浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

NPO法人は印籠?

2005-06-16 17:59:14 | Weblog
 NPO法人という「お墨付き」を悪用するケースが増えている。
 16日も「やまびこ会」なる怪しげな組織が、NPO法人を隠れ蓑に金集めをしていた事が判明した。このグループは、ダイオキシンが出ない焼却機を開発したとして、広く投資を呼びかけ、これまでに分かっているだけでも20億円の金を集めたという。まあ、この種の“投資”は何度も問題になってきたから、「だまされる方も悪い」という声もあるが、だます方はその道のプロである。手を変え品を変え欺こうとする。今回の場合も、「お上からのお墨付き(認証)」をもらったNPO法人が、環境問題や福祉活動のために資金が必要と言われて、多くの高齢者は「人のためになってお金が儲かるのなら」と言葉巧みに出資させられてしまったと考えられる。
 実を言うとこの種の悪徳NPO法人がこのところ続々と誕生している。2001年には1,956件であった認証法人の数が、2005年5月末では10倍以上の21,996に急増した。認証数が増えること自体は、表面的に何ら問題はないが、実態を知ると、とても危険な要素を含んでいる事が分かる。認証を受けたNPO法人の少なくない数の団体が、NPOとは名ばかりで、犯罪や犯罪すれすれの活動を行なっていると見られているのだ。やまびこ会のケースはあくまでも「氷山の一角」で、例えば、国際交流を目的としたNPOを立ち上げて、“ヴォランティア”を募り、応じてきた若者達を言葉巧みに入会させる英会話学校などもある。ヤクザや右翼の世界でも最近はNPO法人を悪用しているとの噂がある。首都圏のある県でも、これまでに認証取り消しが2件(認証件数:663)あり、その内1件は、暴力団の支配下にある組織であることが判明したためだと言う。
 実を言うと、このNPO法、阪神大震災におけるヴォランティア活動の盛り上がりに押されるようにして実現したものだが、当時からヴォランティアやNPOの世界にいる専門家の一部からは、新法の内容を不安視する声が強かった。私自身も自治体のその種の委員会のメンバーであったりした事もあり、委員会や勉強会で持論を述べたが、「NPO法先にありき」の壁を破ることはできなかった。つまり、「法律は不備があるかもしれないけど、とにかく作って、それで都合が悪いところが見つかれば修正しよう」と叫ぶ一部の声の大きい国会議員に押し切られた形になったのだ。
 そして、不安は現実のものとなった。この世界においてNPO法人の認証が、まるで「水戸黄門の印籠」のような威力を見せ、市民の間には「NPO法人にあらずんば、ヴォランティアにあらず」のような意識さえ生まれてしまい、ヴォランティア・グループが次々に申請した。NPO法人にこだわらない私たちのようなグループは、どこか“村八分”にされた気分にさせられることも少なくない。
 「ゆるい認証に比して、大きいメリット」に目を付けたのが、「生き馬の目を抜く」世界の連中である。数年前に会ったある県の担当者が、「最近変な人たちが申請に来るんですよ」と言っていたが、今になって問題が顕在化してきたのだ。
 「お上のお墨付きを求める」ヴォランティアやNPO、そして「お墨付きで縛る」行政、さらにそこへ「お墨付きがあれば疑わずに信用してしまう」市民…それら三者全てにこのようなザル法を作った責任がある。ここで一度立ち止まり、法律の根本的な見直しをすべきではなかろうか。さもなくば、今後ますます重要性を増すNPOの立場が根底から覆される深刻な事態を招くことになるだろう。

冷暖房との“我が闘争”

2005-06-16 01:31:36 | Weblog
 先日の「お笑いだよ、クールビズ騒動」に対して海外在住の「匿名希望」さんから、冬の暖房の暑さの指摘が寄せられた。
 そこで、私のここ10数年の「冷暖房との『我が闘争』」をお届けすることにした。
 冷暖房でエネルギーを無駄遣いする場所は、例を挙げれば切りがない。一般企業、デパート、電車、銀行、病院、レストラン等など、実に多い。いまだに「冷暖房完備」が文化のレヴェルと勘違いしているのではないかというところが多いのだ。これは、うがった見方かもしれないが、20年位前まで喫茶店やレストラン等の入口に「冷房完備」「完全冷房」という札を下げて客引きに使っていた名残りなのかもしれない。
 だが今時、そんな考え方は捨てた方がいい。残り少ない石油資源をどう共有し、次の世代に残していこうかという時に時代錯誤もはなはだしいではないか。世界全体の石油の8割を2割の人口にしか過ぎないわれわれ先進国が使っているのが分かっていながら、「便利さや快適さ」を優先するのは、もはや罪の域に入っているのだ。
 私ごとで言えば、公共交通機関に乗っていて異常に冷暖房をきかせている時は、乗客の様子を見て車掌のところまで行って苦言を呈することにしている。その時間がなければ、当日の気温を調べて、鉄道会社に苦情を言っている。時には、22,3度で冷房を、10数度で暖房を入れる場合がある。
 講演会場でも冷暖房が強すぎたりすれば、主催者や参加者に弱くしたり、止めたりするように呼びかけている。大抵の場合、講演者の私の呼びかけに答えてくれるが、昨年呼ばれていった生協の会場では、数名の人たちに断られた。その日の気温は、後で調べたら26度。閉め切っていれば、人いきれで息苦しくなる気温だが、建物の外は風も適度の強さで流れていた。だから、窓を開ければ我慢できない気温ではないのだ。恐らくその直前にエレヴェイターを安易に使っていること(上下階を行き来するだけで使っていた)を指摘されたのが気に障った人たちだったと思うが、環境や平和の大切さを他人に訴えるのなら自分から範を示さずにどうするのかと言いたい。
 ここまで厳しく冷暖房を“敵”にまわす私を変人のような目で見る人がいるが、果たして私が間違っているのだろうか。皆さん一人ひとりと話すと、地球環境が危機的状況にあること、エネルギー事情が深刻なことは承知しておられる。だが、「そうは言っても」「われわれがちょっとやった位では」と、日本人独特の「曖昧文化」に逃げ道を求める人が多い。だが、本当に自分の子ども達が可愛いのなら、彼らの将来のためにも多少の我慢はするべきであろう。
 ただ誤解なきようにお願いしたいが、私は口ほどにもないいい加減な人間で全く冷暖房に頼らないわけではない。35度を超える気温であれば、冷房を入れるし、そうでなくても暑さを感じる時は、「ちょっとだけ」と冷風に当たることもある。だが、多くの場合は、汗をかいた後の自然に流れてくる涼風に得も言われぬ快感を覚えている。皆さんも今年の夏は、じっと待っていると、そおっと身体をなでてくれる風を感じて見てはいかが?「生きている」ことを実感させられますよ。