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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

雪だるま

2004-12-31 19:53:13 | Weblog
 朝起きて玄関を開けると、外は一面の銀世界。ぶるぶる震える家人を尻目に20日前に始めた冷水浴びをする。この欄の愛読者なら、え、冷水摩擦では?と思われるだろうが、そう、今は流行の「ヴァージョンアップ」して水浴びをしているのだ。
 水浴びを終えるや電話に飛びつき、あちこちに連絡。情報収集だけでも通常、2,3時間費やす毎日である。今日のテーマは、新潟の被災者に送る除湿機。小千谷の電器屋さんで購入しようと、値段から納入時期、配達方法までを相談する。ほぼ決めた段階で、メンバーから異論が上がった。除湿機は役に立たないのでは?というのだ。
 そこで知り合いの建築士や建築家に連絡。また、実際に使っている被災者の声を拾う。総合的にやはり必要との判断を下し、注文しようと電話したが、もう時に遅し、電器屋さんは正月休みに入ってしまっていた。
 昼から家人と買物に出かけるが、路上では多くの運転手が雪と格闘している。中でも、母と息子が乗る軽自動車が坂道で立ち往生する姿は放っておけなくて、運転を代わり、坂道から平坦なところまで車を下ろしてやった。車が異常にスリップするのでタイヤを見ると坊主タイヤ。車を路上駐車して徒歩で帰りなさいと諭したが、母親は私の意見を聞き入れる風はなく立ち去った。
 買物を終えて家に帰ると、一階の住人が雪かきをしていたのでスコップを拝借、家の前と階段の雪をどけた。家人が雪だるまを作ろうとしていたが、まるで“ドシロウト”なので、昔のガキ大将のお出ましで、小さめだが可愛いやつを作った。身長30センチほどのものなので、目は梅干、鼻はニンジン、帽子は紙コップ、そして服のボタンはプチトマトという出で立ちに仕立て上げた。
 どうです、かわいいでしょう?

ラーメン屋で“メリークリスマス”!

2004-12-25 12:41:14 | Weblog
 昨日はどこに行っても人また人。多神教の日本人にとっては、かつて耶蘇教と差別的に呼んだキリスト教の教祖が生まれた日とその前夜は、今や「一億総クリスチャン」と化す“祝日”。(私の知る)右翼の親玉が、この日ばかりは子供のためにとケーキを買ってそそくさと帰宅するほどの日なのだ。前日の高貴な方の誕生日なんぞは、皆さんどこ吹く風。「旗日」のはずだが、街のどこにも日の丸は見あたらない。翌日のクリスマスイヴで頭はいっぱい。知らん振りである。自民党のお偉方を筆頭に、石原さんという旗振り役が教師の首を切りながら必死に定着させようとする“国旗”が、いっこうに「心の御旗」にならないのは、この辺りに原因を見出せるかもしれない。

 さて、そんなめでたい日だ。便乗しない手はない。私はパートナーと行き付けのラーメン屋「むさし坊」でカンパーイ!

 え、ラーメン屋でイヴ?なんだそれ?彼女が可愛そうでしょ、と外野から罵声が飛んできそうだが、まあ、最後までお読み下さい。

 このむさし坊。いわゆる「行列のできるラーメン屋」として雑誌に出たりする店だが、東川口店で働く3人のメインスタッフがラーメン同様、「味がある」男たちである。約1年前の開店直後に訪れた私に、最年長のスタッフが言った。「XX(筆者注:ごめんなさい。人の名前を覚えるのが苦手なんです)はイタリアンの一流の作り手なんですよ。イタリアンでも充分やっていけるのに敢えてラーメンを作っているんです。彼は料理の天才なんでしょうね。どこかで美味しい料理を食べると、材料がほぼ全て分かってしまいます。また、それを容易に再現してしまえる舌と腕を持っています」
 その年配のスタッフのしゃべり方と表情が何となく胡散臭く見え、疑い深い私は、適当に相槌を打っていた。ただその後、何度も訪れる私達はいつの間にか、XXが語る「食に対する愛情とこだわり」に耳を傾けるようになっていた。

