浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

大道芸人賛歌

2006-05-31 01:02:37 | Weblog
 南浦和駅で家人と待ち合わせ、「腹空いた!」と行きつけのレストランに向かうと、駅前広場の閉店した果物屋の前で二人の男が楽器を奏でていた。二人の前には“観客”は誰もおらず、私たちもそのままやり過ごそうとしていた。

 だが、演奏していたのがブルーズということもあり、ちょっと聞いてみようと足を止めた。二人は私たちのことなど目に入らぬかのように、目をつぶったまま演奏して「ソウルの世界」に浸っていた。しかし、その曲を終えた時拍手すると、私たちを見て、それではとLOVE SONGを歌ってくれた。

 そんなことをされては、投げ銭をせずしてその場を立ち去るわけにはいくまい。しかも、暗かったからだろうが、我々を父娘ではなくカプルと見てLOVE SONGを歌ったのが評価を上げた。これが、「娘よ♪」とか「大好き、父ちゃん♪(そんな歌はないか)」だったら、チャリンですませただろうが、夏目漱石センセをポケットから一枚出した(福沢諭吉でないところが、私の財政状況を表している)。

 二人の内のどちらが言ったのか確かめなかったが、「これで電車賃が出る」などと可愛いことを言われた。すると、私たちの後から観客に加わった男性二人も千円札を二人の前に置いた。

 私たちはこの種の芸能活動が大好きである。中には違法だとか風紀を乱すなどと顔をしかめる御仁もおられるが、大道芸は街を彩り、我々の心に温もりを与えてくれると思っている。だから、時折り、警察官が退去を求めたりすると、私は大道芸人の味方になる。しかし、と言うか、だからと言うべきか、私は彼らのレヴェルには厳しい。下手な、心のこもっていない芸とも言えないものには、投げ銭をしないだけでなく、目をくれることもない。

 二人は自分達が「デルタ兄弟」という名でHPを持っていることを宣伝した。先ほど、そのHPをのぞいて見た。確かに今夜見た顔だ。それによると、そんなにメイジャーな所ではないが、ライヴ活動もしている。68年生まれとあるから40近いが、「魂を歌う」ブルーズはこれから味が出てくるものだ。いつの日か、デルタ兄弟の名前がマスコミで見られたり、人の口を伝って聞かれることを楽しみにしている。

私の視点 ジャワ地震救援活動に見る日本政府の思惑

2006-05-30 09:25:50 | Weblog
 今回もまただめであった。ジャワ島中部地震で多くの人命が失われているのに、『世界の大規模災害に向けて、24時間以内に集結・出発。政府としての救助チームを編成する「国際消防救助隊」(総務省消防庁HPより)』は出動しなかった。何のための「国際消防救助隊(IRT-JF)」なのか。こんなお題目を唱えるだけで役立たずの救助隊なら、解散すべきだ。

 これまで私は世界各地で大災害が起きるたび、IRT-JFの緊急派遣を訴えてきた。だが、スマトラ沖大津波、イラン大地震、米ハリケーン災害、フィリピン大規模土砂崩れ、そして今回のジャワ島中部地震と、数千から30万の人命が失われていくのに、ただ指をくわえて見ているだけ。ついに出動することはなかった。

 今年2月のフィリピン土砂災害の時などは、「フィリピン政府からの要請がないから」という理由で、外務省はIRT-JFに対して出動準備すら促していない。

 確かに、被災国の意思を無視しての「援助の押し付け」はすべきことではない。だが、心底被災者の命を救いたいとの視点に立つのなら災害発生を聞いた時点で情報収集などに動くべきなのではないか。そして相手国政府に対して日本ができることを提示するのだ。困窮している被災者の立場に立てば、国際緊急援助隊を有する日本は様々な対応が考えられるはずだ。

 ところが、フィリピンの場合、被災地に情報収集する大使館員の姿すら見られなかったのだから話にならない。外務省は大使が被災地入りしたと言うが、それも発災5日目。しかも、ヘリで飛来して直ぐに現場を去っている。こんなのは「本省(外務省)を意識してのパフォーマンス」と言われても仕方がないものだ。大使が仰々しく現地入りしなくとも、若手の職員が素早く対応すれば良かっただけのこと。

 そんな怠慢としか言い様のない外務省が土砂災害の被災者に行なったことと言えばシンガポールかマレイシアあたりの備蓄倉庫から援助物資を被災地に送ったことくらいだ。それも要りもしない毛布(現地は2月でも気温が高く毛布など不要の状況。外務省によれば、それもフィリピン側からの要請に含まれていたという)まで送ったから、発災して1ヶ月経っても梱包の解かれぬままうず高く積まれていた。

 今回のジャワ島中部地震でも、外務省の担当部署である南東アジア第二課の職員は、私の「なぜ消防救助隊を送らないのか」との質問に対して「緊急援助隊は送りましたよ」とトンチンカンな受け答え。彼の意味するのは、医療ティームであり、私の言う消防救助隊ではない。インドネシア担当職員でさえその程度だ。その辺りからして、被災国政府と支援内容を調整する外務省(大使館を含む)がIRT-JFの役割とその使命をきちんと把握しているのかとの疑念を禁じえない。

