ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

古道連協講座②の準備&西隣区小学校ダンス火曜教室8月④

2014-08-26 22:58:59 | 日記

 今朝は非常に涼しくて久しぶりにゆっくり眠れた感じである。

 このところずっと日本列島の各地で豪雨による被害いが報道されているだけに当地区では被害がないだけに被災地には申し訳ない感じである。

 今日も雨は降るという天気予報が出ていたが、朝方洗濯しようかどうしようかと迷ったが思い切って洗濯をすることにした。

 洗濯を始めて少し経った頃、洗濯機を回している最中に2階の軒先から水がダダッと落ちてきたのである。

 このアパートに越してきて未だ間がない頃にも同じように軒先一面に水が落ちてきたが、今日もその時と同じような状態である。

 そこで大きな声で2階の住人である女性に「Aさん水が一面にダダ洩れて来たが2階の床に水が這っていないか?」と訊ねたら水を出すのを止めたようだ。

 落ちてくる水の量が次第に少なくなったが、残りの水が時折落ちてくる始末である。

 そこで洗濯をして水を流しているので「2階の床の水がちゃんと捌けているか?」というと「分からない」と言うのである。

 分からないはずはなく、パイプが詰まってなければ水はスムースに流れる筈で軒下からドンドン水が落ちてくる訳がない。

 そして言うことがいい。

 「大家さんに連絡して…」というのである。

 以前の時も大家さんに来てもらって樋の途中から水が勢いよく出ていたので樋の途中を修理して水が洩らないようにしたもらったのである。

 今回も全く同じ様な感じである。

 洗濯を済ませて干した後、午後2時30分に古道連協のメンバーが集まって資料の準備をすることになっているので昼食の後出かけることになっている。

 今月の終わり頃に2回目の講話が行なわれることになっているが、その準備であつまることになっているのである。

 受講者の人達に渡す講座資料をプリントしてその他の資料と共に袋詰めをするのと、当日の段取りや、来月以降に行われるリレーウォークに付いての打合せを行なう。

 打合せを終えたのは午後5時を少し回っていた。

 今日はその後、西隣区小学校火曜ダンス教室に直接行くように予めダンスシューズもデイバッグに入れて来ているので西隣区の最寄駅まで地下鉄を乗り継ぐ。

 そして、終点駅の近くのマクドナルドに行き、いつものように普通のバーガーとホットコーヒーを注文して小腹を満たしたが、夏休み中の高校生達が一杯いて大きな声でしゃべって非常に賑やかである。

 待ち時間を兼ねてしばらくくつろいだ後、小学校に向かったが、夕方とは言えこの時刻はまだまだ明るいが、非常に蒸し暑い中を歩いて行く。

 小学校に到着して部屋に入るとK氏が準備を済ませ一人でレッスンのおさらいをしている最中であった。

 この教室では前半にチャチャチャの比較的初歩のステップを組み合わせて行なったが、その仕上げを通しで行なう。

 休憩を挟んで後半はタンゴを行なったが、来月の種目をどうするかを話しあった結果、少し高度なステップを挟んで継続することになった。


西隣区小学校月曜ダンス教室8月④

2014-08-25 23:32:05 | 日記

 今朝はこのところの朝では一番涼しさを感じたのでこのまま涼しくなってくれると有難いがと思ったものである。

 当地区での今日の最高気温こそ32℃ぐらいだから少しはマシなのかもしれないが湿気だけは高いのでやはりムッとする暑さだけはいただけない。

 このところのテレビでは全国的に降った豪雨により大きな被害を受けた広島市を中心とする行方不明者の捜索に当たっている様子の映像が殆んどである。

 しかし行方不明者の数が警察や消防、地方自治体によってめいめい把握している行方不明者の人数が違っているという。

 なんでそれぞれを付き合せて正確な人数が出せなかったのかということである。

 ところで今日は自宅で当区ガイド養成講座のバーチャルガイドをするために神社の写真を捜さなければならないがなにぶん、過去に撮った写真の数が膨大で探すのも大変である。

 普段から写真を撮る趣味のある人はそれまでに旅行に行った時の写真とか、自宅へ孫たちがやって来た時の写真などと言う風にちゃんと整理をしておられるものと思うが、写真に特に興味はないのであまり整理もしていないから大変である。

