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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

死者に鞭打つなかれ

2007-05-29 00:22:19 | Weblog
自殺のニュースは人の心を暗くする。

今夜の報道番組は、松岡農水大臣の自殺のニュースでほぼ一色となった。

死者に鞭打つようだが、この松岡大臣、胡散臭さ、金の臭いでは議員バッジを付けた人たちの中でも際立っていた。

彼の死は痛ましい。だが、今回のスキャンダルの根の深さを考えると、その痛ましさに事実の追求の手を緩めることがあってはならない。

永田町周辺で自殺者が出ると、ほぼ決まったように、捜査陣に「死者に鞭打つなかれ」の空気が生まれ、やがて「黒い霧」捜査の幕引きがはかられる。今回も、スキャンダルに関わったのは、その規模からして松岡大臣1人の話ではあるまい。少なくない政治家や関係者を巻き込んでいるはずだ。だが、永田町では早くも幕引きのシナリオがささやかれている。

状況からして検察が松岡氏周辺なり、本人の取調べに動いていたことはまず間違いない。なのに、検察は松岡氏を取り調べても、またそうするつもりも無かったようなことを言っているが、これはもしかするとスキャンダル隠しにつながる幕引きをはかろうとしているという意味するかもしれない。

ヘンだよ、安倍さん

2007-05-28 13:21:13 | Weblog
 安倍首相の言動がヘンだ。こんな男に日本の舵取りを任せていいはずはない。このところの彼の言っている事、やっている事を見れば、それは誰にだって分かるはずだ。今朝の日経新聞に、安倍内閣の支持率が41%に急落したとある。だが、私から言わせれば、これだけいい加減なことをしているのに、まだ41%もの人が支持することが不可解でならない。

 どれだけ安倍首相が我々に不利益なことをしているかと言えば、今さら説明の必要も無いだろう。教育、改憲、年金と多岐にわたる分野において、それも国の根幹部分となる問題を、改正、改革という名の下で破壊しているのだから…。

 その他にも外交問題を見てみると、中国の温家宝首相を招いて美辞麗句を並べたて、日中関係の緊張を多少ほぐしたかと思ったら、その舌の根も乾かぬうちに、訪問先のアメリカでライス国務長官に「日米豪印首脳・外相会談」を提言した。

 これはつまり、「中国は抜きにして僕たちだけで仲良しグループを作ろうね」と言っているようなもの。さすがに強気で鳴るライス長官も、無用の中国への刺激と取られかねないと、安倍首相の提言を無視した。

 また、4月末にサウディ・アラビアを訪問した際にも、アブダッラ国王に対して、「マリキ首相と仲良くしてね。彼も大変そうだからサポートしてやってよ」といった内容の発言をしている。

 外交オンチ、これにきわまれり!である。マリキ首相と言えば、シーア派の実力者としても知られ、サウディ王制から警戒されている人物である。サウディは、イスラームの少数派であるシーア勢力が、中東の地図を塗り替えかねないと恐れている。

 本業では失点ばかりが目立つ安倍首相だが、人気取りに関しては結構上手くやっているとの印象が強い。

 安倍さん、自信の無さの表れだろう。世間の目が集まっているところにはこまめに顔を出す。

 昨日も、ダービーという「お祭り競馬レイス」があるというので婦人を伴って東京競馬場に足を運んだ。また、ハニカミ王子と「マスコミ命名」された少年ゴルファーを呼びつけてマスコミに写真撮影をさせたりもしている。

 こんな酷い政治家をいつまでものさばらせておいては将来は真っ暗だ。次世代に少しでもいい状態でこの国を引き継いでもらうためにも彼を政権の座から早期に引き摺り下ろすよう心してかかるべきだ。

