荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

旧田中角栄邸800平方メートル全焼

2024年01月09日 | 散文

目白通りです。昨日目白台に在る旧田中角栄邸が全焼しました。ここみたいです。

 

隣の公園から見ても燃えた屋敷跡が望めない程広い敷地ですが、少し焦げた匂いが残っています。田中家の方にはお気の毒です。

 

道路の向かいには報道陣が待機しています。

後ろの建物は日本女子大学です。

この道路はよく通ります。「そう言えば、田中角栄氏が建てた目白御殿はこの辺りだろうか?」と時々思っていたけど、探そうとは思いませんでした。日本女子大学の向かいだったのですね。

目白通りから奥に広い屋敷の構造のようです。西側の路地を入りました。勝手口でしょうか?ここからずっと塀が続きます。

南の神田川に向かって下っている台地上の敷地です。

敷地の南端です。

あそこにも扉が有ります。大きな屋敷ですが、相続税を物納したので、建設当時の敷地より小さくなっているそうです。それにしても、目白台にこれだけの屋敷を持つのは凄いです。

田中角栄氏は、1代で日本の最高権力者まで上り詰めた英雄でした。「今太閤」と囃された人物です。「日本列島改造論」や「ロッキード事件」が思い起こされます。功罪が多い人物でした。日本列島改造論で不動産バブルを引き起こした人物でもあります。最後は脳梗塞になって、自由が利かなくて気の毒でした。

路地を戻ります。正面は日本女子大学です。

この目白通りには、学習院や川村学園が在る文教地区です。

 

「日本女子大前」の交差点を南に曲がると、そこは急な「豊坂(とよさか)」です。坂下に豊川稲荷神社が在ることから名付けられたそうで、貧富に通じた名前ではないそうです。・・・見上げる目白台です。あの茶色の建物の向こう辺りが田中邸です。

 

坂を降り切って右折するとすぐに銭湯が在ります。

「豊川浴泉」です。

豊川稲荷神社が在ることからつけられた名前でしょうね。目白台下は、東京では珍しくなった銭湯が在る庶民の街です。

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一口(いもあらい)神社

2024年01月09日 | 散文

神田川を見下ろしています。

 

聖橋の上です。前方に「湯島聖堂」、後方に「東京復活大聖堂」と二つの「聖」を結ぶことから付いた名前です。

 

御茶ノ水駅も見下ろせます。

 

東京は山坂が多い街です。橋の背後は「淡路坂」です。

説明文を読みます。「江戸時代、坂の上には鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられました。また、屋敷の道をはさんだ向かい側には大田姫神社がありましたが、別名の一口稲荷にちなんで一口坂とも呼ばれていました。」

 

道標の前に椋の木の大木が在ります。

 

御茶ノ水駅の臨時改札口の傍です。

 

「大田姫神社」の元宮、旧名一口神社です。

 

こんなに小さな神社です。

 

 

「一口である大田姫神社は江戸城外堀(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田川を開削した時 江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された。昭和6年(1931)総武線開通に伴い現在の駿河台に移る。尚鉄道(『甲武線』中央線の前身)は濠の中にあり開通時天皇家との間に濠幅を減じない巾で、商業を営まない、環境を守るとの約束がある(明治期鉄道史より)」 

そうなんです。由緒正しい由来の神社です。

 

前回訪れたのはコロナ禍の初期でした。

 

当時、「風邪 咳 封治 御守」のご利益にすがる人が多かったのだろう、空でした。・・・今も霊験あらたかなんだろうか?

5類になったとは言え、コロナもインフルも、これから益々感染が増えると思います。皆さんご自愛ください。

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