浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

どうした、川田龍平?

2007-11-28 01:01:54 | Weblog
 「政治家川田龍平の姿が見えない」と題して、天木直人氏が自らのブログとmixiで一文を書いている。

 天木氏と言えば、かつて在レバノン日本大使を務めたが、小泉政権の中東政策に反骨精神を見せて外務省を辞職した御仁だ。さすが、目の付け所が違う。

 確かに天木氏が言うように、薬害問題がここまで社会的に注目されているというのに川田参議院議員の言動が全く“見えて来ない”のだ。

 私の妻が川田氏の友人でもあり、私自身も知己を得ているだけに選挙運動期間中には彼への期待を込めた一文をこの場でも書かせていただいた。だが、肝心の薬害問題が大事な時期を迎えているというのに彼の活動がこちらに伝わってこないのだ。

 彼なりに動いているかもしれないが、せっかく国会議員になったのだ。ちまちまと活動をするのではなく、彼の「薬禍の被害者」という立場を今、最大限に使って怠慢な役人を追い込み、真相解明に全力投球するべきではないのか。彼は選挙期間中、そうすると言っていたはず。今からでも遅くはない。

 立ち上がれよ、川田龍平!被害者たちは君の姿を待ち望んでいるのだ。

エンゲル家の人々

2007-11-26 11:40:12 | Weblog
食欲の秋である。とにかく、理屈抜きで腹が空くのだ。

 調子に乗り、欲望のまま食べ物を口にしていたらここのところで腹回りが“急成長”、ズボンがどれもきつくなってしまった。

 店で食事をすれば、一人前がお子様ランチに見えてしまい、いつもどこでも、「大盛りでお願いします」と店員に言う。

 妻が少食であれば、彼女の残したものを片付ける方法もあるのだが、彼女も同様に健啖家だ。だから我が家はそんな訳で家計に占める食費がとても高い「エンゲル一家」なのだ。

 まだ若い家人は別にして私は「赤いちゃんちゃんこ族」の仲間入りをした60歳だ。ここ何年も医者通いをしていないので「血糖値」や「コレステロールなんとかかんとか」を把握していないが、恐らく食生活から推察するに相当上がっているだろう。

 ならば身体を動かせば良いのだが、最近は自転車を乗り回していることを良いことに、運動をしていない。唯一やっているのは「スパイダーマン体操(後日写真つきでご紹介します、お楽しみに)」だけだ。

 運動をするか、食事を控えるか、それが問題だ-私の現在の心境をハムレットに語らせればこんな感じか。昔々その昔、シェークスピアもこのようにして悩んだのだろうなあ。

茶番だよ、21世紀の物々交換

2007-11-21 00:06:51 | Weblog
 英語講師を募集している。

 募集方法は色々あるが、今回はインターネット上の「求人・求職サイト」を使って探している。

 応募をしてくるのは、時節柄ほとんどがNOVAの教師だ。ところが、残念ながら私たちの彼らに対する評価は高くはない。それは、これまでに面接をしたり、雇ってみた経験から出した結論に近いものだ。応募者はメイルで履歴書を送ってくるのだが、礼儀正しいビジネスレター一つ書けない者がNOVAの教師には多い。

 だが、中には良い教師もいるであろうと、ある男性を雇う方向で話を進め始めた。彼が長年、他の多くの講師の指導に当たる立場にあったということだし、日本人女性と結婚して永住したい、つまりは長期間勤められるという触れ込みだったからだ。

 だが、私の思いは脆くも打ち砕かれた。こちらで指示した通りに教えてくれたり、あたりも柔らかくて生徒からの反応もまずまずだったのだが、いざ契約する段になると、ナンダカンダと言い出し、挙句の果ては他で仕事を見つけてきた、と言って来た。

 恐らく、NOVAが倒産して職を失った状況にパニック状態になり、なりふり構わずこちらの仕事に食いついてきたのだろう。ところが、冷静になって考えると、片道一時間以上かかり割が合わないことに気が付いたのではないか。

 迷惑をかけたから他の教師を紹介する。自分の部下だった良い教師を紹介するからということであったが、これがとんだ食わせ物で、電話の受け方も無礼千万、こんな人物を雇ったら後になって苦労をすること間違いなしという男性を紹介してきた。

