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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 麻生さん、どこ向いてるの?

2008-09-30 09:50:12 | Weblog
 麻生太郎首相が就任後初めての所信表面演説を行なった。

 あらかじめ報道陣に発表された演説の全文を読んでみると、まず驚いたのは国民へのお詫び、謝罪の文字がごくごく限定的にしか見られなかったことである。後々まで残る文書に謝罪の言葉を入れたくなかったのか、2代首相に渡って共に短期であったとはいえ、幹事長というポストにいた者が何を考えているのかと怒りを感じた。

 実際の演説では恐らく周辺からの助言があったのだろうか、冒頭で福田前首相の辞任と中山前国土交通省の発言について国民に謝罪した。ただ、それも深謝というものではなく、会釈程度の謝罪に感じられた。

 私はこれまで多くの所信表明を読んできたが、これほどまでに野党との対決色を前面に押し出したものに触れた記憶がない。所信表明演説と言うのは、国の指導者の国民に対しての呼びかけであり、これから国をどう導いていくかを宣言する場である。ところが、何度全文を読み返しても、彼が何を国民に訴えたいのか、まことに抽象的でよく分からない。全編を通して「民主党よ、と言うか、小沢一郎よ、オレの質問に答えよ」というもの。これでは一政党の代表質問と何ら変わりはないではないかというのが読み終えた後の印象だ。

 つまり、目線が小沢氏のみに向かっていて、我々国民に向けられていないのだ。国民との関係で言えば、国民へのこれまでの政府自民党からの心の底からの反省と謝罪、またそれを踏まえての今後の明確なヴィジョンを示すことよりも、麻生氏は終始自分個人のセイルスに徹している。安倍、福田と続いた「頼りないリーダー」への失望感が日本列島に充満したと見たのだろう、「強いリーダー」への意識を所信表面全体からあふれ出させている。

 だが、これも完全に空回り。国民の怒りの矛先が自民党だけでなく、これまでの首相だけでなく、自分にも向けられているとの意識の欠如からきているのであろうが、終始一貫、これまでの失政は民主党の“無駄な抵抗”にあったと決め付けている。

 「暮らしの安心」と掲げた項目くらい自民党及び官僚・役人の数多の裏切り行為を反省して根底から福祉教育行政を変えていくと宣言するのが国民が新しい首相に求める姿だ。なのに、麻生氏は、我々の怒りを「不満」と「不安」に分けて言葉巧みに責任逃れをしたつもりかもしれないが、そんな言葉遊びをしている場合かと言いたい。「不満とは行動のバネになる」などとのたもうているが、それは不満の度合いが軽い場合、又は健全な環境の中で生まれる感情を言うのであって、ここまで酷い状況に我々を陥れておいて使う表現ではない。

 確かに、“事故米(汚染米と言うべきなのでは?)”については、「幾重にも反省を誓います」としていると謝罪しているが、謝罪しなければならないのは他にもたくさんあるはず。汚染米は腐った政府・行政の象徴の一つに過ぎないのではないか。根幹に根差す腐りきった体質に大鉈(ナタ)を振るわずして「暮らしの安心」が得られることはない。彼の所信表明からは、そのような決意は感じられない。

 彼の強い決意は、「霞ヶ関」の大改革よりも民主党の小沢一郎氏への対決に向けられている。所信表明の約3分の1がそれに使われているのだから異常だ。これも、小沢氏への自民党内に蔓延する一種のアレルギーというか畏怖に近い感情が麻生氏の体内にもあるからだろう。

 かつて小沢氏が「キングメイカー」として自民党内で権勢を振るっていた頃、麻生氏はまだ閣僚経験もなく政務次官クラスの、言ってみれば「ペーペー」。小沢氏と対等に口が利ける立場ではなかった。その頃は、「強い小沢一郎」に憧れていた麻生氏は、年下である相手なのに小沢氏の前に出ると、普段の人を見下した態度を一変させて緊張していたと、当時の2人を知る関係者は言う。

 彼の“得意”とする外交も良く読めば不安に満ちた内容だ。800字程度の項目の中に「日米同盟」を4回も繰り返し、小泉元首相以上のアメリカへの忠誠心を露にしている。

 今まさに無駄な戦争と無謀な経済政策で世界に大混乱を招いている米国に対してこれほどまでに忠誠を誓うのは、祖父、吉田茂氏の遺言なのであろうか。危険な選択と言わざるを得ない。

 所信表明を読む前は、10月6日から始まる予算委員会を前に衆議院を解散し、一ヵ月後に総選挙というシナリオなのではと考えていたが、思ったほどの数字が出なかった内閣支持率と組閣5日後の閣僚失言辞任に解散時期を迷った麻生首相が、小沢一郎氏の明日に予定されている代表質問の内容に賭けたと見る。

 民主党は麻生首相の仕掛けに対して早速、「政権公約(マニフェスト)」を発表した。これは今朝の朝日新聞のスクープとなっているようだが、恐らくそうならば意図的に朝日に流したのだろう。

 その中で、民主党は「埋蔵金6.5兆円」「人件費削減1.1兆円」と、これまでで初めて政権公約に財源の金額と目標年次の具体的な明示を盛り込んでいる。そして、政府が提出している08年度補正予算案についても、来週中の成立を容認する方針を固めた模様だ。つまり、予算委員会を行なってから解散するべきだと言うわけだ。

 これを麻生首相はどう取るか。民主党の政権公約を机上の空論と決め付けて予算委員会での論破を図るか、それとも予算委員会でさらなる失点を重ねる前に解散するか。麻生氏にとってはいよいよ正念場だが、それにしても残念ながら両党の繰り広げるつばぜり合いに、興奮状態で騒ぎ立てているのは永田町とマスコミだけで、多くの選挙民は辟易しているというのが真情である。

 最後に付け加えておくが、社民党の福島党首は記者会見で、所信表明演説の内容が少数政党を無視したものだと息巻いていた。いつものことながら彼女は時代の流れを読んでいない。

