荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

初めての新宿御苑

2015年11月17日 | 散文
初めての新宿御苑です。


曇り空ですが芝生で寛いでいる人が多く居ます。

外国人が多いです。

林の小路を抜けて行きます。


このビルが気になりました。

このビルを見ながら散策します。

曇り空が残念ですが、菊花展の向こうに。


ここからでも。


ちょっと紅葉しています。


景色は良いんだけど、池の水が汚いのが残念です。


薔薇園がありました。

そろそろ花のシーズンは終わりですかね。







プラタナス並木がロマンチックです。






帰りにビルを振り返ったら外国人のカップルが、映画のシーンみたいです。

幸せになって、日本を好きになってください。





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菊祭り3景

2015年11月17日 | 散文
この時期は菊祭りの季節でもあります。
では、菊まつり3景を・・・。

<亀戸天神>
七五三の季節です。


菊花展が開催されています。




綺麗だと思います。


ここの菊祭りは、これを見なければ納まりません。
今年で4基目のスカイツリー菊人形です。

今年も似ていません。
というか、似せようとしていないようにさえ思います。

<善養寺>
江戸川沿いにある善養寺です。
国の天然記念物「影向の松」があるお寺です。

ここでも菊花展が行われていました。

菊の築山が見事です。






沢山の、手塩にかけた菊が展示されています。

品評会も行われていて、賞が付けられています。

私はこのタイプの菊が好きです。


お年寄りたちも楽しんでいます。

穏やかな小春日和の景色です。

<新宿御苑>
お寺ではありませんが、菊を展示していました。


先ずは入口の花を愛でます。


園内を廻ります。




芝生にも植えられています。


極め付きはこれ!


1本の茎から565輪を咲かせています。


こちらは610輪です!
全ての花の高さを円錐状に整えて、しかも同時に咲かせる技術は凄い!

圧倒的に、新宿御苑の勝ちです。


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品川宿(旧東海道)を巡る

2015年11月16日 | 散文
品川神社の表参道の突き当りが旧東海道です。
その道の両側が品川宿街です。

東海道五十三次最初の宿場町です。

下駄屋がありました。
今時珍しい店ですが、一般の商店街と変わりません。

史跡を探します。

商店を離れてすぐ近くにある運河へ行きます。

品川宿は、思ったより海に近いです。

「鯨塚」がありました。
17mの鯨が打ち上げられて時の将軍が見に来たという話を聞いて、私は鯨塚を見に来ました。

歴史遺跡らしい佇まいを想像していたので、ちょっとガッカリ。

さて、品川は幕末の舞台でもあります。
商店街(旧東海道)のコンビニとマンションの前に説明板がありました。
八百屋さんに訊いたりしてちょっと探した「土蔵相模」跡です。


「駐輪お断り」の看板の隣りに説明板がありました。

「旅籠屋を営む相模屋は、外壁が土蔵のような海鼠壁だったので、土蔵相模と呼ばれていました。
1862年(文久二)品川御殿山の英国大使館建設に際して、攘夷論者の高杉晋作や日下玄瑞らは、この土蔵相模で密談をこらし、同年12月12日夜半に焼き討ちを実行しました。
幕末の歴史の舞台となったところです。」

土蔵相模の前にはこんな人が居ました。
バットマンでしょうか?飛べそうにありません。
焼打ちにあった英国人の子孫だったりして・・・。

現在の東海道の風景です。

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品川神社へ行く

2015年11月16日 | 散文
初めて品川神社へ行きます。


先ず、富士塚に上ります。


東京に出て来て以降30数年間、機会ある毎に、電車から見ていた富士塚です。


頂上から品川駅方面を望みます。


ずっと、行ってみたいと思って電車から見ていた場所に、いま上っています。

ちょっと感無量です。

せっかく来たのでお参りします。


本殿の裏に廻ります。

裏ですが、神社の敷地外です。

立派なお墓があります。

夫婦のようです。

奥には石碑がありました。
「板垣死すとも自由は死せず」

どういう縁があるのか、ここに板垣退助のお墓がありました。
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ねむの木の庭

2015年11月15日 | 散文
先日園遊会が開催されました。

天皇家の最大のヒットは、美智子様を皇太子妃として迎えた事だと思います。
旧華族からでなく、平民から迎え入れた事は皇室の革命でした。
これで国民は一足飛びに時代の転換を理解し、天皇家に対する注目度が高まりました。