 おまけに高大の2学期の準備もしなければならないから今日の福祉IT部会の定例会は欠席することにした。

 先月に続いて不参加となったわけである。

 実はこの会には余り貢献していないので、そろそろ退け時かななんて思っている次第である。

 この会に入ろうかと思ったのは今から数年前のアクティブシニア講座を受講している時に今の高大と同様に班別に分かれてそれぞれの班がテーマを見つけてどんなボランティアが出来るか発表会があった。

 それが福祉IT部会の前身となるグループのメンバーで構成され、その班の人達がSAの講座修了後も継続して各地区SAの連合体の府SAで新たに立ち上げたのである。

 在校中にそのグループでHPに詳しい人物がいたから、HPをやりたいと思っていた私は在校中にグループに加えて貰えないかと打診したがその時は余りいい感触ではなかったのである。

 SA講座を修了後、私は私で今の市SAに入会する運びになって事務局の一員ということになったが、たまたま新たに立ち上げた福祉IT部会のメンバーを募集していたのである。

 SA講座の時にはあまりいい感触でなかったのに、SAで立ち上げたからメンバー募集なのかと思ったものである。

 もともとボランティアに興味があった訳ではなかったが、前の年に府が主催しているアクティブシニア講座に通って、その翌年にアクティブシニアと並行して行なわれていたSA講座に通うことにしたのである。

 当時は府が主催していたから費用も安く、アクティブシニア講座では年間2万円、SA講座は年間5千円だったから費用も掛からないし2年続けて行こうかと言う軽い気持ちだったわけである。

 その当時はSAの何たるかを詳しく知らないまま受講したということで甚だいい加減な受講生だったわけである。

 ところが先ほど少し触れたようにボランティア養成講座だということが分かって来てこの歳になるまで社会にお世話になって来たんだという気持ちがだんだん膨らんで何か社会にお役にたつことをと言う気持ちが出てきたということである。

 しかしボランティアと言う意味では既に当区ガイドの会やボラパソ、市SA、それに関連して府SAのHP部会、福祉IT部会、古道連協など、直接現場に出て参加者と直に接するものばかりではないが多くの団体に所属しているのはこのブログを継続的に読んでいる方はお分かりだと思う。

 最も大変なのは高大のCDを始めたことに尽きるが、特に福祉IT部会の場合は入会する前にいい感触ではなかったと言うこともあっと特に意識した訳ではないが本格的に活動しない状態が続き、他のメンバーに対してもこのままでは申し訳ないのでいずれ退会したいと思っている次第である。

 それ以外の活動であるダンスレッスンの回数も増えて、多くのものを抱えすぎたが、個人の趣味としては社交ダンスのウエイトがかなり大きくなってきて、健康を維持するためには最高だと思っているのでこれは最重要である。

 従ってお役に立ってないところを辞めるのは仕方がないだろう。

 今日の日記では夕方からダンスレッスンに西隣区の小学校へ向かうためバス停に行く。

 夕方とは言え、かなり蒸し暑い状態である。

 バス停を降りて小学校に向かったが、ダンスレッスンの部屋となっている2階の部屋に灯りが灯っているから当番の女性が早く来てカギを開けてくれて準備している。

 私も加わって準備したが、先生の後に先週見学に来ていた男性がやって来たのである。

 新たにメンバーに加わった男性に会長がレッスンのレクチャーをしている。

 会長はその男性に個人レッスンをしていたが、その男性は別のクラブでもやっているということで覚えも早いようだ。

 会長は先日ダンスパーティがあった時に新しい靴を履いて踊っていたので足が上手く靴に合わなかったとみえて足に負担がかかり途中で踊れなくなったということで、今日も結局出てきて見ていただけだったが先ほどの新メンバーに付き添って教えていたのである。

