浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

永田町の異臭

2006-03-31 09:49:08 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 橋本龍太郎元総理の政治団体「平成研究会」への日本歯科医師連盟からの献金問題で、献金の裏金化を図ったとして逮捕・起訴されていた、同会幹部で、元官房長官を務めたこともある村岡兼造氏が30日、無罪の判決を受けた。

 これは、5年前、永田町のお隣にあり、議員バッジをつけたセンセ達が夜な夜なたむろする赤坂の料亭で起きた、「お代官様、お納めください」「越後屋、お前も悪よのう」という“暗闇政治の教科書”にでも出てきそうな典型的な話だけに、村岡氏が逮捕された時は、私も深く考えずに、さもありなんと妙に納得してしまった。

 ただ、事件発覚後しばらくすると、永田町では橋本氏への「個人献金」とする見方が多く、村岡氏はスケイプ・ゴウトではないかと言われていた。昨日出された判決要旨を読むと、裁判官もそう判断したようだ。

 実は昨日、私はある大手企業の幹部と会食していたのだが、そこでも橋本氏がどれほど恐れられていて、その影響力を及ぼしていたかが話題になった。そこで出た話をそのままここで紹介するわけにはいかないが、皆さんが聞いたら仰天するような話も聞くことが出来た。5,6年後くらいには「情報公開」できるかもしれないのでその時になったらご紹介するが、いずれにしても橋本氏の影響力の凄さには舌を巻いた。

 橋本氏は、現職総理ではなくなった今もかつてほどの権勢は振るえなくなったもののまだまだ影響力はある。今回の裁判と密接な関係のある検察への影響力も未だに相当強いものがあるようだ。また、外交面でも、小泉氏が日中関係で行き詰まりを見せると、すかさず動く「時流を見抜く力」も失せていない。日本国際貿易促進協会会長である橋本氏は日中友好7団体を引き連れて30日、北京に到着、今日にも胡錦濤国家主席と同市内の人民大会堂で会談する予定だ。胡主席が日本の政治家と会談するのは、昨年5月の自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長との会談以来となる。

 小泉さんの「橋本潰し」に耐えた元総理が今後どのような逆襲を見せるか分からないが、政財界に底知れぬ影響力を有する実力者だけにこのまま終わることはいずれにしてもないだろう。

 そう言えば、昨日、かつて竹下派で権勢を思うが侭に振るった民主党の小沢一郎・前副代表、羽田元首相、渡部恒三国会対策委員長、それに国民新党の綿貫民輔代表が、西麻布の中華料理屋で会食したそうだ。かつて、竹下派を牛耳り、海部、宮沢、細川、羽田の四首相を操り人形のようにもてあそんだ小沢氏が、今何を画策しているのか知る由もないが、いよいよ水面下で動きを見せ始めたのかもしれない。

 どろどろ、ぐちゃぐちゃ、プ~ン…永田町から聞こえてくる話は相も変わらず醜く、異臭を放つ。政界浄化が叫ばれて久しいが、今回の無罪判決を読みながら、その実態は50年前とどれほどの違いがあるのかと深いため息をつかざるを得なかった。

綿井氏のバグダッド報告に異論・反論・オブジェクション

2006-03-29 00:40:14 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先ほどのTBSのニュース番組「NEWS23」でジャーナリストの綿井健陽氏がバグダッドから報告していた。かねてより、彼の活躍に注目している私は、彼の報告を楽しみにチャンネルを合わせた。

 この番組では、昨日から「イラクは内戦なのか」と題して連夜イラク関連報道をしている。

 綿井氏は、筑紫哲也氏との掛け合いで、現状を「闇の中の内戦」という表現の仕方をした。というのは、このところ、闇夜にまぎれて多くの住民が武装組織に連れ去られ、拷問の末に死体となって発見されることが多発しているからだ。彼の表現には、一般的な内戦とは現状は異なるという考え方が反映されているように感じられた。

 ただ、綿井氏のこの見方には残念ながら異論を唱えざるを得ない。内戦というのは、まさにこういう戦い方が“一般的”だからだ。かつて15年間続いたベイルートではこのような殺し合いが頻発した。中南米の内戦でも日常的に見られた殺し方だ。

 綿井さん、イラクはもう完全に内戦ですよ。バグダッドにはこれまで多くの戦場を取材してきたヴェテラン記者がいるはずです。彼らと大いに意見交換してみてください。彼らはイラクの現状を「疑いようもない内戦だ」と言うでしょう。米軍幹部もそう認めていますよ。あなたが報告していたように、バグダッドの町中に米兵の姿があまり見られないのは、ゲリラ戦を恐れて基地の中にこもっているからです。今後の報告を期待しています。

上映・展示会のお知らせ

2006-03-28 23:49:04 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私のパートナーの神直子は、これまで何度かこのブログでもご紹介いたしましたが、フィリピンで戦った旧日本兵と被害者となった現地住民との間を取り持つヴィデオ・メッセージ企画「BRIDGE FOR PEACE」を主宰しています。
 その会が4月に都内で下記の内容の「上映・展示会」を企画しています。どうぞお出かけください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.上映・展示会やります!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■□■■□■ ― 上映・展示会のお知らせ ―
□■□ フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージ・プロジェクト
□■  主催:BRIDGE FOR PEACE  〔入場無料〕

