久しぶりに家庭内行き倒れになり、気がつけば12時半。
急に雨が降り出したので、あわてて家中の窓を閉めにいき、
それで目が覚めました。
それがなければ、行き倒れ記録を塗り替えたかもしれません。
若ぶっていても、日々の労働の過労が蓄積しているのですね。
くっそー!負けん
昨日も算数のことでしたが、今日も算数のことです。
ここ3日、算数をぶっ続けでやってみて思ったのは、
数を量として捉えていくためには、子どものときの遊びが役に立つというか、
基盤になっているのかなぁ、ということです。
普段は一人っ子の私でしたが、夏休みになると祖母の家にいとこ9人が集まって大騒動。
おやつも最後の1個まで分ける徹底ぶり。
また、ビー玉やおはじき、シールや折り紙も自分より年上のいとこが
「みんな同じ数」と1枚ずつ配ってくれるのを、
分けもわからぬまま、口ぶりを合わせて
「いーち、にぃー、」と言っていました。
そんな刺激的な夏休みを過ごしたあとは、
一人っ子にもどり、よくわからなかった「同じ数配る」などというのを
人形並べて「いーち、にー、さーん」とやっていました。
また、ぼんやりしていると5個あった飴ちゃんが4個になったり、3個になったりするので、
「自分の飴の数はいくつかな」と量としての数に気がつくきっかけになったのも、
夏休みのいとこたちとの喧噪の中でだったように思います。
生活と結びついた数は、算数が苦手な私の中にもいつの間にか沁み込んでいきました。
今は色々なものが豊富にあるし、子どもがわいわい集まることもあまりないことなので、
こういう経験はなかなかないのかもな、と思います。
皿の中に家族の分のお菓子を同じ数だけ分けたり、
1週間分のおやつを分けてみたり、
色々と工夫をしながら、生活の中で数を量として実感する体験があるといいですね。
急に雨が降り出したので、あわてて家中の窓を閉めにいき、
それで目が覚めました。
それがなければ、行き倒れ記録を塗り替えたかもしれません。
若ぶっていても、日々の労働の過労が蓄積しているのですね。
くっそー!負けん

昨日も算数のことでしたが、今日も算数のことです。
ここ3日、算数をぶっ続けでやってみて思ったのは、
数を量として捉えていくためには、子どものときの遊びが役に立つというか、
基盤になっているのかなぁ、ということです。
普段は一人っ子の私でしたが、夏休みになると祖母の家にいとこ9人が集まって大騒動。
おやつも最後の1個まで分ける徹底ぶり。
また、ビー玉やおはじき、シールや折り紙も自分より年上のいとこが
「みんな同じ数」と1枚ずつ配ってくれるのを、
分けもわからぬまま、口ぶりを合わせて
「いーち、にぃー、」と言っていました。
そんな刺激的な夏休みを過ごしたあとは、
一人っ子にもどり、よくわからなかった「同じ数配る」などというのを
人形並べて「いーち、にー、さーん」とやっていました。
また、ぼんやりしていると5個あった飴ちゃんが4個になったり、3個になったりするので、
「自分の飴の数はいくつかな」と量としての数に気がつくきっかけになったのも、
夏休みのいとこたちとの喧噪の中でだったように思います。
生活と結びついた数は、算数が苦手な私の中にもいつの間にか沁み込んでいきました。
今は色々なものが豊富にあるし、子どもがわいわい集まることもあまりないことなので、
こういう経験はなかなかないのかもな、と思います。
皿の中に家族の分のお菓子を同じ数だけ分けたり、
1週間分のおやつを分けてみたり、
色々と工夫をしながら、生活の中で数を量として実感する体験があるといいですね。