 外国の連立政権がよく組まれる国においては、このように二大政党が拮抗する時こそ少数政党の存在が重さを増してくるものだ。少数政党にとって今こそその存在意義を選挙民に訴える時であるはずだが、街を歩いていて社民党の候補が活動をしているのを見たことがない。この政党、社会党の時代からそうだが、地道な努力がどうも苦手の人たちが多いようだ。その辺りは余計なお節介かも知れぬが、「選挙の達人」小沢一郎氏に倣ったらいかがと進言したい。

 

私の視点 小泉氏の辞任劇

2008-09-26 08:34:46 | Weblog
 小泉純一郎氏が引退を表明した。次回の総選挙に出馬しないと言うのだ。

 それに対して、マスコミの論調に「引き際が良い」「英断」といった評価が多く見られる。だが果たしてそうだろうか。辞任劇の裏で何があったのか。

 見方は二つに分かれると思う。

 一つは、森喜朗元首相の書いたシナリオに小泉氏が反旗を翻したとの見方だ。

 森氏については、首相在任中は散々な評価しか得られなかったのになぜあんなに党内で力があるのかと思われようが、旧森派(現町村派。またの名を清和政策研究会)は長年、自民党内の最大派閥であり続けるだけでなく、自身を含めて4代連続(森→小泉→安倍→福田)で首相を輩出している。若い頃から「永田町の寝業師」と異名を取る森氏だが、最大派閥と言うだけでなく、首相経験者の地位と人気者・小泉氏の後見人という立場を巧みに利用して、党内で影響力を増大させて今ではキングメイカーと言われるまでになった。

 安倍、福田両氏をトップの座に就かせたのも森氏だが、今回の福田氏の辞任から麻生氏の圧勝というシナリオを書いたのも森氏と見て間違いはないだろう。

 かつては親密な仲にあった森氏と小泉氏だが、両者の関係は小泉氏の首相在任中にこじれて今では良好とは言いがたい。形の上では、旧森派で長きに渡って世話になってきただけに、小泉氏も一応の礼儀は欠かさないようだが、腹を割って話すことはない。

 今回の森氏による「自民党再生プラン」の中核は、小泉色の払拭であったように思われる。「次は麻生しかない」と言う森氏に対して、小泉氏は中川秀直元幹事長と共に小池百合子氏を擁立する動きを見せてけん制したが、森氏の猛烈な攻勢を受けて中川氏は萎縮してしまった。ちなみに、4氏とも清和政策研究会(小泉氏は首相在任中に離脱したまま)のメンバーだ。

 中川氏の心変わりに小池氏は悪戦苦闘。総裁選に手を挙げる資格を得るのに必要な20人の国会議員を集めることさえ困難を極めた。小泉氏も小池支持を打ち出したものの首相在任中の元気は何処へやら。小声でささやくに留めた。

 自民党総裁選は、森氏の画策したように麻生氏の圧勝。直後に発表された閣僚名簿には、なんと小泉氏が忌み嫌い離党までさせたはずの野田聖子氏の名前が入っていた。

 これは、森氏の小泉氏への強烈な制裁メッセージととることができる。次の選挙では、「小泉劇場」を閉館させるぞと言われたようなものだ。

 そこで、小泉氏は麻生氏就任直後に引退を明らかにして揺さぶりをかけたのではないかと見る。森氏に対して「次の選挙には出ない。まだ政治活動は止めない。国会活動をしないだけだ」と伝えたと言われるが、それは、「事と次第によっては、再出動しますよ」というメッセージ性の高いものと私は理解する。つまりは、政界再編があれば、私も黙っちゃあいませんよ、ということではないか。

 もう一つの見方は、昨日も書いたが、世襲の話だ。

 一時期、マスコミを通して伝わってきた小泉純一郎像と私が小泉氏に親しい人から聞いた小泉純一郎像とは若干違う点がある。

 それは家族や親しい友人に対する彼の姿勢だ。彼らによると、伝えられている「家族にさえ冷たい人だ」といった評伝とは違い、意外や意外、とても熱いというのだ。彼の高校時代からの親友が他界した時も駆けつけて熱い涙を流して別れを惜しんでくれたと、その親友の妻から聞いたことがある。また、親友の結婚式で無礼で不快な発言をした妻の上司に怒り、退席したこともあるという。離婚した子供に関しても、一部マスコミでは「冷たい父親」と書かれていたが、離婚してからも子供たちには愛情を注いでいたという。その辺りは、長男のタレント・孝太郎氏がマスコミでも話しているらしい。

 だからであろう。次男の進次郎氏は成人すると父親の元で秘書をやってきた。伝えられるところでは、小泉氏は、引退を表明すると同時に、その進次郎氏を後継者に指名したという。

 と言うことは、森氏との水面下でのバトルで負けた今、自分の影響力が十分あるうちに自分の地盤を継がせようとしたのではないか、という見方が出来る。進次郎氏はまだ27歳だが、小泉ブランドの折り紙をつければ、難なく次回の衆院選に当選するだろう。

 小泉純一郎氏には自分が父親の急逝に伴なって行なわれた初めての選挙で負けた苦い思いが今もトラウマとして残っているのではないか。息子に同じ悔しい思いをさせたくないという親心があるのではないかと、私は見るのだ。 

 いずれにしても、今回の小泉氏の辞任劇、このまま小泉氏が舞台から姿を消したまま大人しくするとは思えない。

七光り内閣

2008-09-25 13:33:24 | Weblog
 麻生内閣の陣容が発表された。

 その発表の仕方が「麻生流」などとマスコミで話題になっているが、重要な政府関係の記者会見が広告代理店・電通の演出によってなされていることぐらいギョーカイ人間であれば知っているはず。それを今朝の新聞やテレビは揃って電通のメディア戦略に易々とのせられている。

 マスコミ関係者で「永田町」を知っている人間であれば、今回の内閣のメンツを見て、先ずは「なんだこれ、世襲議員のオンパレードじゃないか」と思うはず。

 数えてみれば、18人中12人までもが親や祖父を議員に持つ。北朝鮮が世襲国家などと嘲笑している場合ではない。日本政府の閣僚が「親や祖父の七光り」に頼っているのだから国の舵取りがうまくいくはずがない。また、閣僚の“身体検査”もきちんと行なわれていないからスキャンダルがマスコミを賑わすのは時間の問題だ。

