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中越地震 孤独死

2005-06-27 00:02:44 | Weblog
 新潟中越地震から8ヶ月が経過した。被災地には今も多くの家を失った住民が仮設住宅で不自由な生活を強いられている。しかし、現地からはあまり情報が入ってこないのが現実だ。
 私が所属するACTNOWではこの度、復旧から復興へと移行していると言われる現地に代表と副代表を派遣、状況視察をしてきてもらった。また、25日には今も被災地に月に数回足を運んでいるI君から話を聞くことができた。
 3人の話を総合すると、外部からのヴォランティアの支援は今では地元からあまり歓迎されていないとのことだ。I君が関わっている「中越元気村」も例外ではなく、被災直後から引越しの手伝いや雪下ろしをしてきたが、いざこれから「村興し」を手伝おうと思っていた矢先、「これまではどうもありがとう」とその先の支援をやんわりと断られたとのことだ。そして、わがACTNOW調査班もあまり歓迎されない空気を感じて現地から帰ってきた。
 実は、それは震災直後から感じていたことだ。やはり地域性というものかもしれない。現地の住民の一部に、遠くから来た若者たちに手を借りることをあまりよしとしない雰囲気があったのだ。それは、ヴォランティアの手を実際に必要としている人たちよりも、周りの人たちから多く出てきた言葉であり、かもし出す空気であった。「ヴォランティアさんに甘えるなんてねえ」という言葉を私自身短い滞在期間中に実際に何度も耳にしたものだ。
 「大変なときはあまり無理をせず、『困ったときはお互い様』の気持ちで受け入れて」と被災者に説いて回ったが、あまり効果はなかった。雪国特有の我慢強さから大変な思いをしている被災者ほど黙りこくり、引きこもってしまった。
 阪神大震災の経験を生かさねばと、私は行政や社会福祉協議会に何度も仮設住宅の住民や半壊住宅に今も住む人たちのケアがいかに重要かを説いてきた。阪神の時、特徴的だったのは、「孤独死」だ。家に引きこもり、近所付き合いも絶った被災者が、相次いで一人さびしく死んでいった。私が立ち会った中で特にショックだったのは、約1ヶ月前(推定)に亡くなり白骨化した遺体となって発見されたケースであった。すでに現場は遺体が片付けられた後であったが、老人が一人住んでいた仮設住宅には、まだ蛆虫と脱皮したカラが散乱していた。
 その教訓は今回生かされなかったように思う。中越地震の被災地でも孤独死は起きたのだ。新聞ではあまり大きく報道されなかったがこの春、50代の独居男性が仮設住宅で一人さびしく息を引き取った。それを発見していたのは、I君たちのグループである。I君によると、亡くなった被災者は、細かいことは書けないが、寂しさのあまり酒びたりの生活になっていたという。
 この「50代の依存症の被災者の存在」は、阪神でも大きく問題になっていた。震災前から、または震災を契機に職を失い、さらに家族から見放された50代の男性が無気力になり、アルコールや薬物の依存症になっていったのだ。私も同じ年代であり、身につまされる話だが、この50代、厄介なことに福祉を受けられる老人ではなく、かといって再就職で引っ張りだこになる働き盛りでもない。「福祉の狭間(ハザマ)」に置かれ、“中途半端”なのだ。だから、阪神でも多くの50代が行政の「網の目」から漏れていた。
 中越の仮設住宅は今も満杯状態のところが多い。阪神の時と違って、被災者たちは震災前の近所の人たちと隣近所になっているから、その部分では教訓が生かされたと見るべきだろう。だが、逆に「近所の目」がじゃまになってヴォランティアを受け入れにくくなっている側面もある。
 「孤独死をどう防ぐか」…これはわれわれヴォランティアたちにとって大きな課題だ。

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