日 時:4/16(日)~4/23(日)  11:00~18:00(最終日17:30まで)
会 場:UPSTAIRS GALLERY (アップ ステアーズ ギャラリー)
     東京都渋谷区恵比寿西2-18-6 SPビル2F
     ・東急東横線 代官山駅(北口)より徒歩3分
     ・JR/地下鉄日比谷線 恵比寿駅(西口)より徒歩10分
Map⇒ http://www.mrfriendly.co.jp/gallery/03_map.html

【 内 容 】
元日本兵の方々のビデオメッセージ上映/メッセージを受け取ったフィリピン
人からの返信ビデオ上映/フィリピン・戦争をモチーフにしたアート作品の展示
写真展示/その他フィリピン雑貨など

【オープニング・レセプション】
4月16日(日)15:00~、簡単なオープニングパーティを開催したいと考えて
います。お飲み物とお菓子をご用意してお待ちしています。特に予約は必要
ありません。

*4/22(土)、23(日)は数時間席をはずしてしまいますが(スタッフは
誰かしらいるようにします)、ほぼ毎日います。お待ちしています!
*今回の上映はFRIENDLY DAY INTERNATIONAL http://www.friendlyday.org/
社のお力添えにより実現しました。4/14を世界中みんなが仲良くしようと願う日
フレンドリーデイと定め、2003年より都内でイベントが開催されています。今年は
代官山地区で様々な取り組みがなされます。その一環としての開催です。

粋滸伝 Nさんの巻

2006-03-28 18:21:33 | Weblog
 私の知人のNさんと道でばったり。彼女は大手マスコミを数年前に退職、今は悠々自適の人生を送っている。
 
 Nさんは、マスコミに勤務していた時、報道ではなく閑職にあったので(本人の弁)、現役の頃から悠々自適に近いサラリーマン生活を送っていた。中でも、「人を育てたり、世に出す」ことが大好きで、これはと思う人物がいると、自分の人脈を使って輩出してきた。

 その一人が、アイヌ詩曲舞踏団「モシリ」のアト゜イだ。

 Nはひょんなことで出会ったアト゜イに才能を見出し、80年代、まだ無名に近かったアト゜イをマスコミに紹介して脚光を浴びさせた。今では珍しくなった1ダースもの子宝に恵まれながらも世間に迎合することなく、芸術性を高めていたアト゜イは、見るからに天才肌の芸術家だ。扱いが難しい。そんなアト゜イに時折りため息をつきながらもマスコミに受け入れられるにはどうしたらいいかと、Nが頭を悩ませていたのは今も記憶に強く残っている。

 モシリが注目されたのは、ジャズ演奏者の坂田明の力によるところが少なくないが、傍から見ていてNの尽力は涙ぐましいものがあった。ただ、自分の苦労は外に見せるタイプではなく、飄々と好き勝手にやっていると評する人が多かった。

 彼女が10年位前、私に引き合わせたのが、アイヌの詩人・古布絵作家で、民族解放の運動家であった女性である。まあ、詩や芸術への関心がまるでない私は、彼女の活動にあまり協力できなかったが、一時期交流をさせていただいた。

 「静江さんがようやく認められてきてさ。本もここのところ2冊出すし」と嬉しそうに話すNさん。長い間の支援がようやく実を結んだね、と言うと。「そうよ、ほら、そう言えば、タカシが先に売れちゃったじゃない?」と静江さんの息子の話を持ち出した。

 タカシ?そんな名前を急に持ち出されても私の記憶に静江さんの息子像は蘇らない。きょとんとしていると、Nさんは、「ほら、俳優の宇梶剛士よ」と補足してくれた。

 そこでようやく話がつながった。宇梶剛士氏については、昨年ある番組で見かけて、その「アイヌの母親を持ち、関東最大の暴走族の総長」という経歴を聞いて興味を持っていた。そんな彼が静江さんの息子さんとは思いもよらなかった。何か「似たようなニオイ」を彼に感じている私は、その内一度会う機会を持たせてもらいたいとNさんに伝えた。

 Nさんはそこまで話すと、また飄々と春風に乗って私の前から姿を消した。嗚呼、楽しきかな人生。

 

中谷さんと南京虐殺

2006-03-27 13:38:47 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「特務機関員中谷孝」氏のことを書いた記事の一部が消えていました。2月13日に補筆版として出した時に消してしまったのかと思われます。大変失礼しました。
 それに関連することですが、私の記述を読んで「中谷さんが南京虐殺を体験した」かのように誤解されている書き込みが幾つか見られました(その方たちは本ブログの新規約である登録をされていなかったので削除してあります)。
 ここでは、中谷さんがネット上に掲載している記述をそのままお読みいただいた方が分かりやすいと考え、その部分をご紹介します:

ひとけのない小山の上で一人、多くの野犬に囲まれた恐怖は忘れがたい。
昭和14年2月、貿易会社に就職した18歳の私は、中国に渡ることになった。
安徽省蕪湖出張所に赴任するすることになったのだ。旅の途中、南京に滞在した。

市内を見渡そうと何気なく小山に登ったときのことだ。
20頭近い野犬の群れに囲まれてしまった。頂上の私を睨みながら中腹を列をなしてぐるぐる廻り、だんだん迫って来る。自転車を急発進させて辛うじて逃れたが、後で会社の人に言われた。


「あれは1年2ヶ月前の南京攻略戦の時、数千人の遺体を埋めた土饅頭だ。地元の人は鬼(幽霊)が出ると恐れて、誰も近寄らないところだ。ああいう巨大な土饅頭が市内に幾つかあり、小さなものはたくさんある」