 取材を続けていると、「自衛隊が援助隊を送りたがっている」との情報が飛び込んできた。調べると、防衛庁が陸・海・空の各自衛隊からなるティームを国際緊急援助隊として送りたいと準備を指示していた。そして、29日夜、額賀防衛庁長官は「インドネシア政府からの医療支援の要請」を受けて自衛隊派遣を決定した。医療支援の要請になぜ自衛隊ティームなのか私には不可解だが、その点を長官に突っ込む記者はいなかったと聞いている。

 災害地への自衛隊ティームの派遣はこれまでに何度も行なわれてきた。あのスマトラ島沖大津波の時も、IRT-JFは送らずに東シナ海を日本に向かって航行中の自衛艦をUターンさせて被災地に向かわせている。こういう日本政府の動きを見ると、何か意図的なものを感じてしまうのは、私の穿ち過ぎか。

 確かに、国際緊急援助隊には、医療関係者、消防や警察に並んで自衛隊も含まれている。だが、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」を見ても分かるように、救助活動が第一番目に任務として掲げられている。この第一番目に挙げられた任務がないがしろにされたまま、自衛隊の活動ばかりが活発になるのは、どうも違和感がある。実は、この法律を元に国際緊急援助隊ができた時に、首をかしげたのは、その構成方法だ。「救助チーム」「医療チーム」「専門家チーム」とは別に、「自衛隊の部隊」との文言を見つけたからだ。つまり、自衛隊は、混成ティームに加わることもあるが、独自に動くことを基本としますよ、と謳っている。

 スマトラ沖大津波災害の時に疑問に感じた(当時のブログをご覧いただきたい)ものが、今回のジャワ島地震で確信に近いものになった。これが、日本政府が自衛隊を救助隊に衣替えするための布石だとするのならば、私は全面否定するつもりはない。だが、「自衛隊解散」など日本政府が考えるはずはないことだ。だとすれば、何か意図が隠されていると見る方が妥当であろう。

 自衛隊関係者の話では、災害援助は大国の責任であり、「援助大国」のイメッジ(イメージ)をアジアに飢え付ける為にもこういった活動は欠かせないとのことだ。だが、だとするならば、なぜ迷彩服で行く必要があるのか。作業着でいいではないか。軍事車両でなくてもいいはずだ。日の丸をペイントした軍事車両に迷彩服で活動すれば、その内、アジアにおいて「日本の兵隊」を「見慣れたもの」になるとでも考えているのではないか、と疑いたくもなる。

 いずれにしても、人命に関わる活動を汚して欲しくない。邪念で侵すべからざる分野だ。救助・救命に名を借りた外交活動や軍事行動は絶対にしてはならない。

こんにちは、赤ちゃん

2006-05-26 12:43:23 | Weblog
 私は見かけによらず子供好きだ。町中で子供を見かけると、つい目で挨拶をしてしまう。もちろん、こんな御時世だ。私のような見るからに怪しいおっさんが子供に愛想を振り撒いていたら110番されかねない。だから声掛けしたいのを我慢して「アイ・コンタクト」だけに留めている。

 1昨日、電車に赤ちゃんを抱えた母親が乗り込んできた。たとえ赤ちゃんが小さくても小柄な母親には負担にならぬはずはない。誰か席を譲らぬものかと周りを見渡した。だが、誰ひとりとして席を立とうとしなかった。

 普段であれば、席を譲ってあげませんかと座っている人に声を掛けるのだが、この日は少々私にためらいがあった。このところ2日続けて、お年寄りと体の不自由な人のために席を譲るように若者を立たせた(一度は優先席)のだが、余計なお節介であったようで、「結構です」と言われてしまい、バツの悪い思いをしてしまったのだ。また、以前、赤ちゃん連れの母親を見て席を譲ってあげるよう声掛けをした際、母親が座った途端に赤ちゃんが泣き出してしまったこともある。そんな経験も私を臆病にさせた。

 声掛けしようかと母子の様子を伺っていると、母親の胸に顔を埋めていた赤ちゃんがこちらに顔を向けた。その顔の可愛いことといったら筆舌にしがたいものがあった。赤ちゃんの可愛さの表現にこんな言い方はふさわしくないかもしれないが、とにかく文句の付けようのない、非の打ちどころのない可愛さなのだ。また、私を見てニコッとした(様に見えただけかもしれない)表情のナント可愛いことか。私はこの日、なんとなく気持ちが沈みがちであったのだが、そんなもやもやとしたものが一気に取り払われたような爽快感を味わわせてもらった。

 普通、子供がこれだけ可愛ければ、母親もと思うだろうが、そこが人生の面白さ。意外にそうでもないのである。この赤ちゃんの母親も例外ではなく“並”に分類される女性であった。

 私が赤ちゃんに見とれていると、母親がそれに気付いた。ちょっと怪訝な表情を浮かべたので「すみません。あまりに可愛かったので見とれてしまいました」と小声で謝った。

 すると、母親と一緒にいた女性が私の言葉を軽く受け止めてくれ、「良かったね、ほめていただいたよ」と言ってくれた。

 そんな思いがまだ心の片隅に残る昨日のこと。今度は地下鉄でベイビー・キャリアに乗る乳飲み子と隣り合わせになった。その子は何となく私の事が気になるようで、こちらをじっと見ている。私は調子に乗って笑顔でそれに応じた。すると、その子の表情が一瞬曇った。「まずい」と顔を他に向けたのだが、時既に遅し、泣き声が車内に響き渡った。母親に謝罪したが、その人もいい人で逆にこちらを気遣ってくれたから良かったものの冷や汗ものだった。

