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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

足を折ったことに感謝?

2005-05-31 15:30:30 | Weblog
 これはおもちゃ箱ではない。食器などを運ぶのに苦労する私の姿を見て家人が考案した「運搬箱」だ。松葉杖生活になって痛感したのは、食べ物などを運ぶ作業だ。特に液体が入っていたりすると緊張する。またご存知のように何回か落としている。そこでこれを用意してくれたというわけだ。
 不便さが知恵を生んだり、道具の使い方の工夫を生むことを久し振りに思い出させてくれた。小さい頃はものがなく、仕方なしに持っているものを様々に工夫して代用していたものだが、最近はほとんどの場合、そういった努力をすることなしに便利なものを購入していたように思う。別に皆さんに比べて贅沢をしているわけではない。いろいろ節約をしているつもりでいた。だが、こういう不便な生活を送っていると、いかに「便利な生活」に慣れきっていたかがよく分かった。足を折ったことに感謝!てなわけないか。

松葉杖物語 駐車違反

2005-05-31 01:06:05 | Weblog
 一方通行道路を送り迎えの親達の車が占領しているからと塾に談じ込んだ話はしたが、その後の近況報告から。
 あの日以来、現場には少なくとも3人のガードマンが立ち、交通整理をすることになった。駐停車しようとしている車の運転手に「駐車禁止」だからと説得している。現場は様変わり。とても通りやすくなった(私が通りかかると、ガードマン達に緊張の色が走り、こちらに気を遣っているのが分かる)。学習塾の「やる気」を評価してしばらくは静観することにした。

機械化した頭脳

2005-05-31 00:56:57 | Weblog
 最近見たTVコマーシャルで嫌悪感を持ったのは、「公文式」の小学校低学年と思しき女の子が、計算問題を機械的に驚くべき速さで解いていくものだ。
 恐らく、広告主や制作会社や代理店は、「あなたの子供がこんなに真剣な目つきになり、驚くほどの能力を発揮するようになりますよ」とでも言いたいのだろう。しかしながらこんな目つきの子供が世の中に増えたらどんな社会になるのか、それを考えただけでもそら恐ろしい。
 親に聞くと、口を揃えて「我が子には将来、想像力のある人間に育って欲しい」と言う。こんな詰め込み教育が子供の想像力の育成を阻害することはあっても、伸ばすことにはならない。これは、塾通いの小学生達が多く乗る電車に乗り合わせても感じることだ。お願いだから世のお母さん方、子供の頭脳の一部を「機械化」してあのように“サイボーグ”のような子どもに育てることはしないで欲しい。

旧日本兵情報

2005-05-30 09:25:28 | Weblog
 旧日本兵がいるとの情報を受け、現地に飛んだ日本大使館調査団は29日、仲介に入った日本人が信用できぬと、これ以上の交渉を断念、一時的に現地から引き揚げると記者団に語った。
 一体何があったか不可解である。現地入りして日本人仲介人に会った大使館員は、その人となり、話の内容からそのように判断したのだろうが、残念でならない。お伝えしたように、今回の元日本兵情報のネタ元であった寺嶋さんから直接家人が旧日本兵の生存情報を最近聞いていただけに、信じ難い話だ。今だから明かすが、寺嶋さんの話では、旧日本兵がいると思われる地域を支配しているモロ民族解放戦線側が金銭を要求しているとのことだったので、その辺りの話が変な形でこじれた可能性もあるのではないかという思いもある。ただ、もしそのようなことなら、粘り強い交渉が必要だ。いずれにしても、日本政府には旧日本兵の生命尊重、権利復活を最優先に考える姿勢が求められる。
 私は随分昔のことだが、フィリピンでモロ民族解放戦線と交渉をした経験を持つが、その印象は一筋縄でいかないなどというレヴェルではなく、呆れるほど「設定の見直し」を何度も迫られる手強い相手であった。

松葉杖物語 回復

2005-05-29 10:16:59 | Weblog
 再度の負傷、とお伝えしたところ、読者や友人からお見舞いの連絡をいただきました。
 ただ、ご心配をおかけしました左掌の打撲も思ったほどのものではなく、ひと晩経って朝起きてみると、冷やし続けた効果はてきめんで痛みは嘘の様に軽減していました。さすがに今日の東京行きは松葉杖に頼るわけにいかず、タクシーと電車を使うことになりますが、一両日中には再び“元気な(?)”松葉杖姿に戻れることでしょう。ご心配をおかけしました。

残酷な映像の取り扱いについて

2005-05-29 08:06:59 | Weblog
 私が発行しているブログ「第二次湾岸戦争」へのアクセス数が昨日急増、閲覧数はナント昨日だけで3000を超え、全国で22位にランクされた。ちなみにこの皆さんがご覧になっているブログは、「ジャーナリストの落書き」と比較的読みやすく親しみやすいので、これまでに2度、100位内にランクインしている。
 昨日の閲覧数の急増は、イラク戦争で行方不明になっている齋藤昭彦さんの映像と思われるものが見られるのでは、と殺到した結果のような気がする。私としては閲覧数が増えるのは嬉しいが、そういう映像を見たいからアクセスされるとしたら嬉しくはない。
 確かに、ファルージャの「米“民間人”虐殺」やアブグレイブ刑務所の「拘束者虐待」の時は、著作権違反覚悟でマスコミに先駆けて映像を発表したが、それはマスコミの取材姿勢に疑問を感じたからである。今回、齋藤さんの映像を紹介しなかったのは、単純にその必要がなかったからで他意はない。

齋藤さんの映像

2005-05-29 00:28:13 | Weblog
 先程、アンサール・アル・スンナ軍のウエブ・サイトを見る事ができた。見ようとしていたのは、今日一日マスコミで騒がれていた齋藤明彦さんが映っているのではとされている映像である。
 映像にある男性は、顔や体つき、そして髪型からしてまず間違いなく齋藤さんだろう。画像が鮮明でないために「生体反応」の確認は画面からだけではできないが、残念ながら男性は頭部に受けた傷が原因で息絶えているように見える。映像を見る限りでは、頭部以外には銃痕は確認できない。
 上半身に防弾チョッキを着用していないこと、それにヘルメットを被って行動していなかったのかといった疑問があるが、確認のしようはない。