その後、皇后様は今上天皇と一緒になって皇太子たちの成長を公開する等、現在の親近感が持てる皇室を創り上げました。
一方、その革命に伴うご心労は、筆舌に尽くせないものがあったと推察致します。

さて、数年前に、皇后様の生家である正田家が売却されるとの話がありました。
結局、皇后様のご意向もあって、公園になった「ねむの木の庭」へ行ってみました。


公園は、自転車で上がるのは大変な丘の上にあります。

<案内板の記載内容>
「この公園は、皇后陛下 美智子様のご実家・正田邸の跡地に開設したものです。

昭和9年10月20日、正田家の長女としてお生まれになった皇后様は、昭和34年4月10日、民間初の皇太子妃として皇太子殿下(現天皇陛下)のもとへ、この地より嫁がれました。

品川区は、平成15年にこの土地を譲り受け、皇后様がお誕生からご成婚までを過ごされた場所にふさわしい場所として整備しました。


この公園には、ご成婚当時の門を再現しているほか、皇后様ゆかりの木や、お歌の中で詠まれた樹木草花を多数植え、訪れていただいたそれぞれが皇后様に思いを馳せていただけるようにしました。


またこの公園の園名は、皇后様が高校生時代におつくりになった「ねむの木の子守歌」や、皇室に入られた後にお詠みになったお歌の中でも使われたゆかりの樹木「ねむのき」にちなんで命名いたしました。」


斜め前にベラルーシ共和国大使館があります。


門前から伸びる道路沿いにはインドネシア大使館もあります。


近くには、旧島津邸をそのまま使っている清泉女子大学もある、


超高級住宅街です。
このような環境でお育ちになられたのですね。

そういえば、皇后様が嫁がれたとき「平民の子女」と言われていたけど、「庶民の子女」とは言われていなかった事を思い出しました。

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池之端に咲く朝顔

2015年11月14日 | 散文
朝顔は花が永い植物です。
初夏から、日当たりが良ければ晩秋まで花を付けます。
いつものように池之端の路地を自転車で走っていました。

おや?

停めている自転車に違和感があります。


弦の先の方に一輪の花が咲いています。

いやそれより、自転車が朝顔で埋まっています。

角度を変えて見ます。


どの位の間自転車に乗るのを我慢すればここまでになるのでしょうか?


ひょっとしたら、これは作品でしょうか?

朝顔と同じ色の傘も咲いています。
壁の色とも同色系です。

生け花のような芸術作品でしょうか?

だとしたら凄いし、だとしなくても凄いです。
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帰京しました。

2015年11月13日 | 散文
松山空港を離陸した直後の松山市郊外です。

この後飛行機は四国山脈を越えて太平洋に出ます。

大きく蛇行した河が光っています。

四万十川だと思います。


入り組んだ海岸線と島です。

高知県だと思います。
風光明媚な地だと思いますが、場所が分かりません。

この島は何処でしょう?

