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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

女児殺害事件容疑者逮捕報道を検証する

2005-11-30 10:40:27 | Weblog
 私は、長年の取材経験を元に、「メディア・ウオッチャー」の立場でこのサイトを立ち上げているので、今回は新聞の読み比べを皆さんにしていただこうと、広島市で起きた女児殺害事件の容疑者逮捕直後の主要新聞各社の午前10時の時点での記事を紹介する。それぞれの記事は、各社のサイトのトップ記事である。
 讀賣は慎重なのか、立ち遅れたのか、ほんの数行の記述にとどめている。「社会部の讀賣」にしては、“遠慮がち”だ。
 朝日は唯一、有力な物証となるガスコンロが容疑者のアパートから見つかったとしている。女児の死体を入れていたダンボールがガスコンロ用のものであっただけに、メーカー名が一致していれば物証となりうる。
 ガスコンロに関しては、朝日の「スクープ」なのか、他の新聞には見当たらない。お粗末なのは毎日で、容疑者と逮捕前にインタヴューしていながら、ガスコンロのことを聞いて「日本語がよく分からない」と言われると、引き下がってしまった。「日本語のできる知人を通じ」話を聞いたとしているのにおかしな話だ。
 記事を読む限りでは、「容疑者は女児のすぐ近くに住んでいた」「事件の日、チョコレートを食べながら子供達を見ていた」「ダンボールの箱にチョコレートの包み紙があった」「事件後、姿を消して三重に行った」と疑わしいところは多い。
 だが、それにしても物的証拠がほとんどない逮捕劇だ。確かに、報道の内容が本当だとすれば容疑は深まるが、容疑者が日本人であったら果たしてこの程度の手がかりで逮捕に至るのだろうかと疑問に思える。
 

讀賣

広島市安芸区の市立矢野西小1年の女児(7)が下校途中に殺害、遺体を遺棄された事件で、広島県警捜査本部(海田署)は30日未明、現場近くに住むペルー人のヤギ・カルロス容疑者(30)を指名手配し、三重県鈴鹿市内で殺人と死体遺棄容疑で逮捕した。


朝日

 広島市安芸区で市立矢野西小1年の木下あいりさん(7)が殺害され、段ボール箱に入れられて見つかった事件で、県警捜査本部は30日午前2時、殺人と死体遺棄の容疑で近くに住むペルー国籍のピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑者(30)を三重県鈴鹿市内の立ち回り先で逮捕した。身柄を捜査本部のある広島に移送して調べる。

 県警は、現場の状況などから、現場の地理に詳しい者の犯行とみて周辺を重点的に捜査。遺留品などとの関連を調べる中で浮上し、29日に逮捕状を取って指名手配して行方を追っていた。

 調べによると、ヤギ容疑者は段ボール箱が見つかった空き地から約100メートル離れたアパートに約1カ月前に入居。部屋の中から、女児が入れられていた段ボール箱で梱包されていたとみられるガスコンロが見つかった。県警は単独犯とみて、30日未明、アパートのヤギ容疑者宅の家宅捜索した。

 ヤギ容疑者は22日午後、下校途中だった女児を殺害し、遺体を家庭用ガスコンロの梱包用の段ボール箱に押し込み、矢野西小から西に約500メートル離れた同区矢野西4丁目の民家前の空き地に遺棄した疑い。

 女児は22日午後0時35分ごろに矢野西小を下校し、同40分すぎ、1人で下校しているのを同級生の男子2人に目撃されたのを最後に足取りが途絶えた。同1時ごろ、近くの空き地にガスコンロの段ボール箱が放置されているのを、近所の人が発見。連絡を受けたガス店員が午後3時前に箱を開け、女児の遺体を見つけた。


 段ボール箱はふたが開かないよう黒のビニールテープで巻かれ、中には使い残しとみられるテープやチョコレートの白い包み紙などが残っていた。現場から北東約400メートルの植え込みに遺棄されていた女児のランドセルは、茶色の紙のごみ袋に包まれていた。

 捜査本部がこれら遺留品の販路を調べたところ、箱に入っていたコンロは現場から北東約20キロの東広島市の量販店で事件前の約1カ月間に販売された10台のうちの1台と判明。その他の遺留品は、いずれも現場一帯のコンビニなどで購入可能なことから、捜査本部は、犯人はこの地域一帯に生活圏があるとの見方を強めていた。

 女児の死亡推定時間は司法解剖の結果、22日午後1時から2時の間で、首を腕などで絞められて殺害されたとみられている。捜査本部は、女児は遺体の発見された空き地近くで何らかの方法で人目につかない場所に連れ出され、短時間のうちに殺害されたとみている。

 捜査本部は約80人態勢で、現場に残された遺留品や現場周辺を重点的に聞き込み捜査してきた。


毎日

広島市安芸区の小学1年の女児、木下あいりちゃん(7)が下校中に殺害された事件で、広島県警捜査本部は30日未明、現場近くに住むペルー人ヤギ・カルロス容疑者(30)を殺人、死体遺棄容疑で、三重県鈴鹿市の知人宅で逮捕した。捜査本部は、捜査員を現場に大量に投入して徹底的なローラー捜査を展開、数人の不審人物が浮上し、詰めの捜査を進めていた。女児が段ボール箱に詰められて住宅地に放置される異常な事件は、発生から1週間で解決した。

 女児が最後に目撃された今月22日午後0時45分ごろ、遺体発見現場近くの通学路で、道路脇の石垣に座って下校児童らを見つめる30歳前後の男が目撃され、カルロス容疑者だったことがわかった。男はチョコレートを食べていたといい、目撃が犯行時間帯に近接していたことから重要証言とみて調べていた。遺体が入れられた段ボール箱には、チョコの包み紙が残っていた。

 また、カルロス容疑者の自宅は遺体の発見場所から約100メートルのアパートで、女児の通学路沿いにある。

 これまでの調べでは、女児は22日午後0時35分ごろ下校。同3時ごろ、空き地で段ボール箱に制服姿のまま横向きに押し込まれた状態で見つかった。首を絞められており、窒息死していた。死亡推定時間は同1~2時で最後に目撃された直後に殺害されたとみられる。

 女児のランドセルも同日夜、段ボール箱の発見現場から東に約500メートルのコンビニエンス店駐車場の茂みで発見された。紙製のごみ袋に入れ、目立たないように置かれていた。

 捜査本部は▽遺体やランドセルの発見場所、最後に目撃された地点がいずれも直線距離で約500メートルの範囲に集中している▽女児の足取りが途絶えてから遺体発見まで短時間だった▽遺体発見現場は路地が入り組み車1台が通れる幅である、ことなどから、現場付近に生活圏を持つ人物の犯行の可能性が高いとみて不審人物の洗い出しを進めていた。

容疑者は遺体が入れられた段ボール箱が置かれた空き地の近くに住んでいた--。広島市安芸区で下校途中の小学1年女児(7)が殺害された事件。発生から1週間余り。容疑者の住んでいたアパートは通学路沿いにあった。捜査員を大量に現場周辺に投入した執念の捜査が容疑者をあぶり出した。 

 容疑者は女児の足取りが途絶えた現場近くに住む在日ペルー人のヤギ・カルロス容疑者(30)。遺体遺棄現場から東約100メートルのアパート2階に1人で住んでいる。近所の人などによると、今月初めごろ、このアパートに引っ越ししてきた。日本語は片言しかできない。隣町の自動車部品工場に勤務していたが、最近仕事を辞めたらしい。昼間、所在なさ気に近所をぶらぶらする姿が見かけられていた。

 また、事件当日の22日午後0時45分ごろ、自宅前の石垣に座り、チョコレートを食べながら、通学路を帰宅していく児童を見つめているのを近所の人が目撃している。

 カルロス容疑者はこれまで毎日新聞の取材に「事件の日は仕事を探していて、不在だった。事件についてはよく分からない」と日本語のできる知人を通じ繰り返して話した。

 ◇ヤギ・カルロス容疑者との一問一答は次の通り。

 --事件当日、何をしていたのか。

 仕事を探していた。

 --事件のことを知っているか。

 よく分からない。

 --(遺体が入れられていた段ボール箱で、販売時にこん包していた)ガスコンロを購入したか。

 日本語がよく分からない。



産経

広島市安芸区の小学1年、木下(きのした)あいりちゃん(7つ)が下校途中に殺害された事件で、海田署捜査本部は30日未明、殺人と死体遺棄の疑いで日系3世ペルー人の無職、ヤギ・カルロス容疑者(30)=同区矢野西=を逮捕した。

 女児の通学路沿いのアパートに住み、現場周辺に土地勘がある上、事件前後の行動に不審な点があることから身辺を捜査。容疑が固まり逮捕状を取ったが、所在不明だったため29日に指名手配し、30日未明、三重県鈴鹿市の知人宅で発見した。

 捜査本部は殺害の動機や、遺体を段ボール箱に入れて人目に付きやすい空き地に放置した経緯を追及、犯行の全容解明を進める。

 知人らによると、カルロス容疑者は約1カ月前に現場近くのアパートに引っ越してきて、1人で暮らしていたという。

 調べでは、カルロス容疑者は22日午後0時35分ごろから同2時35分ごろの間に、安芸区矢野西の自宅か周辺で、女児の首を絞めて殺害。段ボール箱に入れ、近くの空き地に放置した疑い。

 女児は同日午後0時35分ごろ下校。約15分後、約500メートル離れた交番近くで同級生の男児に目撃されたのを最後に足取りが途絶え、午後3時ごろ、約200メートル先の空き地で遺体が見つかった。

 女児は制服姿で、右足の靴下がなくなっていた。死亡推定時刻は午後1―2時。箱はガスこんろの梱包(こんぽう)用で、黒い絶縁テープが三重に巻き付けられていた。

 現場付近は細い道が入り組んだ住宅地で、捜査本部は現場周辺に生活圏がある人物の犯行とみて、半径約500メートル内で聞き込み捜査を続ける一方、こんろや絶縁テープなどの販売ルートを捜査していた。

「自衛隊はボースカウト」  ラムズフェルド長官発言

2005-11-28 23:44:44 | Weblog
 「現在自衛隊はサマワに駐屯しているが、彼らは治安維持部隊でも選挙管理のための部隊でもない。単に南部の安全地帯にある一寒村で、ボーイスカウトのような作業をしているだけではないか!」
 ラムズフェルド米国防長官は、日米安保協議の席上、そう吐き捨てたという。この発言は、週刊現代12月3日号の記事によると、10月29日に行なわれた外務・防衛閣僚による日米安保協議委員会でラムズフェルド長官の口から出てきた。
 これが事実であるとすると、またまたマスコミ批判になるが、何故に新聞はきちんとその発言の真意を探る作業と日本政府や自衛隊への取材をしないのか。私はそれが行なわれるのを、また紙面で扱われるのを待っていたが、いっこうに関連記事が出てこないのだ。見逃しているのかと、今朝もネットで検索してみたが見当たらない。第一、このラムズフェルド発言さえ扱われているのを見たことがない。よくあることだが、雑誌に抜かれた記事の後追いはしないという大新聞の“プライド”が根底にあるのかもしれないが、そうだとしたらつまらぬ見栄だ。そんなプライドは捨てたほうがいい。
 ラムズフェルド発言は、日本政府の優柔不断な態度にキレた老人の単なる脅しとも取れる。だが、腐っても…、いや腐ってはいないだろうが、仮にも同盟関係にある国の軍事最高責任者の米軍再編を話し合う場での発言だ。聞き捨てならないものと考えるのが普通ではないだろうか。
 小泉さんは、まともな論議を避け、国民を欺き、自衛隊をサマーワに派遣したわけだが、これがいかにばかげたことで無意味であったかが、この発言から分かるはずだ。ブッシュさんに喜ばれようと、憲法を拡大に拡大を重ねて、言葉と言葉の間が伸び切ってしまうほど拡大解釈して送り出した自衛隊を「ボーイスカウト」と言われて、小泉さんがどう答えるか国民は聞きたいはずだ。まあ、答えは、「軍隊のあり方もいろいろ」位にはぐらかされるだろうが、それにしてもマスコミはこの言葉を小泉さんにぶつけるべきであろう。
 湾岸戦争の時も、米国に喜ばれると思って差し出した1兆円以上の“上納金”が全く評価されず、今回の戦争でも「Show the flag」などという米国政府幹部のウソの発言まででっち上げて送り出した自衛隊を「あんなモン不要だ」と冷笑されている。ここまで日米の間にズレが生じた原因はどこにあるのか。これは、外務省の外交・渉外能力に問題ありとするのが一般的だろう。だが、ジャーナリズムにはもう一歩踏み込んだ取材を大々的にして欲しい。いやそうすべきだろう。そのためにも私は、「マスコミの目付け役(誰に頼まれたわけでもないが)」として今後この問題のマスコミ報道を継続して見守っていくつもりだ。

治安業務と家族殺害

2005-11-28 10:03:02 | Weblog
 イスラエルのハイファ大学の研究者が最近、興味深いアンケートの結果を発表している。
 銃所有と犯罪増加との関連性についての調査だ。その調査対象も過去4年半の間に伴侶又は家族に殺された女性に限定されているのが特徴である。
 過去4年半と特定したのは、皆さんご存知の「自爆攻撃」に代表されるインティファーダ(イスラエルの軍事占領に反対する民族蜂起)が行なわれていた期間だからだ。
 2000年10月から2005年4月までに夫を含む家族に殺された女性は38人で、その前の4年間の14人から大幅に増加した。中でも特徴的なのは、47%に相当する18人が軍隊や警察などの治安業務に当たる者に殺されていたことだ。
 これは、イスラエルの治安に当たる兵士達が矛盾と不安に満ちた環境の中でいかに精神的に追い詰められているかを示す数字ではないかと調査に当たった研究者達は分析している。


ヴィデオ・ジャーナリズム

2005-11-28 01:24:44 | Weblog
 今日はメディア塾の日。前回もご紹介したが、TBSの小嶋記者に「ヴィデオ・ジャーナリズム入門」講座を担当してもらっている。
 塾生たちは今回、ビデオの撮影手法とパソコンに映像を取り込んで編集するやり方を学んだ。撮影手法の講習は、会場周辺を歩くことから始まり、近くの公園を舞台に日没近くまで撮影会を行なうという内容になった。公園で見つける落ち葉や虫一つひとつが撮影の対象になる。
 最初は小嶋講師の「ワザ」に感嘆の声を上げていた塾生たちも、自分達の手でヴィデオカメラを回すようになると、真剣そのもの。小嶋講師から、「若いから飲み込みが早い」とお褒めの言葉をもらうと、ますますやる気を出す生徒たちだ。
 「公園の誰かにインタヴュー」と指示を出されると、塾生たちは公園に遊びに来た父子に質問を集中させた。
 「これTVに出るの?」などと聞いたりするこの兄弟の答えの内容や動作が可愛い。塾生たちはいつまでも兄弟を囲んだままであった。
 撮影素材の編集は、完了とまではいかなかったものの「基礎編」はできるようになったようだ。次回は、先日、2人の塾生が現場取材した「紀宮の結婚式パレード」の映像を編集し、その上映会と講評を行なう予定だ。

「5人目のビートルズ」の死

2005-11-26 08:34:05 | Weblog
 ジョージ・ベストが死んだ。59歳だった。
 60年代から70年代初めにかけ英サッカー界を湧かせた天才的FWで、長髪をなびかせての華麗なプレーは、私が渡英した70年当時、ビートルズに勝るとも劣らぬ人気で、「5人目のビートルズ」と言われたものだ。サッカーに興味がなかった私がTV観戦するようになったのも、彼の影響が大きい。
 有名女優や人気モデルと浮名を流し、酒に酔っての暴力事件で度々、大衆紙を賑わしていた。その破天荒な生き方も若者に受けたのだろう。とにかく、凄い騒がれ方であった。
 ただ、その理由は憶えていないが、彼は一度もワールド・カップの代表に選ばれておらず(もしかしたら、北アイルランド出身であったことを考えると、北アイルランドが彼の現役中、ワールド・カップにコマを進めることが出来なかったからかもしれない)、その人気が世界的なものになるまでには至らなかった。ただ、日本でもサッカー・ファンであれば、当然知っているスター選手であった。
 所属していたマンチェスター・ユナイテッドの試合がロンドンのハイブリー・スタディアムで行なわれると、当時からいたフーリガン達が、地下鉄ピカディリー線の電車や駅を我が物顔で占拠して、彼の名を叫びながら切符を出さずに改札を堂々と出て行ったものだ。“おのぼりさん”であった私は、最初はその光景をただあっけにとられて見ていた。1年くらい経ってから、通りかかった子供に危害を与えそうになったことに遭遇したので彼らに注意をすると、周りを囲まれ袋叩きにこそ遭わなかったものの怒声とツバと酒臭い息で気圧された経験がある。そう、体質的に酒を受け付けない私は、酒の臭いを嗅いだだけで卒倒してしまうのだ。まあ、それは大げさだが、臆病者の私はその後は怖くて彼らに手出しはしなかった。
 そんな苦い思い出もあるジョージ・ベストの死だ。死因を聞くと、腎臓の感染症だったという。引退後はアルコール漬けとなり、3年前に肝臓移植まで受けていたのだが、それでも酒を断つことはできず自らの命を縮めていったそうだ。ヒーローの死は悲しいが、「堕ちたヒーロー」の死は寂しい。


オカンとボクと、時々、オトン

2005-11-25 01:34:52 | Weblog
 今、人伝にその良さが広がり、ベストセラーに名を連ねようとしている本をご存知か。そのタイトルは、東京タワー。作者は、リリー・フランキーというイラストレーターによる自伝的私小説だ。ただし、タイトルの副題が、「オカンとボクと、時々、オトン」とあるように、作者は九州出身の100%日本人だ。
 私がその本のことを知ったのは、TV番組であったが、そのチャンネルが8(フジテレビ)で、版元が扶桑社ということから、宣伝臭さを感じていた。なのに書店の新刊本コーナーで平積みになっていたその本を手に取ってみたのは、その秀逸な副題に目を惹かれたからだ。
 2,3ページ読んでみて先入観は払拭され、私は迷わずに購入した。そして、読み進めていく内、完全に作者の描く世界に没入し、私は、週末の伊豆への旅の「お供」として小脇に抱えて携帯した。
 この本のどこが一番好きかと言えば、そのリズミカルな文体だ。読んでいてハッと気が付くと、いつの間にか、主人公と同じ空気を吸っている自分がいる。そして、彼の自分の弱さを平気でさらけ出してしまう“強さ”もこの本の魅力の一つだ。自堕落な生活で“まとも”になれない自分を露呈している様は、逆に潔ささえ感じさせる。また、自分をマザコンと呼ばれてもそれを否定しようとせず、自分のために身を粉にして働いてくれた母親への愛情を精一杯表現しているのも共感できる。私自身が、この歳になっても親孝行といえることを何一つしていないだけに、作者の姿勢がまぶしいとさえ感じられる。
 作者は、年老いても自分の家が持てず、親戚の家を転々として暮らしてきた母親が癌になったと聞き、東京に呼び寄せるのだが、それをただお涙頂戴の「母子物語」にするのではなく、時に母親を重荷と感じて葛藤する場面も正直に書きながら母親の闘病生活を描いていく。 
 これを読みながら、以前お邪魔した旅館の主人の話を思い出した。そのご主人は、大型の陶器の窯を持っていて色々なものを作られるのだが、時に常連さんに「自分の入る骨壷を」と頼まれるとのことだ。
 ご主人はその話をした時、私達に問題を出した。「マイ骨壷」をリクエストする男性が骨壷に何か混ぜられると聞くと、ぜひ混ぜてくれというもので一番多いものは何かという問題だ。マザコンが多い日本だ。何か母親にまつわるものだとは見当がついたが、正解には至らなかった。
 正解は、亡き母親の骨だった。中には、玄関に骨壷を置いて、朝晩「行ってきます」「ただいま」を欠かさぬ人、出来上がった骨壷を見て号泣した紳士、と驚くような母親思いが少なくないと主人は付け加えた。
 私は本書の作者がしたように、自分の母親が死んでもその唇に自分の唇を重ねるようなことはとても考えられない。また、通夜に冷たくなった母に添い寝することもあるまい。だが、そうした作者の行為を嘲笑するつもりはない。
 読み進む内、旅の終わりで最終章を読むことになった。帰りの電車の中である。涙腺の緩みがちの私は、このまま読み進むことが「良からぬ結果」を生むことを承知していた。家人も盛んに横から「電車の中で泣いちゃうよ」とからかう。
 でも結果的には、このからかいが、私の意地を呼び覚ました。時折り、こみ上げてくるものがあったが、何とかこらえることが出来たのだ。ところが、からかっていた家人は、私の横から本を覗き込んでいるうちに夢中になり、ボロボロ涙を流し始めた。手持ちのティシューを使い果たした彼女は、目に涙を一杯ためて私のズボンのポケットに手を延ばしてきた。私がいつもポケットにティシューの袋をしまっているからだ。だが、旅行中、それまでに何度か使っており、中身は残り少なかった。しかし、何とか最後の涙までふき取ることができた。この時ほど、駅頭で配られるサラ金のティシューのありがたさを実感したことはなかろう。
 仕事場に戻ってスタッフIにこの本の話をすると、Iはすでに読んでいた。恋人が読んでそれを薦められて読んでいたのだという。何か、こんなことはかつてないことだが、私より早くこの本に触れたIに軽い嫉妬を覚えた。
 

