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弱いつながり 検索ワードを探す旅 (東 浩紀)

2014-08-15 | 

   弱いつながり 検索ワードを探す旅

Twitterで感想を見かけて、「旅」がキーワードということで衝動的にKindleで購入。思想家という方の言葉は難しいと思ってしまうのだけど、大変読みやすく共感するところがとても多かったので紹介します。

つい先日、うっかりスマホを落としてしまった私。親切な方のおかげですぐ見つかり3日後には戻って来たのですが、スマホのない2日間は、久しぶりに解放されたような手元に新しい時間を手に入れたような気分を味わったのが意外だった。思うに、かなりスマホに囚われている…。

このように、私たちの日常はもうネットなしには成り立たない。そしてネットがあれば世界中の情報にアクセスし世界中とつながることができると考えている。でも本当は、人は自身の思考や経験や人間関係など、限られた範疇の中でしか情報にアクセスすることはできない。なぜなら、情報を獲得するには「検索ワード」が必要であり、思いつくワードは、自身の環境に規定されてしまっているから、と東さんは述べている。

そこで必要になるのは、自ら意図的に環境を変えるということ。そしてその中で考え、思いつく検索ワード(=欲望)は、グーグルを裏切ることができる…!

その具体的な方法として東さんが提案するのが「旅」。しかも、がっつり覚悟を決めたバックパッカーなどではなく「観光客」としてさらっと表層を撫でる旅。それでも現地に行って本物を見ること、そこに身を置いて感じることは大きな意味があるという。それはネット上のストリートビューとは全く比べものにならない。

旅のもうひとつの特徴は移動するための「時間」。そこに行って帰って来るある一定の時間が、旅先で見たこと、考えたこと、感じたことを反芻し、次なる欲望を生み出すことにつながる。旅は新しい検索ワードを発見し、次につなげるための大切なきっかけになるのだ。

そして哲学的に考えると、「言葉」はいくらでも解釈可能であり、真実をあらわすのに実に頼りにならない。そこで大事なのが「モノ」である、という。特に歴史的な事象に対し、文書は勝手な解釈が加えられ、記憶は簡単に書き換えられる中、事実を示している「モノ」の存在感のいかに大きいことか…!

著者の東浩紀さんは、「福島第一原発観光地化計画」を提唱され、事故の深刻さと「観光」という言葉との違和感のために批判もあったようだ。彼がアウシュビッツやチェルノブイリを訪問した経験からも、人々が実物に衝撃を受け原発事故のことを考え続けるために、実際に触れられる機会をつくろうという主旨には共感するところもある。

さて、私が旅を好むのも、やはり非日常を体験したいから。異なる環境の中で五感が感じ取れることはたくさん、たくさんある。世界の広さを実感できる。

そして、考えてみたら、私が「美術」を見に行きたくなるのも、同じ理由なのかもしれない。この頃のアートは、観念的で解釈が必要なものも多いのだけど、やはりそこにあるのは作品としての「モノ」なのである。そこに詰まっている作家の意図や背景や、もしかしたら歴史や環境や、さらにいえば美術自体の歴史そのもの…。小難しいことを考えなくても、モノが持っている力が、写真などで見ていたのでは決して湧かない印象や感情をもたらす。それが楽しい、とっても!

短い時間で読めてしまうけど、中味は深い。これもネットにもたらされた予定された情報だったかも…?ですけど、出会えてよかった一冊です。おすすめ。


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