荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

相撲部屋の正月風景−4

2024年01月07日 | 散文

<鳴戸部屋>

向島の「ミズマチ」に在ります。従って、スカイツリーがそびえます。

 

簡素で美しい正月風景です。師匠は元大関琴欧洲です。日本人より日本人らしい感性の持ち主だと思います。部屋を興してして10年位になるでしょうか?現在2人の関取を育てています。1人も育てられない師匠が居る中で立派です。

 

相撲部屋2つ目の、相撲ラッピング自販機です。

 

イラストは、元相撲取りの「琴剣」です。相撲漫画等で活躍しています。

 

<押尾川部屋>

文化3丁目にやって来ました。近くに「下町人情 キラキラ橘商店街」が在ります。正面のビルの壁に横綱が居ます。

 

「琴剣画」と記載されています。こんな処でも活躍しています。

 

正面から見上げます。「相撲部屋がある賃貸住宅クリエイティブハウス文化」と書かれています。

 

1階は「押尾川部屋」です。師匠は元関脇豪風です。部屋を興して3年くらいです。まだ関取は居ません。部屋付き親方に元大関琴風(元尾車部屋師匠、元日本相撲協会副理事長、元NHK大相撲解説者)が居ます。豪風の前師匠です。遣りにくくないのでしょうか?

 

ここでもスカイツリーがそびえます。

 

<大島部屋>

元関脇旭天鵬が師匠です。スッキリしたいつもの正月風景です。

 

彼はモンゴル人力士第一号です。前師匠鷲羽山が、モンゴルから数人の若者を連れて来たのが、現在のモンゴル人力士興隆の始まりです。当時は外国人枠なんてありません。複数の外国人が入門するなんて思ってもいません。鷲羽山は角界の革命者になりました。旭天鵬も日本に馴染めず部屋を脱走して、国際問題になりました。モンゴルに帰国する仲間も居ました。でも彼は部屋に戻って努力して、モンゴル人力士界を支える人物になりました。唯一の優勝時には、異例のことながら、横綱白鵬がパレードの介添えを勤めました。そして前師匠は旭天鵬を後継者に指名しました。現在関取が居ないのが残念です。

 

ここでもスカイツリーがそびえます。

 

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相撲部の正月風景−3 音羽山部屋誕生

2024年01月07日 | 散文

三囲神社です。丁度「隅田川七福神巡り」の真っ最中です。境内に多くの人が居ます。

 

三井家、三越百貨店との縁があります。

 

元横綱で、陸奥部屋の部屋付き親方だった鶴竜が「音羽山」を襲名し、部屋を興したと聞いて探しに来ました。

 

玄関の構えからここだと思います。まだ看板が出ていません。聞くところによると、12月27日に移転したらしいです。

 

これは立派な部屋を建てたものです。陸奥部屋から連れて来たのは、弟子2人と床山1人だけです。一杯弟子を取れますね。陸奥部屋が4月に閉鎖するので、多分霧島を初め力士が移転するのではないでしょうか?

 

看板が無いので「音羽山部屋」の確たる証が欲しいです。ウロウロします。勝手口でしょうか?白い紙が貼られています。

 

有りました!やっぱりここが「音羽山部屋」です。

 

部屋の上にスカイツリーがそびえる立地です。

 

それにしてもセンスが好いです。

 

そして何より、凄い所に部屋を持ったものです。周りは向島の花街です。「墨堤組合」です。花街の組合です。

周囲を散策します。

 

そして、ここは「喫茶カド」の跡地です。この店が無くなって足が遠退いていましたが、音羽山部屋の建設によって散策の楽しみができました。時々訪ねてみようと思います。

近くには元大関琴欧洲の「鳴戸部屋」が在ります。稽古相手に不自由はありません。霧島たちも移転して来るだろうしね。

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