都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

名曲喫茶クラシック

2019-01-29 | 中野区  
名曲喫茶・クラシック
所在地:中野区中野 5-66
構造・階数:木・2F
建設年:1916(大正5)
備考 :2005.1月末閉店 2005.11.2解体
Photo 2005.5.18

 2005.11に「Site Y.M. 建築・都市徘徊」に記載しましたが、ブログ内に記事を移設しました。


 五木寛之氏のエッセイを週刊誌で読んでいたら、行きつけの喫茶店が次第になくなってしまい残念である、というくだりがあり、フムフムと読み進めていたら「よく通った中野のクラシックももうない。」とあった。へ?、去年行ったんだけどな。自宅の近くでしょっちゅう通ってるし。間違いじゃないかしら?。気になって、早速訪ねてみる。すると、ガーン。2005年1月末で閉店だと。もう一度行っておけば良かった。

 今回、初めて外観をしげしげと眺めてみた。お店をやっていた頃はこの路地にクラシックという黄色い看板が出ていたのだが、既にそれもない。1月の閉店後、数ヶ月の間に、ペイント落書きもされてしまった。今となってはただの廃墟。なんだかとても残念。

 しかしこのお店、営業していた当時もかなり怪しい建物ではあった。年月を経てそうなってしまったのだろうが、店内の床があちこち傾いていた。窓や手摺もゆがんでいて、崩れてしまうのではないかとちょっと怖い。寄りかかったりするのをためらってしまう。椅子もかなり年季が入っていて、ギシギシガタガタ。バネがバカになっていて、座るとズルズルっと沈み込んでしまう。ただこの老朽化加減は昔からのものだったと、30年ほど前から店の様子を知る方に伺った。となるとこの怪しさも昔からのものだったのだろうか??

 また、コーヒーを頼むとミルクがマヨネーズの蓋に入って出てくるのが印象的だった。店内がかなり暗いので、コーヒーは怪しい黒い飲み物になる。暗いと人間の味覚はやや鈍くなくなるということがよく判った!。多分にヒトは目で味わっているらしい。

 それから、このお店には飲み物のmenuしかなかった。食べ物を出さない代わりに、ゴミを持ち帰れば食べ物の持ち込みOKというシステム。慣れたお客さんは、コンビニでサンドイッチなどを買って、店内でピクニックみたいにそれらを広げて食べていた。こういう営業スタイルでよく続けられるなぁと、ちょっと不思議だったのでした。

 渋谷のクラシック喫茶・ライオンの方は、CDも使っていて、スピーカーも新しくしたりしているようだが、中野クラシックはアナログオンリーで、全部が「クラシック」だった模様。まあ、それはどちらでも良い。閉店の理由は判らないが、チェーン店のCafeに押されて、このような個性的なお店がなくなるのはやはり残念だ。建物がまだあるんだから、またお店開いてくれないかなぁと、何回も通ったわけでもないのに勝手に期待。

 閉店になったらたちまち落書きがされてしまった。アートだという人もいるが、いかにもレベルが低い。どう考えてもやはりただの落書き。汚損しているとしか言いようがない。無人だから、古いからといって、落書きで汚して良いわけはない。もったいない、もったいない。

 2005.11.2に通りかかったら、まさに解体している最中だった。結局、再開はなかった。重機が建物に襲いかかり、瞬く間に廃材の山を作っていた。解体の現場は、記憶を粉砕するようで、あまり見たくない。

名曲喫茶クラシック - Wikipedia

Tokyo Lost Architecture
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サキガケ荘

2019-01-27 | 中野区  


Photo 2000.6.25

サキガケ荘
所在地:中野区中野5-51
建設年:1933(昭和8)以前
構造・階数:木・2F
備考 :2002年末に解体。
    建て替えられて、マンション(レジデンスサキガケ)になった。

 敷地の奥の方に建物の玄関があった。手前左側は店舗(鮮魚店)として利用されていた。右奥に見える木造建物群の一角も同時に取り壊され、再開発された。
 1933(昭和8)年の火災保険特殊地図(都市製図社発行)に既にサキガケ荘が記載されているので、関東大震災前後の建物なのではないかと推測される。


Photo 1996.3.21

 サキガケ荘があったのは、中野駅北口・中野ブロードウェイの東隣。背後にそびえるのは中野ブロードウェイビル。周辺は戦後形成された露店群の名残を留める商業地。飲屋街、食堂街に混じってこのアパートも存在していた。因みにブロードウェイビルもそれら店舗群を整理して再開発した建物。


Photo 1996.3.21

 明治の頃の建物ではないので、擬洋風建築と言って良いかわからないが、サキガケ荘もその系統に属する。モルタルでできた怪しい模様が軒先に着く。写真から判断して、玄関上の2F部分も居室だったようだ。

廃景録サキガケ荘

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#失われた建物 中野区  #住宅系  #集合住宅 
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中野ハウス

2018-08-23 | 中野区  
中野ハウス
所在地:中野区中央5-42
構造・階数:木・2F
備考 :2010.10〜2013.6に解体
Photo 2007.3.2

 河井医院の西側にあった集合住宅。河井医院の方はギャンブレル屋根の3階建てなのに対して、こちらは2階建てだったが、外壁や窓、庇の様子などは似通っていた。建設年代はわからないが、同時期に解体されて建て替えられたようで、両者にはなんらかの関係があったのかもしれない。

 玄関は河井医院(写真左)の裏手側にあった。河井医院の建物と繋がってはいなかったが、医院の勝手口とアパートの玄関は同じ路地に面していたようだ。

 北側には大きめなガラス窓が多く並んでいた。張り出した部分もあったりする。ただ、内部の間取りがどのようになっていたのかは知らず。2階への階段がどこにあったのか、中廊下がどうなっていたのか、トイレが共同だったのかどうかなども今となっては分からない。

 西端近くには外付けの階段があった。2階のひとつ上まで繋がっていたが、3階があったのかどうかわからないので、この階段が屋上へのものだったのか3階へのものだったのかは分からない。後付けの鉄製階段で非常階段として用いられていたのかもしれない。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #住宅系  #集合住宅 
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河井医院

2018-03-27 | 中野区  
河井医院
所在地:中野区中央5−42
建設年:?
構造・階数:木造・3F
備考 :2010.10〜2013.8に解体
Photo 2007.3.2

 大型の腰折れ屋根(ギャンブレル屋根)を載せて、事実上3階建てにした木造家屋。青い瓦屋根が印象的だった。

 東側正面上部。東南角の2階は恐らく増築。窓のサッシは換えられており、装飾はほとんどない。残念ながら老朽化のためモルタル壁面の汚れが目立つ状況だった。

 西側壁面。事実上の3階建てで幅も奥行きもあったので、木造家屋だがボリュームのある外観をしていた。


 玄関部分

 表札には「中野区橋場町四八番地」と記されていた。中野区が成立したのは1932(昭和7)年、橋場町が中央5丁目になったのは1967(昭和42)年。「中野区」の文字が左から書かれており、区の字も旧字の「區」ではないので、表札は戦後に書き直されたものかもしれない。しかし扉のガラスに書かれた医院の金文字は、「河井醫院」と旧字になっており、建物はやはり戦前のものだったのではないかと思う。

 装飾はあまり無かったが、玄関まわりにはスクラッチタイルが用いられ、扉の上にはステンドグラスが嵌められていた。


 建物裏の西側壁面

 河井医院は2010年10月時点では存在していたが、2013年8月に訪れた時には既に解体済みで、マンションを新築中だった。Google Mapの2013年の航空写真でも更地になっている。

 医院の西側には中野ハウスという木造モルタルの共同住宅があったが、こちらも解体されて消失している。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区  #医院  #ギャンブレル屋根
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深野屋酒店

2018-03-23 | 中野区  
深野屋酒店
所在地:中野区 松が丘2−33
建設年:?
構造・階数:木造・2F
解体年:2011(平成23)
Photo 2004.12.5

 新青梅街道沿いに建っていた木造モルタル看板建築の酒屋。2004年に通りかかった時には、左側は自販機がシャッターの前に並んでいたが、右側では店舗がまだ営業していた。

 写真右奥にもモルタル看板建築があるが、これは一足早く建て替えられた。また左端に少しだけ写っている建物も2011年に訪れた時には解体中だった。


 Photo 2011.1.30 

 いつ頃廃業したのかは知らないが、2011年に見た時には解体のお知らせが既に掲示されていて、シャッターには落書きがされ、自販機も半数が撤去されていた。


 Photo 2011.1.30 

 商店は二棟とも平入り。戦後は看板建築にしやすいように妻入りとしたものが多いという話を聞いたことがあるが、ではこれが戦前のものかというと、モルタル看板建築でもあるのでそんな感じには見えない。店舗の間口が比較的広いので、平入りとしたのかもしれない。

 左側(東側)の建物は既に解体中だった。酒店もこのあと解体されたのでほぼ同時期に建て替えられたわけだが、一体の建物にはならず、それぞれが建て替えられたようだ。


2022.12.30追記
 深野屋酒店の建物も古かったようだが、戦前・戦後版の火災保険特殊地図の版がないため、いつ頃のものだったのかは不明。把握できた範囲では、1958(昭和33)年版の「東京都全住宅案内地図帳」に「深野屋」として掲載されている。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区  #看板建築  #モルタル看板建築  #旧街道 
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新井天神 北野神社 酉の市

2014-12-08 | 中野区  
所在地:中野区新井4-14
Photo 2014.11.22

 中野駅から10分ほど中野通りを北へ歩いた場所にある北野神社。新井天神とも呼ばれ、基本は天神さま(菅原道真公)を祀る神社。 また、江戸期には近くの梅照院(新井薬師)が別当寺だったという。

 新宿の花園神社ほどにはお店が出ていないが、それでもかなり賑やか。

 お札同様、熊手も御焚き上げをするようだ。 酉の市にあまり行ったことがなかったので、これは全く知らなかった。

 境内社として大鳥神社があって日本武尊が祀られている。ふだんは静かだが、この日は長蛇の列。

 二の酉の夜なのでもう売り切れに近い露店も。 境内にはおでん屋なども出て、冷え込みの中、呑んで上機嫌の人も。。

新井天神 北野神社
#祭  #神社  #夕景・夜景 
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東中野・瀧山稲荷