 「キレイなものには棘がある」ように子供の可愛さは弱さと同居した部分がある。子供の心をつかむことに多少の自信は持ち合わせているが、過信は禁物。調子に乗ると下手を見るの典型となってしまった。

 

トルコの空港で大規模火災

2006-05-24 22:35:16 | Weblog
 先ほど、トルコの商業都市イスタンブールの国際空港で大規模火災が発生。マスコミは、すわアル・カーイダの犯行かと色めき立っているところもあるが、今のところその可能性は少ないようだ。CNNなどは事件発生直後から特別番組を組んでいる。

 カタールの衛星TV局「アル・ジャズィーラ」によると、貨物取り扱いエリアから発生した火災は、電気系統の故障の可能性があるとのことだ。

 テロリズムではないとの見方は、黒煙が上がる中、火災現場からそんなに離れていないところにある国際線の滑走路が使われ始めたことからも説得力を持つ。

バカは…

2006-05-24 11:04:48 | Weblog
 だらしないのである。私は生まれてこのかた、散らかす、片付けない、そして忘れるといった「だらしなさ」の必須条件(?)を欠かしたことがない。

 赤子の頃は、母親の乳首の形状を忘れて祖母の梅干しのような乳首に食いついていたという。小学校に入ると、夏休みに川で魚をカバン一杯に捕まえてきてそのまま放置、異臭を放つまでは気付かずにいた。もちろん、親と兄にこっぴどく怒られたらしいが、半年も経たぬ内に忘れてしまい、木に登って収穫した大量のグミをカバンで発酵させたとのことだ。

 10代後半になると、東京・中板橋の3畳ひと間のアパートに暮らしていた私は半年間、掃除洗濯をしなかった。部屋の真ん中に万年床が敷かれ、その周りに本や雑誌が積み上げられていた。振動を加えると崩れてくるので、いつも抜き足差し足、そうっと歩いていた。といいつつも、着るものはそれなりに気を遣うほうなので、次々に新しい下着や靴下、シャツを買って来るので押入れは洗濯物で満杯状態であった。

 ある時、帰宅してドアを開けた時、あまりにキレイで人がいたので、部屋を間違えたと勘違い、「失礼!」とドアを閉めた。すると、「クニオミ、俺だよ」と兄の声がした。突然上京した兄は、大家に挨拶に行くと、掃除をしてくれと頼まれたという。

 30代に入り、ジャーナリストとしても脂が乗り始めた頃のこと。TBSのドキュメンタリー番組「報道特集」の仕事で、急遽レバノン内戦の取材に行くことになった。報道の仕事の場合、一両日中に出発することも少なくない。私の場合、戦争報道だから準備に手間取るため、流石に即日という場合はないが、その時も数日内の出発だったと記憶している。ところが、帰宅してパスポートを見ると、有効期限が残りわずか。スワ大変と秋山(豊寛)さんに連絡した。

 報道関係者の場合、現在はどうか分からないが、当時は報道課を通せば早めに発給された。秋山さんは私を連れ、課長に「即刻出していただきたい」と頼み込んだ。快諾してもらい、「これで安心」と旅支度にかかっていると、お叱りの電話が来た。

 パスポートの申請用に出した私の写真が、5年前に申請した時と全く同じものだというのだ。御存知のように、この種の申請に使う写真は、6ヶ月以内に撮影したものとの規約がある。秋山さんの顔に泥を塗った行為に恥じ入るばかりで、彼に対して向ける顔がなかった。その後、秋山さんが私の顔を見ると、「あれ大丈夫、これ持った?」と私の旅支度を言うようになったのは至極当然のことだ。

 それでも私はぽかをやるのだ。それから数年後のこと。私は中東に向けて出発しようとしていた。TBSの玄関には、報道局員が数名、見送りに出ていた。車に乗り込もうとする私に一人が言った。「浅井さん、パスポート大丈夫ですよね?」。

 当時、秋山さんは海外特派員であったから、その男に申し伝えがあったのかどうかは知らないが、私に確認を迫った。

 「いくらなんでもパスポートを忘れることはないだろう」
 部長であったか、デスクであったかは忘れたが、管理職の一人が言った。

 「いや、それがあるみたいですよ」
 ベルトに付けたポーチを開けて見た私は頭を掻いた。それからしばらくは外報部でその「事件?」が語り草になっていた。

 そんな苦い経験をいくつも重ねながらもいまだ私のだらしない性格は改善されていない。リストを作るなど、それなりの危機管理はしているのだが、時にふっと気が抜けてしまうのだ。そして、またやってしまった。

 一昨日の朝のこと。階下に住む大家がドアフォンを鳴らした。大家とは昨年、契約更新を巡って“一戦(その模様は借家物語と題して書き込みました)”まじえているだけに、何事があったかと少々身構えてドアを開けた。

