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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

レジ袋に視る新聞社の矛盾

2005-06-11 10:27:08 | Weblog
 昨日、マスコミは「スーパーのレジ袋、有料化へ」と騒ぎ立てていた。
 こんな話、当然である。というか、遅きに失している。もうゴミ問題は、この日本列島、にっちもさっちもいかない状態なのだ。そんなことは消費者の一人ひとり、皆分かっているはずだ。自分の周りにゴミが見えなければそれで善しとする国民性の我々は、お得意の「見て見ぬ振り」をしているだけだ。
 見て見ぬ振りをしているのは消費者だけではない。環境問題の旗振り役をしている新聞社自らが大量のゴミをばら撒いているのにその辺りのことは「見て見ぬ振りをして」記事にすることはなく、論点を摩り替えてごまかしている。紙面では大上段から“悪質な業者”や“やる気のない行政”、“不道徳な消費者”をバッサバッサと小気味よく切りまくっているが、ギター侍風に言えば、「ゴミを出さないようにしなければならないのは、ア・ン・タたちですからあ!残念!」となる。
 それはまず、毎日配られる新聞に折り込まれるチラシの多さに代表される。その量たるや、週末前ともなれば、本紙の何倍もの厚みとなる。それが各家庭に配られてくるのだ。あまりの凄さに私は大分前からチラシは折り込まぬようお願いしている。
 本紙とて同様で、紙面の約半分は広告だ。「資本主義社会だ、広告宣伝は当然の商行為だ」と言われる方も多いだろう。だがしかし、もう大都市圏のゴミ捨て場は悲鳴を上げている。限界だ。「いや、リサイクルしているから」との反論もあるが、なんでもリサイクルすればいいというものではない。リサイクルにどれだけの燃料や薬品が必要かも考える必要があるのだ。私が子供の頃(1950年代後半)、アメリカの新聞が5,60ページもあると聞いて、何せ当時の日本の新聞が、私が田舎に住んでいたこともあり、10ページもなかった状態で、単純な田舎のボーズは「資本主義大国」に畏敬の念に近いものを感じたものだ。しかし、今日辺りの朝日の首都圏版をみると、付録を加えれば56ページある。今の私にはそれは、“世界大国”を実感するよりも嫌悪感に近いものすら感じられる。
 さらに、今日の新聞も大事に包まれて配達されてきたが、雨の日はビニール袋に入ってくる。別に新聞が少し濡れていても私は気にならぬのだが、皆さんはどうだろうか。これから長く続く梅雨の間、毎日ビニール袋が使われることになるはずだ。その量たるや膨大なものになる。
 これに新聞社が自問自答をして「包むべきか包まざるべきか、それが問題だ」と悩む姿勢があればまだ救いはあるが、新聞社の人間に聞くと、そんな疑問は社内に存在しないという。いや、議論すらされていないという。
 新聞は社会の公器と言われるが、新聞社は、「公器」であれば他の企業よりも反社会的なことをやっても許されると勘違いしているのではないだろうか。と言うのは、新聞社は、国有地払い下げから特定宗教との癒着、価格談合など、この他にもあまりに多くの矛盾を抱えているからだ。環境問題で言えば、記事で合成洗剤の危険性を指摘しながら、それら合成洗剤の広告を許しているだけでなく、販売拡張に洗剤をばら撒いている。この点については、新聞各社は、「販売店がやっていることですから」と責任逃れするかもしれぬが、本気で「川の水をきれいにしたい」と考えるのなら、販売店を指導することもできるはずだ。
 私は何も「新聞社だから100%清廉潔白に生きろ」と言っているわけではない。誰でもどんな組織でも真っ当に生きようと思ってもこの世知辛い世の中だ、背に腹は変えられず、矛盾を抱えてしまうこともあるだろう。かく言う私とて脛を見てもらえれば分かるが、傷だらけだ。だが、肝心なのはその時、その自己矛盾を認識しているかどうかだ。そしてそれを自分でどう抑制・管理するかだ。そしてさらに、間違いがあればそれを真摯に受け止めることができるかどうかだ。
 日本の新聞を見ていると、その辺りがいい加減なまま組織が巨大化したため、今や肝心の自分の足下すら見る事がままならなくなった巨象を見る想いがする。ここらで一つ立ち止まり、「正義を振り回す」前に自らの姿勢を正さないと、いつの日か自己矛盾に「自分で自分の首を絞める状態」に苦しむことになるような気がする。余計な心配と言われるかもしれないが、私にとって、また社会にとってなくてはならない新聞だけにここで苦言を呈しておく。