神も仏も…

2007-05-26 00:09:51 | Weblog
なんとも気が重い。

人間、平等であるはずなのに、ここのところ、なぜこれまでに不平等なのかと嘆くことが多すぎる。

なかでも、パレスチナの人たちの置かれた状況は、あまりに酷すぎる。

わが国でも酷い状況にあった時期がある。太平洋戦争だ。

昔、太平洋戦争で酷い目に遭った人たちから、広島や長崎に落とされた原爆の実態を知った時、「この世に神も仏もあるものか」と思ったと聞いたことがある。「現人神」と教えられてきた、戦争の最高責任者であった昭和天皇が、マッカーサーの元に足を運び、「延命をこびた」と知った時、唾棄したと僕の周囲の大人たちは言っていた。

だが、私たちはその後、そんな状況から脱することができた。そうして勝ち得た「戦争のない状況」は貴重だ。多くの犠牲があったからこそだろうが、我々がその後享受できた平和は何ものにも変えがたい。それを忘れたばか者どもが、またぞろ戦争ごっこをしたがっている。

そんな連中には、パレスチナの人たちを見ろと言いたい。戦後60年、絶え間なく戦禍に翻弄されるパレスチナの人たちを見ていると、平和の重さに気付かされるからだ。

しかしながら、そんなばか者どもは、恐らく「パレスチナ人=テロリスト」てな図式でしか彼の地の友人たちを見られないから、「あんなテロリストたちのことなど放っておけ」と言うだろう。誰が、パレスチナ問題を作り出したかなどといったことにはまるで無関心だからだ。

今またレバノン北部で生活するパレスチナ人たちが戦闘の犠牲になり、多くの住民が安全を求めて彷徨っている。

こんなパレスチナ人たちを見ていると、「この世に…」と言いたくなってくる。今起きている事への責任が、パレスチナ人にあるわけではない。彼らは、1948年以来、郷土パレスチナを追われ、世界各地を転々と逃げ回っている。

ここ(トリポリ)を出れば、彼らにはもう行くところがない。悲嘆にくれる彼らを見ていると、暗澹たる気持ちになってくる。

肺活量

2007-05-23 23:59:33 | Weblog
 手術で全身麻酔をやることになり、肺活量を調べることになった。

 学生時代の体力測定以来のデキ事にちょっと興奮。検査室に入る前に結構アドレナリンが身体全体に充満してくるのを感じた。

 私は、根は体育会系と分類される人種で、体力にまかせて局面を打開することも少なくない。だから、こういう検査は嫌いではない。いや、正直に言おう。好きである。

 技師は私のカルテにある年齢を見て、「若い頃のような数字は出ないと思ってくださいね」と釘を刺した。結構、若かりし頃の数字を意識して検査に臨む人がいて、出された結果に愕然とするのだという。

 「凄いですね。あなたの年齢で4800以上ある人は少ないですよ」と、技師はほめた。平均より千数百ml多いとのことだ。

 還暦を前にしてそんなことで、と思われるだろうが、検査室を出る私の足取りが軽かった。

学校の耐震化

2007-05-22 23:32:14 | Weblog
 さいたま市立小中学校の耐震化についての集まりを持った。

 先日お知らせしたように、さいたま市から情報開示を受けて手元には各学校の全ての建物の耐震状況がある。

 先ずは、南区の学校から検討を始めた。仲間の1人で防災士のS氏が学校がある地盤を説明してくれる。そのほとんどが軟弱な地盤に立っていることがよく分かる。

 建物の耐震化を示す数値の一つであるIs値を読み上げると、そのあまりの低さに驚きの声が上がる。0.5以下の建物が多く、中には、0.1台のものもある。

 さいたま市の場合、1970年代に東京から新住民が急増して生徒が多くなり、それに対応しきれない自治体は、校舎の粗製濫造にも目をつぶってしまった。だから、耐震化率は他の自治体と比べても、いや比べ物にならないほど低い数字だ。

 仲間の1人は、ある自治体の防災最高責任者であっただけに、次々に的確な判断と指摘をしてくれる。

 我々が始めるキャンペインは、多額の予算を必要とする。だから、実行するまでには相当時間がかかるだろうが、子供たちが毎日生活する場だ。粘り強く取り組んでいかねばならない。