松葉杖物語 チョ~~~順調な経過、と思いきや

2005-05-28 17:30:10 | Weblog
 くるぶしを骨折してから3週間の昨日、病院に診察を受けに行った。
 経過はすこぶる順調。ギブスを取って患部を見ることになった。ギブスは電気カッターで半切され、久方振りのわが「弁慶の泣き所」との面会は劇的なものになるはずであった。しかし、そのカッターの音を聞いた途端、音に敏感に反応する私は看護婦に「大丈夫?」と訊ねた。看護婦は私の不安を気にする風もなく、カッターをギブスに当てた。しかし、明らかに異常音がする。
 しばらくしておかしいと気付いた看護婦は、何かごそごそやり始めた。あまり電気カッターの恐ろしさが分かっていないのだろう。その扱い方を見て冷や冷やする。なにせ、回転盤がきちんとハマっていないのに電源を入れている感じだ。下手をしたら遠心力でカッター盤はあらぬ方向に飛んでしまう可能性がある。
 幸いなことに、彼女は医者に助けを求めた。医者は電気カッターの怖さを承知しているのだろう。落ち着いた対応で、慎重に扱って回転盤をはめ込んでくれたようだ。そのままその医者がギブスの半切をやってくれるかと期待したが、彼は忙しいらしく診察室に消えてしまった。
 気を取り直して、看護婦はカッターをギブスに当てた。見ていると緊張するだろうからと見て見ぬふりをする。しかし、その手つきはあまり熟練しているとは言えず、結構怖い思いをさせられた。ギブスを切り取った後、カッターで肌を切ってしまうことはないかと聞いてみた。
 すると、意外にも「ありますよ」との正直な返事。
 医者はX線写真を見て足を触診した。そして出した診断は、半ギブスで大丈夫。風呂に入ってもいいし、風呂で足先を動かすこともいいと言ってくれた。帰りの車の中で開放感を実感しながら足を延ばす。
 夜は風呂に入って「垢すり」をした。すると、こすれどこすれど、出てくるわ出てくるわ。人間の身体からはこんなに垢が出てくるものかと驚いた。
 とここまで書いて、今日はパートナーは出かけているし、天気もいい。明日のメディア塾の資料調べに図書館に自転車で行ってみようと、外に出た。図書館に自転車でと思ったのは、家と図書館の間には坂道がなくて、「片足こぎ」でいけると踏んだからだ。松葉杖は短かく出来るのでギターケースに入れて行けばいい。
 片足こぎで自転車に乗ることを想像して家の前の階段をコツコツ(コレ、松葉杖の音)。
 しかし、コツコツは10数回で終わり、次に「ワォ!」との野太い声と共に、ドスンという鈍い音が辺りに響いた。そう、私は3週間前の再現ヴィデオのように階段から松葉杖ゴト転落したのだ。折角直りかけた右足首を痛めてはとかばったので今度は左足と左手を痛めてしまった。左足は膝に擦過傷を負った程度だが、左手のたなごころが痛くてしびれている。松葉杖をついてみるが、痛くてつけない状態だ。今キーボードを打つのも辛い。明日のメディア塾の講義は渋谷の先の池尻大橋だ。結構大変かもしれない。
 う~っ、この場は負け惜しみでごまかすしかない。
 おいらの人生、結構次々に試練が来て、楽しいぞ。