イジメとガキ大将

2005-06-11 01:30:10 | Weblog
 ある小学生と話していると、学校におけるいじめの話になった。彼女のクラスのいじめられっ子は、肥満児だそうだ。そのいじめ方も、単純に体型をからかうのではなく、たとえばその子の触ったものに触ると「デブが移る」と大騒ぎするのだという。そして、その子が歩いた後を歩いても「移る」と騒ぎ立てるらしい。子ども達にはよくある話と大人は片付けがちだが、このいじめられる子の気持ちを考えたらいたたまれなくなる。恐らくその子は親にも悩みを明かせず、「目の前が真っ暗な」毎日を送っているのではないかと思われるのだ。
 私に話してくれた子は私の目を気にして作り話をしたのか、それとも本当に勇気を振り絞って実行したのか分からないが、「その子をかばってあげようとしたら私もいじめられそうになってやめた」と続けた。確かにいじめっ子達の昔からの常套手段だが、イジメの対象をかばう子供が出てくると、そちらに矛先を向ける。
 昔を懐かしむわけでもないが、昔はそのような状況でガキ大将の存在が光ったものだ。ガキ大将がひと言、「止めろよ」と言えば済んだのだ。私の場合、一時期ガキ大将だったが、小学校2年生の時に大病をして学校を休みがちになり、ボスの座から必然的に降ろされてしまった。そんな“不遇時代”のある時、朝鮮人の級友をかばったために、私はかつての子分達に「浅井はチャンコロ」とからかわれ続けて悔しい思いをした。悔しい思いは、今から思うと、子分達から辱めを受けたことから来るものであったような気がするが、もしかしたらそれと同じ位、朝鮮人と言われた事が悔しかったのかもしれない。その時、ガキ大将がひと言声をかけてくれなかったら私は力任せにいじめっ子達を叩きのめしていただろう。ケンカは相当強かったからもしかしたら「新聞沙汰」になっていたかもしれない。
 だが現代社会においては、ガキ大将の存在は稀有で、今回のケースもそんな解決の仕方を望めそうにない。話を聞く範囲では学校側に問題解決能力があるとも思えない。来週もう少し詳しい話を聞いて、生死に関わる状態と判断したら何らかの行動を起こすつもりだ。
 

松葉杖物語 ギブスからの解放

2005-06-10 12:38:35 | Weblog
 先程病院に出かけた。またまたX線写真を撮られる。これで4回目だ。ガン家系の私にとって医者の言いなりになってばかりはいられない。どうしても必要とあらば我慢もするが、写真を撮る回数が多すぎる。医者に聞いてみた。
 すると、医者は2週間後に予定される診察の際は写真を撮らず、4週間後の診察時に撮ると治療方針を変えてくれた。それも、こちらに何ら悪感情を感じさせない態度であったのでホッとする。こういう立場を越えてはっきり意見が言える関係こそ日本には必要だ。医者の多くがいまだに患者から治療方針に口出しされると頭ごなしに叱りつける例を多く聞く(私自身も経験した)が、成熟した社会ではそれは非常に不健全な関係とみなされる。
 診察の結果、ギブスが外された。今までレッサーパンダの風太君に対抗して家の中では「二足歩行」をしていたが、医者の許可があったわけではない。これで、晴れて二足歩行が出来る。といっても、まだまだ松葉杖の助けは必要だ。
 晴れてと言えばその逆だが今日からどうやら梅雨入り。何とか水に弱いギブスはタイミングよく外せたが、松葉杖に傘は持ち辛い。どうやってその二つを使いこなそうかと、思案投げ首。もし体験者で妙案があったらお教え下さい。