 この男性が加わって男性会員と女性会員がほぼ同数に近くなり、こんなに男性が多いのは他のクラブと比べても珍しい。

 普通は圧倒的に女性が多いのだが…。

 8月も今日のレッスンが最後で、来月から種目も変わるが、今度は何だろう。


久し振りに涼しい一日

2014-08-24 19:13:54 | 日記

 このところずっと続いていた蒸し暑い日々だったが今朝は比較的涼しい朝を迎えることが出来た。

 しかし全国的に見れば北海道や東北方面、更には西日本でも近畿の中央付近で結構雨が降っていたようであるが、当地区では全くそんな気配を見せていないのが不思議な感じである。

 広島市の方では陸上自衛隊、警察機動隊、それに近在の市町村からの消防隊員など3500人体制の捜索隊を布いて行われたようだが映像を見ていてかなり大きな岩までもが押し流され来ているのには驚かされたものである。

 死者も50人に上っているが、未だ行方不明者が38人いるということである。

 これだけ大量の岩石や土砂、それに樹木に押し潰された家屋など重機が入れないところが多いので人海戦術だから遅々として進まないようだし、更には又新たな雨が降り出すと二次災害の恐れもあるということになるから大変である。

 ところでこのところずっと高大の方も夏休みが続いている訳だが、8月も残り1週間を残すのみとなって来たから、そろそろ2学期に向けての準備もしておく必要もあるが、夏休みボケではないが、休み癖が付いて来たようで動きが鈍くなって来ている感じがするが、そんなことも言っておれなくなってきた。

 隣の大家さんの家にも久しぶりに賑やかさが戻ったようだ。

 普段は空き家だが久し振りに昨日の地蔵盆を準備するために来ていたが、どうやら夫婦とも昨夜隣家に泊まったようである。

 というのも朝方から掃除機をかける音がしていたが「久し振りだね」と言う声がしたかと思うと、しばらくしたら赤ちゃんの泣き声がして、あやす声もしたからである。

 どうやら息子か、娘夫婦が一時帰省してきたようである。

 普通ならお盆の時期だが、時期をずらせたほうが移動が楽だということなのかもしれない。

 昼の間は小さな子供の声もしてこの辺りでは最近小さな子供が少ないので甲高い声を久し振りに聞かされた次第である。

 今日は特に予定はないが、発泡酒が無くなったので近くのスーパーに買いに行ったがそのついでに味醂や料理酒、コーヒーのペットボトルなども一緒に買って帰る。

 本日の外出はこれのみで後はずっと家に籠って食事時はテレビを見、その後はPCのゲーム、そしてニュースやYouTubeを見ることになったが、今日のテレビでスコットランドがイギリスから独立する話し合いが出来たということで驚かされたものである。

 いまさら独立してどうなるのかと思うが、住民投票の結果がどうなるかが注目される。

 ヨーロッパでは小さな国でも独立をしようと言う意識が高いようだが、アジア、とりわけ中国こそが色んな民族を抱えて問題を起こしているが、14億人の国が1つになるのではなく、多くの国として独立を目指して欲しいものである。

 第2次大戦後しばらくして直ぐにインドの北側に位置するチベットに侵攻して自治区にし、インドの動きを抑え、中印戦争も起こしている。

 さらには西側のウィグル、そして南モンゴルとインドやソ連(当時)などの大国との間に緩衝地帯を設け、さらにはソ連とも川を挟んで中州の帰属をめぐって戦闘しているのである。

 中共が国を興したのは1945年で、その後すぐにチベットを手始めに南、西、北に戦争を仕掛けて侵略をしているのである。

 そしてベトナム戦争後、アメリカが撤退した後、今度はベトナムへ侵攻である。

 アメリカの影響が無くなったと見るや、ベトナムに侵攻したのであるが、ベトナムは第2次大戦後、宗主国だったフランスを排除し、アメリカにも勝ち、更には中越戦争で中国をも破った誇り高い国民である。

 ところが最近の中国はIMFや日本をはじめとする世界各国からの援助や投資で経済が発展してくると毎年軍備に金を注ぎこみ毎年2ケタ%の伸びを10年以上も続け今やかなりの軍事大国になって、今度は海に進出し始めた。

