浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

男の美学

2007-04-28 10:01:10 | Weblog
 昨夜は高校時代の友人が上京してきたのでオモテナシ。

 彼とは、彼がブラスバンド部の指揮者、僕が一度だけだが、そのブラバンが特別企画としてやった「ナポリ民謡特集」のソロ歌手という間柄だった。

 恥ずかしさよりも目立ちたがりの性格が完全に支配していた「A少年」は、話をもらった途端、二つ返事でその話を受け、卒業する3年生約500人の前でナポリ民謡の名曲をイタリア語で歌った。

 それから10年以上経ってから彼と僕のいとこが結婚したことを聞いた。そのいとことは、私が小さい頃、半年以上母親の実家に預けられていた時、兄妹のように仲良くしていた間柄だ。

 あまり故郷に帰らぬ僕は、彼と会うのは25年ぶり。新橋の汽車の前(広場に蒸気機関車が置いてあります。TVのサラリーマンへのインタヴューの多くはここでやります)で待ち合わせたが、互いの変貌振りに驚く。

 しかし、外見はともかく高校時代のナイス・ガイはそのままであった。電話では時折話していたし、彼の他者への優しさは、周囲から聞こえてきてはいたが、本当に良い歳の重ね方をしていると感じた。

 音楽が大好きで、今もアマチュア・バンドを組んで活動をしているというので、以前TBSで仕事をしていた頃、よく行ったカラオケ屋に案内した。

 そのカラオケ屋のママさんは、プロの歌手で弾き語りもするので喜ぶだろうと思ったが、案の定、彼女の歌声に聞き惚れ、また自らも得意のラテンを数曲披露した。

 私もラテンを一曲歌うと、「ハーモニー付けていいかな?」と言って唱和してくれた。

 楽しい一夜であった。

 トイレから出てお金を払おうとすると、ママさんが「会計は済んでいます」と言う。

 しまった。ヤツは三河の人間だ。自分の不覚を恥じた。自分が連れてきた店だからまさか彼が払う事はないと油断をしていたのだ。これではもてなしたことにならないではないか。

 最近の三河の人たちは知らないが、僕が育った頃の故郷では、「男は相手に金を払わすな」が、“男の美学”の重要な「掟」であった。

 今回の“借り”は、いずれ何らかの形で返さねばならないが、久し振りに「男」を意識させられた夜であった。

テロとは?

2007-04-27 11:38:47 | Weblog
 mixiでパレスチナ映画の話を取り上げた知人がいた。そこに、「自爆テロ」という言葉があった。

 私はそれに対してさり気なく「自爆攻撃」と言い換えたコメントを入れた。すると、その知人は高い感性を持っているだけにそれに気付いて、

「それにしても日本語では『自爆テロ』ですが、英語では'SUICIDE ATTACK'=「自爆攻撃」なのですね。こんなところにも、日本人の中東に対する考え方が表れているのでしょうか」
と、コメントを返してきた。

 私はすぐさま、下記のように書き込んだ。

「僕は、テロとゲリラ攻撃とを分けて使っていますね。

 パレスチナ人の自爆攻撃については、彼らの置かれた状況を考えれば、『テロ』と切り捨てるには忍びありません。と言うのは、私は、『占領こそテロそのもの』と考えるからです。

 閉塞状況に置かれた国家規模のテロの犠牲者が行なう、苦し紛れの“卑怯なやり方”をテロと断罪できないのですね。

 もちろん、パレスチナ人に対しては、イスラエル市民を対象にした攻撃はやらないで欲しいとは言っていますよ」と書き加えた。

 パレスチナ人の自爆攻撃は、そのニュースに接するたびに悲しい気持ちになる。以前、「自爆実行メンバーに志願しました。今は自分の番が来るのを待つだけです」と言って眼を輝かす若者に会った事があるが、今もそれが鮮明に思い出される。彼が本名を明かさなかったため、その後実行したかどうかは分からないが、今も彼のことを忘れることは出来ないのだ。

 

大バカ野郎

2007-04-27 09:28:44 | Weblog
弟子の1人がとんでもないことをした。大バカ野郎だ。親しくしてもらっている人からの温情を無駄にするどころか、相手の立場を危うくするようなバカなことをしてしまったのだ。