マツーイとイチローの不振の訳

2005-06-09 16:15:19 | Weblog
 読者から「今年の松井に太鼓判を押していたのにどうしたのだ?」とお叱りに近い問い合わせを頂いた。その読者が心配されるように、確かにここのところのヒデキ・マツーイ選手は完全に自分を見失ったバッティングをしている。
 ただ、オープン戦から開幕直後のバッティングと大違いかというと、そうでもない。問題は、「心の余裕」と「体の開き」だけだ。
 心の余裕は、差し込まれるのではないかとの気持ちの焦りをいうが、彼のように球を呼び込んで打つタイプのバッターは、「差し込まれるのではないか」と思い始めると、打てなくなる。この「差し込まれることへの恐怖感」から自らを解放すれば、ポンポンと打ち出すようになるはずだ。
 また、もう一つの身体の開きだが、これには2つのポイントがある。まず、松井選手の右足のつま先に注目していただきたい。現在、ボールを打つ前につま先が外側に引っくり返っているが、これでは球に体重が乗らない。彼の最高に調子がいい時は、バットがボールに当たった後もつま先が地面についている。またある程度調子がいい時なら、打つ瞬間までは地面についている。
 それと身体の開きに関してはもう一つ、上半身の回転が早過ぎる。大リーグの投手の球は、日本のプロ野球の投手に比べ、手元で微妙に変化する球を投げる投手が多い。渡米して1年目の前半に悩まされたカット・ボールというやつだ。それにタイミングを合わせようとするために松井選手は、バットの出が遅くなり、その分体が開いてしまうのだ。
 調子を落としていると言えば、イチロー選手の状態も気になるところだ。
 だが、彼のスイングには問題点はみつからない。あるとすれば、「心」の部分だけだろう。
 彼はよく「球の軌道の残像」といった言い方をするが、要するにいかに打席において球筋を見極められるかが、勝負の分かれ目だといいたいのだと思う。それからすると、現在の彼は自分を見失っているとしか言いようがない。昨日の試合でも、外角低めの球を見逃して三振をした際、主審のストライク・コールに珍しく文句を言い、不快な態度をあらわにした。これは、イチロー選手の脳裏に焼きつかれた「残像」を基準にしたらボールに見えたのだろう。しかし、何度その場面を見ても明らかにストライクだ。投球術の基本だが、2ストライクまで真ん中より(内角をつかないのがポイント)の球で攻めておきバッターの選球眼を狂わせて、仕留める決め球はコーナーギリギリに投げ込むのだ。すると、バッターからすると不思議なことに外角低めのボールに見えてしまう。
 こんな基本中の基本にはまってしまったイチロー選手を私はかつて見たことはない。これは彼の哲学からすれば、野球に負けていることになる。彼は、普段から哲学者かと思えるような「野球道」を探求している選手だが、心の余裕を失うと、こんな醜態を見せることもあるんだなと驚きをもってその姿を見ていた。
 まあ、しかし、2人とも図抜けた技術と運動能力を持った選手である。スランプから抜け出せば瞬く間に皆さんが喜ぶようなヒーローになるはずだ。もう少々、お待ち下さい。

食欲

2005-06-08 23:56:28 | Weblog
 最近「食欲」に悩まされている。年齢的にいって食欲不振と思われるかもしれないが、その逆で腹が減って仕方がないのだ。
 今朝も午前中ひと仕事を終えると空腹を覚え、家人が作っておいてくれた昼食を食卓に並べTVをつけるとナント11時半。朝食もきちんと摂っているのに腹が無性に空くのだ。「高校時代以来の早弁といくか」と独り言を言いながら昼食を摂ったが、少々異常だ。
 食欲がなぜこんなに旺盛なのかは分からないが、それにしても困ったものだ。体重もすでに「警戒ライン」は超えている。誰か、食欲を抑制するいい方法があったら教えていただきたい。

齋藤さん事件関与指導者に懸賞金

2005-06-08 08:22:22 | Weblog
 イラク移行政府は6日、イラクで殺害されたとみられる齋藤昭彦さんの事件に関して、実行声明を出した「アンサール・アル・スンナ軍」の指導者の1人を指名手配、逮捕につながる重要情報提供者に5万ドル(約500万円)の懸賞金を出すと発表した。
 これは、政府や軍側にその指導者に関する情報がほとんどないと言っているようなもの。確か数日前、このブログでもお伝えしたが、事件に関与したリーダーを拘束したと言っていたはずだ。なのにこんな発表をしているところをみると、先日の拘束情報はガセネタの可能性が非常に高いということだろう。