鳥肌が立った。野犬達は飼い主を殺されたのだろう。墓を踏みつけて登った私を許せなかったのだと思う。

後年、日本軍の従軍僧と親しくなった。彼は日本軍司令部の許可を取り、腕章を着けて中国の仏教団体と一緒に2ヶ月かけて多くの土饅頭を作り、犠牲者の遺体を葬ったと言っていた。

また、私は、南京攻略戦の渦中にいた兵士達とも話す機会が多かった。城壁に囲まれた大都会の逃げ道をすべてふさいだため、戦闘を終えた時点で各部隊は自分たちの何十倍もの捕虜を抱え込んで大混乱に陥り、処置に困って虐殺に及んだようである。

揚子江岸下関(シャークヮン)方面より突入した第16師団長中嶋中将の日記によれば、
「……始末に堪えず、捕虜にはせぬ方針なり」
と書かれている。捕虜にはせず逃がしもしない……。

民間人と兵隊の区別がつかず、捕えた数の多さに恐怖を募らせて住民を含む多数の中国人を殺戮したのだ。100人あまりの部隊が1万人近い捕虜を任されて、捕虜に対する恐怖心のあまり川岸の潅木林に連れ出して囲み、全員焼き殺したと言う事例も、実行した兵士から聞いた。

南京大虐殺の人数については議論のあるところだが、数はどうあれ、戦闘力を失った敵捕虜と、かなりの数の住民を殺戮したことは確かである。問題は殺戮した人数ではなく、人間を人間と思わなくなる戦争の狂気なのだ

電車でバスでTVが観られるぞおおおお!

2006-03-27 13:06:03 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 皆さんもうすでにご存知のことと思われるが、4月1日から「待ちに待ったワンセグ」が登場する。TV好きの我々にはワクワクどきどき、あと数日が待ち遠しくて仕方がない。

 だって考えてみてください。どこにいても大好きなTV番組が携帯電話で見られるんですよ。韓流ドラマであろうと、先日のようなWBCみたいなスポーツ番組も例外ではないのだ。いやあ、技術の進歩はたまらんですな。ほんの10年前まで誰が電車の中でTVを観られると想像しましたか…。

 てなことを私が言うわけはない。

 いやあ、このところのTV番組でワンセグが紹介されているが、そのほとんどが利便性を賞賛するものばかり。ワンセグ万歳の番組オンパレイドだ。中には、異論を唱える人がいるが、それでもそれは、「TV中毒になってしまうのでは」「目が悪くなる」といった利用者に与える直接的な影響を危惧するに止まっている。

 電車などの交通機関を利用されていて、皆さんがしつこいくらいに耳にするのは携帯電話の扱いだ。しかし実態はとなると、車内で携帯を使う乗客は後を絶たず、大幅な改善はされていない。ひどい者になると、注意するこちらに喧嘩腰で迫る輩もいる。

 電話やメイルでさえこの有様だ。これがTVになったらどうなるのかと私は今から心配でならない。そこで、大もとのNHKと民放連(民放各社を代表する団体)そしてJR東日本に見解を求めてみた。いずれもがメディアに対する窓口となる広報担当である。

 やはりと言うか、案の定、3組織とも何ら具体的な対応はこれまでにしていなかった。

 「これまで視聴者に対して注意を呼びかけることはしてきたか」との問いに、「してきていない」との答えが返ってきた。それでも民放連の広報担当は誠実さの感じられる対応で、折り返し電話をくれて「正式回答ではない」とはしながらも「それに近いもの」を出してくれた。まあ、その内容は、「利用者が社会的マナーをXXX」というもので紹介をするまでのものではないと判断して省かせていただくが、ただ、私の意見をきちんと吸い上げようとする姿勢は評価して良いだろう。また、JRも「何かありましたらご連絡いたします」と対応してきた。

 3本の電話を終えて共通した感想は、いずれの組織もが対応を全く考えていなかったというものだ。何か新しいことをしようという時、様々な起き得る事を考えてそれに対応出来る体制作りを考えるのが欧米ではごくごく普通のことだ。ところが日本では「今からそんなことを考えたってしょうがない」に代表される言い方で議論がなされず、想定作業についても軽視されることが多い。4月1日からしばらくは、物珍しさもあって、あまり大きな問題にならないかもしれないが、やがて通勤客の間でモメゴトに発展することは容易に想像できる。それを思うとこの頑固親父、また“仕事”が増えるかと今から気が重い。

英会話学校の甘言にご用心

2006-03-27 02:08:30 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最近、ある大手英会話学校の広告が気になる。それは、同業者として自分のビズィネスに関係がないわけではないので公平性に問題があり書き方が難しいのだが、とても気になるやり方なので、ここで警鐘を鳴らす必要があると考え、あえて取り上げることにした。

 その学校は、4月から授業料の値上げをするといいながら、「だからそれまでに入会したほうがお得ですよ」と大幅割引を薦めている。それも、2年とか3年の長期契約を条件としている。だから払い込む額も当然、かなりの高額となる。

 今年の1月から始めたこの割引制度は、最初は1月末、その後は2月12日、そして2月末、3月半ば、3月末と期限を何度も延ばしてきている。さて、4月に入ったらどうするか、そのやり方に注目が集まるところだが、いずれにしてもこのような勧誘に乗らない方が身のためだと警告しておきたい。

 それはまず、そのやり口の矛盾点にある。値上げをするというのに、その前に大幅値下げをすることなど真っ当な会社ならやることではない。だったらなぜ値上げをするのかと言うことになる。