 数週間前、XXは嬉しそうに、「クリスマスにイベントをやりますからよろしかったら」と、あくまでも控え目ではあるが、計画を口にした。

「ラーメン屋でイタリアン?」と心で思いながらも“大人”の私は、「オー、それは面白い」と、心のこもっていない返事をしていた。ところが、パートナーはすっかり乗り気になってしまい、「クリスマスイヴはむさし坊」と心に決めていた。普段偉そうなことを言っても肝心なことになると本質を見失ってしまう男と、落ち着いて真贋を見極める女の差がここに出ていたかもしれない。

 さてその当日。つまりは昨日。店の前を通ってみると午後6時を過ぎているというのに、店にはほとんど客が来ていなかった。店の飾りも今ひとつだ。駐車場では屋台を特設してラーメンや甘酒などを格安で振舞っているが、なんともその雰囲気がいただけない。そこで私は都内の職場にいるパートナーにメールを一本。「止めた方がいいかも」と打った。そして、メールの返事が来る間に、近くのこじゃれた店に席の余裕があるか問い合わせた。しかし、当然のことながらどこも満席である。

 一方、3時間後に私の前に姿を見せた彼女はというと、落ち着いたもので私に任せると言いながらも「むさし坊に行くと言ったでしょ?彼が待っているわよ」光線を目の輝きに乗せて発してきた。こうなれば、むさし坊に行くしかない。私たちはわざわざ電車に乗り、東川口にまで足を運んだ。

 店には2組の客がいたが、盛り上がりに欠けていた。ただ、料理に取り組むXXの姿を見て私は安心した。「プロ」なのだ。イタリアンのプロフェッショナルの姿がそこにあった。

 店が全てカウンター席で狭いこともあり、メニューは限られているが、出されるものはどれも美味しい。特に、パスタの上手さは格別だ。

 ラスト・オーダーの時間になると、幸いなことに満席になった。断られた客が料理を覗き込んで残念そうな顔をして去っていく。

「少し食べませんか」隣に座った男が、私達の会話を聞いていたのか、パートナーのもの欲しそうな視線を感じたのか、出されたばかりのカルボナーラの皿を指差した。

 カルボナーラは彼女の大好物だが、今年1月の彼女の誕生日に起きた「カルボナーラ事件」の後遺症がまだ癒えていない私は、カルボナーラを避けていたのだ。

 むさし坊に来る前に少し腹に入れていたこともあり満腹で、私は男の申し出を断ったが、彼女の顔を見ると「もらっちゃダメ?」という目をしている。

 隣の男から大好物を分けてもらっている彼女の嬉しそうなことといったらない。そして、頂いたパスタを上手そうに食べている。まさに「別腹」だ。女性の食欲恐るべし。

 すると今度は、ジェノベーゼ。XXが作っている時から隣の客○○は、「雪平(鍋)でスープとパスタを一緒に調理できるのは…」など、ああだこうだとXXの料理法が一流だと誉めそやす。話の内容から相当の食通らしい。らしいと言うのは、私が食通でないからだ。その○○、「僕はラーメンは好きじゃないんですよ」と突然言い出した。店に来たきっかけは、夜遅くて他に店があいてなかったからということだが、一度食べてこの店の料理が食通の彼のおめがねにかなったとのこと。

 そして出されたジェノベーゼ。一度分けてもらったから今度は私の承諾なくしてももらって大丈夫だろうと、彼女は食べる気マンマン。酔いがまわったか、手元が狂った○○にパスタのスープを新調の服にかけられたが、そんなハプニングもなにするものぞとジェノベーゼに食らいつく。そして口に入れた瞬間、ほほが緩む。これまた彼女が大満足の時に見せる表情である。そんなノリの良い彼女に調子付いたらしく、○○の舌も滑らかになり、マシンガントーク全開となった。

