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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

風邪を移すのは犯罪だよ

2005-02-28 01:11:17 | Weblog
 24日、風邪を移された。相手は幼児だが、部屋に入ってきた途端、「ヤバイ」と感じるほどの悪性のものであった。母親の話では、熱も下がって良くなったとのことだが、とんでもない。顔は真っ赤だし、身体は熱い。その上、その児は私の顔の真ん前で、セキとくしゃみを繰り返し、私の顔に吹きかける。
 部屋の窓を開けたりしたが、この寒空だ、ずっとそういう状態にしておくわけにはいかない。
 そして翌25日朝、恐れていたことに「頭はがんがん、喉はイガイガ」となった。 
 「何、お前さん、『水かぶりで風邪を引かない身体になった』と自慢していたのでは?」と言う声が聞こえそうだが、実は数日間極度の寝不足で、身体への悪影響を考えて水浴びを中断していたのだ。
 ただ、週末は養生したお陰か、悪化せずに治りそうな感じがしてホッとしている。
 それにしても日本人の風邪に対する考え方には納得が行かない場合が多い。悪性の風邪が「伝染病」との意識があまりないのかもしれない。「人に移したら治る」などという言い方がいまだに平気で使われている位だから日本人の罪悪感の欠如は欧米諸国に比べて際立つ。。昨年中学生に移され、ひと月半も悩まされ仕事にならなかったことへの「恨み」と「トラウマ」が、私をこんな捻じ曲げた性格にしてしまったのかもしれないが、嗚呼、早く春よ来い。

鼎談

2005-02-22 23:48:47 | Weblog
 昨夜、友人2人と会食。2人は私より年下だが、もう五十路に入った“おじさん”だ。
 1人は弁護士、もう1人は開業医だから話題は豊富だが、この日の鼎談は、別にあらかじめ決めたわけでもないのに話の流れから健康に始まり健康に終わった。
 医者と言うと、とかく「紺屋の白袴」の典型で健康に気を配らない人が多いというイメージが強いが、友人Tは徹底した健康志向。弁護士のAが時に血圧が180にも達する事があるというのに「薬は嫌いだから」と不養生を決め込んでいると聞くと、「薬に対する考え方」をレクチャー、態度を改めるよう熱心に説得を始めた。
 Tは消化器外科を専門とする大病院の責任ある立場の医者であったが、7,8年前独立。さいたま市で開業している。開業してからは内科治療もするようになり、私も時折り世話になっている。それは、彼が持ち前の情熱で内科治療においてもひとかたならぬ研鑽を重ねており、「そんじょそこらの内科医」よりも頼れるからだ。
 だが、一方のAも容易には折れないと言うか、考え方を変えようとしない。毎朝早起きして近所を散歩して柔軟体操と腕立て伏せをしているから大丈夫だと応戦した。
 2人のやり取りを聞いていて、私は子供の頃を思い出していた。昭和20年代、男の寿命は60歳位のイメージで、50代といえば「老境」という風に考えていたように思う。祖父や祖母の姿を2人に重ねてみるのはホント妙な感じがするものだ。その歳にいざ自分がなってみて思うことは、今の50代はあの頃の50代に比べて格段にパワーアップしているということだ。仕事でも私生活でも刺激的な毎日を送る50代はざらだ。
 だが、私たちのようなノー天気な者ばかりではないことも事実だ。「宮仕え」などで我慢に我慢を重ねて長年働き続けてきた50代の中には、昔のようにそろそろ引退して静かな余生を送りたいと考えている者も少なくない。そんな人たちにとって「元気ある50代」のイメージは迷惑この上ないだろう。
 この世の鼎談は、いい意味でも悪い意味でも「存在感のある団塊の世代」の行く末を考えるに良いひと時であった。
 