幸いなことに、相手が心が広い人物で、自分の受けた迷惑に言及することなく、許してくれた。

私には多くの弟子がいるが、こういったことは少なくない。私も若い頃は先輩たちに対してしばしば失礼なことをしてしまった。まあ、若者には間違いや経験不足や想像力の欠如から来る失敗は付き物と言っていい。ただ、彼らがその後伸びるか伸びないかは、そういう事態に直面した時、自分の間違いや欠礼を全て受け入れて相手の怒りを解くことに全身全霊で誠意を尽くせるかだ。残念なことに、それができなかった連中は、今もくすぶり続けている場合が多い。

歓迎されざる訪問者

2007-04-27 00:19:15 | Weblog
 24日の夕刻、ドアフォンに応ずると、訪問者は「ケーサツですが」と言う。

 何事かとドアを開けると、若い警察官が1人立っていた。非常時に備えての家族調査と連絡先の確認をしているとのたまふ。だが、どうも態度がよろしくない。体調の優れなかった私に悪戯心が湧いてきた。

 調査結果を具体的に何に使うのかと聞くと、事件があった時、家族に連絡を取るためだと答える。だが、何を言うか、ケーサツは各戸のそういった情報をデイタ化している。巡査が全戸を周って調べる必要があるはずがない。ただでさえ忙しいというのにケーサツ官がなぜそのようなことに労力を費やすのか、私には不可解であった。

 この種の調査は初耳だと言うと、実はこの地域では5年間やっていなかったと巡査は答えた。本当に必要な情報ならなぜ5年間も調べなおしていなかったのか、実際に使われていないのでは?と言うと、むきになって「使ってます」と言い張った。

 その若い警察官は身分証明書の提示もしないし、警察署長なり県警本部長の調査協力を呼びかける公文書もないの一点張り。ケーサツ官の不祥事が続く中、このような不十分な説明で、はいそうですかと応じる家がどれだけあるかはなはだ疑問だ。

 25日朝、前の家の奥さんに呼び止められた。私とケーサツ官とのやり取りを見ていたらしい。

 「こんな個人情報がうるさい時代に、協力する家がどれだけあるか。近くのおばあちゃんは、怖くなって紙だけを受け取って後で交番に持っていったそうよ」と、彼女は言った。

 住民は、なんとなく嫌な臭いを感じ取っている。これが、嫌なことの前兆であったなどと後になって気付くなどといったことにならないようにならなければいいのだが…。

“邪魔者”の排除

2007-04-26 23:39:15 | Weblog
 「全国統一テスト」の話をASEのスタッフをしたところ、彼が以前、テストを受けたことがある人物から耳にしたひどい話を聞かされた。

 それは、私が中学の担任から“お褒めの言葉”を頂いたのとは対照的に、担任が成績の悪い生徒2人に対して、テスト実施日に学校に来なくていいと申し渡したと言うものだ。

 「時代が違う」と言うかも知れない。だが、この2つの例で分かるように、学校側は他校との競争と捉える可能性は今も大いにある。そして、そういった競争は、いつの時代でも“邪魔者”を排除する発想を生み出すものだ。だから私はこのようなテストには反対の立場をとる。

天皇報道と朝日新聞

2007-04-26 12:51:41 | Weblog
 今朝の朝日新聞が、晩年の昭和天皇に仕えた故卜部亮吾侍従が書いた日記を、紙面を大きく割いて紹介している。

 卜部侍従は、32年間毎日欠かさず綴ってきた日記を、朝日に生前託したのだという。そのこと自体は朝日の手柄だが、日記の内容に特筆すべきことはない。

 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示し、参拝をしなくなったことについては、もうすでに富田宮内庁長官(当時)のメモにある。

 それにしても、トップ面を含めて3頁を大々的に使って報道する価値は果たしてあるものなのか、私は大きな疑問を感じる。恐らく、この日記の出版をにらんでの企画だろうが、このような「過剰報道」は国民の皇室や天皇への畏敬の念をますます増大させるように思えてならない。

私の視点 全国統一テスト復活の裏に潜むもの

2007-04-25 09:12:29 | Weblog
 文部科学省がまた変なことをやった。全国的に子ども達の学力を把握する「全国学力・学習状況調査」の実施だ。

