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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

横田畳店

2021-10-15 | 港区   
横田畳店
所在地:港区 三田1-8
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前
解体年 :2007(平成19)頃
Photo 2006.4.23

 トーホー薬局の西隣にあった銅板張り看板建築。1階は改修されていたのか古い感じではなかったが、2階壁面は全面が銅板張りだった。

 そしてこの建物もトーホー薬局同様、パークコート麻布十番 ザ タワーの建設に伴って、解体された。

パークコート麻布十番 ザ タワー - Wikipedia
國徳商事トーホー薬局 - 都市徘徊blog

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 港区  #商業系  #看板建築 
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トーホー薬局

2021-10-12 | 港区   
トーホー薬局(旧 東洋研磨剤)
所在地:港区 三田1-8
構造・階数:木・2
建設年:1931(昭和6)
解体年:2007(平成19)頃
Photo 2006.4.23

 一ノ橋ジャンクションの近くにあったタイル張りの木造店舗。もとは別の会社だったようだが、当時のことは知らず。

 パラペットと2階の窓台などは石張り(またはモルタル)。窓は縦長で観音開き、木製窓枠のままだったようだ。

 この近辺、三田1-7〜1-9にあった家屋群は全て、パークコート麻布十番 ザ タワー(三田小山町第2地区市街地再開発事業)の建設に伴い、2006.4〜2007.10の間に解体された。

パークコート麻布十番 ザ タワー - Wikipedia
國徳商事 - 都市徘徊blog

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東京慈恵会医科大学本館

2021-10-09 | 港区   
東京慈恵会医科大学本館
所在地:港区 西新橋3-25
構造・階数:RC・3F
建設年:1933(昭和8)
解体年:2017(平成29)〜
Photo 2013.3.29

 H型の平面をもつ低層だが大きな建物。外壁はスクラッチタイル張り。他の校舎や病棟、研究棟が多くあるので、街区外側の通りから見えるのは玄関がある北側が中心。
 このうち東側はベランダがあり、中央部は壁面にガラス面を合わせた形、西側は庇が出る形で、内部の利用形態に合わせたのか外観が少しずつ異なっている。


 Photo 2006.4.15

 玄関・車寄せ西側、道路沿いの部分は、各階で連続する庇が回っている。後付けの避難階段やエアコンの室外機・配管があるため整ってきれいな外観とは言えなかった。

 病院建築はやはり古いと耐震性、設備、屋内環境に問題がありそうで、古い建物を使い続けるのはやはり困難なのだろう。中庭など緑地があってゆったり安らげる環境が理想だが、都心では土地の高度利用も求められてしまう。そのようなわけで2000年頃から建て替えが検討されていて、他の病棟などを順次建て替えた末、この建物も解体・建て替えとなった。

東京慈恵会医科大学/西新橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京慈恵医科大学本館 - ゆる~り、ゆるゆると~

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都立港工業高校

2021-10-03 | 港区   
都立港工業高校(旧愛宕高等小学校)
所在地:港区 西新橋3-18
構造・階数:RC・3F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2013.3.29 敷地西南側から

 都立港工業高校は、東京慈恵会医科大学の北側の一角にあった学校。敷地西側にあった南北に長いRC・3Fの校舎(上写真)は、1928(昭和3)に愛宕高等小学校として建てられたものだったそうだ。港工業高校は1946(昭和21)開設、1948(昭和23)開校という。

 2004(平成16)に港工業高校が廃止されてからは、警察関連施設などとして利用されていたという。なお、2007年版のゼンリン住宅地図では建物外形の記載のみで、施設名などの記載はない。


 西北側から Photo 2013.3.29

 上写真、1928年に愛宕高等小学校として建てられた部分は、各階の庇の下側が曲面になっており、角部分も庇が丸められている。また、窓は縦長で開口部はあまり多くない。


 北東側から Photo 2013.3.29

 こちら側の建物は戦後、港工業高校になった後の建物だそう。北東側の角は体育館とかだったようだ。


 北側道路から東南方向 Photo 2013.3.29

 北側道路にはカマボコ型屋根の小体育館?もあったが、こちらも後年の建物。


 東南側から Photo 2009.3.31

 東南側には他よりは高さのある校舎が建っていた。こちらも後年の建物だったようだ。

都立港工業高校/西新橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都港区旧愛宕高等小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて

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堤第一ビル

2021-09-30 | 港区   
堤第一ビル
所在地:港区 新橋1-15-4
構造・階数:RC・5F
建設年:1920(大正9)
解体年:2014(平成26)
Photo 2010.9.15

 新橋駅の近くに建っていたビル。1、2階はそば屋や居酒屋で前面外壁が造り替えられていたが、3階から上は当初からのもののようで、その外壁が黒ずんでいたため、一見すると廃墟のように見えてしまい、駅前で得も言われぬ存在感を放っていた。
 『日本近代建築総覧』には4F建てと記されていたが、側面の窓からすると5階建て。4階建てを増築したようにも見えなかった。
 上写真でビル側面に並ぶ自動販売機の右手にも建物の入口が見える。

 軒先のデザインは幾何学的なもの。その下の部分には草柄のレリーフがある。
 また、窓枠の多くは古くからのものだったようだ。

 建物北側(後方)から。麻雀店の入口はビル側面(北側)か、裏側(西側)だったようだ。

 同じ街区内には他に2棟(隣接の第一光和ビル、街区南角の3階建て(2008年までは中古カメラ店の大庭商会、その後は居酒屋・寿司店など))があったが、3棟は2014年後半にまとめて解体され、跡地には「ペルサ115」という一棟のビル(13F・B1F)が建設された。

堤第一ビル/新橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
昔の思い出 1990年ごろ新橋駅前にあったすごく古いビルのこと - 御光堂世界~Pulinの日記
4160 堤第一ビルディング解体へ | 龍的思考回路

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木村屋

2021-09-27 | 港区   
木村屋
所在地:港区 芝浦1-7-1
構造・階数:木・3F
建設年:1921(大正10)
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2011.4.11

 旧海岸通りの芝浦一丁目交差点に面した角地に建っていた洋風建物。たばこや雑貨を扱う店で、ドラマのロケ地にもなって有名にもなっていたという。
 ただ、窓の位置が2階と3階では微妙にずれていて3階北側には窓がないなど、変則的な壁面デザインで全体のバランスはいまひとつの建物だった。

 石張りの壁面のように見えるが、窓枠と目地が整合しておらず、モルタル塗りで目地を描いていたようだ。

 付け柱の柱頭の装飾デザインもギリシャ由来のドリス式やコリント式ではない、謎のデザイン。

 1階コーナー部の軒先にもモルタルで装飾が付けられている。木製扉は観音開きだったのだろうか。

 交差点の反対側から見ると、屋根がトタン葺きだったことが分かる。

 写真の2011年頃までは営業していたようだが、2013年頃からはシャッターが閉じられていることが多く、仕舞屋状態だったようだ。2016年2月のGoogle ストリートビューには写っているが、2017年9月時点では右隣の青トタン屋根の建物と共に消失しており、この間に解体されたようだ。ただ写真右の2階建てモルタル看板建築は2021年3月時点のストリートビューでも現存が確認できる。

旧木村屋|港区観光協会|VISIT MINATO CITY

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平野製作所

2020-03-20 | 港区   
平野製作所
所在地:港区 芝5-24
構造・階数:木・2F
建設年代:震災後〜戦前
解体年 :2018(平成30)
Photo 2006.3.5

 田町駅前の慶應仲通り商店街から北側に入った場所にあった木造モルタル看板建築。戦前に建てられたらしい2階建て洋風建物だったが、2018年末に通り掛かったら消失していた。同じ年の4月中旬に訪れた時にはまだあったのだが・・・。

 赤い部分はトタン張りだったのだろうか。窓枠は銅板張り。屋根形状は側面にも金属板が建てられていたため分からず。

 窓は木製の上げ下げ、玄関扉も木製。玄関上にはモルタルでアーチが描かれていた。玄関上の庇は傷んでいて、2010年頃には建物より先に撤去されていた。

平野製作所/芝5丁目 - ぼくの近代建築コレクション 

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虎ノ門のギャンブレル屋根住宅

2020-03-14 | 港区   
I邸
所在地:港区 虎ノ門3-19-3
構造・階数:木・2F
解体年:2018(平成30)
Photo 2018.5.10

 愛宕山の西南側の一角の奥にあった洋館。いつ頃建てられたのかは不明だが、戦前のものとも思われるもの。

 ギャンブレル屋根の2階建てで緑色のトタン葺きで、ドーマー窓が付くちょっと可愛らしい建物。愛宕山の丘の斜面に建っていたので、玄関にたどりつくまで十数段、ほぼ一階分の階段があり、下から見上げた時の姿が格好良いお家だった。