 そんな彼らに接していると、マスコミが今、NOVAの教師たちを取り上げてドラマチックに仕立て上げているが、彼らに同情の余地はあるにせよ、公的な金まで使って救援する必要があるのかと疑問に思えてくる。油や汗にまみれて働いても時給を安く抑えられているアジア、アフリカからの外国人労働者に比べ、時給2,500円~3,000円を支給される英語教師たちに貴重な税金を使うのは妥当か、冷静になって考えるべきであろう。

 NOVAの教師と言えば、それを支援する労働組合、全国一般東京南部が、「Lessons for food(食べ物提供でレッスンを)」というキャンペインを行なっている。それにまたマスコミが飛びついて取材をしている。だが、こんな茶番なことに何の価値も私は見出さない。恐らく、山谷地区などで季節労働者に炊き出し支援をする発想から生まれた企画なのだろうが、こんなことをしていても何の解決の糸口も見出せないだろう。逆に、教師たちのプライドを傷つけるだけの話だ。

 目立つイヴェントや現象ばかりを面白おかしく伝えることをするなとは言わぬが、そんなことをしている暇があるのだったら、記者諸君は「なぜこのような問題が起きたのか。二度と起きないためにはどうしたら良いか」徹底検証をするべきではないか。マスコミが持つ役割を今一度基本に戻って考え直して欲しいものだ。
 

長井さんを喰い物にする面々

2007-11-16 08:02:03 | Weblog
 昨日発売の週刊文春に「ミャンマー銃撃死 長井さんを喰い物にする通信社代表」と題する記事が掲載された。

 このサイトでも事件直後に「長井さんの葬儀に列席しなかったわけ」と題する一文を書いたが、他にも長井さんが所属したAPF通信の山路代表のやり方に疑念を抱く人がいたようで、文春に取り上げるよう働きかけたのだろう。タイトルから推察されるように、記事の内容は相当山路氏にとって厳しい内容だ。

 記事では、長井さんがミャンマーに自らの意志で取材に出かけたのではなく、山路氏の指示で仕方なく応じたものだと、長井さんと親しかったバンコク在住の日本人A子さんの言葉を借りて山路氏のやり方を批判している。

 長井さんはA子さんに、「一度は(山路氏の指示を)断ったのですが、行かざるを得なくなりました」と言い残してミャンマーに発っていったとのコトだ。

 なのに、それが山路氏の手にかかると、“民主化のために命を捧げたヒーロー”になる。それが事実ならば、山路氏は、長井さんの死をマスコミが喜ぶ形に祭り上げたことになる。

 遺品についても、A子さんの話では、APF通信社員が彼女のもとを訪れ、長井さんが拠点としていたバンコク市内のアパートの鍵を差し出すように求めたと言う。

 それに対して、A子さんが、遺品は遺族に渡すべきと言うと、「遺族の了解を取っています」「権利はAPFにある」と言うので仕方なく鍵を渡すと、室内に入ったその社員は、長井さんが遺したジュラルミン製のスーツ・ケイスを壊して中身を持ち去ったとのことだ。A子さんの話では、中には長井さんが撮り貯めた取材テイプ7本が入っていたそうである。

 長井さんの撮影したテイプは正に「金のなる木」となり、TV各局で繰り返し放送されている。それも、それに日本での取材を付け加えて「長井さん物語」仕立てにして“商品価値”を高めている。

 TV業界では、取材した素材も“味付け次第”で商品価値が変わる。だから、商品価値を高めて対価を求めること自体に私はあえて口を挟むつもりはない。だが、そこから得られた収益がどこに行くかが問題なのだ。それが正当に長井さんのご遺族の元に届けられれば何も言うことはない。だが、山路氏の「過去」を知っているだけに、また今回の彼の動きに胡散臭さを感じているだけに心配でならない。

 週刊文春の記事に「戦場カメラマンから大ブーイング」という副題がついていることから、この記事のネタ元が私ではないかと言う人がいたが、私は一切無関係であることをこの場で明言しておく。

 記事を読んでの印象だが、山路氏が「外車を乗り回し」という部分については、彼は随分前からそうしており個人の趣味の範囲である。どんな車に乗っていようと他人がとやかく言う問題ではない。 また、民放プロデューサーの「10分枠で最低200万円が支払われている」という指摘も、最近のTV局の実情から言えば、少々金額に誇張が過ぎる。視聴率の取れている番組であれば、事件直後はその位、いやそれ以上の条件を出しただろうが、特に報道番組などでは一般的な金額ではない。

 長井さんが殺されて2ヶ月近くが経とうとしている。ミャンマーの政治状況を日本国内に知らしめることにつながったとはいえ、長井さんの死がいつの間にか忘却の彼方に忘れ去られるようとしている。長井さんの「遺志」を継ぐと宣言した山路氏もマスコミも今一度長井さんの遺した写真を前に事件直後に発言した内容と自らの役割を再確認して欲しい。

 山路氏に関してマスコミに対して長井さんが私に言った言葉を忘れてはいない。

 「(山路氏に対する)不満はありますよ、いろいろね。特にお金については不満だらけです。でも、だからといって、マスコミがこんな僕をが雇ってくれるわけじゃありません。マスコミは契約すらしてくれませんよ。だったら、APFにいるしかないじゃないですか」

 長井さんのこんな“弱み”につけ込んで利用してきた面々に対して私は言いたい。「散々長井さんを鉄砲玉として利用してきて今さらキレイ事を言うんじゃない」と。そして、マスコミは、社説やコラムで遺志を継ぐとあれだけの宣言をしたのだ、必ずやその約束は守ってもらいたい。それは、フリーランス・ジャーナリストの地位向上だけに止まらず、そういった志ある若者を養成する機関の設立を含めての話だ。

 朝日新聞も社説で「長井さんの遺志を継ぐ」と宣言したが、そのやり方についての具体的な提示はない。他社も同様でどこも動きを見せていない。

 「遺志を継ぐ」とは、そこまでのことをして初めて、意味を成すと考えるのだが、果たして私は間違っているのだろうか。

 山路氏には、長井さんの遺志を継ぐことなど期待はしていない。それよりも、今回荒稼ぎした多額のカネを遺族にきちんと渡すようお願いしたい。私が長井さんへの支払いを心配することなど「そんなの関係ない」と今流行のセリフがどこかから聞こえてきそうだが、これまでの彼の金銭トラブルを考えると、最悪の事態が心配される。御両親は、葬儀や引越しなどの面倒をみてもらったことからAPFを感謝しているようだが、そんなことで終わらせてはならない。

 長井さんが生前、「田舎の両親が心配」と言っていただけに、私はその点に関しては、最期まで見守っていくつもりだ。
 

神様、仏様、稲尾様

2007-11-14 11:07:51 | Weblog
 妻の友人で私ともmixi仲間の若い女性Kが、昨日死去したプロ野球界の巨星、稲尾和久氏と彼女の父親との交流、そして、自分の学校に講演に来てくれた稲尾さんの思い出をmixiで書いている。

 Kの父親は推察するところ、僕とそんなに年が違わないのではないかと思う。だとすれば、われわれの世代の野球少年にとって稲尾投手は憧憬の人。まだテレビがあまり普及していない時代に、ラジオから聞こえてくる稲尾投手の凄さはまさに別世界の人であった。

 一年間に42勝。それとは別に、3年連続30勝以上の勝星。日本シリーズの7戦中、6試合に投げる人間離れした体力と気力。どれを取ってもすごい選手だった。彼を、「神様、仏様、稲尾様」とファンが崇めるのも当然であったような気がする。

 60年代後半、私が彼の投げる姿を後楽園で見た時には、もう既にピークを過ぎていた。後楽園で行なわれた試合とはいえ、東映フライヤーズ(現日ハム)と西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の一戦である。客の数もまばらで、ファンの野次がグラウンド上の選手に届いてしまい、それに対して血の気の多いフライヤーズの張本選手などが怒鳴り返す場面もあった。しかし、打ち込まれて肩を落として降板する稲尾投手に対しては、フライヤーズファンも野次ることなく、それが一層寂しさを濃くした。

 そんな稲尾氏を深く尊敬していたのは、誰あろう落合博満氏である。稲生氏が監督を務めたロッテ球団の中心選手だったのが落合氏だった。

 三冠王を三度取らせるために必死に後押しした稲尾氏を心の底から信頼していたのだろう。落合氏は86年、稲尾氏がロッテ球団を首になるとトレード志願、中日に移籍した。

 心無いスポーツ紙は、貧乏球団に対して“銭ゲバ(金にがめつい)”落合が法外な要求をして、球団から放出されたと書きたてた。そんな批難ごうごうの中、稲尾氏は落合氏を弁護して回った。その師弟愛は知る人ぞ知る秘話として後になって明らかにされた。

 そんな落合氏も今や中日球団を何度も優勝に導き、今年は日本シリーズ、アジアシリーズ共に制した名将といわれる監督である。私はここでも書いたが、そのアジアシリーズの決勝戦を東京ドームに観戦に出かけた。その時、妻と近くで食事をしていたのがKである。そんなことなら彼女を観戦に誘えば良かったと、mixiに書き込まれた日記を読んで思った。

 スポーツをバカにする人も数少なくない。だが、スポーツの良いところは、ゲイムそのものにもあるが、その周辺で展開されるさまざまな人間模様にも多く見られる。稲尾氏の死去が私たちの友人関係に新たな彩を付け加えてくれたことも、スポーツの醍醐味の一つのような気がする。

後味の悪い野球観戦

2007-11-12 07:50:28 | Weblog
 久し振りにプロ野球を東京ドームに出かけて観た。

 日本、韓国、台湾、中国のプロ野球リーグ優勝チーム(中国は選抜チーム)による第3回「KONAMI CUP アジアシリーズ2007」である。その結果は、皆さん御存知のように、中日ドラゴンズが6-5でSKワイバーンズ(韓国)を下して初優勝し、日本の代表チームが3年連続でアジア王座に就いた。

 スコアが示すように、なかなか面白いゲイムであった。

 「私、野球嫌いだから」と言って、野球観戦に応じてくれなかった妻も試合が終わってから「もう一度行ってもいいよ」と言うくらい白熱した試合の内容だった。

 だが、優勝が決まってからが良くなかった。表彰式を近くで見ようとバックネット裏に近付くと(ちなみに我々は、一番安い「外野自由席券」で観戦)、二人の男がグラウンドに向かって叫んでいた。

 ドラゴンズのユニフォームのレプリカを着る二人は、韓国チームに向かって罵声を浴びせていた。恐らく罵声の内容は選手に理解できないだろうが、酷いことを言われていることくらいは状況から分かるに違いない。

 試合が素晴らしい内容であっただけに余計に後味が悪い。優勝したのだからその男たちもドラゴンズ・ファンの歓喜の渦の中にいれば良いのにわざわざ韓国チームの近くに来てその場を汚していた。

 数人のガードマンが彼らの近くにいるが、なだめるばかりで止めようとはしない。私を含めて何人かがガードマンに二人を排除するよう要求しても、強く出ることはなかった。挙句に、声を掛けた内の一人に対して切れてかかろうとしても、またまたなだめるだけ。

 選手たちがグラウンドから姿を消すと二人は大人しくなり、我々も球場を後にしたが、それにしても後味の悪い野球観戦であった。恐らく、サッカーの国際試合などでも同様のことが見られるのだろうが、いずれにしてもこういう場面は見るに耐えないものだ。


007?

2007-11-11 07:13:36 | Weblog
 ASE(私のやっている英会話学校)のアイルランド人教師Kが油断ならない。

 私の私生活のことを結構把握しているのだ。愛猫ジェニーのことや、前の住居の大家ともめたことなどを知っているのだ。ひょっとして、IRA(アイルランド共和軍ゲリラ)の回し者?それとも、ロンドン生活が長かったからMI5(英国情報機関部)が送り込んだ、「007」?

 確かに一見してすばしっこそうだし、その目は常に獲物を追うハンターのものだ。頭も結構切れるようで、時々額に血が流れ出てきている(ん?)。

 だが、真相は違った。種明かしは、このブログにあったのだ。彼は私に内緒でブログを読んでいるのだ。だからと言ってこのサイトに英語版があるわけではない。彼は、実は高度の日本語の読み書きが出来る。だから、このブログの内容も理解できてしまうのである。

 「僕もワイフもあなたのブログにはまってるんですよ。この前初めて読んで一挙に4,50本読みました」

 数日前、Kはニヤニヤとしながら言ってきた。そして、私の文体を褒めてくれた。お世辞にしてもおだてに乗りやすい私は思わず登る木はないかと辺りを見回した。

 嬉しいことだ。彼はまだ入社して半年余りだが、とても協力的でこちらの意を汲み取って色々建設的な提案もしてくれる。彼がブログを読んでくれていると私の考え方が伝わりやすい。

 アイルランドといえば、日本人にはあまり馴染みがない国だ。多くの人が、「アイルランド?う~ん。IRAゲリラで有名。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の国?それからアイルランド民謡」くらいの知識しかないかもしれない。

 だが、この国の人たちは、一度訪れた人なら肌で感じているだろうが、人情家が多い。私はかつて、北アイルランド紛争が吹き荒れた頃、何度も現地に足を踏み入れてその温かさに触れている。

 アイルランドの歴史を考えると、あれほど酷い目に遭いながらなぜこれほどまでにいつまでも他人に対して温かくしていられるのだろうと思ったことは何度もあるが、Kも同様だ。それに加えて、彼は日本の企業で苦労してきた。

 その彼の提案で昨夜、「英語カラオケ大会」をやった。

 小さな学校だから集まった人数も16名と可愛いものだが、そこは気心の知れた人たちの集まりだ。本当に楽しいヒトトキを過ごせた。また、彼のこういった席での気の遣い様を見ていると、日本企業でのしごかれ方の凄さがうかがい知れた。

 そんな気の合うスタッフだが、Kは今後、日本に長くはいない。彼が帰国しても何か共にできることがあればと考え中だ。

私の視点 小沢一郎の野望とナベツネの陰謀

2007-11-08 12:33:04 | Weblog
 福田・小沢両党首会談の仕掛け人の存在が鳩山民主党幹事長周辺から確認できた。

 その仕掛け人とは、マスコミで取り沙汰されてきたナベツネこと、渡辺恒雄・讀賣新聞本社グループ会長である。それに、もう一人、森“Who are you(注)”元総理がかんでいた。私の見方は、この二人がかんでいたにせよ、仕掛けたのは小沢氏であったのではないかというもの。まあ、この際は、どちらが先に仕掛けたかは重要な問題ではない。構想そのものに深刻な問題があるからだ。

 「二大政党の間をフィクサーが取り持つ」…古い政治の典型ともいえる仕掛けであった。だが、これは、単に古狸どもの料亭遊びの一環と笑って済まされぬ面がある。それは、渡辺氏が、1千万の購読数を誇る世界最大規模の新聞社と、これまた放送メディアでは強い影響力を持つTV局を代表する人物だからだ。第4の権力と言われ、政治とは一定の距離を置かなければならないメディアの、それも最高権力を握る人物がこのような一国の根幹に関わる政界工作に出るとは、まさにこの世も末、いや、メディアの終焉だ。

 今回の話を追っていて思い浮かぶエピソードがある。

 1991年1月。ところは、イラクの隣国ヨルダンの首都アンマン。湾岸戦争が始まり、世界はクウエートの500箇所以上の油井が炎上して黒煙が噴き出す惨状に心を痛めていた。アンマンでは世界から集まった数千人ものジャーナリストたちが連日、戦争報道をしていた。

 日本ではその頃、多国籍軍に加わるようにアメリカからの圧力が高まり、自衛隊の海外派遣にまつわる議論が戦わされていた。そのお先棒担ぎをして「世論作り」をしていたのが、讀賣新聞であった。

 その讀賣新聞の特派員の一人が言った。

 「自衛隊問題になると、もうウチは報道機関と言えるかどうか。批判記事は全て水子ですからね」

 その表現方法に問題はあるものの、彼の言いたいのは、反対意見を記事にしようものなら全て東京本社のデスクの手でゴミ箱に葬り去られてしまうという意味だ。

 その頃、日本を牛耳り、自衛隊の海外派遣に熱心だったのは誰あろう、当時自民党の幹事長であった小沢一郎氏だ。彼は、その前から「日本を普通の国」にしたいと公言、憲法を変えて軍隊を持てる国にしようと提案していた。

 だから、1990年8月に起きたイラクのクウエート侵略に始まる湾岸危機を自衛隊の位置づけを変える絶好の機会ととらえ、まずはイラクからの難民を運ぶのに自衛隊機を提供したいと言い出した。その「小沢党」ともいえる自民政権を支えていたのは讀賣新聞であった。

 讀賣はそれまでにも中曽根康弘氏を全面的に支援、80年代後半にリクルート事件などでスキャンダルまみれになり、マスコミで叩かれた中曽根氏をかばい続けたことでも知られる。