酷いぞ、JR東日本

2005-05-28 01:16:58 | Weblog
 乗客の安全管理を軽視して運行しているのは、JR西日本だけではなかった。私は偶然、その実態を目の当たりにすることとなった。
 27日夕方のこと。私はJR武蔵野線東川口駅から乗車して、南浦和駅で下車した。乗車したのが16時58分という学生達が乗り込む時間であったこともあり、車内はかなりの込み具合であった。私の前に幼児を抱いた母親がいたが、席を代わろうとする者がいなかった。そんな状態だから松葉杖の私を見ても席を立とうとする者はいなかった。普段「社会的弱者」に席を譲るよう声掛けする私も込み合った車内で争いごとになるのも懸命でないと、大きな顔をして席に座る若者に声をかけることをしなかった。
 問題の場面は、電車が南浦和駅に着いてから起きた。
 乗り込んだ電車のドアが階段の前に止まることもあり、乗降客の数が他のドアよりもかなり多かった。私は開いたドアの反対側に押し込まれたままであったので、降りるのが最後の方になった。降車する客の数の多さから来ることだろうが、私が降車し終わるのを待たずに乗り込んでくる客が数人いた。バランスを失いかけた私を気遣う余裕はないらしく、その後も客は先を競って乗り込んできた。
 何とかそれでも降車した私は、列の最後尾に幼児を抱いた母親がいるのを目にした。母子を気遣って先に乗せようとする者はいない。危険を感じた私は、そのドアの前から少し離れた場所で、状況を見守った。その時である。母親の身体が半分入ったかどうかという状況で、電車のドアが閉められたのだ。信じられない光景であった。
 両肩をドアで挟まれたものの彼女は何とか車内に身体を滑り込ます事ができて事なきを得た。そして電車は何事もなかったかのようにそのまま発車した。
 私は、最後部車両が近付いてくると、車掌に向かって、松葉杖を振り上げ「どこを見てるんだ」と怒鳴った。すると、なんと、彼は私に目を合わすことなく無視をして前方を見ていた。
 この駅で車掌が交代することを知っている私は、乗務を終えたばかりの車掌の責任もあるからと、声を上げながら松葉杖を最速ギアに切り換え(そんなものないですね)、車掌に向かって突進(?)した。
 降車した車掌は2人いた。2人のうち1人は駅員かと見ていたのだが、この駅まで2人とも乗務していたという。ということは、3人の車掌がいながらあのような危険な状況を作り出していたということになる。
 何という「安全管理」なのか。乗客がいながらドアを閉めてしまうことが大都会の交通機関で“常識化”しているとはいえ、今回の場合、ドアに挟まれたのは「社会的弱者」だ。JRは、優先席に幼子を抱えた親のイラストを掲げているくらいだから、特別の配慮が必要なはずではないか。
 実は2年か3年前、私自身が東川口駅で乗車時にドアに挟まれた事がある。体験者にしか分からないことだが、このドアが閉まる圧力は想像以上に強くて身体に来る衝撃は、大人で比較的体格のいい私でも痛みを感じる強さだ。その時、前に年老いた女性がいてその方が当然のことだがゆっくりと電車に乗り込んだため、恐らくそれにいら立った車掌がドアを閉めたのだろう。そう判断した私は、南浦和駅で乗務を終えて車掌室に向かう車掌をつかまえ、車掌室に乗り込み、車掌の上司である助役にJR東日本が「安全運行」を最優先するとの確約をさせた。
 「ドア挟まれ事故」は、これまで多く起きており、死者まで出ているのにその実態が意外に知られていない。10年前の新幹線三島駅で手をはさまれたまま引きずられて乗客が死亡したことは、死亡事故であるだけに記憶に留められている方も少なくないだろうが、その翌年にはJR西日本の宇治駅で10歳の少年がドアに挟まれて引きずられ、線路に転落している。また2002年には、JR京葉線の東京駅で父親ともう一人の子どもに続いて車内に乗り込もうとした母親がベビーカーを押したところドアが閉まり、ベビーカーの片方の前輪を挟んだまま発車し、男児(2歳)を乗せたまま約20メートル引きずった。不幸中の幸いだが男児は額に受けた軽いけがですんだ。最近では昨年12月、JR総武線新小岩駅で、39歳の男性がジャンパーをドアに挟まれたままホーム上を約80メートル引きずられ、3ヶ月の重傷を負っている。
 他にも、「ドア挟まれ事故」はある。しかし、その教訓は活かされず、都会では日常的に乗客をドアに挟み続けている。
 私に吊るし上げを食った2人の車掌の内1人Yは年恰好からいってもヴェテランであり、若い車掌のミスを補完したり、指導する立場にあるはずだ。ところが彼は、何を怒っているんだとばかりに薄笑いを浮かべながら、最初は自分が乗務を終えていると言い張った。私に「駅構内にいる限り勤務中で責任があるはずだ」とつかれると、Yは「後部を見ていたから目に入らなかった」と責任逃れをした。そのふざけた責任逃れの態度もあって大声で激怒する私に、乗客たちは何ごとかと見守り、駅員もすわトラブル発生!とぞろぞろと集まってきた。
 ただ、次に到着する電車のこともあるので私はその場を離れ、駅長室に抗議の場を移した。ところが駅長は不在で助役Tと話す事になった。T助役はひたすら謝罪(謝罪する相手が違うのだが)して、徹底的な調査をすると約束した。私は今回の出来事を踏まえた、今後の安全対策を含む報告書の提出を求めた。そして、「あなたが私のパイプ役ですよ」と念を押した。
 しかしながらしばらくして私の携帯にかけてきたTは、他の助役への引継ぎを言ってきた。引継ぎをして怖いのは、「情報の聞き漏れ・取り違え」だ。私は仕方なく大元のJR東日本広報部をターゲットに変えた。
 電話に出た広報部員Yはしっかりした対応で、前向きな姿勢が感じられた。たYの説明によると、今後の対応は他の部署が担当なのでと言われ、それに対しては仕方なく素直に従った。
 数時間後、私に連絡をしてきた担当者は、まず、当該電車に乗務していた車掌の聞き取り調査の結果を報告した。
 「乗客が全て乗り込むのをモニターを見て前方2両をチェックして、その他の車両を自分の目で見て確認をした後、笛を吹き、ベルを鳴らし…」
 その説明は、まるで車掌に渡されたマニュアルを読むかのようであった。早い話が、電車に全ての客が乗るのを待ち、決められた安全確認事項は欠かさず行ない十分余裕を持って発車したと言いたいようである。その説明では、車掌が乗客の乗り込み確認をしてからドアを閉めるまで最低10秒は待ったことになる。冗談ではない。それでは私が大げさに騒ぎ立てていることになる。担当者はあまり考えずに言っているのだろうが、10秒というのは、分かりにくい方はオリンピックの陸上競技の花である100メートル競走を思い起こしていただければ分かりやすいだろうが、人間の一つの動きの中ではそんなに短いものではない。全乗客が乗り込んでからそんなに時間が経過していたら母親がドアに挟まるわけがないではないか。
 さらに、担当者は、現在JR東日本が安全運行に関する「5カ年計画」を実施中で、社員計画にも力を入れていると、“丁寧に”説明した。空疎な、危機意識がまるで感じられぬ説明であった。こういったやる気のない対応を聞き流すことも出来るだろう。だが、私の中に沸々と「やる気」が湧いてきた。大人の1人として、これを許すまいという気持ちが固まったのだ。「危機管理」を専門の一つとする以上、これを聞き流してしまうことはできない。何もしないで将来、「ドア挟まれ事故」で犠牲者が出たら、特に子供や社会的弱者といわれる人たちが犠牲になったら悔やんでも悔やみきれないだろう。これまでの経験と知識をフル稼働してJRに改善を迫っていくつもりである。読者の皆さんの中で、様々な経験やお考えをお持ちの方がいるはずである。このブログのコメント欄でなくて私のメールアドレス宛でも結構です。どうぞご意見や経験談をお寄せ下さい。
 

