都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京都庁西2号分庁舎

2019-11-22 | 千代田区 
東京都庁西2号分庁舎(旧衛生局庁舎)
所在地:千代田区丸の内3-5
建設年:1934(昭和9)
構造、階数:RC、4F・B1F
解体年:1991(平成3)
Photo 1991.3.31

 モダニズム風の白い箱形の建物。角の部分が丸く、塔屋に円形の窓があるところは表現派的なのかな? 当時は気後れして敷地内に入らずに外から撮ってしまったのだが、今思えば、もっと近寄って撮っておけば良かったと後悔しきり。こうしてみると、旧都庁はいろいろな時代の建物が建ち並んでいて、それだけで一つの建築史展示場みたいに思えてくる。

2007.2.25

Wikipedia > 東京都庁舎

ぼくの近代建築コレクション都庁西2号庁舎/丸の内3丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #近代建築 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都庁西1号分庁舎

2019-11-20 | 千代田区 
東京都庁西1号分庁舎(旧建設局庁舎)
所在地:千代田区丸の内3-5
建設年:1925(大正14)
構造、階数:RC、5F・B1F
解体年:1991(平成3)
Photo 1991.3.31

 撮影したのが雨の夕方だったため、建物は黒くくすんだようになっていた。古い建物なことは分かっていたが、当時は今ひとつ撮影意欲が湧かず、遠くから撮った写真に写り込んでいるだけだった。しかし建物が無くなってしまった今となっては、もっとちゃんと撮っておけば良かったとつくづく悔やまれる。よく見ると、アーチ状になった玄関部分など、気になるデザインの建物である。

2007.2.25

Wikipedia > 東京都庁舎

ぼくの近代建築コレクション都庁西1号庁舎(1)/丸の内3丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #近代建築 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都庁第一本庁舎

2019-11-18 | 千代田区 
東京都庁第一本庁舎
所在地:千代田区丸の内3-5
建設年:1957(昭和32)
構造 :SRC
階数 :8F・B2F・R3F
設計 :丹下健三
解体年:1991(平成3)
Photo 1991.3.31

 日本を代表する建築家、丹下健三(1913−2005)により設計されたモダニズムオフィス。建物の足下はピロティにされ、全体が宙に浮き、足下にユニバーサルな屋外公共空間が作られていた。庇が水平に連続して延び、和風モダニズムのようになっている一方で、黒いルーバーが全面を覆い、鉄骨建築のような表情を見せている。またこのルーバーが全体を横長の直方体のように見せ、それが軽々と宙に浮いているように見せる効果を出している。更に、垂直に細かく規則正しく割り付けられたルーバーが合理的かつ機能的なオフィスビルであることを示している。実際、中央のコア部分に、EV、階段その他の設備群を集め、広々とした無柱のオフィス空間を創り出すことに成功している。

2007.2.25

Wikipedia > 東京都庁舎

ぼくの近代建築コレクション都庁第一本庁舎/丸の内3丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #丹下健三  #モダニズム 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#官公庁  #高層ビル  #モダニズム  #登録有形文化財 
#docomomo japan  #近代建築  #郵便局 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)

2019-11-10 | 千代田区 


 Photo 1994.1.23

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)
所在地:千代田区丸の内 1-6
建設年:1938(昭和13)
構造・階数:SRC・8F
解体年:1998(平成10)

 鉄道省、国鉄、JRと移り変わった建物。装飾も少なくやや地味なデザインだったこともあって、遠くから撮っただけで終わってしまった。1・2Fは重厚な石張り、7Fと8Fの間に一つ軒庇をまわして、基部、本体、頂部の三層構成の外観としていた。


 Photo 1997.3.27

 築60年で解体され、隣接地のビルを含む一街区全体が丸の内オアゾとして再開発された。丸の内近辺は8〜9階建て、軒高100尺(30.3m、戦後は31m)のビルが建ち並ぶ街並みだったが、丸ビルをはじめとして次々と建て替えが進み、100〜200mの超高層ビルが建ち並ぶ街に変貌している。

廃景録国鉄本社 その1
ぼくの近代建築コレクション国鉄本社

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス  #官公庁 
#近代建築  #高層ビル 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会計検査院

2019-09-12 | 千代田区 
会計検査院
所在地:千代田区霞が関 3-2
建設年:1935(昭和10)
構造・階数:RC・5F
解体年:2004(平成16)
Photo 2003.12.29

 4F建てだったものに5階を増築した模様。中央部の屋上飾りが5階壁面に呑み込まれる結果になっている。全体としては装飾が少なくモダンな官庁建築。


 玄関。大仰な車寄せではなく、国の役所にしては地味な玄関。


 会計検査院前から文部省(写真奥右側)を見る。

昭和初期にできた官庁街の街並み。再開発後は高層ビルの街並みになる。

2007.2.25

 文部省と一体的に再開発されて高層化され、2007(平成19)年秋に霞が関コモンゲートが完成。
会計検査院の建物は、玄関まわりが新しいビルの一部として再利用された。

会計検査院/霞が関3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #近代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧文部省(文部科学省)

2019-09-10 | 千代田区 
旧文部省(文部科学省)
所在地:千代田区霞が関 3-2
建設年:1932(昭和7)
構造・階数:SRC・6F
Photo 1995.10.21