 調査というのは体のいい言葉で、要は全国統一テストだ。こんなことに大金をかける意味があるのか、またその真意はどこにあるのか、真に不可解だ。

 この“調査”という名のテスト。43年ぶりのものだということだが、私たち団塊の世代には馴染みのあるものだ。

 私が中学2年か3年生のことだったと記憶している。ある日、担任に呼び出された。教師にお灸を据えられるのは日常的であったので、今度は何だ、と職員室に出かけた。

 叱られるのを覚悟して足を運んだのだが、担任はいたくご機嫌であった。珍しく、いや初めてのことだが、私のことをべた褒め状態になった。何を言っているのか私には全く理解が出来ず、怪訝な顔をしていると、「この調子で頑張ってくれ。君はわが美川中の誇りだ」と変な締めくくりをされて教室に戻ることを許された。

 その数日後、担任がご機嫌であった理由が分かった。全国統一テストで私が抜群の成績を収めていたのだ。当時の公立高校の受験科目が9教科で、美術や職業家庭科(確か当時はそう言っていた)を苦手とした私は、業者テストを受けても一番になれず、いつも悔しい思いをしていた。主要科目の5教科だけをテストする文部省のテストは、当然のことながら私のお気に入りとなった。私の記憶では、全国の順位までもが記されていた。

 当時の私は勉強は好きではなかったものの、テストだけはスポーツ感覚で受けており、楽しみでさえあった。当時は、あまりの子供の多さと進学率の向上で受験地獄という名が誕生した時期である。

 教師の側も気合が入り、テストの結果を教室や廊下に貼り出した。それも、成績順と実名を発表してしまうのだ。当時は、戦後の混乱期から長期の経済成長に世の中全体が狂っていた。成長という美名の下であればなんでもあり。個人の権利などくそくらえの時代だ。教師たちは嬉々として実名入りの成績表を貼っていく。一時期は、巻紙に筆で書いたものを教室や廊下を使ってデカデカと貼り出していた。

 そんな教師たちの姿を見ている我々子供たちは、結構その流れに乗せられていた。私がスポーツ感覚になっていたのはそういう背景があったからだ。お調子モンであった私に、そんな風潮を嫌がる同級生たちの気持ちを配慮する優しさはなかった。今から思えばひどい話だが、当時はなんら疑問に感じることはなかった。

 しかし、そのテストは2,3回行なわれただけで姿を消した。人権意識が高まる中、利よりも害が大きいと判断されたのだ。

 そのテストが40年以上たった今、また復活したのは何故なのか。大人になり、世の流れに疑問を持つ術を身に付けた私の眼には突然の復活が不可解に映る。それは、政府が長年、教育“改革”に熱心に取り組み、教育を完全に政府管理下に置こうとしている実態を知るからだ。戦後、日教組によって“支配”されてきた教育を“解放”して、教員養成に直接関与して、教育委員会による「研修」を義務化する方向へと転換を謀っている。今回の全国テストの復活もその流れの中から出てきたものと考えるのが自然だ。

 たかが子供のテストと言うなかれ。後になって「あの時ああしていれば、こうしておけば良かった」と後悔しないで済むためにも皆さんでこの問題を考えていただきたい。

 

 

残念でしたね

2007-04-25 01:11:53 | Weblog
 選挙が終わって2週間以上経つというのに街を歩いていると、時折声をかけていただく。

 今日も出掛けに支援者の人と駅前で話している時、通りかかった中年の男性が、「残念でしたね」と声をかけて通り過ぎていった。

 妻に聞いてもその方に見覚えはなく、恐らく選挙期間中に演説を聞いていた住民であろうということになった。

 妻のイヴェントの片付けを手伝い、南浦和に戻ると、近くの中華料理屋の奥さんと、彼女の姪に「もう一度ぜひ挑戦してください」と言っていただいた。

 昨夜もラーメン屋で夕食を摂っていると、客の1人が声を掛けてくれ、「1000人の支持は堅いですから、それに乗せていけばいいんですよ」と言い、4年後に期待していると言っていただいた。

 選挙が終わってからというもの、毎日そういう風に声を掛けられる。ありがたいことだ。だが、だからといって、はいそうですか、というものではない。今朝も書いたが、今しばらく行く末について悩んでみたい。

沢庵漬け?