援農はえ~んのう

2007-05-21 00:48:43 | Weblog
週末、援農に出かけた。

援農、つまりは農業支援。その農地の持ち主は、秋山豊寛さん。日本初の宇宙飛行士だ。

秋山さんは、旧ソ連の宇宙計画で大気圏の外を体験した後、しばらくしてTBS(東京放送)を退社、10年以上、福島の阿武隈山系の標高620メートルという山の中で百姓をしている。

そんな秋山さんの義弟を自負する僕は、年に何回か仲間を連れて援農に出かける。今回の“ミッション”は、雨と予報されていた天気を変える事。そして、田植え。

到着してしばらくは雨模様だったが、必死に祈り、可愛い弟子のまさをいけにえとして差し出したことが功を奏したか(不味そうだからといけにえはつきかえされた)、昼前には雨が止み、午後2時を過ぎると、陽が差してきた。

今回集まった人数は25人。学生から80代の現役百姓まで揃っており、秋山さんの人脈の奥深さを物語る。

中に二人。都会から百姓を志願してきた若者がいた。個人的にも興味があり話を聞くと、農村生活は他人から見るほど“おいしい生活”ではなく、生活は相当厳しいとのこと。

年収は100万に遠く届かず、農閑期には出稼ぎに行っているという。でも、その顔色は精気に溢れ、力強いエネルギーを放っていた。そんな生活に魅力を感じるが、今はまだ他にやるたいことが多すぎる。年に何回か、彼らに触れることで我慢しよう。

田植えを終えた後に残ったのは、我々6人と郡山に住む、僕のITの師匠のT君。秋山さんを入れて8人で、恒例のほだ木運びをした。ほだ木とは、シイタケ栽培に使う材木のことだが、このほだ木、妊婦のごとく、“出産”した後は、しばらく自然の中で“静養”を許される。我々は得意のバケツ・リレイの要領で、ビニール・ハウスからほだ木を搬送、森の中に横たえてやった。

ほだ木運びを終えれば、美味しいおやつと秋山さんの講話の時間。おやつと渋茶を頂きながら、参加者たちは秋山さんの話を聞く。

宇宙旅行の話を皮切りに、ジャーナリストの心得から国際情勢の読み方までを、時折り、いやかなり頻繁に下ネタをまじえながら話してくれる。聞き入る若者たちも真剣だ。

あっという間に時間が経過。時計の針は5時を指していた。名残惜しそうにお別れを告げ、我々は秋山砦を後にした。

手術を受けます

2007-05-16 23:54:41 | Weblog
手術を受けることにした。目をパッチリと鼻をスッキリ、そして、頬骨を削って「もこみち」並の小顔にしよう……てなわけはない。鼠径(そけい)ヘルニアの手術だ。

3年前、いきんだ際に足の付け根の上の部分に違和感を感じた。医者に行くと、鼠径ヘルニアと診断された。この病気、酷い話だが、日本では脱腸と呼ばれ、物笑いの種にされることもままある。だからひた隠しにする人が多い。でも、何も恥ずかしい病気であるはずがない。私はあえて病名を明らかにしたい。

病気の原因は二つ考えられる。一つはいきみ過ぎ。ウエイト・リフティングをやる場合、太いベルトを着けるが、あれは脱腸の予防である。身体を動かすことが好きで、下腹部に力を入れることが多かった僕がこの病気にかかるのは時間の問題であったかもしれない。

だが、診察した医者は僕の友人だが、なぜかウレシそうに「老人病ですよ。浅井さんも年寄りの仲間入りをしたということ」と、歳を取って筋膜が弱くなって起きる老人病説を採った。

彼は僕の主治医だが、幾つになっても高血圧や肥満とは無縁で若者並みの検査結果を出す僕に挑戦的である。

手術といっても簡単なもの。病院によっては日帰り手術をするところもあるらしい。ただ、インターネットで調べてもさいたま市周辺の主な病院で日帰り手術を実施しているところは見当たらず、仕方なく4,5日入院することにした。

ただ、ここで難問が一つ生じた。手術をする際の麻酔の方法だ。

腰椎又は全身麻酔を使うと主張する病院側に対して、僕は局部麻酔で手術をして欲しいとお願いした。医者は、局部麻酔では耐えられない痛さに見舞われる可能性があると言うが、腰椎麻酔の副作用や全身麻酔の危険性を考えたら、局部麻酔の痛さを僕は取りたい。