 私がなぜこのような警告を皆さんに発するかと言うと、過去に苦い経験があるからだ。14年前のことだと記憶しているが、私は当時、雨後のたけのこのように誕生する英会話学校の商法を危ぶみ、消費者に警鐘を鳴らすために都内約50校を覆面取材、5段階にランク付けして雑誌に発表した。それは、多くの新規参入組が、割安になるからと生徒に長期契約(ローンを組ませる)を利用させていたからだ。授業料は、高額なものは300万円を超えていたからバブル景気とはいえ異常な金額だ。

 その記事を読んだNHKのディレクターが私の記事を基に番組作りをしたいと私に協力要請をしてきた。その番組は総合TVだけではなく教育TVでも再放送されるほど反響があった。そしてその直後、ある人気ニュース番組から私をリポーターにしてもっと鋭く切り込む番組を作りたいとの申し出があった。そこまでやれば、悪徳英会話学校の息の根は止められると思ったが、その時、兄の急死のショックで牙を抜かれた状態であった私は、その申し出を断った。

 それからしばらくしてバイリンガル、ASAコミュニティサロン、トーザと軒並み倒産した。生徒達の悲鳴が聞こえてきた。単価が安くなるからと多額のローンを組まされた生徒達が、学校が潰れて借金だけが残る悲惨な結果になってしまったのだ。中には、300万円近い授業料を払った生徒もいた。あるTVニュースで若い女性が、「2週間前に270万円のローンを組んだばかりなのに」とカメラに訴える姿もあった。「値上げする前に長期契約したら得だと言われたから」と言う中年男性もいた。

 当時、ローンを組んだ生徒達を救済する制度は一切なく、生徒達は全て泣き寝入りとなった。

 今回のこの学校の値引きがはたして同様の結果を招くかどうかは分からないが、手口は倒産した上記の学校と非常に似ている。その学校が倒産の危機にあるかどうかは、私には知る由もないが。最近辞めた教師や職員達が経営の危うさをインターネットなどでリークしているのを見ると「火のないところに…」と思いたくなる。

 いずれにしても「君子危うきに近寄らず」が賢明だ。もし英会話を勉強したければ、他の習い事もそうだが、月謝制度のところを選ばれるようお勧めする。見かけだけの安さにつられると後で泣くことになるのでご用心を!

大盛況の講演会の裏事情

2006-03-26 12:52:31 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、コメントの内容と関係なく全て削除させていただきますのでご承知おきください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「循環型社会に戦争はいらない」
 ~80代、50代、20代が語る戦争体験と戦争観~
 と題する講演会を25日に行なった。

 この企画は、発案から人集めまで全て私のパートナーである神直子がほぼ一人でやり遂げた。まさにパワー全開。各方面に働きかけ、関係者に会って様々な調整を行い。前夜までその準備に追われていた。

 そんな努力の結果は60人以上の参加者を集める「札止め」、会場が人いきれで暑くなるほどの盛会となって現れた。こういう講演会の場合、組織的な動員ができないと、「人集め」は新聞などの広報に頼らざるをえない。ところが、実情から言うと、今新聞と市民の間には大きな距離がある。新聞に取り上げられるには企画の内容が編集者の目を引くかよほどのなんらかの幸運が重ならないと現実的に不可能だ。今回は、各マスコミの「情報欄」にも情報提供したが、1社も反応なし。私はこれまでさまざまな集まりを主宰してきたが、これほどマスコミの反応が悪い企画も珍しかった。情報を流し始めた当初、あまりの反応の悪さに彼女がくじけそうになったこともあった。しかし、私は企画の内容に自信があり、彼女を励まし続けた。いや、役立たずの私がやったことと言えば、実は彼女を励ましたことくらいだ。

 彼女は今回、自分が関わるさまざまなネットワークを使い、情報を流し続けた。流された情報は、彼女を知る人たちによってまた違うネットワークに伝えられた。そのネットワークは今回、ほとんどがインターネット上のものであった。インターネットの影響力を実感させられた。インターネットにはいろいろ問題はあるが、これから「世の中を動かす」活動をやるにはやはりインターネットが不可欠であることを思い知らされた。逆に、マスコミの将来の危うさをそこに見た気もした。編集に携わる記者たちが、市民の体温や息遣いを感じられなくなっている今、その点に気付かずにいると、両者の間の温度差はますます広がり、やがてはマスコミが市民から「ノー」と拒絶されることになりかねないような気がした。

 インターネットで情報が広がるのと軌を一にして参加者が集まり始めた。参加者の数は、最後の週に入ると加速度がつき、前日には「満員御礼」となった。皮肉なことに事前取材は一社も来なかったが、当日に取材するメディアもTV局2社、新聞記者数名となった。

 お話をしてくださった中谷さんは80歳で退職をされてから妹さんに尻を押されて「戦争体験」を語り始めた人だ。「人前で話すことは経験していない」と言われるが、話し方は年齢を感じさせず、なんともパワフルで、何時間でも話し続けられる凄い人である。記憶力も並外れており、年号どころか日にち、場所、人名、階級、状況といったことを克明に覚えており、それを分かり易く表現できる力量もある。およそ「お年寄り」などと形容するのはふさわしくない。ただし、経験不足もあり、話の流れが方向性を失いかけたので、失礼ながら私がしゃしゃり出て「聞き手」をやらせてもらった。すると、またリズムを取り戻して講演は続けられた。そうなると今度は止まる所を知らない状態となり、予定時間を大幅にオーヴァーしてお話しされた。講演の進行役が「おわり」のカンペを出しても目に入らないようで、一生懸命話をされる。その真剣な姿勢が聴衆の心を掴んでいたので、実は私の講演時間に大幅に食い込んでいたが、そのまま勢いが続くまではお話いただいた。

 そんなわけで、私の講演時間は20分程度になってしまったが、普段から講演する機会が多い私は、それでもよかった。それは、中谷さんにお話していただくことが今回の企画の大きな柱の一つであったからだ。

 講演会の後、会場でそのまま交流会を開いた。お茶とジュースで乾杯をしたが、音頭をとっていただいたのが、新潟県小千谷市からわざわざこの講演会のために上京していただいた、極楽寺の住職、麻田秀潤さんである。麻田さんは、1昨年に私を小千谷市まで講演に呼んで頂いた方で、その時同行した直子に、今主宰する活動「Bridge for Peace」のきっかけ作りとなるお話をして頂いた方だ。

 嬉しかった。講演でお邪魔した後も、中越地震の支援活動の関係で交流は続いていたが、わざわざこの講演のためだけに上京していただけるとは、夢にも思っていなかった。それは、私以上に直子にとっても大きな喜びで、参加いただけるというメイルを見た時、彼女は信じられないという表情で感激していた。

 麻田さんの後、ジャーナリストの山上郁海さんにもお話いただいた。彼女は、中谷さんを“発掘”した人だ。自分が所属するインターネット新聞「日刊ベリタ」に中谷さんを紹介する記事を書いている。直子に中谷さんを紹介したのも山上さんである。一般的な話しになるが、ジャーナリストは自分で目をつけた取材対象者を独占したがる風潮がある。だが、山上さんは、そんな「ケツの穴」の小さい人ではなく(失礼な表現でごめんなさい)、遠慮する私たちに「どんどんやって」と後押ししてくれた。そんな彼女もスペインから成田空港に着いたその足で会場に駆けつけてくれた。

 交流会が終わると今度は近くのレストランに席を移して「三次会」を開いた。中谷さんの話しに加え、山上さんのスペイン生活編の紹介もあり、話は大盛り上がり。気が付いたら時計の針はなんと9時を回っていた。中谷さんが会場入りされたのは、午後0時である。そこで半ば強引に「お開き」にすることにした。身体を気遣う私たちに、中谷さんは「私は大丈夫ですよ」と徹夜でもしそうな勢いであった。

 別れ際、8月が誕生日なので「8月3日にまた講演会をやりましょう」と盛り上がる私たちに、「その前でもいいですよ」と答える中谷さん。まさに、大正男の気概を見させていただいた気がした。 

ホリエモン・メイルの情報源を公表

2006-03-25 01:40:04 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 永田寿康議員が24日、衆院懲罰委員会で「ホリエモン・メイル」の“種明かし”をして、仲介者の本名を明らかにした。

 この仲介者の名前については、永田町、週刊誌、インターネットでは大分前から明らかになっていただけに、私には今さら何を大騒ぎをしているかとの思いがある。それよりも、国会は今、審議しなければならない法案が山積み状態なのだ。

 確かに、この仲介者の行為は悪質なもので何らかの法的な措置なり処罰が下されるべきであろう。だが、国の政(まつりごと)が行われる国会で時間を割いてやるほどのものではない。

 それに、あまりマスコミが問題にしていないが、ジャーナリストである私には、「情報源」を白日の下に自らの手でさらしてしまう永田議員や民主党のやり方が理解できないし、危惧を抱く。こんな姿勢では今後、「まっとうな情報提供者」は民主党に情報を持ち込まないだろう。確かに、民主党の側からすれば、今回の仲介者に対して「騙された」との想いは強いはずだ。だが、私は敢えてそこに疑問を呈したい。法律を作る国会議員や政党には我々ジャーナリスト同様、いやそれ以上に情報の精査・裏付けをする責任があるはずだ。それをさておいて、自分達の「功名心」をひた隠しにして、裏切られた・騙されたなどと「被害者ヅラ」する彼らの神経が私には分からない。彼らにはおよそ羞恥心と言うものがないのだろう。

 問題は、仲介者ではない。この手の輩は何十年も前から永田町やTV局周辺にカネのにおいをかぎつけて出没してきた。そんなヤツに引っ掛かり、持ち込まれた情報の裏付けもせずに「これは一大事だ」と国政の場に持ち込んだ永田議員とそれを許した民主党の幹部に問題があるのだ。

 最近、どうも論理のすり替えが野火のように日本列島に広がり、どこにおいてもそんな話を聞く。これは、恐らく論理のすり替えを「カンドー」と「イロイロ」で形容して目くらましをしてきた小泉劇場の主役の影響だろう。われわれは、間違っても証人喚問などという「市中引き回し」に目を奪われてはならない。これまで証人喚問で何も得られなかったこと、と言うか、失望を誘うことのほうが圧倒的に多かったはずだ。質問の機会を与えられる自民党のセンセー方は、この証人喚問を選挙区向けに絶好のパフォーマンスの機会と捉えるだろう。また、民主党は民主党で、悪辣なジャーナリスト崩れに騙された被害者を演ずるだろう。かくしてまた、国民は政治に失望していくのだ。

AERAが伝える我が母校の勉強法

2006-03-24 00:26:35 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 20日発売の週刊誌AERA(アエラ)の広告に「『東大合格公立日本一』岡崎高の勉強法初公開」というなんとも刺激的な見出しがあった。それを見て早速、書店やキオスクに急いだ「お受験ママ・パパ」も少なくなかったのではなかろうか。

