浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

みのもんたが報道番組のキャスター?

2006-09-30 00:04:36 | Weblog
 TVのチャンネルを回せば一日に一回は「顔を合わす」男。それがみのもんた氏だ。

 文化放送のアナウンサーだったみの氏が「時代の寵児」になったのは、そんなに昔からのことではない。以前は時折見かけることはあっても、毎日見ることはなかった。それがこのところはまさにでずっぱり状態だ。

 彼の人気は、NTVの昼番組で火がついたような印象がある。その後幾つかの番組で高視聴率を取り、「視聴率男」の異名が付くようになった。そして、TBSの朝の番組でその人気は決定的なものになった。

 TBSにとって、早朝の時間帯は、これまで成功したためしがない。一時的にまずまずの視聴率を取ってもその息は長続きしなかった。だから、言ってみれば、みの氏はTBSにとっての「救世主」だ。

 TBSの内部事情を言うと、政治や国際問題を扱う朝の情報番組で自信を得たみの氏を見て、「なんだったら筑紫哲也の後釜にでも」と考える人間が最近、報道局に出てきている。そこには、かつて「報道のTBS」と言われていた頃のプライドはもう存在しない。

 そんな話を耳にしたので安倍政権が誕生した先週、その朝番組を見てみた。

 番組を見ての感想は、ひと言で言えば、唖然、呆然。とにかくTV画面を見るわが目を疑った。

 画面の中でみの氏が長々と熱く政治を語っていた。まさに彼の独壇場だ。みの氏は、司会者という立場を忘れて長広舌。そこに専門家の解説者がいようとお構いなしだ。というか、解説者やコメンテイターはと見ると、彼らは一様に押し黙っている。解説者としてその日出演していた岸井成格(毎日新聞編集委員)氏も「右へ倣え」でみの氏の長広舌をただ聞くばかり。誰もみの氏を止める者、咎める者はいない。

 まあ、今のみの氏にたてつけば、次からは出演機会がなくなる恐れがあるから出演者達は押し黙ってしまうのだろうが、そんな骨抜き状態のコメンテイターが発言するコメントなど聞きたくもない。私は気味が悪くなりチャンネルを変えてしまった。

 そんなみの氏に対する異論を唱える声が読者から寄せられてきた。その読者が言うには、川口市の保育園児の列に暴走車が突っ込んだ事件に対して、みの氏は『朝ズバッ!』と思われる朝の番組で、「ガードレールもない歩道もない、そんなところを歩かせる保育園の責任」を眉をしかめて話していたという。

 現場の状況をきちんと調べもせず、関係者の話も聞かずに断定的に話す「ジャーナリズムのイロハも知らぬ」人に報道番組を任せたらどうなるか。TBSの報道局も“しっかりと(安倍首相のマネ)”考えるべきである。

園児の列に暴走車 扇動するマスコミ

2006-09-29 01:02:18 | Weblog
 25日に埼玉県川口市の市道で起きた、近くの公園に散歩に向かう保育園児の列に車が突っ込んだ事件で、ワイドショウのキャスターが世論をミスリードしかねない発言をしていたという。

 事件の概要については、多くの読者がもう既に御存知のことと思うが、事件は保育園の日課である公園への散歩の途中で起きた。加害者は運転をしたまま車の音楽テープに気を取られてハンドル操作を誤り、園児と保育士の行列に車を突っ込ませた。運転手は、前夜都内で遊び車中泊、その時はトイレを探していたとも言われている。

 園児は全部で33人。それに5人の保育士が付き添っていた。この保育園の散歩行列は近所でよく見かけるもので、私も何度か見かけている。園児たちは変にはしゃぐことはなく、いつ見ても整然と楽しそうに歩いていた。

 ところが、日本テレビのキャスターは現場付近の映像を見て保育園のやり方に疑問を投げかけたという。幅員6メートルとはいえ、かなり交通量のある道を園児たちに二列で歩かせるのはいかがなものか、園側の安全管理に問題は無かったかと言ったらしい。

 私は番組を見ていたなかったから確信はなかったが、経営する英会話学校のスタッフがその番組を見ていてキャスターの発言に、あまりに一方的と憤慨していた。私はそれも気になったが、園児と保育士の「心のケア」が心配になり、川口市の保育課に専門家の派遣を考えているか確認の電話を入れた。すると、電話に出てきた担当者は、自信に溢れた対応で「明日からの派遣を考えております」と言い切った。小鳩保育園は運動場を持っていないこともあり無認可保育園だが、川口市の独自基準を満たす「家庭保育室」だ。こういった非常時には、行政の支援は不可欠といえる。

 東川口校のスタッフが、もしやと生徒の一人で同保育園に通う男児Mの家に事件の翌日、電話連絡した。すると、Mは、行列の中にいた一人である事が分かった。母親の話では今のところ大きな心の動揺は見せていないとのことだ。