「割り箸を口に挟んでもらえれば我慢できます」
と言うと、医者と看護婦は笑い出してしまった。

そこで仕方なく、医者は僕が麻酔医と話し合いができる場を持たせてくれた。僕の友人が以前、その病院で麻酔医をしていたので、彼女の意見も聞いて“理論武装”して来週に予定されている話し合いに臨むつもりだ。

麻酔の方法は確定していないが、何れにしても手術の日は決まった。

残念ながらもこみちのようになって退院というわけには行かないが、剃毛でスッキリ(と言っても見せられないが)、内股気味で歩く「新生・浅井久仁臣」を見るのも楽しいかもしれない。御食事券付きで誘っていただければ、喜んで参りますよ。

赤ちゃんポストを想う

2007-05-16 00:51:42 | Weblog
「赤ちゃんポスト」が話題になっている。

僕は、邪魔になるからと若い親が自分の子を殺してしまったり、放置してしまう実態がある以上、様々な問題があるにせよ「命最優先」の方策を取るべきだと考える。だから、このようなポストの設置には賛成の立場だ。

昨日の朝になり、ポストに3才位の男子が投げ入れられたことが分かった。新たな問題を投げかけたと、マスコミは大騒ぎをしている。

果たしてそれが「想定外」とはいえ新たな問題なのか。僕にはそのことを問題視するTVコメンテイターや専門家の考え方が分からない。その種の議論を聞いていて彼らの視点が子供のレヴェルでないことがよく分かった。

赤ちゃんポストに投げ入れられた男児の心の傷を心配する声も多かったが、親に見捨てられる子供はその前から何度も傷つき、そしてその後もずっと傷を負ったまま生きていくのだ。箱に入れられる行為そのものは確かに我々の目から見ると残酷だが、子供たちにすれば人ごみに置き去られたりすることと大きな違いはない。

子供の年齢により、受け入れ態勢が異なるなどと些細なことを問題にして何になるのかと思う。そんな法律的なことや行政措置などはどうにでもなることだ。それよりも、「親たちから捨てられた」子供たちを新しい環境の中でどう育てていくかが大切なことだ。

まともな子育てをされずに大きくなる子供たちのナント多いことか。自分の周りを見ても現状はあまりに悲惨だ。


会議は踊る

2007-05-13 23:51:28 | Weblog
選挙を手伝ってくれた友人の1人が、“わるだくみ”を考えた。そこで、50代の男3人に、30代前半の女性、それと21歳の大学生が集まり、内輪で第一回企画会議を開いた。

呼び出されて何の話かと指定された場所に一人遅れて行くと、ワルダクミ尾嶋が口角泡を飛ばしてわるだくみを説明していた。話の内容は、コミュニティFMを使って番組作りをしようというものだ。

ワルダクミは、選挙活動で出会ったアラモアナまやがラジオ向きだからキャスター(DJ?)として育ててみたいと言う。確かに、ラモアナを3歳の頃から見ているが、彼女は面白い育ち方をしている。だが、いきなりコミニュティFMとはいえ、DJとは気が早いと助言した。

まあ、でもそんな話なら僕はお呼びでないので思わず腰が浮きかけたが、話を続ける内に文字通りの「会議は踊る」状態になった。話題があちこちに飛び、全員が意見を出し合っていると、何となくおもしろい形になってきたのだ。

そりゃあそうだ。集まったおじさんたち三人の面子がすごい。

ワルダクミ尾嶋は、これまでTVやラジオの番組作りに関わってきたギョーカイ人間である。思い余って日本の枠を飛び出して中国にまで羽を伸ばした男だ。結果的には大失敗に終わったが、その発想力は図抜けたものがある。そして、ハナヤギ笠原(日本舞踊のセンセ)も同じくギョーカイ人間で、ある在京キー局の看板番組の制作に関わってきた。さらに、言うまでもなく僕もギョーカイに長く籍を置いてきた身だ。

