荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

キュウ・ゴジラ

2016年12月19日 | 散文
久し振りの対面です。


シン・ゴジラが評判でしたが、初代の活躍があってこそです。


壁をえぐる破壊力が存在感を高めます。


私にこの力があれば、雨にも負けず風にも負けず、プーチンにも習近平にも負けず、世界中に出掛け行って、「つまらないから止めろ」と言う。
あるいは、「みっともないから止せ」と言うのになあ。

「世界の警察」を自認していたアメリカは、これから何処へ行くんだろう?
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ウルトラマン商店街再訪(2016年)

2016年12月19日 | 散文
あれ?ウルトラマンじゃない・・・。


ゾフィーではないですか!?

どうしてセブンやタロウじゃなくてゾフィーなんでしょう?

ここも商店街の入り口のようです。


段々賑やかになってきて、


前回訪問した祖師ヶ谷大蔵駅の横手に出ました。

なるほど、商店街の入り口は複数有るのですね。

商店街を行きます。


相変わらず賑やかな商店街です。


今日のお昼はこの蕎麦屋です。
蕎麦よりも沢山種類がある「おかず」が美味しいです。

暫く席が空くのを待ちました。
人気店のようです。

再び師走の商店街を走ります。

今回は「木梨サイクル」を素通りしました。

そして、商店街の別の入り口に、居ました!
青空に飛ぶウルトラマンです。

どうだ!!
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迎春準備万端の神田明神

2016年12月19日 | 散文
神田明神鳥居前です。


鳥居脇に、もう「迎春」の文字が見えます。




参道の街灯にもあります。


訪問してみます。




唐門を振り返ります。
迎春に相応しい鮮やかさです。


本殿も新年を待っているようです。


茅輪がありました。
へえー、大晦日にも「大祓」の儀式を行うのですね。
初めて知りました。
ただし、夏越しの大祓と違って本殿前でなく、脇で・・・。

除夜の鐘の前に茅輪を潜って、除夜の鐘が終わったら本殿にお参りするんですね。
神田明神、準備万端整いました。
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浅草地下商店街

2016年12月18日 | 散文
浅草寺参道商店街に地下鉄の入口があります。

利用者が多い連絡道です。

入って行きます。


古い散髪屋があります。
もう数十年前からここにあります。


階段を下りていくと商店街があります。
恐らく今は、この看板の半数も残っていません。




何故だか、右手に大きな鏡があります。
これも昔からあるように思います。

ここは商店街の端っこです。

商店街を行きます。

ちょっといかがわしさ、だらしなさ、懐かしさを感じさせる地下街です。

このレトロ感好いです。
昭和に迷い込んだ気がします。


行列ができている店があります。
おひとり様も多いようです。


時々TVで紹介されるタイ料理の店です。

昼間一番流行っている店です。
夜はディープな地元オヤジと浅草芸人御用達の店がオープンします。

更に歩きます。


地下鉄の改札口に向かいます。


脇道もあります。

アダルトビデオ店もあります。

銀座線の改札口です。

銀座線は日本で最初に開通した地下鉄です。
浅田次郎が「メトロに乗って」の舞台にした路線です。
タイムマシン的異界感があるでしょう?

左に折れます。


立ち食い立ち飲み屋です。
階段を跨いで店があります。

この雰囲気がたまりません。
太平洋戦争終了後10年位の世界です。

先程の脇道の所に出ました。
あのタイ料理店です。


振り返ります。
先程入って来た脇道の立ち飲み屋です。

手前の、カット700円の価格設定が昭和です。

元来た階段を上がります。




外が見えてきました。


時間旅行から現代に戻った気分です。
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浅草羽子板市(2016年)

2016年12月18日 | 散文
もうすっかり新年の飾り付けを終えた仲見世を歩いています。


周りの話し声から、通行者の7~8割が外国人ですね。


浅草寺の境内はいつに増して賑わっています。


羽子板市に来ました。


羽子板市は東京の年末の風物詩です。
新年を迎える行事です。


毎年曜日に関係なく、12月の17,18,19日の3日間開催されます。


大変な人混みの中、屋台を冷やかして廻ります。






既に売約済みの羽子板もあります。






男の子向けの凧もあります。




毎年世相を反映した変わり羽子板が話題になります。
今年の映画は「君の名は。」ですね。

この店の去年は五郎丸選手でした。
列に並んで順番に撮影していましたが、今日は並ばないで。

今年の大河ドラマは「真田丸」ですね。


浅草寺も新年の準備万端のようです。



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初冬の松本楼

2016年12月17日 | 散文
黄金の絨毯の向こうに松本楼が佇んでいます。




初冬の西日を浴びています。




この時間帯はレストランも一休みです。




「首賭け銀杏」はすっかり落葉しました。




冬の到来を告げる光景です。




空も冬の色です。

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銀座の年末風景

2016年12月17日 | 散文
銀座の救世軍です。

実は初めて見ました。
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相撲部屋/NO TRAINING TODAY!

