自宅からワイナリーまで電車を通す/ヴィラデストへの道

はるかに仰ぎ見る丘の上のワイナリーに心の中で鉄道敷設をする話

加藤武の『本多忠勝』を40年ぶりに『殿と合戦つかまつる』と啖呵を切る名シーンを見たら亡くなって

2015-11-12 18:31:59 | びっくりすることばかりで





亡くなっていた!





5月だって
劇団葬10月15日だって!!







 ≪11月9日≫



もう随分前

黒沢明監督が亡くなった時

追悼番組に

加藤武が出てきて

『偉大な先輩方が
 亡くなっておられて
 私などがこの席に…』

と言っていて



友人だった
禁ちゃんと
一緒に後で

感慨にふけったものです



その偉大な先輩方って

志村喬
三船敏郎

の事です





この頃
私のいる[ういだ市]では

『真田丸』の大河が決まったもので


40年近く前??


『真田太平記』の再放送を
やっていて

まだ若かった
草刈正雄

それとこの
渡瀬恒彦




雪村、信之

父の昌幸はタンバ
ですね





その中の
記憶に残る1シーン





真田親子の助命嘆願に

家康の前に
出て来た

本多忠勝とムコの渡瀬恒彦





この顔が
いちばん怖い

赦されぬなら

『殿と合戦つかまつる!』

と切った啖呵



忠勝だからな



忠勝だからなー



本多忠勝





ちゃんと涙目になっている



この男が
涙目なら

私が「道の駅」に行って
涙目になるのは

無理もない



あのですね

ちょっと40年のうちに

記憶は違って来ていて

『かっせんつかまつる!』

ではなく

『いくさつかまつる!』

だった



家康の方も

『分かった、分かった、ゆるす…』

ではなく

『ゆるす、ゆるす』

だった





でもなあ

啖呵は健在?

『この婿と共に沼田の城に篭り
 殿といくさつかまつる!』

だった





おお
おっかね!



加藤武

このシーンを残すだけで

長い80歳超の人生

過ごして来て終わる

その価値が
あったなあ



私には





話は
真田一族にずれますが

彼らは
皆どうやらお互いの
絆が保たれて居たようで

この時も
後年のエピソードでも

信之と忠勝

信之と雪村

一族と滝川三九郎

雪村の娘たちと片倉小十郎

などの
関係が信頼をもって

続いている



うむ

武名を挙げたからかも
知れませんね

親子三人とも





まあその

びっくりしました

加藤武

本多忠勝





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