 東シナ海で尖閣諸島は中国のものだ、また南シナ海では西沙諸島、南沙諸島は中国領だと自分勝手に線を引き、おまけに防空識別圏をこれも勝手に設けて東シナ海、南シナ海を自国の池にしようとしている訳である。

 太平洋に出るためには台湾が目の前にあるし、その北側には尖閣諸島や沖縄があリ、その海峡を海上自衛隊や米国の潜水艦が睨みを利かしているから戦争になれば出るに出られない訳である。

 ところが尖閣諸島を中国が取れば台湾を陥落させるのも簡単で太平洋にもすぐ出られるから、日本やアメリカにとっては絶対に譲れない重要ポイントとなる。

 中国はあの手この手と幾重にも仕掛けており、直接尖閣諸島には手が出しにくいが沖縄は昔中国に貢物をしていたから中国領だと言い張っている訳である。

 直接侵攻するには自衛隊と米軍がいて簡単に手が出せないので沖縄に中国から移住者を増やして住民投票をして日本から独立させようとしているのである。

 現在沖縄の中心の町にある米軍基地を辺野古に移設するので測量を始めたが、基地反対を叫んでデモをしているのは中国から日本に帰化したり、長期滞在をしている中国人が殆んどで地元の人は極く少数だということである。

 日本人もそういった事実にもっと目を向けて貰いたいものである。


当区ガイドの会養成講座①不参加で写真捜し

2014-08-23 22:14:34 | 日記

 今日も暑い日となったが、8月23日ということで地蔵盆であるが、毎年、ここのアパートの大家さんの玄関わきになる地蔵尊のところにテントを張って行われているが、昨夜のうちに大家さんが来てテント張りをしていた。

 ここの大家さんは古くから住んでいる地元の人だが、3年ほど前までは高齢の女性が一人で住んでいた。

 私がこのアパートに来た16、7年前には、その女性1人だけで住んでいて息子夫婦は同居せずに南隣の市に居住して時折やって来たが毎年の地蔵盆の時にはいつも奥さんを連れてやって来てテント張りなどを前日にしていたわけである。

 お母さんが亡くなってからは誰も住まずに空き家となっているが、盆や彼岸の時にはお寺さんに来てもらって法要をしたり、たまに掃除に来たりしているぐらいであるが、昨日は泊まって朝から地蔵盆の準備をしていたのである。

 私がこのアパートに来た頃から見ると3人の住人と大家の奥さんの合計4人がいなくなった。

 2人は亡くなり、2人は引っ越して行ったが私以外はすべて60代以上の女性ばかりである。

 私がこのアパートに入る前には若い男性がいたそうだが、仕事を終えて、ただ寝るだけの部屋だったとかで、トイレでトイレットペーパーを使わずにティッシュを使っていたとかで水に溶けずに浄化槽にティッシュが溜まりすぎて下水が流れず大騒ぎとなったそうである。

 その何年後かに私がやって来たということでまた男が来たからどんな人が来るのか、また騒動を起こさねばいいがと、もっぱらの話題となっていたそうである。

 私の場合はこの街に来る前にも1人でずっと生活していたから家事一切をしていたし、前に住んでいた時も近所の人と交流があったから直ぐに打ち解けたものである。

 得てして男は仕事中心で近所付き合いを奥さんに任せっきりになっているし、私の様に1人で住んでれば殆んど近所との交流もないことが多いから退職してから何をしようかと言うことになってくる。

 何かを始められる積極性があればいいが、家に籠って何もせずにテレビを見るだけの生活なんかだとすぐに体力が弱って来ることになる。

 今日は午後から当区ガイドの会の養成講座があるが、今日の講師の中に問題のある「あそ歩」のチーフマネージャーが来るので顔も見たくないから不参加にした。

 その代りに3回目の養成講座の時には後半にバーチャルガイドということでメンバーが交代でワンポイントの案内をするための写真捜しをしていた次第である。

 先日神社に写真を撮りに行ったこともブログに書いたのでごぞんじのかたもあると思うがカメラのシャッターが下りなかったことを書いた。

 そこで以前に撮った写真があったと思ったから捜していた訳である。

 関連する神社の写真2枚はあったが、それは由緒書と石碑だけを写したものなので肝心の建物の写真などを未だ探せてない状態である。

 明日も時間をかけて過去に写した写真を捜すことになるようである。


弱り目に祟り目

2014-08-22 22:50:42 | 日記

 このところ日本列島の限られた場所を集中的に何度も何度も繰り返して大雨が降り、死者や行方不明者を多く出していることに対し被害に逢われた方には哀悼の意とお見舞いを申し上げたいと思う。