 「先週届けた回覧板はどうされたんですか。あなたのところで止まってますよ」
 大家は厳しい口調でそう言った。

 確かに組長である彼女の立場からすれば、1週間も回覧板を放置する行為は許しがたい。いや、仮に私が組長であったとしても同じ思いに至るだろう。

 私の記憶では、確かに先週、玄関先に置かれた回覧板を家の中に入れている。ただ、そこからの記憶がないのだ。回覧板はさっと眼を通すだけで、書かれた情報をきちんと読むことはないので、玄関より奥に入れることはありえない。しかし、私の家で無くなった事に間違いはない。家人と家さがしした。しかしながら2日間にわたる“捜索”は徒労に終わった。回覧板が雨に濡れてはいけないからと不透明なビニール袋に入れられていたことも、微妙に影響したのだろうが、いずれにしても何らかの形で捨ててしまったようだ。

 今朝になって大家に謝罪に行った。自治会長に謝罪に行き、一軒一軒回って「赤十字への献金の意思確認」を自分でやるからと伝えた。

 「そこまですることないわよ。でも、随分だらしないわね。こんなことは初めてですからね。ホント、だらしない」

 大家はそう言うと、バタンとドアを閉めた。随分冷たい言い方だが、悪いのは自分だ。階段を上がりながら、だらしない自分を戒めた。だが、この自戒も、58年の人生で何回してきただろう。いっこうに治る気配がない。昔の人はよく言ったものだ。

 「バカは死ななきゃなおらねえ」


 


宇宙“非行”士(?)は今日も下ネタだった

2006-05-23 10:07:51 | Weblog
 日本人で初の宇宙飛行士は、お国の機関である独立行政法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」によると、毛利衛さんであるかのように言われているが、「誰がなんと言おうと」秋山豊寛さん(以下、秋山と略す)である。

 秋山さんは1990年当時、TBS(東京放送)社員で、崩壊前のソ連の宇宙計画に参加して日本人で初めて宇宙に飛び立った。約50億円もの金がTBSからソ連に支払われたことから、「金で買った宇宙飛行」との指摘が一部から出たが、秋山に後塵を拝した、JAXAの前身である「航空宇宙技術研究所(NAL)」、H-IIAロケットなどの大型ロケットや人工衛星、国際宇宙ステーションの開発が中心の「宇宙開発事業団(NASDA)」辺りから流された、やっかみ半分どころか、嫉妬心の塊の揺さぶりと言われた。

 確かに、お国の金(税金)を注ぎ込んでNASA(米航空宇宙局)の宇宙ステイションに乗り込まんとしていた「官制宇宙飛行士候補」にとっては、秋山は、その「酔いどれ天使」「体勢に組しないでかい態度」「誰に対しても止むことのない皮肉たっぷりの口撃」は、不良もしくはヤクザそのもので、それを知る秋山は自らを「宇宙非行士」と呼んだ。私の目には、その一点だけで、“戦う”前から両者の勝敗は決したように見えた。毛利さんには失礼だが、人間としての格が違うのだ。

 そんな秋山だから「日本人初の宇宙飛行士」「大TV局の重役への道」にこだわることなく、「農の世界」に見事に転進した。秋山は11年前、TBSを退社、福島阿武隈山系の標高620mの山中に“砦”を設け、今も百姓を営んでいる。そして、出版物や講演を通して農の世界からわれわれに秋山独自の視点を届ける。その視点は、学会や業界にまん延する複雑な人間関係や様々な欲望に汚されたものと違い、俯瞰できる者だけが持つ感性と論理性をもって時に鋭い日本刀で一刀両断、また別の時には、なたのような力強さで圧倒的に脆弱なわれわれを刺激する。

 そんな秋山は、私にとって「とても敵わぬ」アニキであり、先輩である。彼との出会いは1970年夏のロンドンに遡るからもうかれこれ36年の付き合いになる。その後、秋山は私をTBSに引き入れてくれ、また共に「混沌の会」なる勉強会(実態は飲み会)でバカを言い合ってきた。

 秋山の魅力を若者に伝えたいと、10年近くもの間、私が代表を務めてきたヴォランティア・グループ「ACTNOW」のメンバーを引き連れて援農を行なってきた。そして、3年前から始めた「ピース・メディア塾」の講師も引き受けてもらうようお願いした。「お出かけ塾」と称して農作業を手伝いながら講義をしてもらおうというものだ。

 今年はそれを本格化して田植えに合わせて泊りがけの計画を組んだ。早速、秋山から3冊の課題図書が指名され、塾生たちに課題が与えられた。本のタイトルを聞いて、塾生の反応を案じたが、事前に私の元に届けられた宿題に眼を通すと、それぞれが真剣に取り組んだ様子が伺えて安心した。

 先週末の土曜日に行なわれた田植えには、我々一行(12名)を含めて33人もの人が集まり、大盛況。3つの棚田にあっという間に苗が植えられた。

 その後、シイタケ栽培に使われるほだ木を移動する作業が行なわれた。これが秋山の言うところの「脳の活性化を促す運動」。そしてひと段落付けた後は、この日のために購入したという大型ホワイト・ボードを使って行なわれた5回の授業の第一回目。

 人にはない豊かな経験を縦軸に、深い読み込みがされた読書に裏打ちされた知識と視座が横軸どころか、スパイラル状に絡み独特の秋山ワールドが展開されていく。塾生たちが秋山の話にぐいぐいと引き込まれていくのが見て取れる。話の途中で時折り混ざるエピソードや駄洒落。それに下ネタがまた上手い具合にハーモニーをなす。