その三人に負けじと頑張ったのが、まさマツザカ。まさはスポーツ・ジャーナリスト志望の大学4年生。今はまだ「海のものとも山のもの」ともつかぬが、面白いものを持っていることは間違いない。

話はドンドン膨らみ、5人は全員目をギラギラ、鼻の穴をブカブカ意見を出し合う。周りの人達は、この珍しい集まりに、好奇の目を向けていたがそんなことにはお構いなし。あっという間に4時間が過ぎた。

ワルダクミの全容は、現段階では明らかにできぬが(本当はできるのだが面倒)、企画が固まってきたらその内この場で発表させていただく。皆さん、お楽しみに。

おやじギャル

2007-05-13 08:58:42 | Weblog
若い女性のおやじ化が言われて久しいが、昨夜見た光景はまさにおやじギャルそのもの。

昨日は、シンポジュームの後、若い人たちと飲み会をして、南浦和に帰ってきた。

電車を降りてプラットフォームを歩いていると、目の前にいた若い女性がつかつかと線路に向かって…。

飛び込み自殺?いや、でも彼女が向かった線路には「南浦和止まり」の電車しか来ないはず。飛び込むのであれば、反対側でないと願いを叶えられないですよと言うべきか悩んだ。いや、悩まないですよね、フツー。

フォーム(ところで、なぜホームといつまでも言うのですかね?)の端に立った彼女が次に取った行動を見て驚いた。

口からピューっと黄土色をしたモノが噴き出された。3回4回と勢い良く吐き出されると言うよりも、噴き出される。それも、素敵なワンピースを着た若い女性の口からだ。彼女のうしろ姿だけ見れば、およそ似ても似つかわしくない行動であった。

人間観察の好きな僕は、彼女の行動をずっと見ていたかったが、直子が気持ち悪いと言うので先を急いだ。彼女のその行為を見た直子は、「あそこで吐くのも酷いけど、吐くんだったらせめてしゃがんだらどう?」と吐き捨てるように言った(あ、この場合、この表現は誤解を受けますね。直子は、言葉を吐いただけです、念の為)。

幸いにして、直子のsuicaが残高不足で改札ゲイトで引っかかり、精算機の世話にならざるを得なかった。

しめしめ、これで件の彼女を見ることが出来ると改札を出て待っていると、来た来た。

これがまたなかなかの美形。昔、バックシャン(注1)という言葉があったが、前から見てもシャンである。

吐いてスッキリしたか、彼女、何食わぬ顔で改札ゲイトを通っていった。

見事なおやじギャルであった。

彼女の見事なおやじ振りを見たホンモノのおやじである僕は、彼女の後ろ姿を見ながら心の中で叫んだ。

「嗚呼、大和撫子(注2)よ。そなたは何処にお姿を隠されたのか?もうこの世におられぬのか?」


(注1)
バックシャン:これは、後ろを指すバックという英語ときれいという意味のシャン、厳密にはションというドイツ語を合わせて造った、いわゆる造語。昭和2,30年代に良く使われた。

(注2)
大和撫子(やまとなでしこ):これは、日本全国に古くから多く棲息したが、戦後の高度経済成長の波にのまれて急激にその数を減らし、世界の野生動物の保護を目的とするWWFが、1999年に絶滅危機種に指定した生き物。我が家を含めて私の周辺でも、時折りその片鱗を見せる変種は確認できるが、大和撫子という名に不可欠な「清楚で凛」「しとやか」「慎ましやか」といった表現を全て備えた純種ではない。ただ、いにしえの世から「男の理想」であって実在しなかったとの説もある。

伸びきったゴム

2007-05-12 12:34:20 | Weblog
昨夜は中学2年生男子の保護者と長時間の話し合い。

母親の話では、その子はゲイムに夢中で、放っておけば午前2時3時までやっているという。ゲイム機を取り上げて寝させると、寝床で携帯電話のゲイム機能を使って遊んでいるとのことだ。