 Mは事件の翌々日、英会話の授業に姿を見せた。私の顔を見ると、いつものように胸に飛び込んできながら「ねえ、TVのニュースみた?」と聞いてきた。その顔には笑みが浮かべられ、事件のショックはうかがえなかった。

 Mが教室に元気に入っていった後、母親に話を聞いた。

 「Mは年長ということもあり、列の先頭を歩いていたんだそうです。外出する時は、年上の子が小さい子の手を引いて、小さい子を守るように車道側を歩いて二列で進むようにしています。先導していた先生が、『車が(後ろから)来まーす』と言ったのでMも後ろを見たんです。だから、事件の一部始終を見てしまったんですよね」

 車はかなりのスピードを出したまま道路の左端を歩く園児達の列に突っ込んだ。そして道路わきの電柱にぶつかって停車した。

 Mの母親によると、Mは「車はずるいんだよ。左に曲がって突っ込んできたの」と言ったそうだ。子供にすれば、自分達はきちんと歩いていたのに、車はルールを守らなかったと言いたいのだろう。

 Mは修羅場を見て震えはしたが、「僕は泣かなかったよ」と言ったそうだ。恐らく自分は年長という意識が高いのだろう。気丈にも取り乱さなかった。だが、彼の心中を想うと心が痛む。

 その夜、家に帰ってからもMは大きな変化は見せなかったそうだ。だが、やけにテンションが高く、遊んでいても相当興奮していたと母親が言った。そして、時折り、ふと事件のことを思い出すらしく、はしゃぎすぎる自分を戒めていたという。

 Mの言動の分析はとても素人の私の手に負えるレヴェルではない。川口市の派遣してくるカウンスィラーにきちんとした分析をお願いしたい。

 さて、日本テレビのキャスターの話に戻そう。その番組は、同席した他の生徒の母親も見ていたようで、その発言に違和感を感じただけでなく、「あの道路の映像を見せていたけど、近所の人の話だと、あの交通量は見物車両のせいで、普段はそんなに車が行き来する道ではないとそうですよ」と、我々の話に加わってきた。

 そして28日の午後、私は現場に足を運んでみた。事故現場には花束とお菓子や飲み物が持ち寄られ、私が現場にいた間にも次々に人が来て献花したり手を合わせていた。

 一部で言われている園児の列が道路の左側(交通の基本は、「人は右、車は左」)であったことへの疑問についても考えてみた。あくまでも推測だが、現場に立ってみると、保育士たちは、道路の右側に倉庫があり、その前にある駐車場に出入りする大型車を避けたと思われる。

 また、並行して走る大通りの歩道の方が安全と思えなくもないが、全国でも珍しい「歩道」と「自転車道」に別れているとはいえ、歩道を突っ走る自転車が後を絶たないことを考えると、それを嫌がったこともありうる。

 だから、現段階で園側に過失が全くなかったとは言い切れないが、世論に影響を強く与えるマスコミが、現状を反映していない映像だけを見て疑問を投げかけることは危険なことだ。そういう無責任な追求をするから教育現場が世論の目を恐れて萎縮してしまうのだ。幸いなことに、保護者たちは園の説明会でも園の方針を全面的に支持、非難する声は上がらなかったという。また、公園への散歩もぜひこれからも続けて欲しいと声を揃えたという。

 事故現場から目的地の公園まで後20メートルほどの距離であった。時間にすれば、幼児の足でも3,4分だろう。現場を訪れた多くの人が、運命のいたずらと思ったに違いない。
 

 

町内会か?

2006-09-27 11:34:35 | Weblog
 安倍新政権が誕生した。

 自民党の党三役が発表され、衆議院で安倍晋三首相が誕生すると、それに伴なって組閣が発表されたのだが、時々刻々と明らかになる顔ぶれは、党の実力者と安倍氏のお仲間ばかり。これでは、わが町の町内会の役員選びと何ら変わらない。

 マスコミはこぞって「論功行賞人事」と書きたて、まるで安倍氏が自分の意思で人選したかのような印象を与えているが、重要ポストのほとんどは、「党内事情」を意識したものだ。

 聞くところによれば、今回の人事に口出しをした人物が何人もいるということだ。中でも、「参院のドン」こと青木幹雄・党参院議員会長と森元首相の影響は大きく、「参院の既得権」はしっかり守られ、森氏にいたっては、安倍氏を3度も呼びつけて口出ししたという。

 長老・実力者達は口を揃えて、「来年の参院選に勝つまでは言うことを聞け」と自分の考えを押し付けたらしい。

 そんな状況から生まれた新政権の顔ぶれを見ると、見るも無残な結果としか言いようがない。政治家と呼べるレヴェルにある者はほんの数名で、後は上から命令されれば、「右向け右」と動いてしまう人たちだ。