2016年12月17日 | 散文
井筒部屋の前を通り掛かりました。


無造作に置かれた段ボール箱の向こうに、1月場所のポスターが貼られていました。

もうそんな時期かと思うと同時に、まだこんな時期だよ、とも思います。
相撲取り達は九州巡業中で不在ですが、先場所鶴竜が横綱になって14勝の好成績で2回目の優勝を果たしました。
ポスターを掲示するのは、女将さんを初めとする留守を預かる者の心掛けでしょうか?

じゃあ、他の部屋はどうでしょう?
春日野部屋です。


さすが名門です。ちゃんとポスターが出ています。

栃ノ心が10勝の好成績を挙げました。

木瀬部屋にもポスターが出ています。
幕尻の臥牙丸が勝ち越して幕内に留まりました。
十両で売り出し中の宇良も勝ち越して、幕内昇進を窺っています。


大嶽部屋です。
唯一の関取である大砂嵐が十両で好成績を挙げて、幕内復帰のメドが立ちました。


高田川部屋にもポスターが掲示されています。

十両の竜電が9勝を挙げましたが、幕内の輝は負け越しています。
ポスターが貼られていますが、部屋を挙げて成績が良かったとは言えませんでした。

浅香山部屋にはポスターが出ていません。
この部屋はまだ関取が居ません。


ポスターの有無は成績によるのでしょうか?
弟子の成績が良かったら部屋の雰囲気も高揚して、来場所が待ち遠しくなって、つい早々とポスターを出してしまうのでしょうか?

時津風部屋にもポスターがありません。

部屋頭の豊ノ海が十両を転落してしまって、関取が居なくなってしまいました。
幕下7枚目で、やっと勝ち越しの状況です。

伊勢ヶ浜部屋は宝富士が9勝しましたが、横綱日馬富士が後半失速して11勝、大関照ノ富士がやっと8勝して角番脱出、安美錦は十両でやっと8勝で幕内復活の気配なしと部屋全体の成績はよくありませんでした。

成績とポスターの有無は関係しているのでしょうか?

尾車部屋にもポスターはありません。
豪風が7枚目で勝ち越しましたが、嘉風が2枚目で6勝しかできませんでした。


北の湖部屋を継承した山響部屋にもポスターはありません。
北太樹が十両で勝ち越しましたが、幕内復帰には遠いです。
北はり磨は十両で4勝の成績でした。


錣山部屋は豊真将が引退した後唯一の関取である十両青狼が勝ち越しましたが、幕内を窺うにはまだまだ遠いです。

やっぱりポスターと成績は・・・。

出羽海部屋にはポスターの代わりにダンボールが貼られて、いや立てかけられていました。

名門部屋唯一の関取御嶽海は小結で6勝しかできませんでした。

ところで、これはなんだろう?
稽古日だから立ち入り禁止の「NO」か?
それとも今日は稽古をしていない、の意味?

そして、誰の為に書いてあるのだろう?
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フコク生命ビルの夕映え

2016年12月16日 | 散文
ビルの向こうにも街が佇んでいます。
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根津神社/西日が当たる透かし塀

2016年12月16日 | 散文
初冬の景色になって来ました。


透かし塀周辺は紅葉が残っています。




陽射しは柔らかです。


透かし塀を覗きます。


透かし塀の角です。


もう12月の後半です。
静かに季節が移ろいます。
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初冬の護国寺

2016年12月16日 | 散文
西日に映える護国寺の山門です。


境内を望みます。




欅でしょうか、すっかり落葉しています。


紅葉の参道を進みます。






この景色も好きです。


散策します。
私の場合、参拝ではありません。






本堂も。


桜もすっかり落葉しています。


帰りに見るこの景色も好きです。




黄葉が照らされています。


山門も同様に。


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東京大学で銀杏を惜しむ

2016年12月15日 | 散文
平日なのに、一般人が多い大学です。

私も銀杏の見納めに来ました。

まだ安田講堂近くは銀杏の絨毯が残っています。




私が知っている限り、日本で一番一般人がたむろしている学校だと思います。

みんな名残の銀杏を慈しんでいます。

正門を振り返ります。

もう初冬の風景です。

そして、工学部前の銀杏です。






赤門前の銀杏はまだ盛りです。


抜けるように空が青いです。


風が吹きました。
銀杏吹雪です。

散り行く銀杏を惜しみます。
去り行く時を惜しみます。
月日が過ぎて、年が過ぎようとしています。
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忠臣蔵ー4(両国吉良邸跡)