 今年だけこんなことになっているのじゃないけれど特に想像を絶するような降雨量であったのは他の年にはなかったのじゃないかと思われる。

 その被害は広島市の安佐南区と安佐北区に集中しているが、気象庁の分析によると時間の経過に伴って全国地図の上に線状に連なって限られた地域にずっと連続して降り続いている雲の動きを示しているのである。

 そういう場所は全国のどこにでも発生する可能性があるということで大陸側と太平洋側の2つの高気圧の谷間に沿って台風や低気圧が偏西風に乗って東の方へ移動して行く訳である。

 従って、その両方の高気圧の位置と南太平洋で発生した台風や低気圧の進路により日本列島のどこに被害をもたらすかということが決まることになるようだ。

 ただ言えることは南太平洋の高い水温により蒸発した水分の多い低気圧が送り込む量がハンパではなかったということもあるが、限られた特定の地域にそれが集中して山や丘に降り注ぎ地面に吸収される反面、表土を大量の水が流れて土壌をはぎとったり、はたまたそこにあった岩石を押し転がし足り、土砂を流して樹木や住宅をなぎ倒し、住宅の中にまでなだれ込んで多くの人に襲い掛かって多くの人命が失われたり、行方不明者を出したりしたものである。

 住宅を建てる時には一般的にはその土地が元々どういう土地だったかを予め調べたうえで建てるべきなのだがそこまで周到に考えて建てた人がどの位いたか分からないが、専門家以外は案外大雑把だったのではないだろうか。

 そんな気がしてならないのだが、日本の高度成長時代に少しでも早く土地を買って住宅を建てないととドンドン値上がりするからという焦せって住宅を求めた時代があったが、被害があった広島市でも山裾までも住宅街にしてしまったということである。

 昨日も少しふれたが真砂土(マサド)という花崗岩が長年の雨風によって風化した状態の脆い土質だということである。

 この土質は九州北部、それに中国地方から関西にかけて広く分布しているということのようだが、どれくらいの人がそんなことを知っていたか。

 私も30歳代前半の頃一戸建てを建てたことがあるが、その土地を買う時にはどんな土地だったかを調べたものである。

 住宅地として整地されて平らにならしてあればずっとその土地の近在に住んでいた者でなければどんな土地だったか分からない。

 たまたま営業をしていた関係であちこち動いていたのでその小高い丘を削った土地だということを知っていたから購入したが、逆に湖沼などを埋め立てた場所であれば元々雨水が溜まりやすい場所だということになるから敬遠すべきなのである。

 当然、山を削った土地と逆に谷を埋めた土地の違いがある。

 その境はどこかを知っておかないと隣家は何ともなかったが、自分の土地はずれて家が傾いてしまったなんてことも当然起きうる訳である。

 今日はそんなことでしばしテレビを見ながら昔のことを思い出したりしていたようなことである。

 今日も午後3時頃から買物に出たが、その前に小中学校時代の同窓会の出欠をどうするか考えていたが、参加することにしてハガキを出しに行く。

 そしてその足でバス停の時刻を見たがバスが来るまでには時間もあるので結局歩いて西方面のスーパーへ行くことにした。

 出かける時にチラチラと雨が降っているから普通の傘を持参していたが、結局帰るまでは雨らしい雨も降らずでほんの何十秒かの間に少し大粒の雨が降っただけである。

 昨日買わなかった食材やトマト、桃などを買って帰りは荷物もあるのでバスで帰ることにしたが、今日はすぐにバスがやって来てすぐに涼しい車内で涼をとることが出来た。