都心の私立中学に通っているので6時前には起きなければならず、慢性的な寝不足。授業にはとても身が入らない。電車に乗ると眠りこけてしまい、何度も乗り過ごす。だから、彼には居場所が把握できるように携帯と警備会社の機器を持たせているのだが、地下鉄に乗ると行方不明。把握できなくなる。

ゲイムが諸悪の根源と考え、ならばとゲイム機を取り上げるのだが、そんな親のやることに惑わされることなく自分のカネを使って何台も購入、あちこちに隠しているらしい。“家宅捜査”をして4,5台見つけたこともあるとのこと。

一体自由になるカネがいくらあるのか、聞いてみた。

親からは大した小遣いは渡していないとのこと。ただ、親戚が与える金が半端ではないらしい。母親でさえその金額は把握していないと言うのだ。親は彼がもらってきた金を取り上げたり、貯金をさせてその通帳を管理しているのだが、親戚が一度に2万3万と与えるために、それをたとえば「1万もらったよ」と親に申告。残りは自分の部屋のどこかに隠してしまい、それを軍資金にするらしい。

危険なニオイのする話だ。これは、すぐにでも根本的な親子の信頼関係の回復からしなければとても改善されることはない。焦らずにじっくり時間をかける必要がある。しかし、残念ながら親には今のところそこまでする気はない。恐らく後数年経てば、私の言う意味が親には分かってもらえるだろうが、その時は、「時既に遅し」だ。

その子は幼児の頃から勉強とお稽古事漬けで休みなく来ている。勉強に疲れきってしまったのだ。進学校に入ったものの、本人にはその学校に通う意味さえ分かっていない。いつもどんよりとした目をしてぼーっとした表情を浮かべている彼を見ていると、「伸びきったゴム」という表現が浮かんでくる。

大家とのバトル

2007-05-12 00:55:49 | Weblog
 私たちはアパート住まいである。

 60にもなろうというのに持ち家もないのかと言われそうだが、残念ながらその事実は否定しがたく、毎月家賃を払う身だ。

 そのアパートだが、2年前に大家との確執をこのブログで書いたので御存知の方もおられるが、階下に住む大家と折り合いが悪く、あまり心地よい棲家とは言えない。

 昨日も、直子が出がけに「いちゃもん」を付けられた。玄関先においてあるエアコンの室外機をどかしてくれと言うのは理解できないでもないが、それに乗じて嫌味を二つ三つと並べ立てたという。

 これまで私たちは、大家が言うことを一つのことを除いては全て受け入れてきた。

「“ジミー(本名はジェニー)”を家の中に入れるな」「日除けをヴェランダに置くな」「干した布団を叩く時は声をかけてからにしろ」「窓は全部閉めて外出しろ」…その一つひとつに不満を持ちながらも大家に従ってきた。

 唯一、異議を唱えたのは、一方的な契約更新のやり方に対してである。

 約2年前、更新の直前に大家が持ってきた契約書に、何の前触れもなしに家賃の値上げが書かれていたので「家族に相談しますから(契約書を)お預かりします」と言ったところ、「それなら退去していただいて結構です」と言い放たれた。

 その話がこじれ、途中から話しに割って入ってきた娘が、「猫を部屋に入れて臭いがついて傷ものになった。責任を取ってもらう」「(店子のあんたが)愛人を囲っていて(大家の私たちが)近所に対して恥ずかしい思いをしている」とヒステリックに攻撃してきたことで私は激怒、「猫を招じ入れたのはたった2回だけのこと。それも、1年以上の前のことで臭いが残っているはずがない」「直子を愛人呼ばわりするとは、名誉毀損だ」「値上げは一切認めない」と反論して、「こうなったら更新料を払わない『法定更新』手続きをする」と、強硬手段に出た。

 法定更新手続きは、弁護士の案であったが、これに対して不動産取引に必要な「宅建」を持っているという娘が狂乱。大騒動となった。

 所詮は向こうに勝ち目はない闘いだった。それを知ったか、大家母娘はしばらくすると静かになった。だが、それからは何かこちらに落ち度があると、その時とばかりに攻撃をしてきた。回覧板をなくしたときなどは、それみたことかと、「本当にだらしないわね」と吐き捨てるように言った。