 だが、安倍氏にはこれまでマスコミで語ったことや著書を読んでも「右向け右(改憲や教科書改定)!」という号令に近い政策の他にまともに政策と呼べるようなものがない。こんな政府を頂いていては我が国が「美しい国」になれるはずがない。

 それにしても、自民党の右傾化は急速に進んでいる。加藤紘一氏や山崎拓氏が進歩的に見える日が来るとは、20年前、誰が想像したであろうか。今この流れを止めないと、将来に禍根を残すことは間違いない。

 あるジョーク集の中で、こんな事が書かれていると聞いた。

 豪華客船が沈没の危機にある時、乗客を避難させる為の指示を出す時、どういうものが有効か、国籍別に見ると、

 アメリカ人には「飛び込めば英雄になれる!」
 イタリア人には「飛び込めば女性にもてる!」
 ドイツ人には「規則だから」とあり、
 そして、日本人には「みんな飛び込んでいますよ!!」だという。

 また、先日会ったアラブの友人が言った「日本人は魚ですね」も我々日本人の特性を言い得た表現だ。つまり、彼は、「(日本人は)魚の大群みたいに皆同じ方向へ向かい、急に皆で方向転換したりする様に見えますよ」と言いたいのだ。

 私個人としては、「英雄」になりたいし、「女にもてたい」から人より先に飛び込むつもりだ。また、魚の群れを良く見ると数匹が別方向に行っているが、その「数匹」でいたいと思っている。読者の皆さんも、流れに身を任せず、「安倍政権」を監視し続けていただきたい。また、自分の周りの方たちと真剣に行く末を話し合う機会を持っていただきたい。そして、政治により深い関心を払い、来年行なわれる参院選挙には「ハッキリ目に見える結果」を出そうではありませんか。間違っても、体制の都合のいいように“自粛”することだけはやめましょう。

平良牧師、逮捕

2006-09-26 10:04:35 | Weblog
 25日午前、米軍普天間飛行場移設反対の指導者の一人である平良夏芽(たいら・なつめ)牧師(44)が、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ第1ゲート前で、警官隊に逮捕された。

 平良牧師は「行動派牧師」として知られ、対イラク戦争では現地に飛んだことでも有名だが、辺野古沖合いに飛行場を移設する計画が持ち上がってからは、反対運動の先頭に立ち、身を挺して闘ってきた。

 この日も、飛行場移設に先立つ文化財調査のため、市教委職員が基地に入ろうとした際、それを阻止しようとする市民団体と警官隊とがもみ合いになったが、平良牧師は市教委の車の進行を妨害しようと車の下に身体を潜り込ませ、「公務執行妨害」容疑で逮捕されたとのことだ。

 辺野古に米軍飛行場を作れば「ジュゴンの海」を破壊するだけではない。沖縄がいつまでも「基地の島」であり続け、非常時には矢面に立たされることを意味する。また、独立した経済基盤をいつまでも作ることができないことを意味する。基地移転の話は、沖縄の問題に限らないことをわれわれ「ヤマトンチュウ」も認識して関心を持ち続ける必要がある。さらに、米海兵隊の移転先にも関心を払わねばならない。移転先のグアムも沖縄と似た環境に置かれ、島の意見が受け入れ賛成と反対とに真っ二つに割れている。



シリアからの友

2006-09-24 08:16:35 | Weblog
 日本に長年住み、日本人女性と結婚しているシリア人男性のお宅に伺った。家では3人の元気な男の子たちが待ち構えていた。初対面であったが、すぐに私と仲良くなり、遊びたがった。

 しかし、そんな子供たちよりも私を求めていたのは、父親であった。2時間を越える訪問であったが、駅に迎えてくれた時から帰りに駅に送ってくれる時まで私を放さない。つまり、ずっと話し続けたのだ。

 話はほぼ政治的な話に終始した。厳密には政治の話よりも社会的な話なのだが、根は政治にあった。

 彼はまず、日本人がある時期まではアラブの人たちにとって親しみを感じ、尊敬する存在であったことを強調した。ヒロシマ、ナガサキで非人道的な目に遭いながらも目覚しい戦後復興を遂げて世界のリーダー格になったのは、同じアジア人として尊敬できたという。

 これはアラブ世界を歩いていると、耳にたこができるほど聞くことだ。それほど、我々日本人はアラブ世界において“何の努力をしなくても”友好的に迎えられていたのだ。

 「でも、9.11で変わってしまいました。特に、イラク戦争で軍隊を派遣したことはそれまでの関係を全て変えてしまったのです」と、アラブの人たちがアメリカに追随する日本にどれほど落胆したかを熱く語った。

 時にアラブの人独特の「全て悪いのはシオニスト(イスラエル建国のために作られたのがシオニズム。それを信じて実行する人たちを総称する)」と多くの話の原因をひと括りにシオニストのせいとしてしまう強引さは感じられたものの、彼の日本政府、いやそれに声を上げない日本人への怒りをひしひしと感じた。