本州だと思いますが、これも何処だか分かりません。

タラップが作動して降下を始めました。


雲の中に突っ込んで行きます。




タラップが頻繁に操作されています。
雲を突き抜けてアクアラインが見えてきました。


帰って来た実感が湧きます。


アクアラインの空気取り入れ口です。


滑走路に向かって降下して行きます。






着陸しました。


滑走路を移動してゲートへ向かいます。


ゲートに着きました。


レインボー照明の機内を出口へ移動します。

帰京しました。
久し振りの東京です。


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夕暮れの桜井漁港

2015年11月13日 | 散文
夕方の桜井漁港に来ています。


遠くに四国山脈が霞んでいます。


堤防の向こうには平地島が見えます。


目を転じると、世田山・笠松山が見えます。


暮れて行く漁港を見ています。


漁船が残照に照らされています。






静かに暮れて行きます。














残照に平地島が浮かんでいます。


茜雲の下で暮れて行きます。


漁村の向こうに日が落ちて行きます。


廃屋が多くなってしまった漁村です。


夕暮れは寂しくて人恋しくなります。

明日帰京します。

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笠松山に登る-2

2015年11月12日 | 散文
ここが頂上です。

よく分からない説明板にあった観音堂です。





景色を見ます。
生家地区と平地島が見えます。


しまなみ海道が霞んでいます。


朝倉地区です。
母の生家が良くみえます。

祖母の生家はもっと山奥です。

一休みして汗も引いたので、世田山方面から帰ります。


あれが世田山です。

南朝方の武将はこの尾根を走って、連携を取って北朝方と戦ったのです。

朝倉側は、山火事の傷跡が生々しいです。


世田山へ通じる尾根を歩きます。

途中、2人の小父さんと2人連れの女性に逢いました。
ハイキングコースとして親しまれているそうです。

帰るとなったら、元気な老幼馴染です。

基本、体力があります。
晴耕雨読じゃないけど、彼の1週間は「畑、ゴルフ、畑、畑、ゴルフ、ゴルフ、畑」です。
平日ゴルファーです。

帰り道と世田山の分岐点に出ました。
「おい、どうする?」と聞こうとしたら、老幼馴染はスタコラサッサと帰り道を下りていました。

ちょっと世田山に寄り道したかった。あと500mなのに・・・。

帰り道は九十九折の急坂です。

ここは、子供の頃は展望が良く利いた山道でしたが、植林された杉の木で全く下界が見えません。

途中、古墳らしきものやイノシシの掘り返した跡を見ながら下ります。


世田山側の登山口に到着しました。
笠松山を縦走しました。

これで世田山・笠松山を登りました。
宿題を片付けたような安堵感があります。


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笠松山に登る-1

2015年11月12日 | 散文
さて、6月に帰省後意識し、常に気になっている「太平記の舞台/世田山・笠松山」に登る決心をしましいた。
「水大師さん」のある、野々瀬口から出発します。
午後の出発ですので、逆光が眩しくて撮影条件が悪いです。


約50年振りの訪問です。
恐らくもう登ることはありません。

歩いていると、足下でバリバリ殻が割れる感触があります。

ドングリがびっしり敷き詰められた林道です。

太平記によると「敵味方の死体が折り重なって地面が見えない」と書かれているそう(この件を読んでいません)ですが、この辺りでしょか?

すぐに直射日光の下に出ます。
日差しが強いです。

以後ずっと日陰はありません。

あの頂上を目指します。


この山は数年前に山火事が発生し、大被害を受けました。
その後が生々しく残っています。

遠くに朝倉の集落が見えます。

あの頂上を目指します。

約50年前に登った時は、林の木陰を進んだ記憶があります。
山火事のせいで、林が消滅しています。

その代わりと言っては何ですが、展望が利きます。
山の向こうが今治市の市街と瀬戸内海で、山の手前から左が朝倉の集落です。


老幼馴染と休憩します。
今日は一人ではありません。無理やり突き合わさせました。

向こうはまだ頂上ではありません。

瀬戸内海には平地島が眺望できます。


途中で拾った枝を杖にして登ります。


あそこが頂上です。まだまだ先です。

こちらの海側は風のせいでしょうか、火事が及んでいません。

朝倉側は、木が焼き尽くされています。

前回、世田山に登った時は殆ど林の中で眺望が利かず心細い思いをしましたが、今回の笠松山は頂上を見ながら進むので、残りの距離の目安が立ちます。

あそこが頂上です。

向こうに世田山が見えてきました。

頂上下の広場に到着しました。

遠足で来た事もあります。

景色を眺めながら案内板を読みます。
「笠松山357m 今治市朝倉の笠松山は国立公園のひとつであり昔、名木傘形の松があったが現在は枯れてない。
わたくしにふる雨しのぐかさまつの 竜水木のあらんかぎりは 河野為世 詠
年代は明らかではないが河野四郎為世の隠居城があったといわれ、南北朝の忠臣篠塚伊賀守の居城があったがあった笠松山観音堂は伊賀守が城を落ちのびる際、兜の内側に秘めていた一寸八分の黄金観音像を笠松山頂に安置して去ったものを戦いの後、村人がこの地に小祠をたてて祀り、その後たびたび改築されて現在に至っている。
(3013年今治市)」

何を言いたいのか?分かり難い説明だこと・・・。

広場の奥の石段を上って頂上へ向かいます。

次回に続きます。


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頓田川から唐子浜へ

2015年11月11日 | 散文
頓田川南岸の堤防脇を走ります。


赤灯台が夕日に照らされています。




海岸脇のサイクリングロードはジョギングコースでもあります。


旧灯台守官舎越しに赤灯台を見ます。




夕暮れの旧灯台守官舎を見ています。







そろそろ帰路に就きます。


夕日を浴びるサイクリングロードです。




夕暮れはいつも寂しくなりますね。



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頓田川河口再訪―2

2015年11月11日 | 散文
頓田川の南岸に移動しました。


こちら側は砂浜でなくて、ゴロゴロ石が敷き詰めた磯になっています。
アサリ取の人が居ます。

海の中にも居ます。

靴を濡らさないように、飛び石をそっと踏んで渡りました。
目標の干潟に来たゾー!