 Photo 2018.5.10

 都心だけに周辺には高層のマンションやオフィスが多い。一昨年に訪れた際、既に南側の通り沿いの方は木造家屋群が解体されていて、この近所も空き地や空き家が多くなっていたので、今後どうなるのだろうと思っていたが、その後、半年のうちに解体されてしまった。

 東側には愛宕グリーンヒルズの高層ビルが聳えている。ここまで背の高いビルではないようだが、この家があった一角にもビルが建つようだ。


 北側から Photo 2008.5.21

 一つ上の段に建つ家々へアプローチする階段が東側にあり、そちらを上るとこの家を北側から眺めることができた。上から見ると、玄関部分は瓦葺きの切妻屋根だったことがよくわかる。またこの時点では屋根は塗り直されておらず、比較的おとなしい緑色だった。

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芝ミルクショップ

2020-02-18 | 港区   
芝ミルクショップ
所在地:港区三田4-6
構造・階数:木・3F?
建設年代:戦前?
解体年代:2010〜13(平成22〜25)
Photo 1994.11.20

 港区三田4丁目。数年ぶりに見て回ったら、古い建物がいくつか消失していた。この芝ミルクショップも個性的な建物だったがいつのまにか無くなっていた。建物は右手の随應寺の門前町屋として建っていたようで、現在、跡地には同寺関連の建物が建っている。


 Photo 2005.10.2

 よく見ると店舗部分の庇のすぐ上にも窓があって、階高の高さがまちまちで、実際の階数がよく分からない建物だった。各階の窓などからわずかに見える内側の様子から判断して、3階建ての木造商店だったのではないかと思う。
 ただ3階建てだとすると、2階の床の位置がかなり低くなるような気もする。なので、もしかすると一部に中2階がある背の高い2階建て建物だったのかもしれない。


 Photo 1994.11.20

 買い物のためにお店に入って、中を覗き込めば階数も分かったのかもしれないが、そこまではしなかったので、結局階数はよくわからないままになってしまった。建築面積があまり大きくない一方で、総二階建てで背が高く、木造商店では少々珍しいプロポーションなのが印象的だった。

 お店の名前は住宅地図では「芝ミルクショップ」。看板には「明治牛乳芝販売所」「Milk Shop SHIBA」などと書かれていた。
 1936(昭和11)年発行の火保図にも「ミルク」と記載されている。またこの近辺は戦災では焼失しなかった地域なので、この建物も戦前に建てられたものだったのかもしれない。


 東側から Photo 2007.7.1

 東側側面は洋風下見板張り。道路側と西側側面は下見張り風のトタン張り。


 Photo 2007.7.1

 Google Street Viewで確認したところ、2013年6月には既に建て替えられていた。手持ちの最後の写真は2010年4月なので、これ以降、2012年末頃までの間に解体されたようだ。

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願海寺隣の木造洋館

2020-02-16 | 港区   
願海寺隣の木造洋館
所在地:港区三田4-2
構造・階数:木・2F
解体年:2013(平成25).8
Photo 2007.7.1

 江戸時代以来、寺院が多く集積している三田4丁目。その中のとあるお寺に隣接した場所にあった下見板張りの洋風家屋。増改築がいろいろされて怪しの洋館になっていたが、あえなく解体。


 Photo 2005.10.2

 近くからだと全景が見えないので、少し離れた場所から墓地越しに見る。大きな入母屋屋根の建物。


 玄関部分 Photo 2005.10.2

 2軒の住宅が玄関を隣り合わせて一体になっていた。当初はシンメトリーなデザインだったのかもしれないが、増改築を経てあちこちが異なる状態になったようだ。


 桜田通りから Photo 2005.10.2

 建物の後ろ側は入母屋ではなく切妻屋根。瓦は日本瓦ではなく洋風のもので、ところどころ脱落してしまっていた。

 お寺の門前町屋地だったらしく、建物解体後、現在はお寺の駐車場になっている。一方、写真中央と右側の平屋の建物の方は現存している。

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