 もちろんその日本(人)への怒りも、愛するが故に強くなったものであり、聞いている私には、そのほとんどが納得のいくものだ。

 彼がここまで私に熱く語り続けてくれたのは、あくまでも想像だが、日本人に同じことを話してもきちんと受け止めてもらえぬもどかしさがあったのだろう。また、彼の放つ単語のほとんどを私が理解できることから来る話し易さもあったのではないか。とにかく熱かった。われわれは日本語で話していたのだが、出て来る人物や組織の名前は、“普通の日本人”には知られていないものが多かった。それを説明せずとも話を進められる心地やすさも手伝っていたのかもしれない。

 私にとって彼は「ごくごく普通のアラブ人」であったが、直子(私の伴侶)にとっては、彼は彼女の友人なのだが、昨日の話し方と話の内容がカルチュア・ショックだったようだ。

 しかし、面白かったのは、あれだけ長い話を聞いたのにもかかわらず、彼女にとって一番印象に残った(勇気付けられた?)言葉は、「アラブでは男性がかなり年上の夫婦は普通」だった。

 「10歳、20歳は普通だって」

 電車に乗って帰路に着くと直子は嬉しそうに言った。

 彼女がそう言うのは背景があった。私たち二人は、交際して4年近く経ち、ほぼ同じ期間同棲しているが、彼女の両親から「歳の差」を理由に未だに結婚を許されていない。それが今の彼女にとって最大の悩みでもあるのだ。

 そんな直子も可愛かったが、3人の子供たちもナントモ可愛いかった。3人それぞれが「子供らしい」のだ。母親の包むような温かさと、父親の厳しい中にもひしひしと伝わってくる大きな愛情とが上手く調和されて子供に伝わっているのだろう。いい育ち方をしているように見えた。

 子供好きな我々は父親の話も楽しく聞けたが、もう少し子供たちと遊ばせて欲しかったというのが本音だ。2歳の三男坊がお別れの時になると、泣き出した。すると父親はさっと抱き上げて、車に同乗させた。その時の嬉しそうな表情は、いやあ、癒されますなあ、ホント可愛かった。また、それを見送る長男と次男の悔しそうな表情もこれまたヨロシイ、可愛かった。

 

9.11とマスコミ報道 その3

2006-09-23 11:00:18 | Weblog
 私は、マスコミ報道、特にTVのニュース番組に出演していながら(出演していればこそ?)TV局に批判の目を厳しく向ける。

 だが、例外がある。同じTVでも地上波(一般的に見られる放送)と違いBS(衛星)放送は概ね私の中では評価が高い。ドキュメンタリーやニュース番組本来の形態が比較的きちんと守られているからだ。

 9.11が起きてからBSやCS(ニュース専門)放送の番組にも解説者として出演したが、地上波で味わう苦々しい思いを抱くことはほとんどなかった。それは、確かに時間的な制約が少ないこともあるが、“数字(視聴率)”をあまり気にしなくてもいいという気楽さがストューディオ(スタジオ)に良い空気をもたらせているような気がする。

 さて、話を対アフガン戦争に戻そう。

 この頃幾つか不可思議なことが起きていた。その一つが、アフガニスタンの隣国、パキスタンの政情だ。9.11が起きる前は、アフガニスタンのタリバーン政権のもっとも親しいと言われたというか、タリバーン政権を支えてきたたパキスタンのムシャラフ大統領が突然、“親米”に転じたことだ。

 あまりに予想外な展開に、私はブッシュ政権のパキスタンに対する核兵器開発援助までをも疑った。今のところ明らかにされているのは、アーミテージ国務副長官(当時)がパキスタン政府に対して行なった脅迫説である。それは、当時のアーミテージ氏がパキスタン情報機関の長に対し、「爆撃され、石器時代に戻る準備をしておけ」と脅迫まがいの言葉を使って協力を迫ったというものだ。いずれにしても、なんらかの“奥の手”又は“禁じ手”を使ってムシャラフ大統領が協力せざるを得ない状況に追い込んだことは事実だ。

 約3万人のタリバーン兵と共に姿を消したビン・ラーディンの包囲説や拘束説が何度もマスコミで伝えられた。だが、彼は米軍に捕らわれるどころか、潜入生活に入っても意気軒昂で、巧みにマスコミを使いながら反米活動を続けた。

 12月、TBSから一本のヴィデオが手渡され、分析を依頼された。ヴィデオは、米軍がゲリラ掃討作戦をする内、アル・カーイダの隠れ家を急襲、“慌てて”逃げた跡が残る部屋に置き忘れられたものだったという。米政府は「ビン・ラーディンが9.11の首謀者である決定的証拠だ」と、大騒ぎだとのこと。