 案の定、組閣から24時間も経たぬ内に、河村建夫官房長官が代表を務める「自民党山口県第3選挙区支部」が平成14年から16年にかけて、談合摘発企業など7社から4百余万円の寄付を受けていたことが判明した。

 このようなスキャンダルが明らかにされる度に支持率が下がるだろうから麻生氏は各マスコミの内閣支持率世論調査の結果が6割を超えていれば、年内解散に踏み切るのではないか。

 だが、マスコミ関係者の目はごまかせても選挙民をこれ以上騙し続けることはできないだろう。次の総選挙では、余程の事がない限り、自民党は民主党に敗北し、政権を譲ることになる事はまず間違いない。


真夜中のシンフォニー

2008-09-23 10:26:04 | Weblog
 数年前からの読者であれば憶えておられるであろうが、私たちは昨年11月まで住んでいた借家で大家との“バトル”に悩まされていた。

 住んでいる家自体には大きな不満はなく、大家を除く近所付き合いも良好であった。また、道路一つ隔てた家の飼い猫ジミー(本名はジェイミー)に魅了されていた。ジミーとの“爛(ただ)れた関係”に我々は正気を失い、大家との不幸な関係がありながらも中々転居に踏み切れないでいた。

 しかし、大家の意地悪に家人は恐怖感を抱くようになり、ジミーとの別れは辛かったが、文字通り泣く泣く転居を決意した。引越しの日も異変を察したジミーが様々な可愛い仕草をして我々を悩ませた。引っ越した後、ジミーの飼い主から「お二人が引っ越してからジェイミーがほとんど外に出ないんですよ」と聞くと、居ても立ってもいられない心境になった。

 そんな悲喜交々(こもごと)の思いを抱えての引越しであった。転居したばかりの頃は、新居にもその環境にも、はたまた隣近所の人達にも感謝する毎日であったから「やはり引っ越したのは正解だったね」と二人は納得し始めていた。ところがしばらくしたある夜のこと、“はてなマーク”で2人の顔が曇った。

 裏の家で「夜のシンフォニー」が始まったのだ。それも大きな音だ。

 時計を見ると午前1時半。たとえ聴こえてくる音楽がクラシックの名曲であろうと、近隣にとっては迷惑極まりない話だ。

 直子はと見れば、若者の特権だ。その夜は騒音をものともせず目を覚ますことなく夢の中。

 「真夜中のシンフォニー」は小一時間で収まったからその夜は事なきを得たが、それからは昼に夜に、いや正確に書けば早朝から音楽、TV、それに加えて体内清掃の音が辺りにこだましている。

 「うるさければ騒音の元に言えばいいじゃないか。大人しくしているなんて浅井らしくない」と思われるかも知れない。

 だが、事は簡単ではない。騒音の主が真裏に住んでいるからだ。しかも、その人が我が家の大家だから余計に言い辛い。シンドロームばやりの世の中だが、「大家シンドローム」という分類は聞いたことがない。前回と同じ轍は踏むまいとする私たちはどうしたものかと思い悩んだ。

 今年2月のある夜、夜のシンフォニーは最高潮(?)に達した。突然の大音響に目を覚ますと、まだ午前2時半。窓を開けて「いい加減にしなさい!」と言いたい衝動を抑えて階下に降り、読書と寝酒(と言っても、下戸の私はなめるほどの量で十分)で心を落ち着けて東の空が明るくなった時間に再び眠りに着いた。

 そんなことがあっても家人は苦情の声を上げることに納得せず、それからも夜のシンフォニーは我々を悩まし続けた。

 ならば隣人と行動を共にして声を上げようとしたが、今ひとつの反応。どうしたらいいものかと思案投げ首状態であった。

 気温の上昇と共に窓を開け放した状態で音楽をかけたり、TVをつけるから寝不足もますます酷くなった。

 たまりかねて先日、私は大家に直接言わずに不動産屋に相談した。すると、担当者は気楽に「軽く話してみますよ」と言ってくれた。

 布団をたたきながらラジカセで大音響を出し、わめき散らしたどこぞのオバサンの鬼の形相が頭に浮かんだりしたが、そのようなこともなく、一週間前、夜のシンフォニーは収まった。思えば長い苦しみであった。

 不動産屋の話では、「音の主」は悪気はなかったようで、恐らくこれまでは誰にも言われず、気が付かなかったのだろう。このまま事を荒立てなくても済む事を願うのみだ。

五輪誘致に待った!

2008-09-20 18:29:25 | Weblog
 先日、ロンドン大学の学生と昼食を摂っていた時、オリンピックの話になった。

 彼は弁護士を目指すだけあって物事を冷静に、時には英国人インテリ特有の斜に構えて見る目を見せるが、オリンピックのようなものになると、フツーの19歳の若者の顔になる。年端の行かない彼のような若者が様々なお国事情や国際関係が複雑に交錯するオリンピックの舞台裏よりも華やかな所に目を奪われるのは仕方がないところだ。

 そこで、幾つか私なりの“仕掛け”をしてみた。

 まずは、「ロンドンでオリンピックが開かれるのは何回目?」と聞いてみた。そう。ロンドンではこれまで遠い昔のこととはいえ祭典は2回開かれている。2012年のオリンピックで3回目となる。近代夏期オリンピックが次回で30回目を迎えることになるが、そうなると10回に1回、ロンドンで開かれていることになる。このように3度もオリンピックを開催しているのは、世界広しといえどもロンドンだけだ。

 ロンドンがこれほど何度も開催しているのは、他の都市がそれを望まないからではない。ご存知のように毎回、多くの都市が手を挙げるのだが、国際競争(影響)力や経済力において大きく劣る新興国では先進国の大都市には歯が立たないのだ。