 店の人たちも思わぬ展開に嬉しくなったのだろう、デザートを客全員に大盤振る舞い。店の外の寒さや閉店時間を忘れてしまう盛り上がりとなった。

 店を出ると日付が変わろうかという時間であった。見上げればうっすらと雲がかかっていたが、冬空に満月。ふと子供の頃、サンタはまだかと外に出て待ち構えていたことを思い出しながら家路を急いだ。サンタの姿は昨日も見られなかった、念の為。

トンビがタカ

2004-12-24 14:52:52 | Weblog
 行きつけのめし屋で昼飯を食べていた。店の人といつの間にか話が教育問題になった。この店の並びは、全国一の塾通りだ。有名校から小規模な寺子屋風までが軒を並べる。
 店の経営者の息子Kはついひと月前父親になったばかりで、もう息子の将来を案じている。
「可愛いだろ?」と私。
「はい、メッチャ可愛いっす」とK。
「だったら3歳までの可愛い笑顔をよく、良く、ヨーク瞼の奥に焼き付けておくんだね。その可愛さはさ、何にも代えられない世界一の宝だよ。親は子供からそれだけもらえれば充分。後はその可愛い笑顔を時折り思い出して楽しめばいいのさ。子にそれ以上期待しちゃあダメ。後に子供が何らかの結果を出したらは、付録だと思えばいいよ。ただし、躾だけはしっかりとすること」
 子供のことになるとKの目の輝きも100%だ。
「いいかい、トンビがタカを生むことはないと思っておきな。自分が勉強が嫌いだったのに、子供には勉強を好きになってもらおうなんてそんな勝手な理屈はないよ。夜中に、この通りで子供を待っている親みたいになりなさんな。彼らの大部分が受験失敗組だと思って間違いないからね。自分達が上手くやれなかったからコンプレックスを持っていて『子供達には同じ思いをさせたくない』と考えているんだ。受験成功組であれば、コツを知っているからあんなに焦ることはないはず」
 Kはキッとこちらに視線をまっすぐに向けて、分かったと言った。この話を10年後も覚えていてくれるかは分からないが、親譲りのきりっとした目付きの小学生が楽しそうにKとじゃれあいながら歩く姿を見たいものだ。

馴染みの店

2004-12-23 16:39:31 | Weblog
 私はファミリーレストラン、若者風に言えば、ファミレスが嫌いだ。何が嫌いといって、あのマニュアル通りのあいさつ。心のこもっていないあいさつほど不愉快なものはない。それは、お辞儀の仕方にも現れている。教えられたとおりのお辞儀の角度と速度があるのだろう。ほぼ全員が同じ角度と速度のお辞儀をする。そして、こちらが聞いていようがいまいが繰り返す注文した品名と数字の確認。あんな客を小ばかにしたものはない。そんなことをしているのなら早く調理に入ってくれと思わず言いたくなる。
 いや、調理という表現は間違いかもしれない。多くの料理が「チーン」という音と共に出されてくるのだから。容器だけが熱くて中身がぬるかったりすると、せめて熱くだけはしろよと厨房に駆け込みたくなる。ナンダ、そんなこと言いながら、そんなに詳しいのは怪しい。結構、嫌いじゃなかったりして、と疑われるかもしれない。確かに、南浦和のような田舎は、10時過ぎると食べ物屋は軒並み閉店してしまうから、仕方なくファミレスに飛び込むことが年に数回はある。
 私が好きなのは、店の人たちと会話のできる店である。とんかつ、洋食、和食、中華、すし屋、そして喫茶店と好みはいろいろだが、それぞれに好きな店があり、“一定周期”で周っている。顔見知りになれば家族付き合いになることもまれではない。そこからこれまでいくつもの「ドラマ」も生まれた。しかしながら残念なことに、それらの店の多くが、ここのところ悪戦苦闘している。中には閉店した店もある。
 大資本で作られるファミレス・チェーンに比べれば、個人店舗など脆弱なものだ。消費者がほんの気まぐれでしばらく足を向けなくなれば、傾いてしまう。皆さんも、身近な「会話のある店」を大事にしていただきたい。個人商店や料理店がなくなれば、街から色(いろどり)が消えてしまうのだから。そして、それに気付いて再生しようと思ってもその時はもう時すでに遅し。今全国津々浦々で「商店街再生」が盛んだが、実現できたところはほんの一握りであることをお忘れなく。