 私はそのテープが“発見された”状況のあらましとヴィデオの一部を見ただけで、戦闘員達が「慌てて逃げた」わけではなく、ヴィデオが「置き忘れられた」ものではないことが分かった。

 そのヴィデオの“主役”は、ビン・ラーディン。いや、「主演・監督」共にビン・ラーディンだと言っていい。ビン・ラーディンたちが、時に下品な笑いをまじえながら「9.11」を語る場面が延々と続くが、最後にビン・ラーディンが、「カメラ目線(正面を向き)」になり、詩を朗読するシーンが挿入されている。

 詩の中で、ビン・ラーディンは「暗闇が我らに襲いかかり、鋭い歯でかむ時」と、アメリカの攻撃を表現した後、「戦場からは剣の輝きと馬が消える」と、タリバーン・アルカイーダ連合の敗北を予測している。

 この撮影が言われているように11月9日であれば、その時点ではタリバーン政権は全土の大半を支配していた。だがその数日後、北部の要衝であるマザリシャリフと首都カブールが相次いで陥落している。ビン・ラーディンは自陣の敗北をこの時点で覚悟していたと見て間違いない。

 詩はその後、「泣き叫ぶ声の向うから、太鼓の響きとリズムが聞こえてくる」と続き、一時的な敗北の後に来る「新たなる闘い」を同志たちに呼びかける。そして、「彼らは暴君の砦を襲い、叫ぶ。『おまえが我らの土地を解き放つまで、我らは攻撃をやめない』と」と、最後を結んでいる。「我らの土地」とは、イスラム教の聖地がある、サウジアラビアであり、エルサレムであり、それらが異教徒の手から「解放」されるまでは戦いを続けろ、と呼びかけているのだ。 

 マスコミは、このテープを「決定的な証拠」と大見出しで報じ、先進国の間で「これで良かった」との世論が出来ていった。その時、私はこの報道合戦には重要な視点が欠落していると指摘した。TBSの主要ニュース番組や一部の情報番組の取材に答えてコメントしている。だが、私の力(役?)不足だ。私の視点は多くの注目を集めることはなく、逆に多くの解説者から発せられる客観性を欠いた解説や報道がお茶の間に流され続けた。当時、まだ自分のホームページを持たなかった私は、知人友人に「勝手に送りつけメール」と題したメール情報を提供していたが、それが世論作りになるはずもなかった。

 戦争報道には冷静な客観性が要求される。敵対する両陣営から状況を自陣に有利に導こうとして情報戦が仕掛けられるからだ。このテープの問題も一面だけ見れば、「ビン・ラーディンの犯行の決定的裏付け」といった方向に導かれてしまう。だが、俯瞰してみると、「なぜテープが残されていたか?」「なぜ米政府はそのまま公表したのか」という疑問が湧いてくる。

 ところが、センセイショナルな報道を好む現代のマスコミにそういう冷静さは見られなかった。ただ目の前の“美味しい情報”に群がり、視聴者や読者をミスリードしていった。この時点でマスコミに冷静で説得力のある報道が行なわれていれば、1年半後の対イラク戦争は避けられたのではないか。私は今でもそう思っている。(続く)




 

飲酒運転記者 懲戒免職

2006-09-22 09:35:51 | Weblog
 朝日新聞社は21日、飲酒運転で検挙された同社記者を懲戒免職にしたと発表した。

 クビにせずとも他の部署に移して「再教育」という処分も考えられたようだが、同記者が「飲酒運転撲滅キャンペイン」に関わってきていたこと、朝日のこれまでの飲酒運転に対する姿勢を考えると、これが最適と言えるかもしれない。

 

朝日記者飲酒運転で検挙 でも…

2006-09-21 13:16:50 | Weblog
 福岡の悲惨な事故を契機に全国的に飲酒運転への目が厳しくなる中、朝日新聞甲府総局の中川裕史記者(27)が、道交法違反(酒気帯び運転)容疑で山梨県警甲府署に検挙されていたことが分かった。同署は近く書類送検する。

 中川記者は19日未明、自宅近くの市道で、酒気を帯びた状態で乗用車を運転した状態で検問に引っ掛かり、検挙されたもの。調べに対して同記者は「17日夜から18日朝にかけ、自宅や居酒屋で約8時間ビールや焼酎などを飲んだ。私用で外出した」と供述したが、朝日新聞社の調査には「18日は休みだったので、昼に酒を飲んだ」と話しているという。

 同社によると、中川記者は警察取材を担当し、同県身延町教育長が19日に酒気帯び運転容疑で検挙された記事の取材・執筆にも携わったという。20日付で本社管理本部付に異動させ、さらに調査のうえ処分する方針だそうだが、その「方針」とやらに注目させてもらおう。

 朝日新聞は、武内健二編集局長が「飲酒運転による事故の悲惨さを伝え、紙面を通じて運転手の自覚を促している報道機関の一員として、情けないとしか言いようがありません。深くおわびいたします。私たち自身をさらに厳しく律し、社会的責務を果たしていきたいと考えています」とのコメントを出したが、何か上辺だけの様に感じてしまうのは私の性格が悪いせい?

