このところ少しばかり気温が下がって眠り易くなってきた感じがするのは有難いものである。
8月も大詰めを迎え、9月から再開する高大に通うのも1週間後となったが、休み間にあれもこれもしたいもんだと思っていながら結局ほとんど手に付かず状態となったのは自分でも情けなく思う。
数10年前、私が小中学校に通っていた当時の夏休みと同じ状態で、当時を思い起こすと自分でも苦笑する。
ところで先週の土曜日からボランティアガイド養成講座が毎週土曜日に6回シリーズで行なわれる運びになり、先週の土曜日に1回目が始まったが、少し前のブログにも書いたように第1回目には「あそ歩」のチーフプロデューサーが2人目の講師として来るので、顔を見るのもイヤなので欠席したものである。
今週の土曜日が2回目となるが、その日までに3回目に出る講師は資料を出して欲しいと言われていたので今日は何としても仕上げておきたいものである。
由緒ある神社に付いて説明することになっているのでその神社の写真を何枚か撮ろうと何日か前にその神社まで行ったもののカメラのシャッターが切れなくて断念した訳だが結局昔撮った写真を探すことになった。
ところが肝心の写真が見当たらず2,3枚の写真しかないのでカメラが得意なK氏に朝電話してその神社の写真を何枚か使わせて貰うことになったが、彼はPCは扱えないということでメールでは送れないということなので彼の自宅まで行ってSDカードを預かることになった。
昼前に自宅を出て20分程西方面に歩いて行く。
気温は以前より少しは下がった感じはするもののやはり歩くと汗が自然と滲み出てくる。
K氏宅に着いたらどうぞと言うことで家に上がらせて貰うと沢山の写真の中から神社に関する写真だけをピックアップしておいてくれた。
それは20枚近くの写真だが、どんな内容かを1つ1つ見せて貰う。
それをカメラからSDカードに落として貰って受け取る。
一段落して現在の当区ガイドの会についての談義になったが、彼も「あそ歩」のチーフプロデューサーとケンカしたそうでしばし2人でコキオロすことになった。
そもそもK氏と私がいなかったら今の当区ガイドの会は存在しなかったかも知れないのである。
自分で言うのもなんだがこの2人がいたから当区ガイドの会も順調にやって来れたんだと言っても過言ではないのである。
今から10年ほど前になるが当区の区役所の広報で歴史講座の参加希望者の募集があって参加したのは当初60名ほどであった。
今の区役所が出来る前の古い区役所の大広間に集まって当区に住む歴史研究家が講師だった。
毎月1回、というより1月と8月を除いて年に10回講座があった訳である。
多くの参加者が、それぞれチームに分かれてテーマ別に勉強をすることになったが、翌年は歴史を調べるグループとガイドをするグループに分かれ、3年目にまた統合するという感じで毎年、年度の終わりに区長を交えて最後に発表会をおこなったものである。
丸3年経った時点で当区ガイドの会を発足させるかどうかについて話し合う。
3年間学んできたメンバーも途中でリタイアした人が多く結局最後まで残った人は30人ぐらいであったが、会を発足させるについて最初から自分がリーダーだと自認している男がいたが、私がたまたま参加できなかった日の話し合いがあった時に誰にも相談もせず勝手決めたり、また金のことについて女の腐ったようなことを言ったのでK氏と言い合いになり、他のメンバーもK氏の意見に同調したということである。
その次の話し合いの時には私も出たが、リーダーを自認していた男がこれまた休んでばかりいるYという男を連れてきて意見を出させたのである。
私もリーダーを自認する男のやり口を知っていたが、2人で共同戦線を張っているのが一目で分かったのでYと言う男に対して普段全然出て来もしないものが今日だけ出てきていかにもずっと出てきているかのごとく強引に物事を決めようとするので私がボロクソに言ったのである。
すると女性のAさんも私に同調してYを批判したので身の置き所がないことを知ったようである。
結局その次の会合の時には2人とも来ずに正式に当区ガイドの会が発足したということである。
もしもその2人が入っていたら絶対に会は上手く行かず、潰れていたであろうことは誰しも感じていたと思う。
SDカードを受け取ってからその足で久し振りに会席料理店の昼定食を食べに行く。
塩サバ定食を食べた後、西方面のちょくちょく行くスーパーで買物をしてバス通りまで歩いて冷房の効いたバスに乗って帰る。
自宅に戻ってから先ずはプリンターインクのブラックをアマゾンで購入し、コンビニ支払なので支払いに行き自宅に戻ってからはK氏から預かったSDカードと自分が過去に撮った写真を取り出して担当者のM氏まで添付してメールする。