 そんな話をして「どう思う?」と言うと、「経済力のない国が主催できないのは仕方がないことだ」と通り一遍の答えが返ってきた。

 そこで、「そうだろうか。五輪のマークが五大陸(地域)を象徴しているよね?なのに、アフリカや南アメリカで一度も開催されていないのはどうなのかな?アフリカや南アメリカの国は資金面で問題があると言うのなら解決策を考えればいいのではないの?」

 私はそこで、まずはここまで肥大化したオリンピックの規模の縮小なり、全世界挙げて開催国を支援する基金制度の導入を提案した。アマチュアリズムはどこへやら、今では平気でプロの選手が参加するオリンピックだが、それはクーベルタン伯爵が提唱した「オリンピック精神」に反することであったはず。

 だから新興国に開催の機会を与えることで、ここまで肥大化した五輪を見直すことにもつながる。

 それにはかなり納得の表情を見せたその若者だが、最後には本音だろう。ロンドン五輪をやってからの話しにしたいようであった。それはそうだ。もう既に準備態勢に入っているロンドン五輪を中止させるにはあまりに犠牲は大きい。

 そうなると、標的は2016年の五輪だ。そこからそういう見直しをすれば良い。

 東京都は石原知事が遮二無二なって2016年のオリンピックを誘致したいようだが、ここはいったん冷静になってその辺りを考え、新興国にその機会を譲ったらどうだろうか。そうすれば、新興国からは相当高い評価を得られるような気がするのだが、石原さん、どうですかね?

私の視点 小中高の英語教育の内幕

2008-09-17 21:28:46 | Weblog
 ALTと聞いて首を傾げる人も多いが、ALTとはAssistant Language Teacher(語学指導助手)の略で皆さんのお子さんに小中学校で英語を教える外国人のことを指すと言うと、頷く方も少なくない。

 外国人による語学指導は、学校の日本人語学教師の実力が今ひとつということから外国人の力を借りようと、全国的に1987年から始まったJETプログラムである。

 その制度は、当時高まりを見せていた「国際化の波」と「国際収支の大幅黒字を何とかしろ!という欧米諸国からの圧力」への対処として考えられたもので、当初は、教師たちはAET(Assistant English Teacher)と呼ばれ、多くが地方自治体が雇用する形を取っていた。

 「往復の旅費」「月給30万円」「長期休暇」「残業なし」「住宅供給」と至れり尽くせりの待遇に、当時不況下にあった英語圏の若者が、我先にとこの制度に殺到した。

 ところが、間に入った文部省(現文部科学省)や外務省などの役所には「人を見る目」があるスタッフは少なく、現地で採用されて各地方自治体に送り込まれてきた人たちの多くが大学を出たばかり若者。教育のイロハも知らない教師と言うにはあまりにお粗末な人材であった。

 ならば、きちんと教育してから教壇に立たせればよかったのだが、実際には数千名に及ぶAETを一堂に集めて偉い人たちの独演会を聞かせるに留めていた。

 JETプログラムでは、日本人教師との共同授業が基本のはずであったのに、自分たちの英語力の低さが生徒にバレルのを恐れた多くの英語教師は、AETたちに教科書を持たせて一人教壇に立たせた。

 当然のことながら生徒たちにすんなり受け入れられるはずはなく、反抗的態度を取る生徒に立ち往生するAETも少なくありませんでした。

 人伝に訊ねてきた一人のAETに英語教授法を教えてあげると、悩みを抱えたAETたちが何人も私の周りに集まってきた。

 彼らの悩みを聞いていて、JETプログラムの将来が危惧された。

 案の定、一年目から問題が多発した。最初の年には二人のAETが自殺をしてしまった。今、相撲界で薬物汚染が深刻な問題になっているが、何人ものAETがマリファナ(英語ではマリワナと発音する)などで御用となった。文部省以下、現場の校長・教頭までもがAETの扱いに困り果て思案投げ首、どうしようかと頭を抱えていた。

 そこへ助け舟を出したのが、大手英会話学校や教師派遣会社である。

 「安価で外国人教師を提供できますよ」と囁いたのだ。

 困り果てていた自治体がそれに乗らないはずはない。一つの自治体がJETプログラムを捨て、“民営化”に転向すると、多くが雪崩を打って続いた。名目上の制度はそのままに、「優秀な民間企業に知恵と技術を頂く」と入札制度で“公平”に業者を選んだ。

 しかし、営利優先主義のNOVAに代表される大手校や業者が教育の観点からことにあたることはあろうはずはない。入札制度だから名目上の支出額は抑えられて「良かったよかった」ということになりがちだが、現場の見方は全く逆で「以前の方がよかった」という声があちこちから上がっている。

 その入札制度だが、入札とは名ばかりで建設業界の談合と何ら変わりがないと言われている。NOVAの倒産直前には、大阪選出の中山衆院議員(今回の自民党総裁選では小池百合子氏に寄り添っている姿が見られる)が猿橋元社長と大阪市長を訪れ、NOVAに落札されるように圧力をかけたと報道されてその実態の一部が明るみに出された。

 業者は競って落札価格を下げていった。入札価格が抑えられれば、どこにしわ寄せが行くか。

 その答えは簡単だ。末端(実質的には中核を担う立場)に位置する外国人教師たちだ。

 彼らは英語圏で採用されて来日してみると予想以上の物価高。月給は20年前に30万円だったものが、今では24,5万円にまで下げられ、長い休暇期間には給料が支払われない。

 当然のことだが、辞めて行く者が相次ぎ、子どもたちの通う学校ではALTが短期間に何度も変わるのが珍しくない。これでは、教育上好ましくないどころか、悪影響さえ及ぼしかねない。

 小泉政権下で民営化がまるで社会改革のお手本のように言われたが、今になって問題が噴出しているのは皆さんご存知の通り。この分野でも民営化によって多くの小中学校の英語教育が危機に直面している。