2014-11-12 | 中野区  
瀧山稲荷大明神
所在地: 中野区東中野5-26   Google Map
段数 :23段(下から1・13・1・8段)
Photo 2014.9.14

 旧東中野小学校東側の斜面に位置する瀧山稲荷大明神。境内の通り抜けは残念ながらできない。

階段上から

 小さな神社なのだが、木が生い茂っていて薄暗く、妙に濃密な空間。

参道階段の途中部分

 小さな踊り場を介して2段階で上る参道の階段。
 踊り場のわきには、橋の欄干のような形をしたものが。手摺とは言えないような低さで、アーチ状の穴が空いている。
 斜面の側には、妙な四角い物体。どうも枡状のもののようだ。もしかして、ここには水路でも通っていたのだろうか? 斜面の途中を横切っているというのが奇妙だが、もしそうだったら、かなり面白い。今度、通りかかったらもう少しよく確認してみたいところだ。

#階段・坂 中野区  #神社 
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旧中野区立東中野小学校北側の階段

2014-11-10 | 中野区  
旧中野区立東中野小学校北側の階段
所在地:中野区東中野5-26と27の間   Google Map
Photo 2014.9.14

 階段上部から。 右側、擁壁の上が旧東中野小学校。 左側は神田川方面の斜面になっていて、ところどころから大久保方面が見える。

 全体にややカーブした長い階段。また階段わきにある瀧山稲荷の木が覆い被さっていて、昼でも薄暗く、先があまり見通せない。
「東京の階段」ではp.196で写真だけ掲載したが、実はかなり魅力的な階段だ。

 途中から。上部は石積み、中ほどはブロック積みの擁壁。神社の側はコンクリートの万年塀が続く。

 下部から。下の方ではかなり高いRC擁壁になっている。木が覆い被さって薄暗く、通り抜けられるかどうか分からない感じだが、そのトンネル感が魅力的。

 階段を下ると川沿いの低地。背後の高台は小滝山と呼ばれた山だというが、こうしてみると、確かにちょっとした山のように見える。

#階段・坂 中野区 
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小滝台・旧中野区立東中野小学校前の階段

2014-11-08 | 中野区  
旧中野区立東中野小学校前の階段
所在地:中野区東中野5-19と27の間   Google Map
段数 :37段
Photo 2014.9.14

 37段で校門(通用門)に至る。
 統廃合されちゃったのでこの通用門は今は使ってない。だから足元を見ながらステップを上ると、通用門にガチャンとぶつかる。。
 そういえば6年前に来た時は、小学生たちがこの通用門から出て帰って行くところだった。その翌年、2009年3月に統合されたのだそうだ。そんなに昔の話じゃないのに、時の経つのが早い気がする。

階段上から
段数 :小学校門内の部分は、29段
Photo 2014.9.14

 坂道の方も車止めがあって、車は通れない。
 左手の手摺は学校の通用門内の階段。通用門から入った先はだらだら坂ではなく、しっかりした階段で、門内は29段(通ることは出来ないけれど、外から覗いて数えた。。)。

Photo 2014.9.14

 小滝台の尾根筋の方から、同じ坂(階段)の上部。左手が旧小学校。遠方は大久保方面。上の方は狭い坂。

#階段・坂 中野区 
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東中野 2

2014-11-04 | 中野区  
東中野4丁目交差点
所在地:中野区東中野5-3   Google Map
Photo 2014.9.14

 右へ行くと、ほぼ水平移動で東中野駅東口へ。左へ行くと、どんどん下って神田川沿いの低地へ至り、JRガードをくぐる。遠方には西新宿の超高層ビル。立体的にねじれた分かれ道が、景観的におもしろい。

東中野郵便局わき・ゆうれい坂東側の階段
所在地:中野区東中野5-11と15の間   Google Map
Photo 2014.9.14

 近辺はその昔、周恩来が日本に留学した際に住んだといわれる場所。階段上は、明治期に華洲園という花卉栽培園があり、大正〜戦前期は華洲園住宅地・小滝台と呼ばれた高級住宅地。

Photo 2014.9.14

 東中野郵便局わきの階段上から。マンションなどが建って残念ながらあまり遠方は見えないが、往時は眺望が良かったのではないかと思われる場所。

ヴィラロイヤル東中野
所在地:中野区東中野5-20   Google Map
建設年:1969年築
構造・階数:RC・9F
戸数 :48戸
Photo 2014.9.14

 どちらかというと古いマンションということになるが、EV塔部分の曲面がきれいで、なんだか存在感がある。

東中野ハイム
所在地:中野区東中野5-23   Google Map
建設年:1974年築
構造・階数:SRC・14F
戸数 :202戸
Photo 2014.9.14

 こちらは築40年の大型マンション。周辺が低中層だと、すごく存在感がある。 また、ここは量産型の水性ボールペンを初めて実用化したOHTO社の工場があった場所なんだそうな。

#街並み 中野区  #階段・坂 中野区  #古い建物 中野区 
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