 ただ、大家との闘いも私にとってはどうということはないが、争いごとの嫌いな直子には辛いことのようだ。昨日の大家のいちゃもんにもショックを受けて帰ってきた。「もう引越ししたい」と真顔で言われた。

 どうやら残念だが近く移転せざるを得ないようだ。無職の身にはきつい状況だが、精神の安寧が一番だ。近い内に物件探しに入らないといけない。

尋ね人

2007-05-11 00:08:41 | Weblog
 直子が太平洋戦争の末期に行なわれた、「マニラ市街戦」の取材にこのところ時間の多くを割いている。

 何せ太平洋戦争も終わってから62年だ。当時戦っていた方たちも若くて80歳前半になられている。指導的立場にある将校クラスになれば、80代半ば以上だ。

 沢山の名簿を手に入れて、それを元に連絡を取るが、多くの方がこの世を去られており、なかなか取材協力者に行き着くまでに至らないのが現状だ。「決戦」の前や最中に日本兵が現地人を大量虐殺したという情報もあり、元日本兵は口を開きたがらない面もあるかもしれない。また、せっかく訪問の約束を取り付けても、その間に健康を害されてしまうこともしばしばだ。

 そこで皆さんにお願いがあります。これをお読みの方で、1945年1月から2月にかけてマニラにいた元日本兵を御存知であれば、ぜひ直子に御紹介していただけませんでしょうか。

どうぞよろしくお願いいたします。

直子のブログ
http://bridgeforpeace.jp/

学生運動って、ナニ?

2007-05-08 01:17:47 | Weblog
 弟子のひとりのまさが「大学で学生運動を始めようと思います」と宣言をしている。大学生の彼が学生運動を始めるというのだ。

 ただ、学生運動と言っても「学生・先生・スタッフが仲良く生活しやすい環境づくりです」とかわいい事を言っている。全共闘世代の私が考える学生運動とは隔世の感がある。

 その辺りがよく分からなかったのだろう。

 「よくいう『学生運動』ってどんなだったんですか?教えてください」と書いて来た。

 我々の頃の学生運動の原点は、やはり60年安保だ。1960年の日米安全保障条約の改定を巡って学生と労働者が連日抗議デモをして、国会突入を図ったり、米大統領の訪日の動きを阻止したりするなどして、歴史的な反対運動に発展した。特に、女子学生樺美智子の死は、安保闘争のシンボルとなり、今も語り継がれている。

 その流れに、ヴェトナム戦争への反戦活動や学費値上げ反対、大学民主化運動が加わり、全共闘運動が生まれ、それが全国の大学に波及していった。

 全国の大学の多くが活動家たちによってロック・アウト(キャンパスや校舎が封鎖)され、授業が出来ない大学が続発、入学・卒業式にも強い影響を与えた。学生たちは、デモに行かない方がおかしいと言われるまでになった。

 しかし、全共闘のシンボルであった東大安田講堂が機動隊の前に陥落すると、ドミノ現象のように他の大学の活動も急激に衰退していった。

 その頃の学生運動など、今から思えばよくぞあんな状況を作れたなと感心しきり。二度とあのような熱気が再生するとは考えにくいだけに、懐かしさもあって思い返すといい想い出が少なくない。「全共闘」という言葉にしてもそうだ。その言葉には、もちろん、ベースにあるのは苦ーい想い出だが、我々オジサン、オバサンにとってはどこかあま~い味が詰まっている。

 若い人たちに説明しても、この複雑な味、分かるかなあ?わかんねえだろうなあ(御同輩、ここんとこ松鶴家千とせ風に御唱和を)。




強制連行された従軍慰安婦などいなかった?