 新聞各紙がこのニュースを一斉に報道したのは言うまでもないが、気になったのは毎日新聞の記事だ。

 「酒気帯び運転の基準となる呼気1リットル当たり0.15ミリグラムをわずかに上回るアルコールが検知された」
 という書き方はいかがなものか。同業者への甘やかしというか、「持ちつ持たれつ」精神なのか知らないが、これは読んでいて不快になる。

古狸の恐ろしさに尻尾を巻いた安倍新総裁

2006-09-21 02:11:53 | Weblog
 20日の自民党総裁選で安倍晋三氏が464票を獲得、麻生、谷垣両対立候補に大きく水を空け、第21代総裁に選出された。51歳という年齢は、田中角栄氏の54歳を更新する若さで戦後最年少総裁の誕生だ。また、初の戦後生まれの総裁でもある。

 得票率も全投票数の約66%だから圧勝と言ってもいいだろう。だが、予想されていたほどの圧勝ではなく、対立候補の麻生、谷垣両氏が100票以上取った。これは、安倍氏に「無言の圧力」をかけたに違いない。

 それは、今週末までに発表される予定であった党三役の人事が週明けに持ち越されたことからも伺える。安倍氏は異常なまでに小泉氏(の人気?)を意識しているが、変に小泉氏を真似すると大失敗することもありうる。“孤高を貫いた”小泉氏に比べて安倍氏は年寄り連中に可愛がられて登りつめてきた根っからの党人だ。そんな安倍氏に党内事情を無視しての人事を決断する勇気などあるはずもない。投票結果を受けて今頃、「誰でもが納得できる人事」を森元首相あたりと雁首を揃えてやっているはずだ。

 いずれにしても経験不足のお坊ちゃまが古狸相手に蛮勇を奮って良い結果が出るはずがない。先週も小泉流を真似して「参議院選挙の候補者選びは好きにやらせてもらう」などといった勇ましいニュアンスの発言をしたが、「参院のドン」である青木幹雄参院議員会長の怒りを買うと尻尾を巻いて前言を撤回した。投票日前には、500票を超えると予想されていた獲得票が大きく下回ったのは、そのこととは全く無関係ではなかろう。あれですっかりびびった安倍氏は、党三役人事すら自分の意思で決めることができなくなったのだ。そりゃあそうだ。今回の総裁選には5つの派閥が彼を推した。「論功行賞(ごほうび)人事」を求められているのが分かっている安倍氏は、恐らく党三役と閣僚人事のセットで派閥の領袖(リーダー)と実力者たちの御機嫌取りをしようとしているに違いない。

 こんな政治家に政権を預けざるを得ないわれわれも、いくら自分達で選んだ政治家だとはいえ、可哀想な運命にある国民だ。

ローマ法王に攻撃予告

2006-09-19 01:20:41 | Weblog
 イラクのアル・カーイダ系武装勢力「アンサール・スンナ」を名乗る集団が18日、ローマ法王ベネディクト16世のイスラム教に侮辱的とされる発言をした問題について、ネット上に声明を流し、「ローマの城壁を破壊する日は近い」と攻撃を予告した。

 また、「ムジャヒディン諮問評議会」を名乗る集団も18日、ネット上で、「法王発言はブッシュの十字軍に動員をかけたもの」と非難声明を出した。同集団もアル・カーイダ系組織と見られている。

ローマ法王に抗議の嵐

2006-09-17 23:30:44 | Weblog
 ローマ法王ベネディクト16世は12日に行なったドイツの大学での演説で、聖戦を命じるイスラムの教えを「邪悪で残酷」と評したビザンチン帝国皇帝の発言を引用、それがイスラーム世界に「怒りの渦」を巻き起こしてしまった。

 16日には急遽法王庁が事実上の謝罪声明を出したが、怒りは収まらず、17日にもイスラーム圏各地で抗議行動が起きた。特に、パレスチナ自治区のガザでは、ハマースの旗を掲げた数千人の民衆が抗議行動に参加した。

 それを受けて17日、法王は日曜礼拝の場で異例の謝罪・釈明演説を行なった。これでイスラーム世界の怒りが収まるのか、私には予測できないが、それにしても法王は軽率な発言をしたものだ。ただでさえ、対イラク戦争やムハンマッドのイラスト問題で「キリスト教とイスラーム教の『文明の衝突』」が懸念されている状況である。なぜ「火に油を注ぐ」ような発言をしたのか、私はその真意が知りたい。