お笑いだよ、クールビズ騒動

2005-06-08 01:31:41 | Weblog
 衣替えにあわせて行なったキャンペーン「クール・ビズ」は、マスコミの協力もあってひとまずは成功を収めた感がある。
 それにしても、閣僚達や企業トップのクール・ビズ姿をTVや新聞紙面で見るのは、もうたくさんだ。中でもおおはしゃぎの小池環境大臣の奇をてらったファッションや言動には食傷気味である。なのに、TVキャスターまでもが右へ倣えで健康センターで貸し出されるようなアロハシャツのような格好で画面に登場している。
 何で日本人はこれほどまでに「右向け右」が好きなのか。私のように昔からホリエモンの先を行く(といっても服装だけだが)人間から見ると、そんな傾向は喜劇にしか見えない。
 第一、30年前、石油ショックでパニック状態になった時、あれほど「省エネ」を呪文のように唱え、「電気を消そう」「自動車の使用を控えよう」「冷暖房を考えよう」を合言葉にしていたのは誰かと言いたい。各TV局が“自主的に”深夜放送を止めたのは、あれはなんだったのか。もうそんなことは忘れてしまったのだろう。先日「NEWS23」の筑紫さんは、30年前の“合言葉”を復活させようとしていたが、そういうTV局こそが景気が上向けば一転してエネルギー浪費に走った過去への反省をきちんとすべきなのにその気配すらもない。
 それじゃあ、お前はどこまでやっているのかと言われるかもしれない。
 その点ガンコな私は合格点をもらえる生活をしていると自負する。
 先ず冷暖房だが、昨夏はパートナーが軽い熱中症になるまで冷房を使わずにいた。電車に乗ってがんがんにクーラーが聞いていようものなら車掌室に飛んでいく。階段の上り下りは、なるべくエレヴェーターに乗らず、基本的に6階までは階段を使う。自動車の所有は止めて自転車が今では愛車だ。
 私の自慢話に終わろうとしているが、私の言いたいのは、そんな国民全部が一斉にお祭り騒ぎをするのではなく、生活の中で家族や周囲の人間達と省エネについて話し合い、息の長い活動をする事が重要だと言うことだ。皆さんも是非、これを機会に家族で話し合ってみては如何ですか。

私の視点 靖国問題ー昭和天皇と東条の確執

2005-06-07 11:31:53 | Weblog
 5日(日曜日)のことになるが、フジTVの朝の報道番組で、今話題の「A級戦犯・東条英機」の孫と言われる女性が招かれ、故人の思い出と現在の心情を披瀝、「名誉回復」を求めていた。また同じ番組で、靖国神社の前宮司も出演、靖国神社側の考え方を説明していた。
 コメンテイターとして呼ばれていた5,6名は、民主党の菅直人氏を除いては、体制側の理解者でかなり一方的な番組構成のようであった(但し、途中までしか観ていないので断定はできない)。
 この番組に限らず、「靖国」論議を聞いていると、政府見解のぶれ、大物政治家たちの放言と“靖国パフォーマンス”、A級戦犯合祀の隠された事実、昭和天皇と東条英機の関係といったこの問題の本質というべきことがほとんど語られていないことに気付く。
 政府見解については、三木政権下で「公式参拝は違憲の恐れあり」と決定的な謝罪を表明したかと思うと、頃合いを見計ったかのように8月15日に公式参拝を始めたり、「神の国」発言で被害国の神経を逆撫でする首相が現れた。このように「謝罪」と「不穏当発言」を繰り返す事が問題なはずなのだが、いつの間にか「中国や韓国は何回謝れば気が済むのか」との国内世論ができつつあるのが現状だ。
 A級戦犯合祀についても、1978(昭和53)年に神社内に緘口令を敷く形までとって靖国神社が強行したこと自体大きな問題であるはずなのに、マスコミや専門家からは大きな疑問として上がってこない。昭和天皇と東条英機との関係にいたっては、歳月の経つのは恐ろしいものだ。あれほど敗戦直後には天皇が東条を忌み嫌っていたのに、後に東条を評価するような発言をした(天皇の立場からすれば、“下衆”をなじれば、同じ土俵に立ったことになる)ことから両者が互いの立場をかばい合っていたとする発言も多い。
 私は文献や資料を読み漁るうち、「靖国神社正式参拝関係年表」から重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」というそうな)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。
 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。
 まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、
1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。
2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。
3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。
 という順序で行なわれる。
 ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。
 つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。
 恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だもって不思議だ。
 そして、東条本人についても評価が分かれたというだけでなく、その立場についての一般的な理解も怪しくなっている。冒頭で紹介したTV番組の中でも、東条英機が開戦時の首相であったというだけでヒトラーとは違うような印象を受ける発言があったが、東条は「陸軍生まれの陸軍育ち」の生粋の軍人で政治家ではない。東京裁判での判決理由に挙げられた軍部を開戦に突き進ませた中心人物との見方を、「開戦直前まで非主流派で不遇をかこっていた」などとまるで東条が昭和10年代は軍部の中心人物ではなく、首相にも仕方なくなったかのように言って擁護する論調が目立つが、東条こそが1936(昭和11)年の「2.26事件」に代表される皇道派(天皇親政派)を抑えて陸軍内部の主導権を握った統制派の中心人物であったことは疑いようもない事実だ。開戦直前の1941年10月に近衛内閣を崩壊させ事実上のクーデターを起こしたのも誰あろう東条英機だ。これを「ただの開戦時の首相」などと言う人には、今一度歴史を紐解けと言いたい。
 他の問題でもそうだが、このようにして論議がいつの間にか核心からそらされていき、人の記憶から消し去られていく。靖国問題はまさにその典型である。このようなまやかしを許さないためにも、歴史の証言者が生存している内に、また人の記憶が消えない前にアジア諸国と日本による共同歴史認識作業が必要とされるのだ。


