荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

駒込小学校

2023年01月08日 | 散文

旧丹羽家住宅蔵の向こうに学校が在ります。

 

その角に、休憩スペースが有りました。説明板が有ります。

 

「染井吉野ゆかリの地散歩」と「歴史と文化の散歩道」です。「この駒込小学校の校門の両側にある、日本の代表的な桜『ソメイヨシノ』は、江戸時代の終わり頃この染井地区の植木屋によって作り出された品種です。染井の植木職人達は、江戸時代の園芸文化の中心的役割を果たし、その優秀な技術によって造られた庭園は浮世絵にも描かれており、徳川将軍の中にはたびたび染井の地を訪れた人もいたということです。 

1657年(明暦3年)江戸市中を燃やし尽くした振袖火事の復興の過程で、『染井通り』がつくられました。その後、通りの南側には柳沢家下屋敷(現六義園)、藤堂家下屋敷、健部家下屋敷(現染井霊園)など広大な大名屋敷が軒を連ねます。これらの広い庭の手入れに駆り出された近隣の農民が、染井植木屋の始まりといわれています。  以前は文献資料によってしかわからなかった染井の植木屋ですが、1988年から始まった染井地区の発掘調査によって、彼らの活動した場所の様子が少しずつですが明らかになってきました。

当時、この駒込小学校がある場所は松平家の下屋敷の一部でした。遊歩道整備前に行われた発掘調査では庭園の一角や大師道との境に掘られた溝と思われるものが発見されています。

  

この調査ではまた、旧石器時代の石器も出土しました。これは豊島区で発見された遺物の中では最も古く、約2万年前のものと推定されています。その近くからは炉の跡と思われるもの見つかっており、採集・狩猟時代の昔からこの地に人が住んでいたことを示す貴重な発見となりました。  この近辺ではその他に縄文時代の土器・竪穴住居・弥生土器、土師器(古墳時代の土器)などが見つかっています。

 

その後の時代については詳しくわかっていませんが、明暦の振袖大火以前のこの地は、一面の畑の中に農家が点在する農村だったと考えられています。日本郵船用地では当時の畑の中の畝の跡が見つかりました。そこからは小麦と陸稲の花粉が発見されており、二毛作行なわれていたことがわかります。」

 

説明板にあった、正門両脇のソメイヨシノです。

 

二宮金次郎像が有りました!しかも新しい!薪を背負って歩きながら勉強しています。嬉しい!場所によっては、歩きスマホを助長すると言って学校から追い出した挙げ句、商店街の目立つ角に、手首を切り落として置いていたりします。勤勉と歩きスマホの区別ぐらい子供だって理解すると思うのですが、、

・・・ちょっと脱線しました。「質上州屋」の看板を追って染井坂通りを下ります。結構急坂です。


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