数十人に上る旧日本兵

2005-05-28 01:04:19 | Weblog
 コメント欄にも書いたが、旧日本兵の情報は、私のパートナーの耳に入っていた。先日お伝えしたが、彼女はフィリピンに派遣されていた旧日本兵の聞き取り調査をしている。その取材先で、寺嶋さんという方にお会いしたとのことだ。
 寺嶋さんは、「慰霊事業協力団体連合会」という厚生労働省社会援護局所管の日本兵の遺骨収集などを行なう団体の会長をされている方で、86歳になった今も年齢を感じさせぬエネルギッシュな活動をされている。この団体は、遺骨収集をするだけでなく、現地住民への謝罪や被害者への慰霊、そして、遺骨収集作業の協力に対して、公民館の建設、植林、オルガンの寄贈などを行なってきている。
 家人が寺嶋さんから聞いた話では、現地に生存すると思われる旧日本兵は「数十人」。その多くが、イスラム教徒反政府組織である「モロ民族解放戦線(MLF)」の支配下地域に置かれているようで、MLFとの関わりも微妙なものがあるようである。
 それにしても生存されている旧日本兵の心中いかばかりなものか、我々の察して余りあるものがあるはずだ。今話題になっている靖国神社に祀られているA級戦犯たちの言葉を忠実に守り、「死んでも捕虜になるものか」と、頑張ってこられた。われわれの想像をはるかに超える、艱難辛苦を乗り越えてこられたであろう。それを考えると、皆さんは、余生を思うがままに暮らす権利を有すると考える。日本政府は、直ちに全力を上げて全員と連絡を取り、居住場所の移転を希望される方には、願いをかなえて差し上げるべきである。

私の視点 靖国問題の光と影 A級戦犯の合祀は秘密裡に行なわれた(最新版)

2005-05-26 02:11:52 | Weblog
私の視点 A級戦犯の合祀は秘密裡に行なわれた

☆何故に繰り返される公式参拝発言

 中国の呉儀副首相が23日、訪日日程を早く切り上げ、離日してしまった。その理由を中国側が「緊急の公務のため」と発表していたが、小泉首相以下日本の有力者が相次いで「非礼だ」と不快感を明らかにしたことで中国側も23日夜、「責任は日本政府側にある」と新華社通信を通じて反論、次いで24日に記者会見を行ない、報道官(報道局長に当たる)が強い口調で日本側の対応を非難した。そして、25日になると、中国政府は再び、「公務はあった」と多少歩み寄るかの姿勢を見せたものの、中国のマスコミがこぞって対日批判を展開した。中国という国が、マスコミを支配下に置いていることを考えれば、これは中国政府が日本に対して新たな局面を仕掛けてきたと見るべきであろう。
 両国間の一連の動きを見ていると、これは国交を結んでいる国家間が行なう外交では異例のやり取りだ。この事態は、明らかに今後の日中関係に深刻な影響を与えかねない。今のところは、中国政府も一枚岩というわけではないので最悪の事態にはならないと思うが、様々な要因が否定的に連鎖反応を起こせば、日中の対立、紛争にまで発展してしまう恐れさえある。
 それにしても日本政府の外交ベタにはほとほとあきれる。昨年11月、日中首脳会談で「(靖国参拝は)適切な判断をする」と思わせぶりな発言をして中国側に「小泉首相は理解してくれた。公式参拝、特に8月15日の参拝は避けるだろう」と思わせておきながら、その舌の根も乾かぬうちにまたぞろ中国側の怒りを買う発言をしてしまった。それを契機に高まった反日感情は今年4月、中国の国内事情も絡めながら「反日暴動」という深刻な事態にまで発展した。それに慌てた小泉氏は、ジャカルタで日中首脳会談をやる前に、大戦の反省と謝罪表明をして両国間の関係改善に取り組む姿勢を見せた。にもかかわらず、国会で岡田民主党代表から靖国公式参拝のことを聞かれると、公式参拝して何が悪いと言わんばかりの答弁をしてしまった。そしてあろうことか、自民党の幹事長を中国に送り込み、強硬発言をさせた。
 外交の舞台でこれほど態度を二転三転、発言を猫の目のように変えたら信用問題だ。謝罪や反省をしておきながらその後開き直るのは、中国に喧嘩を売っていると取られても仕方がない。これまで中国国内の対日強硬派を何とか押さえて来た胡錦濤総書記(国家主席)も「これが限界」と、小泉首相との会談を翌日に控えた副首相を帰国させたに違いない。こうなれば、日本が目指している「国連常任理事国入り」どころか、領土問題や天然ガス資源開発を巡る問題でも中国政府が長期にわたって強硬な反日策を打ってくる可能性が高い。

☆内政干渉?