2007-04-24 10:34:52 | Weblog
若き友人の父から初めてメイルを頂いた。これまでお会いしたことは一度だけ。それも、蕎麦屋で挨拶を交わしただけの間柄だ。なのに、私の今回の選挙への出馬を労って声をかけてくださった。メイルには、

>浅井さんの主張に賛同する一人です。
>がんばってください。
>ひとこと申し上げたくて、僭越ながらmailさせて頂きました。

と書かれて沢庵禅師の教えが書き添えてある。

また、私の市議選への出馬を、「着眼大局着手小局」という将棋や囲碁の世界でよく使われる言葉で言い表していただいた。

それに対して、私は次のように返事を書いた。

本来なら、活動の総括から現実の学習、そしてP(plan)・D(do)・C(check)となるのでしょうが、今私の中に駆け巡るのは、まるで少年期のような様々な思い。

再起を期すべきか、新たな道を模索すべきか、それともこれまでに歩んできた道の一つに戻って再スタートを切るべきか。思いは千千(千路)に乱れるばかり。ここ一週間は、ほぼ沈思黙考に明け暮れておりました。

ある程度の道筋が見えてきたように思われます。これから数週間をかけて、人に会い、自分の思いの丈をぶつけて、その可能性や重要性を探っていきたいと考えております。

ただ、何せ、「離婚貧乏」の上に、収入の道を絶っての選挙出馬でしたので、経済的にあまり余裕がなく、結論を出すまでにはそんなに時間がかからないと思います。

今回の市議選への挑戦は、「着眼大局・着手小局」、まさに“Think globally Act locally”ですね。と言うか、足元(許)を見ることによって、世界がよりよく見えるようになるものだと実感させてもらいました。

「こころこそ こころまどわすこころなれ 
            こころにこころ こころゆるすな」  (沢庵禅師)

ありがたく頂きました。

私はこれまで、同じ沢庵和尚でも

「人の善し悪しきを知らんと思はば、其(その)愛し用いらるる臣下、
  又は親しみ交る友達を以(もっ)て知るといえり」

を常に頭の隅に置いて生きて来ました。ですから、特に、しがらみが少なく物事を真っ直ぐに見られる若い人たちの心をつかめなくなったら「閉門」、そして「蟄居」しようと心に決めております。

メイルを送ってから思った。沢庵和尚の言葉を通してのこのやりとり、まさに「沢庵漬け」ではないかと。

バグダッドに分離壁

2007-04-23 11:31:50 | Weblog
 バグダッド北部のスンニ派居住区を中心に高さ3メートルほどのコンクリートの壁が建設されている。

 これは、スンニ派武装勢力の攻撃に頭を悩ませた米軍が約10日ほど前から始めたことで、スンニ派住民のみならず、シーア派教徒からも抗議の手が挙がっている。

 恐らく、パレスチナにイスラエルが建てている隔離壁にヒントを得たのであろうが、この愚策は、米政府が打つ手は全て使い果たしたことを認めたようなものだ。

 マリキ首相も22日、訪問中のカイロで「壁政策」を批判、米軍の住民軽視のやり方に対して不満をぶちまけた。これを見ても明らかなように、米政府とマリキ政権の間には、大きな溝が出来ている。恐らく、米政府は近い将来、マリキ氏を何らかの形でクビにしようとするだろうが、そこでまた軋轢が生じる可能性もある。

アカ坊主

2007-04-22 08:43:31 | Weblog
 昨日は、直子が都内代官山で開いているヴィデオ上映会に顔を覗かせた。

 会場には、TV業界のヴェテラン構成作家の姿があった。

 ヴィデオを観た後、「一年前のものと比べると格段に良くなっています。編集も上手くなりましたね」と、彼からお褒めの言葉を頂いた。

 しばらくすると、遠路はるばる新潟県の小千谷市から1人の男性が駆け付けてくれた。この方は、住職で、いわば、直子の活動の「生みの親」の1人だ。

 上映後、彼を階下のカフェに誘い、1年ぶりの再会を楽しんだ。

 この住職、護憲・平和活動に熱心で、地域の一部の人たちから“アカ坊主”と呼ばれている人だ。私の目から見れば、心優しい、平和をこよなく愛する“普通”の感覚をしている市民だが、彼の地ではそれがどうやら普通ではないらしい。なにせ、この小千谷市、かつて田中角栄、そして今はその娘の真紀子が根を張る保守の固い地盤の一つだ(田中真紀子が民主党と共に行動をとるから保守ではない、と言われる人がいるかもしれませんが、彼女は骨の髄から保守です)。