私の視点 小泉劇場の再放送はNG

2008-09-17 00:45:03 | Weblog
 自民党総裁選のあり様はまさに「自民党のTVメディアの乗っ取り」だ。

 福田首相が辞意を表明してからというもの、TV各局の候補者のスタジオ出演を含めてTV報道は“自民党総裁選一色”。11日までの一週間だけを見ても、在京主要TV局が扱った自民党総裁選関連番組が「250番組 約41時間」、一方、民主党代表選報道は「48番組 4時間弱」で、圧倒的に自民党の扱いが多い。

 これはある意味、TVに話題性のあるものは追いかけるという習性がある以上仕方がないことかもしれない。だが、それにしてもこの時間差はひどすぎるのではなかろうか。

 百歩譲ってそれが仕方のないこととしても、ならばやり方があるはずだ。ただ自民党や候補者の言動を垂れ流すのではなく、メディアの本来の役目の一つである「検証」を自民党や候補者に向けて厳しく実行すればいいのだ。ところが、どの局のキャスターやコメンテイターを見ても候補者の言うことにうなづくだけだ。そうかと思うと、「報道ステーション」の古舘伊知郎氏のようにやたらいきり立って批判するキャスターもいる。

 日本のTV局の稚拙さに比べて他の国のTVメディアは、かなり趣が違う。もっと骨のあるキャスターやコメンテイターが揃っている。それも豊富な知識と鋭い分析能力を感じさせる者が多い。特にそれは欧州に目立つことだ。英国のBBCのように半官半民のような局でもステファン・サッカー、ティム・セバスチアンといった新旧のジャーナリストたちのような際立ったキャスター陣が目を光らせている。彼らはインタヴューの相手に関する膨大な情報・資料を集め、それを検証しながら相手に厳しい質問を一時間浴びせ続けるのだ。当然のことながら、その番組はとても見ごたえのあるものになる。ところが残念ながら日本にはそれに該当する番組はない。

 当然のことだが、有名キャスターやコメンテイターは政財界に一目も二目も置かれている。だから、彼らを意識する政財界人にいい意味での緊張も生まれるのだ。

 日本のTV人間は、BBCTVのハード・トークという名のインタヴュー番組を見たことがあるのだろうか。見ていれば自分たちのあまりのレヴェルの低さに自己嫌悪に陥り、余程鈍感でない限り、今のような番組作りはしていないだろう。

 まあ、視聴者も馬鹿ではない。3年前にTV局が連日流し続けた「小泉劇場」に翻弄されたことへの反省を巷間よく耳にする。だから、近く行なわれるであろう総選挙で3年前のように自民党が圧勝することは先ず間違いなくない。

 ところで、この茶番劇を見ていて思ったことだが、今行なわれている総裁選は公職選挙法に抵触するのではないのか。

 総裁選は、国民一人ひとりが選ぶものではない。自民党の、それもごく一部の人たちだけが投票して決まるものだ。だから、街頭演説が必要とされるものでないことは明らかだ。候補者の全てが、近く行なわれる総選挙を意識した演説を行なっているが私には違法に思えてならない。

 石原候補にいたっては、昨日だったと思うが、緊張してか大阪の街頭演説会で「衆議院選挙の立候補者の石原でございます」と名乗っていた。

 もしこの発言が、彼の選挙区であったら先ず間違いなく公職選挙法で禁じられている「事前運動」に当たっていたであろう。

 菅直人氏が報道番組で「テレビポリティックスで生み出された総理が何をやってきたか、国民は知っている。後期高齢者医療(筆者注:だったように記憶している)の強行採決をしたり、小泉氏の後継者である2人の首相が放り出したり、それがテレビポリティックスの副作用だ」と発言していたが、これは的を射ている。

 これをお読みのTV局関係者の皆さんに訴えたい。頼むから3年前の「小泉劇場」の再現版はお控え願いたい、と。

偽装国家ニッポンに鉄槌を!

2008-09-13 07:58:17 | Weblog
 米販売会社が農薬などに汚染された米を食用に転売していたという。

 同社の販売先に保育園や寿司チェーンがあったというのだから汚染米が「社会の宝」である子ども達の口に入っている可能性は十分にある。

 これまで「消費期限改ざん」「食品の使い回し」「生産地偽装」と実に多くの食べ物にまつわる不祥事が明らかになってきたが、汚染を知りながら「儲かればいい」と汚染食糧を流通させるなんぞは下の下。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。

 それにしてもこの日本という国。一体どうなってしまったのか。

 嘘と欺瞞とで塗り固められている。

 政治家は党利党略・私利私欲に走り、役人どもは税金を湯水の如く無駄遣いするだけでなく「埋蔵金」として膨大な額の隠し財産まで作っている。それを監視する役割のマスコミはと言えば、こちらも自己矛盾で機能不全を起こしている。

 こんな状態でもわが日本人はじっと我慢する。欧米人からよく言われることだが、「何で日本人は怒らないの?何で抗議行動を起こさないの?そして、もっと分からないのは、そんな酷い状態に置かれても何で若い人たちがナショナリズムに走るかだよね」

 確かにここ10年、このブログのコメント欄にも見られることだが、若い人たちやワーキングプアと言われる低所得者層に中国を中心にしたアジアに対する敵愾心むき出しのナショナリズムが台頭している。それはつまり、不満の捌け口をそこに見つけ出したからだと思われるが、何かナチス・ドイツの歩んできた道を想起させるようで危険な兆候だ。

 しかし、それは権力を握っている者達の思う壺だ。自分達に向けられた怒りの矛先を他に向けさそうとしてきたからだ。このような論旨・論点のすり替えを許してはならない。今このような状況に我々が置かれているのは、為政者や役人、それに加えてマスコミが職責を全うするどころか、いい加減な仕事をしてきた結果だ。 

 「仕方がない」「しょうがない」ではなく、今こそそれぞれがそれぞれの分野で社会を変えていくよう重い腰を上げなければ、10年後、20年後、我々はその時社会を担うようになった今の子供たちから総スカンを食らうであろう。

 

パラリンピックに光を!