 2004(平成16)に一時閉鎖。部分的に保存した上で再開発されて、2007(平成19)秋に霞が関コモンゲートの一部となった。


 Photo 2003.12.29

 目の前の桜田通りで共同溝の工事をしていたため、虎ノ門交差点付近からは残念ながら全景が写せなかった。


 Photo 2003.12.29

 桜田通りに面した部分に正面玄関があったが、道路拡幅がされて前面のスペースが削られたのか玄関前の引きはあまりなかった。


 Photo 2008.2.28

 もともとは中庭がある変則的五角形の建物だったが、東側の桜田通りと北側の三年坂に面したL字型部分を残して南西側は取り壊され、北西側の会計検査院と一体的に再開発が行われた。このため上3枚の写真に写っている部分は結果的に全て残されている。

 左後方は霞が関コモンゲート東館。現在はここに文部科学省や会計検査院が入居している。旧文部省の建物は改装され、内部には展示室なども設けられている。

文部省/霞が関3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁 
#近代建築  #高層ビル 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧内務省庁舎・合同庁舎第二号館

2019-09-08 | 千代田区 
旧内務省庁舎・合同庁舎第二号館(人事院ビル)
所在地:千代田区霞が関 2-1
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
備考 :建て替えにより解体
Photo 1995.10.21

 旧内務省庁舎。自治省だけでなく人事院や警察庁なども入居していたので、正式には合同庁舎2号館なのだそうだ。丸の内に残る戦前の官庁建築は徐々に減っていく。2003年末に文部科学省と会計検査院も一部は残ったが建て替えられ、残るは財務省のみ。

 内政全般を扱っていた内務省に相応しい巨大庁舎建築。濃い茶色のスクラッチタイルが重厚さを醸し出していた。

ぼくの近代建築コレクション合同庁舎第二号館(人事院ビル)

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #近代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)

2019-07-18 | 港区   
東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)
所在地:港区六本木7-22
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC・3F
Photo 1995.5.27

 東京大学生産技術研究所の建物は、戦前に歩兵第三連隊の兵舎として建てられたもの。一帯は江戸期には伊予宇和島藩(愛媛)伊達家の上屋敷だった場所で、明治期に陸軍用地となった。

1874(明治7)歩兵第三連隊設置。
1923(大正12)関東大震災で木造兵舎が焼失。
1928(昭和3)歩兵第三連隊兵舎として上記写真の建物がRC造で竣工。
1945(昭和20)米軍に接収され、ハーディーバラックス・エリア1(Hardy Barracks Area1)となる。
1958(昭和33)日本側に返還(エリア1の一部は未返還)。
1962(昭和37)東大生産技術研究所が千葉県からこの場所に移転。
2001(平成13)東大生産技術研究所が駒場に移転し、この後、建物が解体される。
2005(平成17)政策研究大学院大学が跡地に移転。
2007(平成19)国立新美術館が跡地に開館。

 第二次大戦後は一時米軍に接収されたが、返還後、東大生産技術研究所として使われるようになった。写真はこの時期のものだが、この数年後に生産技研は移転し、建物が解体されて国立新美術館が造られることになった。撮影当時、既に計画はあったのかもしれないが、私がそれを知るはずはなく、私自身はこの敷地内、建物内を見学することはないまま終わった。

 建物は「日」の字型をしていた。昔の建物は採光のため、光庭を取った建物が多かったが、この建物ではそれに加えてコーナー部が丸くなっていて、廊下も長方形ではなく、角を斜めにした八角形だったようだ。一説には、万一何者かが侵入したとき、似たような廊下が続き、侵入者が自身の場所が分からなくなるようにしたと言われている。


 六本木ヒルズ森タワーから  Photo 2003.5.20

 写真の頃には昔の庁舎建築の一部分だけを残した状態で、国立新美術館の建設が行われていた。
 この後、2007(平成19)年1月に国立新美術館は開館。

 旧歩兵第三連隊兵舎の建物のうち、上記写真で残されていた一部分は保存されて別館となった。ただし写真の塔屋部分は残存していない。また北面部分は更に削られ、ガラス曲面の壁面とされた。結局、保存されたのは全体の1/10に満たない部分のみだった。

保存された一部分の現況 → 国立新美術館-3(都市徘徊blog)

Wikipedia > 歩兵第3連隊

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #研究所  #近代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧麻布保健所(港区麻布保健所)

2019-07-16 | 港区   
旧麻布保健所(港区麻布保健所)
所在地:港区六本木6-16
構造・階数:木造・2F
Photo 1996.5.15

 六本木ヒルズの再開発地に隣接したすぐ南側の通りに面して建っていた。六本木ヒルズの再開発(当時は六本木六丁目再開発事業)が動き出した頃、既に空家のようになっていたので、当然一緒に再開発されるものだと思っていたら、なぜか再開発対象地からはちょっと外れてしまい、ずっと空き家のような感じで残り続けていた。もともと公共施設なので、一時的に別の公共施設として利用されていたこともあったようだ。しかし、2005年の春になって訪れてみたら、やはり取り壊されていて、六本木ヒルズへとつながる斜面の公園になっていた。場所柄、欧米人の子供が家族と共に遊んだりしている。

 すぐそばに玄碩坂からクランク状に上ってくる階段の出口があるのだが、出口部分は建物と共に残されている。下部の階段は地形がまるごと変わってしまったので消失してしまった。ポケットパークの草むらの中に、奇妙な感じで小径が残っている。

2018.6.13
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス  #公共施設 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする