたかはこの際は別にさせてもらっています)。
 偶然だが、私の母と隣のおばさんは女学校(今で言う高校)で同級だった。子供(こちらは男2人、隣は1男2女)の年齢も似通っているというか、長男同士が同い年、長女と私も同い年という構成であった。
 隣家の主であるおじさんは、物知りで人は良かったが、稼ぎに関しては口ほどにはなく、というか相当不器用であった。3人の子供を養うには十分な稼ぎはなかったようで、おばさんによく叱られていたが、あまり気にすることなく、いつもご機嫌で私にいろいろ教えてくれた。特に満州時代の話は、私にとって興味深く、話の構成も上手で私はおじさんの顔を見るといつも「満州話」をねだっていた記憶がある。恐らくあのおじさんは、現代に生きていれば、TVのタレントとして引っ張りだこになったのではないかと思う程の話し上手であった。
 隣家の人々は、小学2年生の時に肺浸潤を患い、半年間入院生活をした私を、「伝染病だから」と特に避けることなく温かく接してくれた。教員をしていていつも帰宅の遅い母親を待ちわびる私たち兄弟を夕食に招じ入れてくれることもしばしばであった。多少経済的に余裕のできた我が家が風呂場を作ると、ほぼ毎日仲良く使い回しをしたものだ。我が家は近所でもTVを買うのが遅い方であったが、それよりも遅かった隣家の家族が毎週日曜日になると、こぞってTVを観に来てくれた。賑やかな環境が好きな私はそれがとても楽しくて、日曜の夜がいつも待ち遠しかった。うがった見方をする読者に敢えて釘を刺しておくが、隣の娘が特に気になっていたわけではない。
 隣の家族の中でも私のお気に入りは、康ちゃんであった。私の兄と同い年で3学年上の康ちゃんは、神経質で小うるさい実兄とは違い、大らかで話も面白く、また勉強もできたので私の尊敬の対象だった(ただ、今は亡きアニキの名誉のために言っておくが、大人になってからはとても仲の良い兄弟になった)。
 「くんちゃん、泳ぎにいこまい(行こう)」
 私が中学2年の年であったと記憶しているが、康ちゃんが誘いに来た。2月の寒い日であった。康ちゃんの誘いを断ることはない。二つ返事で同意した。
 風呂を沸かし、自転車に乗って近くの川に行った。寒中水泳は、それまで見たことはあったが経験したことはない。行く途中、寒さと多少の恐ろしさから何度も身震いした。
 川の水の身を切るような冷たさは、経験した者のみが分かるものだ。その後、海で寒中水泳をしたことがあるが、その冷たさは比較にならない。
 30分と水中にいられなかった。康ちゃんの唇は紫色に変色していた。おそらく私の唇も同様だったのだろう。水から出ると、身体の震えが止まらなかった。急いで自転車をこぎ、家に着くと2人一緒に小さな風呂に飛び込んだ。
 その後彼は岡崎高校から名古屋大学に進み、やがて神戸大学の大学院に入ったと聞いた。それも、学費などほぼ全て自分で工面したと聞いた。親の脛をかじっていた私は、ただ彼の凄さに驚嘆するばかりだった。
 私は同じ高校を出たが、上京をしてしまい、それから康ちゃんに会うことはなかった。2人は東と西に別れたが、お互い当時社会を揺るがしていた学生運動に一時期没頭した。
 その後、私の母親から康ちゃんが学生運動が原因で大学院を退学処分させられたと聞いた。私はそれを聞いて、康ちゃんらしいなと思った。ただその後、「お節介ばあさん」の私の母親が、康ちゃんを中学校の教員に導いたと聞いて、私は母親に「余計なことをして」と怒った。「私の憧れの康ちゃん」が負け犬になったようで悔しかった。もちろん教員がダメな職業というわけではない。ただ、康ちゃんには似つかわしくないと感じたし、母親が教育委員会に力を持っていてその権威を使って「押し込んだ」という言い方をしていたのが、いたく気に障ったのだ。
 しかしそれは愚かな心配だった。私が憧れた康ちゃんは、やはりタダモノではなかったのだ。彼は数年間の教員生活の間に勉強をしなおして、名古屋大学の医学部に合格した。そして医者になった。
 康ちゃんとの再会は、およそ30年後に実現した。1992年、私の兄が47歳にして他界してしまったのを聞きつけ、康ちゃんは静岡から通夜に姿を見せてくれたのだ。そして、私の前でキレイな涙を見せてくれた。中年のオッサンの涙というなかれ、それは幼友達を失った純粋で美しい涙であった。
 その後また康ちゃんとの交流は絶えた。ところが先日、私の母親と同居する兄嫁と話した時、康ちゃんが浜松の病院に勤めていると聞いた。浜松へは昨年、医師会の招きで講演に出かけている。その後、新潟中越地震の際には、医師会からACTNOWに巨額の寄付金が送られてきた。また接点を見つけたような気がして、インターネットで検索してみた。すると、浜松ではなく掛川の市立総合病院に勤めていた履歴があった。そして今は、豊田市の大病院の呼吸器科部長を務めているようだった。
 昨日康ちゃんの職場に電話を入れてみた。名を名乗ると、「マスコミでよく見かけてるよ」と懐かしがってくれとても会話が弾んだ。忙しいのではと遠慮する私に気を遣わせない様に配慮してくれ、つい長話になってしまった。「会いたいね」と互いに言ったものの、おそらく会う機会はこれからもなかなか訪れてこないだろう。しかし、いくつになっても「康ちゃん」は私を裏切らない。私の目標とする先輩だ。これからもたとえ会うことがなくとも、時に思い出して自分の励みにさせていただくことだろう。