天使の微笑み

2005-06-05 23:10:54 | Weblog
 今朝は家の中をギブスは付けたままだが、松葉杖に頼らず歩いてみた。二本足で歩けることのありがたみと楽しさをかみしめる。なかなかのカンドーだ。レッサーパンダの風太君の気持ちが分かった気がした(ん?)。
 所属するヴォランティア・グループ「ACTNOW」の活動に参加するため朝9時前、家を出た。さすがに外歩きは松葉杖なしには無理だ。1ヶ月前は50メートル歩くと痛かった手の平もタコができたせいか、最近は2、300メートル位連続して歩けるようになった。
 しかし相変わらず街行く人は「社会的弱者」に無頓着だ。今朝も私の前に飛び出す人がいて、私がよろけながら「ウップス」と言うと、変な顔をして私を睨むだけで謝りもせずに先を急いで行ってしまった。ウップスというのは別に酔っ払って吐きそうになっているわけじゃなく、自分も相手も緊張させない私の驚きの表現方法だからそんな顔をして見ないで欲しいものだ。いや、それよりも謝って欲しい。
 「ボランティア見本市」会場がある川口駅前に着くと、オー、結構な人出だ。松葉杖生活者は人ごみが苦手である。ぶつかられないよう歩行速度を落として前に進むことにする。
 イヴェントは、川口市がヴォランティア活動への市民の理解を深めようと毎年行なっているもので、ACTNOWも「店」を出し、活動紹介をしている。
 副代表で防災専門家の石塚が、どこからせしめてきたのか、ぬいぐるみを大量に用意してきた。昨年「来店者」が少なかったからと、客寄せに考えたのが、「ぬいぐるみプレゼント」。黄色い大きな箱を作りそこに100個位のぬいぐるみが入っている。子供に、箱に作った穴に首を突っ込んで好きなぬいぐるみを取らせようという趣向だ。
 「好きなのが奥のほうにあって取れないよう」と訴える子ども達には、私の松葉杖を渡し、「へへ、UFOキャッチャーならぬ松葉杖キャッチャー」とダジャレを言うが、子ども達の関心は箱の奥にある。私の「オヤジギャグ」は完全に滑ってしまった。
 ぬいぐるみ取りに夢中になっている子ども達の親には、「さあ、これを機会に家族で地震のことを話し合ってみましょうね」とパンフレットを渡す。
 時間が経つにつれ、子ども達の言動の傾向が気になった。また、同様に同伴の親達に対しても疑問を抱いた。さっきからぬいぐるみをもらっていく子達の半分以上が、お礼を言わないのだ。親もまたそれをとがめる場合が非常に少ない。子供しかいない時は「あれ、ありがとうは?」と声をかけられるが、さすがに親がいる前では言いにくい。
 しかし、2歳か3歳位の男の子が、お気に入りのぬいぐるみがなかなか取れなくて悪戦苦闘している姿を見ていたら、たまらなく可愛くていとおしくて、不躾な親達に抱いていた不満はどこぞに消えてしまった。その子の親は私たちに気を遣って、近くにあるぬいぐるみをさして「もうそれで我慢しなさい」と言うのだが、その子は妥協をしないで頑張った。そして遂にお気に入りの子犬のぬいぐるみを手にした。それだけでも充分に可愛いのに余程嬉しかったのだろう。その子はぬいぐるみにほおずりをして微笑んだのだ。他のメンバーと共に、その子の表情のあまりの可愛さに歓声を上げてしまった。私は今日一日、その子の表情を思い出すだけで穏やかな気持ちになる事ができた。昔、ある著名な教育評論家が「我が子の2,3才の頃に見せる笑顔は宝物。大事に心にしまっておくように」と言っていたように覚えているが、ホント、あの表情こそ、天使の微笑みと呼んで間違いはない。