米議会の靖国批判の扱い

2006-09-16 12:00:29 | Weblog
 昨日お伝えした米議会公聴会における「靖国批判」は、残念ながら日本のマスコミではいずれも大きく扱われず、讀賣新聞夕刊では二面(外信面)で一段、朝日新聞でも三面で四段、TVニュースにいたっては(電子版で調べる限りにおいては)ほとんどの局が取り上げなかった。

 靖国問題に対して批判的な私にとって、このマスコミの姿勢が不満であるのは間違いないが、それにしてもニュースを選ぶ価値基準がおかしくなっている。日本の将来にとってこのニュースが、「紀子さま・悠仁さま退院」(カラー写真付き)や「堀江裁判」よりも大きな意味を持つと私は思うのだが…。

 このマスコミ報道を見て喜んだのは、誰あろう、小泉さんと安倍さんだろう。

松井選手がホームラン! さあ、浅井よ、どう答える

2006-09-16 00:53:33 | Weblog
 ニューヨーク・ヤンキーズの松井秀喜選手が14日の試合の第一打席でホームランを放ち、球場の観客から喝采を浴びた。当然のことだが、日本のマスコミも大きく取り上げている。

 私は、皆さん御存知のように、松井選手の完全復活はまだ先のこと、という論調の書き込みをして「4打数4安打」にはやるマスコミやファンに対してブレーキをかけた。だから恐らく、なあんだ、浅井の言っていた事はでたらめだという方もおられるかもしれない。

 確かに、14日の試合のホームランは真芯をとらえた見事なものであった。ノーヒットに終わった復帰第二戦を反省して、バッティングのポイントを前に持ってきたのが効を奏したのだと思う。長打を打ちたいとの思いに溢れた打撃フォームだ。だが、この打ち方では外角球は余計芯で捕らえにくくなる。「ツボ」に来た球しか長打にはならないだろう。「復帰第一号」は、私の目にはまだまだ「出会い頭の一発」に見える。その根拠は、凡退に終わったその後の打席にある。ファンやマスコミの皆さんが期待するように、長打の量産はまだ少し先のことだ。

 だが、それにしても、松井という選手は大したものだ。万全とは言えない状況の中でも「魅せるプレイ」を見せてくれる。


首相の靖国参拝に米議会から非難の声

2006-09-15 13:06:50 | Weblog
 米政界の大物議員が相次いで日本の「靖国問題」へ苦言を呈している。

 中でも14日の米下院外交委員会が開いた、日本と中国、韓国など近隣諸国との関係に関しての公聴会で対日批判が噴出した。その席で戦争体験を持つ戦中派議員らが、A級戦犯を合祀した神社を日本の首相が参拝することは、「モラルの崩壊だ」と強い口調で批判した。

 共和党のハイド同委員会委員長と民主党の重鎮のラントス議員は、小泉首相の靖国参拝を批判するだけでなく、次期首相に対しても参拝しないよう要請した。また、南京大虐殺の実態を否定する教科書を「日本政府が認めている」と指摘、「歴史を否定するものは(同じことを)繰り返す」と、日本政府の姿勢を厳しく非難した。

 小泉さん、安倍さん、大変なことになりましたね。あなたたちの苦手な外圧ですよ。それもアメリカからのね。さあ、どうします?

9.11とマスコミ報道 その2

2006-09-15 12:25:45 | Weblog
 10月8日に始まる米軍の空爆は日毎に激しさを増し、米軍主体の多国籍軍と北部同盟連合は各地でタリバーン政府軍を討ち破り、首都カブールへと駒を進めていった。西側社会に“戦勝気分”が漂うようになり、マスコミも“米軍大本営発表”を鵜呑みにして戦況よりも「バイオ・テロの恐怖」や「テロリストの親玉」の居場所探しに関心を移した。

 この時期のバイオ・テロとは、全米を震撼させた炭そ菌ばら撒き事件のことだ。郵便物に入れられた「白い粉」が官庁やマスコミ各社などに送られ死者が出たため、大騒ぎになった。標的にされた米マスコミ各社は、他人事(遠くで殺される無実のアフガニスタンの人たちのこと)になど構っていられるかとばかりに、バイオ・テロ報道に集中した。しかも、さしたる根拠もないのに炭そ菌騒ぎをアル・カーイダと関連付けて報道した。

 公営放送のPBSテレビにいたっては、チェイニー副大統領にインタヴューして、「オサマ・ビンラーディンが生化学兵器など大量破壊兵器を入手するために数年間努力してきた」と、炭そ菌騒動と9月11日のテロ攻撃の黒幕とされるビンラディンの関連性を示唆する発言を大々的に報道した。
(続く)