森さん、いい加減にしなさい

2005-09-21 15:14:59 | Weblog
 森喜朗前首相は20日夜、都内で開かれた森派議員のパーティーであいさつし、衆院選で当選した83人の自民党新人議員について「歳費がこれだけもらえて良かったとか、議員宿舎がこれだけ立派でありがとう、とか言っているおろかな国会議員がたくさんいる」と指摘。「選挙もせずに、ただ名前だけ入れて当選した人もいる。しっぺ返しがあるような気がしてならない」と述べ、新人議員に苦言を呈した。「名前だけ入れて」というのは、比例代表名簿を指すと思われる。
 それを聞いた議員の中には「森にだけは言われたくないよな」という声もあったというが、それも当然の話だ。
 日本の国民のほとんどが彼のことを相手にしていない、というよりも「日本の恥」と思っていることをご本人は知らないのであろう。在任中、あれだけ失言を繰り返し、失態を演じた首相は後にも先にもいない。無責任を絵に書いたような人物で、小泉首相が巻き起こした解散騒ぎの時も「後見人の私が何とかする」と官邸に乗り込んでいったもののけんもほろろに扱われると、「もうこうなると変人以上だ」とさじを投げた。そして、確かその時、解散総選挙を強行すれば、森派の会長を降りると大見得を切ったはず。ところが、小泉首相の大勝利が確定すると、抜けぬけと会長の座に居座り、上述のような発言をする。
 森さん、あんたのような人は早く引退すべきです。そして、ボケ防止に英会話でも勉強されることをお勧めします。なんせ、あなたは在任中、訪日したクリントン大統領に向かって「How are you」と言うべきところを、「Who are you?」と言ってしまった日本国内閣総理大臣ですからね。あの時の「赤っ恥」はもう忘れてしまいましたか?残念なことに、あなたの赤っ恥は米国務省では今も語り草になっているそうですよ。名誉挽回に行かれる事をお勧めします。
 そんなあなたをギター侍風に斬れば「赤っ恥首相だったあんたがいくら若者に向かって偉そうなことを言ってもだ~れも聞いていませんから、残念!」てなところですかね。

カトリーナ被災地 恐怖再び

2005-09-20 10:38:11 | Weblog
 ハリケーン「カトリーナ」に壊滅状態に追い遣られた米国南部に再び恐怖が迫っています。バハマ諸島周辺を熱帯性低気圧「リタ」が米国に向けて進んでいるからです。
 カトリーナの被災から3週間を経た今も、ニューオーリンズなどでは依然として冠水状態の地域が多く、一部で帰宅許可が出たものの多くの人は他の街に避難した状態が続いています。米国TVは行方不明者の顔写真を映し出し、情報の提供を求めています。
 そんな状態の被災地に数日後、リタが発達を続け、ハリケーンに姿を変えて襲いかかるのではないかとの恐れが出てきました。カトリーナほどのハリケーンになる恐れは今のところありませんが、被災地はたとえ熱帯低気圧でも修復した仮堤防が破られてしまうのではと見られています。
 私は「自衛隊解体論」の中で、自衛隊を巨大な救助隊にして、海外派遣も積極的にすべしとの考えを強調していますが、州兵をイラクに派遣してしまったために救助や復興に人出が不足している今回のような災害には大きな力を発揮するでしょう。

訂正とお詫び

2005-09-20 01:22:05 | Weblog
 「ウルルンXXX」を読んでいたら誤字を見つけました。記事の最後から2番目のパラグラフ「マスコミに務めるXXX」は「マスコミに勤めるXXX」の誤りでした。訂正してお詫びいたします。

筆者からの釈明とお願い

2005-09-19 23:43:55 | Weblog
 過去の反省からコメントには返事を出さないことを原則にしていますので、ここのところ質問をされたり、異論をとなえてこられたりしている方には申し訳ありませんが、その点をご承知おきの上でコメントに書き込んで頂きたいと思います。
 ただし、個人的にメールをいただく方には誠意をもってお答えしています(少なくともそのつもりです)。奮って私宛にメールをお送り下さい。特に、励ましメールやお褒めの言葉は“大好物”です。その際には、ご自分の簡単な紹介を付けて下さい。