2008-09-11 21:31:07 | Weblog
 その昔、高校に通っていた頃、我々男子生徒に「百メートルの完泳」が課せられた。スポーツ好きの私などには楽しい課題だったが、泳ぎの不得手な生徒には脅威だったようだ。

 試験の日、次々に生徒たちが課題をクリアしていった。中には溺れそうになりながら泳ぎ切った者もいた。

 試験を受けていない生徒が残り少なくなった頃、片腕が不自由な生徒が飛び込み台に立った。我々の目が彼に釘付けになった。

 「泳がなくても良いのに」
 一人が言った。私は彼が夏休み中、毎日のようにプールで練習をしているのを知っていた。だから、声援を送った。

 一斉に飛び込んだ級友達の余波を受けて彼の泳ぎは普段より重い様に見えた。25メートルをターンする頃には、ほとんどの者が100メートルを泳ぎ切っていた。

 それでも何とか50メートルを泳いだ。そこでしばらく息を入れる彼の顔は蒼白であった。それ以上泳がすのは酷に思えた。だが、それでも教師は介入しなかった。

 彼は再び泳ぎ出した。推進力となるはずの両足はか細く、懸命に動かしているようだが泡は立たない。自由が利く右腕で水をかいても身体は前に進まず、右に左に大きくダッチロールをするだけだ。息をしようと水から顔を出そうとするがからくも口と鼻だけが水面に姿を見せるだけで見ているだけで苦しくなってきた。

 生徒たちは必死になって応援した。特に、最後の25メートルは大声援を送った。中には目に涙を浮かべている者もいたに違いない。かく言う私も目頭を熱くしていた。

 彼が泳ぎ終えた時、我々は周りの生徒と雄叫びを挙げ、彼の栄誉を称えた。そして、彼の元に走り寄った。

 今北京で行なわれているパラリンピックをTV観戦して45年前の「熱い泳ぎ」を思い出した。

 だがお気付きになられたであろうか。パラリンピックはTVでほとんど放映されていないのだ。あれほど連日何時間も放送していたオリンピックに比べパラリンピックはまるで存在しないかのような扱いだ。

  実兄中継はなく、一日の総集編をNHK教育が夜10時から1時間放映しているだけで、他のTV局はニュースやワイドショウの片隅に追いやってしまっている。NHKの総集編もダイジェスト版だから臨場感はまるで伝わってこない。だから、巷間でも「昨日の車椅子バスケット感動したね」とか「ボッチャって面白い。一度挑戦してみたい」とパラリンピックが話題に上ることはない。

 マスコミが多くの紙面を割いたり時間を使ってパラリンピックを報道しないのは、本音を言えば「正直面白くない」「感動が少ない」からだ。もちろん、それが「高視聴率を取れない」ことを意味するのは言うまでもない。

 ならば、奇麗事を言うなと言いたい。表面では「感動的」「躍動感に溢れる」と言いながら、その裏でパラリンピックを軽視するのは政治を軽んじる悪徳政治家と何ら変わるところはない。

 スポーツは信じられない演技を見せ付けられると、人は興奮する。だが我々に感動をもたらすのは最高級の演技だけではない。

 たとえ、レヴェルは低くとも様々な人生模様を背景に歯を食いしばって頑張る姿は人の心を打つものだ。それがスポーツの持つ醍醐味ではないのか。

 近代オリンピックの提唱者で後に「近代オリンピックの父」と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵が重んじた「アマチュアリズム」とは、そのことを教えている。今一度マスコミに関わる人達は、その辺りを勉強し直して報道して欲しい。

 真夏の二週間を大騒ぎしたエネルギーと予算の数パーセントで構わない、パラリンピックのために使ってくれないだろうか。パラリンピックを見ながらそんな思いに駆られた。

東條の野郎!

2008-09-10 07:59:17 | Weblog
 妻の直子の旧日本兵の聞き取りのペイスが上がっている。

 それは、彼らの年齢も大きく影響している。太平洋戦争に狩り出された兵士達の年齢が高齢化しているためだ。

 様々な名簿などの入手した資料を元に全国各地に住む旧日本兵一人ひとりと連絡を取り、インタヴューをする作業は傍で見ていても大変な労力を要している。ようやく本人にたどり着いたと思ったら、「最近他界したんですよ」「もう呆けてしまって」とご家族から聞かされることも少なくない。

 それだけに、インタヴューを終えて帰ってきた彼女はほぼ毎回、「良い話を聞かせていただいた」と満足気だ。

 先日も、フィリピンにあった日本軍司令部の参謀付に話を聞いてきた。軍の中枢を見てきた人物は中々口が重く証言を取るのが困難だ。それだけに貴重な証言となる。

 その方は、フィリピンで日本軍が、そして日本兵が行なってきた蛮行の数々をヴィデオ・カメラの前で証言してくれた。

 「東條(英機)の野郎、見つけたらぶん殴ってやろうと思っていました」
 その方は、日本を戦争に導いた、そして日本兵に無理を強いた指導者・東條英機に話が及ぶと、彼を心から憎み、そう言ったそうだ。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」と、日本兵に「捕虜になるのなら死ね」と言ったその張本人が戦後まで生きながらえ、捕まえに来た占領軍の目の前で自殺を図りながら急所を外して未遂に終わった時、多くの国民が冷笑したものだが、そんな東條氏の自殺未遂にも触れ、「本当に死ぬつもりならここを撃ちますよ」と頭を指差したと言う。

 そして、「東條の娘を引っ張り出してしゃべらすマスコミ」に対しても苦言を呈していたそうだ。

 彼は恐らく東條英機の娘ではなく、孫の由布子氏を指していたのだろう。確かに、日本のマスコミ、特にTVは靖国問題となると彼女に話をさせるが、私も彼女の話に何の意味があるのかと以前から疑問を感じていた。

 旧日本兵の年齢を考えると残された時間はあとわずか。今週末も直子は重い撮影機材を担いで東北の旅に出る。

 
 

私の視点 露力士の解雇に疑問

2008-09-10 07:16:26 | Weblog
 ロシア人力士二人の解雇が決まった。しかしながら、その決定にマスコミから疑問の声が上がる気配はない。それどころか、二人への風当たりは強まるばかりだ