場を読む

2005-11-23 08:56:09 | Weblog
 チャンネルを回していたら、スポーツ専門番組で空手の日本選手権をやっていた。といっても、一団体のものだが、顔見知りが出ていたのでつい見てしまった。
 その団体は、士道館。かつて、「極真のトラ」との異名を取った添野義三氏が始めた組織で、今格闘技界では幅を利かせている。添野氏の長女と結婚した若者が、私のところに出入りした関係(こんな書き方をすると、何かヤクザの世界みたいですが)で添野氏の知己を得た。
 今日はその結婚式で私が失敗した話を紹介する。
 私は婿の側の主賓。相手の主賓は、劇画作家、故梶原一騎氏の妻。披露宴には、格闘技界の有名どころを含めて沢山の猛者たちが集まっていた。式場のスタッフ達も、普段とは違う列席者に緊張気味。粗相のないようにと上から厳命されているのか、顔がこわばり、揃って振る舞いがぎこちない。
 主賓の祝辞で空気を読みそこなった私は、珍しくスベった。つまり、普段であれば、笑いを取れるはずのしゃべりが受けないのだ。「笑いどころ」でも鋭い目つきのいかつい連中が、頷いて真剣に聞いている。最後までほとんど笑い声の聞こえぬまま「いい話」として聞かれてしまった。式の後、幾人かの人たちから「感動しました」などと、お褒めの言葉をいただいた。だがこれは、私の意図したこととは違う。感動させるよりも場を和ませたかったのだ。「スピーチのプロ」を自負する私にはつらかった。
 一方、梶原氏の妻は、故人の添野氏との付き合いや空手界との関わりを、しんみりと話された。まるでそれは、演歌を一曲歌い上げるかのような話し振りであった。聞き様によっては、今時受ける話し方ではない。ところが、会場を見ると、鬼の目に涙、失礼、いかつい男達がハンカチを顔に当てている。それも、ひとりふたりではない。半端でない数の人たちだ。
 「場を読む」重要性を、私は痛感した。それからは、講演やスピーチをする時は必ず、雑談をして、空気を読んでから話の筋を考えるようにしている。

馬鹿は死ななきゃ

2005-11-21 12:57:39 | Weblog
 昨日は、企業に呼ばれて講演会。話す前から喉がなんとなく不調。「風邪を引いたかな?」と一瞬思う。それからは別に痛みもなく会場に向かった。
 ところが、講演の前になったら急にいがらっぽくなり、会場で自分の出番を待つ間、ずっと咳払いをしていた。イヴェント会社の担当が心配顔で見ていたが、そこはそれ、私もプロフェッショナルだ。
 聴衆の前に立ち、マイクを握るとウソのように喉の異変が消え去った。
 講演を終え、立ち寄った寿司屋で飲んだ熱いあがりで喉に痛みが再び走った。それで思い出した。
 土曜日に食べたサツマイモで喉をやけどしたのだ。家人に食べさそうと、イモをゆでたまでは良かったのだが、あまりに美味しそうに見えたのでつまみ食い。ところが、ゆでたてだからかなりの熱さだ。喉で熱いイモが暴れまくった。
 ところが、しばらくすると、そんな記憶はどこかへ飛んでいく。そして、朝の「喉の異変」だ。
 これまでこんなことを何度繰り返しただろう。急いで食べて舌を血だらけにしたり、唇をかんだりしたこと(この場合は、他の理由もあるが)は、数え切れない。やはり、昔の人は良く言ったものだ。
 馬鹿は死ななきゃなおらねえってね。

私の視点 孤立感増す小泉外交をどう考える

2005-11-21 11:42:27 | Weblog
 APEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席中の小泉首相が18日に行なった韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領との首脳会談の内容を聞いて、皆さんどう思われただろうか。
 「信念を貫く小泉さんは格好いい」
 という見方をする日本人はやはり多いのだろう。確かに、骨抜きの「大人」が多くなったこの日本では、彼の姿が好印象に映るかもしれない。だが、この“私達が選んだ”小泉首相の「的外れの正論」は、日本社会では受け容れられても海外では理解されるどころか、敵視されていることを知るべきだ。

 日本は今、国際会議など外交の舞台で、どこに行っても仲間外れにされているのをどれだけの日本人が分かっているのだろうか。これはいつも言っていることだが、マスコミ報道にも責任の一端はある。なぜか「事実」を伝えないのだ。日本の報道に接しているだけでは、国民の一人一人は、わが国がどれほど孤立しているか知ることはできない。記者レヴェルでは日本が置かれた状況を承知しているだろうし、ある程度記事の中でそれをにおわせているのだが、論調としてそれが紙面(画面)に反映されていないから読者(視聴者)に伝わらないのだ。

 20日付の朝刊で朝日新聞は、「孤立感増す小泉外交」と見出しを打って一面トップではないものの、目立つ報道をした。朝刊を手にして、ようやく朝日もその気になったか、と思っていた。ところが、同じ記事が、一夜明けて先ほど見たインターネット版では、「『小泉流外交』、東アジアサミットに向け続く試練」という見出しにトーンダウンしていた。こんなところに“政治的判断”は働かせないだろう。恐らく、単純にネット編集部の担当の感性に基づいた判断だと思う。しかし、ようやくきちんとした論調を出してきたなと思っていただけに非常に残念だ。紙面にある見出しが現状では最適と考える私は、そこでその見出しをこの私に記事にあえて使わせていただいた。