 実を言うと、このワタクシ、その岡崎高校の卒業生である。卒業したのが40年前とは言え、そのような「勉強法」が誕生したとのニュースは高校時代の友人や同窓会報などで目に耳にしたことはない。高校の同級生や同窓生とは今も熱い交流をしており、結構愛校精神のある私は、「ワレラが岡高がそんな受験校に堕落したのか」と早速本屋で一冊買い求めてみた。

 岡崎高校は確かに私が通っていた頃から「名門校」として知られ、岡崎市や周辺の町から「出来る子」が集まっていた。だが、校風は文武両道というか、勉強もスポーツも両立させるのが基本であり、勉強一本槍の生徒は、今は禁止用語となった言葉で蔑まれていた。

 良い意味での旧制中学の空気も残っており、友情を大切にして時に理不尽なことを言う教師に立ち向かい、級友を守ることもした。だから、高校生の癖に時折り、「三河武士の生き方を規範にしよう」という者も現れた。

 反骨精神という意味では、私が入学した時に起きた「フォークダンス・長髪禁止事件」の際、生徒たちの「熱き心」がいかんなく発揮された。全国紙や週刊誌で「フォークダンスは享楽か…揺れる東海の名門校」と騒がれた事件である。それは、自由な校風を粛清しようと教育委員会に送り込まれた新任校長が、江戸時代のものかと見紛う「お触れ書き」を校内に掲示、フォークダンスや長髪などを禁じたことに始まった。それに対して生徒会が猛反発。入学式直後の朝礼で生徒会長が校長に食って掛かった。

 田舎の中学校から入学したての私には、校長と堂々とやりあう生徒会長が別の世界の人間に思え、光り輝いて見えたものだ。そんな衝撃的な場面に出くわした私は急に愛校精神に目覚め、家に戻ると尾崎士郎の自伝的小説「人生劇場」に手を伸ばした。人生劇場は大分前からのロングセラーで、何度も映画やTVドラマ化され、村田英雄が歌う「人生劇場」は全国津々浦々で愛唱されていた。尾崎氏は岡崎高校の前身である岡崎中学の卒業生で、人生劇場も岡中が最初の舞台だ。

 「フォークダンス・長髪禁止事件」は、校長と生徒側についた教師達数名が「喧嘩両成敗」で転校させられた。そんな決着に生徒側は抗議したが、聞き入れられるはずはなかった。お別れの日、校庭に集まった生徒達は教師達の名を叫んで別れを惜しんだ。生徒達は皆、I校長が教育委員会の手先で、一部の教師達を追い出すために送りこまれた刺客だと見抜いていた。だから誰一人として喧嘩両成敗だとは信じなかった。

 その後も個人的なことを含めて数多くドラマティックな経験をさせてくれた高校だけに、卒業後も何かと後輩達のことが気になった。しかし、ここ10年くらいは何となく違和感を感じるようになっていた。送られてくる同窓会報に「全国の公立高校の中でも名うての私立受験校に伍して東大合格者を多く出している」ことを強調していて、受験中心主義が学校にはびこりだしていたように思えたからだ。

 そんな想いを払拭してくれたのが、私がかつて所属したコーラス部(と言っても私は柔道部とのかけもち)がここ数年、世界の声自慢が集まる合唱オリンピックの青年混声部門で2年連続グランプリを含む上位入賞を続けていることだ。「文武両道」とは少々異なるが、勉強ばかりしている頭でっかちにはなっていなかったことを知ってほっとしていた。

 そこへ今週の「県立岡崎高校の勉強法」と題するAERAの記事だ。私が本屋で雑誌を手にするまでは意気消沈していたのは言うまでもない。

 「塾に行くやつは落ちる」
  
 記事が出ているペイジを開いてそんな中見出しを見た途端、私は安堵した。小学校、下手をすれば幼稚園から「お受験」と取り組んでいないと有名校に合格できないと言われる風潮の中、「学校でやっていることをしっかりやれば、東大などの難関校でも大丈夫」と言い切る後輩達が頼もしく思えた。

 岡崎市の代表的な高校の岡崎高校がそのような方針のためか、そう言えば、市の中心駅である東岡崎駅前には大手塾の看板が目に付かなかったことを思い出した。AERAの記事にも、近くに大手予備校はないとある。

 もちろん、補足しておかなければならないが、何も対策をしないでただ漫然と学生生活を堪能していて難関校に受かると言っているのではない。記事で取り上げた「勉強法」が功を奏しているから難関校に大量の合格者を出しているのだ。その勉強法とは、教師と生徒が一体となった宿題と演習を重ねるやり方だ。授業が終わっても教師を捕まえて質問をしようという生徒の列ができるという。そこに貫かれているのは、「学校の勉強をしっかりやる」という考え方だ。私が在学した頃はそこまでの熱気はなかったが、いずれにしてもある意味、タダシイ高校のあり方だ。

 ただしこんなことを書くと、私があたかも名門校の優秀な生徒との印象を与えてしまうかもしれない。最後に付け加えておかねばならないが、私は入学試験の成績を頂点に、その後は右肩下がりで、卒業時の成績は惨たんたるものであった。3年間を通じて学年でトップクラスだったのは、早弁の回数と体力測定、それに父兄召喚だけという生徒であった。  

イラク開戦3周年とその検証

2006-03-22 12:58:22 | Weblog
【筆者からのお願い】

 本ブログでは、コメントの書き入れは登録制度を取らせていただいています。asaikuniomi@yahoo.co.jpに「本名」「住所」「電話番号(出来れば固定電話)」「職業」「ハンドル・ネイム」「メイル・アドレス」そして「自己紹介」と「このブログに望むこと」をお送りいただいてから登録されたハンドル・ネイムを使って書き込まれるようお願いいたします。そうでないものについては、削除させていただきますのでご承知おきください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 3年前の3月20日、米軍を主体とする多国籍軍はイラクのフセイン政権に対して戦火の火蓋を切った。「戦争の大義」も「大量破壊兵器を放棄しないゴロツキ国家を征伐する」などという、時代錯誤もはなはだしい論理に基づくもので、冷静に考えれば戦争当事者のいずれにも利益をもたらさない、それどころか「文明の衝突」を招きかねないことであることは明らかであった。
 
 ところが、日本のマスコミもTVなどで“高説”を述べる解説者も、米マスコミの空気に影響され、いつの間にか「開戦止む無し」といった論調になっていった。「パンドラの箱を開けることになる」「熾烈なゲリラ戦になり、『アルジェの戦い』『レバノン内戦』の二の舞になる」と警鐘を鳴らす私は、解説陣では完全に孤立化、やがてディレクターから「軍事評論家の悪口は控えていただけますか」とまで言われる始末。

 対イラク戦争の必要性を説き、自衛隊の派遣の重要性をTV画面で訴えた評論家は、「米軍の圧倒的な軍事力の前にフセイン政権は倒れ、戦後日本で生まれたような民主国家作りが行われるに違いない」と口を揃えた。中には、「米軍は砂漠を一瀉千里北上して2,3日後にはバグダッドを包囲、2,3週間でかたをつける」とまで言い切る評論家もいた。

 そんな“予想”は大外れ、イラクは皆さんご存知のような解決策の見えない戦乱の地と化してしまった。私は半年以上前からイラクが内戦状態にあると言っているが、最近の米国の世論調査でも7割を超えるアメリカ市民が、「イラクは内戦状態」と答えている。

 しかしこの期に及んでも、内戦とみなすマスコミはほとんどない。また、3年前の報道や論調をきちんと検証してみようという動きは日本のマスコミに見られない。私はマスコミの現場で働く人間に、「キャスターや特派員、そしてコメンテイターのこれまでの発言や報告を検証してみたら?」と声を掛けているが、多くは言葉を濁してしまう。よく返ってくる返事に「反対意見も紹介しています」というものだが、それはあくまでも私から言わせれば「参考意見」程度の扱いだ。問題なのは前述した形で大量に流され世論を作っていった官制情報とその情報を元に構成された論理・論点である。

 ここのところの報道姿勢を案じる声が各方面から出ている。「日本はかつて進んだ道を歩み始めている。それにマスコミが同調している」との声もある。大正末期から日中・太平洋戦争に突入するに至るまでの状況と現在とでは、メディアの数も比較にならず、多くの面で違いがあるので単純比較はできないが、そんな兆しが確かに随所で見られるようになってきたのは事実だ。私自身も「このまま行くと…」とマスコミの行く末を憂慮する一人である。現場で働く人たちに残念ながらそういった危機意識を持つ人が少ない現状はあるが、私個人としてはいずれにしてもあらゆる機会を通じて現場の人間に「報道の検証」を呼びかけていくつもりである。

コメント欄の閉鎖の可能性について

2006-03-21 01:43:15 | Weblog
 「旅人」を名乗るコメントが再開されました。以前、この御仁からのコメントがよく書かれていた頃、多くの読者から助言や励ましのメイルをいただきました。そのほとんどは彼に対する不快感を露にしたものでした。ただ、それをコメント欄に書けば、彼の思う壺だからということでその方たちは私に直接メイルをくれていました。私が望むのなら彼への反論を書き込むと言ってくれる方も少なくありませんでした。しかし、皆さんがお考えになったように、彼に対して反論すれば、不毛の論議になるだろうからと、私からもできればご遠慮いただきたいとお願いしてきました。
 読者の多くは、残念なことだがコメント欄を無くしたらどうかという提案をされてきました。私としては読者同士が意見を交換する場としてこのブログのコメント欄を提供していたつもりですが、このような形の荒らされ方をするのであれば、コメント欄の閉鎖も止むを得ません。後1、2度様子を見ますが、コメント欄を突然閉じることがあるかもしれません。その際はご了承ください。
 

ケツの穴が小せえよ、イチローと王さん

2006-03-20 23:42:57 | Weblog
 私は何度も書いているが、野球が大好きである。「野球」と「ベイスボール」という言い方で分類するのならベイスボール派だ。

 ところが、今話題の「世界野球」はほとんど観る機会がない。昨日の韓国戦も丁度その時間、秋田で講演会をやっていたので観ることはできなかった。ホテルの部屋でスポーツ・ニュースでほんのさわりを見ただけだ。だから、「他人の褌」を借りて少し意見を述べさせていただくことになる。

 私がニュースを見ていて疑念に思ったことを、今朝のフジテレビの番組で司会者の小倉小倉智昭氏が、「王さんやイチローが試合後、韓国ベンチに足を向けてその健闘をたたえなかったのが残念だ」といったニュアンスでコメントしていた。