 中国を刺激する発言の中でも自民党の武部幹事長の「内政干渉」発言は深刻なものだ。武部氏は21日、訪問先の中国で共産党の王家瑞対外連絡部長と会談し、中国側の「靖国公式参拝への抗議」を「内政干渉との声がある」と批判した。当初、「声がある」と言ったとは伝えられていなかったが、問題が大きくなって慌てたのか、そのように“訂正”された。しかし、私は、失言癖のある武部氏のことだ、第1報にあった「内政干渉だと語気鋭く迫った」との表現が正確ではないかと勘ぐる。
 武部氏は、内政干渉という言葉が外交においてどれほど重い意味を持つか、恐らく知らずに使ったのではないだろうか。16日の小泉首相の国会答弁「靖国参拝は他の国が干渉すべきでない」を引用したつもりであったと伝えられていることからしてその推測は的を射ていると思う。
 しかし、2つの表現は似て非なるもの。内政干渉は、「他国がある国の内政に干渉して『主権侵害』をする」ことなのだ。中国側にしてみれば、「靖国問題」のどこが内政というところだろう。いや、中国でなくてもそう考えるのが国際社会においては常識だ。
 武部氏はこれまでの政治活動の中で何度も失言している人物だ。私の率直な見方で言えば、「ボキャヒン(語彙のボキャブラリーと貧弱をかけた新造語)」の典型である。
 相手国との交渉を自国に有利に導くために、外交の舞台においては一つの事象を5つ6つの表現方法を使えるくらいの話術が要求される。諸外国の外務大臣を見れば、お分かりいただけると思うが、実に巧みな話術を身につけた人物が多い。一方、「永田町(日本の政界)」では党内事情最優先の「都合人事」で外務大臣になる場合がほとんどだ。だから、日本の歴代の外相は、外務大臣であっても英語がまともに話せない人が多い。日本の政界にはそういった外交に関する専門性を重視する空気はない。というよりも、自民党の政治家であれば、誰でも外相の役割を担えるとの勘違いがある。だから勢い、自民党の政治家が外交の舞台にしゃしゃり出てくることになるのだ。日本の最大与党自民党の幹事長である武部氏もご多分に漏れず「勘違い組」の1人だ。
 そんな武部氏にはまず、内政干渉の意味も知らないのだから、外交の舞台に出る前にもう一度義務教育を受けなおしてきたらいかがかと言いたくなる。それが嫌で内政干渉という意味を知りたいのであれば、ご自身の昨年10月の米大統領選の際に発して物議をかもし出した「次期大統領はブッシュでないと困る」発言をもう一度思い出されるがいい。この失言こそが、まさに内政干渉なのだ。
 
☆靖国問題の底流にあるもの

 それにしてもこの靖国問題。日本の政治家達は、何故にこれほどまでに頑なに参拝を強行するのだろうか。これはただ単に、靖国問題に留まらず、「君が代日の丸」、「歴史教科書」、「憲法改定」など一連の「神国ニッポン」の復活を願っての動きに連動するものと捉えるべきであろう。毎年のように政治家達がアジア諸国からの反発を承知しながら繰り返す「問題発言」にはそのような背景があると見るべきだ。そしてそれらの復古待望論は着実に国民の間に浸透し始めている。
 私の周りで最近、「亡くなった人を慰霊して何が悪いの?」という声を聞くようになった。また、「国旗や国歌は必要でしょ?」「中国や韓国だって自国の視点に基づいた歴史教科書を作っているのでは?」「憲法はアメリカに押し付けられたものじゃない?」という声も年々高まっている。祖父母の世代が行なったアジアへの侵略戦争が間違いなく「遠い過去」になり「不幸な出来事」程度に思われ始めていることの表れなのではないかと私は憂慮する。
 アジア諸国と日本の関係を子供のケンカに例える人が多い。「足を踏まれた痛さ」に訴える人もいる。それらの発言をするTVの解説者などは、被害に遭ったアジア諸国を擁護したつもりになっているかもしれない。確かに、それは「不幸な関係」を一部形容している。だが私はこの辺りにも問題点があるような気がする。
 「子供のケンカ」を引用する見方を具体的に表現すると、ケンカを一方的に仕掛けた子供が、大人に諌められて相手に謝った後、しばらく経つと、「そんなにひどいことをしてないもん」と言い、横柄に振舞う。すると、いじめられた子は、すごく痛かった、それにまたいじめようとしている、と大人に訴える…といった感じになるだろう。
 だが、そんなたとえで済むほどの「過去」であったのか。今一度、アジア諸国に日本が行なったことを思い返していただきたい。
 太平洋戦争では、約2000万人の命が失われた。最近の傾向として、日本人の戦死者に注目が集まるが、これはあくまでも戦争を仕掛けた側の死者であることを忘れるべきではない。最大の犠牲者は旧日本軍に侵略された国や地域の人たちだ。確かに約300万人もの日本人が死亡したが、その5倍以上の約1700万人の犠牲が侵略された側に出ている。その数字を聞いただけで、太平洋戦争がどれほど残虐な戦争であったかが容易に想像がつくはずだ。それだけの人の命を奪った戦争だ。責任者が裁かれて当然と考えるはずだが、いや実際に敗戦直後には日本では誰もがそう考えていたが、時の流れとともに体験者や証言者がこの世を去っていくと、異論を唱える者が出てきた。「あれはなかった、これもでっち上げだ」という始末である。