こんなケーサツいらないぞ

2005-02-20 09:36:44 | Weblog
 電車に乗ろうとしていたら、Nに会った。最近顔を見せていないが高校1年生になっているはずだ。化粧や染毛こそしていないが、眉毛にソリが入ったせいだろう、一瞬本人かと目を疑った。だが、その姿は現代女子高生の典型のミニスカートの下にズボン姿。中途半端に現代風な女子高生を真似しているだけで、渋谷や新宿を闊歩しているジョシコ-セーとは大分趣が違う。整った顔をしているが、どう見ても男の欲情をそそるとは思えない。だが、どうやらそれは私がNを小さい時から見ていて“オンナ”を感じないだけで、他の男の目には違って映るようだ。
 Nは電車に乗るなり、「ネ、ネ、聞いて下さいよ。私この前、痴漢にあったんです」と言ってきた。
 Nが言うには、普段は自転車通学だが、その日は雨模様だったので電車に乗ったとのこと。朝の武蔵野線は、身動きできないほど混むが、その時も酷い混みようだったという。すると、前の中年男が痴漢行為をしてきたというのだ。彼女がにらむと男はいったん手を引いたが、しばらくするとまた卑劣な行為を始めたという。
 手が自由に動かず、悔しい思いをしたが、電車が南浦和駅に滑り込む前に急ブレーキがかかった。そのお陰で、痴漢男との空間が出来た。短距離走で鍛えた運動神経だ。その瞬間を逃さず、Nは男のコートをつかんだ。そして声を上げた。「この人痴漢です!」。
 勇気ある行動である。16歳と言えば、恥ずかしくて我慢してしまうのが普通だ。
 ところが、周りの大人たちはといえば、ただ二人を見るだけ。駅に着いてもつかんだ手を放さないNに、男は観念したか、「逃げないから離せよ」と言ったらしい。悔しい思いをしたNはそんな言葉に騙されるはずはない。男を逃がすまいと必死だった。それでも周りは誰一人声をかけてくるわけでもなかったという。
 こんな「見て見ぬフリ社会」だから日本はダメなのだ。痴漢がこんなに跋扈している国など他にない。
 幸いなことに、近くにいた駅員が異変に気がついて「どうしたんですか」と声をかけてきた。そして、二人を駅の事務室に導いてくれた。しばらくすると事務室に警察官が現れた。Nはここでホッとしたらしい。“味方”が来たと思ったのだろう。
 取調べは駅西口にある交番で行われた。取調べにはNが通う高校の担任も付き添ってくれた。
 警察が痴漢男を逮捕してくれると信じていたNは、しばらくして大きな失望感と怒りに包まれることになった。逮捕は出来ないというのだ。
 その理由は、痴漢行為をしている時にその手をつかんでいれば良かったが、離してしまっているから証拠不十分で逮捕は無理とのことらしい。警察は「7,80%はヤツがやったんだろうけど」「ヤツに直接謝ってもらうか」とNに言っている位だから、痴漢男から自白を取っていたのだろう。
 法律的なことは分からないから、明日友人の弁護士に会うことになっているのでついでに見解を聞いてこようと思っているが、Nならずともこんな警察の説明に納得する者はいない。
 その夜偶然だが、実は私も同じ南浦和駅で「警察沙汰」に巻き込まれていた。男二人の殴り合いというか、大柄な男が小柄な男を殴る蹴るという暴行が駅構内で行なわれており、それを目撃した私は止めに入ったのだ。
 その時、警察は10分以上現れなかった。私は先を急いでいたが、暴行男は目を離せば再び相手に殴りかかる恐れがあった。また、駅員から証人になって欲しいといわれたこともあり、警察が来るまで待っていた。
 なかなか現れなかった警察官は、姿を見せたと思ったら次から次に現れ10人以上になった。まさか暴行事件と聞いて少人数で現場に向かうのが怖かったわけでもあるまいが、それにしても極端だ。
 私は警察官に簡単に状況を説明し、連絡先を告げてその場を去った。
 用事を済ませ、西口交番(Nがその朝いたところ)の前を通りかかった。もし、乞われれば、調書の作成ぐらいには協力するつもりであった。
 ガラス戸越しに交番の中に5,6名の警官が暴力男を“取調べ”ている光景が見えた。ところが、取り調べる側も取り調べられる側も緊張感がない。しばらく見ていたが、それはどう見ても談笑しているようにしか見えなかった。失望した私は家路を急いだ。
 それから1週間経っても警察から連絡はなかった。そこでこちらから刑事課に電話を入れてみた。すると、担当刑事は私の名前や連絡先が確認できないと言う。私は証人として扱われていなかったのだ。そこで立件はしたのかと問うと、それには答えられぬと刑事は言った。まあ、素性の分からぬ私に情報を漏らすわけにはいかないだろう。
 Nと私が関わったこの2つの事件を取って見ても日本の警察が「税金の無駄遣い組織」である事が分かる。こんな警察では、警察に守ってもらうまでは勇気を振り絞って声を上げようとか、捜査に協力しようという気にはならなくなる。警察官の人数不足ばかりが話題になるが、その前に警察がきちんと本来の機能をしているか検証をする必要があるのではないだろうか。