 そんな中にあって、護憲・平和活動をするのは容易ではない筈だ。でも、淡々と粘り強く、ぶれることなく活動を続けている。

 お茶を飲みながら選挙の話になった。私の話はさておき、彼が経験した小千谷の県議選のことが聞きたかった。というのは、4月8日に行なわれた県議選に私の知人が立候補しており、彼が応援団として加わっていたからだ。

 私の知人は、小千谷市の市議であったが、あえて戦う場を県議会に変えて、4期目を目指す自民党の古参議員(写真や日記を見ると、その全てからジミントーという臭いを感じさせる)に挑んだ。

 選挙結果を見て驚いた。「11,238 票対12,781票」という僅差であった。あの保守的な町で、しかも74.7%という高い投票率の中から出てきたこの結果は、負けはしたものの凄い。

 選挙戦を共に戦った彼にその様子を聞いて驚いた。

 彼の推した候補は、市内各所の公民館や集会所で演説をしたのだが、その会場には近くの町内会の幹部が様子を伺いに来たという。それも、集会所の掃除をするふりなどをして、誰が演説会場に来るのか見張るのだそうだ。

 まるで、戦前の隣組もかくやと想起させるやり方だ。

 そんな重苦しい空気の中で得られた11,238票は重い。この声をどうにかして今の社会に浸透させていかなければならないと強く感じた。

 

アメリカン・ドゥリームの原点を見た

2007-04-21 12:23:24 | Weblog
米メイジャー・リーグのボストン・レッドソックスの投手、岡島秀樹が20日のヤンキーズ戦に活躍、レッドソックス・ファンを狂喜乱舞させた。

mixiの私の日記を読む方には、僕の妻を含めて野球に無関心な人が多いと思われるので詳しくは書かないが、岡島投手、凄いことをやってのけた。

彼は巨人に数年間在籍。目立った成績を収めることなく、日ハムに移籍した。日ハムでは昨年1年間、セットアッパーとして活躍、優勝に貢献したが、新庄選手の陰に隠れて目立つ存在とは言い難かった。

そして今シーズン。レッドソックスが岡島を受け入れたと聞いた時、恐らく松坂対策の一つ(松坂の話し相手)くらいにしか思わなかったし、彼の球威で活躍できるとは想像だにしなかった。

だから、大逆転で盛り上がる「伝統の一戦」の締めくくりに岡島投手が起用されると知り、私は仰天した(岡島選手もインタヴューでびっくりしたと発言)。同球団には、れっきとした抑え投手がいる。それを差し置いて、この大事な一戦に、まだ米球界で勝ち星もセイブ・ポイントも挙げていない岡島をマウンドに上げたのだ。しかも、相対する打者は、ジーターやAロッドといったMLBを代表する選手だ。もし、これで失敗すれば、熱狂的なファンで知られるレッドソックスだ。監督に対する批判は並大抵のものではない。

この采配を見ていて、私はアメリカ社会の凄さを見せ付けられた気がした。名前や実績にこだわらず、実力がありさえすれば、そして勢いがあればチャンスを与える。つまらぬことにこだわって、有能な人材を潰してしまう日本社会とは雲泥の差だ。

アメリカン・ドゥリームの原点を見た気がした。岡島投手がこれから大活躍をするかに関しては、私は依然として懐疑的だが、もしかしたら夢を叶えることができるかもしれない。

岡島の活躍もあったが、それにしてもこの一戦、いやあ、ホント、素晴らしい試合だった。これぞ、ベイスボール、これぞ、アメリカン・ドゥリーム。いいものを見せてもらった。

この話で今、弟子のmasaと盛り上がった。スポーツ・ライター志望の彼は、ボストンのある新聞社と連絡を取り合い、現在進行形で明日の新聞記事作りに関わっている。日本の反響を伝える役割だ。

ここでも米社会の良さを見た気がした。彼はまだ大学生。実績もない。なのに、チャンスを与えようとする。もちろん、相手にビジネスの感覚がないわけではないだろうし、これが即、アメリカン・ドゥリームにつながることはないだろうが、何かをつかむきっかけとなるはずだ。がんばれ、masa。