 講義が終わった後も「シンデレラ時間」近くまで秋山を囲んで座談が続いた。

 翌朝は、朝食前にひと講座。食事の支度をする直子も私も時折り話に聞き入って手が止まる。

 朝食後、塾生が秋山さんを捕まえてなにやら質問攻め。私は庭に出て日向ぼっこをする内、しばらくうたたね寝をしてしまった。ところが、これが間違いの元。最終授業が芝生の上で急遽行なわれるようになったとのことで、ざわざわと私の前にござを持った集団が集まってきた。寝ぼけ眼で起き上がる私に塾生からひと言。「塾長のめがね?」。哀れ私のメガネのつるの部分は誰かの尻の下にあったか、グニャリと曲がっている。

 どうも、この秋山砦は、私のメガネにとっては鬼門のようだ。実は数年前、田んぼで農作業するのにメガネが邪魔になり、外してシャツの胸元に差しておいたのだが、田んぼから上がってきた時には後の祭り。私のメガネは田の“肥料”になっていた。 

 芝生の上の授業も絶好(口?)調。下ネタも全開となり、最初は遠慮していた塾生たちも「またですか」と突っ込みを入れていた。

 今回のお出かけ塾の成果は、私の目論見をはるかに超えたものとなった。塾生同士の連絡網であるMLに「少し大げさですが、私のウン十年の人生の中で、こんなに素敵な32時間はなかったように思います」との書き込みがあり、生徒たちによる自主授業を計画しようとの呼びかけもなされた。今後、超ド級の刺激を受けた塾生たちが、どのような下ネタ使いに変身するか、いや失礼、どのような成長を遂げるか、大いに楽しみになってきた。


午後のケーキ

2006-05-19 11:00:41 | Weblog
 昨日は、若き友人シゲリーニョの誕生日を祝って青山で「午後の紅茶」ならぬ「午後のケイク(ケーキ)」。友人といっても今回で会うのが2回目だから世間的にはそうは定義付けぬかも知れぬし、シゲリーニョに「我々は友人とは違う」と言われるかも知れぬが、私にとっては最初から話していて馬が合う相手だ。勝手に友人と決め付けている。

 青山育ちの彼が好んで止まないのが、表参道にある「キルフェボン」というケーキ屋だとのことで、直子(私のパートナー)がそこを「プティ・パーティ会場」と決めた。ただ、プティと書いたように、声掛けしたのは、共通の友人とその友人のおじだけで、総勢5人のミニミニ・パーティだ。

 ただ、この集まったメンツが素晴らしかった。年代も、友人のおじが60代、私が50代、シゲリーニョが40代(と言っても、40歳になったばかりだが)、共通の友人が30代、そして直子が20代と見事に違った世代が集まった。

 シゲリーニョはかつて独立行政法人に勤めていたが、6年前に出会ったコーチング(人がよりよく生きるために支援すること―Bestcoach.jpのHPより)を天職と考えて「寿退社」。トルコに赴任した妻をサポートする主夫業をしながら資格を取ったという変り種だ。今では人気絶大のコーチだとのことだが、話していても、その間合いの取り方、人の話の受け方などただならぬものを感じさせる。

 直子の友人のAはかつて紛争地域で活動をするNGOのスタッフであっただけに、話していて楽しいし、話題も豊富だ。控え目(私の前だけかもしれないが)な中にも強い意志を感じさせる。そしてAのおじのY氏がこれまた「豊かな人生」を送っている人だ。銀行に永年勤めていたが、一念発起、退職してシニア・ヴォランティアとして開発途上国に出かけている。これまで、トルコ、ハイチ、リベリアで選挙管理など様々な活動をしてきた。シゲリーニョの伴侶とトルコで机を並べた仲だとのこと。実は、シゲリーニョは、AとY氏とが親戚であることを知らずに別々に付き合っていて、ある時、おじと姪であることを知ったという。もちろん、AとY氏もシゲリーニョが共通の知人であることを知らなかったというから奇遇だ。

 シニア・ヴォランティアのことを興味深く“取材”する私を見て、Aが直子に、「もしかして浅井さんもシニア・ヴォランティアになろうとしているのでは?」と訝った表情で話しかけたが、その可能性はない。私なんぞがJICAでシニア・ヴォランティアなんぞになろうものなら、大使館員を含む外務省の人間がびびりまくるだろう。上手く行くはずがない。ただ、私の周りの人間が後数年で退職してその後の人生をどう生きようかと言っているのを聞くので、情報収集していたのだ。

 Y氏の話によると、国際NGOやヴォランティアの世界に女性、しかも若い人たちの進出が目立つとのことだ。世界各地で日本人女性特有のたおやかでありながら力強さを秘めた存在が活躍していると聞くと、嬉しい。ただ、Y氏は紛争地帯など、危険なところに若くて有望な人材を送るのは止めて欲しいと仰っていたが、確かにそういう場所ではつらつと活動する若い日本人女性を見かけることがよくある。私は、そういう稀有な体験がその人たちにとって貴重なものと考えるので、Y氏とは考え方を異にするが、言われていることは確かに一理ある。危機管理だけはしっかり教え込んでから現地に送り出して欲しい。