松葉杖物語 6.4

2005-06-05 01:27:09 | Weblog
 驚異的な回復だ。今日は折れた右足を軽く床について松葉杖なしで歩いてみた。数日前には軽い痛みがあったが、今日は痛みがない。と言っても長距離を歩くには無理がある。仕事場に行くには松葉杖が必要だ。
 今日も街行く人たちは「松葉杖物語」への話題提供に協力的だった(!?)。
 先ずは、「せっかちニッポン人」の“お世話”になった。
 10数メートル先の信号が赤に変わったので横断歩道を渡ろうとすると、目の前に車が割り込んできて横断歩道いっぱいに停車。にらんでも後ろに下がる気配もない。その運転手にとって5,6メートル先に車を止めることがどれほど重要なのだろう。私には理解不能だ。
 そして駅に着き、上りエスカレーターを降りた途端、今度は右側を駆け上がってきた男に松葉杖を足で引っ掛けられた。「おい!」と声を上げる私に気付かぬはずはないのに男は走り去った。
 改札口も今日は協力的で、ノロイ私を励まそうとしたのだろう。スイカをポケットにしまって通過しようとする私の前をふさいだ。こんなことは初めてのことだ。スイカを機械に当てて乗客が通過するまでどのくらいの時間的猶予を設定しているのだろうかと疑問が湧いた。
 次に話題提供をしてくれたのは、「恥を忘れたニッポン人」。
 今日は「さいたまスタジアム」でサッカーの試合があるらしく、電車は結構混んでいた。優先席には、赤いユニフォームを着たひと目で「レッヅファン」と分かる人たちが大きな顔をして座っている。ただ、私の姿を見てまずいと思った一人が席を立った。
 次の駅で70代位の女性が乗り込んできた。しかし、誰も席を立つ様子がない。
「どなたかこの方に変わってあげないんですか」
 私は声を上げた。
 すると隣に座っていた女性が不機嫌な表情を浮かべながら立ち上がった。そして、前に立っているダンナに小声でブツブツ。私は余程一言申し上げようかと思ったが、場があまりざわざわしてもと我慢した。
 席を譲られてお年寄りは座るかと思いきや手を振って着席拒否。恐らく「年寄り扱い」が嫌なのだろう。場の空気が悪くなるが、でもそれは仕方がない。
 それを見て立ち上がった女性はますます不機嫌になり、私に聞こえるようにダンナを相手に私への批判を始めた。私がお年寄りに座る意思があるかを確かめてから声を上げるべきだったと言うのだ。
 彼女は自分の間違いに気がつかないのだろう。彼女は(もちろん他の若い乗客も同様だが)お年寄りを見た時、自分から席を立つべきであったのだ。それもしないでおいて、お年寄りが座りたくないのに余計なお節介を私がしたというのだ。
 私は夫婦をじっと見つめた。それ以上私を非難したら「ひと言」申し上げるつもりだった。しかし、さすがにそれ以上ぶつくさ言い続けるのはまずいと思ったらしく、ツマは口をつぐんだ。これを読まれている方で、もしやそのツマも体調が悪かったのでは、と気遣われるかもしれないが、いやいや色艶のいい顔をしていたし、お年寄りが乗り込んで来るまでは数時間後のレッヅの応援に熱中していた。
 松葉杖姿や老人の存在が目に入らぬ人たちも、家に帰れば“立派な”大人なのだろう。いっぱしの倫理観や躾に対する考え方を持っているに違いない。でもそれらの人たちが、立派で、いっぱしの事を言えば言うほど、それを見て育つ子ども達は彼らを規範として育つ。イラクやパレスチナを「悪の連鎖」「憎悪の連鎖」で言い表すことが多いが、日本でもこれらだらしない大人たちによる「不道徳の連鎖」は確実に子供に影響を与え、社会秩序の破壊を招いている。