2016年12月14日 | 散文
冷たい雨が上がった東京です。
「義士祭」に相応しい寒さです。

本ブログは12日の話です。
いつもは閑静な街ですが、やっぱり討ち入りの日が近いと来訪者が多い吉良邸跡です。

人を避けて、静かな佇まいを撮りました。

入ります。


正面に吉良上野介の像があります。

吉良家は足利氏を通じて源氏に遡る武家の名門です。
太平記にも登場します。
長男を上杉家に養子に出した名家です。

ここにも「首洗い井戸」があります。

赤穂義士は吉良を打ち取った後、ここで首を洗って、泉岳寺に持って行ったのですね。

吉良家にだって誉れの武士がいます。
「討ち入られ」時に主人を守って死んだ忠臣達です。


12月14日にはここでも「義士祭」が行われてます。
赤穂四十七士が主役です。

・・・泉岳寺でやるのはいいけど、ここでやるのは、吉良上野介達が可哀相じゃないですか?

近くには「安兵衛公園」もあります。

堀部安兵衛の道場跡です。
どうしても赤穂義士が主役になってしまいます。

余談ですが、泉岳寺に貼ってあったポスターです。

「忠臣蔵の恋」、もうすぐ佳境、討ち入りです。
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忠臣蔵ー3(泉岳寺周辺)

2016年12月14日 | 散文
泉岳寺脇の小路を進みます。
山茶花の咲く道です。


好い感じの路地です。


都営高輪一号アパートの裏に来ました。
鬱蒼とした森の前に門があります。


細川越中守下屋敷跡です。


門の中庭を覗きます。
小さな一角です。


内蔵助他16人が切腹した場所です。

藩主の綱利が赤穂浪士は藩の守り神であるとして、切腹の血をきれいにしようとする家臣を止めたとうい話が残っています。







この大きな森の一部は、現在中学校の校庭です。


この辺りは土地勘があります。
以前に大使館を捜しに来訪しています。
で、確認しました。
ウズベキスタン大使館です。


そして、スリランカ大使館もありました。


前回訪問時に印象深かった高輪消防署二本榎出張所にも来ました。
昭和8年に造られた「ドイツ表現主義」によるオシャレな建物は、工事中でした。残念!




泉岳寺前の国道15号線に出ました。
高輪大木戸跡がありました。


東海道から江戸の南の入口跡です。


大きな石積みです。


木戸の大きさが想像できます。


元禄14(1701)年から時は流れて、自動車が引っ切り無しの現在の東海道です。


この話、まだ続きます。
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忠臣蔵ー2(赤穂義士の墓)

2016年12月13日 | 散文
墓地への道筋に「血染めの梅」と「血染めの石」があります。
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際、その血が飛び散ったと伝えられています。

ここに移植、移動したものです。

首洗い井戸があります。


両国の吉良邸跡にも「首洗い井戸」があります。


吉良を討ち取った時に吉良邸で首を洗い、ここ泉岳寺に来る迄に更に出血して汚れた首をこの井戸で綺麗に洗って、主君浅野内匠頭の墓前に供えたのでしょう。


墓地の入口です。
沢山の人がお参りしていました。


先ず、内匠頭夫人の墓があります。


向かって左奥に浅野内匠頭の墓があります。




四十七士の墓所です。
浅野内匠頭の墓の左手にあります。


四十七士の名前と墓の案内板がありました。
英語でも書かれています。

新聞によると、アメリカで忠臣蔵を描いた「47RONIN」が書かれており、忠臣蔵の世界に浸りたい外国人が増えているそうです。

四十七士の墓所に来ました。
名前と享年が書かれた案内板があるので分かりやすく、その名前と年齢から当該者の人生を想います。
これも「墓参らー」ですかね。






彼らの戒名の頭には「刃」の文字が刻まれています。


新聞によると、勇敢な行動を讃えた戒名に、当時の人々の感情が反映されているそうです。












線香屋があります。
みんなここで購入してお参りします。

店の人が「やっと義士祭らしくなったな」と言っていました。

まだまだ準備中のようです。


提灯が石段を上がって来ます。


ここでもTVカメラが回っています。


門前に出ました。


この話、まだ続きます。


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