 朝日が「孤立感増す」としたように、今ではアジア・アフリカ圏で仲良くしてくれるのは、経済的にわが国に「おんぶに抱っこ」状態の一部の国と、イスラエルぐらいなものだ。それらの国も、日本経済が傾けば「カネの切れ目が…」と反日陣営に加わることになる可能性は高い。そうでなくても、中国経済がこの後も急成長を続け、開発途上国への経済援助に力を注げば、どっと雪崩を打って中国側に流れるだろう。それは、インドネシアのように日本のODAから巨額の支援を受けていた国でさえ「あちら側」に行ってしまった事実を見れば容易に想像が付くことだ。

 まあ、西側諸国の一部と良好な関係が保たれればそれで良しとする「バナナ(表面が黄色で中身が白)」な人たちには「小泉流」でいいのだろうが、日本は西側の従属国家ではないはずだ。独自の視点を持って、西側陣営とは協調を保ちつつも、周辺諸国と安定した関係を築いていかなければならない。

 外交的に見ると、日本は戦後最大の危機的な状況に置かれていると言って過言ではない。この状態を放置すれば、後の世に大きな禍根を残すことになる。韓国や中国の言っていることは、表面的には確かにヒステリックに聞こえるかもしれない。国内問題の対日関係へのすり替えに見える場合もあるだろう。だが、両国政府首脳の発言の精査をすれば分かることだが、声明文の行間に本音を見て取ることが出来る。彼らの日本政府に対する発言の裏に「市民」に対しての呼びかけがなされている。つまり、「あなた達日本人は、本当に小泉さんの考え方に同調するのか」と言わんとしているのだ。

 彼らにしてみれば、小泉さんがたとえ強硬路線を貫こうと、市民レヴェルでそれに反対する力強い動きがあれば、「頑固な政治家の悪あがき。あと一年で正常化する」と考えることも出来る。だが、ポスト小泉も同じような政治姿勢の政治家で、それをまた国民が支持するとなれば、両国は警戒心を強めざるを得ないのだ。

 そこから学ぶことが出来るのは、時の政府が多少問題があったとしても、民衆がしっかりした視点を持っていれば、相手国からの信頼も維持できるということだ。

 「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」「箸と主とは太いが良い」など、我々日本人の体には、親方日の丸に依存する体質が骨の髄までしみついている。何か変だけど、これまでの指導者に比べたらマシだから小泉さんに付いて行こうなどという考えはこの際一度捨てて、ここらで一つ、いい機会だ、我々自身の体質改善をしてみたらどうだろうか。

 まずは、我々一人一人が、小泉さんの発言と行動を事細かに検証をしてみたい。彼の郵政改革に始まる改革路線、靖国問題を核にしたアジア諸国との関係、借金まみれにしての大幅増税、そのいずれもが、小泉さんの話術とパフォーマンスによって「バラ色の将来」につながる道であるかのように錯覚させられているのではないかと、一度は疑ってみてほしい。そして、彼が言う政策が、自分の子供の世代にどのような影響を与えるのか、考えてみるべきだ。そうすれば、自ずと答えが出てくる。

 そんなことをするのは、中韓の外圧に屈したことになる、といった声が当然出てくるだろうが、そんな堅苦しいことを言わずに、一度でいいから皆さんそれぞれがその作業をやってみていただきたい。そして、周りの人たちとこのことを話し合って欲しい。談論風発、多くの人と話せば話すほど、いろいろな意見を引き出せて、それが新しい論議を生んだりする。普段の生活の中で活発な意見交流が行なわれることは、民力となる。

 23年前、中曽根康弘氏が総理大臣の座に着いた時、私は「これから愚民化政策が行われる」と警告を発した。その後、日本社会がバブルだ、国際化だ、情報化だと浮かれている内に、愚民化は着々と進行した。その総仕上げは、小泉ブームだと私は考える。この小泉人気と自民党圧勝は、その象徴だ。皆さん、ご自分の周りを見渡していただきたい。そうすると、今、我々の普段の生活の中で、いかに政治についての意見交換が行なわれていないかが分かるはずだ。市民が政治を語らなくなったら為政者にとってそんなやりやすいことはない。私の目には、小泉さんが着々と「院政」のための布石を打ちながら、こちらに背を向けて「ちょろいもんよ」と、舌を出している姿が見える。


高倉健“親善大使”

2005-11-20 00:40:04 | Weblog
 先ほど、NHKスペシャルで俳優高倉健さんの中国における映画作りを紹介していた。
 さすが、「我らが健さん」。もう70を超えているはずなのに相変わらずの格好良さだ。一つ一つの動きや言葉が様になっているし、心に響く。それは、中国人にも伝わったようで、彼の周辺にいる人たちから出てくる彼に対する言葉が印象的だ。
 その中の1人が言っていたが、健さんを通して日本人に対する彼の見方が大きく変わったとのことだ。このところの不幸な日中関係は、中国の田舎の方にまで浸透しているらしく、その男性も健さんに会うまでは日本人に対して良い感情を抱いていなかった。だが、健さんに触れたことで、日本人への親しみを持てるようになったという。
 これを見ていて思ったことだが、「政治」に期待できない今日、我々に出来ることは、1人でも多くの中国人と市民レヴェルの交流をすることだ。もちろん、我々の力では健さんの様に大きな影響を与えられないのは当然だ。だが、少なくとも一人一人がそういう気持ちで日中関係を考えていくことが、やがては大きな力になるのではないか。
 映画の舞台になった山村が、10月の大雨で冠水したとのことで、村や周辺の耕作地の惨状を番組は紹介していたが、こういうところにももっと積極的な「草の根」支援の手が日本から伸びていれば、気持ちは伝わっていくだろう。番組では、健さんの中国語のお見舞いメッセージが村長らに届けられ、熱い感動で受け容れられていた。健さんから送られたというひまわりの種が、水が引いた後耕された畑にまかれた映像も印象的であった。金に飽かせた贈り物ではなく、いかにも「我らが健さん」らしいプレゼントで見ていて思わず微笑んだ。