父親不在

2005-06-04 08:44:54 | Weblog
 私の経営するASEには様々な相談が持ち込まれる。父親の転勤で遠隔地に引っ越した後も子育てに悩んで相談してくる母親、夫婦関係がうまくいかず「2人歩きのテコ」を聞きたいと言ってくる新婚さん、親との確執から不登校気味になり助けを求めてくる子ども等など、その内容は様々だ。
 もちろん私を頼ってくるケースもあるが、日本人スタッフの助けを求める場合も多い。3人の日本人スタッフは、“サムライ商法”を貫くあまり儲からない(と言うか、赤字の年も多い)英会話学校で、低賃金に文句を言うことなく長年働いてくれている。それだけに生徒(幼児から高齢者まで)や保護者にも彼らの「温かさ」が伝わるのだろう、何かと相談してきてくれる。
 それらの相談に接していて気付くことは、子育てに父親の陰が相変わらず薄いことだ。これは昔からのことだが、最近も表面的には父親が介在しているものの実質的には母親に責任を押し付けている場合が多い。先日読者の渡辺さんから「父親の役割」のご指摘があったが、彼のように「父(ダンナ)としての責任」を自覚している人はごく少数派だ。
 私が“所属”する団塊の世代は、「男子厨房に入るべからず」という日本の“タブー”を初めて破った集団で、時のマスコミから「ニューファミリー」と名付けられた。でも、それから30年経つが、厨房に入った男子は、料理も子供も作りっぱなしで責任放棄しているように思えてならない。世の中の荒廃が叫ばれて久しいが、このように一人ひとりがきちんと社会参加していない日本では「世直し」は望むべくもない。父親よ、一歩前に出よ!
 

機能不全か、サイタマ県警

2005-06-02 12:51:59 | Weblog
 昨年取り組んだ「JR南浦和駅前からの露店追放」は一部改善されたものの、また元の木阿弥。たこ焼き、花屋、古雑誌、アクセサリーを売る店が大きな顔をしてのさばっている。これが、「先進国の公道か」と言ったイギリス人がいたが、ひどいものだ。近くの商店で噂されているのが、これらの店の後ろにいるテキヤやヤクザが警察の一部と結びついているというもの。事実とは信じたくないが、これほど大きな顔をして店をやっているのを見ると、あながちウソと断じることもできなくなる。ある店の主人からは、「あまり深入りしないほうがいいよ」とも言われている。
 そして今夜、新たに軽トラックを歩道に乗り上げて営業を始めたラーメン屋を発見した。ラジカセの音量を最大限にしてチャルメラの音を流しているから否が応でも通行人の気を引く。幅の広い歩道とはいえ、車両を乗り上げるとはこれまた大胆すぎる。椅子を置いてほぼ屋外店舗状態だ。通行人の邪魔になっているのは間違いない。「警察は?」と2,30メートル離れた駅前交番を見ると、警察官が3人詰めているが露店を気にする風はない。
 これまで何度も交番に談じ込んで迷惑な顔をされている私は、110番を鳴らした。すると、30回呼び出し音がしても応答がないのだ。仕方なく電話を切り、待つこと約20分。ところが、警察からの「どうしましたコール」もない。110番や119番の場合、電話をかけた側に何らかの事情が生じて電話が切れてしまう事がある。だから、必ず「電話が切れましたが、どうしましたか」と折り返し電話をすることになっているはずだ。おかしいと思い携帯電話の「送信履歴」を見てみるが、確かに「110」番に間違いはない。こんな事がありうるのか。緊急で電話をしても誰も出ない110番など洒落にならない。
 そのリダイアル装置を使ってこちらからもう一度電話をすると、今度は5回鳴ったところで当番が出た。事情を説明すると「そんなことはありえない」と言い張るのでその夜の責任者に電話口に出るよう求めた。電話に出てきた責任者Sは徹底調査を約束したのでそこから本題の露天の話に入った。
 事情を説明すると、Sは、「署員も改善努力はしているはずですが…」と言い逃れに終始する。私はこれまでのいきさつを含め説明し、「私は1年間待ちました。なのに何も変わっていない。こんなことでは誰も警察に協力しなくなりますよ」と強く言った。それに、私が埼玉県の「災害に強い街づくり条例」の策定委員であることも付け加えた。「何もしないとこちらも自分の立場を使って動くかもしれないよ」というメッセージを送ったのだ。
 Sは善処を約束。その結果を必ず後ほど報告すると言い、何時までなら電話をして良いかと聞いてきた。それに対して私は、「午前1時までは起きていますから必ず報告してください」と答えた。
 その後電話を待ち続けたがなかなか電話はならなかった。電話が来たのはナント午前1時丁度。想像するにSから現場近くの交番に「午前1時に電話するように」と伝言されたのではないだろうか。
 「ラーメン屋にチャルメラの使用は止めさせて店もたたむように注意しました。たこ焼き屋にも同様に注意しました」
 と報告する警察官に、
 「店を撤去させたのか」
 と問うと、相手は「土地の所有者がJRさんなものですから」と強制退去させる権利がないことを強調した。そして、土地所有者であるJRの駅長と相談すると約束した。
 しかし、どうもあまり結果が期待できる口調ではなかった。そこで午前中、国土交通省や警察庁に法的解釈を含めて取材してみた。そこで得られた情報では、どうやら「法改正」だけが唯一の解決策のようだ。警察の話では、現場がJRの敷地であるため道路交通法を適用する事が難しく、露店対策は「JR次第」だということだ。つまりは、道路管理責任者であるJRに露店排除の強い意思がないと、警察としては打つ手がないと言いたいのだ。
 現場は誰が見ても全国どこにでもある「駅前広場」だ。問題の歩道は、市民の目から見れば、どう見ても「天下の公道」だ。そこに、歩行者の邪魔になるようなもの(放置自転車や露店)があれば、警察が動くことは当然のように考えるのだが、そうはいかないものらしい。私はもちろん、警察が権力を振りかざして「法を曲げて」動けと言うつもりはない。警察に求めるのはあくまでも、“おまわりさん”として市民が安全に暮らせるよう動いて欲しいということだ。
 読者の中で、どなたかこのことに詳しい方や知恵をお持ちの方がおられるようであれば、私に知恵を授けてくれませんか(asaikuniomi@yahoo.co.jp)。よろしくお願いします。
 