兄貴の命日・橋本そしてメディア塾

2004-12-20 11:24:49 | Weblog
 昨日は兄貴の命日。私にとってただ一人の兄弟が12年前の今日、白血病で逝った。彼の闘病生活と死は、私に多大な影響を与え、5年前に離婚する原因のひとつともなった。早朝、窓を開けてヤツの事を想い、好きだった歌を口ずさみ、故郷に住む老いた母に電話を入れた。
 午前中、伊豆の海辺に住む門下生の橋本龍が来るというので、読みかけの本を読みながら彼の来訪を待った。ところが、寝坊した上に、大渋滞にはまってしまい、結局私の下に現れたのが午後4時。本も新聞も週刊誌も読み終わってしまい、昼寝までできた。
 橋本は20代から30代にかけて、私の下に出入りし、中央アジアを中心に取材活動を続けていたが、子供2人が出来て生活難に見舞われ、ジャーナリスト活動を断念した経歴を持つ。エネルギッシュでハートの熱さは天下一品だが、少々周りが見えなくなって猪突猛進する所に難がある男だ。しかし私はその「熱さ」がたまらなく好きである。
 ようやく現れた橋本がダンボールに溢れんほどのみかんを持ってきた。さらに、大好物の干物付きだ。
「近くのばあちゃんが食べないと言うからもぎとってきたんです。農薬なんかかかってません」と、相変わらず不器用な説明しかできない橋本がしゃべり終わらない内に不揃いのみかんに手を伸ばしてみた。手に取った感触でその上手さが分かる。口に入れてみると、その酸っぱくて甘みの強い味が、「オレはみかんだ!」と存在感を主張する。最高の贈り物に感謝!
 夜は東京赤坂で、9月まで教えていた「ピース・メディア塾」の塾生たちが勉強会を開いているので顔を見せた。卒業生達の勉強会はこれで5回目だが、塾長である私が一度も顔を見せなかったら「我々は忘れられたのかな」みたいなカワイイ表現で“お誘い”がメーリング・リストに投げられていたので、「いかん、いかん」と、はせ参じた次第。
 新潟中越地震の発生直後から新聞各紙の読み比べをしている。聞いていて面白かったのは、「大所高所」から報道する讀賣、朝日に比べ、東京新聞が地域性もあってか、「庶民の目線」で詳しく生活情報を含めて報道していることであった。
 勉強会の後は、居酒屋に行って忘年会。若い人たち(若くない者も混ざっているが)との楽しい夜を過ごした。
 

キスマーク

2004-12-16 20:44:09 | Weblog
 鏡を見てビックリ。鎖骨の上にナント唇の形のあざがあるではないか。
 「ん、キスマーク?」
 多少気持ちに焦りを感じながら思い当たる節がないか考えてみた。ところが、胸に手を当てても、ここ数日の行ないを思い出しても、心当たりはない。
 そっと“キスマーク”に手を当ててみた。軽い痛みを感じる。そしてそのあざを映す鏡の電気をつけた。そして良く見た。すると、表面に軽い出血が確認された。
 「そうか」
 心当たりがあった。二日前に行ったフィリピンパブで…なんてウソですよ、ここは、「行った」ではなく「行なった」の間違い。つまり、二日前から始めた冷水摩擦で身体を擦り過ぎたらしい。その「冷水摩擦を行なった」結果、できたあざだったのだ。
 え、今さらなんで冷水摩擦?と思われよう。
 このグラフィティをずっとお読みの方だったらお分かりになるはずだが、私は10月後半から一月半以上、ひどい風邪を患った。その間、いろんな面で支障が出てとても悔しい思いをしたのだ。
 そこで、「風邪を引かない身体作り」を始めたのだ。具体的には、朝起きたら風呂場に行き、水で固く絞ったタオルで全身を肌が真っ赤になるまで擦るのだ。そして、その後、水をかぶる。
 今年は暖冬である。とは言え、やはり冬である。寒いことは寒いのだ。が、やった後の爽快感は格別だし、朝メシが殊の外うまい。難点は、低血圧で朝が弱い家人に、「見ているだけで風邪を引く」と敬遠されることだ。
 今日で冷水摩擦も6日目。水を浴びながらふと考えた。自分の年を考えると、「これってまさに年寄りの冷や水か?」