 一介の政治部記者から出世の階段を上り詰め、日本の政治に影響を与え続けてきた渡辺氏だが、今回の企みは酷すぎる。こような陰謀に我々国民は腕を拱いていて良いのだろうか。永田町の一部で、渡辺氏を「憂国の士」、「真の愛国者」と評する連中もいるが、とんでもない、私から言わせれば、今回の画策は、民主主義の根幹を脅かすものであり、ジャーナリズムを冒涜するものだ。

 それだけに、民主党の幹部には「小沢氏の『民主党は衆院選に勝てない』などという恫喝」に堂々と対応して欲しかった。ところが、役員の全員が討ち死、小沢氏の軍門に下った。これで民主党は再び万年野党の道に舞い戻り、日本の政治は機能不全に再突入するだろう。それを外から見て喜んでいるのはアメリカと中国だと言うことを我々は忘れてはならない。こんなことをしている日本に明るい未来はない。


筆者注:森善朗氏は首相時代、訪米をしてクリントン大統領(当時)との首脳会談に臨んだ際、「How are you?」と挨拶すべきところを「Who are you?(あなたは誰)」と言ってしまい、赤っ恥をかいた。それに対して、クリントン氏が「I'm Hillary's husband(私はヒラリーの夫ですよ)」と軽妙に返したことで両者の力量の差が際立ってしまった。

TBSスポーツ局の横暴

2007-11-06 08:47:27 | Weblog
 亀田一家騒動が終息の方向に進み始めている。それに一番安堵しているのはTBSだろう。

 TBS関係者の何人かと話す機会を持った。このTV局の酷い、醜悪な顔が見えてきた。

 TBSの中では、今回の騒動に対する責任問題をどうするかとの話し合いがあちこちでもたれてきたようだ。だが、スポーツ局では「話し合うことすら許される雰囲気になかった」と、これが報道機関かと思うほど酷かった空気が局内を支配したと内部の人間が言う。

 スポーツ局は局内でそういう空気を作るだけでなく、局外に対してもいろいろと口出ししたという。

 例えば、ニュース番組に対して、亀田問題の扱い方に口を挟んできたというのだ。たとえば、問題になった試合の翌日、亀田選手の反則行為を詳しく伝えた報道番組に対して抗議するという耳を疑う暴挙に出た。

 スポーツ局の幹部よ、またTBSのお偉方よ。これまで私は何度もこの場を借りて批判してきたが、あなたたちはいつまでこのようなことを繰り返すのですか。また、15年前、オーム問題でTBSが報道機関にあるまじき行為をした時、「TBSは死んだ」と言い放ちながらも、その後もキャスターの座に居座り続け、「TBSを変える」と豪語したのに何も講じなかった筑紫哲也さん、あなたの責任も重いですよ。

 話を聞いた人たちの情報では、スポーツ局はもう“次なる一手”で頭が一杯な状態だそうな。スポーツをこよなく愛する私には、そんなスポーツを商業化するTBSスポーツ局のやり方は許し難いが、視聴者の皆さんもその内、年末の忙しさに今回の騒動を忘れ去ってしまうに違いない。そして、大晦日のスポーツ特別番組に熱狂するのだろう。

 嗚呼、スポーツ熱狂列島ニッポン、バンザイ!

隠れ民主党支持者の嘆き

2007-11-06 08:15:23 | Weblog
 ほとほと愛想が尽きた、とはこのことだ。

 小沢一郎氏の暴走にあたふたと慌てふためいて、民主党の幹部が醜態をさらけ出している。こんな政党に政権を任せられるわけがない。

 愛想?これまでさんざんぱら民主党を批難しておきながら、さては、浅井は民主党員だったのか?と言われそうだが、何を隠そう、私は党員ではないが、何度も民主党に一票を投じてきた。それは、他に任せられる政党がないからという消極的な理由からだが、いずれにしても期待する部分もあった。

 だが、これまでその想いを何度裏切られたことか。そして、またまた今回のドタバタ劇だ。小沢氏の独裁も許しがたいが、私はそれよりも、そのような事態に威厳を持って対応できない幹部連中への失望を大きくする。

 本当に幹部たちが小沢氏から何も聞かされていなかったとしたら、彼らは辞表提出した代表を慰留するのではなく、暴走をきちんと批判して辞表を受け取り、政権奪取に向けた体制作りをしなければならない。なぜならそれが民主党に対する「国民の声」だからだ。