2007-05-06 23:04:17 | Weblog
日本軍や軍属により強制連行されて従軍慰安婦にされた人たちの問題について、若い友人の1人Kからメイルで、

「3月終わり頃の読売新聞に『97年の時点で強制連行の資料はなく、その後もそれを覆す資料は見つかっていない』とあり、万が一新聞記事が本当であれば『証拠はないが、本人が言ってるんだから間違いない!』という冷静さに欠ける主張がまかり通っていることになります。感情に振り回され冷静さを欠くことは戦争に最も結びつきやすい状態と言えるのでは?」と言って私に説明を求めてきた。

それに対して、僕が書いたが、これは皆さんにぜひ読んでいただきたいと思い、下に紹介させていただくことにした。

以下、友人Kへの返事。

戦争においては、都合の悪い証拠は隠蔽されるのは常。どの戦争においても多くの虐待事件が証拠不十分で被害者は泣きを見るんだ。
僕が取材した戦争でも同じさ。

強制連行については、君の周りを見れば分かること。多くの在日がいるだろう?それらの人たちの祖先が日本に喜んできたとでも思うか?どれだけの人たちが日本に連行されてきたか。数十万人どころか百万人を超えていたという情報もある。だが、それらの強制連行の証拠のほとんどは戦争末期に消滅抹消されているんだ。強制連行された若者たちは全国の工場や工事現場に送り込まれて死んでいったよ。広島や長崎でもね。その人たちの賠償はしたか?証拠が無いことを、また国家間で合意をしたことをいいことに何もしていないよな。

昔は、清水トンネルなんかを汽車で通る時、おばあちゃんたちは、トンネル工事で死んでいった朝鮮人労働者の霊を慰めるために、席に正座をして合掌してお祈りしていたね。

慰安婦の連行についても同じ流れで行なわれていたようだ。朝鮮の村や町から若い女が次々に姿を消して行ったのさ。それも白昼堂々と行なわれていた。これは、僕が育った父親の郷里の村人から体験談として聞いたこと。

でも、関わった者たちには「帰国しても、お前たちが(朝鮮や中国で)やってきたこと、見てきたことは誰にも言うな。棺おけに持って行け」と厳命されたんだそうな。だから、日本兵だった多くの人は、口をつぐんだまま亡くなっているよ。

強制連行された慰安婦の話は、戦後しばらくはあちこちで書かれているよ。だから、ほぼその事実については、常識だったといっていいのではないかな。代表的なのは、そして僕が強い衝撃を受けたのが、人間の條件という小説だ。これは、敗戦の年から10年後に出された大ベストセラーで1300万部売れたと言われている。映画化もされて大ヒットしたよ。この中に書かれた慰安婦の話がウソなら、戦争を知っている人たちから大ブーイングが起きただろうし、誰もこの小説を読むことはなかっただろうね。

この本を買ってきた僕の母親は、本を読んだ(中学生だった)僕の慰安婦の質問に何も答えられず、「子供はこんな本を読むんじゃない」とだけ言ったよ。成人してからこのことを話したが、母はピョンニャンにある将校宿舎で新婚生活を送っていただけに父親から聞いたことも含めて多くのことを知っていたよ。慰安婦の強制連行もね。「あの人たちは本当にかわいそうなことをした」と言っていた。

「父親も強制連行に加担したのか」との僕の問いに、
「あんたの父さんは陸軍の精鋭将校だったからそんなことには関わらなかった」と答えていたね。彼女にとってはそれがせめてもの救いだっただろう。

だからね、こういう問題で一番重要なことは、密室なり、証拠が残されていない状況の中で被害を訴える人がいたら、まずその人たちの言うことに耳を傾けてみることさ。何も知らない君たちが、一部のマスコミ報道や本に影響を受けて、軽はずみに南京虐殺にしても、強制連行にしても、「無かったのでは?」と発言することは、好ましくないね。

史実を捻じ曲げるから人間は過ちを何度も繰り返すのさ。戦争という殺し合いをするんだ。

日中関係にしても自分に置き換えてごらんよ。

君の肉親を殺した隣人が、事件直後はおとなしくしていたのに、時間が経ったら、「あれはでっち上げ」とか「あんたの肉親にも悪いところがあった」などと言い出せば、どう思う?許せないだろう?

「何度謝ればいいのか」という議論があるが、人を殺したら一生どころか、何代もかけて償い続けるんだ。それくらい人の命を奪うことは大罪なんだよ。それが分かっていないからたわ言を言いだすんだろうな。