☆A級戦犯とは-東条とヒトラーの違い

 靖国問題で盛んに使われる「A級戦犯」についても、この言葉自体、その持つ重みが薄れている感がある。太平洋戦争の責任者を裁く「東京裁判」で訴追されたA級戦犯は28名、その内、精神異常や病死者が3名出たので実際に裁かれたのは25名だ。A級と言う位だからB、C級も存在する。それは責任と犯した罪の重さで決められた。B、C級戦犯の合祀については中国は問題にしていない。
 死刑宣告を受けたのは東条英機以下7名、他は終身禁固刑又は懲役刑に処せられた。
 処刑された7名の遺骨は、米軍が東京湾に捨てたとのこと(これについては、如何なものかと考える)だが、一部保守層の人が主張するように「アジア人差別」には当たらない。と言うのは、ナチス・ドイツを裁いた「ニュールンベルグ裁判」で処刑されたA級戦犯の遺骨も河に捨てられている。つまり、誰が太平洋戦争を正当化しようと、世界的にあの戦争は、ヒトラーが引き起こしたナチス・ドイツの欧州侵略戦争と同列に置かれるほど、「史上もっとも悲惨で醜い戦争」であったのだ。つまり、戦争当事者である国々だけでなく、世界のほとんどの国から、東条英機はヒトラーやムッソリーニと並ぶ戦争犯罪人として見られていたのだ。今朝のTV番組でコメンテイターがしたり顔に、「東条英機は、他の2人とは明らかに違う」と発言していたが、こんなレヴェルの低い人間が影響力を考えずにいい加減なことを言うから国民は迷うのだ。東条英機はただの当時の首相ではない。彼は陸軍大将を経て陸軍大臣になり、その勢いを買って首相になり、日本を戦争に導いた男だ。
 東条の擁護をする人間には、私はもう少し歴史を知れと言いたい。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けるな(捕虜になって辱めを受けるくらいなら自決しろ)」との戦陣訓で兵隊達を死に追いやっておきながら、いざ自分のことになるとまるで往生際が悪く、敗戦後、すぐに自決するかと思いきや、米従軍記者の会見に応じ、「私はただの百姓」「私は戦争犯罪人ではない。戦争責任者だ」と“命乞い”をした人間だ。敗戦当時の陸軍大臣や特攻隊の創設者であった海軍中将が責任を取って敗戦直後に潔く自決したのとは大違いだ。確かに、ピストルで自殺を図ったが、それもアメリカ兵の前で、何故か急所を外している。生き延びるための臭い芝居と、当時の国民は冷ややかに見ていた。
 戦後生まれでありながら陸軍将校の父親の影響もあって「軍国少年」であった私に、周りの大人たちが面白がって戦争の話をよくしたが、それらの大人達は口を揃えて東条を「男の屑だ」とののしったものだ。
 その東条英機と13人のA級戦犯を、宗教法人靖国神社は1978年、「昭和殉難者」として秘密裡に合祀した。翌年、新聞報道で明らかになると大騒ぎになった。靖国神社も“正しい”ことと信じるのなら、なぜこそこそと合祀をしたのか。正々堂々と宣言をして実行に移さなかったのか。それは、間違いなく靖国が世論からの批判を恐れていたからだろうが、どこか不純な意図を感じてしまう。
 首相の公式参拝は、戦後間もなくから行なわれてきたことだったが、A級戦犯合祀が明らかになって当時の首相、三木武夫は翌80年、「私人」として参拝するに留めた。そして官房長官の宮澤喜一が公式参拝について「違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」との政府統一見解を発表している。
 そう、この時点で、時の日本政府は、A級戦犯が合祀された靖国神社への首相による公式参拝を非公式ながら「問題あり」としているのだ。しかしその後、公式参拝の“復権”が中曽根康弘によって実現されると、ずるずると現在に至っている。中曽根は85年、公式参拝した際に、A級戦犯合祀との関連を記者団から指摘されると、「知らなかった」ととぼけた。

☆靖国を利用する政治家達

 こうして見ると、このような誠実さに欠ける日本政府の対応に、甚大な被害をこうむったアジア諸国が不快感や恐怖感を持つのは当然と思えてくるはずだ。これまでに私は何度も言っているが、日本政府はこの際、過去の過ちについては全面的に認め、歴史教科書などについても被害国とともに共同研究委員会を立ち上げて相互理解を深められるような教科書作りを模索し、地域の発展につながる道を歩むべきだ。いや、日本が誇りある、東アジアにおいて安定した地位を確保するにはそれしか方法がないのではないか。
 最後に、日本の政治家達に言いたいのだが、自らの選挙を視野に入れたパフォーマンスや発言でこれ以上近隣諸国を傷付けることは慎むべきだ。武部、町村といった今回の「存在感のある脇役」がカメラの前で、時折りカメラ目線になりながら語りかける姿を見ていると、日本の将来を考えての発言とはとても思えない。同様の事は、都庁の椅子に座るあの御仁にも言える。マスコミ各社の記者諸君、噂が本当かどうか知らないが、国政に再度打って出ようと言われている石原慎太郎氏に今回のことでマイクを向けることだけはしないように切望する。彼が今回の靖国を舞台にした「三文オペラ」に参加してくれば、事態はますます泥沼化することは目に見えているのだから。












ローラ夫人、イスラーム教聖地訪問 少年に銃口

2005-05-23 10:26:32 | Weblog
 アメリカのローラ・ブッシュ大統領夫人が中東諸国を歴訪している。アメリカの中東におけるイメージアップを図るための旅だと言われているが、逆効果になっている感がある。
 22日にはエルサレムを訪れ、イスラーム教とユダヤ教両方の聖地に足を踏み入れた。イスラエルとアメリカの厚い警備陣に守られたローラ夫人は、まずユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」を訪れ、中東和平への願いを込めた紙切れを壁の隙間に押し込んだ。ユダヤ人が行なう習慣に則ったものだ。嘆きの壁広場には10数名のユダヤ人たちが、手にプラカードを掲げたり、叫び声を上げて夫人に抗議した。これは、イスラエル政府のためにスパイ活動を働いたとして逮捕されたユダヤ系アメリカ人の早期釈放を求めるものだ。
 その後、夫人は「壁」と背中合わせのイスラーム教第3の聖地「ハラム・アッシャリーフ」に歩を進めた。モスクの中にまで入っていく夫人の姿に、イスラーム教徒たちは戸惑いを隠さず、中には「来るな」「出て行け」と声を上げる人たちもいた。
 夫人の行動範囲は入域規制されていたので暴動こそおきなかったが、夫人への抗議の声は止まなかった。その時、一人の少年が夫人に近付きいた。少年の意図は私にも分からないが、イスラエルの警備兵は少年に銃口を向け制止した。凍りつくような空気が辺りを支配するような出来事だったが、夫人は何事もなかったように無言のままその場を立ち去った。
 米軍基地でのイスラーム教冒涜報道に対して、イスラーム世界が荒れ狂っている中での夫人の「聖地訪問」は、火に油を注ぐものだ。嘆きの壁における抗議行動は、米国の「中立性」をアピールするための演出と一部のアラブ系マスコミは伝えている。