 話は盛り上がり、延々続きそうな雰囲気であった。私は仕事の都合で2時間ほどで失礼したが、4人はそれから数時間、談笑を続けていたそうだ。良い「午後のひと時」であった。
 

NOVA 大幅赤字

2006-05-17 15:33:39 | Weblog
 ついに表に出ました。NOVAの大幅赤字情報。

 以前お伝えした時は、あくまでも内部情報で、正式に発表されたものではなかったので学校名を伏せたが、NOVA側がこのほど、「30億円の赤字」と発表したためこれからは大っぴらに校名を書いて構わないと判断した次第。

 企業が赤字に陥ることは珍しいことではなく、私の経営する学校とて無縁の話ではない。ただ、問題なのは、この種の大手英会話学校は、授業料を長期にわたって先払いさせることだ。それも、受講する授業数を増やせば増やすほど単価が安くなるスィステムで、最近のNOVAは「お得だから」と600レッスン・コース(総額7、80万円)を選ばせようとあの手この手を使うとのこと。

 確かに1レッスンあたり(40分間)1,300円と聞くと、心が動かされるだろうが、もし入会されるのであれば、短期間のものに限定されることをお勧めする。長期間コースにして、万が一倒産というような事態になれば、授業料は戻ってこないということを忘れないでいただきたい。大手学校特有のセイルス・トークは巧みだからつい「甘い水」にそそられるかもしれないが御用心を。

監禁致死事件について 

2006-05-17 14:20:18 | Weblog
【訂正とお詫び】 名古屋で起きた引きこもり更生支援施設「アイ・メンタルスクール」における監禁致死事件について、私はこのブログで、「勘が当たってしまった」と、以前NTV系列で紹介された施設「長田塾」と勘違いしてお伝えしてしまいました。

 その点については、間違いであったことを認め、読者の皆さんにお詫びいたします。


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 ただ、基本的に、ブログで書いたことが間違っているとは思っていない。あのような施設(長田百合子氏の長田塾や杉浦昌子容疑者のアイメンタルスクール。長田氏と杉浦容疑者は実の姉妹だとのこと)のやっていることを認めるつもりはないし、それを褒め称えるようなTV報道については今後も厳しく論評をしていきたいと思っている。NTVの内部でも、今回の事件の第一報を聞いた時、長田塾と勘違いした人たちがいて、肝を冷やしたとのことだ。聞くところでは、局の中でも放映後、賛否両論があったという。

 私は、何の裏付けもなしにこんな論評をしているわけではない。これまで何人もの引きこもりの子供や若者と付き合ってきたし、家庭内暴力にも立ち会ってきた。その実態は筆舌に尽くせないほど関わる者全てにとってつらくて重いものである。私の元には、年を追って深刻な相談が増え続けている。一昨日も、中学生の息子がひどいイジメに遭っていると駆け込みがあった。私が相談を受けるケイス全てを明らかにするわけにはいかないが、子供たちの「切実な声」を世の中に伝える義務はあると考えている。

 「何だよ、自分が間違えたことを謝罪するふりをして結局は自分の正当化をしているだけではないか」
 と思われるかもしれないが、私は皆さんに間違った情報を提供したことに対しては真摯に謝罪をしなければならないと思うが、自分のこの問題に対する視点にはいささかのぶれも生じていない。

 長田塾は今回の事件の主役ではなかったものの、この種の事件を引き起こしかねない団体であることには違いない。調べてみると、実際には死に至らないものの問題を起こしており、裁判で訴えられている。

 長田塾もアイメンタルスクールも共通したやり方を取っている。まあ、両者が実の姉妹で交流があったとのことだからそれは当然といえば当然の話かもしれない。

 両者共、親の“洗脳”から始める。子供たちを引きこもりにしてしまったという負い目を持つ親たちの洗脳は簡単だ。周囲から冷たい目で見られ、子供たちからも責められてきた親達にとって、長田氏や杉浦容疑者のように罵倒しながらもぐいぐい引っ張って行ってくれる存在は救世主に見えてくるに違いない。

 親の洗脳が済めば、今度は子供たちを引きずり出す作業だ。この作業は、徹底して非情だ。そこには子供の人権はない。大人しくいうことに従わなければ、罵倒され続け、体の自由も奪われる。それまでいわばぬるま湯に浸かっていた子供たちは事態の急変に驚き戸惑う。ただひたすら貝のような状態になる子供たちに親は容赦しない。ちょっとでも子供に憐憫の情を見せようものなら背後から怒声が飛ぶからだ。長田氏や杉浦容疑者の支援を受け態度を急変させて迫る親達の表情に子供たちは驚く。そして、親たちから家の中に居場所のないことを宣言された子供たちは、しぶしぶ施設に入ることになるのだ。

 ひと言で言えば、ショック療法というつもりかもしれない。だが、こんなやり方に教育だの療法だのといった言葉を付けるからおかしくなるのだ。これは、教育や治療に名を借りた虐待である。

 このような施設でも治るからいいではないかとの向きもある。だが、治ったと言うが、引きこもりであった子供や若者が、表面上は“普通”に見えたとしても心の中はどのような変化をしたのか、読み取れているのだろうか。中には、施設から出たいがために演技をする者もいるかもしれない。そんなゆがめられた心を持った人が社会生活をどうやって営んでいくか…。想像するだに恐ろしい。