 「よく言ってくれた、小倉智昭!」とTVを観ながら思わず声が出たが、私も残念でならない。今回のシリーズで韓国チームの金監督は、折に触れて日本チームをほめている。それに対して、対戦チームの韓国に対してイチローが思いの丈を言いっ放しというのはあまりに寂しい。「世界の王」が敗戦で打ちひしがれている隣国のチームに温かい声を掛けられないというのは寂しいかぎりだ。

 イチローが試合前に激しい言葉で気合を入れるのは何ら責められる事ではない。試合中にエキサイトして相手チームを刺激した行為も、私は自然な感情表現と受け止める。だが、試合が終わったら話は別だ。互いの健闘を、ファインプレイを称えあうのがスポーツだ。イチローを筆頭にする日本選手にもそんな余裕が欲しかった。

 日本との実力の差を素直に認める金監督に、「先輩」である王さんが駆け寄って慰労していたら、恐らく選手達もそれに倣ったのではないか。先輩は先輩らしく「大きさ」を見せて欲しかった…。

 ASE(私の経営する英会話学校)のスタッフで、「野球大好き人間」の井上にそんな内容の話をしたら、「そうですよねえ」と身を乗り出してきた。彼も試合を観ていて同じ思いに駆られたらしい。

 今からでも遅くはない。決勝戦の後でも良いから、韓国チームを訪れて友好を深めて欲しいと切に願う。「たかが野球」と思われるかも知れないが、スポーツも立派な外交官になりうる。今こじれた状態のままの日韓関係を少しでも前進させるためにも誰か彼らに助言してくれる人はいないかなあとの想いでこの一文を書いている。

秋田へ

2006-03-19 08:18:05 | Weblog
 今日は今から秋田へ講演会に出かける。彼の地の天気予報は夕方から、なななんと、雪とある。
 埼玉は結構暖かいので驚きだ。バッグに詰めた着る物を冬装束に替える。
 しかし、新しい人たちとの交流は、いつものことだが、心が躍る。子供の頃の運動会の朝に迎えたような気持ちで北へ向かう。

Y医師とのその後のやり取り

2006-03-17 23:43:00 | Weblog
浅井さん。

いつもすばやく返信いただき、そして熟慮のうえのコメント、とてもうれしく思います。

それぞれのご意見、拝見しました。

問題の県立大野病院が報告書を公表、発症状況が詳らかになっています。

これによると担当医は「前置胎盤」に対して帝王切開術を決断。患者側に説明を行っています。大量出血・子宮摘出の可能性についても説明を行い、輸血の準備もしています。さらに「カラードップラー検査」により胎盤の形状をチェックをし、大出血の可能性を探索していますが、結果として出血の原因となる「癒着胎盤」を発見できませんでした。しかし発症率が1万人に1人で、事前の診断が非常に難しい「癒着胎盤」を念頭においてドップラー検査までされているという事実からは、より安全にことを進めたいという「きっちりした」担当医の配慮が十分伝わります。他の総合病院に搬送する、という猶予も許さない緊急事態でした。この事実をおもいっきり意地悪に伝えたいなら「大量出血の可能性を知りながら十分な検査を行わず・・」と、言うことができるかもしれません。



実際に手術に関与したのは担当医である産婦人科専門医1人、応援の外科医が1人、麻酔科専門医が1人の計3人。危険にさらされていた胎児は無事誕生しましたが、その直後に「癒着胎盤」からの大量出血が起こります。医師団はけっきょくその大量出血をコントロールできず、患者を失いました。



これが事件の全貌ですが、やはり30代半ばの私の目から見て担当医は妥当な判断・対応をしていると思います。

産婦人科学会が公式に「過誤ではない」とコメントしているところから、お墨付きも十分あると考えます。

ただ、たどった転帰があまりに不幸で、残酷でした。



なぜぼくがこの事例にこだわるかというと、似たような経験をしてやはり母体を手術中に失う経験をしているからです。

私が経験したのは胎盤早期剥離というやつで、やはり怒涛のような出血を起こします。私の職場には麻酔科医も産婦人科医も複数おりますので、あわせて7,8名の医師が緊急チームを作って徹夜で奮闘しましたが、救命できませんでした。それほど子宮からの出血というものは恐ろしいものがあります。手術の開始が深夜0時まえ、救命をあきらめたのが翌日の昼過ぎでした。ぼくは麻酔をしながら「救命はかなり難しい、これ以上の治療は意味がないのでは」と意見したのを覚えています。それでも「こんな若いのに、あきらめられるか」という外科医と、なかば言い争いながら治療を続けました。最終的に救命が困難と判断し、蘇生現場にご家族に入っていただきました。ぼくはそのときの患者さんのご主人の慟哭ぶりを、一生忘れません。「助けられなかった」ということがものすごいショックでした。加えて、自分の目の前でひとの命がまさに失われようとしているという恐怖感もあり、精神的に非常に疲弊しました。

気づけば昼も過ぎていましたが、だからといってその日の勤務を休むことも許されず、フラフラになりながら次の手術に入ったのを覚えています。

もし、その後にぼくが逮捕・拘留・起訴という仕打ちを受けたら・・・

とても納得できる状況ではありません。

それでもなぜ自分が医療を続けているかというと、身をよじって慟哭したそのご主人がわれわれに向かって

「ありがとうございました。」

と深々と、一礼されたからです。



詳細を知れば知るほど、この逮捕は「不当」であると確信します。

この茶番は、地方の検察の独断で行われたのでしょうか。

それとも法学vs 医学、もしくは行政vs医療というようななにか大きな、深い構図があるのでしょうか。

浅井さんやその周辺の「事情に通じて」おられる方々にぜひお聞きしたいところです。