松葉杖日記byパートナー

2005-05-22 23:49:44 | Weblog
 メディア塾開講の日。早目に会場の「BeGoodCafe」に向かう。
 5月5日に足を折って初めての東京だ。長距離を歩くことへの多少の不安もあったが、それよりも新しい人との出会いへの期待が大きい。だが、今日一日埼玉と東京(渋谷から一駅の池尻大橋)とを往復して感じたことはひと言、「街行く人」の余裕のなさだ。それは時間的にも精神的にも言えることで、多くの人たちの目に私の“痛々しい”姿が目に入らないかのようである。いや、実際には目に入っているのかもしれないが、「見えていない」のだ。でなければ、松葉杖姿の私を目の前にしても電車の席に大またを広げて座り続けたり、歩いている私の目の前を横切ったりはしないだろう。
 今日、会場と自宅を一緒に往復したパートナーが、「街行く人たち」のあまりの傍若無人さに怒り、自分のブログでエッセイを書いていたので、この場で紹介させていただく。

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 ゴールデンウィーク中、私のパートナーは不覚にも骨折してしまった。手術には至らなかったが、今もギブスに松葉杖が痛々しい。1ヵ月半は不自由な日々が続くと思うととってもかわいそうだ。

そんな彼と、今日は電車を乗り継いで埼玉から東京に出た。
そこで「えっ?!」と思う場面に、あまりにも多く遭遇したので、ぜひ皆さんにも紹介したいと思う。
そんなに急いでどこ行くの?ってこと。

健常者であれば家から10分もかからぬ駅までの道のりも、腕の力に頼って歩く松葉杖では体力の消耗が著しい。しかも家の周辺は坂が多い。毎日の通勤で彼の手の平は赤く腫れ上がってしまった。そこで今日は、乗換えを少しでも少なくしようとタクシーに乗り、武蔵浦和駅までいく。普段は意識しないが、駅にエレベーターやエスカレーターがない場合、障害をもつ人にとっては本当につらい。階段を一段一段ゆっくり上ることしかできないのだ。幸いにして最寄駅は設備は整っており、駅のホームまで何とか辿り着くことができた。

日曜日の午後、電車は都内へ遊びに行く人がたくさん乗っていた。優先席の整備されていない車両で、空いている席も見当たらなかった。ちらちらとこちらの様子を伺う人はいるが、声をかけるまでには至らない。仕方なくドアにもたれる形で場所を確保した。その脇の席には、10代と見られる男の子が二人。ちらっと見たきり気にする風でもなく、おしゃべりに徹している。「あぁ、席を譲ってくれたらいいのにな」という私の気持ちを知ってか知らずか、人の多い車内で、かつ松葉杖の彼のいる側で、穴の開いたジーンズをはいた足を投げ出す始末。

「大人も見て見ぬふりして、誰か注意してくれたらいいのに」と思った矢先、電車の揺れで彼がふらついて松葉杖でおっとっと。足を投げ出していた若い子の足を直撃(ここだけの話、「すみません」と口では言いながら、<仕返しだ>、とこっそり彼は舌をペロリ)。結局渋谷までの40分程の道のりのほとんどを、立ったまま過ごすこととなった。

そして到着した渋谷駅。埼京線のホームは他の線から遠いところに位置しているので、エスカレーターやエレベーターを乗り継ぎ、ようやく地下鉄のホームへ。電車が到着して乗り込もうとしたその時、われ先に降りようと皆一斉に飛び出てきた。松葉杖の彼の姿も目に止まったはずである。その時、勢いよく出てきた女性に押され、彼がぐらついた。「すみません」と言ったものの、彼女は何事もなかったかのように、そのまま急ぎ足で立ち去っていった。

他にも松葉杖で歩いていても全くよけようとしない人、車椅子マークのついたエスカレーターに乗り込もうとする若い人、「えええっ?!」と思う場面が多々あった。
彼は1ヶ月半後にはギブスをとることができ、普通の生活に戻れると分かっているので何とか乗り切れると思うが、これがもし一生続くとしたらどんな気持ちだろうか…とふと考え込んでしまった。これでは心を閉ざして頑なになっていってしまうのも、無理がないと感じずにはいられなかった。

イギリスにいくと、誰ともなく目配りがされていて、困っている人がいると声をかける人がいる光景をよく見かけた。自戒の念を込めていうが、もう少し周りをよく見て、冷静になって、生活したいものである。そんなに急いでどこへ行くのだろう。何かに追い立てられる生活は、人々の心を狭くし、他人への思いやりをなくす要因でもあると思わずにはいられない。


メディア塾開講 今年は欽ちゃん型(ん?)

2005-05-22 00:19:51 | Weblog
 今日から2005年度「ピースメディア塾」の開講だ。昨年4月に第一回目を告知したところ、瞬く間に定員に達した。今回は、「ヴィデオ・ジャーナリズム入門」と題する実践講座を加え、ヴァージョン・アップ、「行列の出来るメディア塾」になるのではないかと“嬉しい悲鳴”を上げる心構えをしていた。
 ところが、ふたを開けてみるとあにはからんや応募者が全然ないのだ。驚いた事務局が様々なMLや告知板に広報してくれたが、「笛吹けど踊らず」の状態は最後まで続き、最終的に集まったのは12人。しかも、その内2人は最後になってドタキャンという“追い討ち”をかけてきた。しかしそこはそれ、なんでも前向きに考える性格だ。有名NPOが主催する「ピースメディア塾」というイメージから離れ、より親密に家庭的な雰囲気をも感じさせる「寺子屋」のようなものにしたいと考えた。あえて名前を付けるとすれば、「欽ちゃんファミリー」にかけて「少数精鋭・クンちゃんファミリー塾」といったところか。
 数は少なくとも“アツイ”メッセージを寄せてくれた塾生がほとんどだ。今からどんな出会いがあるかとワクワク・どきどき。まるで小学生の時の運動会か遠足の前夜のように胸を高鳴らせている。

日勤教育は他社にも存在 尼崎事故の元凶はヤードスティック法?

2005-05-20 12:00:16 | Weblog
私の視点-日勤教育は他社にも存在 事故の元凶はヤード・スティック法?