 長田氏のホームペイジを見ると、講演先に教育委員会の名がずらりと並ぶ。知事委嘱の「愛知の教育を考える懇談会」委員にも名を連ねたとある。つまり、彼女のやり方が、多くの不登校やいじめに自信を失った教育界から注目されているのだ。

 子供が引きこもりになる原因はいろいろ考えられる。その原因は、当然のことながら社会の現実を複雑に反映して、「こころ」「からだ」「人間関係」「家庭・学校環境」など幾層にもわたって根を張っている。だから、引きこもりになった子供や若者のある一部分をつまんで切り取ったところで、根本的な解決には遠く及ばない。このようなやり方は、かつて権力者が障害者を切って捨てたやり方に相通ずるものと感じるのは私だけだろうか。

 いずれにしても「心の問題」に時間の制約や焦りがあってはならない。心が長い年月をかけて傷つけられたことを考えればそのあたりのことは分かるはずだ。このような短絡的なやり方に眼を奪われることなく、現在引きこもりに苦しむ若者たちや子供たちの適切なケアを行なう態勢作りを急がねばならない。それと同時に、これ以上引きこもりになる子供たちを生み出さないよう、社会全体で取り組む必要がある。それにはやはり、マスコミの力は欠かせない。間違っても、私が取り上げた番組のように、こんなまがい物を礼賛するような報道を行なうべきではない。


 

頑固オヤジの近況報告

2006-05-16 11:10:44 | Weblog
 肩甲骨の痛みがやわらいだ後もその周辺のコリは消えることはなく、何となく左肩を無意識に回す日々が続いている。そんな己が姿を、かつて漫才やコントをする時、どちらの肩であったか忘れたが、いつもコキコキとしていた北野武ことビートたけしの姿に重ね合わせ、あれはやはり彼の癖ではなく演出だったのかと思うにいたり、苦笑いをしてしまった。

 肩の痛みは私のパソコン生活に大きく影響している。ご覧のように書き込みが激減しているのは、パソコンを使うと痛みが増すためだ。痛みが軽い時、パソコンの前に座るが、しばらくすると後頭部の鈍痛がズキズキ感を伴なって意識を促す。それを我慢していると、左肩全体におもりを付けた感じがするようになる。

 そんな気の重い日々が続く間(といっても、他人様には気付かれないように振舞っているつもりだが)も私の「ガンコ親父活動」は休まず続いている。

 まずは、電車の乗り降り。どうして最近の乗客は待てないのだろう。全ての客が降りるまで待てない客が乗り込んでくる。昔からこういう連中はいたが、最近とみに目に付く。というか、皆さんも経験があると思うが、降りる私にぶつかってくる。昨日はそんなわけで身体だけ成長したものの相手がどんな迷惑をこうむるのか想像力の働かないのだろう、下車する乗客の前方を塞ぐ高校生グループに「皆が降りるまで待ちなさい」と一喝した。こちらの勢いに驚いて前を開けたが、下手をしたら事故にだってつながりかねないことが分からないのだろう。不満な表情をしていた。

 先を急いで乗る乗客は、当然のことながら空席に殺到する。彼らの行動を見ていると、電車に乗ってからも乗客を押しのけて「席取り合戦」に眼の色を変えている。そこに体の小さい子供やお年寄りがいれば、事故にだってつながりかねないのだが、お構いなしだ。

 一般的に「弱者」と捉えるべき存在の子供だが、その子供も最近は大人を押しのけてわがままを通そうとする。特に、遠距離通学する小学生などは、何も言わずに人を押しのけて車内を移動する。時折り、摑まえてお説教をするが、彼らの顔のナント無表情なことか。また、電車に乗って遠くのサッカー・クラブ・ティームで活動する小中学生も態度の悪い子が目立つ。スポーツを愛好する爽やかなイメッジ(イメージ)は見られない。電車の床に車座になって座り、大声で談笑したり、優先席を大また開きで占領して飲み食いしている子もいる。

 それを見て注意する大人もほとんどいない。現実には、私は見たことがない。中学生といっても結構体格の良い子が多いから気が引けてしまうのかも知れない。だが、所詮はまだ子供だ。大体はこちらの言うことに不承不承ながらも耳だけは傾ける。だめだとあきらめずに言って諭すことも我々大人の責任と考えたい。

 電車の乗り降りに続いて気にかかるのは、駅の階段の上り下りだ。最近、都会では階段に矢印(なぜか同じ駅でも会社によって右側通行と左側通行になっているところもある)が付けられ、利用客がスムーズに上り下りできるようにしている。ところが、この指示が守られないことが多い。私の普段の行動範囲で言えば、東京都内に比べ、埼玉においては、このルールはまだまだ浸透していない。エスカレイターがない駅などでは、降車した客は大挙して階段に向かい、対向通路にもなだれ込む。だから、その電車に乗ろうとしてもあきらめざるを得ない場合が多い。中には、「電車に乗りたいんです!」と叫びながら対向する乗客に向かっていく人もいる。