 選挙の戦い方に長けているからというだけで、小沢氏を慰留する等という幹部たちの姿勢は、国民の失望を買うだけだ。その辺りが分かっていないから自由党という小政党を引き攣れてきた小沢氏に母屋を“乗っ取られ”てしまったのだ。いずれにせよ、民主党の幹部たちには毅然とした態度を取って欲しかったと思うのは、私一人だけでなく多くの人がそのような思いであるに違いない。

小沢一郎の最期の賭け

2007-11-03 07:54:11 | Weblog
 小沢一郎氏がいよいよ動き始めた。

 マスコミは、「福田-小沢」党首会談を受け、窮地に陥った福田首相が大胆な手を打って出たとの見方で報道している。

 今回の、史上稀に見る大胆な動きをどう見るか。間違いなく言えることは、マスコミ報道のような単純なものではなく、永田町で“マグマ”が動き始めたということだ。

 報道では、テロ特措法などで国会運営に行き詰った福田陣営が小沢代表に大連立を呼びかけて、それを小沢氏が党に持ち帰って役員会ではかり、断ったという図式だ。

 今のところ、報道されているように、福田首相の打った一手なのか、小沢氏が放った矢なのか、本当のところは見えてこない。だが、私の目には、「小沢一郎が動き始めた」と映る。小沢氏からの呼びかけに経験不足の福田陣営が応え、党首会談に至ったのではないかと見るのだ。

 これが、永田町で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してきた魑魅魍魎(ちみもうりょう)の最期の大きな賭けであるのなら、日本政界はまさに根底からガラガラポンと再編されることになるかもしれない。

 私がこれまでこのブログで再三に渡り「小沢一郎の素顔」の怖さを強調してきたが、いよいよ彼の本音が聞かれる時機到来と見るがどうだろう。彼の長年の、念願の政界再編が実現するのかもしれない。

棄民化する若者たち

2007-11-01 10:39:12 | Weblog
 「先(未来)が見えないんです。助けてください」

 私のところに何人もの若者が助けを求めてきている。10代から20代にかけては、悩み多き年頃であり、先が見通せないのは当然である。だが、ひと筋の光を見ることも出来ずに苦しむ若者達のなんと多いことか。心を許せる友人はおらず、信頼できる先輩や上司もいない。そして何より深刻なのは、彼らが親から見離されていることだ。

 先日も17歳の少年が吐き出すように言った。

 「僕の家族はばらばらなんです」

 彼の父親は大手企業の幹部で、平日は毎日帰宅が遅いいわば企業戦士。週末は、パチンコ三昧で家族は放置されたまま。母親は、一人息子の彼の教育に情熱をかけたが、それに失敗すると精神的に落ち込み、今は精神科治療が必要な状態で息子のことどころではない。両親はいつもいがみ合い、家庭には温かい空気が流れたことがない。

 本人の少年はと言うと、受験戦争の“敗者”になってからはまるでやる気が起こらず、不登校になってしまった。フリー・スクールに通ったりしたが、辞めてしまい、今は大検に向けて勉強をしている。ただ、勉強をしていると言っても、なかなかヤル気にならず、このままでは自分がだめな人間になってしまうのではないかと焦る気持ちに悩む毎日だと言う。両親はと言えば、彼の状態を嘆くだけで、たとえ彼が助けを求める信号を出しても無視するかきつい表現で叱るだけだそうだ。


 「友達はいません」

 節目がちにそう言う少年は、これまで友達を求めてきた。だが、裏切られ続けたり、価値観や行動の共有を求められる関係に疲れてしまい、全て友達は失ったと言う。

 そんな自分を変えようと、また、親から逃れたいと、今、彼は親からの独立を考えている。だが、思いが先走るだけで具体的に何をしたら良いのか分かっているわけではない。常識から見れば、荒唐無稽だ。

 だが、私は彼の考えを甘いと笑うつもりはない。彼にしてみれば必死だからだ。ただ、彼のように生活力どころか、社会の荒波に対する抵抗力もない少年が一人で船出をすれば、死に至る可能性さえ出てくる。幸いなことに、彼は社会問題に興味がある。これからはそういう彼の関心事を共に考えながら生きていく道を探って行きたいと思う。

 冒頭で書いたように、彼は特別なケイスではない。私の周りにはこのように「自分探し」を出来ないまま、大人になろうとしている、大人と言われる年齢に達してしまった若者たちがたくさんいる。この“棄民たち(社会の仕組みから親から捨てられた人たち)”が深刻な社会問題として噴出してくるのは時間の問題であろう。