 一体マスコミはどうしてしまったのだろう。前回指摘したように簡易検査の結果だけで実名を公表したり、「大麻汚染」が事実なら解雇も当然といった論調を展開して「世論」に仕立て上げるやり方は報道機関にあるまじき行為だ。

 結果的に精密検査が“クロ”であったから、また二人に吸引歴があったのだからマスコミの取上げ方が正しかったとする向きもあるかもしれないが、私はその結果がどうであれ、あのような状況で実名報道をするべきではないと考える。

 また、どの報道機関もあまり触れていないが、二人が吸引したという薬物の何たるか、それに加えてその薬物使用の「悪のレヴェル」の検証をするべきではないのか。読者の松永さんがコメント欄に「大麻とは何か」と題する一文を紹介されているのでお読みいただきたいが、日本では大麻の何たるかが理解されていない。

 英国を例にとって見たい。大麻は確かに彼の地でも薬物の一種とされているが、Home Office(内務省)のホーム・ペイジを見てもトランキライザーや鎮痛剤と同等の一番低い扱い(Cランク。Aランクにはヘロインやコケイン、Bランクにはアンフェタミンなどの合成覚醒剤が入っている)だ。

 アンフェタミンなどは、軍隊がパイロットなどに「疲労抑制」や「長時間の緊張の継続」を目的として使われる薬剤だ。

 Cランクの薬剤に関しては、公に服用が認められるわけではないが、それだけで逮捕に至ることはほとんど考えられない。大麻の吸引に関しては、公式の調査ではないが、一般的に少なくとも英国民の20人に1人は経験していると言われている。有名スポーツ選手の多くが愛用しているとも言われる。

 だからといって私はもちろん大麻の使用を奨励したり、吸引した行為に目をつぶれと言っているのではない。以前に起きた「相撲部屋殺人事件」のような大罪と同系列に置いて解雇というのはひどすぎると言いたいのだ。

 しかも、露力士たちが大麻使用に関わる日本の法律とそれに伴う罰則をきちんと説明されていたのならまだしも、そのような教育もきちんと受けていなかったというではないか。少なくとも新弟子の時に強制的に半年間通わされる「相撲教習所」でその種の教育を受けているかと思ったが、私の調べた限りではそのような形跡はない。

 事の深刻さを力士たちに理解させる努力を怠った責任は相撲協会になかったか。私はその点を問い質したい。

 繰り返して言うが、大麻吸引はヨーロッパの人たちの感覚では罪の意識の薄い犯罪である。それを起こしたからといって、しかも初犯である、いきなり解雇するやり方は、人権問題でもあると私は考える。

 世論、いやマスコミの目を気にする余り、相撲協会は先に逮捕された若ノ鵬(起訴猶予で釈放された)を含む3人の露力士を解雇処分にしたと思うが、こんなやり口は自分たちの弟子の教育の失敗やこれまでに噴出してきた相撲界への不満を彼らに押し付けているだけだ。

 マスコミは、露力士3人を一種のスケイプ・ゴウト(贖罪のヤギ)にして本質から目を逸らさせて一連の不祥事に幕を引こうとしている相撲協会に手を貸すことを直ちにやめるべきだ。
 

私の視点 大麻疑惑の兄弟力士の扱いに疑問

2008-09-03 22:03:55 | Weblog
 まるで「市中引き回し」だ。

 相撲界を揺るがすロシア人力士の「マリファナ汚染」をめぐるマスコミ報道を見ていると、マスコミが寄ってたかって彼らを血祭りにあげているが、今やマスコミはこんな犯罪報道の基本中の基本も分からない人達の集団になってしまったのかと唖然呆然だ。

 まず、彼ら、特に兄弟関取、幕内露鵬と十両白露山に対する疑惑は、あくまでも疑惑であって犯罪と呼ぶには現時点では無理があることだ。相撲協会が何故に簡易検査の結果だけで実名を発表をしたのか不可思議だが、それを受けてそのまま情報を垂れ流すマスコミには全く理解が出来ない。

 報道から知る限りでは、マリファナの簡易検査は完全な結果をもたらすものではなく、精密検査が必要だとの事だ。ならば、二人を取り調べたり、更なる検査にかけることがあっても、この段階で名前を公表することは控えるべきではなかったのか。

 これまでに数え切れないほど起きてきた冤罪事件の幾つもに(警察に)手を貸してきたマスコミは、その度に表面的に謝罪を重ね、「二度とこのようなことにならないように努力をする」と読者や視聴者に頭を下げてきたが、過去に犯した間違いから多くを学んできたようには思えない。

 又、先に、相撲界から追放された若ノ鵬もそうだが、仮に兄弟力士がマリファナを使用していたとしても、懲戒免職処分するほどの大罪かと異論を唱えたい。

 マリファナやハシシなどの大麻は、ヨーロッパの中には合法とする国もある。オランダなどはその代表的なところで、街中に「マリファナ・ハシシ喫茶」の看板も見うけられる。マリファナの常習性や影響力をタバコ程度とする学者も少なくない。

 だから、私の経営する英会話学校では外国人教師を新規採用する際には、「日本ではマリファナやハシシの使用が厳罰の対象である」ことをわざわざ指摘、さらに契約書にもその点を盛り込むほどだ。

 聞いた所では、相撲協会の力士たちへのマリファナやハシシの利用に関する指導は今回の事件が発覚するまではほとんど行なわれていなかったそうだ。

 ロシアの、特に中央アジアや中近東に近い地域ではマリファナやハシシの原材料である大麻は自生している。それだけに、仮に兄弟力士が吸引していたとすれば、軽い気持ちで手を伸ばしただけとの見方が出来る。

 ならば、初犯であれば、出場停止処分などの処罰程度に留め、十分な教育を施すことに力を入れるべきではないだろうか。いずれにしても解雇に値する罪とは私には到底思えない。穿(うが)った見方かも知れぬが、マスコミの目を気にした相撲協会は、「伝家の宝刀」を間違って抜いてしまったようだ。

 少し前、ヨーロッパ人と意見交換をしたが、彼の国では「大麻吸引で解雇」はあり得ないことだと驚いていた。いずれにしても兄弟力士に群がる報道陣の姿は異様だ。犯罪報道の基本を今一度マスコミ各社は見直して欲しい。

二級市民!?