 それと、喫煙も私の怒りの対象だ。東京ではあまり見かけないが、埼玉では駅の構内で喫煙するものがまだまだ少なくない。特に私が毎日利用する南浦和は浦和競馬場があり、開催日だけに限らず今ではほぼ365日場外馬券売り場として開場しているので「制服組(なぜか、ジャンパーにくすんだ色のズボンをはいたおっさんが多い)」が構内で煙草を吸う。それに止まらず、背広姿のサラリーマン風の喫煙も少なくない。

 私も最近ずるくなっているので、見るからに荒っぽい風体の者については、看過することもある。また、切りがないので最近は注意するのを止めようかと思うこともある。しかし、そんな姿を見れば、若者がまねをすることになる。また、小さな子供の顔に火が当たる可能性がある。私自身、すれ違った男の持つ煙草の火が手に当たったこともある。それだけに今日に至っても頑固オヤジが止められない。

 まだまだ書きたいことがあるが、ここまで書いたところで、肩のハリがひどくなってきた。「尻切れトンボ」の感は否めないが、この辺りで終わらせていただく。

監禁致死事件について

2006-05-13 08:52:36 | Weblog
 何人かの読者から監禁致死事件について、メイルで御意見をいただいている。それは、事件を引き起こした団体とNTVで紹介された団体とは違うというものだ。

 週明けにNTVの知人に番組の内容を問い合わせて真偽を確かめたいと思っているので、真偽のほどはそれまで今しばらくお待ちいただきたい。

 なお、これまでコメント欄に書き込まれたものについては、登録してないものがほとんどなので、内容も読まずに粛々と削除させていただいている。それがお気に召さない方もいるようだが、規約は規約である。私への御意見や疑問、苦情がある場合は、ルールに則って行動されるようお願いする。

肩甲骨の痛みが改善

2006-05-12 23:54:54 | Weblog
 皆さんから御心配いただいた肩甲骨の辺りの痛みは、「50肩」との“温かい”御期待(?)に添えなくて申し訳ないが、大分改善してきた。したがって今夜辺りから少しずつパソコンに向かうつもりだ。絶好調!を取り戻すには今しばらく時間が要するかも知れぬが、もう大丈夫だろう。

コメントを削除しました

2006-05-12 10:35:55 | Weblog
コメント欄に書き込まれた方へ:

私のメイル・アドレスは、asaikuniomi@yahoo.co.jpです。
規約通り、こちらに御連絡の上、承諾を得た上で書き込んでください。
苦情や疑問に対しては、その上で処理・判断または回答させていただきます。

浅井久仁臣

引きこもり監禁致死…私の勘が当たってしまった

2006-05-10 00:01:44 | Weblog
 昨年8月3日、私はあるTV番組を見ていて“危ないニオイ”を感じ、本ブログで「引きこもりに“救世主”?」と題した下記の記事を書いた。その学校こそが、今回、入所者を拘束した上、死に至らしめたとして逮捕された「アイ・メンタルスクール」だ。私の記事に対して、読者から「そういうやり方もやむなし」といったような否定的な意見も寄せられていたが、私の「下手をしたら悲劇が起きる」という勘が当たってしまった。これは、大人たちが想像力を働かさないと子供たち(死亡したのは26歳の成年男子だが、子供の頃からの心の傷が彼を引きこもりにさせたとのことだ)の命を守れないとの証明でもある。
 皆さんにもう一度読んでいただきたいので、当該記事を再掲した。

2005年8月3日の記事:
 数日前にNTVがやっていた「ひきこもり」に関するドキュメンタリー番組は、その構成もさることながら、取り上げた活動の内容の劣悪さに驚かされた。
 活動の核になるのは、かつて自らもひどいいじめに遭った経験を持つという中年の女性だ。学習塾を夫と経営する内、見るに見かねて始めた活動だと言うが、彼女を見ているとまるで新興宗教の教祖だ。
 彼女が強調するのは、親の責任。「そういう子供にしてしまった原因は親にあるのだから、親が変わらなけりゃ、子供が治るはずがない」と言うのは、基本的に間違いはない。だが、その手段が全く私には理解ができない。
 何年も自室に引きこもり、家庭内暴力を繰り返す若者の家に彼女が乗り込み、親に子供を室外に強引に引きずりださせようとする。たとえ暴力を振るってでも子供を外に連れ出させ、最終的には自分が運営する寮に連れて行く。
 寮には同じような体験を持った「先輩達」が共同生活をしており、先輩の1人が「指導係」としてつく。入所直後はほとんど口を利かなかった若者が、時間の経過と共に口を開くようになり、活動に参加する様をカメラは追う。
 これだけを見ていれば、「引きこもりの子供を持つ親の救いの神」に思えてしまうかもしれない。だが、このような力ずくのやり方が多くの若者や子ども達を救えるはずがない。それどころか下手をしたら、いやほぼ確実に近い将来、悲劇が起きるであろう。随分前に子供を死に追いやったとして「戸塚ヨットスクール」が話題になったが、この女性は見る者にどこか「戸塚校長」を想起させた。


肩が…

2006-05-09 07:47:47 | Weblog
 ここのところ、左肩甲骨の痛みが強く、キーボードに手を置くのもつらい状態が続いている。以前に一度、同様の痛みに悩まされたが、今回は少々その期間が長い。書き込みが大幅に減っているが、そういう事情なのでお許しいただきたい。