成田に米危機管理官常駐

2005-11-18 10:58:56 | Weblog
 米国土安全保障省の危機管理担当官が成田空港に常駐オフィスを置き、日本の警察や入管、それに航空会社に情報提供を行ないつつ、“指導”することがこのほど明らかになった。ブッシュさんの“置き土産”の一つではないだろうが、現場の声としては、迷惑だとするものが結構あるようだ。しかし、日本政府はこれを断ることが出来なかったらしい。
 これまでにも連邦航空局(FAA)による、日本の空港や航空会社の事実上の査察が行なわれていただけに、その延長線上であろうが、随分日本もなめられたものだ。
 国土安全保障省は、2001年9月11日の同時多発テロを契機に誕生した①国境警備および運輸保安②緊急事態への準備・対応③科学・テクノロジー④情報分析および社会基盤の保護、の4分野において政府機関の機能の統合運用をする危機管理専門機関である。大統領直属で、その規模も国防省に迫る巨大な組織になったことから、随所で傲慢なやり方が見られる。今回の措置も完全に「押し付け」で、日本の警備陣の意向は全く無視された形だ。
 私には、こういった強引なやり方が不愉快に感じられるだけでなく、そういった存在を成田に置くことによるデメリットが心配だ。これでますます、日本がテロに遭う危険性が増したと見るほうが良かろう。

欺瞞に満ちたアナン事務総長

2005-11-17 10:40:10 | Weblog
 今週、北アフリカのチュニジアの首都チュニスで国連世界情報社会サミット(WSIS)が開かれているが、そこに出席しているアナン事務総長の取り成しで、パレスチナ自治政府のアッバース大統領とイスラエルのシャローム外相が2度にわたって会談を行なった。
 会談の内容は、このほど開かれたガザ地区南部の国境検問所のことなどだが、表立って出てくる情報を分析する限りでは、重要な課題は話し合われていない。恐らくこれは、アッバース氏が、チュニスに今も拠点を置いてその存在をパレスチナの人々にアピールする実力者、カドウミ(アブ・ロトフ)・ファタハ議長に対してあてつけで行なった会談であろう。
 ところで、事務総長は、サミットの目的が貧しい国々のインターネットへのアクセスを確保することにあると記者団に語っているが、アナンさん、あなたは本当にどこまでも演技をし続けるのですね。
 中東を知るジャーナリストならチュニジアがインターネットの規制では「先進国」というのは常識だ。実際、今回のサミットに、「国境なき記者団」の代表が入国を拒否されたり、サミットを取材するジャーナリストが各所で警察官から暴行や妨害を受けている。こんな国で、このような主旨の会議を開くこと自体、その感覚を疑われる。

ACTNOWの終焉

2005-11-17 10:00:15 | Weblog
 ACTNOWが終焉の時を迎えた。
 13日に行なわれた年次総会で、今後の方針が話し合われ、結論が出された。私は、代表から身を引いた自分の立場を考え、総会を欠席していた。私がいると、メンバー達が遠慮がちになるのでは、と考えたからだ。私はそんなにワンマンではないと思っていた(また、そうしないように心がけていた)が、昨年代表辞任を言い出した時、「浅井久仁臣あってのACTNOW」などと言って慰留する声も相当あり、自分の影響力の大きさに驚いた。その時、引退したからには一切口出しはせずに若い世代を支えていこう、と固く心に決めていた。
 結論としては、「緩やかなネットワーク」にその姿を変えて存続させようとの意見も出たようだが、「ACTNOWの看板」と実態にあまりに差が生じた今、活動を続けるには負担が重過ぎるとなったのかもしれない。現代表は多忙を極めているので話し合う機会が今のところないが、自分の力量を発揮する前にこのような結末を迎え、彼の悔しさは人知れず大きいことだろう。どうしても責任は、社会的に言えば、彼にかぶってしまうので、これからは彼との共同作業で各方面への挨拶を含め、残務整理をしていくつもりだ。
 活動を振り返る「ACTNOWの3950日」は、機会を見てこの場で書いていきたい。これをお読みの方で、これまでACTNOWを支えていただいた方達には、ひとまずはこの場を借りてお礼を申し上げたい。どうも長い間ありがとうございました。