 JR西日本の脱線事故も、その後起きた幾つかの事件に押されていつの間にかマ
スコミに登場する機会を失いつつある。このまま恐らく、余程の事がない限り問
題の核心に触れぬまま幕引きになっていくのだろう。そして、後世に伝えられる
のは、「最初、運転士を袋叩きにしたが、その後JR西日本の体制に問題がある事
が分かり、会社に批判が集中した」といったおぼろげな記憶だけだろう。

 そこで私なりの調査をしてみることにした。現在、松葉杖生活であるから「足
を使った」取材はしていないが、電話とインターネットを駆使した。

 関係者に聞いてみると、いろいろマスコミで伝えられてこなかった「裏事情」
があることが分かった。これまで日本全体がしてきたように、ただ単純にJR西日
本を火祭りにあげて済むことではないことが見えてきた。

 まず、「悪の権化」のように言われる日勤教育だが、これはJR西日本だけでな
く、他のJRや大手私鉄でも日常的に行なわれている事が判明した。私は、失敗を
してしまった従業員を再教育するのは決して悪いことだとは思っていない。だが、
日勤教育は、どの会社のものも、「再教育」というよりも陰湿な「みせしめ」や
「いじめ」だ。再教育と言うのだから、オーバーランをしないように実地訓練を
繰り返したり、仲間の運転を見てそこから自分が劣っていた技術や心構えに気付
き、他人の良い点を学び取るような内容の訓練をしているものだと思っていた。
しかし、JR以外の鉄道会社で行なわれている日勤教育は、JRと50歩100歩、ほとん
ど同じ内容なのだ。安全基準に関する法律を延々と書き写させたり、反省文を書
かせたりしているという。この法律の書き写しを考え出したのは、子供の頃に親
から写経(筆者注:私の読者には若者が多いので説明させてもらいます。写経とは
お経を写し書きすることです)を「お仕置き」としてやらされていた古い世代であ
ろう。また、草むしりも同様の「お仕置き教育法」のような気がする。自分達が
嫌だった“教育法”を、社員教育に押し付けたのではないのか。

 大手私鉄会社の運転士によると、運転技術の再訓練をしようにも、現実的には
現役の運転士に勝るものはなく、教えるものがいないという。そこで私は提案を
したいのだが、今の日勤教育のような時代がかったものは廃止して、専門教官を
育て、再訓練に当たらせたらどうだろうか。また、鉄道会社間の交流を深める意
味からも、他社の電車の運転室で見学させるやり方も考えられる。

 競争するライバル社の運転士を、自社の電車に乗せるようなことは各社全てが
難色を示すだろう。だが、そこはそれ、鉄道は「認可事業」だ。鉄道会社にとっ
ては鬼より怖い国土交通省(以下、国交省)の「指導」とあらば、異論を唱える会
社は皆無になる。

 さて、その国交省だが、安全管理を指導するだけではなく、私鉄各社の運賃の
値上げを認可することから鉄道会社には絶対的な影響力を有している。今回の尼
崎の事故で、国交省は折にふれマスコミに登場してきたが、それは「お目付け役」
としての意見を求められた時だ。国交省が今回の事件にどのような責任を負うべ
きかとの検証はなされていない。インターネット上では、一部の人が、「マスコ
ミはなぜ国交省の責任を追及しないのか」と指摘している。一般市民の方が、報
道を生業にする記者よりも鋭い視点を持っているのだ。これなんぞは、記者たち
がいかに目の前のことばかりにとらわれて大局を見失う「木を見て森を見ず」状
態に陥っているかの好例である。

 読者の電車運転士からいただいた連絡で、ヤードスティック法がこの分野にも
適用されていることを知った。このヤードスティック法が電力会社の電気料金の
価格算定方法として取り入れられたのは知っていたが、運賃値上げの認可にも使
われているとは知らなかった。その目的は、業者間で効率化を促進させることに
あるとされているが、要するに、「運賃改定後3年間、収支実績を見ます。改定料
金が、能率的な経営の下における適正な運賃であるか見定めるわけです」(国交
省鉄道局職員)ということだそうだ。つまり、「基準コスト」を「実績コスト」
が大きく上回った場合、鉄道局は基準コストを適正コストにする(効率性を促す)
よう指導するらしい。これが、鉄道各社には大きな脅威に感じられ、経営陣は効
率化の徹底に躍起になってきたのだ。そして、効率化最優先の運営が、今回のJR
西日本で見られたように運転士の「焦り」を誘い、危機管理をおろそかにする結
果を招いたと私は見る。

 私の、そういった指摘に、電話取材に応じた鉄道局職員は「(国交省は)JRの場
合、全6社でトータルに見ており、決してご指摘のような競合他社の比較をしてい
るわけではない」と答えたが、大手私鉄会社の幹部にその話をぶつけてみたとこ
ろ、「JRさんだけでなく、われわれ大手私鉄にとっても鉄道局や運輸審議会は脅
威そのものですよ」と間接的に私の指摘を認めた。

 今回取材をしてみて強く感じたのは、各鉄道会社が、「尼崎事故」と背中合わ
せの状態で毎日の電車運行を行なっているということだ。首都圏で言えば、小田
急と西武が相当問題を抱えていることもいろいろな方面から耳にした。これら2社
の運転士や車掌の会社や幹部に対する不満はほぼ頂点に達していると見られ、必
然的に電車運行などにも影響が出て事故の芽と言われる「ヒヤリハット」はかな
り頻繁に起きているらしい。会社が徹底した管理体制を敷くことで職員に圧力を
加え、辛くも体制が保たれている感じがした。

 このような危機的状況を放置していれば、尼崎事故を見るまでもなくやがては
大事故につながることは誰にでも想像できることだ。「臭いものにふたをする」
「運転士や車掌を管理する」といった古い体質から一刻も早く脱却し、私鉄各社
は大改革に取り組んで欲しい。また、鉄道各社だけでなく、業界が抱える問題の
元凶とも思われる国交省にも大きな改革のナタが振り下ろされる必要があること
は言うまでもない。