味噌煮込み

2004-12-15 06:49:02 | Weblog
 私が生まれた愛知県岡崎市は名産品といっても数えるほどだが、味噌だけは美味いと自慢できる。中でも有名なのは八丁味噌だが、これについてはかなり高級品であり、貧しい家庭に育った私の口に入ることは、成長過程ではほとんどなかった。よって私の「ふるさとの味」は普通の赤味噌だ。
 その赤味噌を使って料理をするのが私の得意技である。カレーや鳥の照り焼きにまで赤味噌を使う。時にはほぼ毎朝飲むジュースにまで入れる。但し、これはウソ。
 昨日の夜からモツの煮込みを作っている。これが絶品で、家人どころか、食べさせた者全てに評判がいい。もちろん、見方を変えれば、私の相手の表情を伺うスルドイ視線が口に合わないと言わせないと言えなくもない(この辺りの表現が単純にはいかない。文章としてはこの表現は美しくないが、複雑で、ビミョーなので正確に表すとこのような文章になる)。
 モツに赤味噌、酒、黒砂糖、蜂蜜、生姜、ヨーグルト、ニンニク(以前、スーパーでニンニクのところに人肉と書いた札を見た事があるが、食材の説明に使ったらホント洒落にならないですね)に鷹のつめを加え、最後にしらたきを入れる。そして、4,5時間煮込むのだ。これがたまらなく美味い。一度試してみてはいかが?

銀輪生活者の決意

2004-12-08 02:23:51 | Weblog
 ひと月半に及ぶ風邪との付き合いもようやく終わりを迎え、愛車のペダル(アクセルにあらず)を踏む足にも力強さが出てきた。そうなると、年齢には関係なく生来のスピード狂に磨きがかかり、街中を猛スピードで走り回るのが楽しくなってくる。この前も、知人から「浅井さん、ぶっ飛ばしてましたねえ」と言われた。
 自転車でぶっ飛ばすといっても、私が走行するのは基本的に車道である。多くの人たちは歩道が「自転車通行可」とされているから、また安全を考えて車道を避けているのだろう、歩道を走らせる人が多い。だが、勘違いしてはならない。歩道は歩道。歩行者の通る道なのだ。銀輪生活に入る前、歩行者の立場から自転車の横暴さに腹を立てていたから私は極力車道を走るようにしている。すると、今度は車に邪魔者扱いされて運転手をにらみつけるようになった。車を運転する人のナント心の狭いことか。車道を走るな、と言わんばかりにわざと車を寄せて意地悪したり警笛を鳴らすものもいる。
 そんな銀輪生活をしてみて、多くの自転車が何故に歩道を走るかが理解できた。今後は私も安全上、歩道を走ることが増えるかもしれない。だが、「自転車通行可」の歩道が、自転車のためにあると勘違いしないことは、肝に命じておくつもりだ。だから、前を行く歩行者に「そこをどけ」と言わんばかりにベルを使用することも絶対にしないと心に誓っている。皆さんも「自転車の乗り方」について今一度家族や職場で話し合っていただきたい。特に都内の自転車の利用者のマナーの悪さは全国でも一、二を争うのではないかと思う。これをお読みの皆さんも今一度周りの人たちと話し合ってみませんか。