 米主要週刊誌の一つが、使われた炭そ菌の種類が、かつてアメリカからイラクに供与したものと同じだと伝えた。遠回しにイラクのフセイン政権とビン・ラーディン・グループが密接な関係にあることを読者に印象付ける形となった。これは明らかに偏向報道である。結局、この事件の容疑者として逮捕されたのは、アル・カーイダのメンバーでもなければ、イラク人でもなかった。政治的には全く無関係の米人であった。しかし、人々の記憶には何が残っただろうか。私が周囲に聞いた限りでは、彼らの記憶には事実関係よりもビン・ラーディンへの恐怖が強く残されたとの印象が強い。


 そんなアメリカの炭そ菌騒ぎに影響を受けた日本のマスコミも“当然”のことながら追随報道した。TVの報道番組で、アル・カーイダと炭そ菌事件を関連付ける発言をするコメンテイターが多く、ここでも「そんなことはありえない」とする私は解説陣の中では少数派であった。

 空爆が開始された5週間後の11月13日、多国籍軍に支援された北部同盟軍が首都カブールを占拠した。タリバーン政権の終焉である。

 あっけない幕切れであった。そのあっけなさに各マスコミは驚きの反応を隠さなかった。かつてあのソ連軍を駆逐したイメージが強烈だったためにタリバーン政権が開戦からひと月余で崩壊すると見る向きは少なかったのだ。日本の新聞は、「タリバーン兵がカブールから突然消えた」といった内容の大見出しでカブール陥落を報じた。

 「またか」
 私はその撤退報道を見てそう思った。それは、「タリバーン兵(約3万人)の突然の首都からの退去」は湾岸戦争の「クウェイトからのイラク主力部隊(約10万人)の突然の撤退」の再現に見えたからである。

 1991年の湾岸戦争をイラクから現地報告した私は終戦直前、バグダッドの滞在先で、イラク政府の情報筋から「イラク主力部隊が地上戦を避けてクウェイトから2日後に撤退」との極秘情報を得ていた。それは、フセイン大統領はクウェイトに侵略させた10万人以上の共和国軍兵士を全て撤退させてイラクに呼び戻す決定をしたという内容であった。

 「地上戦を避けて撤退?なぜ?」
 と、その理由の説明を求める私に情報筋は言った。

 「フセインは既に戦後を考えている」

 しかし、「パパ・ブッシュ」は、フセイン政権を全滅させるまで戦闘を止めることはないと言い、必ずやサッダーム・フセイン大統領の息の根を止めると国民に約束していた。そんな米軍がフセイン政権の生き残りへの動きを看過する筈がない。たとえ夜間であろうと撤退する10万もの大軍の動きを容易に察知して、そのど真ん中に爆弾を幾つか落とすだろうと、私は見ていた。

 私はこの時、見通しを、また情報の読み方を間違えた。実際には、当時報道されなかったが、米軍は10万ものイラクの大軍がクウェイトから撤退するのを見て見ぬフリをしたのだ。そんな実態を知らぬマスコミは、軍靴や制服もろくにまとっていないイラク兵を大写しにして、「イラク軍の実態」を哂った。

 かつて中東の最強部隊と言われた共和国軍の温存に成功したフセイン大統領は湾岸戦争終結後、「イラク軍は崩壊した」とのマスコミ報道を信じて政府転覆を図ったシーア派とクルド族の武装勢力を徹底的に叩きのめした。

 数年後、湾岸戦争当時、米軍のトップの統合参謀本部議長であったコリン・パウエル氏が、TV局のインタヴューで、「あの地域に政治的空白を生まないために撤退するイラクの大軍を見逃した」ことを認めた。

 タリバーン兵を逃がして米政権に何の得になると反論する専門家がいたが、答えは簡単だ。アフガニスタンに「火種」を残しておき、それを口実に米軍が占領を続けたかったのだ。

 「米軍がアフガンを占領し続けるメリットは何?」
 この話を講演会でするとよく出る質問だ。

 歴史的、地政学的に言えば、米国にとってアフガニスタンはかつて、ソ連との覇権争いのかなめであった。長年内戦が続いたのもそのためだ。だが、ソ連が崩壊して「北の脅威」を警戒する必要は激減した。その代わりに出現したタリバーン政権も崩壊した。だから政治的な「頭痛の種」は解消したことになる。後は、じっくり「最終目的」を遂行するのみだ。

 その「最終目的」とは、天然ガスだった。

 アフガニスタンの北にトルクメニスタンという国がある。世界有数の天然ガス産出国だ。石油の枯渇も心配される中、様々な対応策が世界各国によって検討されてきたが、アメリカはトルクメニスタンのガス油田に目を付けていた。トルクメニスタンからアフガン、パキスタンを通ってインド洋に抜ける天然ガスのパイプ・ラインを引けば、大量供給が可能になる。そのためには、是が非でもアフガンに米国にとって都合のいい政府が必要だった。

 米国の目論見どおり、タリバーン兵は地方に分散してゲリラ活動を始めた。ビン・ラーディンの包囲網も順調に狭まり、親玉の拘束も時間の問題かと見られていた。