2008-09-03 09:59:54 | Weblog
 K講師が休みを取る間、代わりを務めてきてくれたS講師からメイルが来た。

 彼のメイルを見て驚いた。

 「Thank you so much for treating me like a human being and not a second class citizen. I really appreciated it.(二級市民ではなく人間として扱ってくれてありがとうございます。本当に感謝します)」

 とあるではないか。

 「人間として」「二級市民」…?!

 彼は最後のお別れの時に「いくつかの英会話スクールに長年勤めてきて英会話産業に良い感情を抱いていなかったけどASEで働いて初めて親近感を感じました」と言ってくれたが、お世辞程度にとっていた。

 それにしても「二級市民」という表現。かつては人種差別が世界で多く見られた時によく使われたが、彼のように東南アジア生まれで英語圏で育った者には死語ではなかったのだ。このメイルを読んで、彼が日本でもかなり酷い経験をしていたのだろうなと何だか複雑な気持ちになった。

私の視点 首相辞任から考えた草の根民主主義

2008-09-02 10:40:46 | Weblog
 福田首相が職を辞した。

 メディアは福田氏の辞任の仕方を面白おかしく様々な形容を使って報じているが、彼の辞任は規定路線、時間の問題であった。その辞め方に驚きと共に怒りを禁じ得ない人も多かろうが、これが永田町のサル山の実態であると考えるしかない。

 そう。サル山のボス猿共の頭には、普段から民衆の前で彼らが口にする「国益」「国民のために」などというフレイズは残念ながら意識としては存在しない。自分たちにどう利益を誘導するかということしか彼らの頭の中にはないのだ。

 それにしてもふざけた政治だ。ここ一年を取って見ても、安倍晋太郎氏の首相辞任劇、福田氏選出の経緯、自・民大連立構想、内閣改造と幾つもの節目があったが、どれを取ってもそこに国民の存在はない。

 唐突と取れる今回の辞任劇だが、公明党の横暴ともいえるわがまま(民主党が次期国会で矢野元公明党委員長への嫌がらせ問題で池田大作氏の証人喚問請求を含めた動きがあり、それに公明党は異常なほど神経質になっていた)や民主党の激しい揺さぶりがあったにせよ、国会運営を中心にした「自民党にとっての勝利の可能性」という視点から考えると、時期はやはり「今」しかなかったのだろう。

 これ以上福田政権が「悪あがき」をすれば、女房役である幹事長・麻生太郎氏の人気に傷をつけかねないとボス猿たちは考えたのだ。マスコミは解散・総選挙の時期を連日報道していたが、自民党の幹部の多くは以前から「福田で総選挙を戦えるわけがない。小沢に勝てるはずがない」と考えており、解散を許す空気はなかった。彼らは毎夜のように集まって、「いつ福田を辞めさせるか」を話し合っていたのだ。

 一ヶ月前の内閣改造の時、「私の視点 麻生人気に警鐘を鳴らす」の中でも書いたが、「福田→麻生」はサル山においては規定路線であった。そこに今回は公明党が前述したことに関連したことで大きな動きを見せ、福田氏はサル山が予定していたスケジュールを前倒しして辞任したのではないか。

 今後お馬鹿なマスコミはボス猿たちに踊らされて「麻生か小池か?小泉の動きはどうなる?」とポスト福田を巡って狂騒曲を大音量で日本列島の隅々にまで届けていくだろう。その騒音が程度の差こそあれ選挙民に影響を与えることは間違いない。

 ボス猿たちは今やそこにしか「小沢に勝つ目はない」と見ている。マスコミが自民党総裁争いを連日報道して新総裁が誕生し、幾つかの人気取り政策を発表して支持率を上げれば、その先は解散・総選挙に一挙に突入する。

 では、選挙民である私たちはどうしたらいいのか。

 選挙は、この世が議会制民主主義である以上、自分たちの権利を政治に反映させる唯一と言ってもいい絶好の機会だ。これからは家族や友人・知人と政治談議に大いに花を咲かせ、投票所に足を運びたい。「選ぶ政党、政治家がいない」と思って投票所に足を運ばずにいたら未来永劫その人には国政参加の機会は来ないだろう。

 自分たちで代表を送り込むのも一つの手段だ。たとえ一回で当選しなくてもいい。何度も挑戦を続けて仲間を増やしていくのだ。また、仮にそういう活動が無理にしてもグループで政党や地元選出の候補者に質問書を送る方法も考えられる。そのやり取りを自らのブログやHPなどで発表していけば、「輪」も広がるだろう。そうして選挙民の意識が高まることが、政治家や引いては政党に緊張感を与えていくことになる。サル山のボス猿たちを困らすことになる。そう、それこそが今、我々が実践できる草の根民主主義なのではないだろうか。

Kの職場復帰

2008-09-01 19:03:27 | Weblog
 このサイトで何度か紹介してきたが、ASE英会話スクールの講師Kが母国アイルランドでの2ヶ月間の病気療養を終えて戻ってきた。

 彼の職場復帰の報に生徒たちは大喜び。特に子ども達は「ヤッター!」と歓声を上げて喜んだ。

 復帰を祝って昨夜はこじんまりとだが近くのレストランで食事を楽しんだ。彼がいない間、一人で健気に頑張っていた奥さんをねぎらう意味もあったのでとても楽しく充実した集まりになった。

 Kは気管支が生来弱い様で完治にまでは至らなかったが、2ヶ月前とは比べ物にならないくらい元気になって帰ってきた。

 それにしても掛かっていた自治医大の「原因は分かりませんが取りあえず肺の三分の一を切除しましょう」という判断は何だったろうと今さらながら思う。家族や自分が病気になった時のことを考えると空恐ろしくなる。