松葉杖物語於いて優先席劇場

2005-06-01 01:22:35 | Weblog
 今日も仕事場との往復に使った電車の中の「優先席」を舞台にしたドラマ(?)が展開された。
 まずは、往きの電車の中でのこと。
 満員ではなかったが、学校帰りとサッカー場に向かう客で車内は混んでいた。優先席のあるドアに乗り込んだが、既に優先席には先客が座っていた。私の前の席には女子大生風と中年の男女が鎮座ましましている。彼らは私と目が合うが、席を譲る気配はない。女子大生は音楽を専攻しているのだろう、音符とにらめっこだ。中年の男女は海外旅行の話で盛り上がっている。
 降りる駅が近付いてきた。そこで私は開口一番。
 「その優先席に座る3人の方達。私は次の駅で降りますから今さら席をかわってくれとは言いませんが、イラストが見えませんか。4枚の絵の内の1枚に該当する者がここにいるんですよ。どう見てもあなた達がその席に優先的に座る人たちには見えませんが…」
 3人は予想外の展開に呆然としていた。
 「あなたたち3人は私と目が合ってますよね。つまり、目の前に『譲るべき人』がいながら座り続けています。恥かしくないんですか」
 すると、女子大生風が、「ごめんなさい。見えなかったんです。すぐ代わります」と謝ってきた。
 「もう結構です。これからそこに座るのを止めようね。でも、そちらのお2人、謝りもせず図々しいですね。恥を知りなさい」
 と言い残して私は電車を降りた。
 仕事を終えて帰る電車の中、今度は一つだけ席が空いていた。しかし、優先席はほぼ若者で占められている。まあ、そんなに立っている人はいないし、お年寄りや身体の不自由な方は見当たらない。目くじらを立てることもないかと黙っていた。すると、前に座った3人の中学生の1人が、立っている仲間に電話を入れた。この7,8人の中学生グループはどこかのサッカー・クラブに入っているようで、その練習帰りのようであった。
 すかさず私の注意が飛んだ。
 「君たちはそこに座る権利はないんだよ。それに、優先席では携帯の使用が禁止されているのは知っているだろう?電話を切って立ちなさい」
 すると、注意された中学生はすぐに電話を切り、立ち上がった。隣の子供もそれに連れて立ち上がった。しかし、1人だけ座り続ける子もいた。その座り続ける子がまた携帯を鳴らそうとしたので私は強く注意をした。すると、その子もようやく立った。
 私は下り際に最初に注意をした子の前に立ち諭すように言った。
 「な、君たちサッカー少年だろう。後輩達の模範になるように行動しようよ」
 幸いなことに少年はうなずいてくれた。恐らくこれで彼は二度と優先席には座るまい。いや、私は甘いと言われるかもしれないが、彼はもしかしたら今後仲間達に優先席に座らないよう呼びかけてくれるかもしれない。
 下車して階段を降りる私の前に「下りる」との標識を無視した大人たちが何人も駆け上がってきて私の行く手を阻んだ。たまらずに私は「こちらは下りですよ」と注意をしたが、彼らは悪びれる風も見せずにすれ違っていった。
 「こんな大人達を見ていたら子ども達は育たないわけだよね」
 私はオーストラリア人のスタッフに状況を説明しながら階段を降り続けた。