荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

山谷が変わっていく。

2016年12月28日 | 散文
山谷は日雇い労働者の街です。
2015年2月、「日本キリスト教団日本堤伝道所センター」に垂れ幕が掛かりました。

再開発されるようです。
ここでは時々、労働者向けに「炊き出し」が行われています。
そして時々、労働者達が少ないお金を賭けて単純なゲームをしています。

時は遡って、2013年の6月に初めて山谷を訪問した時の様子です。


労働者が屯している伝道所の手前に、酒屋「野田屋」がありました。


景気が悪くなって、客である労働者が少なくなって、店は半営業状態でした。


2015年8月、久し振りに訪れたら、「野田屋」が無くなっていました。

マンションを建てるようです。

以後順調に工事が進んでいきます。


そして、2016年12月の姿です。




全容が現れました。




商店街は人が減っていきます。
いくら「あしたのジョーのふるさと」と銘打って集客を図っても、客がいなくなり店舗が無くなっていきます。
商店街の体を成さなくなっています。
再開発やむなし、でしょう。

今後も街が変わって行くと思いますが、一番変わったのは日雇い労働者です。
人数が激減し高齢化しています。
若い労働者が離れていきます。
行き先の無い老人がここに残されて、ここで死んでいきます。

冒頭の「日本堤伝道所」を初め、キリスト教関係者が支援を続いています。
この「山谷伝道所」の人達の活動も然りです。


ここは「神の愛の宣教者会 山谷の家」です。
日曜日には労働者達が歌う讃美歌が聞こえます。

多くの宗教家が人生を捧げて支援を続けています。

また、多くの医療関係者が身を挺して支援を続けています。
病気の労働者を治療し、その最期を看取っています。


多くの篤志家が支援を続けています。
吉原遊郭時代からの投げ込み寺「淨閑寺」に、昭和57年「山谷老友会」によって「ひまわり地蔵」が建立されました。

傍らに主旨を記載した案内板があります。
「山谷には、労働に生きて労働に老いて、ひとり寂しく人生を終わる人が多くいます。山谷老友会は、孤独の壁を越えて連携し、励ましあい、また支えあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働き抜いてきた日雇い労働者のシンボルといえます。
この地蔵尊は、倉田辰彦氏をはじめ、多くの方々のご好意と浄財が寄せられて実現したものです。」

個々の努力の結果を超えた格差が進んでいます。
こういった個人が身を挺し人生を捧げた活動に頼った支援で、進捗していく超高齢社会に将来はあるのでしょうか?
年末を迎えて「よいお年を」と言いますが、日本の社会に良い年が来るのでしょうか?

矢吹丈は言っていました。「明日はどっちだ?」
彼に明日はあるのでしょうか?
コメント (2)
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鳩の街商店街を往く。

2016年12月28日 | 散文
生家でバタバタしていてあまり散策していません。
従って東京での在庫記録です。

墨田区の向島の東に「鳩の街商店街」があります。


年末セール開催中です。




この辺りは赤線があった所で、吉行淳之介や永井荷風等がここを舞台にした作品を残しており、多くの文人が出入りした場所です。


自転車でゆっくりゆっくり街を往きます。


一時期この街のレトロ感に惹かれた若者が閉店した店舗を借りて趣味的な店作りをしていましたが、買い物客の減少に歯止めが掛かりません。


古い建物が商店街の両脇に続いています。


商店の合間合間に閉店した店があります。






懐かしい雰囲気が漂います。


こんな商店街が好きです。






営業している魚屋さんがありました。
看板が立派です。
主人曰く、店舗の開店時に魚の卸し屋から貰ったものだそうです。
今はこの卸し屋も1/3しか残っていないとの事です。

店頭に並べられている商品は少ないです。
魚を食べる家庭が少なくなって、町の人口が減って、スーパーで買い物する人が多くなって、閉店する仲間が多いそうです。
この店が開店した時には墨田区に80数店あった魚屋が、今は13店しか残っていないそうです。
商店街よ頑張れ!!

商店街の1本裏の住宅地です。


こんな路地も好きです。


路地の奥にはこんな物もありました。
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