ポチ、ご主人様の到着だよ

2005-11-16 10:34:41 | Weblog
 ブッシュ大統領が訪日中だ。
 15日、大阪空港に降り立ったブッシュ氏は、米軍ヘリで紅葉真っ盛りの京都に入った。それに合わせて、“我らがポチ”も京都入り。今日、日米首脳会談に臨む。
 今回のブッシュ氏の訪日意図がどの辺りにあるのか。メディアの中には、大した意味合いはないとするものもあるが、私は自衛隊のイラク駐留と米軍基地問題に力点が置かれた重要な会談になると見ている。もちろん、18日から韓国・釜山で行なわれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席するのが主目的であることに違いはない。ただ、「その前にちょいと紅葉を見ながら親交をますます深めるのが目的」とされている報道が事実であるとするのなら釜山で会えば事は足りるわけで、わざわざ日本に寄ることもなかったろう。
 ひょっとしたらこの会談後、あまり時間を置かないうちに、陸自の撤退時期についての発表が、小泉首相の口から直接なされるのかもしれない。それとも、そんな朗報ではなく、日米軍事協定がより強固なものになるための「作戦会議」かもしれない。マスコミはあまり報道をしていないが、こういう時が“危ない”のだ。いずれにしても内容が注目される首脳会談である。


熱血ブンヤ魂+メディア塾

2005-11-16 01:48:57 | Weblog
 13日はメディア塾の日。講師はTBSの「生涯一記者」小嶋修一氏。報道局の筆頭デスクという立場にあっても、現場に立ち続ける、熱い記者だ。
 今回から3回にわたって行なうのは、「ヴィデオ・ジャーナリズム入門」。塾生たちがカメラを持って制作するコースである。
 予定では、午後から座学と撮影を行なうことになっていたが、午前中に海浜公園(東京湾)でイヴェントを取材しているので、塾生たちがTBS取材班を密着取材をするのはどうかと提言があった。塾生たちにその話を持ちかけると、間髪を入れずに全員参加の意思表示。そりゃそうだ、こんな経験、滅多に出来るものではない。
 朝9時に集合した塾生たちは、会場入り口でそわそわドキドキ。
 小嶋記者に説明と注意を受け、塾生たちは恐る恐るカメラを回し始めた。小嶋先生の邪魔にならぬようにと遠く離れたところからカメラを構えているので、少々取材のコツを「お節介」する。
 この「医師と一緒に健康増進ウォーキング」イヴェントは、医者や看護士達が「現代病」とも言える肥満を参加者達と一緒に考えようと行なっているもので、「2キロ、5キロ、10キロ、12キロ」の各コースに分かれて歩く。
 我々は5キロコースに同行取材したのだが、塾生一同、小嶋記者の精力的な取材姿勢に驚愕。
 実は、小嶋記者、以前このサイトでもご紹介したように、これまでの過労がたたり、深刻な腎臓病を患い夏に2ヶ月入院、退院後も1ヶ月自宅療養を強いられ、今も強い投薬治療を受けている。とてもこのような過酷な取材を行なえる健康状態ではないはずだ。なのに前日は徹夜。この日の彼の顔色は、言っては悪いが土左衛門に近かった。
 そんな状態でも、現場に出れば動き回るのがプロの記者だ。それも、カメラマンと共に速足、駆け足を繰り返し、列の前から後ろに行ったかと思うと、また前に姿を見せるから、恐らく参加者の倍は歩いていたと思われる。背広をこよなく愛する小嶋記者は、この日も背広姿にネクタイだからしばらくすると体中から汗が噴出してきた。
 背中に背負うナップザックの紐に沿って汗がVの字を背広に描く(写真)。塾生たちの小嶋記者を見る目が変わってきた。私の「取材対象から目線を切るな」という指示もあり、途中からは真剣に密着取材を始めた。ただ写すだけではなく、「独自の視点」をと、何も言わなくともそれぞれに立ち位置や角度を考えるようになった。
 途中、昼ニュースに間に合わせるために、バイク便や衛星中継車(車載局)、本社編集部と連絡を取りながら、取材を続ける小嶋記者を見て塾生たちも感心しきり。バイク便に取材テープを渡した後、さらに後日放送する分を取材する小嶋記者を塾生たちは必死になって追いかける。
 塾生たちが小嶋記者に感心したことの一つが、取材対象者に対する姿勢。決して偉ぶることなく、常に「取材をさせていただく」との気持ちが徹底している。そんな腰の低さと笑顔とが、共に周りに和やかな空気を生んでいる。私もそれを見て自分の取材姿勢がどうであったかと思わず反省させられた。
 5キロコースの最終地点が、皮肉なことにフジTVの前だった(写真)。そこからまた出発地点に戻り、芝生の上でようやく昼ごはん。まずは弁当を、離れて待つ取材車の運転手に届け、それからわれわれも「いただきま~す」。食事を摂りながら塾生たちに、運転手の存在の大切さを説明する。こんな細かい心配りがあってこそ、今日の小嶋記者があるのだ。
 取材を終えた小嶋記者を帰宅させようとしたが、今日の反省と次回の講座のための話し合いをすると言い張る彼の強情さ(熱心さ)に折れて、彼の行為に甘えることにした。有楽町駅近くのカフェに席を見つけ5時近くまで約2時間、話し合いを行なった。そこで彼から出された宿題は、15日の「結婚式」。
 15日は、現場取材グループと、TV番組観察組に分かれて迎えることになった。
 最後に、小嶋講師のナップザックの中身が披露された。彼の背中には、ノート型パソコン、ヴィデオカメラ、三脚、テープレコーダー、などなどヴィデオ・ジャーナリストの取材道具一式が全部揃えられていた。塾生たちは、ナップザックを持ってその重さに驚きを隠さなかった。というか、その重いナップザックをずっと背中に背負って取材し続けた小嶋講師に畏敬の念を抱いたようだ。
 いやあ、先輩の私から見ても、この小嶋講師、その「ブンヤ魂」と熱さには脱帽させられる。