弟子が大学合格

2005-02-16 00:22:45 | Weblog
 嬉しい話が1つ。1月21日付で腕立て伏せに励む私の最年少の弟子の話をしたが、昨日(15日)、第一志望の大学に「サクラ咲く」と報告があった。
 自分の子供の事のように心の底から嬉しい。彼が母親の腹の中にいる時から“胎教”とうそぶいてダジャレを言い続けたかいがあったというものだ。え、ダジャレと受験と何の関係があるかって?それはやはり表現力が豊かになって国語の成績に良い影響を及ぼすからだ(但し、学術的な裏付けはない)。
 彼は高三になっても私の経営する英会話学校に毎週通い続けている。ほとんどの受験生が「受験」を理由に止めていく中で、彼は最後まで休まずに顔を見せる。「心の余裕」を弟子達に教え続ける私は、受験を理由に週1時間の英会話レッスンを休む人間は切って捨ててきた。最年長で今は「朝日」の記者になった愛弟子などは、中三と高三の2回破門されそうになり、慌てて前言を撤回して事なきを得た。
 そして昨日も偶然だが週に一度のレッスン日。少女コミックの主人公のようにスラリと伸びた長躯と端正な顔を私の前に見せた。握手をする手はまだ少年のもので頼りないが、見せる笑顔に「大人の自信」のかけらが見てとれる。4年後もジャーナリストへの道を歩み続けているかは分からぬが、成長が楽しみだ。
 
 

小千谷の喫茶店

2005-02-08 01:07:17 | Weblog
 小千谷に行っていた土曜日夕方の事。帰りの電車に乗ろうと、極楽寺のご住職に送っていただきJR上越線の駅に行くと、「運転を見合わせております」との掲示。困っていると、そこに「中越元気村」代表の草島氏から電話が入った。
 草島氏と会うことになり、彼が来るまでの時間をつぶそうと駅前の喫茶店に入った。実はこの喫茶店、昨年4月に講演会でこの地を訪れた際、待ち合わせに使わせてもらっていた。12月に小千谷を訪れた際には「臨時休業」の札がかかっており、近所の人の話では、地震発生の日から休業したままとのことで何か気にかかっていたのだ。
 店に入ると、他に客はいなくて寝癖なのか流行の「ぼさぼさヘアスタイル」なのか見分けの付かぬ髪形の店主が、力のこもらない「いらっしゃい」で迎えてくれた。
 前回少し話す機会があったこともあり、時候の挨拶をした後、「最近のご商売はいかがですか」と話を振ってみた。店主にはそれが気に入らなかったようで、「いかがですかと言われても」とこちらがオオッとのけぞるような返事をしてきた。恐らく、「見れば分かるだろう」と言いたかったのかもしれない。
 気の弱い私は彼を怒らせてしまったかと、この前来た時の印象を交えながら「なごやかトーク」を展開した。
 警戒心がとけたか、店主はしばらくすると最初の強張った表情から一転、饒舌に状況を話し始めた。彼の両親が母屋で旅館をしていたこと。大分前に旅館は廃業したこと。そして、喫茶店経営だけでは生活できず、店主は午前4時から9時まで工場に働きに出ていることなど、衰退する地方都市の悲哀とも思える現実を語ってくれた。
 恐らく「小千谷ちじみ」が重宝された時代は、駅周辺は繁盛していたに違いない。中でも駅前の一等地にある旅館は、昭和2,30年代まで「駅前旅館」として街を訪れる商人に愛用されていたのであろう。ところが、今はその面影もないほどの廃れようだ。地震はさらに追い討ちを掛けるかのように駅前商店街に打撃を与えた。
 話に熱が入った店主はその内、前に発行された「小千谷新聞」などを奥から持ち出してきて色々話してくれた。話が佳境に入ったところで草島氏が現れた。横目に見る店主の表情に一抹の寂しさが感じられた。
 私が喫茶店にいた時間、土曜日の夕刻と言うのに他に客は一人も現れず、電話も鳴らなかった。

ジミーの近況

2005-02-03 11:13:26 | Weblog
 このところ浦和も冷え込みが厳しく、昨日今日は最低気温が零下5度に達している。毎朝続ける冷水浴びも、蛇口から出てくる水の冷たさにちょいと気がひるむ。そんな弱気を吹き飛ばすために掛け声が必要になる。だが、水浴びした後の爽快感はなかなかのものだ。寒がりの同居人は、見るだけで寒くなると言い、風呂場から出てくる私を遠目に見る。
 それにひきかえ(等と言うと、家人に叱られそうだが)、そんな寒い中、我が“愛猫”ジミーは相変わらず健気だ。昨夜も10時過ぎに帰宅する私に聞きなれた鳴き声で迎えてくれた。暗闇の中をどこにいるかと声がする方を見ると、階下の住民が所有する車の上に乗っていた。そして私の下に飛んできた。
 寒風吹き荒ぶ中、寒がりの猫が、しかも飼い猫でもないのに私の帰りを待っていてくれるのだ。感動しないはずはない。寒空の下しばらくジミーを抱きしめていた。