埼玉新聞に紹介記事

2007-04-20 15:10:11 | Weblog
 埼玉新聞のコラム欄に、「志は変わらず」と題して私のことを紹介する記事。

 今回の私の選挙出馬で、全国紙はことごとく無視してきたが、地元紙である埼玉新聞だけは、これまでにも好意的な記事を書いてくれている。今日は、新井健治記者がコラムで扱ってくれた。以下、その記事全文。

 八日に新議員が決まったさいたま市議選で、最も驚いたのが国際ジャーナリスト浅井久仁臣さんの出馬だった。

 元AP通信記者で主に中東の紛争地域を取材、テレビのコメンテーターも務め、記者の間では有名人。「なぜ、市議なのか」の質問に「若者の政治離れは私たち団塊の世代の責任でもある。立候補することで、何かを感じてくれれば」と、二十代、三十代の支援者で手作り選挙に臨んだ。

 結果は及ばなかったが、「めげてはいません。選挙の公約にも掲げた市内小学校の耐震補強に取り組みたい」と元気いっぱい。帰宅難民ウオークを先駆けて実現、川口市で災害支援ネットワーク作りにまい進してきた浅井さんだけにやってくれるに違いない。

totoで大当たり!

2007-04-19 10:17:28 | Weblog
 今、mixiを使ってお遊びをしている。

 このブログの愛読者なら記憶の片隅にあるのではないかと思うのだが、選挙期間中に、私の親友から「粋な贈り物」が送られてきた。

 それを換金するために昨日、当たりくじと身分証明書と印鑑を持って、指定された場所まで出かけたのだが、その話を少々遊び心を入れて、mixiで「大風呂敷 『totoで大当たり』編」と題した一文を入れてみた。どのくらいの反応があるか、試してみたのだ。

 サッカーの試合結果を当てるtotoはなかなか当たらないことで知られているが、それだけに日本では盛り上がりに欠け、発売されるようになってから右肩下がりの売上高で、払戻金も当然少なく、僕がもらった3等でも12万7千円にしかならない。これが、ヨーロッパだったらケタが最低一つは違うだろう。

 それでも当たると、その“儀式”が仰々しい。表彰式会場となる帝国ホテルの「昇天の間」に招かれ、バニーガールに赤い造花を付けてもらい、タスキをかけられ、その上ほっぺにチュッ!

 1等の該当者なし、とのことで2等が2人、そして3等約20名が壇上に並べられた。

 まずは、表彰状の授与から始まった。プリゼンターには、なんと「サッカーの王様」ペレ。そして、金額を書いたボードの授与には、三浦和義が登場した。

 てなことはありえないことで昨日、雨の中を川口信用金庫本店(なぜか、都市銀行では扱っていない)に足を運んだ。10万円以上の払戻金は、ごくごく限られた所でしか手続きできないのだ。

 窓口でまず、「税金なんとかやら」という書類に記入を求められ、その後また「なんとかかんとか」と書かれた(わかんない?)書類に記入、押印をした。そして、身分証明書の提出。まあ、なんとも面倒なことだ。

 それだけ面倒なことをさせておいて、払い戻しは20日後だと言う。これではtotoの人気がなくなるわけだ。

血の海と化したバグダッド

2007-04-18 23:24:36 | Weblog
 バグダッドが血の海と化している。ほぼ毎日、多くの無辜の市民が命を落とす。18日にもバグダッド各所で爆破攻撃があり、これまでに分かっただけでも127人の命が失われた。犠牲者のほとんどは、子供や女性を含む市民だ。

 事実上の内戦になっているイラクは、国としての形態を失ったまま、政治家や武装活動家たちが自派の利益を守るために血眼になり、殺し合いをしている。そのような状況の中、国民は逃げ惑い、傷つき命を落とす。

 あまり知られていないことだが、イラクでは4年前の開戦以来、100万人の難民が安住の地を求めてさまよっている。経済的な余裕がある家族は、国外に難を逃れているが、それが許されぬ人たちは、親戚などを頼って逃げ惑っている。「国内難民」だけで50万人を超えると言われる。

 まさにイラクは泥沼状態だ。こんな状態に追い込んだ先進諸国は、政府もマスコミも自分たちの開戦責任を忘れたかのように振舞っているが、今こそ全力を用いて事態解決に動くべきではないのか。もちろん、わが日本も他人事で済ますわけにはいかない。