磯を振り返ります。


世田山・笠松山の手前に赤灯台が見えます。


目標の干潟から北岸を見ます。


南岸を見ます。


もうひとつの浅瀬が顔を出していますが、長靴を履いていないのでここは無理です。


南岸に戻ります。


堤防越えの夕映えです。


河口にあるマンションの夕映えです。

こんな景色が見たかった。

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頓田川河口再訪―1

2015年11月10日 | 散文
夕方の干潮を見計らって頓田川河口へ行きます。


最高のタイミングです。

前回帰省時頂上しか見ることができなかった浅瀬が完全に干上がっています。

夕日に赤灯台が照らされています。

手前の河口には静かに波が寄せています。

静かな波と干潟の向こうには平地島が穏やかに浮かんでいます。


ずっと見たかった干潮の頓田川河口です。










あの干潟に行きたい!!


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金毘羅山満願寺へ行く

2015年11月10日 | 散文
頓田川中流域に架かる橋を渡ります。

上流方向に世田山・笠松山が見えます。

農家の間の参道を行きます。


小学生の頃親戚に連れられてお祭りに来て以来の参拝です。


讃岐の金毘羅山と同じように、多くの石段があります。


良い運動になりそうです。


お堂があります。


更に石段が続きます。


鐘突き堂があります。


更に石段が続きます。


本堂が見えてきました。


やっと着きましたが、息が切れ切れです。
やっぱり金毘羅山と言えば、石段ですね。


天井が気になりました。


見上げると、鮮やかな色の絵画がいっぱいです。

凄いです。
有難味が増します。

帰ろうとしたら、奥に続く道があります。


「二丁」の文字があります。


歩いて行くと、石段の手前に「一丁」の文字があります。
奥ノ院までの距離らしいです。
「丁」が何mか分かりませんが、上ることにしました。

最近、「今回を逃したらもうチャンスが無いから行く」事にしています。

やっぱり金毘羅山は長い石段です。


振り返ります。


着きました。奥ノ院です。ゼーゼーです。

最初で最後の参拝だと思います。

本殿からの帰り道の風景です。


膝がガクガクで下りの石段が怖いです。


世田山・笠松山を見ながら下りますが、目を離すと、足を踏み外しそうです。


「地上」に着きました。

・・・やっぱり世田山・笠松山が気になります。

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懐かしい人たちに出逢う

2015年11月09日 | 散文
ふる里の山辺を走っています。
ここは、母の実家近くに住んでいた担任の先生に自転車の荷台からしがみついて、志島ヶ原保育園に向かった道です。
叔母にも連れて行った貰った事があって、その都度通り過ぎてしまうお社が気になっていました。

今回初めて、自転車を止めてゆっくり見ました。
懐かしいです。そして気掛りがひとつ解決した安堵感があります。

この道を更に下って行くと、神社がありました。


寺社仏閣があれば訪ねてみるのを習慣としています。


風雨に晒されて浮かんだ木目模様が印象的な本殿です。


実は、神社の入り口にこの銅像が在った為に、本殿を初めとする諸々を写真に収めたのです。
帰京した時に家内に見せる為です。

この人物は私たちの「仲人さん」です。
出生地の氏神様に銅像が建てられていたのですね。

田舎の結婚式の常で、地元の有力者に「座り仲人」をお願いして権威付けをし、式を盛り上げたのです。
石碑にも名前が残っています。


ここにもありました。


奥様にもお逢いできました。

仲人をお願いしたのは30数年前です。
・・・お世話になりました。

万感の思いを込めて本殿にお参りしました。


思い掛けない出逢いに驚きながら帰ります。


銅像をもう一度拝して帰ります。


仲人さんにそっくりです。良くできています。
経歴を読もうと後ろに廻りました。
銅像の背中にある作者の名前を見て、またビックリ!!

中学の時の美術の先生です。
先生、お懐かしゅうございます・・・。

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