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私の視点 靖国問題ー昭和天皇と東条の確執

2005-06-07 11:31:53 | Weblog
 5日(日曜日)のことになるが、フジTVの朝の報道番組で、今話題の「A級戦犯・東条英機」の孫と言われる女性が招かれ、故人の思い出と現在の心情を披瀝、「名誉回復」を求めていた。また同じ番組で、靖国神社の前宮司も出演、靖国神社側の考え方を説明していた。
 コメンテイターとして呼ばれていた5,6名は、民主党の菅直人氏を除いては、体制側の理解者でかなり一方的な番組構成のようであった(但し、途中までしか観ていないので断定はできない)。
 この番組に限らず、「靖国」論議を聞いていると、政府見解のぶれ、大物政治家たちの放言と“靖国パフォーマンス”、A級戦犯合祀の隠された事実、昭和天皇と東条英機の関係といったこの問題の本質というべきことがほとんど語られていないことに気付く。
 政府見解については、三木政権下で「公式参拝は違憲の恐れあり」と決定的な謝罪を表明したかと思うと、頃合いを見計ったかのように8月15日に公式参拝を始めたり、「神の国」発言で被害国の神経を逆撫でする首相が現れた。このように「謝罪」と「不穏当発言」を繰り返す事が問題なはずなのだが、いつの間にか「中国や韓国は何回謝れば気が済むのか」との国内世論ができつつあるのが現状だ。
 A級戦犯合祀についても、1978(昭和53)年に神社内に緘口令を敷く形までとって靖国神社が強行したこと自体大きな問題であるはずなのに、マスコミや専門家からは大きな疑問として上がってこない。昭和天皇と東条英機との関係にいたっては、歳月の経つのは恐ろしいものだ。あれほど敗戦直後には天皇が東条を忌み嫌っていたのに、後に東条を評価するような発言をした(天皇の立場からすれば、“下衆”をなじれば、同じ土俵に立ったことになる)ことから両者が互いの立場をかばい合っていたとする発言も多い。
 私は文献や資料を読み漁るうち、「靖国神社正式参拝関係年表」から重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」というそうな)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。
 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。
 まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、
1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。
2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。
3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。
 という順序で行なわれる。
 ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。
 つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。
 恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だもって不思議だ。
 そして、東条本人についても評価が分かれたというだけでなく、その立場についての一般的な理解も怪しくなっている。冒頭で紹介したTV番組の中でも、東条英機が開戦時の首相であったというだけでヒトラーとは違うような印象を受ける発言があったが、東条は「陸軍生まれの陸軍育ち」の生粋の軍人で政治家ではない。東京裁判での判決理由に挙げられた軍部を開戦に突き進ませた中心人物との見方を、「開戦直前まで非主流派で不遇をかこっていた」などとまるで東条が昭和10年代は軍部の中心人物ではなく、首相にも仕方なくなったかのように言って擁護する論調が目立つが、東条こそが1936(昭和11)年の「2.26事件」に代表される皇道派(天皇親政派)を抑えて陸軍内部の主導権を握った統制派の中心人物であったことは疑いようもない事実だ。開戦直前の1941年10月に近衛内閣を崩壊させ事実上のクーデターを起こしたのも誰あろう東条英機だ。これを「ただの開戦時の首相」などと言う人には、今一度歴史を紐解けと言いたい。
 他の問題でもそうだが、このようにして論議がいつの間にか核心からそらされていき、人の記憶から消し去られていく。靖国問題はまさにその典型である。このようなまやかしを許さないためにも、歴史の証言者が生存している内に、また人の記憶が消えない前にアジア諸国と日本による共同歴史認識作業が必要とされるのだ。